■0『黒髪ストレンジャー』
月曜日は憂鬱だ。始まりは本来、期待と胸の高鳴りに彩られ、とても楽しい予感をもたらしてくれるモノだが、勉強ををしなきゃならないっていう毎日が始まるのなら、それに期待と胸の高鳴りなんてしてられないだろう。
だから、月曜日の授業はすべてサボるに限る。お気に入りの音楽を聞きながら、机に突っ伏し、休み時間は気の合う仲間とくっちゃべる。こうしておけば、俺の学校生活は万事オッケー。世は事もなし。
家に帰ったらギターを引いて、大声で歌って、母ちゃんに怒られ、また火曜日もかったるいから授業は全部寝て、休み時間は気の合う仲間とくっちゃべる。
水曜日も以下同文。木、金も当然で、土日はここから学校が引かれる。
そうしたら、また月曜日に戻ってきて、以下同文。
学生なんてこんなもんだろ? 普通はさ。
その日――何曜日だっけ? ――も、俺は学校に来て、およそ六時間の睡眠を取った後、帰ろうとしていた。ヘッドホンから流れるお気に入りの曲は、かっこいい音とは裏腹に、頭の悪そうな言葉を叫び続けるロックンロール。
これを大音量で聴くのは、胸の中にある邪魔なモノが、ふっとばされていくような爽快感がある。例えるなら、汚い部屋にちらかったゴミを、思いっきり窓の外に蹴っ飛ばす様な。
俺は口パクで歌いながら、帰ろうとしていたが、そんなときだヘッドホンで外界の音をシャットダウンしているのにも関わらず、剣呑な気配を感じさせる光景を見た。
二人の男女が、一人の少女を問い詰めている。
教室の並ぶ廊下、まだ帰宅する生徒達もたくさん残っていて、その光景は衆目を集めていた。当然、俺もその一人。いきなりヘッドホンを外すと、なーんかいかにも『興味あります!』って感じで、かっこわるいから、俺はプレイヤーの音量を下げて、周囲の音を聞いた。
「だから、私はやってません……」
責められている少女は、一人小さな声で、なんとか声を出せた、と言わんばかりの調子で呟いた。黒髪、そしてセーラー服に合わないほど大きな胸。高校生という年齢でありながら、成熟した体と、それに不釣り合いなサイズの合わない大きめのメガネ。
名前は、そう。時雨架子しぐれかこだ。
俺の友達が、告白して玉砕したので、よく知ってる。
今どき珍しい、清純派(どうでもいいが、こんな言葉、アダルトビデオでしか聞かねえよな)で、文学少女。本を持っている知的な姿が印象的、との事。文系が得意で運動が苦手。理系はそこそこ、らしい。
「でもさぁ、時雨が教室から出てくとこ、見たって目撃者がいるんだよ。なぁ、爽子そうこ?」
短く、トゲトゲした髪型で、狐目な男が、隣に立つ茶髪でそばかすの少女――爽子というらしい――を一瞥した。
「そう、私見たの。今日の四時間目、時雨が体育サボってたの。その時でしょ、その時に、丈一じょういちの財布を盗んだんでしょ?」
周囲がざわつく。
まさか、時雨が? いや、でもなぁ、なんて、意味の無い事をくっちゃべっていた。
気に入らない流れである。時雨は泣きそうだ。こんなの、まるでいじめだ。
気に入らない事には抵抗するのが、ロックンロールというモノである。
俺は人混みをかき分け、「それって、なんか確固たる証拠があんの?」と、二対一の間に割って入った。
「なんだ、お前……」
男の方、丈一、つったっけ? が、俺を睨みつける。
負けじと、俺も睨み返した。
「財布、パクられたんだって?」
「それが、どうかしたかよ。お前には、関係ねえだろ」
「ま、ないけどさ。おかしな話だな、っと思って」
「……なにが」
丈一が、苛立った風に声を低くした。どうやら、『もうこいつが犯人でいいだろ』と俺に対して怒っているらしい。そんな理由で犯人にされちゃ、たまったもんじゃないと思うが……。
「だってよ、ロッカーがあんだろ。貴重品はロッカーに入れろって、生徒手帳にも書いてあるじゃん」
ロッカーは、教室の前に置いてある。貴重品はここに置いておくのだ……。
実際に書いてあるかは知らない。だって、生徒手帳確認するのとか、普通しないでしょ。……っていうか、俺の生徒手帳、どこ行ったんだろ?
