人の妄想とか信心ってのは、案外馬鹿にできない。
頭の中だけで何かを思うのは勝手だけど、これが何十人何百人と増えるとおかしなことになる。
本当に実体化する。
だからこの世界には悪魔とか妖精とか普通にいる。見えなかったり社会に溶け込んでいたりするからほとんど知られていないけど。
人とは違う、異なる質の者。あるいは現象。
言ってしまえば人外だ。
それとは別に、もう一つパターンもある。
人が持ってる本来のそれとはかけ離れた、異なる能力。
異能だ。
誰だって一度は思うことだろう。
『超能力を使いたい』
『自由に空を飛びたい』
『手から火を出して操ってみたい』
『透視で女湯を覗きたい』
そういう欲望とか願望も、望む者が多ければ実際に発現する。
ただ、指定は無い。
誰かの望んだ能力が、望んでもいない誰かに付与されることもままある。
望んでいない人にとっては、はた迷惑な話だ。
テレビとかに出て来るマジシャンとか超能力者の一部はおそらく本物だろう。そういう異能を用いて稼いでいるんだ。
望んでいない人は力を隠して、望んだ人は力を発揮して利用する。
多分、人間の中で異能を持ってる者の大半は隠していると思う。下手に使って気悪がられたり居場所を失くしたりするのは誰だって怖い。
俺だって怖い。だから隠してる。
普通に学校へ通うのに、おかしな力は必要無いし。
たまに人外に会うこともあるけど、なるべく関わらないようにもしてる。巻き込まれるのも嫌だから。
だから俺の場合は力は使わない。どうしても必要な時ってのはあるけど、使うのはギリギリまで待つ。
「…いつまで粘るつもりだよ、ああ?」
「……」
だから今も使わない。別に使うべき時ではないから。
「さっさとあるモン全部出せよ、顔面の面積倍になるまで殴られてえのか」
「…………」
左右に二人、後ろの一人、正面に一人。
計四人に囲まれているここは、薄暗い日陰の校舎裏。
だらしなく制服を着崩した不良みたいな風貌の男、ってか不良か。
俺は不良にカツアゲされていた。
「聞いてんのかよ!」
正面のいかつい顔した男が拳を振り上げる。顔を少し逸らして、どうにか顔面パンチは避ける。
既に何発かもらっていた。顔面と腹。体格が大きいせいか、一発も随分重い。
俺に暴力を振るっているのは正面の男だけだ。他三人はニヤニヤとした笑みを貼り付かせてそれを見ているだけ。俺を逃がさない為に包囲してるだけなんだろう。
「…いや、だから無いって言ってるじゃないですか」
「だからそれを確かめる為に財布出せって言ってんだ!」
大振りのパンチが俺の腹に沈む。胃液が込み上げてくるが、かろうじて堪えた。
「いって……。なんで、俺なんすか。もっと金持ってそうなヤツいるでしょうに」
俺のどこをどう見たら金がありそうに見えたんだろうか。カツアゲするならもっとちゃんと相手のこと見ろよ。
「テメエから取ることに意味があんだよ、クソ生意気なツラしやがって」
ああ、どうやらこいつら金に困ってるってわけじゃなさそうだ。
俺をボコりたくて囲ってるのか。で、ついでに有り金も奪い取ってやろうと。
相手は二年の先輩っぽいけど、全然知らない顔だ。接点も何もないのになんで俺に絡むんだろうか。
どうしよう。早く帰りたいのにこれじゃ財布奪われてボコボコにされるまで終わりそうにない。
おとなしく金出して土下座でもすれば済むのか。でもそんなの絶対嫌だ。
使うべき時ではない、けど。もう面倒臭かった。
(三倍くらいか)
「オラぁっ!!」
右手を軽く握り、反撃されることをまるで考えていない不良の大振りを避けて腹の中央へ一発叩き込む。
思った以上に深く拳は突き刺さり、一瞬不良の両足が地面から離れて浮いた。
「ぐ…?げぼぉあっ!?」
何が起きたのか理解が追い付いていない様子の不良は、殴られた腹を両手で押さえて膝を着き、地面へと盛大に吐いた。
吐瀉物が掛からないように一歩下がってから、えづく不良の側頭部をぶん殴った。
真横に吹っ飛んで、不良は制服をゲロまみれにしながら失神した。
やばい、やり過ぎたかもしれない。
