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   1.

「うふ、うふふ……」
 なにやら気持ちの悪い声を上げているこの四十がらみの男は、名前をキンマク ヨウという。
 しがない建築会社の事務方で、独身。
 築三十年を超える自分のアパートでボーっとテレビを観ていたら、面白そうなコマーシャルを見付けて「これだ!」と思ったのだ。
 早速近所のコンビニで買ってきた。
 一メートル四方はあろうかという巨大なボール紙にぶら下がったブリスターパックを引き剥がし、中身を引っ張りだした。
 出てきたそれは、身長が一メートル程の人型の物体――人形とでも言うのだろうか――であった。
 更に、他の箱を開けて、中から次々と弁当箱大の大きさの物体を取り出すと、先程の人形に取り付けた。まるで服というより、鎧を着せるように人形の手足に部品を継ぎ足していく。
 最後に、今度はえらく小さい、掌に収まるくらいの大きさのボール紙のブリスターを引き剥がした。中から、金色の光る薄っぺらい物体が転げ落ちた。
 ヨウは、それを人形の背中に押し込んだ。
 それから、スマートフォンを操作する。
「さぁ、動け……!」
 ヨウが命じた。
 しかし、ヨウが組み立てたその人形はうんともすんとも言わない。
「どうなってるんだよ……!」
 ヨウは愕然として、何度かスマートフォンを突いて、人形をゆさゆさと揺すった。
「動かないじゃないか……!」
 がっくりと肩を落として、溜息をついた。
 同時に、ドンドンとアパートのドアを叩く音が聞こえた。
 ヨウは慌てて、押入れの戸を開けると中に潜り込んだ。
「おらぁ! 出てこんかいワレェ!」
 やがて、ドアを叩く音がエスカレートした。穏やかでない罵声まで響く。
 それから一分もしない内に、ドアが吹き飛んだ。その向こうには、ドアを蹴破った主であろう、酷く派手な柄のスーツを着たパンチパーマにサングラスの四十前後と思しき男が立っていた。
 堅気には見えないその男は、土足のまま遠慮もせずにヨウの部屋に上がりこむと、辺りをキョロキョロと見回した。
 部屋の隅にこんもりと丸まっている布団を蹴っ飛ばしてめくる。
「出てこんかいゴルァ!」
 ヨウは押入れでブルブルと震えていた。
 この物騒な男は、借金取りである。
 一年程前に、ヨウの実家の両親が詐欺に遭った。
 何代にもわたって相続してきた父方の田畑が、今ならば地価の数倍の値段で売れる、と持ち掛けられ、どうせ自分たちはもう農家をやるつもりもないのでちょうどいい、と応諾してしまった。
 ところが、契約書に穴があった。詳しい仕組みはわからないが、結果的にヨウの両親は地価の数倍の値段の金を手にするどころか、百万単位の借金を負う羽目になってしまった。
 仕事中に電話を受けたヨウとその弟は驚き、早速次の休みに実家に帰り詳しい事情を聞いた後、知り合いの又知り合いである弁護士に相談に行ったが、曰く「この契約は有効で合法なものである」という。
 結局、年老いた両親を哀れに思ったヨウが、借金取りと直接交渉し、毎月数万の金を無期限に払うということで話がついたのだが、借金取りは段々と増長し、先月から十数万の金を要求するようになった。
 月に目一杯残業して二十万と少ししか給料のもらえていないヨウに、そんな法外な金を払うことはできない。
 なので、なに一つ身にやましいことなどないというのに、ヨウは借金取りに怯える日々を送る羽目になってしまった。
「出てこんなら、この建物に火点けたるわ!」
 そう言って、借金取りはポケットからライターを取り出し、火を点けた。
 火、という物騒な言葉に、慌ててヨウが押し入れを数センチ開けて外を覗いた。
 ライターが畳の上に落ちようとしたその瞬間。
 なにかが、空間を掠めた。
 借金取りも、押し入れから覗いていたヨウも、驚いて固まった。
「火の用心、とな」
 小さな、まるで赤ん坊のような手が、ライターを掴んでいた。
「御仁、注意なされよ」
 その小さな影は、果たして先程ヨウが組み立てた人形であった。
 ヨウがいくら呼びかけてもなんの反応もなかった人形が、しっかりと二本の足で立ち、借金取り相手に言葉を喋っている。
「なんじゃワレ……!」
「その言葉、そっくり返させていただこうか……。主人の家に火を放とうとは、不届き千万……。場合によっては、官憲へ通報することもやむをえぬ」
「なめとんのかぁ!」
 借金取りが足を突き出した。ドアを蹴破った脅威の脚力である。しかし、威力はあれど、遅い。
 人形は、ひらりと宙を舞って、避けた。借金取りの横をすり抜け、背後に回る。
「おっと、ノミが」
 わざとらしくそう呟くと、さっと借金取りの足元を手で薙いだ。
「あっ……!」
 借金取りは、真後ろにすっ転んで、畳に腰を打ち付けた。
「気を付けられよ」
 人形が笑い声を上げた。人間で言えば、顔の目元に当たる部分が液晶になっており、赤い光がピカピカと点滅している。
「ワレェ……!」
 畳から体を起こした借金取りが、拳を振り上げ人形に襲いかからんとする。
「よされよ、正式に仕合たくば、主人を通されたい。さもなくば、官憲に知らせる故」
「グゥ……!」
 存外、この手の輩は官憲――警察に弱い。あくまで、警察が動かない範囲で、善良な市民から金銭を吸い取るのが仕事であって、国家権力に正面から楯突いてまでドンパチやるのは、外見が似ていてもまた別の手合である。少なくとも、この借金取りは前者であった。
「覚えとれ……!」
 そう捨て台詞を吐くと、借金取りは振り返りもせずに部屋を後にした。
「さて……」
 どうしたものか、と人形が周囲を見回した。
「う、動いてる……!」
 ようやく――借金取りが去ったのを確認してから――ヨウが押し入れから這い出てきた。そして、人形を見て驚いたように声を上げた。
「うむ」
 人形も、双眸――正確には、額の辺りにある小さな穴の奥のCCDカメラでヨウの顔を見た。
「以後、よしなに、主よ」

