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二,『人類史上最悪の政策』

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 西暦2116年、即ち啓命13年。日本は世界にその悪名を轟かせていた。21世紀後期からの急激な少子高齢化はとうとう歯止めの効かぬまま専門家の算出した理論上の限界値“65歳以上の人口比率52%”を突破し、今もその値は上昇を続けている。
 もちろん、国が策を弄さなかった訳ではない。どんな政策も、海外からの援助も、何ら成果を出すことは叶わなかったのである。目の粗い笊(ざる)に砂を流すが如く、あらゆる対策は空しくすり抜けていった。老人の増え続ける様と、そのあらゆる政策が功を奏さない様を指して海外メディアが日本のことを“呪われた国”と称するようになった頃、人類保管省は作られた。
 そして、今年。国内総人口2億4000万人の“48%”の生活を守る為に、人類保管省はその手を黒く染める決断を執ったのだった。
「みんな、元気してた!?」
 神林がフロアの自動ドアを開き一歩足を踏み入れる。その瞬間、卓に着いていた老老男女はわっと湧きあがり足腰のまともな者は神林の傍へ我先にと歩み寄った。
 神林が畦森と共に大川婦人の宅を訪れてから二週間後、神林にも拳銃の携帯許可が下りた。無論、まだろくな特訓を積んでいない神林に“実戦”での発砲など不可能であるし本人にもその気はさらさら無いが、何はともあれ、これで畦森の監視なく単独行動をとることができるようになったのである。
「しばらく来れなくてごめんね。みんな、元気そうで良かった」
「ほんとよぉ。清子ちゃんが来てくれんでみんな寂しがってたんだから」
 この世田谷第三老人ホームタワーに限らず、神林は暇さえあれば各地の老人福祉施設を訪れていた。その人当たりの良さと、人類保管省の人間でありながら老人側の味方という頼もしさからどの施設でも孫のように可愛がられている。
 しかし神林としても、ただ能天気にお茶を飲みに来ている訳ではない。以前の彼女であればともかく、今の日本がどういう状況であるかということは少しずつ理解してきている。右翼の介入が噂されている集団食中毒事件にしろ何にしろ、この、数百に上る入居者を抱える“老人ホームタワー”が右翼派の標的にされやすいことは明白である。時間の許す限り自分が足を運ぶことで、少しでもそういった活動の抑制に繋がればという考えである。……無論、それが省の方針に逆らう背信行為であることも理解はしている。
「この前視察に来た人なんて酷かったんだから。これ見よがしに二つも三つもマスク着けたり、そこら中に消臭剤撒いたりして」
 神林は即座に畦森のことだと理解した。
「嫌な人もいるんだねー」苦しい笑顔を浮かべながら取り繕う。「他には? 変な人来てない?」
「他には、特にいないわよねえ。今日来てくれてる方なんて、すっごく良い男なんだから」
 そう言って老婆は少し頬を赤らめた。その言葉に賛同する老人達の視線の先を神林が追うと、一人の男が窓際に立っているのに気がついた。
 すらっとしたシルエットに紺のスーツ。その着こなしだけでも畦森とはまったく別の人種だな、と神林は思った。腰まで届きそうな長髪をゴムで束ねて、空を眺めて佇んでいる。
「見つかっちゃいましたか」
 やがて神林の視線に気がつくと、男は振り返って優しく微笑んだ。
 その男を、一体どう形容すれば良いのだろうか。おおよそ老人ホームタワーなどには到底似つかわしくない知的で上品な雰囲気を醸し出しながら、その佇まいはまるで一流モデルのようでもある。不思議なオーラを持つ人物であるが、少なくとも“過激派”ではない。神林はわずかに覚えた警戒をすぐに解いて、自ら男の方へと歩み寄った。
「どうも。初めまして」
 先に、そう言ってICカードを差し出したのは男の方であった。目上の人間に先に名乗らせるのは不躾だとは思いつつも、神林はそのICカードを自分のリーダーに読み込ませる。その肩書きを見て神林は驚いた。
『人類保管省 対策室本部 特別顧問 祭宝矜持(さいほう きょうじ)』
「ほっ、保管省の方でしたか……?! それも、対策室本部特別顧問……」
「知らないのも無理はないですよ。僕は非常勤みたいなものですからね」
 なんと柔らかい物言いであろう。畦森とは何から何まで違っている。
「って、どうして私が保管省の人間だと……?」
 神林がワンテンポ遅れて慌てふためくのを見て、祭宝は笑みを零した。
「流石に名前までは知りませんけどね。前に庁舎でお見かけしました」
「そうだったんですか。……すいません。保管省の人間なのに、こんなところで油を売るようなことをしていて」
 神林がそう言って頭を下げると、祭宝はまたにこりと笑みを浮かべた。
「良いんですよ。御老人を想う気持ちは皆平等に持つべきです。保管省の人間は御老人を軽視する言動が目立ちますが、それも国を想えばこそです。誰も、やりたくてやっている訳ではありません」
 ――この言葉をかけてもらった神林がどれだけ嬉しかったか、それは想像に難くない。
 保管省に身を置きながらその思想に相反する神林にとって、周囲の人間は全てが敵とも言える。それを、省の人間に、しかも祭宝ほどの立場の人間にこんな言葉をかけてもらえるとは、神林は想像もしていなかった。
「頑張りましょう。あなたの考え方を、私は支持しますよ」
 祭宝は、あの一言だけで神林の現在置かれている状況をほぼ正確に理解していた。
 神林の右肩をポンと叩き、フロアの出口へと歩き出す。
「もう、帰られるんですか?」
「ええ。どうやらここでは、あなたの方が圧倒的に人気者らしい」
 祭宝は困ったような苦笑を浮かべてみせると、そのままフロアの外へと出て行った。その後ろ姿が見えなくなるまで、神林はその背を目で追った。
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