Chapter 2
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燃えさかる城、町。私は衛兵に連れられながら城の裏口を目指していた。しかし、途中でお父様の姿が見えないことに気がつく。必死に止めようとする衛兵の腕を振り払い、私はお父様のもとへと急いだ。
王の部屋の扉は開いていた。おそるおそる部屋の中へ入ると、お父様は大量の血を流してうつぶせに倒れていた。あまりにも衝撃的な光景に、私は悲鳴をあげた。
その声に反応したのか、お父様の手がぴくっと動いた。急いで駆け寄ると、お父様は最後の力を振り絞って、自分の眼に手を当てながら呪文を唱えた。一瞬周りが見えなくなり、私はあまりの眩しさに目を瞑った。
やがて視界が元に戻ると、お父様の手には手のひらほどの美しい玉が乗っていた。そして、この玉が国に伝わる宝玉で、悪の手から守り抜かなければならないことを私に託し息絶えた……。
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「う……ん……」
アクアはゆっくりと目を開けた。部屋の中は暖かく、窓の外から子どもの笑い声が聞こえてくる。そう、ここは凍てつく森の中ではない。昨夜、クリスという青年に助けられ、アクアは死を免れたのだ。
「ずいぶんうなされていたようだね」
ベッドのすぐそばで、中年の女性がアクアを心配そうに見ていた。少し白髪の混じった茶色い髪を後ろに束ねた、細身の女性だった。
「あの、あなたは?」
「私かい?私はサハラ。この宿屋のおかみだよ」
「おかみ?」
聞きなれない言葉にアクアは戸惑っていた。わけが分からないという顔をしているアクアに、サハラは驚いた顔をしたが、ふふっと笑って腰に手をあてた。
「おかみというのは、店を仕切っている女のことだよ。もともとはあたしの旦那が、旦那の両親から受け継ぐはずだったんだけど、あの人ったら、『この国を守りたい!』とか柄にもないこと言っちゃって、お城へ入隊しちゃったのさ。この宿屋は潰すつもりでいたらしいけど、なんだかんだで百年ほど続いてる宿屋だし、潰すのはもったいないからあたしが引き継いだのさ」
「お城へ……」
おかみの言葉を聞いて、アクアの顔は蒼白になった。
昨夜のうちに、兵士たちがどんどん殺されていくところを見ていた。若い者から中年の者まで、幅広い年齢層の兵士たちが戦いの中へ散っていった。もしかしたらその中に、おかみの夫もいたかもしれない。きっと数日のうちに訃報が届いて、彼女は夫の死を聞かされるだろう。そしてたった一人きりで、この宿屋を切り盛りしていかなければならないのだ。
「あんた、大丈夫かい?泣いているじゃないか」
「え……?」頬に手を当てると、いつのまにか目から溢れた涙がつたっていた。
「こ、これは、なんだか今の話に感動してしまって、つい……」とっさに下手な嘘をついてしまったが、まったく面識のない他人の話で泣くなんておかしいに決まっている。
「ありがとう。そんな感動的な話でもないんだけどねぇ。まあ、たしかに一人でこの宿屋を経営するのは大変だよ。小さな宿屋とはいえ、毎日シーツを新しくしたり、掃除したりするのは体力がいる。何人かバイトを雇ったりしてなんとかなってるけどね。でも、あの人がお城で頑張ってるんだから、あたしだって頑張ろうって思えるんだよ」
どうやらおかみは不審に思っていないようだ。親切にハンドタオルまで差し出し、「ほら、これで涙を拭きなさい」と言った。
「……きっと、旦那様もあなたと同じ気持ちでいると思います」
国がどうなっているのか知らないおかみに言えることは、アクアにとってそれが精一杯だった。真実を告げてしまえば、きっと生きる気力を失くしてしまうかもしれない。
アクアはなんとか話題を変えようとして、クリスがいないことに気がついた。
「そういえば、クリスはどこに行ったんでしょうか」
「クリス?ああ、あの青い瞳の青年かい?」と、おかみは思い出したように言った。「彼なら、今朝からあんたの傷に効く薬を買いに行ったよ」
おかみが「そろそろ帰ってくるころだと思うんだけど」と言うのと同時に、トントンとドアをノックする音がした。二人がドアのほうを見ると、クリスが手に紙袋を持って入ってきた。
「やあ、目が覚めたかい?さっき魔法屋に行って、傷を早く治す飲み薬を買ってきたんだ。飲むといい」
