トップに戻る

<< 前 次 >>

route2

単ページ   最大化   

●プライベート・ライアンをみた。
●98年製作の映画ということである。知名度の高い映画だからか、そんなにムカシの印象はなかったけれど。当時筆者は小学校の高学年。M16ライフル掃射の口真似が大好きだった友人の家で、彼が両親と一緒にレンタルショップで借りてきたVHS、コタツに寝転がりながらしめやかに鑑賞した記憶がある。
●だが内容はすっかり忘れていた。169分もの長尺の映画である。こちとら怪獣映画では特撮シーンのみを期待し続けるお子様二人組であった。途中で眠ったか、つまらなくなって中座したかしたんだと思う。
●監督はビッグネームだし、金曜ロードショーでも何度か放送されたはず。それと同じ回数だけ茶の間で鑑賞したことがあるのは間違いないが、この映画については継ぎ接ぎの印象しか残っていない。
●上陸中の砂浜で気が遠くなるトム・ハンクスやら、橋の上で死にかけて拳銃を構える同ハンクスを見ると、記憶の蔵の底のほうがなにやらこそばゆいような気はした。一方でライアン二等兵を探しに行くという粗筋だけは知っていたが、その他の細かいディテールはさっぱりだった。ベトナム戦争の映画でなかったことは、開始早々に思い出すことができたので良かった。
●ただ、観返した今でさえ、何故ライアンに帰還命令が下ったのかよく理解していない。何故彼が選び抜かれた? 劇中でかの二等兵が言うとおり、他にも似たような境遇の兵士はたくさんいるはずだ。まあいいか、と気にしないことにしたけれど。
●映画を見ていると、突然襟首をグイと引っ張られたみたいに、俄かに空想から醒めてしまう瞬間がある。嫌いな物語の定型というか、物語の背後に製作者の影がちらつくのを察知したときなんかがそうだ。この映画でいうと、投降兵を殺しすぎている。観ていて吐き気がする。それも、間を置いて何度も何度もそんな場面がある。それが主体の場面も(結局殺さないけれど)ある。くどい。たびたび観たくはない光景。そういう心理効果をねらって作っているんだとしたら、くそったれである。製作者のしたり顔が浮かぶようで腹が立つ。
●この映画はジャンルとしては戦争映画である。製作技術を駆使し、戦闘における銃火砲撃の凄惨な対人効果をまざまざと見せつける。冒頭の上陸場面では何十人も人が死ぬ。弾丸に胴体を貫かれ、鮮血を吹き上げながら仰向けに倒れ込んだり、泣き叫びながら身悶える兵士は四肢を砲撃により吹き飛ばされ芋虫の体であったりする。臓物をかき集めて母を呼ぶ若者、さっきまで自分と喋っていた通信兵の顔面が抉り取られているなど。キュウリを千切るよりも簡単に人間の体は弾け飛ぶ。人間の肉体はもろいもので、弾け飛んで死ねば二度と生き返らない。死体が人間の形を(一部でも)残しているというのは不気味きわまる。すこぶる気色が悪い。
●監督のネームブランドから偏見して、安穏とした娯楽映画に違いないと高を括っていた間抜けな脳味噌を見事にハンドシェイクさせられたわけである。それだけこの場面の魅せる力はとてつもなかった。史上最大の作戦なら一〇回は観たぞ、と筆者はノルマンディー上陸作戦の過酷さを知ったつもりでいたが、この映画の視点はそれよりずっと望遠である。目線が兵士(というよりトム・ハンクス)に至近している。それは全編において一貫されていた。そのせいで戦争映画にはうっとうしく思える叙情的な場面もある。だがうっとうしいのは台本のせいというのが大きいかもしれない。言葉はいつもまじないである。
●死を見せつけるばかりでは物語は進まない。連合軍の上陸部隊は数の力でもって海岸を奪取し、進軍を始めようとする。アメリカ本土での将校たちの場面を挟み、主人公は二等兵を捜し出す任務に就くことになった。その後の道中、手が震えたり仲間が死んだりする。
●戦争映画の戦闘シーン、廃墟を壁伝いに歩く映像、筆者はいくつかの映画で見たことがある。もっとも印象に残っているのは地獄の黙示録の映像美であるが、あれは密林が舞台であるので引き合いに出すのも難だとは思う。フルメタル・ジャケットの冴えわたるカメラワークはとりあえず置いておくとして、この映画もすばらしい画面だと感じた。だがニッチな需要は置いてけぼりにするらしく、どこまでも王道、怒りのロードショーにて『優等生』と揶揄されていたのもうなずけるつくりである。何か物足りない気がした。
●あとは、思った以上に区切りの多い映画だった。戦争における部隊行動のお約束を、場面ごとに表現しようとしてるんだろうと思えた。小学当時の筆者が鑑賞の場から途中退場するのもやむなしである。
●話は少し飛ぶが、余計な機能の沢山ひっついた家電や、自動車などに対し「この機能、不要では?」と感じた経験はないだろうか。しかしながら機能は必要に応じて備え付けられているはずであるから、使いこなせていない顧客が間違っているということだろう。しかし個人によって、不要な機能はある。この映画には筆者にとって訳の分らないものがひとつだけくっついていた。登場人物のひとり、アパムがそれである。
●なんだこいつ。難ならおれが殺してやる。だが途中までは良かった。ああ、こういう要領の悪いやついるよな、そんな程度に呑気に構えていた。ただ戦車部隊と交戦する最後の戦場で、いよいよこのくそったれの存在意義がわからなくなってしまった。どうして監督はこのクソボケ兵卒をカメラにでかでかと写し続けたんだ? どうにも納得いかない。
●アパムが鈍臭いビビりだったお陰様で友軍兵士の弾薬は底を突き、アパムがウジウジ階段下でブルっていたお陰様で、仲間のひとりの胸部にバヨネットがゆっくりと差し込まれた。この腰抜けは特別な理由もなく仲間を危険に晒し、その結果仲間は殺されてしまった。
●くそったれのカメラがアパムのトロスケを画面に映し続けたせいで、このゴミムシ野郎がもう少し何とかしようとしたら、もしかすると死んだ仲間たちは助かったのかもしれない、なんて余計なことを考えてあげないといけなくなる。疑いようもなく、カメラがアパムのくそったれをいつまでも画面に収め続けたせいだ。
●製作者は、アパムにあからさまなバイアスを掛けておいて、観客に何を求めたのだろう。よくわからない。上のような思いをさせようっていうのなら、全くの子供だまし、まんまとはめられたというわけで気に入らない。何かほかに読み取れなかった意図が含められているのか? あったとしても、それは筆者にとって高尚すぎる何かであろうと思う。なんにせよ、野郎のせいで二度と観ようという気がしないのである。


2

りくがめ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る