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第四十五話 ぶつかる二つの戦闘狂

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 目の前を真っ白い袋が突っ込んできて視界を塞ぐ。
 反射的に拳で迎撃しようとして、それがビニール袋に包まれた酒瓶だと気付き慌てて片手で受け止める。
「ハァッ!」
 その僅かな瞬間に酒呑の真横まで踏み込んできたアルが右手に握る刀の柄を握り大振りに抜刀する。
「ッ!」
 懐から抉り込むように振るわれた一閃を、片足を地に強く踏みつけて発生させた衝撃で強引に逸らせる。
 砕け散った地面の破片が突風と共に吹き荒れる中、低い姿勢のまま距離を詰め直しながらもアルの持つ刀が的確に鬼を狙う。
 バガンッ!!
 およそ刃と肉体の衝突とは思えない重い音が鳴り響き、目にも留まらぬ速度でアルの白刃と酒呑の四肢がぶつかり合い火花を散らす。
 しかし、そこはやはり最上級の金剛力を宿した大鬼の本領。純粋な肉弾戦においては他の追随を許さなかった。
 ボッ!!とロケット噴射のような唸りを上げて振るわれた蹴りの余波に吹き飛ばされてアルの体が後方に押しやられる。
「…ふうっ。流石は最強の大鬼様。マトモに相手できるほど甘くはねえか」
 息を吐き出して、アルは短い攻防の中で劣勢を感じ取り満足そうに刀を構え直す。
 アルの考えでは、普通に攻め込んでいたらこの短時間で自分は数度殺されていた、と予想している。
 もちろん全力で斬り込んだわけだが、おそらく相手の大鬼は反射速度を含め肉体の稼働そのものが常識の埒外にある。こちらの最速の一撃は、酒呑が数撃叩き込んでもまだ余りあるだけの隙を晒して見えていることだろう。
 だがアルはまだ生きている。致命的な攻撃を受けたわけでもない。何故か。
 警戒しているからだ。この刀…鬼に対し絶対的な優位性能を備えている童子切安綱を。
 現に素手でこの刀と打ち合った酒呑は、剣戟の全てを刀の腹や峰を弾くことで逸らすことに専念していた。そんじょそこらの名刀レベルでも傷一つ付けられない鋼の肉体を持ちながらだ。
 明らかに『鬼殺しの刀』を恐れている。
 そのことにアルは内心でほくそ笑みながら、同時に少しばかり落胆もしていた。
(……本当に山奥暮らしで感覚が鈍ってやがるのか…?だとしたらイケる…やれちまうか?本当に、|こんな《・ ・ ・》刀で)
「フン…」
 数秒の間アルの構える刀を見つめていた酒呑がつまらなそうな吐息を漏らし、持っていた濁り酒を安全な場所にコトンと置いてから仁王立ちで腕を組む。
「やめだ、こんな茶番」
「どうした、そりゃ降伏宣言か?」
「いんや」
 酒呑の姿がブレて消える。
「ちっ!」
 ほとんど勘任せに身を沈め後頭部を狙ったハイキックを避ける。大気を抉り取った蹴りの通過で真空が生まれ、脚撃の軌跡に引っ張られるようにアルの体が烈風で浮き上がる。
「山暮らしで感覚が鈍っただと?ざけんな。このオレが、あの刀を前にして真贋を見極められないはずがねェだろ」
 ほんの数センチ浮いただけの体が再び地に足を着けるまでの間に、目で追い切れないほどの連打がアルを襲う。
 一撃一撃が尋常じゃない重みを伴って、追い切れない拳を迎撃する為にデタラメに振り回したアルの刀を叩く。
 鬼殺しの刀はその特効性をもって酒呑の拳を裂くが、あれだけの威力で真っ向から刃に突き込んだにしては裂傷が浅すぎる。アルはそれを疑問には思わなかった。
 両足をようやく地面に着けて、さらに迫る連撃を受け止めると、刀身から受ける衝撃の流れに違和感と予感を覚えた。そしてそれはすぐにピシリという小さな音で確信に変わる。
「下らねェハッタリもそこまでにしとけ小僧」
 もはや何を恐れることもなく、酒呑の豪快な蹴りが槍の突撃のように地面と平行に放たれる。直撃すれば骨折どころか胴体が引き千切れ分断されるほどの威力。
「…ッ!!」
 酒呑の履いている草履の裏が胴体に接触する間際、握っている柄と刀身の峰に添えた片手に強く力を込めて割り込ませた刀が蹴りの衝撃に大きく湾曲する。
 そして、
「そんな|贋作《パチモン》の安綱じゃ、オレの首は取れねェ」
 パキン、と。
 酒呑童子の言葉に屈するかのように、衝撃に耐え切れなかった刀身が真ん中からあっけなく折れた。
