05.天使候補生
そして二週間ほど、僕は恋咲のメシを食べ続け……
「ねえ燈七郎、本当にガッコーにいくの?」
恋咲が聞いてきた。僕はローファーを履きながら言う。
「うん、だって行かないと親父にボコボコにされるからね」
一年の時、試しに二週間休んで遊び呆けてたら出張先のイギリスからミサイルみたいな勢いで戻ってきた親父にぶん殴られたことがある。親父は何事もなかったかのように僕をぶん殴った足でイギリスに帰って行った。あまりにも元気で心配する気も起きない。
恋咲は「ぶう」と頬を膨らませた。
「つまらないわ。もう燈七郎が持ってるゲームもだいたいクリアしちゃったし」
「ホント凄い勢いでやりこんだよね。気持ちは分かるけど腱鞘炎になるまで休憩を取らないのはどうかと思うよ」
パジャマ姿の恋咲の袖の下には包帯が巻かれているはずだ。のたうち回っていたので病院へ連行して急速冷却してもらった。ちなみに触診とかもされたみたいだけど、神様とはバレなかったらしい。食事とかはとらなくても死なないらしいけれど、基本的には普通の人間と変わらないようだ。不思議なもんだ。
「そのオヤジってのを倒せば、燈七郎は家にいてくれるの?」
「やめてあげてくれよ。もう五十なんだ」
「だって……」
枕を抱えながら、ぷいっと顔を背ける恋咲。ケモミミがしょんぼりと垂れている。そんな態度をされると心が動きそうになるが、油断してはいけない。コイツは対戦ゲームで僕をボコボコにしてほっこりしたいという悪しき野望を抱えているだけだ。
「いい子にしててくれよ。夕方には帰ってくるからさ」
「そんなこと言って、この間は八時まで戻ってこなかったでしょ」
「委員会の仕事した後、みんなでご飯食べに行ったんだよ。付き合いだって」
なんだろう、この浮気を隠そうとしてる感。清廉潔白の身なんだけれど。
「そのイーンカイってのも倒せばいいのね」
「その戦いを好む気質、少し抑えようか」
そんなやりとりをしているうちに、もう家を出ないとまずい時間になった。時はいつもせっかちだ。
「じゃ、行ってくるから!」
「……ふん、まァいいわ」
何か企んでいそうな恋咲の態度に、隠しているエロ本のことが我が子のように心配になったが、仕方ない。僕は高校生だから学校に行くのだ。
○
僕はいつも徒歩で通学している。もう遅刻寸前は慣れたもので、近所のおばあちゃんちを庭から突入して横切り、奥の通りに出るなどまさに朝飯前。ばあちゃんもその辺の事情はよく分かっていて「がんばりやあ」などと言いながら茶をしばきながら、僕たちちょっとやべぇくらい遅刻が多い組を見送ってくれる。
で、だいたいそこで僕は神様に挨拶をする。
「やあ、上沢さん。また遅刻?」
「葉垣くんもね!」
汗だらっだらでフラフラになりながら走っているのが、我らがカルド様。どうも朝は吸血鬼並に苦手らしく、完全に足に来ている。
「ぜえ……ぜえ……」
「大丈夫? 死にそうだけど」
「な、なんとかね……そういう葉垣くんこそ、顔、真っ白だよ」
「元からだよ。帰宅部だからね」
「お豆腐みたい」
「それディスってるよね?」
朝から神様にディスられるとかかなりいかつい。まァでも許してあげよう。僕は上沢さんに肩を貸しながら走りつつ、動悸が高まるのを抑えられなかった。
恋咲を匿っていることを上沢さんにバレたら、僕はタダじゃ済まないだろう。
そう考えると普通に朝の挨拶なんてかわしている場合じゃない気がしてくる。
「うう……これじゃまた遅刻だよぅ……」
上沢さんが泣きそうな顔で言う。
「ちゃんと目覚ましかけたのにぃ」
「上沢さん、確か凄まじく音の大きい目覚ましこないだ買ってたよね」
委員会を上がった後に買い物に付き添ったことがあるのだが、確かその時に「これであたしは救われる」などとワケのわからないことをほざいていたはずだ。
重苦しいため息をつく上沢さん。
「そうなんだけど、なんかもう、慣れちゃって」
「あれ鼓膜破れるから枕元に置くなって書かれてたほどなのに……」
「ちゃんと起こしてくれない天使たちが悪いの」
「そんな……普段連れ回してるんだから労ってあげないと」
「ええー」
実に嫌そうな顔をされた。そんなにか。
ミョーなところで気難しい神様を引きずるようにして、僕は学校に着いた。
途中で上沢さんを見捨てたおかげでギリギリ一限に間に合ってとてもよかった。
のだが……
○
「閣下!」
とうとう一限に間に合わず生物の吉岡教諭にしこたま怒られた上沢さんが凹んでいる、休み時間。隣のクラスからボサ髪のメガネ男子が竜巻のように突っ込んで来て、机に突っ伏している上沢さんの背中をゆさゆさ揺さぶった。
「おいたわしい! また遅刻したんですか!」
「…………」
返事がない、そろそろヤバイのようだ。本気で留年が近いのじゃなかろーか、この神様。
「……そっとしておいて……」
