*
「あなたが好きです」
桜が舞っていた。春は出会いの季節であるのと同時に別れの季節でもある。つまりは、私の好きな人は高校の3年生で、明日の卒業式をもって、この学校から消え去ってしまうのだ。
「……」
だからといって、この恋心よ実れ! とそこまで真剣になっている訳ではない。なかば諦めの境地で、つまるところ、彼は明後日にはここからいなくなっているのだから、ここでいくら私が恥を晒してもいいじゃん別に、ということだ。玉砕覚悟。勿論、これは心の予防線に過ぎない。
「あ、明日……返事は、あ、あ、明日でいいですからっ!」
桜の木の下から走り去る。この木の下で告白し、結ばれるとその関係は永遠のものになる。なんて伝説は多分ないが、この学校に入学していつか人を好きになったのなら、告白するのはここにしようと、それは最初から決めていた。
背中に微かに声を感じたが、私の足は止まらなかった。あぁそうだ。止めるつもりもない。今の私の顔はきっと、トマトかパプリカのように真っ赤だろうから。こんな顔。
「……明日、か」
今日という日は瞬く間に過ぎ、明日が来るのだろうと思ったが、私は未だに布団の中で悶々としていた。時間の進みがやけに遅い。一応時計を確認すると秒針はいつも通り、規則正しく動いている。
そう、規則正しくないのは私の鼓動だ。一秒が経つ間に、何度もドクンドクンと心臓が私の体の中から出て行こうとする。静まれ、静まれと祈れば祈るほど、むしろ鼓動は激しくなっていった。
あぁ、寝不足の、不細工な顔で彼の返事を聞くのか。こんなことなら今日、すぐさま返事を聞くべきだった、な……。
瞼に日の光を感じた。どうにも日が高い。一体いつの間に寝てしまったのか、一体今は何時なのか。時計に目をやり、そして絶望した。
午後の1時。
下級生に卒業式への参加義務はない。であるので、実質今日は休みのようなものであり遅刻だとか無断欠席だとかそういう厄介なことにはならない、のだが。
「……うっ」
思わず涙が出そうになったが、泣いている暇があったら急いで制服を着て、学校へと向かうべきだろう。私はパジャマの上を脱いで、そのまま制服を着ようとして下着を付けていないことに気づき慌てて床に放りだしてあったそれを引っ掴む。ホックを留めようと腕を背中に回し、パジャマの下を乱暴に脱ぎ捨て、ホックを留め終わった手でスカートを腰まで上げる。最後にシャツとブレザーを着れば、よし、これで大丈夫。
大丈夫?
大丈夫じゃない! 化粧をしていない。といっても、普段はほとんどすっぴんのようなものなのだが、今日この日は少しでも自分を良く見せねばならない。と、迷っている間に10分も過ぎた。ええいままよ! 結局私の顔はほとんど寝起きのままで、やはり床に放りだしてあった鞄を手に自分の部屋から出た。
「あら、まだ寝てたの?」
と母が呑気にのたまう。
「ど、」
うして起こしてくれなかったの、と、腹から喉にかけて文章がせりあがってきていたが、そんな長いセリフ、私には吐いている暇もないのだ。
「じゃっ!」
「あ、ちょっと、ツキコ!?」
母の言葉を背中で受け止め、私は学校へと走った。
*
学校へ着いたのは家を出てからおよそ20分後。起床からここまで30分。悪くないタイムだ。いや、実際は最悪だが。
校門をくぐると、やはり、というべきか、辺りはシンと静まり返っていた。式が行われている体育館の方を見ると、扉は固く閉じられており、内部で行われているであろう荘厳な式典の様子を体現しているようだった。今からあの扉の向こうへと入っていく勇気はない。私は体育館前のベンチに腰掛け、手持無沙汰に鞄から携帯を取り出し、カメラを鏡代わりに自分の顔を見て、思わず溜息を吐いた。こんな顔。
暇に任せてニュースサイトを見ているといつの間にか30分を過ぎていた。まだ式は終わらないのか。予定では、開会が13時、そして終わりは14時を予定していたはずだ。そろそろワラワラと卒業生とその保護者、そして下級生の群れがそこの扉を開け放ち、出てきてもおかしくない。しかし、静かすぎる。
はっ、と、今更になって気付いた。いくらなんでも、扉を締め切っているとはいえ、何の物音も体育館の中から聞こえてこないのはおかしいではないか。一体中では何が起こっているのだ。私はいよいよもって体育館の内部へ突入する決意を固めるとベンチから立ち上がる。
と、ズン、と大きな音。音だけに留まらず、地面がユラユラと揺れ、そして、一瞬、周りの風景も、全ての音も、或は私自身が? とにかく、全てが消え、そしてまた現れた。
胃からせり上がるモノを堪えきれずしこたま吐く。今の感覚は何だったのか。嘔吐感は拭えないが、とにかく、体育館内の様子を見に行こう。ふらつく足を前に進めようとし、視界の端に何かがよぎった。すっとそちらに目を向ける。そこにあった、いや、いたものはこの世のものではなかった。ヌラヌラと光を反射する粘膜がポタリポタリと地面に滴り落ちている。地面にシミを広げていくそれを重力に反するように辿っていき、思わず声が出た。
