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■三『白い黒幕』

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  ■三『白い黒幕』

 翌日、春久は寝ぼけ眼で朝食を摂り、あずさが買って来た灰地に黒でミュージシャンの写真が描かれたTシャツと、黒のジレ。そしてデニムパンツを穿き、玄関でスニーカーに足を入れると、後ろにあずさと蘭が立った。
「……なんだ。見送りはいらんぞ」
 あくびを一つして、寝癖頭を掻く。
「デートとは、余裕ねハルヒサ」
 蘭は、純粋にそう思っているらしく、なんともフラットな目を春久に向けた。
「んー、デートじゃねえんだが……」
 そういえば、蘭に『美緒という、人を殺さないディアボロに出会った』という事を伝えていなかったな、と思い、春久は思考通話を開く。
『デートというか、まあ、そいつディアボロなんだよ』
『……なんですって?』
 黙って見つめ合ったまま、蘭の顔が険しくなったので、隣に立っているあずさが彼女の顔を見て、一瞬びくりと体を跳ねさせた。
『だが、どうも今まで会ったディアボロとはちげーんだ。人を殺さねーと言ってるし、なんつーか……禍々しい雰囲気がねーんだ』
『ふぅん? ……それは、確かに珍しいわね。ディアボロっていうのは、本来人を殺したくなる存在であって、そういうタイプは滅多にいないわ』
『そうなのか。……まあ、その言葉はマジだと思うぜ。とにかく、そいつと会って来る』
「あ、あの、なんで二人は見つめ合ってるの?」
 今まで蚊帳の外だったあずさが、そこでやっと口を挟んだ。
「なんでもないわ」
 あずさを安心させる様に微笑む蘭。
「ふーん……。なんか怪しーの」
 よほど蚊帳の外にされたのが悔しいらしく、あずさは不貞腐れた様に頬を膨らませ、春久に右の人差し指を突きつける。
「いいっ、ハルくん! 七時には帰ってくるんだよ! そうじゃなかったら晩ご飯抜きだからね!」
「まあ、それくらいには帰って来ると思うが。晩飯抜きかどうか決めるのはお前じゃなくて、法子おばさんだろ」
「いいから! 行かないと遅刻するよ!」
「待ち合わせまでまだ余裕はあるんだが」
「んぅー!!」
 それ以上、春久と会話する事を拒んだのか、あずさは顔を真っ赤にして、春久の背中を押し、家から追い出した。

 玄関を閉め、春久が言ったのを確認してから、あずさは溜め息を吐いた。
「……蘭さん、どう思います?」
「え、なにが?」
 自分が何を訊かれたのかわからなかった蘭は、素でそんな事を口走っていた。
「何が、って。ハルくんのデートですよ!」
「……どうでもいい、けど」
 相手がディアボロである、という事はどうでもよくないのだが、春久がデートという事実はどうでもいい。
「えーっ! ……そうなんだぁ」
 何故かあずさは、安心したように顔を綻ばせた。その理由はさっぱりわからないが、しかしあずさの顔を沈ませるよりはマシなので、蘭は気にしなかった。
「でも、私は気になるんですよ! だって、蘭さんは知らないかもしれないですけど、ハルくんってほんっと誰とも仲良くしない人なんですよ?」
「まあ、それはなんとなくわかるわ」
 あの性格じゃ、無理だろう。
 それは世間を知らない蘭でもわかる。春久が内に抱える怒りは、常人を寄せ付けないし、彼自身も怒りを理解できない人間に心を許す事はない。
 彼の影を理解しているのは、あずさと蘭くらいのものだろう。
「それが急に、女の子とデートに行くなんて。そりゃ、ハルくんが誰かと仲良くするのはいいことだけど。……うーん」
 納得がいかないのか、あずさは腕を組んで、目を力いっぱい閉じる。頭の中で、考えを粘土みたいに練っているらしく、うんうんと唸っていた。
「気になる! おっかけたい!」
「やめときなさい」
 蘭は、そう言ってあずさの首根っこを掴み、家の奥へと戻って行く。
「うわっ、わっ。蘭さん力強い! わかったよぅ。諦めるから!」
 あずさから言質を取った事で、蘭は手を離す。戦闘用ではないとはいえ、ディアボロ。普通の女子高生であるあずさを捕まえておく事など、雑作もない。