「おわっ!」
 そのまま折れた刀ごとアルの体が地面に数度跳ね転がりながら大きく後退する。
「このオレもナメられたモンだぜ、本物の安綱はどうした。アレを持ってた人間はテメェんとこの仲間だろ?」
 受け身を取りながらも全身を打ち据えたアルがよろりと起き上がるのを待って、腕を組み直した酒呑が問う。
 アルが使っていた刀は本物の童子切安綱ではない。だが本物がこの地にあることは、少し前に実物を前にした酒呑自身がよく知っていることだ。そしてそれを振るったあの男が、おそらくはアルが名乗った『突貫同盟』なる組織の同士であることも、まず間違いない。
「っちゃー、やっぱ耐えらんなかったか。実物をよく観察して創ったから、出来映えはそこそこだと思ったんだがなー」
 ポッキリと折れた刀を見て落胆するアルは、赤茶色の髪を片手で掻き上げてぺしんと自分の額を叩いた。
「確かに本物の安綱は、今は俺らの大将が持ってる。俺はそれを見て模造品を創っただけだ」
「本物を使おうとは思わなかったわけか。それでオレに勝てるとも思ってたわけだ」
 表情からは窺い知れないが、その声音には僅かながら自身を侮られていたことへの怒りとも呆れとも取れるような感情が見え隠れしていた。
 それを知りつつ、さして煽るつもりもなくアルは折れた刀の断面や全体的な損耗具合を確かめながら答える。
「まさか。こんなんで勝てるたぁ思ってなかったさ。ただ、どこまで通用するかが知りたかった」
 あらかた確認すると、次いで視線を酒呑童子へ移す。その両手足、模造品の安綱が付けた微細な切り傷を見て納得したようにアルは手に持っていた刀を手放す。折れた刀は地に落ち砂塵と化してヒビ割れたアスファルトの上に散らばった。
「うん、一応は通じるらしい。よかったよかった、俺の腕でも童子切の性能をある程度は再現できるみたいだな」
「あ?」
 全身についた土や埃をぽんぽんと手で払いながら、爪先でトンと地面を叩く。
 すると荒れた地面を突き破って、一振りの剣が出現した。埃を払い終えたアルがそれを手に取って引き抜く。
 やたらと華美な装飾のされた、悪趣味とすらいえる両刃剣。真昼の陽光を受けてその嫌味ったらしい煌めきを返す鞘から剣を抜き放つ。
「ちゃんとした自己紹介、まだしてなかったよな俺。そっちの正体ばっか知っててこっちのを言わないのは、なんかズルいか。こっちから挑んだ以上、流儀はお前に合わせるさ。嘘偽りなく正々堂々とってな」
 鞘を投げ捨てて刀身の表面を指でなぞるアルが顔を上げて、一方的に二度目の自己紹介を始める。
「俺の真名はアルヴ、北欧出身の元妖精だ。人間様の語り継いだ自分勝手な伝承のせいで起源が妖精なのに悪魔に格下げされた哀れな人外よ。知ってっか?キリスト教とかいうのが広まったせいで俺は光の妖精から闇に住む悪魔ってことにされちまったんさ」
「ほォ」
 自嘲するように話しながら、両刃の剣を大上段に構える。さして興味も無さそうに一応耳だけ貸しながら、しかしその刀身が根元から赤熱していくのを、酒呑は見据えていた。
「んでな、その前までは地中深くで鉄を打っていたって云われている俺らアルヴってのはこう呼ばれていたんだ。魔法の金属細工師…『|金行《きんぎょう》の|打鋼《うちがね》』、ってな」
 周辺の大気を喰らい赤熱がやがて炎を生み出すまでに至る。掲げた両刃剣を中心に炎が渦を巻く。
「んで、『反転』して悪魔に落ちぶれた俺もその力だけは引き継いでた。それを極めて、妖精種の固有技能である五大属性掌握の一つである金行と併用させて自在に武器を生み出せるようになった。さらに、伝説や幻とされる既存の武具を生成することでその武装にまつわる性質や特性をもある程度は再現できるまで昇華させた」
 足腰を踏ん張り、振り下ろすモーションを事前に大鬼へと伝えながらアルは両手で握る大上段の剣に一層力を込める。
「ま、口での説明も長ったらしくて好きじゃねえ。百聞は一見に如かず、百見は一撃に如かずだ。手始めに一つわかりやすい攻撃でご理解頂きたいね」
「能書きはいい、飽きそうだから早く来いや」
「ではでは」
 欠伸を噛み殺して片手の指先をちょいちょいと曲げて誘う酒呑へ、尖った犬歯を剥き出しにしてアルが応じる。
 直後に振り下ろされた剣の軌跡を酒呑はしっかりと追っていた。だがその軌跡に意味は無く。