「ひっ」
と、共に鳥肌。地面が割れ、そこからはミミズのような生物がそこかしこに這いずり回っていたのだ。それも、並の大きさではない。長さは私の身長の、あぁ、私の身長は158センチメートルなのだが、その2倍ほどはある。そして、その直径は私が腕を回して、あぁ、私の腕の長さは……はて、どの程度の長さだったろうか? とにかく、結構太い。勿論個体差はあって、私の視界に入ってくるものだけでもとても長いものやとても短いもの、とても太いものやとても細いものがいて、ミミズとはいえ千差万別なのだ。
私はこういった軟体生物が苦手だ。こういったヌラヌラテカテカした類のものは特に。ここにいては気が狂う! どうしてこんな生物が突如として出現したのか、そんな思考は今は脇に置いておくべきだろう。そもそもこんなことを考えるより先に私の足は勝手に体育館のドアへ走っており、私の手は勝手にドアを開け放とうとして、しかし、開けることはできなかった。ドアを持つ手に、何かとんでもなく嫌なものを握っている感触があったからだ。
ゾワリ。
どうやら私が持っているのはドアの取っ手などではなく、その、軟体の、何かなようだ。あぁ、言葉にもしたくないし、私の目はそれを確かめまいと頑なに目を閉じている。しかし、開けぬわけにもいかぬまい。
いかぬまい? そんな日本語があるのか。ちょっと真剣に考えてみようか。などと現実から目を背けている訳にもいかぬまい。私は意を決して目を見開き、私が握るそれを直視した。
私は間違っていなかった。つまり、確かに私はドアの取っ手を握っていた。しかし、しかしながら。それはドアの取っ手などという無機物ではなく、今も私の背後で蠢いているであろうそれの見た目をしているのだ。
「あぁああああああああああああああ!」
最早耐えられなかった。見るだけならともかく、握ってしまったのだ。畜生。こうなれば。
と、火事場のなんとやらを発揮して取っ手を乱暴に開け放ち、飛び込んできた光景に、私の目は再び現実を直視することを止めようとした。
式場に並ぶパイプ椅子。そして、飛び散っている赤いもの。この空間に踏み出したときに、ローファーに感じたぶにゅ、という感触。糞尿の臭い。赤い、これは、血だ。
そこには誰もいなかった。いや、誰も、何もいない訳ではない。そこかしこにミミズが這い回っている。よくよく見るとミミズの頭部、或いは排泄部にあたるのかもしれないが、とにかく、穴の開いている部分から、人間の頭部が見えた。なるほど、ミミズは肉食なのか。また一つ賢くなった。
「ハハ」
乾いた笑み。なんとなく、私は檀上に向かって歩き出した。本来ならば、卒業式を終えた3年生は、この道を通って体育館の外に出ていくはずだった。保護者や下級生、先生連中の拍手に送られて。しかしそこは今、腸やら糞やらナニやらで赤く黒く染まっている。ミミズの脇を抜ける。ミミズの穴から僅かに声が聞こえてきた。助けて、とかそういうようなことを言っているのだと思う。きっと私がその立場ならそう言うだろうから。ただ、聞かなかったことにした。どうやって助けろというのか。全く無茶を言う。
なんとなく、とは言ったが、実は私が檀上に向かった理由は明確だった。それは、檀上に人の姿を見たから。そして、その姿は、私の知っている、あの人だったから。
「……来たのかい」
彼は檀上、卒業生に向けて挨拶をしようとマイクを握り、そのまま絶命した、かつて校長だった肉の塊を尻に敷いて、足を組んで、この惨状を眺めていた。
「……あなた、は」
「ふ、ふ、ふ」
「何が、おかしいの」
「楽しいんだ。とってもね」
彼はにこやかだった。私が大好きな笑顔だった。
「僕はね、この世界に復讐をするんだ。僕を選んでくれなかったこの世界を滅ぼすのさ」
*
この日、世界のあちこちで巨大ミミズが大量発生し、世界は滅びてしまった。そして、その黒幕こそ、私の好きな人。イシイハヤテだった。
ミミズたちの晩餐
*
遠くから銃声が聞こえる。しばしの後、地響き。何かが倒れる音。どうやら無事に倒したようだ。
「こちらキサラギ班、目標撃破しました」
私はふぅ、と一つ息を吐く。
「了解、警戒しながら帰還して下さい」
椅子の背に体重を預ける。もう幾度目になるか分からないが、未だに人の命を預かる緊張感には慣れない。慣れてはいけない。
「良かったですね」
ミナギが顔を出した。
「隊長の指揮のお蔭ですよ」
そう言いながらコップに入った水を差しだしてくれる。それは決して透明なものではなく、泥が漂い、細かな虫の死骸が浮いている。しかし、私はそれをためらいなく飲み干した。