  ■

 そんな、あと少しでデートシーンを幼馴染に尾行されるという危機を人知れず回避した春久は、駅前でぼんやりと立っていた。
 駅前の噴水広場。その噴水の淵に座り、目の前で行き交う人々を見つめながら、美緒を待った。
 待ち合わせきっかりの時間を、春久の腕時計が指した時、美緒が目の前に立った。
「どもっす!」
 黒地にピンクの英語がプリントされ、袖が白と黒の縞模様という、パンクなTシャツと、ダメージジーンズと黒のブーツ。なんとも派手というか攻撃的な恰好をしていたので、春久は一瞬面食らった。
「随分派手な恰好だな」
「なーに言ってんすか。ファッションってのは、目立つ為にやるんすよ?」
 一理あるかどうかすらわからなかったので、春久は曖昧に頷いた。
「そうか。……腹が減ったんで、どっかで飯を食べたいんだが」
「おっ。さすが先輩。食べてこなかったんすねー」
「待ち合わせ時間の都合上、そうなると思ったんでな」
 一二時に待ち合わせとなれば、友達と遊んだ事のない春久でも飯を食べる事くらいわかる。
「んじゃ、どっかで適当に食べましょうよ。ファストフードでいいすか?」
 頷く春久。
「こっちっす!」
 そう元気よく春久の手を引く美緒。その光景は、まさにカップルと言えなくもなく、事実周りの人間もそう認識していたが、春久の憮然とした顔を見て、恋人同士ではないのだろうと考え直した。
 そんな二人は、駅前にある大手ハンバーガーチェーンで、それぞれセットを注文し、二階の一番奥の席へと腰を降ろした。
 お互いにハンバーガーにかぶりつき、先に口を開いたのは美緒だった。
「あのー、先輩」
「なんだ」
 春久は、照り焼きバーガーを胃に詰め込みながら返事をする。
「あたし達って、出会ったばっかりでしょ?」
「そうだな」
「やっぱり、お互いを知る事は大事だと思うんすよ」
「なるほど」
「というわけで、いくつか質問してもいいですか?」
 頷く春久。やった、と小さくガッツポーズをして、何故か自分のスマホを取り出す。
 どうやら、質問リストを書いてきたらしく、その気合いの入り方に春久は呆れて溜め息を吐いた。
「まずー、住んでるところは?」
「商店街の『スイートルージュ』ってパティスリー」
「へぇー。先輩の家って、お菓子屋さんなんですねぇー。似合わなーい!」
 ケラケラと笑う美緒に、春久も自分で似合わないと思っているので、大して抗議はしない。
「んじゃー次。彼女居た事あります? 噂では、桃井先輩とあやしーらしいですけど」
「……お前、あずさの事知ってるのか?」
「うわっ! 名前で呼んでるよー……。やぱり桃井先輩と付き合ってるっていうのは、ホントなんですか?」
「いや。俺とあいつは幼馴染だ。そもそも、さっきのスイートルージュってパティスリーはあずさの家だしな。俺はそこで世話になっているだけ」
「ふぅーん。なんか、つっこんだ話っぽいからそこは流しまーす」
 ニコニコ笑って言う美緒。不穏な事情を感じたらしく、その勘は当たっていた。
「んじゃー次は——」
 まだ続くのか、この質問責め。
 春久がそう言おうとした瞬間、美緒は春久の頭の上を見て、「あ」と口を丸くする。
「んだよ。どうした」
 振り返ると、春久のすぐ後ろには、奇妙な男が立っていた。
 輝く白に近い金髪のオールバックに、水色フレームの眼鏡。白衣を羽織っているが、その下には趣味の悪いアロハシャツを来ていて、ズボンはベージュのチノパン。
 針金みたいに細く、しかし大木みたいに大きな、悪目立ちする男だった。
「やあ。静くん、だったっけ?」
 その男は、人懐っこい笑みを浮かべ、美緒へ片手を挙げる。
「……なんだ。美緒、知り合いか」
 その男と美緒を交互に見比べる春久。
「……あれ? 先輩、え、だって、ディアボロ、ですよね?」
 なぜ今更そんな事を訊くのかわからず、不信感に近い感情を抱きながら、春久は頷く。
「……キミが、ディアボロ?」
 男は、春久をジッと見つめ、こめかみをコツコツと人差し指で叩く。春久の顔を思い出そうとしているらしいが、春久にも彼の顔は見覚えが無い。
 いや、その言葉は正確さに欠く。
 見覚えは無いが、誰かに似ていると思った。
「あぁ、なるほど。そうか、キミが……」
 男は、納得した様に、噛み締める様に何度も頷いて、春久に微笑む。
「初めまして。僕は、御使天。蘭の父親です」
 頭が、天の着ている白衣みたいに真っ白になった。
 父親。春久が失った存在で、蘭に取っては殺したい相手。
 だから蘭がこの場に居れば、半狂乱になって「ハルヒサッ!! この男を殺しなさい!!」と怒鳴っただろう。
 そうなれば無理矢理にでも春久のギアもトップとまでは行かなくても、四くらいには上がっただろうが、彼女がいない今、春久のテンションはまったく上がらなかった。
 今でもまだ、父親を殺したいという彼女の気持ちはわかっていない。
「あ、アンタが……蘭の親父か」
「やっぱり。キミをディアボロにしたのは、蘭だったのか」
 失礼するよ、と言って、天は春久の隣に腰を降ろし、勝手にポテトを摘む。
 目の前では美緒が「えーっ! ディアボロ作れるのって、アロハのおじさんだけじゃなかったの!?」と驚いていたが、二人は無視して、天が口を開く。
「あの子はまだ、僕の事を殺したいって言ってるのかい?」
「そう言ってる」ストローに口をつけ、じゅるじゅるとコーラを啜る春久。
「ははっ! そうかぁ。……親を殺したいって言う子、どう思う? 静くん」
「へっ?」唐突に話を振られた美緒は、慌てて返事をする。「よ、よくはないんじゃないっすか?」
「だよねえ。よくないよねえ。いやぁ、どこで教育方針を間違えたのかなあ……」
 それだけ聞けば、まるで反抗期の娘に迷う父だ。哀愁を感じさせる表情なんて、その印象を強める。だが、彼はディアボロを作った世界最高峰の科学者であり、娘の蘭をその発展の為、生け贄に捧げた狂気の男。
 だからこそ蘭から恨まれているのだとわからないほど、生粋の男だ。
「……あんたがそんなんだから、蘭は復讐を選んだんじゃねえのか」
 思わず、春久はそう言った。
 彼にとって青臭い台詞であり、言うつもりなんて毛頭もなかったが、『家族』という物に幻想めいた物を抱いている彼は、彼自身意図しないまま呟いていた。
「……どういう事かな?」
「あんたが父親じゃないから、蘭はああなったって事だろ」
 天は吹き出すように笑う。そして、まるで気安い友人みたいに春久の肩を叩いた。
「なるほど! それは面白い。いい事を聞いたよ。キミ、名前は?」
「……島津春久」
 天は、その名を頭に染み込ませているのか、何度か頷く。
「そうか。島津くん。……蘭に伝えておいてくれないか。次に会う時は、父親らしい事をしてあげようって」
 あまりにも思慮に欠けた言葉。
 蘭が欲しいと思っている言葉と似ているかもしれないが、意味合いはまったく正反対のモノ。春久のギアが、徐々に上がって行く。
 蘭の気持ちに、怒りに。自分の心が染まって行く。
 家族とは、もっとお互いの事を思いやる物じゃないのか、と。
「それじゃあ、僕はこの辺で失礼するよ」
 立ち上がって、天はその場から去ろうとする。しかし、春久がその背中に声をかけ、天は振り向かないまま立ち止まる。
「おい、おっさん。あんた、こんなトコに何しにきたんだ?」
 そこでようやく、天は立ち止まって振り返り、一言。
「なにって、ハンバーガー食べに来たんだよ。僕はチーズバーガーが大好物でね。それに、ほら」
 ポケットから、小さなおもちゃを取り出す。それは、子供用セットで貰える、最近子供の間で流行っている特撮ヒーローの小さな人形。
「僕はこれの、大ファンでね」
 親しみやすさを感じさせる笑みを浮かべて、階段を降りて行った。
 その笑みは、彼の巨体と相まって、木漏れ日を地上へ届ける大木の様に思えるほどだった。
「前に会った時もそうだったっすけど、お茶目なおじさんですよねー」
 状況をわかってない美緒の一言に、思わず春久は頷いた。
 あの男は、普通すぎる。決して普通じゃないのに、そう見えた。
 それが、何よりも恐ろしい。

