前回までのあらすじ
ひょんなことから某国の某特殊部隊へと迎え入れられ、いつか履歴書の資格欄に「殺しのライセンス」と書ける日が来ることに胸を踊らせていたゆうすけだったが、新入隊員のために設けられたフィジカルトレーニングで早々にくたばってしまう。
そもそも東京生まれインターネット育ちのゆうすけが「ヌーが二日で死ぬ」と噂されるほど壮絶なこのトレーニングを生き残れるはずもなく、開始からわずか1時間、簡単なウォーミングアップが終了すると同時に右の金玉を潰してしまう。
「どうした、立ってみろウジ虫!」
のたうちまわっていたゆうすけの髪をひっつかんで、訓練教官が叫ぶ。
すげぇ声だ。ハラから声を出すとは言うが、肉体をすっとばして木星から声が出ているのではないかと思わせるような声だったが、今のゆうすけにそんなホルストみたなことを考えている余裕はない。なんせ、長年連れ添った金玉が片方潰れているのだ。これは事である。
教官は金玉の腑を潰したせいで洒落にならない量の血を吐き続けるゆうすけのことなどお構いなしといった様子で、ゆうすけの髪を掴んだまま、そのテネシー生まれステロイド育ちの上腕二頭筋でもって軽々とゆうすけを持ち上げた。
「なんとか言ったらどうなんだ、ええ、このゴミ虫!」
「…き、金……ゴフッ、きんたまが、し、しん……」
ゆうすけはなんとかして教官に右金玉の玉砕を伝えようとするが、もはや一言だって言葉にできそうにない。頭の裏で星がチカチカダンスを踊り、その足元をガンマンが拳銃でバンバン撃ちながら「どうしたガールもっと踊ってみろよヒャッハー!」とかなんとか喚き散らし、「失われたアーク」とかいう意味深なテロップが狂ったように明滅し続けるとかいう意味不明なビジョンを幻視するほどに強烈な痛みが股間を襲っていた。もはやゆうすけにできることと言えば「エンドルフィン出してエンドルフィンだして」と自分の脳みそに懇願することぐらいだった。
「軍曹、どうやらその男は金玉の腑をやってしまっているように見えるが?」
冴え渡るロッキー山脈をつたう澄み切った大河を思わせるような女の声が響いた。と、同時にアームステロイド軍曹はゆうすけをほっぽり出して、瞬時に敬礼の体勢を取る。開放されたゆうすけだったが、もはや自分の足で立てるだけの気力は残されておらず、そのままドサリと音を立てて地面に崩れ落ちてしまう。ゆうすけの意識はいよいよポンジュースにされた後のポンの残りカスといったところだった。ポンが何なのかゆうすけにはわからないし、エンドルフィンはまだ出ない。
「シルバーライト少佐! このようなウジどもの掃き溜めにご足労いただき、まことに光栄であります!」
直立最敬礼のまま例の木星シャウトで高らかに言い放つ軍曹に対し、シルバーライトと呼ばれたこの女少佐は一瞥をくれてからゆるりと敬礼を返す。将官クラスにのみ許されたライトブラウンのコートが風に揺れ、アップにまとめられた美しいブロンドと、知的でミステリアスな碧眼と相まって、なおいっそう彼女を美しく見せた。
「ん、結構。安め」
「はっ」
ザッと音を立ててアームステロイド軍曹は「安め」の体勢に移る。アーノルドそっくりの体軀とシュワルツェネッガー似の顔にはうっすらと赤みが差し、もうすっかり女の顔になっていた。ちくしょう、アームステロイド軍曹は女だ。
「それで軍曹、どうするのだ? 明らかに金玉の腑をやってしまっているが」
「はっ。金玉の腑、でありますか?」
きょとんとする軍曹。シルバーライト少佐はニヤリとして、
「ははぁ、そうか。アームステロイド軍曹はアレか。では金玉の腑の存在すら知らんのか。ふふ」
愉快そうに呟きながら、少佐は足元の血だまりに転がるゆうすけの顔を覗きこむ。
「災難だったなルーキー。彼女は金玉の存在を知らんのだ。故にお前が味わっている地獄も彼女には……」
言いかけて、はっと息を呑むシルバーライト少佐。次の瞬間、制服が血に濡れるのも顧みず、瞳孔までオープンニュアアイズしているゆうすけの顔をガッシリ掴んでマジマジと見つめ、次いでわなわなと震えだした。
「少佐、お召し物が!」
「よい! おいお前! ルーキー! 聞こえるか! お前、名前はなんだ!」
ゆうすけは自分が名前を問われていることをかろうじて理解していたし、なんとか意識を立て直そうと頑張ってはみた。しかし端的に言って、ゆうすけはもう色々と限界だった。薄れゆく意識の中、シルバーライト少佐の瞳を見つめて、ゆうすけは言った。
「ああ、アイシャ……綺麗になって……片玉で、ごめ……」
「や、やっぱり、兄さん! やだよ、せっかく会えたのに! 兄さん、ダメ! 兄さん、兄さーーーーーーーーーーん!!」
ゆうすけの意識はそこで途切れた。エンドルフィンは最後まで出なかった。