「ありがとう」
そう言いながらコップをミナギに返した。
「あのポイントからだと、後30分ほどでしょうか、キサラギさんたちが帰ってくるのは」
「そうだね」
「……ツキコさんは」
「うん?」
「彼氏とかいたんですか?」
思わずむせた。突然何だ。話に脈絡がないにもほどがある。
「ごほっ……な、なんて? 彼氏?」
「えぇ、今のご時世、恋愛なんてしてる余裕ないでしょう。だから、せめて昔の話でもして楽しみましょうよ」
迷う。本当のことを話すべきか。とはいえ、妄想の恋人をでっち上げるというのもあまりに寂しい。ここは真実を語るべきだろう。
「ううん……私、彼氏なんていたことないんだ」
え!? と口をあんぐり開けるミナギ。なるほど、私はそれなりに遊んでたように見える訳だ。そんなに派手な外見でもないはずだが。
「どうして? そんなに意外?」
「え? えぇと……ってことはぁ……」
なんとなくこの後に続く言葉が読めたので、私はミナギから視線を逸らすと、眼前の監視モニターに向かった。私たちがいるこのビルから、半径300メートルの範囲にいくつか点在する監視カメラの映像を映し出している。
「ツキコさん、いわゆる、ばーじん、ってやつですか?」
口元が引きつったが大丈夫、動揺は隠せているはずだ。
「余計なこと言ってないで、あ。」
モニターに人影が映る。人数は5人。全員無事のようだった。
「ふぅ……さて」
私は椅子から立ち上がると壁に立てかけてあった鉈を手に取り、ミナギに目配せする。
「迎えに行きましょう」
*
「キサラギ班、帰還しました」
「お疲れ様。ゆっくり休んで下さい」
キサラギの後ろにいた4名はぞろぞろと各々の部屋へ戻っていく。指令室、とはいっても中央にテーブル、壁際に監視モニターがあるだけの粗末な部屋だが、みながいなくなるやいなや、キサラギは私の眼前に迫り、強引に私の唇を奪った。
「ちょっ……キサラギ、んっ……」
口内の粘膜を根こそぎもっていくように、キサラギの舌が私を蹂躙する。ジンジンと頭の奥が熱くなっていく。
「ツキコ、んっ、ツキコぉ……」
反抗に、キサラギの髪をかき回す。仕方のないことだが脂ぎっているため、手でぐしゃぐしゃにしたところは、そのままの形となって髪型を形成する。キサラギは私の右手を掴み、私の小さな反抗をも許さない。そのままもう片方の手を私の服の中に侵入させる。臍から肋骨を通り、やがて少し膨らんだ乳房に到達する。丸みが少し変形すると、思わず声が出た。口内の接触が離れ、互いを繋ぐものは互いの口内を伝う唾液の糸だけになった。キサラギと目が合う。
まるで少年のような顔立ち。しかし、キサラギは女だ。身体つきだけを見れば、むしろ私より女らしい。
「ツキコ、可愛い……」
服をたくし上げられ、乳房が露わになった。その頂点は、ピンと立ってしまっている。それを見て、キサラギはニンマリと笑った。手でその部分を優しくなぞりながら私の耳元に唇を近づける。
「どうして欲しい?」
いつもこうだ。どうして欲しいか分かっている癖に。
耳たぶに熱い息がかかる。キサラギの指はそこを弾き、つまみ、擦った。私の身体は撥ね、震え、熱くなった。
「もっと……強く……っ」
吐息が漏れる。あまり声を出すと周囲に何をしているかバレてしまう。いや、もしかすると私たちの関係はとっくに周知のことなのかもしれない。ただ、皆がいつ入ってくるかもしれないこの空間で、このような行為に及んでいることが私をこれ以上なく興奮させているのも事実だった。
「変態だよね、ツキコは……」
キサラギの指が、濡れた私の中に入ってきた。
*
乱れた服を正し、私たちは改めて向かいあった。
「ん……ごほん。では、キサラギさん、報告を」
私の咳払いを合図に、にやついていた顔を戻し、凛とした表情になるキサラギ。
「全長は10メートルほどでしょうか。胴回りは3メートル、いつもと同じ程度のサイズです。ただ」
「ただ……そうだね、間違いなく、私たちの拠点、ここに近づいてきてる」
「ミミズたちに意志があるとでも?」
「ミミズたちの意志じゃない」
私は唇を噛んだ。イシイハヤテ。世界を滅ぼした張本人。
私たちの組織が結成されたその目的は、彼を断罪することにある。
「イシイハヤテ……ツキコは見たことがあるんですよね」
「全ての発端、その現場に私は偶然出くわした」
「……彼を断罪することに意味はない」
「しかし、これは世界の意志なんだよ。殺された世界の、遺言のようなもの。そしてそれは、ここにいる私たちだけじゃなく、死んだこの世界に生きている人たちみんなが共有しているはずだよ」
「勿論、私も」
キサラギは深く頷きながら、そう答えた。
そのとき。
「……っ!?」
この感覚。これは、あの日の、卒業式以来……!
