01.捨て神、ひろいました
『ひろってください』と書かれたダンボール箱を開けたら、捨て神が入っていた。猫じゃない。少し汚れた毛布に包まれていたのは十五歳くらいの女の子で、頭にケモミミ、お尻にシッポが生えていた。なるほどなあ、と思う。触って確かめるまでもなく、それは人間じゃなかった。僕は天を仰いだ。
やっちまった。
学校からの帰り道、舗道の隅っこにポツリと置かれていたダンボール箱。周囲には誰の影もなく、無視して通り過ぎてもなんの咎めもなかったはずだ。それなのに、わざわざ自分の良心をかえって痛めつける結果になるとわかっていながら、僕はそのダンボール箱を開けてしまった。
視界一杯にオレンジ色が広がっている。
その捨て神様は、毎年八月に決まって放送される特番の報道の通り、個性的な色の体毛を持っていた。毛布とさらに自身の髪――炎を繊維にしたような、髪――に包まれて、少女はすやすや眠っていた。頬と耳に泥のような汚れがあるのを見て僕は要らない罪悪感をまた覚えた。ああ、神様だって? べつに助ける必要はない。というか模範的な一般市民なら、保健所に連絡して今すぐトラックで引き取りに来てもらうべきなのだ。もしこれを匿ったりすると、立派な犯罪となる。今はもう昔とは違う。八百万の神々が人間と仲良く共存していたのは百年も前の話で、もはや誰もその頃の時代を覚えていない。
僕は「むにゅう」と油断たれまくりな寝言をこぼすその燈髪の神様を見た。そう、べつに見捨てても怒られはしない。なんでこんなとこに捨てられてるのか知りもしないが、そんなことは僕には関係ない。このままこの箱のフタを閉めて、あの曲がり角でも曲がっちまえばそれで終わりだ。何も見なかったことにして、僕は日常へと戻っていける。それにしても捨てられた神様なんて、本当にいるもんなんだなあ。普通捨てるか、そんなもん?
僕はダンボールのフタを閉じようとした。が、手の甲に冷たい滴が当たった。ああ、やっぱり。天気予報というのはいつだって当たるのだ。疑う気にさえならないほどに。僕は天を仰いだ。そして諦めた。
ずぶ濡れは、神様だって辛い。
持って帰ろうとしたら全然持ち上がる気配がなかった。なので、僕は近くのゴミ山から車輪を四つほど拝借し、ダンボールの下に設置、そのまま押していったら下り坂に突入してものの見事にダンボールは僕の手から離れ、電信柱に激突して大破した。
「ぎゃあああああああああああああああ」
「やってしまった」
僕の胸は痛んだ。こんなつもりじゃなかった、こんなつもりじゃなかったんだ。バラバラになったダンボール、転がっていく車輪、そして頭を抱えてもんどりうつ巫女服姿――少し改造されている気がする――の捨て神様という大参事を前にして僕はなすすべもない。僕は悪くない。
「ちょっとあなた!」
額から血をダラダラ流しながら捨て神様は泣いている。よく見れば小動物系の、可愛らしい顔をしている。
「私を殺す気!? 何やってんのよ!!」
「あわわわわ」
めっちゃ怒ってるめっちゃ怒ってる。僕は混乱してとりあえず車輪を手に取った。指差し、
「悪気はなかった」
「車輪のせいにするつもり!?」
「ちがうちがうちがう」
慌てて手を振るが捨て神は分かってくれそうな気配がない。ぐぬぬ、と太陽色の両目一杯にプールのように涙をためて僕を睨んでくる。まァ坂から転げ落とされたら誰でも怒るとは思う。
「いったいなあもう……ていうか、あなた誰?」
ぶつけた頭を撫でながら捨て神が言った。僕は答えた。
「君の新しい飼い主かな?」
「なら動物虐待ね!」
飼われることには文句はないのか。というかスライディングでスネを蹴りこんでくるスタイルやめて。僕は跪いた。痛ぇ、痛ぇよ。
捨て神はぜぇはぁしている。ぶんぶん尻尾を振っているのは楽しんでるのか?