嫌な汗をかきながら、俺は気絶した不良を横目に、驚きで身動きが取れずにいた他三人の不良を順繰りに見る。
連中はあまり喧嘩に自信がないのか、それとも今の光景を目の当たりにして殴り掛かる気にもならなかったのか。誰も俺に突っかかってこない。
これならもうよさそうだ。
「早くその人連れてってください。あと、もう俺に関わらないでくださいね」
それだけ言って、俺は足早に校舎裏から脱出した。
悪いのは連中だけど、やっぱりやり過ぎたかなと思う。
あとで先生とかに報告されたらどうしよう。でもこれも正当防衛だよな、多少過剰だったかもだけど。
第一話 力のある者の過ごし方
学校にいるとロクなことが無い。
さっさと帰って部屋に引き籠ろう。そう思って一学年の自分のクラスへ向かう。放課後になっていきなり絡まれたから鞄を教室に置きっ放しだ。
階段、廊下と知った顔に挨拶をされ、それに適当な返事をしながらふと殴られた頬に触れる。
少し腫れているかな。熱を持ってジンジンと痛みも発している。帰ったら氷嚢で冷やさないといけないな。
最悪だ。俺が何かしたんだろうか。まず何もしていないとは思うが、あの二年の先輩方はなんで俺を標的にしたのか。こっちは顔も知らないってのに。
もうこれ以上厄介なことになるのは御免だ。
自分のクラスに着き、中へ一歩踏み出してから、その足が止まる。視線が固定される。
授業が終わりしばらく時間も経過して、誰もいないと思っていた放課後の教室にまだ人がいたからだ。しかも知っている顔。
いや俺のクラスの人なんだから顔くらい知ってて当然なんだが、そういう意味ではなく。
その人、その女性は、俺のよく知る二年生の先輩だった。
俺の席に腰掛け、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
開けっ放しの窓から時折吹き込む微風に、長く艶やかな黒髪がふわりと揺れる。
夕陽が差し込む教室にただ一人儚げに座るその少女。その光景を前に、俺はしばし言葉を失っていた。
「……あ」
そんな俺の気配に気付いたのか、その人はゆるりとこちらへ顔を向けた。
整った端正な顔立ち。長く綺麗な黒髪もあって、和服を着たらさぞ似合うだろうなと常々思っていたりもする。
とりあえず、片手を上げて挨拶する。
「ども、静音(しずね)さん」
久遠(くおん)静音さん。物静かな人だが、不愛想なわけでもなく、むしろ面倒見はかなりいい。
その外見もあって、彼女は二学年では人気者だ。他学年からもファンや好いている人は少なくないだろう。
「どうしたんですか?」
「君を待ってた。まだ、鞄があったから」
席を立ちながら答える静音さんが、細い指先で机の上に置かれたままの俺の学生鞄にとんと触れる。
数多くの人と面識や交友があるにも関わらず、何故か彼女は俺によく接触しようとしてくる。この一学年の教室まで俺と話をしに来ることもある。放課後にってのは珍しいが、放課後であるならそれはそれで理由もわかる。
「ああ、なるほど。すいません、ちょっと私事で」
やや顔を伏せながら、俺は歩み寄って机の上の鞄に手を伸ばす。
「っ……待って」
鞄の取っ手に指を引っ掛けた時、その手を静音さんの手でそっと押さえられた。そのままもう片方の手で俺の顔、正しくは頬に手を当てる。
「…な、なんですか」
「頬、腫れてる」
バレた。
なるべく見えないように顔を伏せてたのに、それが逆に不審がられていたか。まあ堂々と顔上げてたらそれこそ即座にバレていただろうが。
「どうしたの?」
「いや、二学年の先輩に絡まれまして、それでちょっと」
別に俺は悪くないし、訊かれて特別隠すようなことでもなかったので、俺は胸を張ってそう答える。
「二年……そう、酷いことするね」
同じ学年の誰かがやったことだと知って、静音さんは僅かに目を伏せる。
「まあ、結局なんで絡まれたのかさっぱりわかりませんでしたけどね」
まさか本当にツラが生意気だったからだなんて理由で殴られたわけでもあるまい。っていうか生意気なツラでもないだろ俺。多分。