全ての風景が、全ての音が、全ての感覚が、全ての私が。
「ツキコ、久しぶり」
生まれて、死んだ。
*
イシイハヤテはにやにやしながら私に向かってきた。
「見ていたよ。なんだ、君、僕が好きなんじゃなかったの?」
キサラギは一直線に走り、モニター横の警報システムのスイッチを押した。そして、振り返るその手にはいつの間にか銃器が握られており、迷うことなくその引き金をイシイハヤテに向かって引いた。
警報のけたたましい音と同時に火薬の爆ぜる音。イシイハヤテは全く動かなかった、否、動けなかったはずだ。キサラギのあの速さに対抗できるはずもない。
「僕は、この世界に復讐するんだ」
地面が割れた。弾丸の軌道はそれ、イシイハヤテはそのまま割れた地面に呑み込まれていった。
「何だ、何なんだ!」
キサラギは激昂している。一体それは何に対してか。私には分からない。
私には、もう、何も分からなくなった。
やがて、私がもう一度生まれるまで。
*
君は選ばれたんだ。
声が聞こえる。一体どこから? いや、その前に、私に音を聞く器官は存在しない。私自身が存在していないのだから、それは当然だ。鶏と卵どちらが先か論なんかよりよっぽど分かりやすい結論。
であれば、この声は声なのか? 或は、そう、或は。
選ばれた? 何に?
また驚く。この言葉はどこから発せられた? まぁいい。とにかく、今は対話に集中しよう。
決まっているだろう。
決まっているだって?
そう、決まっている。
つまり?
ミミズだよ。
ミミズぅ!?
そう、君はね、ミミズの中にいるのさ。
私が?
君が。
待って、意味が分からない。
分かるさ。
分からない!
だって、実は君は知っている、理解しているんだ。
なんだって。
今は分からないかもね。
分からない。
だから、もう一度生まれてごらん。
*
目覚ましの音が聞こえた。私は手探りでアラームのスイッチを押す。音は止まった。
「んあ……」
一体今は何時なんだ。
午前8時。そうだ、今日は先輩の卒業式で……。
!? 眠っていた脳が覚醒した。先輩の卒業式……つまり、今日が、世界の終わる日? であれば、私が今まで過ごした世界はどうなった。いや、待て。
深く息を吸って、吐いた。だが、縺れに縺れた糸は決して元の糸毬には戻らなかった。
「……時を、遡った……?」
私が今までいた世界。死んでしまった世界から3年前に今私はいるのか。何故? キサラギは、割れた地面に落ちていった彼はどうなった。
「……まぁいいか」
考えたって仕方ないし、きっと考えてもこの問いに答えは出ない。ならば、未来を知る私にできることとは何だろうか。決まっている。
「彼を止めないと!」
私は部屋を飛び出そうとし、自分が未だパジャマ姿のままでいることに気が付いた。ついでにもう一つ気が付く。あの日、世界が崩壊した日とパジャマの柄が違う。あの日はピンク地に白の水玉だったが、今は青地に白の水玉だ。
着替えを終え、階段を降りて居間へ、味噌汁の良い匂いがしている。そうか、世界が終わる前は、こうして毎日食事がとれたんだ。
「あら、今日は休みなんじゃ?」
いなくなってしまったはずの母がそこにはいた。家の瓦礫に埋もれたあの左腕を思い出し、目頭が熱くなる。
母が近づいてくる。そして、私を抱き締めた。
「怖い夢でも見た?」
まるで子供に対するような態度。そうか、今の私は高校二年生、17歳。子供でいてもいいんだ。母の胸に顔を埋め、何でもないよと言うように顔を横に振った。
「今日は変な子ね」
母はクスリと笑い、私の髪をくしゃくしゃと撫でた。
ゆっくり朝食を噛みしめる。これが、もしかすると最期の朝食になるかもしれないのだ。
「お母さん」
「ん?」
「私、お母さんのこと大好き。ありがとう」
私は立ち上がって、玄関へと歩いて行く。
「ツキコ……?」
「世界を、救いに行ってきます」
遠くから銃声が聞こえる。しばしの後、地響き。何かが倒れる音。どうやら無事に倒したようだ。
「こちらキサラギ班、目標撃破しました」
私はふぅ、と一つ息を吐く。
「了解、警戒しながら帰還して下さい」
椅子の背に体重を預ける。もう幾度目になるか分からないが、未だに人の命を預かる緊張感には慣れない。慣れてはいけない。
「良かったですね」
ミナギが顔を出した。
「隊長の指揮のお蔭ですよ」
そう言いながらコップに入った水を差しだしてくれる。それは決して透明なものではなく、泥が漂い、細かな虫の死骸が浮いている。しかし、私はそれをためらいなく飲み干した。
「ありがとう」
そう言いながらコップをミナギに返した。
「あのポイントからだと、後30分ほどでしょうか、キサラギさんたちが帰ってくるのは」
「そうだね」
「……ツキコさんは」
「うん?」
「彼氏とかいたんですか?」
思わずむせた。突然何だ。話に脈絡がないにもほどがある。
「ごほっ……な、なんて? 彼氏?」
「えぇ、今のご時世、恋愛なんてしてる余裕ないでしょう。だから、せめて昔の話でもして楽しみましょうよ」
迷う。本当のことを話すべきか。とはいえ、妄想の恋人をでっち上げるというのもあまりに寂しい。ここは真実を語るべきだろう。
「ううん……私、彼氏なんていたことないんだ」
え!? と口をあんぐり開けるミナギ。なるほど、私はそれなりに遊んでたように見える訳だ。そんなに派手な外見でもないはずだが。