  ■

 御使天は、自らの研究所へ帰って来ると、先ほどハンバーガーショップでもらってきた人形を机の上に置いて、それをうっとりとした表情で眺めながら思考通話を開く。
『あー、もしもし?』
 聞こえて来たのは、似た様な声が二つ。
『もしもし』
『御使様』
『こちら』
『ジュモー』
 まるで機械の様に平坦であり、二人が交互に喋っているにも関わらず、一人で喋っているように聞こえるほど精密。御使天は、その声を聞く度に笑ってしまう。あまりにも揃いすぎていて、面白いから。
『逃げ出した蘭が作ったディアボロを見つけた。……どれほどの物かテストをしたい。行ってくれないかな』
 間を置かず、答えは返って来る。
『イエス』
『了解しました』
『うん。ありがとう。……あー、それから。もう一人、ディアボロがいると思う。エスピオンっていうんだけどね。そっちは殺していいよ』
 まるで、コンビニで買い物してきてくれと頼む様な気軽さで、人の命を断ってこいと命令する天。
 通話の相手は、その言葉にも即答した。
『イエス』
『かしこまりました』
『私達におまかせください』
 それを最後に、思考通話は切れた。
 足を組み、両手を膝に乗せて、天はニヤニヤと目の前を見つめて笑った。
「僕以外の人間が作ったディアボロかぁ……。楽しみだなぁ。これが親孝行ってやつなのかなぁ……」
 その言葉は、誰にも理解されない。
 誰にも言うつもりがないというのもあるが、仮に誰かへ話していても、結果は想像できる。
 彼に取って、言葉は理解してもらう物ではないから。

