今回は、「ハイパー片思い」 人形先生の漫画を紹介しよう。
人形先生は、話づくりを絵もメチャクチャうまい方である。雑誌で連載しててもおかしくない完成度だと思う。念のために、過去作であるブレーメンズも読ませていただいたのだが、この方は、画力も非常にある方というのがわかった。
人形先生の漫画は、基本的に日常系のギャグ漫画だと思う。日常系漫画とは、ある集団におけるキャラの性格や関係性を楽しむ漫画のことである。あずまんが大王などが典型的な例だ。
その日常系の漫画の中でも、ぼくが感じる人形先生の漫画の特徴を列挙しよう。
1 キャラに、サディストしかいない。
日常系の漫画における基本的な細胞は、ボケとツッコミなのだが、人形先生の漫画は基本的にサディストばっかりだ。ブレーメンズの校長先生など明らかなMキャラもいるのだが、意外と影が薄い。
人形先生の真骨頂は、サディスト同士のボケとツッコミである。サディスト同士のボケとツッコミを考えている時こそ、人形先生にとっての愉悦の時間なのではないか。
ハイパー片思いのヒロインも、一見Mキャラに見えるが、あれはただの偽装であって本質は明らかにサディストである。しかも、とんでもないレベルのサディストである。
2 ヤンキーは出てこないが、それにもかかわらず、男がやたらと暴力的
前項で指摘したことと、重なるが、一見優男風の人物がやたらと暴力的か人でなしである。
3 女の子はかわいいが、それにも関わらずやたらと暴力的
前項で指摘したことと、重なるが、一見美少女風のキャラがやたらと暴力的か人でなしである。
4 意外と女の子同士の関係性は描かれない。
この辺りは、あずまんが大王が女の子同士の関係性しか描かれないのと対照的であろう。
5 人形先生の漫画は、死の欲動が大きく作用している気がする。
ここは、本質的なことなので、少し説明しよう。精神分析医のフロイトは、人間の欲動を生の欲動(エロス)と死の欲動(タナトス)の2種類に区分した。欲動と言うのは、人間を突き動かす、なんだかわからないもやもやした衝動のようなものだと思っていただきたい。エロスと言うのは、「つながりたい、関係性を持ちたい」という欲望につながる欲動であり、死の欲動とは、「切断したい。死にたい。殺したい」と言った破壊性につながる欲望につながる欲動である。
例えば、ハイパー片思いでは、エロス(関係性)を希求するヒロインに対して、タナトス的な方法で、佐渡君が切断することで笑いをとる仕組みになっている。
6 人形先生のほとんどの漫画がタナトス優位である。
そのように考えると、人形先生のほかの漫画も、エロス的なものが立ち上がってくると、暴力的にタナトス的な方法で、エロスの息の根を止めようとしているのがわかってくる。人形先生の漫画が持っている暴力性はたぶんこれである。
人形先生の作品は、直近になるほど、描線が、きっちりとしたものに変わってきているが、このあたりの強迫的な傾向にもタナトス的なものの優位を感じる。
7 結論
人形先生のこの暴力性が最終的に、どこに向かうのかわからない。ただ、非常に才能のある方なので、きっとすばらしい昇華を遂げてくれるだろう。