「これだから最近の若者は……ていうか何? 何があったら私は柱に激突するの?」
「運ぼうと思って」
「助けを呼べよ! 人間だろう!」
やる気満々のゴールキーパーみたいな姿勢で燈髪の神が叫んだ。
「このゲロウ! ちょっと私が百年っぱかし寝てた間に、自分が仕える大いなる存在のことも忘れたようね!」
「パードゥン?」
「はあ!?」
英語は想定外だったらしい。というかうかつに返されても英語これしかわかんないから困窮するのは僕じゃんか。僕は馬鹿だ。
「ワケのわからないことばかり言って……懲らしめてあげるわ」
「マジで?」
「ええ」
神様はやる気だ。ボキボキ拳を鳴らしている。
「とりあえずアバラの2、3本ってところかな……」
「そんな気合入れて僕のことブン殴るつもりなの?」
すでにぶんぶんとジャブを振られていてガードが間に合わない。この子足強いな。
「待って待って。話し合おう」
「問答無用」まだ血が出てる。
そこで神様のおなかがぐぅ、と鳴った。僕はピンと来た。
「わかった! おなか空いてるんだろ? ご飯を奢ろう」めきっ
「アダダダダダダ!」
捨て神が僕にピッと指を立てると、なんと腕が勝手に捻れた。痛い痛い痛い! これ翌日に残るヤツ!
「ま、待ってくれ! ご飯なら出す! ご飯なら出すから!」
「勝手に私を食いしん坊キャラにしないでくれる?」
嗜虐心丸出しで不敵に笑う捨て神。「うひひひひ」と不敵に笑いながらヨダレを垂らしている。こういうプレイ好きなの? 変態神あらわる。
「ぐあああああああ……」
「ほーれほれほれ」
「ぐううううううう……」
見えない荒縄で縛り上げられたように僕は抵抗できない。くそっ、さすが忘れられた神とはいえ超自然現象の塊。僕の常識力では対応しきれない。というかすでに土下座スタイルにまで落ち込んでいるのだが許してくれる気はないんだろうか。肩の骨がビキビキいってる。
「かんべんしてください! かんべんしてください!」
「よかろう」
急にのじゃロリ口調になって僕を解放する捨て神。僕はぜぇはぁしながら地面に這い蹲った。捨て神はふぁさり、と燈髪を指で梳く。
「身分の違いが分かったかな? 私はこの荒木の神……咲楽守恋咲」
「さくらのかみ、はるえみ……?」
「ええ、そうよ。初詣とかでよく耳にする名前でしょう?」
「いや、全然聞いたことない」
「……あなた、信心深くないおうちに生まれたのね」
憐憫の眼差しで見られてしまう僕。
「えーと、ていうか、……八百万の神だよね? 君って」
「そうだけど」
「もう八百万の神々は『古きもの』たちとして、ほとんど処分されて残ってないんだよ」
ぽかん、とする恋咲。
「というか、知ってるよね? もう百年も前に多数神の時代は終わって、絶対神の時代になったんだけど……」
教科書にも載ってるし、『逃げ神』なら自分を追跡してくる存在を知らないわけがないんだけども……
「知らない」
「……なんで?」
「覚えてないわ。……というか、冗談にしてもタチが悪い」恋咲はじとっと僕を見た。
「私が記憶を失ってると見抜いたのね? それでそんなホラーな作り話をしたんでしょう。意地悪な子」
「いやいやいや、ほんとのことだし」
「……ここは荒木の土地よね?」
恋咲があたりを見回した。そこで初めて、周囲の景色が目に入ったらしい。
「……なに? ここ。あの建物は何?」
恋咲はコンクリートの塊、灰色の直方体を指差した。いわゆるマンションである。
「……地面が何かに覆われてる……石?」
「コンクリートだよ」
「こんくりーと?」
コンコン、と拳で道路を叩き始める恋咲。何か危うい気配がする。
「どういうこと……? 私が眠ってる間に何があったの?」
ぐい、と僕の腕を引っ張って、
「あなた名前は?」
「葉垣燈七郎」
「ハガキ? 聞いたことない。よその土地の子ね」
「ええ?」そうなの?