しかしそうじゃないならますます理由がわからない、見ず知らずの先輩に絡まれる何かがあったんだと思うが、心当たりも無いし。
それよりも、
「…えっと、静音さん。そろそろ手をどかしてくれませんか」
ずっと触れたままの手は、一向に離される様子がない。
「少し、じっとしてて」
俺の発言をスルーして、静音さんは俺の頬に触れたままそう言った。
その意図を、俺はすぐさま理解した。
力を使っている。異能の力を。
「いいですよ。そんなことしなくてもすぐ治りますんで」
「駄目だよ。痛みは、長く続くよりは短く済む方がいいでしょう?」
手はどかしてくれなかった。
俺としては、頬が痛むことよりも今の状況の方が困る。
俺の頬に手を当てて、至近距離から真っ直ぐ視線を向けて来る少女。しかも何故か鞄を掴み掛けた俺の手を押さえた片手もそのままだ。
近い。超近い。
もしこの光景を誰かが見たらなんだと思うだろう。
キス直前の現場だ。俺なら間違いなくそう思う。
「……?」
でも当の静音さんはまるで気にしていないようだ。これじゃ俺だけ意識してるのがむしろおかしいんじゃないかとすら思えてくる。
我慢だ、我慢我慢。
せめてこの間だけは誰も通り掛からないでくれ、そう願いつつ無抵抗で彼女の異能を受ける。
やがて静音さんの柔らかい手の感覚が頬から離れる。
「元に戻ったよ。ごめんね、痛みはまだ少し残ると思うけど」
自分の手で触れてみると、腫れていた頬はいつもの状態に戻っていた。言われた通り、痛みはまだあるが。
「いえ、充分ですよ。ありがとうございます」
どんな顔したらいいのかわからず、一礼して改めて鞄を掴むとすぐさま背中を向ける。
「じゃあ、帰りましょうか」
「うん」
俺を待っていた理由はそれだろう。これ以上何かが起こる前にもう帰ろう。
廊下を向けて一歩足を出し、やや斜め後ろから長い黒髪と制服のスカートを揺らす先輩が付いて来ているのを横目で確認してから、俺は正面玄関を目指して二歩目を踏み出した。
さっさと帰って部屋に引き籠ろう。そう思って一学年の自分のクラスへ向かう。放課後になっていきなり絡まれたから鞄を教室に置きっ放しだ。
階段、廊下と知った顔に挨拶をされ、それに適当な返事をしながらふと殴られた頬に触れる。
少し腫れているかな。熱を持ってジンジンと痛みも発している。帰ったら氷嚢で冷やさないといけないな。
最悪だ。俺が何かしたんだろうか。まず何もしていないとは思うが、あの二年の先輩方はなんで俺を標的にしたのか。こっちは顔も知らないってのに。
もうこれ以上厄介なことになるのは御免だ。
自分のクラスに着き、中へ一歩踏み出してから、その足が止まる。視線が固定される。
授業が終わりしばらく時間も経過して、誰もいないと思っていた放課後の教室にまだ人がいたからだ。しかも知っている顔。
いや俺のクラスの人なんだから顔くらい知ってて当然なんだが、そういう意味ではなく。
その人、その女性は、俺のよく知る二年生の先輩だった。
俺の席に腰掛け、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
開けっ放しの窓から時折吹き込む微風に、長く艶やかな黒髪がふわりと揺れる。
夕陽が差し込む教室にただ一人儚げに座るその少女。その光景を前に、俺はしばし言葉を失っていた。
「……あ」
そんな俺の気配に気付いたのか、その人はゆるりとこちらへ顔を向けた。
整った端正な顔立ち。長く綺麗な黒髪もあって、和服を着たらさぞ似合うだろうなと常々思っていたりもする。
とりあえず、片手を上げて挨拶する。
「ども、静音(しずね)さん」
久遠(くおん)静音さん。物静かな人だが、不愛想なわけでもなく、むしろ面倒見はかなりいい。
その外見もあって、彼女は二学年では人気者だ。他学年からもファンや好いている人は少なくないだろう。
「どうしたんですか?」
「君を待ってた。まだ、鞄があったから」
席を立ちながら答える静音さんが、細い指先で机の上に置かれたままの俺の学生鞄にとんと触れる。