「どうして? そんなに意外?」
「え? えぇと……ってことはぁ……」
なんとなくこの後に続く言葉が読めたので、私はミナギから視線を逸らすと、眼前の監視モニターに向かった。私たちがいるこのビルから、半径300メートルの範囲にいくつか点在する監視カメラの映像を映し出している。
「ツキコさん、いわゆる、ばーじん、ってやつですか?」
口元が引きつったが大丈夫、動揺は隠せているはずだ。
「余計なこと言ってないで、あ。」
モニターに人影が映る。人数は5人。全員無事のようだった。
「ふぅ……さて」
私は椅子から立ち上がると壁に立てかけてあった鉈を手に取り、ミナギに目配せする。
「迎えに行きましょう」
*
「キサラギ班、帰還しました」
「お疲れ様。ゆっくり休んで下さい」
キサラギの後ろにいた4名はぞろぞろと各々の部屋へ戻っていく。指令室、とはいっても中央にテーブル、壁際に監視モニターがあるだけの粗末な部屋だが、みながいなくなるやいなや、キサラギは私の眼前に迫り、強引に私の唇を奪った。
「ちょっ……キサラギ、んっ……」
口内の粘膜を根こそぎもっていくように、キサラギの舌が私を蹂躙する。ジンジンと頭の奥が熱くなっていく。
「ツキコ、んっ、ツキコぉ……」
反抗に、キサラギの髪をかき回す。仕方のないことだが脂ぎっているため、手でぐしゃぐしゃにしたところは、そのままの形となって髪型を形成する。キサラギは私の右手を掴み、私の小さな反抗をも許さない。そのままもう片方の手を私の服の中に侵入させる。臍から肋骨を通り、やがて少し膨らんだ乳房に到達する。丸みが少し変形すると、思わず声が出た。口内の接触が離れ、互いを繋ぐものは互いの口内を伝う唾液の糸だけになった。キサラギと目が合う。
まるで少年のような顔立ち。しかし、キサラギは女だ。身体つきだけを見れば、むしろ私より女らしい。
「ツキコ、可愛い……」
服をたくし上げられ、乳房が露わになった。その頂点は、ピンと立ってしまっている。それを見て、キサラギはニンマリと笑った。手でその部分を優しくなぞりながら私の耳元に唇を近づける。
「どうして欲しい?」
いつもこうだ。どうして欲しいか分かっている癖に。
耳たぶに熱い息がかかる。キサラギの指はそこを弾き、つまみ、擦った。私の身体は撥ね、震え、熱くなった。
「もっと……強く……っ」
吐息が漏れる。あまり声を出すと周囲に何をしているかバレてしまう。いや、もしかすると私たちの関係はとっくに周知のことなのかもしれない。ただ、皆がいつ入ってくるかもしれないこの空間で、このような行為に及んでいることが私をこれ以上なく興奮させているのも事実だった。
「変態だよね、ツキコは……」
キサラギの指が、濡れた私の中に入ってきた。
*
乱れた服を正し、私たちは改めて向かいあった。
「ん……ごほん。では、キサラギさん、報告を」
私の咳払いを合図に、にやついていた顔を戻し、凛とした表情になるキサラギ。
「全長は10メートルほどでしょうか。胴回りは3メートル、いつもと同じ程度のサイズです。ただ」
「ただ……そうだね、間違いなく、私たちの拠点、ここに近づいてきてる」
「ミミズたちに意志があるとでも?」
「ミミズたちの意志じゃない」
私は唇を噛んだ。イシイハヤテ。世界を滅ぼした張本人。
私たちの組織が結成されたその目的は、彼を断罪することにある。
「イシイハヤテ……ツキコは見たことがあるんですよね」
「全ての発端、その現場に私は偶然出くわした」
「……彼を断罪することに意味はない」
「しかし、これは世界の意志なんだよ。殺された世界の、遺言のようなもの。そしてそれは、ここにいる私たちだけじゃなく、死んだこの世界に生きている人たちみんなが共有しているはずだよ」
「勿論、私も」
キサラギは深く頷きながら、そう答えた。
そのとき。
「……っ!?」
この感覚。これは、あの日の、卒業式以来……!
全ての風景が、全ての音が、全ての感覚が、全ての私が。
「ツキコ、久しぶり」
生まれて、死んだ。
*
イシイハヤテはにやにやしながら私に向かってきた。
「見ていたよ。なんだ、君、僕が好きなんじゃなかったの?」
キサラギは一直線に走り、モニター横の警報システムのスイッチを押した。そして、振り返るその手にはいつの間にか銃器が握られており、迷うことなくその引き金をイシイハヤテに向かって引いた。
警報のけたたましい音と同時に火薬の爆ぜる音。イシイハヤテは全く動かなかった、否、動けなかったはずだ。キサラギのあの速さに対抗できるはずもない。
「僕は、この世界に復讐するんだ」
地面が割れた。弾丸の軌道はそれ、イシイハヤテはそのまま割れた地面に呑み込まれていった。
「何だ、何なんだ!」
キサラギは激昂している。一体それは何に対してか。私には分からない。
私には、もう、何も分からなくなった。
やがて、私がもう一度生まれるまで。
*
君は選ばれたんだ。
声が聞こえる。一体どこから? いや、その前に、私に音を聞く器官は存在しない。私自身が存在していないのだから、それは当然だ。鶏と卵どちらが先か論なんかよりよっぽど分かりやすい結論。
であれば、この声は声なのか? 或は、そう、或は。
選ばれた? 何に?
