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第五十話 その羽はただ守るためだけに

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 この十六年間にして初めて使う、全力全開。
 だけど自然とそれは体全てに浸透し馴染んだ。
 使い方が全部わかる。
 背中に生える羽が微振動し、目の端に映る生成色の髪の先が揺れる。
 ぐっと腰を落とし、右脚を踏み込む。羽が体を後押しする莫大な推進力を生み出す。
 瞬きの内に俺の蹴り上げた爪先が鬼の片手を弾いていた。
「速ェな」
(これでも防ぐか、怪物が)
 流石に速度くらいは上回ったかと思ったが、そうでもなかったらしい。
 脚撃をガードされてから、俺の移動と攻撃によって発生した突風が遅れて周囲の砂塵を巻き上げた。
「もう手加減はいらねェよな?」
 顔面を狙って突き出された拳を頭を逸らして躱し、そのまま曲げた腕から繰り出される肘撃を両手で受け流す。風圧で身体が数センチ沈んだ。
「ようやく決闘開始だ、『鬼殺し』。随分待ったぜ、テメェの本気を。ようやく互いに全力でやれるってわけだ!」
「……臨、兵!」
 鬼の猛攻を素手で迎撃しながら、俺は九字を唱える。
 既に身体能力は数千倍の領域で“倍加”されている。完全に力を取り戻した俺の肉体はそれを可能にしていた。
 だがそれでも、未だ大鬼酒呑童子の性能には追い付けない。
 やはり肉弾戦で鬼を相手に渡り合うのは不可能だ。徒手でダメージを与えることも叶わない。
 取れる手段は極々極端に限られてくる。
 普通の方法で攻撃が通らないなら、ヤツの性質絡みの特効を狙うしかない。
「まァた斬魔か。飽きたぜ」
 大鬼が目にも留まらぬ速度で拳を打ち出しながら余裕の態度で話し掛けて来る。
 “|早九字《はやくじ》・|断魔《だんま》|祓浄《ふつじょう》”。前回の戦闘で俺が唯一鬼へ傷を与えた攻撃。酒呑が斬魔と呼ぶ退魔の術法だ。
「闘、者、皆…!」
 今現在、酒を取り込み万全の状態となった酒呑童子にこの術はもう効かない。それはさっきの攻防でわかった。
「陣、列!……ッ、“|木彬《こりん》|改式《かいしき》・|障屹袈《しょうきっか》!”」
 攻撃をいなし切れなくなって、苦し紛れに退魔の五行と妖精の属性掌握をブレンドした力をぶつける。
 地面を引き裂いて逆氷柱のように飛び出した巨大な木刃の壁を、酒呑は片手で粉砕してしまう。
 二つの能力を重ねて放っても、やはり鬼の肉体には傷一つ付かない。紙一重のところで、羽を全力で稼働した速度で鬼の一撃から逃れる。
「速さは格段に上がったな。その他もかなりいいレベルにはなった」
 直後に眼前に鬼の拳が迫り、俺は後方へ飛びながらそれを顔面に喰らう。
(背後に飛んで衝撃は散らしたが、それでもッ…!)
 ぐわんぐわんと揺れる脳が思考を邪魔する。鬼の言葉と姿が眼前と耳元から離れない。どれだけ全力で離れても追いついてくる。
「そこそこ楽しかったぜ『鬼殺し』。それで全開なら、もう終いにしようや」
 背後、側方、正面。
 殴り蹴られて、吹き飛んだ先に待ち構える鬼が俺を上下左右、文字通りの縦横無尽に蹂躙する。まるで一人でボール遊びをしているかのように。
「だから、嫌い、なんだ。…鬼は」