クリスは紙袋から小瓶を一本取り出すと、アクアに手渡した。それを小瓶を目の前で軽く振りながら、アクアは「不思議な色…」とつぶやく。いかにも魔法薬というような緑色だが透き通っていて、まるでエメラルドを溶かして液体にしたような、神秘的できれいな色だった。
栓を開けると、微かにミントのような香りが漂う。アクアはぎゅっと目を閉じて、薬を一気に飲み干した。
「気分はどうだい?」
「なんだか、痛みが和らいでいくような気がする」
魔法の薬というだけあって、さっそく効果が現れたのだろうか。針金が突き刺さってそのまま足に入っていったような激しい痛みが、まるで抜けていくように和らいでいく。
「その調子なら、すぐ良くなりそうだね。よし、滋養にいい食べ物を持ってくるから、ちょっと待っていなさい」と言って、おかみは厨房へ向かった。それから数分もたたないうちに、トレイに食事を乗せて戻ってきた。
「さ、このスープをあったかいうちにお飲み。作り置きだけど、薬草の粉末を入れておいたから栄養たっぷりだよ」
スープを受け取り、一口含む。
「美味しい……」初めての庶民的な味だが、かなり美味しい。これが素朴な味というものだろうか。
「これはあたしのとっておきなんだよ。さ、もっと飲んでごらん」
静かに味を一口一口かみしめながら、アクアはスープを飲み干し、一息ついてトレイに器を戻した。
「とても美味しかったです。どうもありがとうございました」
おかみにトレイを差し出したが、おかみはアクアを見つめたまま動かなくなっていた。
「どうかしたのですか?」と声をかけると、おかみは我に返り、トレイに気づいて受け取った。
「あ、あら。悪いね、ちょっとぼーっとしてたみたいで。いやね、なんだかずいぶんお上品なお嬢さんだと思ってたものだから。もしかしてあんた、どこか裕福な家庭の娘さんで、家出してきたんじゃないのかい?」
「い、いえ、私はただの一般市民ですわ……じゃない、一般市民です。それに、家出でもないので大丈夫です」
おかみは訝しそうな顔をしたが、それ以上追求はしてこなかった。
このサハラさんといいクリスといい、どうしてこうも怪しんでくるのだろうか。やっぱりうまくなりきれてないのかしら……。
「おかみさん、彼女は世界が知りたくて家を出てきたんですよ。きちんと家族にも告げてるみたいですし。軽装なのは魔法を使うからですよ」
「あら、そうなのかい?悪かったねぇ疑ったりして。それじゃ、そろそろあたしは仕事があるから失礼するよ。ゆっくり休むんだよ」
「あ、は、はい。どうもありがとうございます」
とっさにクリスが庇ってくれたおかげで、おかみの目はごまかせたようだった。おかみが部屋から出て行くと、アクアは額の冷や汗を手で拭った。
「クリス、どうもありがとうございます。おかみさんは勘違いしていたようでしたが、あなたのおかげで分かってくれたようです」
「たいしたことじゃないよ。さ、もう一眠りするといい。身体を休めておけば傷の治りも早いからね。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」と言って、クリスは静かに扉を閉めた。さっきまでにぎやかだった部屋が、再び静寂に包まれる。
スープで体も温まり、薬を飲んで落ち着いたせいだろうか。アクアは瞼を閉じると、深い眠りに落ちていった。
2
その夜、アクアは何かが燃えている音で目を覚ました。暖炉の火の音だろうか。だが、それにしては大きすぎる。
「マリン!早く起きて!」
突然そばで声が聞こえ、アクアはびっくりして飛び起きた。「どうしたのですか!?」
「魔物が突然町を襲ってきたんだ!あと、盗賊が……とにかく早く!」
「わ、わかりました」
「歩けるか?」とクリスがアクアの体を優しく支え、ベッドから下ろした。
右足をゆっくりと動かしてみる。するとそんなに痛みはなく、歩いても大丈夫そうだった。「ええ、大丈夫みたい」
「じゃあ早くここから出よう!」
クリスに連れられるまま急いで外に出ると、国が襲われた時のように町中が赤く燃え上がっていた。焼け落ちた民家には、無残にも逃げ遅れた町の人がぐったりと横たわっている。
「なんて酷い……。クリス、魔物はどこに!?」
アクアが周囲を見回しながらたずねると、クリスはアクアの後ろを指差した。その指先が差す方向を辿って振り返ると、そこには大きな柱のようなものがあった。しかし、それは大きなレッドドラゴンの足で、炎を吐きながらゆっくりと動いていた。
「なんて大きなドラゴン……」
「普通のドラゴンの倍はあるぞ。きっと誰かが召喚したのかもしれない」
