トップに戻る

次 >>

一 儀礼

単ページ   最大化   

 からぁん、と出棺を告げる鐘が青い空に響く。
 それを合図に、高張提灯を持った先火を灯として、葬送の列が瓦葺きの日本家屋から姿を見せる。道筋を囲むようにして、先火に続く者が米粒を道に撒いて行く。普通は紅白に細かく刻んだ紙切れを振り撒くということだったが、この地域では魔除けの意味を込め、白く精米した米を撒くのが慣習となっていた。
 ある程度小規模な葬儀なので町内会の旗などは立てられず、すぐに御膳持ちの列が連なり、導師の後ろには白塗りにされた棺がその姿を見せた。棺を担ぐのは近親者で、その|妾《・》が後ろに付くのが決まりだ。
 結花里はさらにその後ろ、一般葬列者の中に混じって、僅かに見える棺をぼんやりと眺めていた。
 叔父が息を引き取ったのはつい最近のことだ。仕事中の突然死だったということで、死の事実を知った日の夜には通夜が開かれた。そして今日になり、葬儀が執り行われている。
 どうして、これ程早くに葬儀を行うのだろうと、結花里は疑問に思っていた。
 みんな叔父が死んでも悲しくないのだろうか。そうとしか思えなかった。通夜の時には誰もが涙を流して悲しんでいる様子だったが、いざ終われば何事もなかったように全く別の談義に耽る親族の姿が、そこにはあった。
 結花里はあふれる涙を拭いながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
 ああ、大人たちにとって、これは|儀《・》|礼《・》に過ぎないのだ。
 誰かが死ぬだなんて、五〇六〇にもなれば当然のこと。一々悲しんでる暇なんてない。そんなことに気を遣っている余裕などないのだ。
 だから機械的に、悲哀を装いながら、粛々としきたりを進めて行く。
 死者を弔う儀式を然も慣れた風に行う人々は、額に出来たにきびのような、異質で奇妙なものがあった。
 結花里にとって、叔父の死は全身に衝撃が走る出来事だ。
 幼少期に親が共働きで、よく叔父の家に預けられていた結花里にしてみれば、叔父というのはもう一人の親みたいなものだ。結花里のことを本当の子どものように可愛がる叔父のことを、結花里は正直実の親よりも好いていたし、信用していた。
 だから、未だに叔父が死んだという事実を、半ば受け入れられていない。鈍い白色の棺を開ければ、いつものように優しい叔父が笑顔を見せてくれるのではと思っていた。確かに葬儀の時に見た顔は笑顔だったが、そこに血色はなかった。
 そんな叔父の葬儀を、いつものように、挙げ句の果てには「またか」と言った表情で面倒くさそうに参列している人もいる。それを見ると結花里は腹正しく思ったが、同時にこの人は叔父と表面上の付き合いしかしてこなかったんだと感じた。
 そう思うと、気持ちが酷く冷めた。
 結花里が住んでいるのは、里見という典型的な田舎都市。大きな本屋だとか車屋は点在しているが、線路を一つ跨げば緑が広がっている、未だ発展途上の街。学校はもう少し発展している隣の街にあるので、毎日電車で通っている。
 都会を目指したが、田舎の色が抜けきれない都市。そんな印象が強かった。
 もともと田舎なだけあって、結花里のような昔からこの地域に住んでいる人々は田舎特有の閉塞的な結託意識が強い。外から越してきた人たちは、初め当たり前のように冷たく扱われる。それでも献身的に里見に奉仕した者のみ、徐々に住民から受け入れられていくのだ。
 だが、多くは差別意識に耐えられず、里見を去るか、苦しみに命を絶つ。
 住民に罪の意識などない。たとえ誰かが死んだところで、業務的に葬儀を済ませるだけで誰も悲しまない。流す涙に哀悼の念など微塵も込められていないのだ。
 叔父の葬儀もそうだった。
 通夜にやって来た人はひどく少なく、一般参列者も片手で数えられる程度しかいない。棺を運ぶ講中の男たちも、与太話をして巫山戯ながら運んでいる。撒かれている米も、まばらになり始める。掲げられる先火も、既にぶらぶらと地面近くにまで下げられていた。
 この中の誰も、叔父を敬って葬儀へ取り組んでいない。
 それは、叔父がこの里見の生まれでは、ないからだ。
 結花里はそれが悔しくて、悔しくて、ぎりぎりと歯噛みした。
 静々と、列は進んで行く。
 静々と。