 全身を殴打され血反吐が飛び散る中で、俺は痛みのせいでまとまらない思考を繋ぎ止めながら罵るように呟いた。
 直下に振り抜いた拳が俺を荒れ果てた地面へ押し出す。
 ヴォッ!!と背中の羽が大きく展開しながら落下の速度と衝撃を拡散させ、よろめきながらもどうにか地面に叩きつけられることなく両足を地に着け正面に顔を向ける。
「頑丈さもそこそこか。こりゃ、上手いこと大鬼に成り上がれたら結構な大物になれるぜテメェ」
「…ふ、っざけんな。お前の同類になる、くらいなら…死んだ方がマシだろ」
 心臓が脈動するたびに痛みが全身を巡っていく。視界がボヤけてきた。
 まだだ。
 両手を大きく広げ、地中の鉄を抽出し凝縮する。
 地面から出現したのは鉄で出来た巨大な矢。弓もなく弦もなく、しかしそれは地面からギリギリと引き絞られ威力を蓄えていく。
「“|金剛《こんごう》改式・|螺噛弩《らごうど》”」
 言霊と共に豪快な音を引き連れて、鋼鉄の巨矢が一直線に鬼の胴体へ奔る。
「なら死ぬか?くたばる前に択べよ人間」
 ゴム鉄砲を払うように容易く巨大な鉄の矢を破壊した大鬼の姿がブレる。
「おおああああっ!!」
 九字を唱えつつ、目で追えない程の速さで迫る鬼の攻撃を“倍加”で引き上げた五感(特に肌の感度を高める触覚力)を駆使して拳の風圧等から予見し回避する。
 流した鬼の腕を支えに跳び蹴りを放つが、指先で弾かれ脚撃の威力をそのまま利用される。
 ぐるんっと回転した俺の体が地面に背中から落ちて、起き上がる前に鬼の足で押さえ付けられた。払い除けようとしてもビクともしない。
「サービスだ、も一つ選択肢をくれてやる」
 ズガン!!
 顔の真横の地面を穿って何かが突き立つ。横目で見ればそれは細長い鉄の棒。地面に埋まる根元から先端まで見上げれば、それが鞘に収まった日本刀だとわかる。
 童子切安綱。
 目線を刀から鬼へ移すと、酒呑童子は俺を踏ん付けたまま同じように目だけで刀を示し、柄を掴み地に刺さった鞘から刀身を抜き出す。
「使え。これがあればテメェがオレに勝つ可能性が僅かにでも出て来る。このままやったところで、結果は見えてるしな」
「俺が最初になんて言ったか覚えてねえのか、大鬼」
 胴に乗せられた足の圧力が強まり、けはっと肺から空気が漏れ出る。
「かつて人間が、唯一このオレの首を取った業物。コイツには鬼への特効性が秘められた法力が込めてある。オレら鬼にとっては触れるだけでも害だ」
 柄を握る酒呑童子の手がジュウウと焼ける音を立てながら白煙を上げている。それには構わず酒呑は刀を握ったまま切っ先を俺へ垂らす。
「楽しもうぜ『鬼殺し』。テメェの真価とこの刀、総動員すりゃいい勝負になる。オレはよ、やりがいのあるバトルがしてェんだわ」
 自身の手が焼ける臭いに僅か顔を顰めながら、酒呑は見下ろす俺へと語る。
「オレは認めてんだぜ?『鬼殺し』。その力自体は、おそらくオレの首を両断したあの人間より遥かに高い性能だ。だが相性が悪ィ、単純な火力のみじゃオレの肉体には傷一つ付けられんのさ。それを知っていたから、あの人間はオレに毒の酒を飲ませ四肢を強力な法力の鎖で縛り上げ、万全の状態で安綱をオレの首へ見舞った」
「おい、俺の名乗りをもう忘れやがったのか。俺は『鬼殺し』なんて名前じゃあねえぞ」
 酒呑の語る話には応じず、適当な返事をしながら俺は右手と背中に意識を向ける。