「“|劫焦炎剣《レーヴァテイン》”」

 剣の動きに連動して、纏っていた炎は急速に膨張して高くから雪崩のように酒呑へ押し寄せる。
「くっだらねェ」
 視界を覆い尽くすほどの火炎を前に、酒呑は握った片手を気合いと共に突き出す。単純な正拳突きが純粋な衝撃波と化して眼前に迫っていた炎をロウソクの火のように軽く吹き消す。
「ん」
 炎が散らされた先にいたはずのアルの姿を見失うが、すぐさま上空からの気配を察知して左アッパーを打ち出す。
 振り上げた左手が肘まで浅く裂ける。
「あん?」
 痛みより疑問を強く覚え、指先から肘まで斬り降ろして着地したアルの持つ刀に酒呑は今度こそ苛立ちを表情にまで出した。
「ッテメェ…」
 それは先程酒呑がヘシ折ったのとまったく同じ性質を宿す贋作の刀。天下五剣の一つである安綱の|模造刀《レプリカ》。
 性懲りも無く同じ轍を踏もうとしているアルに対してもそうだったが、苛立ちの正体はまた別にあった。
「侮辱も大概にしとけよ…!その刀はなァ、仮にもこのオレの首を刎ねた正真正銘の名刀だったんだよ。それを、そんな質の悪い贋作にまで落とし込んで振り回しやがって!」
 確かに伝承に残る大鬼酒呑童子討伐のお話はお世辞にも褒め称えられた展開ではなかった。
 とある山に住み付いた鬼を退治する為に征伐へ向かわせた人間が旅人を装って鬼の居城に潜り込み、毒の酒を飲ませ昏倒したところを狙い首を討ち取った。歴史に記載されている真実はそうなっているし、それは酒呑童子にとっても紛うことなき事実である。
 ただ、どんな姑息な手段であったとしても脆弱な人間が頑強な大鬼の首を一太刀の下に斬り落としたことは認めざる得ない偉業だった。それを成した刀もそうだ。
 そんな名刀を劣化した状態で再現され振り回されるということは、その刃によって命を絶たれた大鬼自身にとっての屈辱であり侮辱でもあった。
 怒りのままに腕を突き出す酒呑の攻撃を|童子切《ニセモノ》で受け流しながらもアルは汗を滲ませながら自己を鼓舞するように笑う。
「ハハッ!…知ったことかよ、こちとら当時の人間に負けず劣らず決死の思いなんだ、そんな言葉に貸す耳はねえな。“|不動利剣《コウマミョウオウ》”」
 叩きつけた手の下の地面から突き出た一振りの刀を引き抜く。それは童子切とは違い鞘を持たず、刀身を含め全てを金色に染めた日本由来の刀。柄には巻き付く蛇の文様と刻印が這い上るように刀身の先端まで刻まれていた。
「行くぞオラァぁあああ!!」
「しゃらッ臭ェ!!」
 二本の刀を手に酒呑と打ち合うが、拮抗は数秒と保てずにまず金色の刀が粉砕された。続けて鷲掴みにされた童子切が握力任せに握り潰された。
(マジかよ、こっちも退魔に特化した明王様の御剣だってのに!)
 やはりいくら魔を討ち祓う性質を宿していたとしても、大鬼に通用するのはこの世でただ一振りのみの業物しか存在しないらしい。
 そして、その贋作も決して通じていないわけではないのだ。刀を握り潰した大鬼の掌から血が滴るのを目撃しながら、空いた両手で大鬼の猛攻を身軽にいなしながら跳ね回りバックステップで背後へ飛び退く。
「確かに面白ェモンは見れた。同じくらい頭にきたけどな。ネタ切れか小僧?いくらテメェの存在が金属弄りの得意な人外だったとしても、逸話や伝説に残る武具の再現にはどうやったって限界がある。その生成もまた、な」
 無際限に形あるものを生み出し続けることは不可能だ。それはどんな存在にだって共通して断言できる法則である。その形あるものにさらなる付与効果を加えてあるのだとすればなおさらに量産できるものではないのだ。
 僅かながらにも大鬼に太刀打ちできる武装を、無数に創れるだけの力量はアルにも無かった。
 だからこそ、
「…………既に二本、か。いや参った、参った」
 苦笑混じりにアルは大鬼を見定め溜息を吐く。
「確かに、こんな短期間じゃ武装のストックもたいして用意できなかった。しかも安綱以外は通用しねえし、それも折られちまった。…でも、まあ」
 聞きしに勝る大鬼の脅威に絶望するでもなく、むしろワクワクとした表情すら見せて、

「ストック十六だから、残り十四本。まだまだ遊べるぜ酒呑童子」

 ズドンッ!!!
 両隣の地面から贋作安綱が柄を上向きにして飛び出る。
「悪しき鬼を滅する刀、と書いてなんと呼ぶかわかるか大鬼」
 眉を寄せる酒呑に、刀を両手に握って構えを取るアルが告げる。
「“|悪鬼滅刀《ドウジキリ》”だよ。さあ鬼退治の続きだ」
 大鬼と悪魔の闘いは未だこの程度では終わらない。否、終わらせない。
「……」
 午後の授業が始まってすぐ、俺の視線は黒板ではなく窓の外へ向いていた。
 何か、何かを感じる。
 ちら、と何気なく視線を窓の外から斜め前、由音の方へと転じてみる。
 すると由音もまた妙にそわそわした様子を背中からでもわかるほど放っていた。ワックスを使っているわけでもないのに逆立っている髪の先端が僅かに跳ねて揺れている。もしやあいつの髪の毛は妖怪センサーなのだろうか?
 原因はわからない。わからないが、どうも廃ビル群のある地域の方角から感じるのだ。強大な気配は大鬼のそれで間違いないが、それだけではない。
 感じ取れる強大な気配がもう一つ。その二つの気配がぶつかりあっている。そんなような気がする、気がするだけのとても曖昧な感覚しか掴めない。だが何かがある、そんな確信もある。
(なんだ、この靄が掛かったようなあやふやな感覚は…)
 仮にこれが人外同士の戦闘だったならば、この街の内側くらいの範囲だったら容易に感じ取れるはずだ。だが、それがうまく掴めない。
 考えてみれば、俺以外の者があの地帯で戦闘を行っていたことは無い。だから俺はあの廃ビル群で行われている戦闘の気配を感じたことももない。
 だからか?
 自分自身で異常とも思えるほどに、遠方で起きている人外の気配を感じ取りづらくなっているのは……。