  ■

 ファストフード店から出た後、春久は美緒に付き合わされて服屋やカラオケに行く事となった。
 服屋はともかく、カラオケなんて初めてだし、そもそも幸太郎は音楽を聴かない。だから歌える曲がなく、美緒のリサイタルになってしまった。
 カラオケから出ると、すでに空は暗くなっていた。駅前の円形広場まで戻ってきて、ケータイで時間を見ると、七時になりそうだ。
「俺はそろそろ帰るぞ」
「はっ!?」
 目を丸くする美緒。まるで一週間風呂に入っていない、と突然暴露された驚きっぷりだ。
「なんだ」
「え、だって先輩。七時ですよ、まだ」
「あずさに七時までに帰ってこいって言われたんでな」
「えーっ。普通、高校生が遊ぶとなったら朝帰りでしょー」
「補導されるだろうが」
「先輩、そんなナリで警察官が怖いんですか?」
「……怖くはねえよ」
 怖くはないが、憎いと思う。
 未だに自分の家族を殺した相手を見つけられない警官も、憎くてたまらない。もちろん、それが正当な怒りでない事は理解しているし、まだ捕まっていない事に、少しだけ安堵している自分もいるのだ。
 犯人がこのまま捕まらなければ、俺が殺せる、と。
「先輩、顔怖くなってますけど、どうしました?」
「ん、いや……なんでもねえよ」
 春久はそう言って、眉間を揉む。
「ふぅん。……にしても、意外と先輩って、桃井先輩の尻に敷かれてるんすねえ」
「いや、普段はそうでもないんだが、今日に限って、七時に帰って来いって言い出したんだ。あいつの誕生日でもねえのに、なんだってんだろうな」
「……先輩って、よく鈍感とか言われません?」
 目を細めて、遠くの物を見るみたいに春久を見つめる美緒。
「いや。言われるほど、友達がいないんでわからん」
「なら、私が言いますよ! 鈍感!」
 困った様に頭を掻く春久。一体何に対して鈍感と言われているのか、わからないのだ。だからこそ、彼は鈍感と言われているわけだが。
「よくわからんが、そうらしいな。……さて、本当にそろそろ帰るぞ、俺は」
「えーっ、帰らないでくださいよー。晩ご飯一緒に食べましょうよー」
「家でおばさんが作って待ってんだよ」
「むぅ……。意外と『いい子』なんすねぇ、島津先輩って」
 不満そうだが、帰ろうとうする人間を無理に引き止めるほど無粋な性格をしていないらしく、「しょうがないっすねえ。ま、初めてのお出かけで朝帰りってのも、なんか本気じゃないっぽいし、諦めるっすよ」と肩をわざとらしく竦めた。
「悪いな。あずさも、虫の居所が悪いんだろ。今度はできるだけつきやってやるさ」
「さすが。先輩は気がいいっすね」
 そんな事を言われた事がないので、なんだか少しむず痒い春久。
「次は桃井先輩に、男友達と出かけて来るって言ってくださいよ!」
「あぁ? ……わかったよ、そうする」
 春久は頷いて、「じゃな」と手を挙げて帰ろうとし、美緒に背を向けた。
「はぁーい! 先輩、また遊びましょうねー」
 と、美緒は春久へ手を振る。
 それを見ようともせず、春久は円形広場から出ようとした。だが、そんな彼の前に、二人の少女が立ちはだかった。
 歳の頃は一〇歳に届くか届かないか、という程度で、二人とも黒髪を花の飾りがついたヘアゴムでツインテールにしていた。
 春久は、たまたま進路が被り、お互いに道を塞ぐ形になってしまったのだろう、と進路を譲ろうとしたが、
「島津」
「春久」
「御使蘭の作った」
「ディアボロ」
「ですね?」
 二人の少女が、まるで一人だけが喋っているように、一つの文脈を作る。彼女達の言葉に、春久の顔が強ばった。
「お前ら、ディアボロか……」
「イエス」
「その通りです」
 少女達は同時に頷いた。
 白いシャツに黒い、サスペンダースカート。その体はどこまでも白く、そして骨に皮が張り付いていると思わせるほど痩せていた。
 黒真珠の様に、真っ黒く澄んだ瞳は、子供らしくあるようで、その実、裏にある何かを覆い隠しているようにも見える。
「御使天様の」
「命令に従い」
「あなた方の」
「命をいただきます」
「あなた方、だと?」
 春久の眉間に皺が集まる。そんな彼の後ろから、ひょこっと美緒が顔を出した。
「それって、あたしの命も入ってるって事かなぁー?」
 二人の少女に微笑みながら、春久の隣に立つ美緒。
「先輩が、妙な女の子二人に捕まってると思いきや、こわーい話してるとは。おしおきが必要っすかねぇ」
 指を鳴らそうと拳を握り込む美緒だが、音がさっぱり鳴らない。
「先輩。これが、初めての共同作業ってやつすかね?」
「……場所移動すんぞ。ここだと、目立ちすぎる」
 美緒の言葉は無視して、春久はその二人の少女を引き連れて、円形広場から出る。
「あっ、ちょっと待ってくださいよー! 」
 美緒も、その後について行き、四人がやってきたのは、近くにある空き地だった。野球程度ならできそうな広さがあり、そこの中心で、四人は向かい合う。
「とっとと片付けさせてもらうぜ。家であずさが待ってる事だし、な」
 春久は、腕をクロスさせ、解き放つ。
「変——身ッ!!」
 彼の姿が変わって行く。皮膚が黒く染まり、外殻と化した骨が体を被い、赤い鬼へと変貌した。
「んじゃ、あたしも——」
 美緒は、どこからか赤い布を取り出し、それで自分の姿を覆い隠した。だが、一瞬でそれを脱ぎさると、すでに彼女の姿は、エスピオンのそれへと変わり、赤い布を首に巻いた。
 それを見ていた、二人の少女は、お互いの手を握り合い、呟く。
「変」
「身」
 握った手から、徐々に彼女達の体が塗りつぶされて行く。
 白と黒のモノクロな体。体には、穴の様な物がいくつも空いている。二人とも同じ姿だ。
「エスピオン、テメーは左だ。俺は右!」
 フェイクマンはエスピオンの返事も聞かず、右に立つ少女へ一足飛び。
 間合いに入って、拳を振るう。だが、彼女はそれを優雅なステップで躱し、フェイクマンを見つめる。
「名乗れ。俺は、島津春久。——フェイクマンだ」
「堂島右京(どうじまうきょう)。ジュモー・ドロワット」
「一人でも喋れるんじゃねーか」
 フェイクマンは右拳にエネルギーを溜める。彼の怒りが充分ではない所為で、アルメ戦の様な爆発力は無い。だが、これだけでも充分な攻撃力がある。
 その拳を、破壊する為だけに固めた拳を、ドロワットへ向けて振るった。
 だが、彼女は左腕に盾を出現させ、その拳を受ける。
 フェイクマンの拳が貫けないほどではなく、穴が空き、さらにドロワットは吹っ飛ばされた。
「パワーだけは——」ドロワットは、空中で回転して体勢を整え、着地。「——認めましょう」
 フェイクマンからの返事はない。
 代わりに、更なる追撃がやってくる。
 足に溜めたエネルギーを爆発させ、一瞬でドロワットへの距離が詰まり、大砲を連射する様なジャブに、ドロワットは躱すしかなくなる。
 その背中から立ち上る、赤黒いエネルギーに、ドロワットの背筋が思わず粟立った。
 ディアボロになり、御使天に忠誠を誓ってから、恐怖を抱いた事なんてなかった。唯一あるとすれば、天から見捨てられる事くらいで、そんな事は彼女達にとってあり得ない。
 だが、今、それと同じくらいの恐怖を抱いていた。
 フェイクマンの、力だけで押して来る戦法。
 そういうタイプのディアボロは何人もいたけれど、全員倒して来た。だが、フェイクマンは——力に怨念めいた想いを乗せて、拳を放って来る。
 確かに肝を冷やす威力だ。しかし、見た事がないというほどでもない。
 拳に乗っている怨念が、彼の拳を、ただの拳とは違ったものにしていた。
 だが、怨念は、感情を揺さぶる事しか出来ない。
 そんなもの、ドロワットはすでに捨て去っていた。
 御使天の為に、ならない物だから。
 ドロワットが胸の前に両手を置くと、その間の空間が、歪んで見えた。
 だが、フェイクマンは止まらない。ジャブを打ち続ける。
 その歪んだ空間が、弾けた。
 と、同時に。フェイクマンの全身を、激痛が襲った。まるで堅い壁に、とんでもないスピードで突っ込んだ様なそれに、フェイクマンの動きが止まった。
「なん——だ——!?」
 不可解すぎる現象に、すぐ攻撃へ移る、ということができなかった。思考に脳のメモリを割きすぎたのだ。
 そんな彼相手に、ドロワットが待ってくれるわけもなく、第二陣が、フェイクマンの顎を跳ね上げる。
「や——ろっ」
 どんどん膨れ上がる、フェイクマンの怒り。エネルギーとなり、体から漏れ出す。
「まだ、まだ、行きます」
 ドロワットは左手を振るう。
 すると、また体全身を叩かれた様な衝撃に襲われる。
 確かに正体のわからない攻撃だが、我慢できないレベルじゃない。
 この程度なら、前に出る。
 フェイクマンは膝を曲げ、再び接近しようとした。
 だが、出来ない。まるで目の前に見えない壁があるように、近づけない。

