「やってるか、てめえら!!」
部室の扉は怒声と共に荒々しく開かれた。声の主を筆頭に、六人の男女がそこには立っていた。
「お疲れ様です!」
部室内の、恐らく一、二年と思しき生徒達が立ち上がり頭を下げる。俺もそれに倣う。
「レギュラーを目指すってことは、」椅子に座ったままの澗潟さんがこちらを見上げて言った。「アイツらを越えるのは避けては通れん棘道や。奴らが、聖麻高校現レギュラー陣」
現レギュラー……!
レギュラーになる為には、少なくとも彼らの中から誰か一人を引きずり降ろさなければならない。俺は身を引き締め直した。……って、あれ?
「あの……、澗潟さんはレギュラーじゃないんですか?」
「澗潟さんは部室内でのレート麻雀がバレて対外試合謹慎中なんだよ」
横の丸宮が小声で囁いた。……今さら、何も驚くまい。
六人の中の、一人の男がこちらに気が付くとゆっくりと歩み寄ってきた。
「あ……、あなたが新入部員の子ですか。話は、ま、丸宮さんから聞いています」
身長は160センチくらいであろうか。小柄な男はその身体がより小さく見える猫背で、爪を噛みところどころどもりながら言った。
なんだこの人、大丈夫か。と俺は思った。
「三年の唐巻さん。部長さんだよ」
丸宮の言葉に俺は耳を疑った。この人が部長……。今すぐ目の前で倒れられても納得のいく顔色をしている。
「あ、よ、よろしくお願いします」
これでもかというくらいに制服で掌を拭ってから、唐巻さんは右手を差し出した。俺は戸惑いつつもその手に応える。
「やあ、丸宮」
気が付くと、隣には別の男がいた。細く切れ長な目をしていて、その顔立ちは女子から人気がありそうだ。女子の好みなんてまったく知らないけど。
「いい加減、麻雀のルールは覚えた?」
丸宮も俺も、きょとん顔で彼を見つめた。
「そ……そりゃ、ルールなんてとっくに……」
「あれ、そうなの? なんだ。てっきり、ルール知らねぇからあんなにヘタクソなのかと思った」
“そういうことか”、と察したように丸宮は顔を歪める。
「オイ、後輩イジメんなや吉良」
澗潟さんが二人の間に割って入った。
「あ~……、澗潟ぁ。レート麻雀がバレたのは良いタイミングだったね。レギュラー落ちを“そのせい”にできるじゃない。ね?」
瞬間、空気に亀裂が走ったのを俺は間違いなく感じた。
「お前……あんま調子乗んなやキツネ目」
「おっとっと~。僕らは練習試合やってきて疲れてるんだからさ。ケリなら今度つけてやるよ。補欠くん」
この吉良という先輩も一クセある人だというのは初めから分かり切っていたことだ。一見物腰柔らかそうな印象を受けるが、なにしろ先程の怒号の主だ。
「おっ、君が噂の新入部員か」吉良さんにこちらを向かれ、俺は思わず身構えた。「よろしく、三年の吉良だ。まあ~……、今さら入部して今年の大会のレギュラー選抜に間に合うってことはないだろうけど。まっ、今年は丸宮やそこの補欠くんと遊んでなよ」
そう言うと、吉良さんは丸宮の髪をグシャグシャとかき乱して向こうの手積み卓の方へと歩いていった。
「ごめんね、茶竹くん。悪い人では……。あるかもしれないけど……、そこまで悪い人ではないから」
丸宮が申し訳なさそうに眉をひそめた。別に、丸宮が謝ることじゃないのに。
「ちなみに、今の吉良さんがウチの副部長」
おい。人選。
「でも、試合では頼りになる人だから。“氷川が唯一同卓を嫌がる男”なんて称号まであってね」
氷川? 次から次へと聞いたことのない名前が出てくる。
「――それより、丸宮は?」
俺は丸宮の話を遮って切り返した。俺にとっては、三年の誰がレギュラーだろうとどうでもいい話だ。
俺は、丸宮と試合に出てみたい。
「うん……。頑張ってるんだけどね」
そう言うと、丸宮は立ち上がり棚から一冊のノートを取り出した。
「レギュラーは監督が決めるんだけど、基本的には年間のリーグ戦の結果がかなり重視されるの。リーグ戦の結果プラス、監督が直接打ち方を見て、って感じで。リーグ戦は毎月決められた対局数をこなすんだけど……、今、私はこんな感じ」
そう言って丸宮が開いたページにはこれまでのリーグ戦の暫定順位が書かれていた。
1 唐巻 秀麿
2 吉良 仁助
3 澗潟 京一浪
4 小藤田 絢子
5 大国 建一
6 丸宮 春日
7 雉村 鳩也
8 瀬戸 貴文
「私は今、六位」
「え? レギュラーじゃん」