「ん、んぅ…」
 屋上で身を丸くして日向ぼっこを堪能していたシェリアの両耳がぴくんと動く。
 守羽や由音と違い、気配や感覚で状況を掴む類の能力ではなく単純な聴力で遠方の様子を把握することが出来るシェリアは、唯一廃ビル群で起きているのが何なのか、正確に理解できる人外であった。
「うるさいにゃあ…もう…」
 だが夏の陽気に当てられて微睡みに沈むお昼寝中のシェリアは、猫耳をぺたんと倒して外部の音をしっかりシャットアウトしてから、再びすうすうと寝息を立て始めたのだった。



      -----
 大鬼・酒呑童子は強大な力を持つ人外にしては珍しいことに、人間種を侮るということをしなかった。
 奴等は人外情勢の中では最弱種と呼び蔑まれているが、酒呑はそうは思っていなかったのだ。
 人間は感情や信念次第では、時に人外の力を凌駕することがある。死ぬ気で喰らい付き、死を前にしても恐れず牙を突き立てて来る。
 そういう連中だということを、この大鬼はよく理解していた。
 思うに、その理解が足りなかったが故に腹心の部下にして無二の友人であった茨木童子は討たれたのではないだろうかとすら思っていた。
 そして、その脅威は人間に限った話でもない。
 強い信念を持つ者、固い芯を持つ者、退けない理由を持つ者。
 これらはどうあっても強い。何があっても強い。
 例えば眼前の戦闘狂が、その一つに入る。
「くァらあッ!」
 殴り砕かれた刀を放り捨て、もう片方の手で握る刀を両手で構え直し接近してくる悪魔が実に愉しそうに口元を歪ませながら“|悪鬼滅刀《ドウジキリ》”を振り回す。
 微細な傷が蓄積していく拳が血を飛び散らせながら力押しで刀を打ち返し、それにアルは真っ向から受けることを避けて限界まで引き付けてから受け流す。
 贋作の童子切では大鬼の直打はもちろん耐えられない。それは三本折られて理解した。
 さらに、童子切単体では大鬼に攻撃を与えることが叶わないこともわかった。たとえ通じないことがわかり切っていたとしても、使わねばならない。
 左手に童子切を握ったまま、避けきれなかった酒呑の攻撃を掠らせてこめかみから血を流しながら右手を地面に擦り付ける。そこから新たな刀を生み出し抜き出す。
 それはかつての持ち主が雷に襲われた際にそれを斬り伏せたという荒唐無稽な伝承から生まれた長船兼光作の刀。その伝承を持って改められた雷神殺しの名を解放する。
「“|断雷千鳥《ライキリ》!”」
 バヂバチと逆手に持った刀から雷撃が放たれ稲光を発する。
「あァ!」
 近距離から迫る雷撃を裏拳で蹴散らし、次いで来る雷撃を帯びた逆手の刀を徒手で迎撃する。
 迅雷の速度で叩き込まれる斬撃は全て皮膚に傷の一つも与えられず砕け散り、雷撃に紛れて数回織り交ぜた童子切の太刀だけが大鬼に傷を作った。
「「―――ッ!!」」
 砕けた雷の刀と入れ替わりに地中の金属から生成したストックの童子切を取り出し両手の二刀を腕が引き千切れるんじゃないかと思うほど全力で振り下ろし、それに応えた酒呑の一撃が衝突して激震が両者の間で大気を唸らせる。
 弾け飛んだ地盤、立ち込める土埃。空爆でもされたかのような衝撃が周囲の朽ちたビルを次々と崩壊させていく。土埃の中で響く重低音から続く金属の割れる音。欠片となった童子切が四散して煙る視界の奥へ消えて行った。

「は、…ハッ」
「…カカ」

 土埃を引き裂いて血だらけのアルが飛び出て来る。一発の直撃が即死に繋がる酒呑の攻撃は掠るだけでも致命傷足り得る。
「ハァあああああああぁアアあああ!!」
 地面に叩きつけた両脚の間から長大な槍が出現する。ヒュヒュンッとバネ仕掛けのように地面から離れ跳ね上がった槍を掴み矛先を酒呑へ定め思い切り投擲する。
 表面に細かな文様やら異国の文字やらが刻まれた銛のような形状をしたその槍は、武器というよりかは調度品か芸術品に近い神秘さを放っていた。
 ケルト神話から具現させた神域に届く槍。その模倣。
「“|投鏃棘鑓《ゲイボルグ》ッ”」
 叫んだ名に反応して、酒呑へ一直線に向かっていた槍が弾けるようにいくつかの鋭利なパーツに分かれた。その数、約三十。
 投擲によりその性質を変える神槍が、複数の|鏃《やじり》となって大鬼を的に定めて殺到する。
「せェいッ!!」
 鬱陶しい鏃の群れを、大鬼はまたしても一撃のもとに蹴散らす。突き出された拳の衝撃は空気を押し固めた砲弾となり鏃を砕き散らすばかりかその直線状にいたアルをも巻き込む。
「ァあがああ!!」
 全力の投擲で僅かな硬直が生まれていたアルはその空圧の砲弾をまともに受けてくの字に折れ曲がり、廃ビルの壁を突き破って内部へ飛び込んだ。直後に拡散した衝撃が廃ビル全体を揺らし、老朽化の進んだ廃ビルはアルを閉じ込めたまま脆くも倒壊してしまった。
「…」
 腕を振り抜いた格好のまま、酒呑は自らの腕に視線を向ける。
 二の腕の辺りに、亀裂の走る刃が斜めに突き刺さっている。切っ先から十センチほどの部分で折れた、半分も残っていない刀身のみの刀の残骸。酒呑の皮膚を傷つけたという事実から、間違いなくそれが先程粉砕した童子切の一部だとわかる。
 どうやら土煙の中で密かに回収していた刀の破片を、分裂した槍の中に紛れ込ませて一緒に投げつけていたらしい。