また驚く。この言葉はどこから発せられた? まぁいい。とにかく、今は対話に集中しよう。
決まっているだろう。
決まっているだって?
そう、決まっている。
つまり?
ミミズだよ。
ミミズぅ!?
そう、君はね、ミミズの中にいるのさ。
私が?
君が。
待って、意味が分からない。
分かるさ。
分からない!
だって、実は君は知っている、理解しているんだ。
なんだって。
今は分からないかもね。
分からない。
だから、もう一度生まれてごらん。
*
目覚ましの音が聞こえた。私は手探りでアラームのスイッチを押す。音は止まった。
「んあ……」
一体今は何時なんだ。
午前8時。そうだ、今日は先輩の卒業式で……。
!? 眠っていた脳が覚醒した。先輩の卒業式……つまり、今日が、世界の終わる日? であれば、私が今まで過ごした世界はどうなった。いや、待て。
深く息を吸って、吐いた。だが、縺れに縺れた糸は決して元の糸毬には戻らなかった。
「……時を、遡った……?」
私が今までいた世界。死んでしまった世界から3年前に今私はいるのか。何故? キサラギは、割れた地面に落ちていった彼はどうなった。
「……まぁいいか」
考えたって仕方ないし、きっと考えてもこの問いに答えは出ない。ならば、未来を知る私にできることとは何だろうか。決まっている。
「彼を止めないと!」
私は部屋を飛び出そうとし、自分が未だパジャマ姿のままでいることに気が付いた。ついでにもう一つ気が付く。あの日、世界が崩壊した日とパジャマの柄が違う。あの日はピンク地に白の水玉だったが、今は青地に白の水玉だ。
着替えを終え、階段を降りて居間へ、味噌汁の良い匂いがしている。そうか、世界が終わる前は、こうして毎日食事がとれたんだ。
「あら、今日は休みなんじゃ?」
いなくなってしまったはずの母がそこにはいた。家の瓦礫に埋もれたあの左腕を思い出し、目頭が熱くなる。
母が近づいてくる。そして、私を抱き締めた。
「怖い夢でも見た?」
まるで子供に対するような態度。そうか、今の私は高校二年生、17歳。子供でいてもいいんだ。母の胸に顔を埋め、何でもないよと言うように顔を横に振った。
「今日は変な子ね」
母はクスリと笑い、私の髪をくしゃくしゃと撫でた。
ゆっくり朝食を噛みしめる。これが、もしかすると最期の朝食になるかもしれないのだ。
「お母さん」
「ん?」
「私、お母さんのこと大好き。ありがとう」
私は立ち上がって、玄関へと歩いて行く。
「ツキコ……?」
「世界を、救いに行ってきます」
*
「イシイハヤテ!」
私は体育館の裏、焼却炉の前で何かを手に持った彼を見つけた。
「ツキコさん、どうしたの?」
「どうしたの、だって?! あなたは何を企んでいるの、今から、この体育館の中で、何をするつもりなの!?」
「……いや、よく分からないな。君こそ何を言ってるんだよ」
「っっ!!」
私は彼に近付き、その顔を思いっきりはたいた。
「……痛いじゃないか」
「痛いでしょう。痛くしたんだから当たり前だよ」
「……君も、やっぱり僕を否定するんだね」
急に、雰囲気が変わった。空気の臭いが変わった。世界の色が変わった。
「そうか、なら、やっぱり僕は世界に復讐することにするよ」
「……っ!」
*
ふふふふふふ。
何だよ。
世界を救うんじゃなかったの?
うるさい。
私はここに存在しないはずなのに。存在しない私に存在しない耳が存在しない熱を帯びた。
きりっとしてさ、ふふふふふふ。
んあぁぁああああああもぉおおおおおおおおお!!!
駄々をこねても駄目さ。僕はしつこいからね。
ふん。
ぷい、と顔を背ける。勿論、顔なんてないが。
さて、次は何処に生まれるのかな。
それは誰が決めるの? ミミズ?