「説明しなさい、燈七郎。私、時を駆けたのかもしれない」
「その説でいくと時間旅行機はブッ壊れたことになるね」
「あの箱のこと? そうかもしれないわね」
「いやあれはダンボールだと思うよ……」
いちおう残骸を回収しようとする恋咲を羽交い絞めにした時、ぽつり、と僕の頬に滴が落ちてきた。
雨だ。
僕たちは結局ずぶ濡れになりながら、家に帰った。
まァ僕んちなんだけど。
○
「なんなの、この洞窟は?」
「アパートです」
駐輪場とポストの横を通り抜けて、僕の部屋の前に案内すると恋咲がそんな失礼なことを言ってきた。確かに僕の住むアパートの真向いは一軒家の塀があるので、いつも薄暗いし狭苦しい。しかし洞窟って。
鍵を取り出して錠を開けようとすると、
「それ気に入ったわ。よこしなさい」
恋咲がキラキラした目で言ってきた。
「とても綺麗」
「これは鍵といってね、部屋に入るために必要なんだ」
「……? どういうこと?」
「いや、自分がいない間に誰かが部屋に入ったら困るだろ?」
「なんで?」
小首を傾げる燈髪の神。ここも昔は田舎だったんだなあ。妙な感慨を覚えながら僕は部屋に恋咲を上げた。そして帰る道すがら、なんとかしてこの時代から忘れ去られた神様に現代のことについて教えるにはどうしたらいいだろう、と練りに練ったアイディアを実行した。そう、
教科書を読ませてみたのだ。
社会のヤツ。小学五年生くらいの頃に使ってたやつが押入れにまだ仕舞ってあった。それを引っ張り出したらホコリが舞い上がって恋咲に「私にケガレを吸わせるなんて!」と物凄く怒られたが気にしない。
「これをお納めください」
「ふっ……書物の貢物? 悪くないわ……」
なぜか満足そうな恋咲はぺらぺらと社会の教科書を読み始め……
「…………」
「あのー、ところで字は読める?」
「いまのところ読めるわ。これ何?」
「天使、だね」
「天使?」
僕はこの世界を総べる絶対神には、優秀な人間の中から選ばれたエリートが眷属として従属することを軽く説明した。恋咲は分かってるんだかわかってないんだか、「フン」と鼻を鳴らしたきり教科書の黙読に戻った。
三十分くらい経っただろうか。僕が出してあげた茶菓子を真夏の打ち水のような勢いであっという間に平らげおかわりまでした恋咲が、パタン、と教科書を机に置いた。ちなみに六畳間。
「どうだった? わかった?」
「面白かったわ」
「期待してた反応と違うなあ」
「……これが、今の子供たちが『ガッコー』で読む本なの?」
「うん、僕もそれを読んで育ったからね」
「ということは、これは、本当のことなのね?」
恋咲が真摯な、まるで今から告白でもするかのような眼差しで僕を見てきた。思わずドギマる。
「自然を総べていた私たち八百万の神々は滅び、どこかからやってきたその、絶対神(カルド)……が、世界を管理している、と」」
「そうらしい、よ」
「……」
「睨まれても……僕が生まれる前のことだし」
「信じないわ」
恋咲がポツリと言った。
「私たちはたくさんいた。本当にたくさんいたのよ。それが……もういない、なんて」
「厳密に言うと、残ってるヤオヨロズは信仰者に匿われてたり、単独で逃げてたりするらしいけど……」
「ゲンミツって何? そんな言葉、聞きたくない」
神様が物凄く怒っているのが僕にはわかった。自分の部屋で神様をげきおこさせるというのも、なかなか得難い経験な気がする。
「そもそも、その絶対神って何? どうして私たちを滅ぼしたの?」
「神様は一人でいいからだって。何人もいると、戦争を起こしたりするから……」
「…………」
ぶわっ、とまた恋咲から怒りのオーラが放たれた。言葉には出来ない、けれど掌握も出来ない、そんな激怒の気配が溢れ出し、僕の部屋のカーテンをバサバサと揺らした。ホコリ舞う。
やがてそれを鎮め、恋咲は言った。
「愚かだわ」
「え?」
「もし本当にその絶対神がいるなら、それは愚かだと言うの。……燈七郎、ちょっといい?」
「なんでしょう」
「気分を変えたくなったわ。私に禊をさせなさい」
風呂貸せって言ってるのだということに、十五秒くらい費やした。
○
「ほら、もっと強く擦りなさい。ゴシゴシと」
「はい……」
僕は自分ちの風呂で、全裸の女の子の身体をスポンジで擦っていた。恋咲は気持ち良さそうに目を閉じている。王族は裸体を他人に見られても恥ずかしがらない……そんな話を思い出す。なんでも王というのは従者を同じ人間としては本能的に認めない生き物だそうで、つまり犬猫に恥部を見られても「だから何?」と思う気持ちと同じなんだそうだ。ひどい話と思うべきか……
まあ、恋咲の裸は泡塗れで全然見えないんだけどね。