   ***

 六畳間に、すっかり綿が潰れて固まった座布団が二枚敷かれている。
 その上に、ヨウと借金取りを撃退した機械人形があぐらをかいて座っていた。
「えっと……」
 しばらく、お互い向い合って黙っていたが、ヨウが口を開いた。
「……なんて呼べばいいのかな?」
 その言葉に、人形がふっと笑った。
「それを決めるのは、主の役目故」
「は……?」
 どちらかといえば人より鈍いヨウには、この人形の時代がかった遠回しな言い方は伝わりづらい。
「名前は、決めてもらわねば名乗れぬ」
 そうと察した人形は、実にわかりやすく説明した。
「ああ」
 ヨウは恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。
「名前は考えてたんだけど……」
 中々それを口にしようとしないヨウ。さながら、道に迷った子供から親の名を聞き出そうとする大人のように、人形が尋ねる。
「ならば、素直にそれを申されればよい」
「いやぁ……」
 なんとも、なよなよとしていて気持ちの悪い男である。同じような問答を更に二度、三度続けてから、蚊の鳴くような声でヨウが呟いた。
「……ライム」
「む?」
 半径数メートルの範囲ならばそれこそパチンコ屋の中を蚊が飛ぶ音すらも正確に聞き取るこの機械人形に限って、聞き漏らしたということはない。単純に、その言葉の持つイメージに違和感を覚えたからだった。
「それが?」
 ヨウが頷く。
「いや」
 質問しようとした人形を、ヨウが遮った。
「わかってるんだ。実はね……」
 ヨウの周りくどい説明を要約するに、どうやらヨウは男型・女型と二通りの種類があるこの機械人形の女型を買う腹だったらしい。だから、予め考えていた名前も女風のそれだった。しかし、買う時にヘマをしたようでどうやらヨウの家にやってきたこの人形は男のような物言いをしている。しかし、既にこの名前に随分な愛着を持っているし、男の名前でも別段そこまでおかしくもないだろうから、そのまま使いたい、ということだった。
 人形は、人間臭い動作で顎をさすった。しかし、考えても仕方がない。
「主の決めたことだ」
 確かに、多少女々しい名前であるが、そも機械人形に拒否権はない。
 ヨウはヘラヘラと笑った。
 それからヨウは「テレビを付けていいか」と自分の家で、自分の飼い犬に許可を求めるような愚かしい質問をしてから、台所でお湯を沸かし始めた。機械の体では一緒にお茶は飲めないな、と一人楽しそうになにやら言っている。
 ライムと名付けられた人形は、「変わった御仁だ」と思った。これも時勢だろうか。この国では平時が長く続いていて、男の在り方というものも変わったのかも知れない――そこまで考えて、ライムは自身の思考に違和感を覚えた。
「時に、主よ。今日の日付はいつだったか?」
 台所に向かってそう尋ねる。ヨウは「うん?」とのんびりとした返事をしてから、急須を持ってこちらに戻って来た。
「二〇二二年の、十一月二十二日のはずだよ」
 実は、この機械人形は人間に日付を尋ねなければならない程、不便な作りにはなっていなかった。専用のネットワークと無線で繋がっており、人間を精神的に慰めるために必要最低限の情報は常にそこから取得して更新している。あえて共に学習する楽しみという要素を残すために、多分に高度な専門知識は持っていないが、例えば目が覚めて目の前の主人が「さあ一緒に囲碁を打とう」と言えば、たちまち手を抜いて互角の相手を務めるくらいには順応性が高い。
 それが、自分の機能を疑ったのだ。
 理由は簡単だ。
 今、ライムが考えたのは、知識に基づくそれではない。明らかに経験がものを言ったのだ。
 表情に――否、表情を持たない人形は動作にこそ表さなかったが、内心酷く混乱していた。
 しかし、いくら意識を深く沈めてみても、手がかりは得られなかった。ならば、結論に至るのは早い。どうやら、自分は少々記憶操作の手順が上手く行かず混濁しているようだが、特に異常がないのならば平然としているべきだ。
 記憶の異常を認めるのは制御プログラムの仕事であり、その知らせるところに基づいて自分の記憶を再度リセットするよう業者に依頼するかどうかの判断は、主が行なうことだ。
 それからライムは、日が暮れるまでの数時間をテレビを観ながら楽しそうにあれやこれやと喋り続けるヨウに相槌を打ってやって過ごした。

   ***

 やがて、すっかり日が落ちた。
 十一月ともなれば、五時を過ぎればすっかり暗くなる。
 ヨウは駅から少し離れた、住宅街と繁華街の真ん中辺りでその両方からやって来る客相手に商売をしているチェーン店の牛丼屋で晩飯を終えた帰り道だった。
 隣には、ライムが歩いている。
「いやぁ、一緒に食事ができないっていうのは、少し寂しいものだねぇ……。食事代がかからないっていうのは、魅力的で
「お湯が冷めない内にお風呂入りなさいよ! あと、駅前の薬局でバイト募集してたよ」
「うるせぇ! バイトなんかしねぇよ!」
(完)
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