「なんで、今日に限ってロッカーに入れなかった?」
「それは、早く昼飯を買いに行けるように……」
「じゃあ、もしかして毎日入れてないのか? なら、同じクラスのやつ、全員が盗もうと思えば盗めたはずだろ」
「でも、体育の時間、教室に戻れたのは、保健室に行った時雨だけなんだよ!」
爽子、と呼ばれた女が、俺に向かって怒鳴った。まるで、時雨が犯人である、と決めつけているかのように。むしろ、そうでなくては困る、そう見える態度だ。
「そもそもさぁ……。時雨が体育の時間に保健室へ行ったから、って理由で犯人にされてるのが、納得いかねえんだよな。おい、時雨」
「はっ、はい!」
なぜか、ここ一番で大きな声を出す時雨。
それを丈一と爽子のコンビにぶつけろ。俺にぶつけるな。
「なんで体育の時間に、教室へ戻った?」
「それは……。運動が、あまり得意ではなくて、具合もよくなかったので……」
「よくあることなのか?」
頷く時雨。文学少女の割に、体育に関しては真面目じゃねえんだな。ちょっとだけ親近感。
「ふんふん……。財布が盗まれた、と発覚したタイミングは?」
「えと……。体育が終わって、すぐだと思います。更衣室から帰ってきたら、騒ぎになってたので……」
そこから、爽子が『荷物チェックをしよう』と言い出し、時雨のかばんから丈一の財布が出てきたらしい。だが、授業が残っているので放課後になるまで騒ぎにはしないよう、と担任からの思し召し。
そんな気まずい空気で授業なんてやっても、しんどいだけだと思うがなぁ。
それはさておき、 俺の中には、二つの推理があった。一つは、目の前の男が狂言で『財布を盗まれた!』と言っている説。だがまあ、これは正直、不可能だろう。
「時雨は、かばんをロッカーに入れてるよな? ロッカーの鍵は、肌身離さず持ってるか?」
再び、頷く時雨。
そうなると、鍵を持つ時雨以外、かばんには触れられない。
「かばんを取り出したのは、体操着袋を取り出す時だけです……」
「体操着袋はどうした」
「……授業中は、更衣室に置きっぱなしです」
男子は教室で着替える事を義務付けられているので、時雨のかばんに財布を仕込む暇がない。
教室で仕込む、というのはリスキーすぎる。目撃者が多いし、まずそんな危険は冒せない。時雨が本当にやった、というのなら、まず間違いなくただの窃盗だろうが、それでは俺が出てきた意味が無い。誰かに罪をなすりつけられたというのも、なくはないが、この場からサクッと時雨を助け出すには、共犯説が最もありがたい。
だが、それも不可能だ。財布はおそらく、授業開始前に渡されたのだろう。
計画的な犯行なら、人目につかないタイミングで手渡すことは簡単。
つまり、おそらくは時雨を責めているこの二人こそ、共犯――。
「おい、時雨」俺は、時雨の耳に唇を寄せて、小さくしゃべる。顔を真っ赤にして、時雨は、「は、はいっ」と肩を小さくしていた。
「例えば、この二人から恨みを買ってる事とかって、無いか?」
「え、えと……。その、本田くんから、告白されて、断ったくらいしか、接点が無いんで……」
あ、そう。
男の逆恨みってことか。みっともないねえ。
俺は思わず、道端に落ちてる手袋を見るみたいな気持ちで、丈一を見た。そっか、本田丈一ってのか。明日には忘れてるだろうけど。
「時雨だけに犯行が可能だった、ってのが、お前らが時雨を責めてる理由なんだよな?」
「そうだよ!」叫んだのは、なぜか爽子とやらの方だった。
丈一はそれに遅れて、頷く。
「……時雨って、本当に加害者なのか?」
「何言ってんだよ。財布盗んだやつが、被害者なわけねえだろ」
丈一とやらの言葉も、もっともではある。だが、動機がそっちにある以上、時雨と同じ土俵に立ってもらわないと、不公平だ。
「例えば、なんだけど。今日の体育開始前に、財布を丈一が、爽子ちゃんに渡す事って、できるよな?」
「……それが、どうかしたか?」察しの悪い丈一は、俺がいきなり英語をしゃべりだしたみたいな目で見てくる。
「そんで、爽子ちゃんが、女子更衣室で、時雨の体操着袋に財布を突っ込む事も、まあ、できなくはないだろ?」
「ばっかじゃねえの!?」
つばを飛ばしかねない勢いで、爽子ちゃんが怒鳴った。女の子の怒鳴り声って、胸を突き刺すように鋭いよな。
「なんで、あたしがそんな事しなくっちゃならないんだよ!?」
「動機は後々探ってもいいけど……。そうだな、ありそうなのは、丈一くんが好きだったから、とかどう?」