どうも石鹸の概念は知っているらしく、タオルを巻いて風呂に入ったかと思ったら猛烈な勢いで石鹸を擦り始め、あっという間に僕んちの風呂をバブルバスにした恋咲は三万円くらいは出さないと落ちなさそうな泡と湯気の中にいる。僕は白い視界の中でシャツとトランクス一丁になって甲斐甲斐しく神様の背中を擦る。擦り続ける。なんだろう、神様相手だと思うと全然奇妙な光景ではないんだけど、女の子相手でも全然奇妙に感じられないのは僕に奴隷気質でもあるのだろうか。知りたくなかった現実だ。
「ちょっと、手が遊んでるわよ」
「そんな」
「私は強くゴシゴシされるのが好きなの」
フン、と鼻を鳴らして顎を上向かせる恋咲。「私が洗わせてあげてるんだからね」感がプンプンである。まァそれは否定しない。僕は泡なんだか素肌なんだかよくわからない真っ白さの中で頑張り続けた。
「燈七郎って、一人で暮らしているの?」尻尾をフリフリ、
「ああ、両親が二人とも仕事でいないんだ」
「出稼ぎ?」ケモ耳をピョコピョコ。
「まあ、そんなところかな」
「不作なのね」
悲しそうに恋咲が俯いた。ちなみに絶対神のおかげで毎年豊作だったりする。
「私が帰ってきたからには、ちゃんと実りを授けてあげる」
「それはどうも」
僕べつに農家さんじゃないんだけど……
「ヤオヨロズってそういうのも出来るの?」
「ええ。元々私たちは自然から来たものだから。だいたいのことは出来るわよ」
「空は飛べるの?」
「それは無理」
案外チャチだな。
「……何か文句ある? 燈七郎」
「いえ、ないです」いきなり頭を振り上げてきた恋咲に鼻っ柱を潰されて、僕は顔を押さえながら言った。急に動くな危険。
「そう、ならいいわ」
そしてふふっと笑い、
「懐かしい。前はよくこうやって、サエに禊をしてもらってたの」
「サエって?」
「私の巫女よ。いまはどうし……」
そこまで言って、黙る。
ゴシゴシ。僕は擦ることしか出来ない。
恋咲の最後の記憶があるのは、ちょうど百年前までだという。暦を教えたらそういう答えが返ってきた。
神様には短い時間かもしれないが、僕らにはほとんど永遠だ。
もう恋咲が知っている人間は誰も生き残ってはいないだろう。
そう考えると、この神様が酷く哀れに思えた。
「…………」
「燈七郎、どうしたの?」
「いや、べつに」
「淫らなことを考えたら呪殺するわよ」
「罪重くない? 情状酌量の余地とかない?」
マッパと個室で二人だよ?
前かがみになるぐらい許して欲しいよね。
「もういいわ。あとはシャワーで洗い流すだけだから、出てっていいわよ、燈七郎」
もうすでにシャワーという単語を覚えて順応している神様。都合がいいな。
「どうせだから最後まで付き合うよ。見届けさせて欲しい」
「死にたいの?」
「ごめんなさい」
ふう、危うく視線で死ぬとこ。僕は浴室から出て、額から流れ落ちる冷や汗を拭った。女の子はどうして怒らすとああも怖くなるんだろう?
しばらくして、「ふんふんふん♪」と鼻歌交じりにパジャマ姿の恋咲が出てきた。ケモミミと尻尾が濡れそぼっている。タオルで頭を拭きながら、
「ブンメイっていうの? これはとても便利ね」
「それはよかった」
「お湯も出るし」
「冬は最高だよ」今は秋だけど。
ぼすん、と僕のベッドに倒れこむ恋咲。くんくんとにおいを嗅ぎ始める。
「オスのにおいがする」
「やめてくれるかな」普通にセクハラ。
「だって、仕方ないじゃない。私、これからここで寝るんだから」
「布団なら用意しますので下で寝てくれたりしませんか?」
「なんで?」
うわお、強引~逆らえる気がしない。僕は両手を挙げて降参した。
「わかったよ、好きにしてくれ」
「それでいいのよ」
恋咲は嬉しそうに言った。そして視線を脇にやり、
「ねえ、それはなあに?」
「ん?」
見ると恋咲の視線の先には電源を落とされたままのテレビがあった。
「テレビだよ。えーと……遠く離れたところにいる人が見れる」
「なにそれこわい」
「ええー?」
君だって半分お化けみたいなもんじゃん、とかは怖いので口が裂けても言えなかった。
「どうしてそんな不思議なことが起こるの?」
「どうしてって言われても……ブラウン管? 電子銃?」
手当たり次第に知っている単語を並べてみたが要領を得ない。現代社会は複雑だ。恋咲はじとぉっ……といや~な目で僕を見てきて、
「燈七郎って何も知らないのね」
結構グサっとくる一言だなあ。
ムッとしたのでビックリさせてやろうとテレビを点けてみたが、恋咲は予想できていたのかいきなり出現したニュースキャスターのおっさんの顔にビクとも動じない。ただつまらなそうにそれを見て、
「なんだかへんな世界になったのね」
とだけ言って、ふわあとあくびをした。
「私の世界はもっと単純だったはずなのに」
「その代わり便利になったよ?」
「…………」
「恋咲?」
見ると、神様はもう眠っていた。
寝顔だけ見れば、それはただの天使だった。