俺がそう言うと、丸宮は眉間に皺を寄せた難しそうな顔をした。
「う~ん……。さっきも言ったけど、レギュラーはリーグ戦の結果プラス、打ち筋を実際に見て監督が決めるからねぇ。私の打ち方じゃ、まだレギュラーは早いみたい」
丸宮はそう言って無理やり笑った。
「ひでえな。丸宮、結果出してるのに」
――そりゃたしかに、上手くはねぇけどさ。
思わず本音が後に続いて、俺は丸宮に小突かれた。
「全国大会の予選は二ヶ月後。私は、レギュラーを獲りたい」
らしくなく、真面目なまなざしで丸宮は言った。
「――茶竹くんも、ついてこれる?」
もう、いつもの笑顔に戻っていた。
立ち上がり、俺を煽るように上から目線でそう言い放つ。
「馬鹿野郎。誰に言ってんだ」
ついていくさ。
その為に、俺はここにいるんだ。
棘の道程
○
「ウチの活動は基本的に週六日。リーグ戦が毎月二十半荘あって、それ以外の時間で上手い人に麻雀を教わったりコンビ打ちの実戦練習をするの。リーグ戦の対戦表は監督が用意してくれるから茶竹くんも確認してね」
翌日、俺は丸宮と卓の準備をしながら部の仕組みについての簡単な説明を受けていた。
「ハイ。洗牌は二度拭きだからね」
濡れた雑巾と乾いた雑巾の二枚が飛んでくる。俺はそれを嫌々受け取った。
洗牌については特に誰がやるという部の決まりはないらしく、学年を問わず誰でも手の空いた時にやれというスタンスらしい。“別に俺らがやらなくても……”言いかけた不満を呑みこんで、まずは濡れ雑巾から牌の上に走らせた。
洗牌のやり方についてはフリー雀荘に通っている時代にさんざん目にしていた。雀荘のメンバーの芸術とも呼べる洗牌の手際を、見よう見まねでやってみる。
「リーグ戦は必ずしも全員が同じ半荘数をこなせる訳じゃないからトータルポイントじゃなくて一半荘あたりの平均ポイントで競うんだけど、今から途中参加する茶竹くんは純粋に平均ポイントでは評価してもらえないと思う。できる対局の数が限られるからね。つまり、何が言いたいかというと――」
「少ない対局数でも俺をレギュラーにしたくなるほど。“派手に勝て”、ってことだろ?」
「分かってるじゃない」
丸宮はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
俺に衝撃を与えてくれた澗潟さん。ここまでのリーグ戦においてその澗潟さんを上回る成績を残す唐巻さんに吉良さん。そして、丸宮。この面子を相手に、大勝ねえ……。
「簡単に言ってくれるぜ」
そう嘆く口先の裏で、俺はそれ以上のやりがいを身一杯に感じていた。このレベルの人達を相手に要求されるのは圧倒的な勝利。勝ったって負けたって金は一銭も動かないが、俺は確信していた。この道程の先には、金では決して買えない快感と達成感が待っているのだろうと。
――麻雀打ちは皆、己の腕前を認めてもらいたがっている。
腕に自信がある者なら尚更だ。麻雀は“強さ”の評価が難しいゲームだけに、実力のある者は得てして過小評価に悩まされたりする。
皆、認めて欲しいのだ。自分の実力を。衆目の中で証明したいのだ。自分が誰よりも上手いことを。
それによる充足感を得られるのなら、俺は金なんてどうだっていい。力の入る右手に左手を添えると、自然と口角が上がった。
「おはよう」
ガラガラと部室の引き戸を開き、吉良さんがやってきた。
“おはようございます”。
俺は極めて無機質な挨拶を呟くように返すにとどまった。リーグ戦の対戦表はまだ確認していないが、その日の対戦組み合わせだけは部室の黒板に書いてあるので知っていた。記念すべき俺の初戦の相手、それは。
六月二十一日部内リーグ戦 三卓
東家:茶竹 南家:松浦 西家:渋谷 北家:吉良
俺は、初戦でいきなり吉良さんと卓を囲むこととなった。
「ご愁傷様」
卓に着く直前、丸宮が小声で俺に呟いた。どうやら、丸宮も吉良さんには相当やられているらしい。俺は改めて気を引き締めた。
――が。吉良さんはともかく、この松浦と渋谷という一年は明らかな格下であった。半荘は俺と吉良さんが互いに互いのアガリを封殺する形で小場のまま僅差のオーラスを迎えた。
オーラス9巡目 親:吉良 ドラ:六萬
東家:吉良 23600点
南家:茶竹 26500点
西家:松浦 28000点
北家:渋谷 21900点
三四五六六六③④⑤⑥⑦67
(――勝った!!)