 最大出力で背部の羽を展開し、途中だった九字を完成させて一撃を叩き込む。完全に取り戻した退魔の力を以てこの距離、いくらかダメージは通せるかもしれない。
「オレはオレが認めたヤツしか名は呼ばん。名前で呼ばれたきゃオレに勝つんだな。ほれ、さっさと使えっての」
「…ッ!!」
 羽に意識を注ぎ全力解放、接地していた背面の地面に亀裂が走り爆発的な推進力が俺の背を押す。
 背中を押し上げる羽の感覚をそのままに、左手で安綱の切っ先を掴む。単純な切れ味をとっても名業物である安綱の刃が掌に食い込み裂けるが構わない。
 左手で刀を押さえ、人差し指と中指を立てた右手を振り被り叫ぶ。
「在!ぜ」
「チッ」
 トスっと軽い音を立てて、押し返すつもりで鷲掴みにしていた刀が俺の胸に突き立つ。
「ぐ…くっ!」
 斬れた手の内から血が流れる。血液を吐き出しながら言い損ねた最後の一字を放っ
 ガァン!!
「かっ…」
 胸に突き立つ刃が胸を貫き背中から抜け、さらに大鬼の上乗せした衝撃によって地面を捲り上げながら体が深く沈む。
 貫通したのは胸の中央。
 すなわちそれは、
「使えっつったのに、あっけねェ幕切れだ」
 俺の心臓を一突きで正確に破壊した酒呑童子が俺を一瞥し、白煙を上げていた手を柄から離し背を向ける。
「…っは、はぁ!う、ごぶっ!!」
 直上で照らす太陽を見上げながら、安綱を突き刺された仰向けの状態で止め処なく溢れてくる血液を吐いて酸素を求める。
 首を傾けると、遠ざかっていく大鬼の背中が見える。勝敗は決したと、つまらなそうに語る背だった。
 |馬鹿が《・ ・ ・》。
「………………|前《ぜ、ん》」
 掠れた声音で、九字の法は最後の一文字へ達する。
 辺り一面の焦土、真昼の空を覆う黒煙。
 街の半分を瓦礫に変えて、二人の退魔師は荒い息を吐いていた。
「|形代《かたしろ》も尽き、余力も僅か。……思いの外、手を焼かせてくれるな…」
 スーツの内側に隠し持っていたいくつものナイフも残り両手に握る二本のみ。塵と泥で汚れた破けたダークスーツの男、陽向日昏が油断すれば取り落してしまいそうになる武器をしっかと握り直す。
「負けられない、んだよ。何も無い者と、違って…こっちは大事なもんが、ある」
 深く裂けた脇腹を片手で押さえ、全身に裂傷を負った旭もまた負けじと日昏に応じる。周囲で旭の決意に反応して五つの陽玉が揺れる。
 四周を四つの陽玉に囲まれたまま、強力な陽光に照らされる両名は示し合わせたかのように無言で跳び出す。
「………なあ、日昏」
 “倍加”の強化と共に五つの玉をコントロールしながら、旭は息を整えつつナイフの刃を素手で打ち返し呟きを漏らす。
「言い残すこととか、あるか?もし死んだらこうしてほしい、とか」
「無い」
 飛んできた陽玉を三つ躱し、二つを肩と膝に受けて焼ける。皮膚の焼ける感覚を無視して強引に右手の刃で旭の胸を斬り裂く。が、浅い。
「お前が言った通り、俺にはもう何も無い。故に、遺す言葉もまた無い」
「悲しいことだ。……だが僕にはある。もし死んでしまった時、お前に頼みたいことが」
 周りを囲った五つの陽玉が日昏を仕留めるべく一斉に襲い掛かる。
「ふざけたことをっ…抜かすな!」
 日昏のずっと背後から、突如として土の壁が地中から競り出してくる。旭はそれが退魔師の術だとすぐさま気付いたが、もう遅かった。