「早く、町の人たちを安全な場所へ誘導しないと!」とは言ったものの、この町はスノーアイランドの最南端。近い町でもかなり歩かなければならない。それに今は夜。雪の森に避難させるのはかえって危険だし、一体どうすればいいのだろう。
あれこれ考えている間にも、被害は広がるばかり。アクアはどうしたらいいのか分からなくなっている。クリスはレッドドラゴンの炎をかわしながらも、襲ってくる盗賊たちと戦っていた。
「でやぁ!」
剣と剣のぶつかり合う音が響き渡る。炎を避けつつ敵とうまく戦うクリスの剣の腕は、なかなかのものだった。
「クリス!後ろ!」アクアが悲鳴をあげる。クリスが後ろを振り返る間もないうちに、盗賊の投げつけた手榴弾が爆発した。
「クリス――!!」
辺り一面が爆風に包まれる。アクアはその場に崩れ落ち、立ち上る煙柱をぼーっと見つめていた。
短かった。森の中で怪我をして倒れていたところを助けられ、一緒に旅をしようとまで言ってくれたのに。やっぱりすぐにこの町を出て行けば良かった。そうすれば町が襲われることはなかったし、クリスも死ななかった……。
ところが、しばらくして煙の中に人影がゆらりと浮かび上がり、どういうわけか中からクリスが無傷で出てきた。
「クリス……あなたどうして……」
アクアが急いで駆け寄る。しかしクリスの目を見て、アクアは触れようとしたその手を止めてしまった。彼の目はあの澄んだ青い瞳ではなく、殺気に満ちた赤い血のような瞳になっていた。
クリスは呆然としたアクアに気付く様子もなく、剣を手に持ったまま敵に近づいていった。
「くそ!妙な術を使いやがって!」
盗賊の一人がクリスに立ち向かっていった。そしてダガーで斬りつけようとしたが、クリスは造作もなく身を翻し、後ろの瓦礫の上に着地した。
「く、くそ!こいつ!」再び盗賊はクリスへ立ち向かった。
するとクリスは顔の前に剣を構え、静かに目を閉じた。
「なんだあ?こんなときにオネンネか?けっ、笑わせるな!」と、盗賊たちはクリスを指差して笑った。
しかし彼らの嘲笑に動じることもなく、クリスはゆっくり目を開けると、静かだが、重々しく言い放った。「奥義……かまいたちの舞!」
クリスが剣を振ると、ぶわっと風が巻き起こり、辺り一面を覆い隠した。
その後は何が起こっているのか、アクアは風圧で見ることはできなかった。かろうじて見えたのは、盗賊たちが悲鳴をあげて次々と倒れていく光景だった。そしてついに、レッドドラゴンさえも大きな音をたてて倒れた。
しばらくして、ようやく視界が開けてきた。ほとんどの盗賊たちは息絶え、なんとか生き残った盗賊も瀕死状態で動ける状態ではない。レッドドラゴンは完全に倒すことはやはりできなかったものの、相当ダメージを受けたようで、足を引きずりながら逃げようともがいていた。
「すごい……すごいわ、クリス」
アクアが呼びかけるとクリスは振り向いたが、その心はどこか遠くへ行ってしまったようだった。
「クリス?大丈夫ですか?クリス……クリス!」
「……あ……あれ?マリン?」と、クリスは肩を揺さぶられようやく我に返った。そしてまわりの異様な光景に気づき、目をしばたかせたままきょろきょろと見回した。「これは……一体どうしたんだ?」
「どうしたって、あなたが見事な剣技で倒したのですよ?」
「僕が?こんなに大勢の敵や、こんなに大きいドラゴンまで?」
クリスが信じられない、という顔でアクアを見た。どうやら敵を倒した時の記憶がないらしい。
「覚えてないのですか?」
「全然。敵の不意打ちをくらったところまでは覚えてるんだけど……」
どうやらクリスには何か隠された力があるらしい。今回はたまたまその力が発揮されたのかどうかは分からないが、とにかく無事でなによりだ。
「まあ、無理に思い出そうとしなくてもいいのですが……」
「よく分からないけど、そうだな」クリスが後ろ頭をかく。「あっ、見ろ!」
クリスが差す指の先、敵が倒れていたあたりに暗闇の空間が少しずつ広がっていた。その空間に盗賊やレッドドラゴンが飲み込まれていく。
「今度は何ですか!?」
「また新しい敵か!?」
二人は一歩後ろに後ずさって構えたが、暗闇の空間は敵をすべて飲み込むと、また徐々に小さくなっていった。そして一緒に暗闇に吸い込まれたのか、いつのまにか火災はおさまっており、再び町は夜の静寂に包まれいった。
3
町は壊滅状態だった。二人が泊まっていた宿屋も破壊され、かつての面影もなくなっていた。