分かってきたね。さぁ、行こうさ。
*
世界が滅びてから、丸一年が過ぎた。死体はもう見飽きたし、ミミズにももう慣れてきた。あんなに苦手だったはずなのに、不思議なものだ。あのヌルヌルにも、テカテカにも、今は何の嫌悪感も感じない。きっと、代わりに別の感情が生まれたからだろう。激しい憎悪だ。
「うわぁああああああああ!」
誰かの叫び声が聞こえた。私はボロボロになった学校指定の鞄の中からフルーツナイフを取り出した。声の方へと向かい、女の子がミミズの群れに襲われているのを確認する。数は3つ。
「たす、助けてぇえええええ!」
あたりは廃墟ばかりで、人っ子一人見当たらない。そんな中でも、微かな希望に縋り、あらん限りの声で叫び続けるのだ。私がその希望になるか? いや違う。私ではない。
私は彼女に向かってフルーツナイフを投げた。ミミズに乗りかかられ、少女の下半身は潰れている。もぞもぞとミミズが動く度に下敷きとなった肉からは血が噴き出し、少女は悲鳴を上げる。交尾をしているようだ、となんとなく思った。とにかく、そんな状態の彼女でも、手を伸ばせば届く、そんな距離にフルーツナイフは落ちたのだ。
「あ……」
彼女が、瓦礫の隙間から様子を見ている私に気づく。ナイフの意図を、彼女は汲んでいるようだ。手を伸ばし、柄に手をかける。刃をゆっくりと自分の喉元近くに寄せていく。
「……!」
しかし、その切っ先は喉には触れず、ミミズの身体を引き裂いた。蠢き、ミミズが少女から離れる。息を荒げながらも、少女の目は笑っていた。いや、実際に声も上げていた。
「はははははははははははは!」
声にならない声、音にならない音を立て、ミミズ3匹が少女に一斉に襲い掛かる。
「え……?」
ミミズの動きと同時に、私の足も地面を蹴っていた。何故? 理由は分からない。鞄から出刃包丁を取り出し、少女に襲い掛かるその一体を引き裂く。時間がない。こいつらは自らが傷つけられると仲間を呼ぶ習性がある。私にできるのは、この三匹を八つ裂きにするか、或は下半身がずたずたの少女を引きずって三匹から逃げる。又は私一人で逃げることだが、このときの私は、何故かこの少女を見捨てるという選択肢がまるで頭に無かった。
「ぐ……」
選択肢を選ぶより先に、ミミズが私を取り囲んでいた。万事休す。しかし、これまで生きてこれたことが幸運だったのだ。ここで終わっても……いや、駄目だ。私が死ねば、次はあの少女が狙われる。
「あぁあああああああああああああああああああああ!」
絶叫、疾走。いわゆるヤケだ。とにかく、この三匹を殺しさえすればそれでいいのだ。迷う暇があるならば、とにかく突いて、刺して、抉ればいい。体液が飛び散る。叫ぶ巨体が私の左半身を打つ。折れた? 砕けた? 知ったことか。私もまた貫き、裂き、剥いだ。
ブラックアウト。
そして、闇が晴れる。目を開けば、少女の顔があった。腸がはみ出るその半身を引きずって、しかし、その瞳から流れる涙は決して痛みから来るものではなく、九死に一生を得た、純粋なる生の喜びによるものだった。
「……ありがとう」
「……あぁ……君の名は?」
「ミナギ……ミナギキョウコ……」
*
理解したかい?
何を?
何をとは。
何をとは何を?
何をとは何をとは。
くどいよ。
言ったろ。僕はしつこいって。
で?
理解したかい?
何を?
何をとは。
何をとは何を?
何をとは何をとは。
む……。
ふふふふふふ。
*
僕の話をしてもいいかな? うん。僕の名前はイシイハヤテ。僕は、生まれたときに世界に否定されたのさ。要はね、親に捨てられた。子供にとって、世界とは何だろう。例えば、苛められた子供が自殺するのは、何故だろうね。それは、きっとさ、学校が、その子にとっての世界だからなんだ。世界から拒絶されたら、どうするかな。死ぬしかない。
幸運なことに、僕は学校を世界とは定義していなかった。あれは、ただの共同体に過ぎないからね。僕にとっての世界とは、家だったんだよ。僕がいて、母親がいて、父親がいて、そうそう。僕には弟がいてね。彼は世界に認められていたようだったけれど。悲しいよね、僕は父親に殴られて、母親は弟ばかり可愛がるんだ。まぁでも、僕にとってはそれは偽りの世界だから耐えることが出来た。
あるとき、世界を取り戻そうと思った。本当の親を探しに行ったんだ。でもね、否定されたよ。僕の存在は許されなかったんだ。つまりさ、僕は、そこで殺されてしまったんだ。
だから、復讐するんだ。僕を否定した世界を。
恨んで恨んで、いつの間にか、世界の解釈は拡大していった。家族も、学校も、社会も、文字通りの世界も、全て、全て。僕は真っ黒に塗りつぶされてしまったんだ。
でもさ。
なのに。
君はどうして。
「イシイハヤテ!」
私は体育館の裏、焼却炉の前で何かを手に持った彼を見つけた。
「ツキコさん、どうしたの?」
「どうしたの、だって?! あなたは何を企んでいるの、今から、この体育館の中で、何をするつもりなの!?」
「……いや、よく分からないな。君こそ何を言ってるんだよ」
「っっ!!」
私は彼に近付き、その顔を思いっきりはたいた。
「……痛いじゃないか」
「痛いでしょう。痛くしたんだから当たり前だよ」
「……君も、やっぱり僕を否定するんだね」
急に、雰囲気が変わった。空気の臭いが変わった。世界の色が変わった。
「そうか、なら、やっぱり僕は世界に復讐することにするよ」
「……っ!」
*
ふふふふふふ。
何だよ。
世界を救うんじゃなかったの?
うるさい。
私はここに存在しないはずなのに。存在しない私に存在しない耳が存在しない熱を帯びた。
きりっとしてさ、ふふふふふふ。
んあぁぁああああああもぉおおおおおおおおお!!!