「今日はありがとう、萩村くん」
 葬儀が一通り終わってから、結花里は墓場近くの木材に腰掛けていた少年に声をかけた。萩村凜太郎――名字で呼ばれた少年は結花里の同級生で、人手不足のために今日、講中の一人として棺運びや葬儀の手伝いをしていたのだ。
「礼を言われる筋合いはねえよ。誰かが死んだらしっかり葬るのは、当然だ」
 頭を掻きながら凜太郎はそう言う。目の奥は心底嫌そうに見えた。
 無理もない。親しくしてきた人の葬儀ならまだしも、凜太郎と結花里の叔父に接点は何一つない。全く知らない人の葬儀の手伝いをさせられたということなのだ。
 結花里にも凜太郎の心中は容易に察することが出来た。
 それに、凜太郎は里見出身でありながら結託意識に対する関心が薄く、関わりのまったくない結花里の叔父に対しても真摯に向き合ってくれた。凜太郎自身はそっけない振りをしているが、通夜での立ち振る舞いを見る限り、そこらの大人よりもよっぽど故人に対して敬意を払っていた。
 凜太郎は普段から素直じゃない性格で、表面上は関心のない表情を見せているが、叔父を悼む気持ちは十二分に汲み取れた。結花里はそれが嬉しかった。
「うん……ありがとう」
「会話になってねーよお前。礼はいいっつってんだろ」
 結花里を見上げ、不機嫌に眉をひそめる凜太郎。
 それがなんだかおかしくて、結花里は思わず笑う。凜太郎がそれに怒る。
 鳶の鳴く空の下で、叔父は静謐な空気と共に埋葬された。
 晴れた日曜の午後のことだった。


 葬儀を終えて、凜太郎は帰路に着く。
 凜太郎の家、萩村家は墓地からほど近い場所にあるため、結花里の叔父の家には戻らずにそのまま帰った。結花里に家に寄って行かないかと言われたが、用事があるからと断った。
 とても、そんなことが出来る気分ではなかったのだ。
 凜太郎には常人には見えない物が視えることがあった。
 木の影が無風にもかかわらず蠢いていたり、池の中から墨で染めたように黒い亀が這いだしていたり、枝に止まる鳥が凜太郎には認識できない言語を発していたり――――とにかく異常としか思えない物がよく視えた。
 詳しい原因は分かっていない。
 幼い頃の事故の後遺症じゃないかと親には言い聞かされた。両親は凜太郎の症状を重く見ていないようで、病院に連れて行くようなことはしなかった。凜太郎の言うことを、妄言と決め込んでいるのかもしれない。
 だから凜太郎も、単なる幻覚と思って過ごしてきた。幻覚が見えるというのは決して気分の良いことではないが、悉く無視して生きてきた。
 今日も視えてしまったのだ。
 土の中へ、埋葬している棺の中から。
 這い出る|黒《・》|い《・》|手《・》が。
「…………忘れよう」
 短い黒髪をぐしゃぐしゃに掻いて、気を紛らわす。
 こうしている間にも、常人に見えない何かは、凜太郎に語りかけているのだ。
 ポケットに突っ込んでいたイヤホンを、耳に着ける。音楽の世界に飛び込まないと、正常な意識を保っていられない。墓地で見たあの黒い手が、いつの間にか自分の背後に忍び寄っていて、首を絞めるのではないかという想像をかき消すには、音の渦と共に全てを綯い交ぜにしてしまわなければならなかった。
 ポケットの中で、音楽プレイヤーを操作する。余計な考えを吹き飛ばすには、英語詞のパンク・ロックを聴くのが一番だった。
 轟音で聴覚を満たしながら、凜太郎は猫背で帰路を歩く。
 凜太郎の歩いた後の道で、草木がざわめく。鳥が話す。影が揺れる。
 それを凜太郎は、受け入れない。


     ■
1

黒兎玖乃 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

次 >>

トップに戻る