  ■

「年下だからって、手加減しないからねー」
 フェイクマン達が戦い出し、エスピオン達も臨戦態勢に入った。
 笑顔に歪むエスピオンの唇。その手には、大量のクナイが握られていた。
「どうぞ。私は、堂島左京(どうじまさきょう)。ジュモー・ゴーシュ」
「あたしは静美緒。ディアボロ名は、エスピオン!」
 美緒は、大量に持っていたクナイをゴーシュへ向かって投げる。だが、何故か空中で壁に当たったみたいに、一瞬激しく動いて落ちる。
「ならっ——こっちで!」
 両手に、巨大手裏剣を取り出し、それを投げた。
 空を切り、千年樹でさえ切り倒すはずの手裏剣は、まっすぐ左京の首目嗅げて飛ぶ。だが、その手裏剣も、先ほどのクナイと同じ運命を辿った。
「……その壁をどうにかしない事には、あんたに辿り着けないってわけか」
「あなたには、できませんよ」
「やってみなくちゃ、わかんないでしょーが!」
 美緒の手に、忍者刀と、再びクナイが握られた。その二刀流で、ゴーシュへと向かって行く。
10, 9

  

 |エスピオン《美緒》は、両腕にサブマシンガンを出現させ、ゴーシュが射出する壁を撃ち落とす。
 威力はフェイクマンのエネルギーを纏わせた拳足に比べれば微々たる物ではあるが、しかし、手数は比べ物にならない。その手数で、なんとか防戦一方に戦局を留めていた。
「ちぃ……! めんどくさいなぁ……!」
 舌打ちをしながら、素早くリロード。次に来る壁に対して、防御する体勢を整える。
 このままでは埒が開かない。
 だが、エスピオンの武装では、ゴーシュの壁を破壊する事はできても、攻めに転ずる事ができないのだ。
「どうやら、あちらも同じ様な状況に陥っているようですね」
 ゴーシュは、ちらりとフェイクマン達の方を盗み見る。壁を連射するドロワットと、その壁を迎撃するフェイクマン。
 なんとか接近しようとするも、フェイクマンは足でなくては壁を一撃で破壊できず、機動力を削がれ、動いてしまうと連射に対抗できない。
 対してエスピオンは、接近してしまうと壁の破壊が間に合わず、攻撃を喰らってしまう。装甲の薄い彼女にとって、それは致命傷になりかねないのだ。
 最初は、接近戦で一気に片を付けるつもりだったが、壁相手に苦戦してしまい、それができなくなって、サブマシンガンに持ち替えたのだ。
「あなたの武装の多さは、驚愕と言ってもいいでしょう」
 ゴーシュは、掌をエスピオンに向かって突き出したまま、口を開く。
「加えて、そのスピード。ええ、高性能なディアボロです。ですが……」
 ゴーシュは、一枚壁を射出する。
 それをマガジン一本丸々連射し、撃ち落とすエスピオン。
「必要なのは、量ではなく質。あなたの武装がどれだけ束になろうと、私たちには叶いません。それは、あの男も同じ」
 エスピオンは、「なら、これでどう!」と、地面を蹴って、跳躍。
 空中で六人に分身、そして、ダイナマイトを巻いた手裏剣をそれぞれが取り出し、ゴーシュへ向かって放とうとした。
 決まれば、六枚の手裏剣が爆発。相手を欠片も残さない、ド派手な技。
 しかし、分身がゴーシュに撃ち落とされ、残り一人になった段階で、向かってきた壁と手裏剣が相殺。
 結局何も出来ず、撃ち落とされただけの形になってしまい、エスピオンは再び舌打ちをして、まるで解けない試験問題でも見る様に、忌々しげな視線を向けた。
 エスピオンの武装の中では、最高の攻撃力を誇る一撃だった。しかし、連射はできない。パワー、あるいは壁を破壊しても有り余る手数。
 そのどちらかが必要だった。