宿屋のおかみは無事に逃げることができたのだろうかと、しばらく二人で捜して町中を回ったが、残念ながら見つけることはできなかった。もしかすると、瓦礫の下敷きになってしまったのかもしれない。
「おかみさん、死んでしまったかもしれないな……」
「そうですね……もしそうなら……」
もしそうなら、せめてあの世で愛する人と再会できていますようにと、アクアはクリスに聞こえないようにつぶやいた。
「もし、そこの若いの」
突然横から声をかけられ、アクアは思わず飛び上がりそうになった。声のするほうを見ると、瓦礫の上に老人が座ってくつろいでいる。身なりからして占い師のようだ。
「おぬしら怪我はなかったかのう?いやはや、大変な騒ぎだったわい」
町は大惨事だったというのに、その占い師はまるで他人事のようにのんびりとしている。とりあえずクリスが愛想だけで「はぁ、まぁ……」と一言。
すると占い師は、急に顔が険しくなった。実際はフードで顔が半分ほど隠れてよく見えないが、声を押し殺して何やら言い始めた。「そこの青年…何か特別な力を内に秘めておるな?そっちのおなごは、本当の自分に気づいておらんようじゃの」
「本当の自分?」
「さよう。もう一人の自分に出逢う時、本当の自分が映し出されるであろう。それを解く鍵は、光り輝く珠(たま)にある」
「光り輝く珠、ですか……」
「まずは船に乗り、東の地へ渡ってザリという町へ行きなされ。そこで重要な人物に出逢うであろう」
「でも、夜の海には氷がはっていて船は出せないんじゃ……」
「それなら心配ない。先ほどのレッドドラゴンが吐き出した炎で溶けておるわ。やつの炎は凄まじいからのぅ。とにかく、船に乗ることじゃ。わしは失礼する。こんな町にもう用はないからの」占い師はどこからか杖を取り出すと、瓦礫の山を登り、夜の闇に溶け込むように消えてしまった。
残された二人は占い師に言われるまま、支度をして港に向かった。占い師の言うとおり、海の氷は溶けていて、船員たちが荷物を次々と船に持ち込んで出港の準備をしていた。
二人はお金を払い船に乗り込んだ。アクアは船室に荷物をおろして甲板へ出てみる。微かに残っている煙の臭いが風に運ばれ、アクアの鼻腔を突いてきた。
ザリには何が待っているのだろう。お父様が私に託したこの宝玉と何か関係があるのだろうか。
アクアは遠ざかっていく国を見つめながら、宝玉を握りしめてつぶやいた。「この宝玉は必ず守り通してみせます。だから、どうか天国から私を見守っていて下さい……」
「マリン」クリスが船室から出てきて、アクアに肩掛けをかけた。
「あんまり外にいすぎると冷えるよ」
「ありがとうございます」
「なんだかいろんなことがあったね」と、クリスはアクアと同じように東の彼方を見つめる。
アクアはクリスにずっと思っていたことを言おうとしたが、予想通りの返答が返ってくることを思うと、なかなか言い出すことができない。しばらく沈黙が続く。
「どうかした?」
クリスがアクアの様子に気付き、顔を覗き込む。アクアは意を決して、クリスに問いかけた。「クリス、本当に私と旅を共にしても良いのですか?私、怖いんです。これから先、どんな試練が待ち構えているのか、まったく想像できなくて……それに、クリスのことをあんな危険な目に遭わせてしまいました。またあのようなことが起こるかもしれない。今回は助かったけど、次もまた助かるとは限らないし……だから港に着いたら、別れたほうがいいかと思うんです」
「大丈夫さ」クリスは優しくて澄んだ青い瞳をアクアに向けて言った。「さっきの大惨事を切り抜けたんだ。きっとどんなことでも乗り越えていける。旅に危険は付きものだろ?それに、不安なのは僕も同じだよ。僕だって自分のことが怖い。いつまたよく分からない力を使うかもしれないのに、そばにマリンがいなかったら、誰が僕を正気に戻してくれるんだい?だから僕の旅には、君が必要だってことだよ」
「クリス……ありがとうございます」
「おいおい、そんなに礼儀正しくしてくれなくてもいいんだよ。僕たちはもう、仲間なんだから」
「そうですね……あっ」アクアはおかしくて自然と笑いが込み上げてきた。いつも常に王女という立場がついてまわり、本当に友達や仲間と呼べる人はいなかった。だが、クリスは自分を仲間だと言ってくれる。たとえそれは、本当は王女だということを知らないからだとしても。
二人はしばらく言葉を交わしたあと、また静かに東の彼方を見つめた。暗がりだった海に少しずつ光が差し込んでいく。長かった夜が、ようやく明ける。
to be continued...