数多くの人と面識や交友があるにも関わらず、何故か彼女は俺によく接触しようとしてくる。この一学年の教室まで俺と話をしに来ることもある。放課後にってのは珍しいが、放課後であるならそれはそれで理由もわかる。
「ああ、なるほど。すいません、ちょっと私事で」
やや顔を伏せながら、俺は歩み寄って机の上の鞄に手を伸ばす。
「っ……待って」
鞄の取っ手に指を引っ掛けた時、その手を静音さんの手でそっと押さえられた。そのままもう片方の手で俺の顔、正しくは頬に手を当てる。
「…な、なんですか」
「頬、腫れてる」
バレた。
なるべく見えないように顔を伏せてたのに、それが逆に不審がられていたか。まあ堂々と顔上げてたらそれこそ即座にバレていただろうが。
「どうしたの?」
「いや、二学年の先輩に絡まれまして、それでちょっと」
別に俺は悪くないし、訊かれて特別隠すようなことでもなかったので、俺は胸を張ってそう答える。
「二年……そう、酷いことするね」
同じ学年の誰かがやったことだと知って、静音さんは僅かに目を伏せる。
「まあ、結局なんで絡まれたのかさっぱりわかりませんでしたけどね」
まさか本当にツラが生意気だったからだなんて理由で殴られたわけでもあるまい。っていうか生意気なツラでもないだろ俺。多分。
しかしそうじゃないならますます理由がわからない、見ず知らずの先輩に絡まれる何かがあったんだと思うが、心当たりも無いし。
それよりも、
「…えっと、静音さん。そろそろ手をどかしてくれませんか」
ずっと触れたままの手は、一向に離される様子がない。
「少し、じっとしてて」
俺の発言をスルーして、静音さんは俺の頬に触れたままそう言った。
その意図を、俺はすぐさま理解した。
力を使っている。異能の力を。
「いいですよ。そんなことしなくてもすぐ治りますんで」
「駄目だよ。痛みは、長く続くよりは短く済む方がいいでしょう?」
手はどかしてくれなかった。
俺としては、頬が痛むことよりも今の状況の方が困る。
俺の頬に手を当てて、至近距離から真っ直ぐ視線を向けて来る少女。しかも何故か鞄を掴み掛けた俺の手を押さえた片手もそのままだ。
近い。超近い。
もしこの光景を誰かが見たらなんだと思うだろう。
キス直前の現場だ。俺なら間違いなくそう思う。
「……?」
でも当の静音さんはまるで気にしていないようだ。これじゃ俺だけ意識してるのがむしろおかしいんじゃないかとすら思えてくる。
我慢だ、我慢我慢。
せめてこの間だけは誰も通り掛からないでくれ、そう願いつつ無抵抗で彼女の異能を受ける。
やがて静音さんの柔らかい手の感覚が頬から離れる。
「元に戻ったよ。ごめんね、痛みはまだ少し残ると思うけど」
自分の手で触れてみると、腫れていた頬はいつもの状態に戻っていた。言われた通り、痛みはまだあるが。
「いえ、充分ですよ。ありがとうございます」
どんな顔したらいいのかわからず、一礼して改めて鞄を掴むとすぐさま背中を向ける。
「じゃあ、帰りましょうか」
「うん」
俺を待っていた理由はそれだろう。これ以上何かが起こる前にもう帰ろう。
廊下を向けて一歩足を出し、やや斜め後ろから長い黒髪と制服のスカートを揺らす先輩が付いて来ているのを横目で確認してから、俺は正面玄関を目指して二歩目を踏み出した。
「…ねえ、守羽(しゅう)」
学校を出た途中の道で、静音さんに名前を呼ばれた。
「はい、なんですか?」
「力、使ったの?」
それだけの言葉で、静音さんが言いたいことがわかった。
二年の先輩に絡まれた時に、俺が異能を使って追い払ったのか、と。
静音さんはそう訊いたのだ。
「はい、使いました」
だから、俺もその問いに対して簡潔に答える。
「……そう」
俺の返答に、静音さんはそれだけを吐息混じりに呟いた。
良いとも、悪いとも言わない。
わかっているんだ、俺が使いたくて使ったわけじゃないことに。俺が自分の力をあまり使いたがらないことを、彼女はよく知っているから。
だから彼女は、
「あまり、無理はしないでね。どうしようもなかったら、私がなんとかするから」
そう、俺を気遣うように言ってくれた。
静音さんとはT字路で別れた。