 攻撃であれば対処は容易だが、これは使い道が違う。
 出現した土壁によって、四方を囲っていた陽玉の一つが放っていた陽光が遮られる。
 長く伸びた影が日昏とその正面に立つ旭のすぐ後ろまで引かれ、
 瞬間、日昏の姿が消え五つの陽玉は対象を穿つことなく中空をただ通過する。
「!」
 陽向日昏は影を操り、自由に移動する能力を持つ。
 背後の影から再度姿を現した日昏へ振り向き様に蹴りを放つと、爪先から太腿までを鋭い動きで二振りの刃が走る。直後その足から大量の血飛沫が噴き上がった。
 そして攻勢はまだ終わらない。
「はァあああああ!!」
 流れるように足を斬り刻んだ動きでそのまま旭の懐へ潜り込み、両手のナイフを振り上げる。大振りの蹴りを空振った旭の体勢は未だ戻らず、
「……ッッ」
 鮮血が空高く舞い上がり、使い込まれてよれよれになっていた旭のスーツが一瞬でワインレッドに染まる。
「…お前を殺したところで何が変わるわけでもない。だが、殺さねば俺は終われない。死んだ陽向家の皆々の為にも、お前はここで滅べ」
 二つの凶刃が刻んだ傷から血を噴く旭の上体がぐらりと前に傾く。裏切者の陽向が一人、偽物の街で静かに倒れ―――
 ダンッ!!!
「…意味の無い行為、意味を成さない言葉。もう、うんざり、だ」
 倒れかけた体を、半歩踏み出した右脚が強く強く支える。
「な、ん…だと」
 驚愕に目を見開く日昏の胸倉を、押し倒す勢いで右手が掴む。
「陽向の家は、皆そうだった。罪のない人外を殺し、殺し、殺し尽くした。違ったはずだ、本来の陽向家は……害成す悪を、人を傷つける悪い人外を、退治するのが、…|退魔師《ぼくたち》の、僕達を望んだ者達の本懐だったはずなんだ……!」
 胸倉を掴む右手が軋み、満身創痍の旭が片腕のみで日昏の体を持ち上げる。
「だから僕は離れた、陽向家を見限った。…何故こうも歪んだ…?あの家は、何故ああも狂った?……たとえ、たとえ僕達の代で既にどうしようもないほど手遅れの家だったとしても、」
「あき、らあああああ!!」
 持ち上げられたまま斬撃を放つが、旭はもう回避はおろか防御すらしようとはしなかった。肩口を、頬を、首筋を斬られながらも旭は右手を離さない。ただ、ゆっくりとボロボロの左手を後方に引き、絞る。
 泣きそうな声音で、旭は困ったような表情で最後に日昏の顔を真っ直ぐ見据えた。
「僕は、|人外《かのじょ》と結ばれることを、あの家に認めてほしかったよ」
 ゴシャア!!と、左手から繰り出されたアッパーカットが見事に日昏の顎を打ち貫き、真上の太陽へ高々と浮かせる。
「“九つの日、集い集いて魔を照らせ。陰を払いて邪気を退け、真なる我が名を解放せん”」
 空に浮く日昏を、散らばっていた九つの陽玉が高速で囲い廻る。
 退魔の直系者が持つ生まれながらの力。
 それは誕生と共に与えらえる存在の力。
 すなわちは退魔の真名。
 九つの玉がより一層の輝きを放ち、中央に囲う日昏の姿を陽光の中に閉じ込める。
 莫大な熱量が空と風景をぐにゃりと歪ませて、極大のエネルギーがその一点に集約される。
「―――…ああ。所詮、|復讐《からっぽ》では、お前には届かない、…か」
 眩く輝き、巨大な太陽そのものと化した内側から聞こえた声。
 それに対し、旭は努めて聞こえない振りに徹した。意志が揺らぐより先に、崩れ落ちそうになる両脚を踏ん張って最後の一言を唱える。
 