「……なっ」顔を真っ赤にする爽子ちゃん。どうやら、見かけと態度によらず、結構ウブらしい。
「丈一は、時雨に告白して振られてる。それを逆恨みした丈一は、なんとかして時雨に、自分が負ったのと同じだけの精神的苦痛を与えてやりたかった。それで思いついたのが、今回の財布窃盗。疑惑でもなんでも、『あいつは盗んだかもしれない』と思わせることができれば、時雨みたいな子には大ダメージだろ」
しゃべっていると、自分の中でまとまっていなかった部分まで芯を持ったようになってきて、なんだか楽しくなってきた。俺は、少しだけ興奮していた。
「だが、その疑惑も、できるだけ確信に近い方がいい。その為には、机の中に入れておく、だけじゃダメだ。それだと簡単すぎて、時雨を信じる側のほうが多くなるかもしれない。だから、手間を踏む必要がある。幸い、時雨は体育を休みがちらしいからな。その時に、財布を時雨のかばんに仕込もうと思ったんだろうが……。時雨は、ガードが硬い女の子」
時雨のロッカーには、しっかりと鍵がかかっている。だから、時雨のかばんには仕込めない。
だがもし、そこに仕込めれば、時雨の窃盗疑惑は高まる。
「そこで、爽子ちゃんの登場ってわけだな。丈一が相談したのか、あるいは爽子ちゃんから話を持ちかけたのかはともかく、同じ女子なら、更衣室内で仕込める」
「ちょっと待ちなよ! 更衣室でも、仕込むのなんて無理じゃない!」
爽子ちゃんは、俺に詰め寄ってきた。今にも胸ぐらを掴んできそうだ。気性の荒い子だなぁ。
「私は、体育を途中で抜け出したりなんてしてない!」
「別に、途中で抜け出すだけが仕込むタイミングじゃないでしょ」
俺は、一歩退いた。怒っている人間に近寄りたくないのは、本能みたいなものだ。
「例えば、授業開始前、体操着へ着替え終わった後、「トイレへ行く」とか言って、一旦更衣室へ戻る。人目が無いのを確認したら、時雨の体操着袋に財布を入れる。これでオッケー」
爽子ちゃんが、顔を真っ赤にしていた。まるで親の敵でも見るみたいに、俺を視線という暴力に晒していた。
「……どう? 自分たちもおんなじくらい疑わしいって、わかったろ」
周囲を見る。どうやら、先ほどまでの『時雨がやったんだろ』という空気が、『実は時雨やってないんじゃないか……?』くらいまでは和らいだらしい。後は善意の野次馬が情報を出してくれるだろう。
「そんじゃね、時雨を早いとこ開放してあげなよ」
俺はそそくさと、人混みを掻き分ける。人助けした後は、気持ちが良い、と、思いつつ、実は時雨がやってたら、俺最高にカッコ悪いなぁ。そう思いながら、俺はヘッドホンをした。
背後から聞こえる、時雨の呼ぶ声を、無視した形になって、俺は帰宅した。
■
そして、翌日。
あの後、どうやらほとんど俺の言った通りであることが、善意ある野次馬の皆様方から集まった情報で、確定した。
丈一は振られていて、爽子ちゃんは丈一のことが好きだったと判明。そうして二人は、なんだかんだ付き合いだすことにはなったが、自分たちの上に立っている様な時雨の存在が許せず、今回の犯行に及んだという。
時雨はそれを許し、学校側も、大事にしたくないからと、二人は停学を食らっただけで済んだとのこと。お人好し。
「本当に、ありがとうございます」
それらすべてを報告してくれた時雨は、俺に頭を下げた。
俺は、眠気を抑えてそれを聞いていた。事件の翌日、登校して早速寝ようとしたら、時雨がやってきて、早口でまくし立てるモノだから、寝るタイミングを逃してしまった。
「お礼はいらないから、寝かせて。眠いの」
「……もう朝ですよ?」
「朝は眠いもんでしょ」
「それは夜では?」
「夜は眠くないでしょ」
時雨は、顎に人差し指を当てて、首をかしげた。
「とにかく、ほんと、お礼とかいらない。あの場ではああするのがロックだと思ったの」
「ロック……、かはわからないですけど、かっこよかったです。それで、あの、一つ、お願いがあるんです」
「……なに?」
まだなんかあるの、と思ったが、昨日は俺が勝手に首を突っ込んだだけか。
頼み、ってなんだろう。
「栗林総悟くりばやしそうごさん」
唐突に、俺のフルネームを呼び出す時雨。
「あなたを名探偵と見込んで、頼みがあります」
……ちょっと待って?
名探偵? 誰が。
「私を、あなたの助手にしてください!」
深々と頭を下げる彼女に、俺は、本能的にこう口走っていた。
「なに言ってんの、お前?」
俺は名探偵じゃねえし、助手もいらねえ。