  ■

 この空気の壁はなんだ?
 一瞬そう思ったが、|フェイクマン《春久》はすぐにその思考を捨て去った。
 関係ねえ、そんなモン。
 俺の前に立ちふさがる物があるなら、なんであろうとぶっ壊す。それだけ考えていれば、後は何もいらない。
「おぉあああっ!!」
 フェイクマンは、両手にエネルギーを込めて、思い切り見えない壁を叩く。
 だが、鋼鉄を殴っているかの様に、手応えがない。
「無駄です」
 ドロワットの呟きに、フェイクマンは「あぁ!?」と怒りを滲ませた声で叫ぶ。
「その壁は、いえ、我等姉妹は、天様より直々のご寵愛を受けています。未熟な、あの、娘というだけで目をかけられていた蘭とかいう女が作ったあなたより、私達の方が強い」
「関係ねえんだよ。どっちの性能がいいかを争ってるわけじゃねえ。どっちが強いかだッ!!」
 自分の心が、怒りという炎で燃えているのがはっきりわかった。拳を握る。その中には、力が満ちあふれた。
 目の前の女を砕くまで、俺は止まらない。
「ぶっ殺してやる——ッ!!」
 一、透明な壁を揺らす。
 二、揺れが激しくなる。
 三、叫びと供に放たれた拳から、フェイクマンの精神エネルギーが溢れ出し、透明な壁を砕いた。
「な——っ!」
 自らの能力を破られたドロワットの表情が、あからさまに乱れた。反対に、春久は唇を歪ませ、笑う。
 しかし、冷静さで言えば、ドロワットはフェイクマンよりも上手である。すぐに、『能力が破られた』のではなく、『能力を破るのに三発の拳を必要とした』事に注目する。
 |あいつ《力》よりも、私の|能力《守り》の方が強い。
 すぐにドロワットは、もう一枚壁を張り、フェイクマンの追撃を防いだ。
「一撃で破壊できない様では、私には届きません」
 その壁を、大きく揺らす。
 フェイクマンの拳が弾かれ、吹っ飛ばされた。
「ぐぉ……!」
 空中で二回転ほどし、地面に着地。
「はぁっ!!」
 ドロワットは、掌をフェイクマンに向かって突き出し、もう二枚ほど、透明な小さな壁を射出。
 拳ではパワーが足りない。
 なら、蹴りだ。
 フェイクマンは、足にエネルギーを集中させ、その壁を粉砕した。
「……なるほど。やはり、パワー重視系ですか」
 ドロワットは何度か頷き、そして、フェイクマンを指した。
「でしたら、このまま壁を放ち続けます。そして、削り殺す」
「……」
 まずいな、とフェイクマンは思った。
 このままでは防戦一方になる。きっと、このエネルギーは無限じゃない。エネルギーが尽きれば、フェイクマンは勝てない。エネルギーがある内に、決め手を見つけなくてはならない。
 だが、その決め手とは?

「先輩っ!!」

 声と同時に、エスピオンが隣に立っていた。
 トップスピードで、ゴーシュから距離を取ったのだろう。
「なんだ。悪いが、こっちも結構苦戦してるんだ。そっちの手伝いはしてやれねえ」
 もっと、怒りが必要だ。心を燃やさなくては、勝てない。その思いに呼応するかの様に、フェイクマンの足に溜まったエネルギーが肥大化していく。
 しかしそれでも足りないと、フェイクマンはすぐにわかった。
「そう言われると、困るんですよ。協力していきましょ」
「……なんだと?」
 思わず、フェイクマンはエスピオンの顔を見た。口元だけが露出したヘルメットの向こう側で、エスピオンが笑っているのに気付く。
「おやおや」
「私たちが手加減して」
「一対一にしてあげたのが」
「わからないようですね」
 と、合流していたドロワットとゴーシュの二人が、手を握り合っていた。「私たちの力は」
「言うなれば空気を凝固させ」
「それを射出する力です」
「強度は」
「あなた達も体感した通り」
「二人揃えば」
「当然、強度も倍」
「……だ、そうだが。お前、どういう策を持って来た」
 少しだけ、『余計な事をしやがって』と思っている自分を戒めながら、フェイクマンはエスピオンを見る。そんな考えに至るのは、『自分では勝てない』と思っているからに他ならない。
 そしてそれは、フェイクマン——の春久のプライドが許さなかった。
「へへっ。合体技、ですよ。私たちの力を合わせれば、あれくらいの壁、壊せます」
「……合体技、だと?」
「ははははははっ!!」
 なぜか、フェイクマンよりも大きなリアクションを取るジュモー姉妹。二人で声を揃えて笑うその様は、どことなく不気味な違和感を漂わせていた。
「合体技、ですか」
「私たちは言わば」
「それのエキスパートですよ?」
 双子で、かつ機能も似通っている二人。それならば、コンビネーションは立派な武器だろう。そんな彼女らを相手に、合体技という舞台に立つ。
 だが、確かにそれしかない。二人の力を合わせるしか、この場を切り抜ける術はない。フェイクマンは、覚悟を決めたように拳をぶつけ、意志を昂らせた。
「どうすりゃいい。指示をくれ。命以外のモンは、差し出してやる」
「上等。行きましょう、先輩。敵は殲滅! 合わせてください!」
 エスピオンは、両手に抱えきれないほどの煙幕玉を出現。そして、ジュモー姉妹に向けて放り投げる。
 瞬間、フェイクマンとエスピオンの姿が、煙で隠れる。 
「ゴーシュ」
「ドロワット」
 ジュモー姉妹は、互いに名前を呼び、手を取り合う。それだけで意志がシンクロし、二人を囲む様に空気の壁がそそり立つ。ドーム状に広がって行き、煙幕を完全に追い払った。
 こうすれば、どこから攻撃が来ようとも関係ない。
 クリアになった視界。
 その瞬間、目の前にエスピオンが現れた。腕には、先ほどゴーシュに投げようとした爆弾付き巨大手裏剣。
「浅はかな」
 ゴーシュは、開いた方の手でエスピオンに照準を合わせ、壁を発射。しかし、それは分身であり、腹を抉ったと思いきや、ふわりと消える。
「先輩、ゴーッ!」
 その声から一瞬遅れて、ジュモー姉妹の背後で爆音が鳴り響いた。見えたのは、まるでロケットのようなスピードで跳んで来る、フェイクマンの姿。
 いくらフェイクマンのパワーでも、この速度は異常すぎる。
 疑問に思いはしたが、しかし、ドロワットはすぐその答えを見つけた。
 恐らく、先ほどまでフェイクマンが立っていたのだろう位置に、爆発したような焦げ跡が残っていた。エスピオンの爆薬で加速をつけたのだ。
 分身は、爆薬を準備する時間を稼ぐ為。
「ゴーシュ! 全力で壁を!」
 フェイクマンのパワーを体感しているドロワットは、思わず叫んでいた。この速度で、あのエネルギーをぶつけられたらまずい。
 離れた位置から見ていただけだったドロワットは、一瞬だけ『そこまでしなくてはならない相手なのか』と疑問に思った。
 しかし、ドロワットにとってのゴーシュは、自分自身の様な物であり、それを疑う事などあってはならない。だから、すぐに全力で壁を張った。
「おおおぉぉッ!!」
 矢では威力が足りない。
 弾丸では、気持ちが足りない。
 今の俺はなんだ? フェイクマンは、叫びながら頭の片隅で、そんなコトを思っていた。