「“|退魔《たいま》|本式《ほんしき》・|旭光《きょっこう》”」

 カッ、と。
 破壊された街々を真っ白い光が覆って。
 灼熱の太陽は影の差し込む余地を許さず、内に閉じ込めた対象ごと轟音と共に爆ぜた。



 そして写し身の世界は崩壊を迎える。



      -----
「っ…なんだ!?」
 廃ビル屋上で、決闘の終わりを予感して今にも飛び出そうとしていた由音が身を硬直させてその方向を見る。



「んっ」
 ぴくっと頭頂部の猫耳を立てて、シェリアが顔を上げる。
「……決したか」
 その隣で、レイスは待っていたとばかりに閉じた瞳を開いて歩き始める。



「さて、どう転んだかね、旦那は」
 マンションの屋上で錫杖のようなそれを松葉杖代わりにしていたアルが、ふらつく体を支えてくれている幼い少女の白銀の髪をゆっくりと梳いて、
「ちょっとだけ出るわ、|白埜《しらの》。すぐ戻るから部屋でおとなしくしてろな」
「……アル」
 何か言いたげに見上げる白埜に苦笑を向けた。



      -----
「なんかやってんなァ」
 強大な反応を感じ取り、大鬼酒呑童子はその方向に視線を向けていた。
 勝敗の決した相手は死に、同胞の仇討(という名目の退屈凌ぎ)は済んだ。であれば、次はあの方向へ動いてみるのも面白いかもしれない。
 次の興味へ早速向かって行こうとした酒呑の背後で、僅かに身じろぎする一つの気配があった。
「…オイオイ、心臓ぶっ刺したんだぜ?テメェはよォ」
 ぞわりと酒呑が身震いする。
 恐怖でも戦慄でもなく、常識を覆した事実への疑念と興奮によって。
「まだか!まだ立つか『鬼殺し』!!クカカカッ!クッカカカハハハハハッ!!!」
 実に愉しそうに大笑して鬼は体ごと振り返る。
 見惚れてしまいそうなほどに綺麗な色彩を放つ薄羽を広げて、人と妖精のハーフは心臓に突き刺さった刀を抜いて放り捨てる。
 全てを守るために展開された羽が闘いに狂う鬼神へ敵意の烈風を吹き付ける。
 人と鬼との決着が、すぐそこまで迫っていた。
149, 148

  

「“|切九字《きりくじ》・|護法《ごほう》|牢格《ろうかく》っ!!”」
 指先で縦横に切った線が九、実体を伴って大鬼の周囲に展開される。
 それは光の檻、魔を閉じ込め衰弱させる九字の結界。
「クカカカッ!!」
 自身を囲う光の牢獄へ、酒呑童子は文字通り鬼の形相でおぞましい笑みを浮かべながら拳を振るう。
 前と違い、今の大鬼は酒を取り入れた万全状態。つまり前回破壊された時よりも遥かに早く檻は突破される。拳の一発で粉砕される可能性も否めない。
 そう、|単発《・ ・》の結界だけならば。
 ギシィッ!!
 今まさに九字の結界に激突しようとしていた鬼の拳が、直前で静止する。させられる。
 その拳を押さえ付けていたのは、地面から生えた無数の木。それがまるで触手のようにうねりながら太い幹を絡ませながら酒呑童子の腕のみならず肩から胴体まで這い回る。
「気色悪ィな!」
 ギギギと力を込めて引き千切ろうとした鬼の体に、今度は足元から土が上ってくる。セメントで固めるように、鬼の両足を土が覆い鋼の如き硬度となる。現にその土には多量に鉱物が含まれており、鉄鋼の土枷として効力を発揮していた。
 まだ終わらない。
 空気中から集まった水が鎖の形状と化して鬼の首に絡み付き、酒呑童子を中心に五角形の頂点を結び地に楔を打つ。
 その五つの頂点を線引きするように地面を火炎が奔り、水の鎖から伝って鬼の全身を縄のように火が走り回る。
 五大属性をフル活用した拘束。
「“元素改式・五行結界|改々《かいしあらため》”…条件整えるまでしんどかったぞ」
 酒呑童子の周辺には五角形と、それをさらに囲う巨大な五芒星と円陣が刻まれていた。それも、地に刻まれた一つだけでなく、地表から鬼の肩付近までの間に等間隔に四つ、同様の陣が鬼を中心に浮いている。
 計五つの魔法陣と、それぞれに対応した属性。
 基本的に五行思想を総動員させる術式の起動には、発動条件として事前に属性の配置をしておく必要がある。
 木、火、土、金、水。
 戦闘の最初から、効かぬと分かっていても馬鹿の一つ覚えのように放ち続けていた五大属性の術法は全てこの為だけに費やしていた。
 陽向家の奥義にして最大級の束縛大結界。さらにそれに妖精の力を混合させ改造に改良を重ねた渾身の一手。
 酒呑は自身を縛り上げる二重の結界に対しても、慌てたり焦りを見せたりすることもなく、ただ口の端を吊り上げて高笑いを上げる。
「クカッ、クハハハはははは、ハハハハハ!!!やるじゃあねェか『鬼殺し』!!このオレの動きを縛るたァ大した法力だ!次はなんだ?何を繰り出す?早くしねェと苦労して仕掛けた結界も無意味に終わるぜ!!?」
 言葉に偽りなく、大縄が剛力で千切れるような、分厚いガラスに亀裂が走るような奇妙な音が酒呑童子の周辺から響き始める。それが結界の奏でる悲鳴だということに気付き俺はもう引き攣った笑いすら浮かべられなかった。
(…退魔師の持ち得る封印と束縛の集大成、神すら封じれるレベルの大結界だぞ…どうやったら壊せるってんだよ、馬鹿力だけが取り得の鬼がよ…!!)
 いかな能力・特性・性質をもってしても、発動にまで漕ぎ付ければ間違いなく簀巻きにしてやれる性能を持った術式だったはずなのに、この大鬼はあろうことかそれを強引に金剛力とかいう馬鹿げた|身体能力《フィジカル》だけで攻略しようとしている。
 やはり鬼の最上位、史上最強の鬼神は伊達じゃない。
 だからこそ、稼げたこの時間を最大限利用して、使わせてもらう。
(イメージしろ、地中から引き上げる莫大なエネルギーを。……今の俺になら使えるはずだ)
 今の俺になら、この身を構成する最後の一つを理解できる。
 『神門』。

