駅のおはなし
もういいかぁい、まあだだよ
もういいかぁい、まぁだだよ
もういいかぁい、まぁだだよ
もういいかぁい、まぁだだよ
とある自然公園、人工の雑木林の中。子供たちの遊ぶ声が響く。遅くきた夏、9月のはじめ。
もういいかぁい、まぁだだよ
もういいかぁいもういいかぁいもういいかぁいもういいかぁい
もういいかぁいもういいかぁいもういいかぁいもういいかぁい
「もう……」
我慢しきれなくなって、ミチコは自分の両目をふさいでいた手をどける。そしてスカートの泥を払いながら立ち上がり、辺りをきょろきょろと見回す。
ミチコのまわりを取り囲んでぐるぐるまわっていた、女の子たちは消えてしまっている。どうやら、またひとりぼっちになってしまったようだ。
ミチコは頭上を見上げる。ポプラの木の枝葉が風にさやさやと揺れ、ミチコに、ミチコの足元に、陽を投げかけては影を落とす。
「ミチコって呼んじゃいけないんだよ」
おや。
「女の子は『ちゃん』ってつけるの、男の子は『くん』ってつけるの。先生に習わなかったの? 」
ミチコちゃんは変わっている。他の人には聞こえない声を聞き、他の人には見えないものを見る。それがなぜだか、私は知っている。けれども、それがなぜなのか、ミチコちゃんに教えてはならない。
「だれも教えてくれない。大人っていっつもけちんぼ」
ミチコちゃんは地面に投げ出していた赤いランドセルを拾い、背負うと、雑木林の奥の方へ向かって歩き出す。雑木林の奥には、駅がある。それをミチコちゃんは知っているのだ。
ミチコちゃんのランドセルの中は、からっぽだ。ミチコちゃんがそれを望めば、お弁当がはいっている。ミチコちゃんがそれを望めば、縦笛がはいっている。それだけのために、いつもからっぽなのだ。
ときおり、地面の感触を確かめるかのように、ミチコちゃんは跳ねる。跳ねるとランドセルが上下にゆれる。ランドセルの軽さに、地面の硬さに、ミチコちゃんは満足そうに笑う。
しばらく歩くと、古い木造の建物が見えてきた。白いペンキは剥げ落ち、看板の文字も完全に消えてしまっている。だが、これが駅だ。もちろん、自動改札なんてものは存在しないし、電車もこない。ミチコちゃんは立ち止まり、まっすぐな瞳で駅を見据える。
ちょっと歩いては立ち止まり、ちょっと歩いては立ち止まりを繰り返す。立ち止まっては駅を見つめる。その存在を確かめるかのように。
駅の入り口までくると、ミチコちゃんは恐る恐る中を覗く。
「だれもいないや」
駅舎の中はその言葉の通り、がらんとしていた。旧式のストーブと、壁に沿って備え付けられた木製のベンチ、ただそれだけ。ベンチは、駅舎と同じように白いペンキで塗られているが、これも同じように剥げ落ちている。
壁に貼られた張り紙は色褪せていて、かろうじて「―明の 徒 に 力を」と読めた。
ミチコちゃんは誰もいない車掌室のわきを通り過ぎる。プラットホームを楽しそうに飛び降り、線路に出る。
線路には手入れが行き届いておらず、あちらこちらに雑草が生えている。
ミチコちゃんは不思議そうに雑草に手をのばすと、ぶちっぶちっといくらかを抜く。そしてそれに飽きると、でたらめな歌を歌いながら線路を歩き出す。
「遊園地へ行こう つなを渡って船を渡って
お弁当に木の実 リスになったり象になったり
遊園地へ行こう つなを渡って象に乗って
お弁当にかつおぶし ネコになったり船になったり」
ミチコちゃんは時折、線路の上に乗り、両手でバランスをとって遊んだりしながら、それでも着々と足を進めていく。
線路の両脇には異様なほど高いフェンスが連なっている。けれどもミチコちゃんはまったく恐がらず、果ても見えない線路を進んでいく。
実体を持たない私でも、このフェンスの与える威圧感や不安感にはやられてしまいそうなのだが。
「弱虫」
ミチコちゃんがぽつりと呟く。聞き流すことにしよう。
このフェンスを見ていると、学校の存在を思い出す。高いフェンスにかこまれた小学校のことだ。ミチコちゃんの通っていた小学校のことだ。