08.夕餉
「ただいま~……あれ、恋咲?」
激動の一日が終わり、なんとか家に帰った僕を待っていたのは空っぽの部屋だった。
「おーい。……ぐああっ!」
どかあっ!
……っと僕の背中に激突してきたものがいた。僕は玄関口に倒れ込む。
「いったあーい! 邪魔よ、燈七郎!」
「なんで家帰るのにそんなバッファローみたいな勢いが必要なんだよ」
そこには僕の私服を着て、痛そうに頭をさすっている恋咲がいた。
「どこいってたの? つーか、また家から出たのかよ! 自宅警備しててって言ったじゃん!」
「無茶言わないでよ。こんな部屋にずっといたら、オスくささで鼻が曲がっちゃう」
橙色の尻尾をパタパタさせながら、小さくて白い鼻をつまむ恋咲。僕は叫んだ。
「やめろよ! 気にする人だっているんだぞ!」
「あなたしかいないじゃないの」
「わかってるならやめてください!」
消臭剤何個買ったと思ってるんだ!
「はいはい、いいからどいて~。あー疲れた」
コキコキと肩を鳴らし、スーパーの袋をどさっとコタツ卓に置く恋咲。ふわり、と橙色の長髪が顔にかかる。
「このへん坂がやっぱ多くてキツイわあ。地馴らしやっちゃおうかな」
「思い出して、民の命、その大切さ」
まあ確かにアップダウンが多くてじーさんばーさんがガンガン健脚になっていくような土地柄だけれども。
「恋咲、もうこの土地は君のものじゃないんだから、わがままはアカン」
「何言ってんの、勝手に余所者がぶん獲っていっただけじゃない。いつか必ず返してもらうわ」
台所に立ち、スーパーの袋から取り出したジャガイモやらニンジンの皮をムキムキし始める恋咲。レシートを見ると結構買ってる……まァ食べ物だから仕方ないけれども。財布を確かめると五千円札が消えていた。
「恋咲、窃盗はよくない」
「ちゃんと食べないと死ぬわよ」
ドン、と豚汁を僕の前に置く恋咲。僕は両手を合わせた。
「いただきまーす!」
空腹には逆らえません。恋咲は満足そうに頷いた。
ずずー。
二人で豚汁をすする。味がよく染みてる。
「恋咲、料理できるって意外だよ」
「たまに村に降りて台所を手伝ったりしてたからね」
頬についたご飯つぶをペロリと平らげ、
「ふふ、まな板の上にあれば、どんなゲテモノの首でも落としてみせるわ」
「漁村じゃなくね? ここ」
百年前、この町のご先祖様たちがどんな獲物を食べていたのかとても不安である。
「あはははは」
テレビを点けてバラエティ番組を見ながらケタケタ笑う恋咲をよそに、僕は食べ終わった食膳を片付け始めた。なんだろう、何もかもぶっ飛ばして倦怠期に突入したカップルみたいなこの感じ……おいしい思いは味覚でしか満たされていないよ……
「私のスケベセンサーが反応しているわ。燈七郎、何を考えているの?」
睨まれる。くそっ、なんていらない神通力なんだ。
「べつに……ああ、今日学校で女の子と付き合うことになったことを考えていた」
ぶん殴られた。
倒れ伏した僕の胸倉を掴み、恋咲は目をキラキラさせながら叫んだ。
「なんでそんな面白そうなことすぐ言わないのよ、燈七郎!」
「いってぇー何もかも黙秘していい? 鼻血出た」
ティッシュで詰めポンしてから、僕は恋咲と正座で向かい合った。テレビはオフ。
「さて、どういうことかしら燈七郎? 私をほったらかしにして、ピチャピチャギャルとお付き合いすることになるなんて」
「なんだよその魚みたいなギャルは。ピチピチギャルだろ」
「細かいことを気にするものではないわ」
そこそこある胸を張る恋咲。
「で、どういうことなの?」バンバンと畳を叩き、
「あなたのような朴念仁に恋慕するなんて、その子、よっぽど変わり者のようね」
「あー、うん」上沢さんの正体については、めんどくさいから伏せておこう。
「上沢さんっていうんだけど……」
「どんな子?」
「かわいいよ。髪が短めで、ちょっとお転婆かなあ……」
「お転婆……」
なぜか嬉しそうな恋咲。
「恋の予感ね!」
「話聞いてる?」
付き合うことになったって言ってるだろー。
「馴れ初めを教えなさいよ」
立ち上がって逃げようとする僕の背中にしがみつき、恋咲が顔を肩に乗せてきた。
「べつに、委員会で一緒だったってだけだよ。で、勉強が苦手だから今度付き合ってくれっていうからオッケーしたら、なぜかそれが恋の告白だったという」
「後出しジャンケンね、恋の駆け引きは残酷なのよ」
「条例か何かで禁止しようぜそれ」
「ふふふ。……へええ、燈七郎がねぇ」
ぶんぶん尻尾をフリフリ、ケモミミをパタパタ、
「スミに置けないとはこのことね。しっかりやりなさいよ」
「……嫉妬とかないの?」
試しに聞いてみる。
恋咲は「何をバカなことを」と首を振った。
「私は縁結びの神でもあるのよ。民草の幸せは私の望みでもあるわ」
「ふーん……」
「……まあでも」と恋咲は、窓の外の暗闇を見やった。
「その子がここに嫁いで来たら、私、どうしようかしら」
「ああ……それはないと思うけど」
「わからないじゃない、将来のことなんて」
恋咲はくりくりと僕の首を撫でてきた。
「生きていれば、何がどう転ぶかなんて誰にもわからないものよ」
「珍しく、神様っぽいこと言うね」
ふふん、と恋咲は得意げに笑った。