 地の底には、人の歴史と共に積み重ね蓄えられてきた膨大な量の『力』がある。大昔から人々はそう語り継ぎ、そして信じて疑わなかった。
 時として大地を揺らし、時として|天《そら》に昇り雷を落とし、時として火炎の球として地表の水を干上がらせる。
 それらは全て地底に流るる地脈のエネルギー、さらにはそれを操る神なる存在の仕業だと伝えられてきた。
 そうして、その神へ干渉し身を挺して天災を防止する為の人間を選出した。神への信仰を守り、怒りを鎮め、そして祈祷を捧げる。
 原初の巫女は、偶然かそれとも本当にそういった力を宿していたのか、神の下す|禍《わざわい》の|悉《ことごと》くを跳ね除け、防ぎ切ってみせた。
 奇跡を目の当たりにした者達は、彼の者を神に愛された申し子―――|神子《みこ》として崇め奉った。
 全ての人間が、彼(あるいは彼女)の神力を認め、永劫にその奇跡が続くことを望み、願った。原初の神子が死んでも、その子や孫が引き継いでくれると信じて。
 人間は、多くが望み願った現象や能力を現実に発現させる力を持つ。
 『群による想像の創造』によって、神の力を自在に振るう『神子の一族』が半ば強制的に全ての人間の望みを満たす為に産み落とされた。
 おそらくは星の歴史にて最も初めに発生した『特異家系』の、その初代だった。
 使いこなせば神と同等の力を振るえるとされ、誤れば自己どころか土地全てを滅ぼしてしまう神力を、いつしかその一族は自ら門を閉じ封ずることによって安泰を保持する方向へシフトさせた。
 一族は家系に継承されていく『神へ至れる力の門を守る者』として、『神門』の姓を名乗ることに決めたのだった―――。