「ク、ッカカ…」

 ブシャッと刀の破片を引き抜いた二の腕から血が流れ出るのを見て、酒呑は堪え切れなくなったように口元を緩ませる。
「―――“|悪鬼滅刀《ドウジキリ》”」
 倒壊したビルの中から聞こえた小さな声と、斬り払われた瓦礫と粉塵の向こう側から歩いて来る人影を見つける。
 直接的なものではなかったとはいえ、酒呑の一撃を受け着ていたシャツが千切れて褐色の上半身を晒した悪魔がボロボロの身体を引き摺りながら現れた。

「ごぽっ。……ハッハ、あは、ハハ…ッは!」

 バシャバシャと口から零れる血液を拭うこともせず、廃ビルの|鉄筋《きんぞく》を利用して新たに生み出した童子切安綱を両手に握るアルは、内側から湧いて来る歓喜の感情に痛みも忘れてニタリと実に悪魔らしい笑みを浮かべた。
 アルは思う。
 ここでこの大鬼を倒しておけば、我らが大将の息子が行おうとしていた決闘の必要性は無くなる。子を失う絶望をあの男が…神門旭が抱えることも無くなる。
 鬼を放っておけば、いつか無意味な災厄を振り撒く可能性もある。妖精や特異家系の人間を相手にしているこの状況では、そんな不確定要素は出来るだけ取り除いておく必要もある。
 ―――ああ、ああ、駄目だ。
 |そんなこと《・ ・ ・ ・ ・》、本当はどうだっていいのに。
 これ以上自分に嘘は吐けない。
 『反転』という人外特有の現象、症状と言い換えてもいい。それを乗り越え悪魔と転じたこの身に、あの大鬼という存在は余りにも厄介だった。
 闘いたい。あの身にこの力がどこまで通じるのか試したい。日本史上最大最強、そんな肩書きを持つ相手を前に、この衝動が抑え込めるはずがない。
 妖精から悪魔へと堕ちたアルヴという稀有な人外の、『反転』によって追加されてしまった本能こそが、このどうしようもない闘争心だった。
 全身が疼く。早く一歩を踏み出せ、速く刃を繰り出せ。
 そう叫び散らす自分自身の本能に、アルはワクワクとした少年のようで悪魔そのものである凶悪な笑みを引っ込められなくなった。
 酒呑童子は思う。
 この大鬼もまた、これまでの生涯を闘争の赴くままに築き上げてきた者だ。
 最初に殴り倒した者が、何故か尊敬の眼差しで付いて来るようになった。次に闘って倒した者は配下にしてくれと膝を着いた。その次はいつか勝つと宣言して強さを求めながら酒呑の隣を歩くようになった。
 好き勝手に暴れ回っていた牛面と馬面の鬼も、軽く叩きのめしてやったら逃げ出すどころか興奮した面持ちで同行を願い出た。
 最も苦戦させられた、自らと同じ大鬼にして『童子』の名を持つ無二の友人も、邂逅時の戦闘を終え辛勝した酒呑が手を差し伸べると嬉しそうに握り返してきた。それ以降は毎回毎回飽きることなく開かれた酒宴を取り仕切る腹心の部下となった。
 いつの間にやら、酒呑は全ての鬼を従える首領となって一つの山の主となっていた。
 闘いで全ての関係を築いてきた酒呑童子にとって、闘うことがコミュニケーションの一つであった。肉体言語で語り合うことこそが大鬼にとっての会話の形だった。
 だからこそ、その|戦闘《かいわ》でわかることは多々ある。
 強い信念を持つ者、固い芯を持つ者、退けない理由を持つ者。
 これらはどうあっても強い。何があっても強い。
 そして酒呑は、そういう連中が大好きだった。敵にしても味方にしても、|生命《いのち》で研磨された牙を振るう相手には敬意すら覚えた。それに応えるように酒呑も全身全霊で持てる力の全てを叩きつけてきた。
 それが楽しかった。言語を交わさなくてもよかった。拳をぶつけ合う度、武器を削り合う度、想いの丈はその威力に乗せて全て伝わっていたから。
 だからこそ、この|戦闘《かいわ》でアルがどういった心境のどういう人外なのか、わかった。
 コイツは、同じだ。
 贋作の刀を振るって鬼を打ち倒してやろう、武勲を立ててやろう。
 |そんなこと《・ ・ ・ ・ ・》、何一つ考えていない。
 ただただ、純粋にこの最強の大鬼へ挑み掛かることだけを考えた、どうしようもない大馬鹿野郎だった。
 自然と開いた口から声が漏れる。さっきからずっと、酒呑は自分の表情を制御できていなかった。
 この悪魔が当初どういった思惑でここへ来たのか、それすらどうでもよくなって。
 酒呑は、無謀にも最強の鬼へと武器の切っ先を向ける悪魔へと最大限の誠意をもって拳を突き出した。