 敵を砕く為の、鉄槌。そうだ、それが最も、俺らしい。

 足先が壁に激突。体を突き抜ける衝撃と爆音。
 だが、この程度ではまだ足りない。
「エネルギー……、全開ッ!!」
 心を燃やし、それで得たエネルギーが、足先を覆う。すべてを砕くと望んだ力だが、まだ足りない。願いが足りない。もっと心を寄越せと渇望するみたいに、壁を砕く事はできない。
「やはり……!」
「私たちの方が」
「強い!」
 娘だというだけで、天の寵愛を受けていた蘭より、私たちの方が役に立てる。
 寵愛を受けていたくせに裏切ったあの女が作ったディアボロより、私たちの方が強い。
 胸を張って、これからも天に使えていられる。
 勝ちを確信した二人は、それでも最後まで、目の前のフェイクマンとエスピオンの首を落とすまで、油断しないつもりでいた。
「先輩っ! 防御!!」
 瞬間、エスピオンが、爆弾付きクナイを放った。フェイクマンのすぐ真横に、大量の爆弾を引っさげたクナイが刺さる。
「まず——ッ!」
 い。
 そう言うつもりだった。だが、言う前に、それよりも早く、クナイは爆発した。フェイクマンをも巻き込んで。
 エスピオンの強さは、トップクラスのスピードだけではなく、その圧倒的武装力にある。
 忍者刀、鎖鎌、手裏剣、サブマシンガンという、あらゆる状況に対応できる超重装備。
 中でも、彼女の持つ爆弾は、攻撃の要と言ってもいい。
 その攻撃力はフェイクマンのアベレージに匹敵するのだ。並みのディアボロであれば、爆弾を適当に放り投げているだけでも勝てるだろう(当然、町中では目立つので、今回の様に人目のない場所でないと、美緒は使わないが)。

 しかし、匹敵する、ということは。
 相殺できる、という意味でもある。

 爆炎が引いていき、エスピオンは一人、人影を捉えた。
 棒立ちのまま地面を見ているその人影は、間違いなくフェイクマン。

「先輩っ!」
 |エスピオン《美緒》は、一足飛びで彼の隣へ。
 そして、その視線を追って、彼女も地面を見た。そこには、二人――ジュモーとドロワットが倒れていた。まだ砂と化していない所から、生きている事がわかる。
「さっすが先輩! 合わせてー、だけで合わせられるなんて、あたしらっていいコンビなんすねー!」
 ばしばしと、なんども力強くフェイクマンの背中を叩くエスピオン。
 彼女本人のパワーはそんなに高いわけじゃないので、フェイクマンの装甲はびくともしないが、人間なら背骨が割れていた一撃である。
「なんて無茶な女だ……。タイミングが難しすぎんだよ。もうちょっとで、俺もこうなるとこだったぞ」
「無事だったんだし、万事オッケーじゃないすかー」
 先ほど、エスピオンの爆弾クナイが爆発した瞬間、フェイクマンは自らの周りにエネルギーを張り巡らし、衝撃から身を守った。と、言っても、相当シビアなタイミングで、肝を冷やした。
「……つっても、微妙に食らったのか? なんか、体の関節がぎこちないんだよな」
「あぁー、実はこっちも。こういうのって、自然治癒できるんですかね?」
「……さぁな。だが、一応蘭に見てもらうか」
「蘭って、さっきの?」という、美緒の言葉は無視して、春久は|思考通話《テレパス》を開こうとした。
「必要ないわよ」
 その声は、頭と耳、同時に聞こえてきた。耳に届いた声を便りに、振り向いた。
 見覚えの白衣が、風に揺れている。蘭がそこに立っていた。
「蘭、お前、どうしてここに」
「言ったでしょ。あなたが変身すれば、私にも伝わるって。……あなたが、春久の言っていたディアボロね」
「え、はあ、どう言われてたのかはわからないですけど、多分そうです」
 困ったように笑いながら、エスピオンは蘭へと近づいて、握手の為に手を差し出す。蘭はそれを取って、握手を交わすが、エスピオンの方は見ずに、
「メンテナンスでしょ、いいわよ。ハルヒサは私のディアボロだから、当然としても、ミオも面倒見てあげるわ。御使天の新作が診れるなんて、またとない機会だし」
「うーん……。その言われ方、なんかあんまり好きくないなぁ。でも、おねがいしますねー」
「当然。それに、ハルヒサを助けてくれた礼もあるし」
「……礼って」
 俺一人じゃ、勝てなかったってのかよ。
 その言葉を、フェイクマンは飲み込んだ。事実、美緒の協力がなければ、勝率は相当低かったはずだ、と。絶対に負ける、とは思わないけれど。
「ここじゃ、さすがにメンテは無理ね。私の研究室へ――」
 そう言って、白衣を翻し、誰よりも先にその場を去ろうとした蘭。だったが、