 それが、陽向旭が自らの家系から絶縁する為に借りた力であり、
 これが、神門守羽と名付けられた俺に流れる最後の力。
 妖精、退魔……そして神の門。
 荒唐無稽過ぎてもう頭が付いて行かない。ただ自身の力を完全に開放させた瞬間から自然と脳が力の正体と使い方を理解した。
 だから、今は、もう、これでいい。
 深いことは何も考えない。ゆっくりと右手を真上へ上げる。立てた二本指の先から、巨大な光の刃が噴き上がる。
 断魔の太刀。ただし、構築しているのは退魔師の力だけに|非《あら》ず。
「|鬼神《テメエ》に勝つには、こっちも相応の力がいるってこと、だよな。だから全力でやる。消し炭になっても文句は言うなよ!!」
「……最ッ高だ、テメェ」
 『陽向』と『神門』を掻き混ぜた巨大な光の太刀を前にして、大鬼は小さく呟くと体を拘束している結界から無理矢理右腕だけを引っ張り出す。その腕の筋肉が肥大化し膨れ上がり、必滅の一撃を用意する。
 我慢しきれなくなったかのように、酒呑童子が叫ぶ。
「生まれて初めて『死』を間近に感じるぜ、来いよ『鬼殺し』ッ!!この|鬼神《オレ》を!殺せるモンならッッ」
「オオァあああああああああああ!!!」
「殺して―――みやがれェェあああああああ!!!」
 ドムッッ!!!
 振り下ろした巨大な断魔の斬撃と、大鬼が繰り出した拳の衝撃が中間点でぶつかり合う。
 衝突の瞬間に鬼の拳に押されかけたが、背中の羽を全開で展開することでどうにか踏ん張りを効かせた。太刀を発生させている右手に左手を添え、肉が削がれるかと思うほどの衝撃と暴風に耐えながらさらに出力を引き上げる。
 ベギンと音がして右手の人差し指がヘシ折れた。
 能力に対し肉体が追い付いていない。
 元々この身は半端な出来。退魔師としても神子としても不完全にして未完成。妖精種としての人外の強度を加味してもこの全力には適応し切れない。
 考えている間に中指も第二関節から真逆に折れる。手首も不気味な音を上げ始めた。
(片手片腕ぐらい、くれてやる。ここで倒さなきゃどの道全部終わりだ!!)
 激痛がむしろ頭を澄ませていく。全身の力が全て右手の一点に集束して凄まじい速度で放出されていく感覚。
「クはは、ハハッ!すげェ、コイツはすげェぞ!!」
 狂ったように笑い続ける鬼の姿が斬撃と拳撃の向こうに見える。突き出した右腕から煙が立ち上っていた。
 まだ余裕がある。なんだこの化物は。本当に掛け値なしに怪物なのか。
 徐々に押され始め、両足がジリジリと後ろに下がる。
「かぁっ、はあああああああああああああ!!!」
 息を吐き出し、琥珀色の両目を見開いて力を限界以上に上げていく。手首が折れ、指先から次々と表皮が裂けて血が衝撃に散らされ霧となって吹き荒ぶ。
 寿命を削っている確かな実感。視界が赤く染まり、目の端から血が雫を落とす。全ての傷口が広がり命が全身から体液となって流れ出ていく。
 いくらでも削ってやる。死ななきゃ寿命なんぞ安いもんだ。
 これからを生きる為に、その日々を守る為に。
 今ここで、この瞬間だけは、鬼の神を完全に凌駕し打倒する!
 俺の意志に共鳴してか、羽が引き千切れんばかりに末端まで伸びて広がる。
 背中を押す爆発的な推進力、それを後押しする“倍加”の異能。大鬼の自由を縛る為に展開している妖精の力が五大属性を支える。退魔の刃が鈍らぬ切れ味を放出し続ける。地脈から汲み上げる神力が門をぶち壊す勢いで俺の体を介して流出していく。
「―――!!!」
 酒呑童子が、尖った歯を剥き出しにした破顔の笑みで俺を見る。右腕は既に肘まで崩壊し、押されていた。
「ッおオイ!『鬼殺し』!!」
 俺の返事も待たず、酒呑童子は肘まで消失した右腕でなおも斬撃を受け止めながら、とても残念そうな表情で、

「やっぱテメェ、オレと来い。これっきりで終わらせんのはあまりにも惜しい」
「…お断りだ、誰がテメエなんかと。俺は『鬼殺し』だぞ?」

 ニッと笑った酒呑童子が口を開き、それを真上から叩き潰すようにして巨大な断魔の太刀が地面ごと大鬼の姿を吹き飛ばした。
 最後の瞬間、鬼の口が『残念だ』と言葉を発していたように、俺には見えた。
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