朝が来て、両親の寝室のベットから起き上がると、キミコは廊下に出てはす向かいの自分の部屋に行った。ベットの上では大輔がうずくまったまま動かないでいる。伏した上半身の下に両腕が隠れていた。
キミコはタンスを開けるとセーラー服に着替えた。部屋から出て階段まで行くと、ペンキで塗ったように階段が赤く染まっていた。一段降りると、粘着質な音を立ててソックスにも染みがへばりついた。一段一段降りるごとに、半乾きの粘液を踏む音とその粘液から足が剥がれる音が交差する。階段の半程に和子が引っかかっていた。その体の周りは特に深い溜りになっていて、踏むと一際不快な音を立てた。階段を降り切ってから玄関まで、ソックスにこびりついた分が床と粘着質な音を立て続けた。キミコはそのソックスのままローファーに足を通して玄関の扉を開けた。
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山城サユリはわくわくしながら教室の入り口を見つめていた。引き戸は教室の前後にあるが階段との位置関係から、登校した生徒のほとんどは前方から入ってくる。
そろそろキミコがやって来る頃だった。今日はどんな顔で入ってくるかと思うと楽しみでならなかった。キミコの上履きに細工をするのが日課になってから、朝の登校時間はサユリのお気に入りになった。
初めの頃は画鋲だった。でもこれはすぐ飽きた。引っかかったのが最初の一回だけだったし、キミコの表情は怯えよりも怒りに強く傾いたからだ。
男子の精液を入れた時はおもしろかった。キミコはびしょ濡れの上履きを履いて教室に入ってきた。水道で洗い流したのだろう。今にも泣きそうな顔をしていて腹がよじれた。その様子から、入れられたものが何かは理解しているようだった。男性経験などまるでなさそうなキミコが、それが何かを知っているというのが一層可笑しかった。
ナメクジを入れた時は教室まで裸足で来たのでおもしろかった。そういう類のものが大嫌いだということが表情から見て取れた。その表情があまりにおもしろかったのでそのナメクジは再利用して喰わせた。吐き戻して飲み込まなかったが、ちゃんと噛ませたので吐き出されたナメクジは真っ二つに裂けていた。動き続ける二つの体の断面から細い体の寄生虫が身をくねらせていた。それを見たキミコがさらにゲロを吐いたのが、いわゆる天丼的でツボだった。
今日はドブネズミの死骸を入れてみた。どんな反応をするだろうか。上履きは履いてくるだろうか。履いてくるだろう。ナメクジと違ってひっくり返せば落ちるから。サユリは密かに笑った。上履きはびしょ濡れになっているかもしれない。ドブネズミの体液がついているだろうから、洗う可能性は高い。顔はどうだろう。サユリにはキミコの血の気の引いた青白い顔がはっきりと想像できた。強いショックを受けて怯えている顔だ。想像するだけで堪らなかった。
前方の引き戸が開いた。
入ってきたキミコを見て、サユリの希望は一気に萎んだ。キミコの顔が全く歪んでいなかったからである。何事もなかったような顔をしている。強がっているのだろうか。しかしそういう硬さは見て取れない。
と言うよりも、その表情は今までのキミコからは見たことのない表情だった。いつもの怯えや自信のなさがない。顔は確かにキミコだが、表情は別人のもののようだった。
自分の席、つまりサユリの隣の席に向かって歩いてくるキミコにサユリは軽く手を上げて「おはよう」と言った。顔に嘲るような笑みを浮かべて。いつも通りのやり方だった。いつもなら怯えた声で返事をするキミコは、しかし何も応えなかった。サユリを見さえしないことが、サユリを苛立たせた。
キミコがサユリのすぐ傍まで来た時、サユリは奇妙な音を聞いた。ぐちゅっぐちゅっとナマモノが潰れるような音だった。朝の教室の喧騒の中でその音は微かだったが、近付くと確かに聞こえた。それはキミコの足元から聞こえていた。キミコの上履きを見て、サユリは声を上げそうになった。
上履きと足の隙間からミミズのような尻尾と足が一本はみ出していた。足を踏みしめる度に隙間から赤黒い肉がミンチになって絞り出されてくる。ぐちゅっぐちゅっという音の中に微かに固い小枝の折れるような音が混じっていた。
キミコはそのまま席に着いた。顔は相変わらず前を見ていてサユリには目を向けない。するとキミコが突然笑い出したのでサユリは反射的に体を硬直させた。その震動でサユリの座っている椅子が床と擦れて音を立てた。前を向いたままキミコが言った。
「ちょっと生きてた」
サユリはキミコの上履きからはみ出した足が、一瞬ぴくりと動いたのを見たような気がした。