「ずるいなぁ。それなら、フェイクマンの体も診せてくれないと、フェアじゃないよね」

 その声は、まるで学校の教室にて、普通に話しかけてくる友人みたいに気安い。
 だが、蘭は鬼神のごとき表情で、勢いよく振り返る。それに伴い、フェイクマンとエスピオンも、振り返った。
 そこには、|御使天《みつかいたかし》、その人が立っていた。蘭と同じ白衣を、風に靡かせ、ニコニコと笑いながら、蘭へと手を振っていた。
「御使、天……ッ!」
「やぁ、蘭。久しぶりだねえ。驚いたよ、結構いいディアボロを作ったじゃないか」
「|フェイクマン《春久》ッ!!」
 怒り、相手を殺し、叩き潰し、否定する。
 そんな気持ちだけで発せられた声は、フェイクマンの体を突き動かした。
 復讐を望む、悲痛すぎる声。同じく復讐という病に侵され続けてきた春久にとって、御使天に向かって拳を突き出すというのは、彼女を救うということに他ならない。
「エネルギー……ッ」
 だから、フェイクマンとなった彼は、右拳にありったけのエネルギーを込める。
 マグマの様な怒りが源泉。
 すべてを焼きつくす鉄槌。
「全開ッ!!」
 防げるモンなら、防いでみやがれ。
 どんな盾でも突破してやる。
 最速、最高の右ストレートだった。
 だが、御使天はそれを見ても顔色一つ変えず、にこやかな表情のまま、足元に倒れていたドロワットの首を掴み、その体を盾にして、フェイクマンの一撃を防いだ。
「なっ……!」
 深々と、ドロワットの胸に突き刺さるフェイクマンの拳。
 まさか、仲間を盾にするとは思ってもいなかったフェイクマン、そしてエスピオンは、驚きで体を動かす事ができなくなってしまった。
「た、天さま……」
 彼女が最後に、どういう気持ちでいたのか、それはわからないまま、ドロワットの体は砂になって崩れ落ちた。
「て、てめぇ、そいつは、仲間だろうが……?」
 フェイクマンの体が、震える。怖いから、じゃない。怒りが体から出たがって、暴れているのだ。
 気に入らない。自分の為に誰かを犠牲にするなど、絶対にあってはならない。犠牲にするなら、どこまでも自分だけ。
「別に、仲間じゃないよ。確かに、ちょっと高性能で、もったいないけど、まあ、この程度なら消耗品かな」
 そう言って、傍らに倒れていたゴーシュの頭を踏み潰す。
 ぶちゅり。
 まるで地面に落ちた果実のような音がして、ゴーシュの体は砂へと変わった。
「先輩、退いてくださいっ!!」
 エスピオンの、背中へ叩きつけるような声。
 フェイクマンは退く気などなかった。しかし、足にエスピオンの鎖鎌が巻き付き、まるでマグロの一本釣りみたいにフェイクマンの体を引っ張って、エスピオンとフェイクマンの位置関係が交代。
「女の子盾にするとか、カッコ悪いっつーのっ!!」
 エスピオンは、五人に分身。そして、それぞれが巨大手裏剣を構え、振りかぶった。
「さすが、トップクラスの性能を持つエスピオンだ。が――」
 ムチの様に、足先が消えるようなハイキック。
 エスピオンの目でも視認できないほどの速度で繰り出されるそれは、当たれば大ダメージは間違いなかった。だが、蹴りの間合いには、エスピオンは入っていない。
 だと言うのに、分身はかき消され、本体であるエスピオンの腹を、鈍い痛みが貫いた。
 結果、蹴りの間合いに入るどころか、近寄ることすらできず、元の位置へ戻された。
「い、いま、何されたんですか……!」
 腹部を抑えながら、後ろの蘭へと疑問を放り投げるエスピオン。
「……私も、知らない。あいつの能力、ディアボロとしての姿は……」
 フェイクマンも、エスピオンも、御使天を見ているから気づいていないが、実際、蘭は唇を噛み締め、視線で殺そうとするかの様に、御使天を睨んでいた。
「おぉ、怖い怖い。お父さんに向かって、その目はないだろう? ……、ま、いいや。今日は目的も果たしたし、やりたい事もできた。帰らせてもらうよ」
 またね。
 そう言った次の瞬間には、御使天の姿が消えていた。彼の能力か、それとも未知のテクノロジーか。とにかく、引き止めることも出来ず、逃げられたのは事実。
 春久は、彼の行いに、他人を平気で巻き込むそのやり方に怒っていた。
 美緒は、自分に力をくれた人間が、悪人だった事への失望があった。
 蘭は、力の限り叫んだ。思い切り振った拳が空振りで、その有り余った怒りを、どこへ向けたらいいのか、わからなくなった。
 だから、空へ向かって、叫んだ。

  ■

 島津春久。
 ディアボロ、フェイクマン。
 確かにフェイクマンの性能はいい。蘭が自慢の一人娘だという事を差っ引いても、合格点をやっていいディアボロだ。
 研究所へと戻り、自分のデスクに座り、パソコンの傍らに置いてあったキャラメルを口に放り込みながら、考える。
「……だが、ディアボロの基本性能は、素材に影響する。エスピオンは確かにいい素材だったが」
 しかし、フェイクマンからは、そういう『使い勝手の良さ』とはまた違う、ピーキーな魅力を感じた。今までの連中とは、ひと味違う、ムラっ気のある爆発力。
 きっと、彼のディアボロへの適正が高かった。
 だが、それだけで、ああはなるまい。
 ディアボロの能力は、本人の根っこ、身も蓋も無い言い方をすれば、性格めいた物が大きく影響する。
 つまり、彼にはなにか、『戦う明確な理由』あるいは、『戦うべき明確な相手』が存在しているのではないか。
 御使天は、そう推理した。
「……気になるな」
 それだけ呟いて、口の中にあるキャラメルを飲み込んで、キーボードを叩いた。
 島津春久。
 彼の人となりから、調べてみよう。
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七瀬楓 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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