「ハハハッ!アはっ、ハハハハハ、はは…ハハハはハハハハハッッ!!!」
「クッくく、クカカ!クァッカカかカカカカカァッ!!!」

 壊れたように高笑いを続けて、目の端に涙すら浮かべて。
 ただ闘いにのみ狂い、鬼と悪魔は言葉を捨てる。
 残るは刃、残るは|腕《かいな》。
 激突はさらに熾烈を極める。
134, 133

  

「行ってみっか?守羽」
「……いや」
 午後の授業間の短い休み時間に、俺は由音と共に再び屋上に来ていた。昼休み以外では珍しいことだ。
 何故かと言えば、先刻よりもはっきり感じ取れるようになった戦闘の気配が気掛かりだったからに他ならない。
「さっきからうるさいよねぇー。ぜんぜんお昼寝できにゃい」
 満足な昼寝が出来なかったのが不満なのか、ずっと屋上にいたシェリアは貯水タンクの上に立って俺達が見ている方角をじーっと眺めている。膝丈程度の薄い白ワンピースしか着ていないシェリアがあんな高い場所に立ってるとかなり(色々と)ヤバいのだが、風の加護とやらのおかげかどうにかなっている。
「酒呑の野郎が誰と闘ってるのかわからんが、たぶん俺達の知ってるヤツじゃない。あそこでドンパチやる分には、放っておいても大丈夫だろ」
 二日後の決闘までは酒呑は誰にも手を出さないことを昨夜約束させたばかりだし、昨日の今日でそれを破るヤツでもない。
 そもそも酒呑は決闘までの時間を全て回復に注ぎ込んでいるはずだ。それなのに自らあんな派手な闘いを望むはずがない。予想しか出来ないが、おそらくは俺達ではない別口の組織やら存在やらが喧嘩を売りに行ったか、もしくは日昏が退魔師として大鬼を討ちに…いやそれは流石にないか。無謀過ぎる。
 というか、いくら立ち入り禁止されている地帯とはいえ、こんだけ盛大にやらかしてんのはどこのどいつだ。これだと一般人に見つかるのも時間の問題…、
「…おかしいな」
「んー?」
「何がだ?」
 俺の呟きに二人が首を傾げる。
 あの場所で交戦している両者の激突はあきらかにこれまでで最大レベルの規模だ。俺がつい最近まであそこで人外絡みの案件を片づけていた時もあんな戦闘はしたことがない。
 それなのに、感じ取れる気配があまりにも薄い。それに音も光も、“倍加”を巡らせた五感ですら掴めない。猫の因子持ちで聴力特化されたシェリアでも耳障りな戦闘音が微かに聞こえる程度だと言う。
 何かおかしい。もしかして、あの戦闘に気付いているのは人外やその性質を宿した俺や由音くらいしかいないのか?
 思えばあの土地、あれだけ荒れ果て朽ちて崩壊してもおかしくない廃ビルがいくつも乱立されたまま放置されているというのに、一向に手を付ける様子がない。昔は解体費用とかを惜しんで後回しにしているのかとも思っていたが、あまりにも期間が長すぎる。
 まるで、人々から忘れ去られたかのよう。興味を一切失くして土地が存在することすら認識できていないかのよう。
「…まさか」
 俺は、そんな効力を発揮する術式を知っている。この身に流れる退魔師の血が知識を継承している。
 退魔を行う際にその周辺の人間に被害が及ばないように、区切った領域内部への興味を逸らし人々を無意識的に遠ざける人払いの結界。|隠形術《おんぎょうじゅつ》というものを基盤にアレンジを加えた陽向家独自の術式。
 もしそれが使われているのだとすれば、その人物の心当たりは極端に限られてくる。
(日昏…じゃないだろうな。あいつが来るよりずっと前から俺はあそこを人外との戦場に利用してきた。その時から結界が稼働し続けていたんだとすれば)
 当時まだ退魔師としての自覚も忘却し封印させていた俺にも出来ることではない。
 そうなるともう、思い当たる『陽向』の節はたった一人しかいなかった。



「へっくし」
 小さなくしゃみを一つして、自宅の自室で年季の入ったノートの紙面に何事か書き綴っていた旭が顔を上げる。
(あれ、夏風邪かな。これから忙しくなるって時に、やだなあ…)
 老いによる免疫力の低下だろうかと、旭はがっくりと肩を落として深い溜息を漏らした。
(…それにしても、アルあんまり暴れないでほしいなあ。大鬼との戦闘で結界が揺らいできてるよ。せっかく今まで何事もなく稼働し続けていたのに)
 この街に侵攻してくる妖精やその他悪意を持った人外達を迎撃する事態に備えて確保しておいた土地とそれを覆う結界だったが、この様子ではもう一度強固に張り直す必要があるかもしれない。
(まあいいか。どの道、守羽がこれまであの土地を使い続けてきて結界もいい具合に摩耗してきてたし)
 まるで障子紙の張り替えをするような気軽さで、旭はそう決めると椅子に座ったままぐっと背伸びをする。
(さて、アル?戦闘に狂うのもいいけど、いい加減にしないと本当に死んじゃうよ。まあ引き際を弁えて退かせる役目は、きちんと彼らが果たしてくれるだろう)
 かつて共に死線を潜り抜けた戦友の死が間近に迫っているのを知りながら、絶対の信頼をもって旭は手出しを控える。