最高のイーシャンテンに受け、俺は己の勝利を確信した。受け入れは②③④⑤⑥⑦⑧筒・5678索の11種37牌。そのどの場合においても両面以上のテンパイとなる上、チーテンをとってもアガリトップ。
同巡、北家の渋谷からリーチが入ったが俺はまったく悲観しなかった。
(このイーシャンテンで、どうやって負けろってんだよ!)
<渋谷捨て牌>
東西13九⑦
4①三
(リーグ戦で、同じ相手と戦う回数は限られている。大会まで時間がない俺の立場を考えると、格下の松浦・渋谷と囲んだこの半荘を落とすことは許されない……! この初戦、トップは必須条件だ)
が……。リーチ一発目に対して、俺はツモ山へと腕を伸ばすことを許されなかった。
ド本命の五萬が、嘲笑うように卓上に踊った。
「ロン」
渋谷の戸惑い混じりの発声が卓上に響く。
二二二三四六七②③④⑥⑦⑧
「メンタンピン一発ドラ一。8000点です」
ハイ。
……吉良さんは、淡々と8000点を支払った。
最終結果
吉良:15600点
茶竹:26500点
松浦:28000点
渋谷:29900点
“なんで”。
喉から出かけた言葉を俺は必死に飲み込んだ。なんで、そんな五萬を……。
誰にとっても予想外だったであろう決着の中で、いの一番に口を開いたのは吉良さんだった。
「目指してるんだって? レギュラー」
少し戸惑ったが、俺は小さく頷いた。
「大会の二ヶ月前に入部してきてレギュラー狙おうなんて、随分図太いもんだ。……まあ、それは良い。仮に監督に抜擢されるようなことがあれば、誰も反対することはできない。だけど」
吉良さんは自分の手牌の端を左手で構えると、そのまま俺側へと滑らせた。
「まさか本当に勝てるとは思わないことだ。見てみたいかい? 僕の五萬がどこから出てきたか」
そう言うと吉良さんは、右手の甲で俺の頬をぺちぺちと叩いた。そうして、立ちあがるとさっさと卓を離れていった。その背中を見送ってから、俺は恐る恐る吉良さんの手牌を開いた。
一一二四七八③④⑤5568 打:五萬
要するに。
吉良さんは、新参者の俺などにはトップを獲らせたくなくてわざと五萬を打ち込んだらしい。五萬などまったく出る必要のない手牌が、それを物語っている。
……おもしれえよ。
俺だって、一筋縄でいくとは思ってないさ。
――どいつもこいつも、蹴散らしてやる。
卓の下で力む拳をパンと鳴らして、俺は苦々しく笑みを浮かべた。
「ウチの活動は基本的に週六日。リーグ戦が毎月二十半荘あって、それ以外の時間で上手い人に麻雀を教わったりコンビ打ちの実戦練習をするの。リーグ戦の対戦表は監督が用意してくれるから茶竹くんも確認してね」
翌日、俺は丸宮と卓の準備をしながら部の仕組みについての簡単な説明を受けていた。
「ハイ。洗牌は二度拭きだからね」
濡れた雑巾と乾いた雑巾の二枚が飛んでくる。俺はそれを嫌々受け取った。
洗牌については特に誰がやるという部の決まりはないらしく、学年を問わず誰でも手の空いた時にやれというスタンスらしい。“別に俺らがやらなくても……”言いかけた不満を呑みこんで、まずは濡れ雑巾から牌の上に走らせた。
洗牌のやり方についてはフリー雀荘に通っている時代にさんざん目にしていた。雀荘のメンバーの芸術とも呼べる洗牌の手際を、見よう見まねでやってみる。
「リーグ戦は必ずしも全員が同じ半荘数をこなせる訳じゃないからトータルポイントじゃなくて一半荘あたりの平均ポイントで競うんだけど、今から途中参加する茶竹くんは純粋に平均ポイントでは評価してもらえないと思う。できる対局の数が限られるからね。つまり、何が言いたいかというと――」
「少ない対局数でも俺をレギュラーにしたくなるほど。“派手に勝て”、ってことだろ?」
「分かってるじゃない」
丸宮はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
俺に衝撃を与えてくれた澗潟さん。ここまでのリーグ戦においてその澗潟さんを上回る成績を残す唐巻さんに吉良さん。そして、丸宮。この面子を相手に、大勝ねえ……。
「簡単に言ってくれるぜ」