上品に手を振る静音さんに同じように手を振って、俺は彼女の背中が見えなくなるまでその場で見送った。
本当なら、まだ明るい内だろうが家まで送り届けるべきだったんだが。
そういうわけにもいかなかった。
(最悪だ…)
視線を上にやると、電柱の上にいた『何か』はすぐさま飛んで姿を消した。
あのふざけた身のこなし、そもそも電柱の上にいた時点で普通じゃない。
(人外、か)
人でない者。
面倒臭い。が、放っておくわけにもいかない。
どうせ、ヤツは今夜にでもまた出るだろう。どうあっても俺に構ってほしいらしい。
実に久しぶりだが、仕方ない。
来る以上は迎え撃つだけだ。
「ただいま」
ごく普通の一軒家の玄関で、俺はいつも通りの帰宅の挨拶を投げる。
「あーおかえりー」
玄関から続く廊下の奥から返事が届く。
靴を脱いで、居間へ向かう。すると、居間から繋がっている台所からぱたぱたと軽い足音を立てて一人の女性がやってきた。
「お疲れさま、守羽。学校はどうだった?」
「いつもと変わらないよ」
母さん、と言っても初見の人は誰も信じない。
その理由は、顔が似てないからとかじゃない。むしろ俺は母親似って断言できるくらいに母さんと顔立ちは似通ってる。
だからよく言われる、姉弟と。
ありえないくらい若い外見のせいで、うちの母親は俺の姉だと間違われる。息子である俺の目から見ても、二十代前半、下手すりゃ十代でも通る幼さだ。
未だに近所では母親だと信じていない人がいるし、未だに同級生の中には俺に姉がいると思ってるヤツがいる。
可哀想なのは父さんで、たまに犯罪者扱いされたりロリコンと指差される時がある。時折涙目で帰って来る時とか大抵そういう時だ。
でも父さんと母さんは同年代らしいから、少なくとも四十代であるのは間違いないはず。
なんだが。
「そう?なら良かったね」
にっこり笑う母さんはどう見ても四十代の母親には見えない。もしかして本当にこの人は俺の姉で、男手一つで俺達姉弟を育てた父さんの嘘なんじゃないかと思ったことも何度かある。
でも俺も物心ついた時からずっとこの人に育てられてきたのは覚えてるし、あの頃から母さんは今とほとんど変わらない見た目だった。
もしかして母さんは若い時代が長いという野菜っぽい名前の戦闘民族の生まれではないのだろうかと、そう疑わずにはいられない。
「どうしたの?」
「い…いや、なんでもないよ」
小首を傾げて見上げて来る母さんの身長は俺よりも頭一つ分低い。中学生みたいだ。
……うちの父さんが犯罪者でないことを祈ろう。
「ふうん?あ、そうだ守羽。今日お父さん忙しくて帰ってこれないって」
「そっか、わかった」
そのロリコン疑惑常時浮上中の父は、本日不在らしい。そう珍しいことでもないので適当に流すが。
「ああ、そうだ母さん」
俺も伝えておかねばならないことを思い出し、台所に戻り掛けていた母さんの背中を呼び止める。
「うん、なあに?」
「今日の夜、少しうるさくなるかもしれないけど気にしなくていいから」
俺の言葉を聞いて、母さんの顔が途端に不安げになる。
「…また、なの?」
「そう」
「大丈夫?」
「わからんけど、追い返すくらいなら出来ると思う」
事情を知っている母さんはそれでもまだ表情を暗くしていたが、俺が笑って「平気だよ」と言うといくらか強張っていた顔が和らいだ。
「無理はしないでね?」
静音さんに言われたことと同じことを母さんからも言われ、思わず笑みが苦笑に変わる。
どうせ狙いは俺だ。母さんに害が加わることもない。
俺のせいでやってくる奴だ、俺が責任を持ってどうにかしなければいけない。
追い返せれば追い返す。
それで無理なようであれば。
殺す。
学校を出た途中の道で、静音さんに名前を呼ばれた。
「はい、なんですか?」
「力、使ったの?」
それだけの言葉で、静音さんが言いたいことがわかった。
二年の先輩に絡まれた時に、俺が異能を使って追い払ったのか、と。
静音さんはそう訊いたのだ。
「はい、使いました」
だから、俺もその問いに対して簡潔に答える。
「……そう」
俺の返答に、静音さんはそれだけを吐息混じりに呟いた。