      -----
「ふ、ッハハ…。アッハははァ……!!」
 ゆらりと、血溜まりから起き上がったアルは左手に持つ童子切を地に刺し支えにする。刃毀れとヒビ割れで使い物にならなくなっていた刀は、アルの加重が|止《とど》めとなってポッキリ折れてしまった。
「うぉっとと」
 前のめりにつんのめった頭部から鮮血が滴り落ちる。
 煤けた赤茶色の髪の毛を掻き上げると、左の掌は真っ赤な液体がべっとりと付着していた。
 無言で掌を地面に押し当て、再び地中や周囲の瓦礫から鉄を…金行となる金属を掻き集める。
 右腕は砕けてもう使い物にはならない。流石は大鬼、まともに正面から打ち合ったわけでもないのに骨は砕け肉はひしゃげた。拳すら握れない。
 しかしそれでも、アルは退かない。むしろ『最強』の証明を右手に叩き込まれたことに喜び打ち震えながら、掻き集めた金属と流れ出る血液でさらなる武器を生成する。
 ただ、今度のはこれまでのものとは明らかに違った。
 北欧神話を中心に創り上げてきた武器はそのほとんどが贋作とはいえ神話に語られるに足るだけの威力と性質を宿させた渾身の出来映えの武装だった。
 それが全て通じない…それ自体は同じく北欧に出自を持つアルにとっては多少なりとも思うことがある事実だったが、全ては贋作ですら満足に創り上げられない自らの不出来だと納得させていた。
 だがこのままでは終わらせない。せめて、掠り傷の一つでもいい。『鬼殺しの刀』に頼らず酒呑童子に一矢報いたい。最強の大鬼の記憶に刻み付けたい。
 既に十六もの備えを用意していた贋作の童子切は、たった今折れたものを最後に全て砕かれた。どの道もうこの手に鬼の首を刎ねられるだけの力はない。
 悔しいという感情は湧かない。金属細工師としても別段誇りを掲げているわけでもないアルは、むしろこれだけ渾身の武装を完全に突破されたことに清々しさすら覚えていた。
 だからこそ、
「持っていけ」
 金属が手の中で形を変え、棒状に引き延ばされていく。その形状は槍。
 ただし込められた力と放つ圧力はこれまでのどの武器の比にもならないほど。バチバチッと放電にも似た力の奔流がアルの創り上げる槍を中心に広がっていく。
「その眼に刻んでくれよ、酒呑童子。最強の大鬼へ贈る北欧最大最強の一手だ。コイツも単なる模倣で申し訳ねえが、な!」
「クックッ…クカカカッ!」
 砕けた右手をだらりと下げ、左手のみで握る槍はその形をほぼ完成させていた。やはり神話の武器にしてはやや質素ともいえる造形で、しかし尋常でない威圧を放つ。
 鉄で構成されたはずの槍の色は、何故か鈍色ではなく乾いた樹のような薄茶色。形自体も整えられてはいるが、一見すると木の枝を折って石やナイフで削り上げたかのような、原始的な投げ槍のフォルムをしている。
 何も知らぬ者がこれを見れば、呆れ顔で失笑することだろう。これが北欧神話に語られる槍なのか、と。
 だがこれでいい。主神の槍はこれが原型なのだ。|神樹《ユグドラシル》の枝から創り上げたと云われているコレに、元来無意味な装飾など施されていない。
 体外に流れ出る血液が逆立ち、吸い込まれるように左手の槍へ吸収される。
 アルの血液(正しくは血中の鉄分)を鍵として、模倣された神話はその真価を解放する。