そう嘆く口先の裏で、俺はそれ以上のやりがいを身一杯に感じていた。このレベルの人達を相手に要求されるのは圧倒的な勝利。勝ったって負けたって金は一銭も動かないが、俺は確信していた。この道程の先には、金では決して買えない快感と達成感が待っているのだろうと。
――麻雀打ちは皆、己の腕前を認めてもらいたがっている。
腕に自信がある者なら尚更だ。麻雀は“強さ”の評価が難しいゲームだけに、実力のある者は得てして過小評価に悩まされたりする。
皆、認めて欲しいのだ。自分の実力を。衆目の中で証明したいのだ。自分が誰よりも上手いことを。
それによる充足感を得られるのなら、俺は金なんてどうだっていい。力の入る右手に左手を添えると、自然と口角が上がった。
「おはよう」
ガラガラと部室の引き戸を開き、吉良さんがやってきた。
“おはようございます”。
俺は極めて無機質な挨拶を呟くように返すにとどまった。リーグ戦の対戦表はまだ確認していないが、その日の対戦組み合わせだけは部室の黒板に書いてあるので知っていた。記念すべき俺の初戦の相手、それは。
六月二十一日部内リーグ戦 三卓
東家:茶竹 南家:松浦 西家:渋谷 北家:吉良
俺は、初戦でいきなり吉良さんと卓を囲むこととなった。
「ご愁傷様」
卓に着く直前、丸宮が小声で俺に呟いた。どうやら、丸宮も吉良さんには相当やられているらしい。俺は改めて気を引き締めた。
――が。吉良さんはともかく、この松浦と渋谷という一年は明らかな格下であった。半荘は俺と吉良さんが互いに互いのアガリを封殺する形で小場のまま僅差のオーラスを迎えた。
オーラス9巡目 親:吉良 ドラ:六萬
東家:吉良 23600点
南家:茶竹 26500点
西家:松浦 28000点
北家:渋谷 21900点
三四五六六六③④⑤⑥⑦67
(――勝った!!)
最高のイーシャンテンに受け、俺は己の勝利を確信した。受け入れは②③④⑤⑥⑦⑧筒・5678索の11種37牌。そのどの場合においても両面以上のテンパイとなる上、チーテンをとってもアガリトップ。
同巡、北家の渋谷からリーチが入ったが俺はまったく悲観しなかった。
(このイーシャンテンで、どうやって負けろってんだよ!)
<渋谷捨て牌>
東西13九⑦
4①三
(リーグ戦で、同じ相手と戦う回数は限られている。大会まで時間がない俺の立場を考えると、格下の松浦・渋谷と囲んだこの半荘を落とすことは許されない……! この初戦、トップは必須条件だ)
が……。リーチ一発目に対して、俺はツモ山へと腕を伸ばすことを許されなかった。
ド本命の五萬が、嘲笑うように卓上に踊った。
「ロン」
渋谷の戸惑い混じりの発声が卓上に響く。
二二二三四六七②③④⑥⑦⑧
「メンタンピン一発ドラ一。8000点です」
ハイ。
……吉良さんは、淡々と8000点を支払った。
最終結果
吉良:15600点
茶竹:26500点
松浦:28000点
渋谷:29900点
“なんで”。
喉から出かけた言葉を俺は必死に飲み込んだ。なんで、そんな五萬を……。
誰にとっても予想外だったであろう決着の中で、いの一番に口を開いたのは吉良さんだった。
「目指してるんだって? レギュラー」
少し戸惑ったが、俺は小さく頷いた。
「大会の二ヶ月前に入部してきてレギュラー狙おうなんて、随分図太いもんだ。……まあ、それは良い。仮に監督に抜擢されるようなことがあれば、誰も反対することはできない。だけど」
吉良さんは自分の手牌の端を左手で構えると、そのまま俺側へと滑らせた。
「まさか本当に勝てるとは思わないことだ。見てみたいかい? 僕の五萬がどこから出てきたか」
そう言うと吉良さんは、右手の甲で俺の頬をぺちぺちと叩いた。そうして、立ちあがるとさっさと卓を離れていった。その背中を見送ってから、俺は恐る恐る吉良さんの手牌を開いた。
一一二四七八③④⑤5568 打:五萬
要するに。
吉良さんは、新参者の俺などにはトップを獲らせたくなくてわざと五萬を打ち込んだらしい。五萬などまったく出る必要のない手牌が、それを物語っている。
……おもしれえよ。
俺だって、一筋縄でいくとは思ってないさ。
――どいつもこいつも、蹴散らしてやる。
卓の下で力む拳をパンと鳴らして、俺は苦々しく笑みを浮かべた。