駄々をこねても駄目さ。僕はしつこいからね。
ふん。
ぷい、と顔を背ける。勿論、顔なんてないが。
さて、次は何処に生まれるのかな。
それは誰が決めるの? ミミズ?
分かってきたね。さぁ、行こうさ。
*
世界が滅びてから、丸一年が過ぎた。死体はもう見飽きたし、ミミズにももう慣れてきた。あんなに苦手だったはずなのに、不思議なものだ。あのヌルヌルにも、テカテカにも、今は何の嫌悪感も感じない。きっと、代わりに別の感情が生まれたからだろう。激しい憎悪だ。
「うわぁああああああああ!」
誰かの叫び声が聞こえた。私はボロボロになった学校指定の鞄の中からフルーツナイフを取り出した。声の方へと向かい、女の子がミミズの群れに襲われているのを確認する。数は3つ。
「たす、助けてぇえええええ!」
あたりは廃墟ばかりで、人っ子一人見当たらない。そんな中でも、微かな希望に縋り、あらん限りの声で叫び続けるのだ。私がその希望になるか? いや違う。私ではない。
私は彼女に向かってフルーツナイフを投げた。ミミズに乗りかかられ、少女の下半身は潰れている。もぞもぞとミミズが動く度に下敷きとなった肉からは血が噴き出し、少女は悲鳴を上げる。交尾をしているようだ、となんとなく思った。とにかく、そんな状態の彼女でも、手を伸ばせば届く、そんな距離にフルーツナイフは落ちたのだ。
「あ……」
彼女が、瓦礫の隙間から様子を見ている私に気づく。ナイフの意図を、彼女は汲んでいるようだ。手を伸ばし、柄に手をかける。刃をゆっくりと自分の喉元近くに寄せていく。
「……!」
しかし、その切っ先は喉には触れず、ミミズの身体を引き裂いた。蠢き、ミミズが少女から離れる。息を荒げながらも、少女の目は笑っていた。いや、実際に声も上げていた。
「はははははははははははは!」
声にならない声、音にならない音を立て、ミミズ3匹が少女に一斉に襲い掛かる。
「え……?」
ミミズの動きと同時に、私の足も地面を蹴っていた。何故? 理由は分からない。鞄から出刃包丁を取り出し、少女に襲い掛かるその一体を引き裂く。時間がない。こいつらは自らが傷つけられると仲間を呼ぶ習性がある。私にできるのは、この三匹を八つ裂きにするか、或は下半身がずたずたの少女を引きずって三匹から逃げる。又は私一人で逃げることだが、このときの私は、何故かこの少女を見捨てるという選択肢がまるで頭に無かった。
「ぐ……」
選択肢を選ぶより先に、ミミズが私を取り囲んでいた。万事休す。しかし、これまで生きてこれたことが幸運だったのだ。ここで終わっても……いや、駄目だ。私が死ねば、次はあの少女が狙われる。
「あぁあああああああああああああああああああああ!」
絶叫、疾走。いわゆるヤケだ。とにかく、この三匹を殺しさえすればそれでいいのだ。迷う暇があるならば、とにかく突いて、刺して、抉ればいい。体液が飛び散る。叫ぶ巨体が私の左半身を打つ。折れた? 砕けた? 知ったことか。私もまた貫き、裂き、剥いだ。
ブラックアウト。
そして、闇が晴れる。目を開けば、少女の顔があった。腸がはみ出るその半身を引きずって、しかし、その瞳から流れる涙は決して痛みから来るものではなく、九死に一生を得た、純粋なる生の喜びによるものだった。
「……ありがとう」
「……あぁ……君の名は?」
「ミナギ……ミナギキョウコ……」
*
理解したかい?
何を?
何をとは。
何をとは何を?
何をとは何をとは。
くどいよ。
言ったろ。僕はしつこいって。
で?
理解したかい?
何を?
何をとは。
何をとは何を?
何をとは何をとは。
む……。
ふふふふふふ。
*
僕の話をしてもいいかな? うん。僕の名前はイシイハヤテ。僕は、生まれたときに世界に否定されたのさ。要はね、親に捨てられた。子供にとって、世界とは何だろう。例えば、苛められた子供が自殺するのは、何故だろうね。それは、きっとさ、学校が、その子にとっての世界だからなんだ。世界から拒絶されたら、どうするかな。死ぬしかない。
幸運なことに、僕は学校を世界とは定義していなかった。あれは、ただの共同体に過ぎないからね。僕にとっての世界とは、家だったんだよ。僕がいて、母親がいて、父親がいて、そうそう。僕には弟がいてね。彼は世界に認められていたようだったけれど。悲しいよね、僕は父親に殴られて、母親は弟ばかり可愛がるんだ。まぁでも、僕にとってはそれは偽りの世界だから耐えることが出来た。
あるとき、世界を取り戻そうと思った。本当の親を探しに行ったんだ。でもね、否定されたよ。僕の存在は許されなかったんだ。つまりさ、僕は、そこで殺されてしまったんだ。
だから、復讐するんだ。僕を否定した世界を。
恨んで恨んで、いつの間にか、世界の解釈は拡大していった。家族も、学校も、社会も、文字通りの世界も、全て、全て。僕は真っ黒に塗りつぶされてしまったんだ。
でもさ。
なのに。
君はどうして。