「“|天貫神槍《グングニル》”………ッ!!!」

 歯を剥き出しにして、自分で創り上げた武装の圧力に潰されそうになりながらもアルは獣の如き猛る笑みを浮かべる。
「……クカッッ!!」
 槍から四周全域に暴風が吹き荒れる中、アルに応えるようにして狂喜する大鬼はシンプルな正拳突きの構えを取る。真っ向から受け止めるつもりで。
 北欧神話最大最強の神槍と、日本史上最大最強の大鬼。贋作とはいえ主神の槍が鬼神の拳にどこまで通じるのか。
 衝突による衝撃の余波のことなど、両者はまるで考えていない。この土地が吹き飛び地図が書き換わる事態になろうとも、そんなことを躊躇うアルと酒呑ではない。
 共にどこまでも愉しそうな笑顔で、ミシミシと軋む左腕から今まさに神槍を手放そうとしたその瞬間、
 プルルル、プルルル、プルルル…と。
 携帯電話の音が鳴った。
「……」
「……あァ?」
 半眼で睨む酒呑の視線に顔を背けて、粉砕された震える右手で使い辛そうにアルがポケットから古臭い二つ折りのケータイを取り出して開く。数秒ディスプレイを見て、ボタン一つで音を消す。どうやら通話だったらしい。
「…悪いな大鬼。さあ行くぞ―――」
 ピリリリッ、ピリリリッ!
 すると今度はさっきよりも甲高い音が、ポケットに突っ込んだばかりのケータイから鳴り出した。
 持ち主であるアルも水を差された酒呑もその音にイラッとしながら、アルはもう見ることもせずに手だけポケットに突っ込んで手探りで通話を打ち切った。
「…レンの野郎、あとでぶっ殺す」
 不機嫌にそう呟いて、今度こそ左手の神槍を投擲しようとして、
 ビーッ!ビーッ!!ビーッ!!!
 ブチッ。
 青筋を浮かべて、とうとう警報ブザーのような音を鳴り響かせ始めたケータイを引っ張り出して開き、耳に当てて叫ぶ。
「うるっせんだよレンぶち殺すぞコラァ!!あと勝手に俺のケータイの着信音操作すんじゃねえ!!」
 電話の相手らしき名を怨嗟の声音で罵りながら、冷静に返ってきた言葉に苛立ったままアルは乱暴に返事していく。
「あ?童子切?ストック全部使い切ったけど。ああ、うん。もう勝てねえよ、そんなん知ってる。…は?撤退?ざけんな」
 左手に持つ槍の圧力で今にもバラバラに分解しそうな古い携帯電話で通話するアルを、酒呑は律儀に待っていた。というより、雲行きが怪しくなってきた。
「命令なんざ知ったことかよ。今いいとこなんだ、ここで逃げ出したりなんかしたら相手に失礼だろが。だから俺は…………え、白埜?えちょっと待ってなにそれ、え?怒ってんの?」
 ここまでどれだけの傷を受けても平然としていたアルが、ここに来て嫌な汗を浮かべ始めた。鬼の聴力で聴き取る限り、どうも白埜とかいう仲間がアルの行動を咎めているようだが…。
「退かないと絶交?もう目も合わせない?それマジで白埜が言ってんの?待って待ってわかったすぐ帰るから白埜に伝えといて」
 プルプルと震える右手は果たして粉砕された痛みによるものだけか。ゆっくりと携帯を折ってポケットに戻したアルが、槍を掴む左手にぐっと力を込めると、それに呼応して完成された神槍がひとりでに壊れる。自壊の余波だけで周辺に多大な衝撃を撒き散らしながら、それでもアルと酒呑は一歩も動くことはしなかった。
 衝撃の拡散し終わり、静かになった真昼の陽光の下で、冷や汗をダラダラと垂らすアルが瀕死の体で酒呑を見据えて、言う。
「悪い、急用が入った」
「…みてェだな」
「帰るわ」
「好きにしろォ」
 もう完全にやる気を削がれていた酒呑は、適当に返して片手を振った。さっさと消えろと言わんばかりのジェスチャーだ。
「すまん!もし次があったらそん時はちゃんと最後まで殺し合うから!」
 耳を疑うような狂気じみた発言をするアルに、安全圏に避難させていた酒瓶を取り出して酒呑が中身を確認する。アルが手土産に持ってきた濁り酒だ。
「まァ、酒の差し入れに免じて勘弁してやらァ。オラ、とっとと行けよ。ってか、手当てしねェとその怪我、本当に死ぬぞ?」
 笑えないほどの出血量なのに平然としているアルの青白くなり始めた顔色を見て、酒呑が瓶の蓋を開封しながら忠告してやる。
「おう、マジで悪い。まあなんだ、俺が言うのもなんだが、『鬼殺し』がきっとお前を愉しませてくれるだろうからよ。それまでおとなしくしとけよ。つっても、どうせその程度の傷は一日くらいで治っちまうんだろうけど」
「半日いらねェよボケ」
 贋作童子切によって全身に負った切り傷は、もう血が止まるどころか傷口が塞がり掛けていた。表面しか斬れていないあの程度の傷は、大鬼の自己治癒能力の前では蓄積ダメージにすらならないのだ。
「オイ」
 盛大に激闘の爪痕を残して行った廃ビル群から立ち去ろうとしていたアルの背中を、濁り酒を煽りながら瓦礫の一つに腰掛けた酒呑が呼び止める。
「『鬼殺し』に言っとけ、二日後の決闘には本物の童子切安綱を持って来いってな。じゃなきゃオレにゃァ勝てねェどころか勝負にもならねェぞ」
「…さあ、そいつはどうかな。ま、一応旦那にはそう伝えておくさ」
「それと、テメェ。アルだったか?」
 珍しく鬼の同胞以外の名前を呼んだ酒呑童子が、ニィと口を横に引き延ばした凶悪な笑顔を浮かべる。
「テメェ、オレに下る気はねェか?同胞じゃねェが、テメェの実力は本物だ。何より、愉しんで殺し合えるイカれた野郎はオレにとっても貴重なんだよ」
 最強の鬼からの思いもよらない勧誘に一瞬硬直したアルだったが、名残り惜しそうな苦笑いを返して首を横に振った。
「ああ、そりゃまたとない誘いだな。昔の俺なら跳び付いた話だったろうが、生憎と今はもう居心地の良い場所を見つけちまったんだ。うちの大将は裏切れねェ」
「そうか」
 酒呑も予想していた返答だったのか、特に食い下がるということもなかった。
 それっきり会話は失せ、視線のみでアルは大鬼の脅威を、酒呑は妖精崩れの悪魔の健闘をそれぞれ称賛した。
「ククッ」
 アルが去っていくのを眺めながら、噛み殺しきれなくなった笑いを漏らす。
 面白いヤツがいるものだ。『鬼殺し』の件も含め、山から降りてきたのは正解だったな。
 そんなことを思いながら、酒呑童子は異変を感じ取った牛頭と馬頭が戻ってくるまでひたすらに濁り酒を飲んで堪え切れない大笑いを続けていた。
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