「閣下……くっ!」
メガネ男子――というか僕とも顔馴染みの、天条君延がいきなり僕の胸倉を掴んだ。早弁のために広げていた僕の弁当箱からウィンナーが床に落ち、森崎さんが床に落ちる前にそれを拾ってパクっと食べた。
「ああーっ! 僕のメシが!」
「それどころではない!」天条はブチギレている。
「葉垣! 貴様ぁ……閣下と登校していたにも関わらず、見捨てて自分だけ一限に間に合ったというのは本当か!?」
「根も葉もないデマだ」
「嘘つけぇ!」
頭突きを喰らった。たたらを踏む。
「ま、待ってくれ。仕方なかったんだ」
「ぐっ……痛ぇ! なにをしやがる!」
「いやお前が頭突きしたんだろ!」
なんで僕よりダメージ受けてんだ天条。
ぶるぶる、っと頭を振って天条は僕を睨む。
「葉垣……貴様、前から神への忠誠心が足りないと思っていたが、いよいよ本格的に反逆者になりつつあるようだな」
さらっと鋭いことを言われて動揺しかけるが、ここでへどもどするといらぬ嫌疑を受けてしまうだろう。僕は凛然として言った。
「ああ、その通りだ」
「よし、逮捕する」
「ごめん嘘、この国大好き」
チャラッと手錠を出してメガネを輝かせた天条に僕は平伏した。
「許してくれ、僕だって先生に怒られるのは嫌だったんだ!」
「うっ……ひぐっ……」
生物の吉岡に「神様だってみんなと特別扱いするわけにはいかないんだぞ」と結構グサリとくることを言われた上沢さんはベソをかいている。まァ、神様相手にちゃんと教師をやろうとしている吉岡教諭がちょっと変わり種の教師なので、上沢さんも被害者なのだ。……いや遅刻してるのが悪い気もするが。
「吉岡は出席点を重んじている。テストだけで挽回は出来ない!」
「それが分かってんなら上沢様を見捨てたりするなや!」
「ごくっ」
正論である。言い返せそうにない。周囲の女子からも「女の子を捨てた悪逆非道なクソ帰宅部」という視線がバシバシ飛んできている。くっ、こんなの差別だ!
「大丈夫だ天条、いざとなれば吉岡教諭を闇に葬ればいいじゃないか」
上沢さんはこの世界を総べる神であり、そして天条はその御身に仕える天使候補生。
ゆくゆくは社会維持のために反逆者のハンターとなる定めにある天条なら吉岡教諭を体育館の裏に呼び出すくらいはお茶飯前だろう。
「閣下はお優しい方だ。なるべく血は見たくないとおおせのこと」
天条は己の頭突きによって破けた額から流れる血をぺいっと拭った。
「俺はなんとしても閣下を進級させねばならん……いいか葉垣、通学路が近い貴様には閣下を見守る義務がある」
「そんなに心配なら天条が朝起こしにいってあげればいいのに」
「バカヤロォ!」天井は目を瞑って叫んだ。
「そんな、そんなハレンチなことが出来るか!」
「それはむっつりスケベを自白しているのか?」
何かあれば犯人は君しかいないぞ天条よ。
天条は腕を振って地団太を踏む。
「年頃の女の子の家に朝から出向くとかお前何考えてんだ! この退廃主義者め!」
「なんて言われようだ。べつに男子が朝起こしに行くくらいいいじゃないか、なあ森崎さん。君ならどうする?」
「味噌汁ぶっかけて追い返す」
「どうして人間をそんな簡単に嫌ってしまうの?」
あと僕のお弁当がもう無いんだけど。まさか全部喰うとは……何考えてんだこの巫女。
「まァいいから、落ち着けよ天条。天使候補生がそんな簡単にエキサイティングしてたら守れるはずだったラブもピースもブレイクダウン」
「異国語で煙に巻くのはやめろぉ!」
「落ち着け、中学英語だ」
エリートのくせに勉強以外はからっきし、そして人に教えるのもてんでダメな残念天使メガネは僕に指を突きつけた。
「とにかく、葉垣! 貴様、ちゃんと閣下の面倒を見てやれよ! 俺は隣のクラスだから目が届かんこともある!」
「こっちのクラスに引っ越してくればいいのに」
「俺が天使候補生だからといって特別待遇もよくあるまい」
したり顔で天条は言う。
「まァ閣下はカルドだからな、ちょっとくらいは仕方ないが、お付きの俺たちになるべく頼りたくないという閣下の意向もある」
「その閣下、机に突っ伏したまま起きる気配ないけどそのへんは大丈夫?」
相当ヘコんでるみたいだけど。ああ、なんかうつろな目で机に「の」の字を書き始めたぞ……これはマックおごるか何かしないと回復しないやつだ。
「大丈夫です、心配はいりませんよ、閣下!」
天条はバンバン上沢さんの背中をぶったたいた。すごく痛そう。
「……君延、痛いんだけど……」
「閣下はやれば出来る子です! むっ、チャイムが鳴った。それでは俺はこれで。お前ら、閣下に粗相がないようにしろよ! わかったな!」
周囲にいる同級生にかたっぱしから念を押し、天条は疾風のように去っていった。しばらくして、ぼそっと上沢さんが呟いた。
「つらい」
神様も大変である。