良いとも、悪いとも言わない。
わかっているんだ、俺が使いたくて使ったわけじゃないことに。俺が自分の力をあまり使いたがらないことを、彼女はよく知っているから。
だから彼女は、
「あまり、無理はしないでね。どうしようもなかったら、私がなんとかするから」
そう、俺を気遣うように言ってくれた。
静音さんとはT字路で別れた。
上品に手を振る静音さんに同じように手を振って、俺は彼女の背中が見えなくなるまでその場で見送った。
本当なら、まだ明るい内だろうが家まで送り届けるべきだったんだが。
そういうわけにもいかなかった。
(最悪だ…)
視線を上にやると、電柱の上にいた『何か』はすぐさま飛んで姿を消した。
あのふざけた身のこなし、そもそも電柱の上にいた時点で普通じゃない。
(人外、か)
人でない者。
面倒臭い。が、放っておくわけにもいかない。
どうせ、ヤツは今夜にでもまた出るだろう。どうあっても俺に構ってほしいらしい。
実に久しぶりだが、仕方ない。
来る以上は迎え撃つだけだ。
「ただいま」
ごく普通の一軒家の玄関で、俺はいつも通りの帰宅の挨拶を投げる。
「あーおかえりー」
玄関から続く廊下の奥から返事が届く。
靴を脱いで、居間へ向かう。すると、居間から繋がっている台所からぱたぱたと軽い足音を立てて一人の女性がやってきた。
「お疲れさま、守羽。学校はどうだった?」
「いつもと変わらないよ」
母さん、と言っても初見の人は誰も信じない。
その理由は、顔が似てないからとかじゃない。むしろ俺は母親似って断言できるくらいに母さんと顔立ちは似通ってる。
だからよく言われる、姉弟と。
ありえないくらい若い外見のせいで、うちの母親は俺の姉だと間違われる。息子である俺の目から見ても、二十代前半、下手すりゃ十代でも通る幼さだ。
未だに近所では母親だと信じていない人がいるし、未だに同級生の中には俺に姉がいると思ってるヤツがいる。
可哀想なのは父さんで、たまに犯罪者扱いされたりロリコンと指差される時がある。時折涙目で帰って来る時とか大抵そういう時だ。
でも父さんと母さんは同年代らしいから、少なくとも四十代であるのは間違いないはず。
なんだが。
「そう?なら良かったね」
にっこり笑う母さんはどう見ても四十代の母親には見えない。もしかして本当にこの人は俺の姉で、男手一つで俺達姉弟を育てた父さんの嘘なんじゃないかと思ったことも何度かある。
でも俺も物心ついた時からずっとこの人に育てられてきたのは覚えてるし、あの頃から母さんは今とほとんど変わらない見た目だった。
もしかして母さんは若い時代が長いという野菜っぽい名前の戦闘民族の生まれではないのだろうかと、そう疑わずにはいられない。
「どうしたの?」
「い…いや、なんでもないよ」
小首を傾げて見上げて来る母さんの身長は俺よりも頭一つ分低い。中学生みたいだ。
……うちの父さんが犯罪者でないことを祈ろう。
「ふうん?あ、そうだ守羽。今日お父さん忙しくて帰ってこれないって」
「そっか、わかった」
そのロリコン疑惑常時浮上中の父は、本日不在らしい。そう珍しいことでもないので適当に流すが。
「ああ、そうだ母さん」
俺も伝えておかねばならないことを思い出し、台所に戻り掛けていた母さんの背中を呼び止める。
「うん、なあに?」
「今日の夜、少しうるさくなるかもしれないけど気にしなくていいから」
俺の言葉を聞いて、母さんの顔が途端に不安げになる。
「…また、なの?」
「そう」
「大丈夫?」
「わからんけど、追い返すくらいなら出来ると思う」
事情を知っている母さんはそれでもまだ表情を暗くしていたが、俺が笑って「平気だよ」と言うといくらか強張っていた顔が和らいだ。
「無理はしないでね?」
静音さんに言われたことと同じことを母さんからも言われ、思わず笑みが苦笑に変わる。
どうせ狙いは俺だ。母さんに害が加わることもない。
俺のせいでやってくる奴だ、俺が責任を持ってどうにかしなければいけない。
追い返せれば追い返す。
それで無理なようであれば。
殺す。