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第十一話 同胞喰らい

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最初に飛び出たのは人面犬だった。四本足で地面を蹴り、柴犬が口裂け女に飛び掛かる。
「ラァ!」
「ギヒッ!」
手斧の刃に噛み付き、四肢を手斧を持つ腕に絡ませ片手を封じる。
当然そのままではもう片方の手斧にやられるだけだ。
俺が割り込むのを想定した上で動いているのが、どこまでも苛立たしい。
「はあっ!」
人面犬の胴体へ振り下ろし掛けたもう片方の手斧を蹴り飛ばし、そのまま口裂け女の首を右手で掴む。
このまま握り潰してやる。
(右手握力、四十ば…)
「ギャハハハハッッ!!」
“倍加”の力を右手に集中させようと意識を向けた瞬間、口裂け女は手斧を失ったその手で同じように俺の首を掴んできた。
雑に伸びた爪が首筋に食い込み、尋常じゃない握力でギリギリと絞められる。
「ぐ、は……ッ」
すぐに俺も握力を引き上げ先んじて口裂け女の首を五指で握るが、まるで鉄のように固く潰せる気がしない。
(握力四十倍で…!?どんな体してんだコイツ!)
そうしている間にも、口裂け女の手が俺の首を絞める。気道が詰まり、爪が肉を裂く。
「神門!」
頭を振って手斧から離れた人面犬が、体を丸めて体毛を硬質化させる。ウニのようになったその体ごと口裂け女の顔面へ迫る。
「ァアッ!」
それを素手で弾く口裂け女の隙を見て、俺は首を掴んでいた手を離し、両手で口裂け女の手首を思い切り極める。
ゴギンという嫌な音が首伝いに響き、口裂け女の手が緩む。すぐに首から手を外し大きく後ろへ飛び退く。
目の前に口裂け女がいた。
(速っ…)
驚く間も無く顔面を掴まれる。視界を掌で遮られ、頭蓋骨の軋む音だけが俺に状況の不味さを伝える。
とんでもない力だ、外せる気がしない。
「ポマード!!」
頭部が粉砕されるであろう自らの数秒後の末路を幻視し掛けた時、人面犬の声が聞こえた。
「ポマードポマード!」
「…ギ、ヒャッ…!」
何を言っているのかと思ったが、人面犬のその言葉を受けて口裂け女の力が急激に落ちていくのがわかった。
「あああああああ!!」
握った右拳を振り上げ、俺の頭を掴んでいる口裂け女の手を真上に跳ね上げる。頭部が解放された瞬間に大きく身を沈み込ませ、動揺している様子の口裂け女の両足を横に薙いだ左足で払う。
「がぅああああっ!」
体勢を崩した口裂け女の肩に人面犬が深く牙を突き立て噛み付き、咥えた状態で大きく縦に反転しながら牙を外す。
一本背負いのように投げ飛ばされた口裂け女は不気味な音を上げながら二度地面をバウンドして横たわった。
「なんつう馬鹿力だあの人外!二回くらい死ぬかと思ったぞ」
「ふぅむ…妙だな」
ゆったりと起き上がる口裂け女を睨みながら、隣の犬が唸る。
「前より力が増している。どうしたわけか」
「知らねえよ、ドーピングでもしたんじゃねえのか」
「人間から放たれる負の感情だけでは、いくら喰ろうたところであそこまで急激には変わらん。何か…したな」
「ヒヒッヒ、ヒヒャハハッ。ワァタアシィ………キレェェェエィ?」
ぞっとする声色で、口裂け女は黒髪を振り乱し立ち上がった。
油断なく様子を窺いながら、俺はふと気になった疑問を犬にぶつける。
「妙といえば、お前さっき何をした?」
いきなりおかしなことを叫んだら、口裂け女が力を落とし硬直した。人面犬の能力ではなさそうだったが。
「近頃の子は知らんのか。口裂け女という都市伝説には弱点があってな、それがポマードなのだよ。物が無くとも、単語を三回唱えると口裂け女は一時的に弱体化する」
「最初から使えよクソ犬」
「制限がなければそうしていたさ。ただ、この方法は一度使うとしばらくは通じなくなる。ゲームで言うところの、ダメージを受けた直後の無敵時間のようなものさ」
都市伝説のクセにゲームとか知ってんのか。なんだこの犬。
「イギャヒヒ、……………ト、ト、トン」
上半身を揺らしながら立つ口裂け女が、短く何かを呟きながら開いた右手を頭の後ろ、赤くくすんだコートの襟首に突っ込む。
腕を持ち上げた時に少しだけ見えた口裂け女の右手は、見える範囲全てに真っ白な包帯が巻かれていた。
「トン、トン……トンカラ、トン。キヒッ」
「おい…今度はなんの手品だ」
襟首に入れられた右手が引き抜かれると、その手には柄が握られていた。そのままズズとコートの中から柄から先、分厚い刃を持った刀がその姿を露わにする。
明らかにコートの中に仕込んだ武器ではない、長さが釣り合わない。
ついに切っ先がコートから外に晒され、抜き終えたその大太刀を口裂け女は軽々片手で振って見せた。
「馬鹿な…」
「犬、クソ犬。なんだありゃ、口裂け女はあんなのまで扱うのか」
鋏やナイフ、鎌、包丁などで人を斬るという程度なら、まだ口裂け女としての範疇に収まるであろう。だがアレは、あの大きな刀はどう考えても規格外だ。
驚いているらしい表情(?)の柴犬は、すぐに表情を渋い顔つきに戻して言った。
「神門、君はトンカラトンというものを知っているか」
「今さっき口裂け女が呟いてやがったな。意味はわからんが」
「我らと同じく都市伝説の一つさ。刀を用いて人を斬り殺す、全身に包帯を巻いた姿だとされているモノだ」
それを聞いて、俺は視線を再度口裂け女に戻す。
右腕に隙間なく巻かれた白い包帯。肉厚の刃を持つ凶悪な大太刀。
今聞いたそれと、似通った特徴がそこにはあった。
「どういうことだよ。もしかして、アレがそうだってのか」
「わからん。わからんが、そうだとしたら力の増大にも理由と納得が付く」
「トンカラ、トン………ヒャハハハカカカァァアアア!!」
片手で大太刀を振り回す口裂け女が、その刃を俺と犬へ向けてピタリと止める。
襲い掛かる準備は万端、とでも言いたげに気味の悪い口が吐き気を催す笑みを浮かべる。
「同種の人外を、都市伝説の同胞を喰らったのか貴様。その刀と包帯はその際に会得した能力か、あるいは名残りか」
「共食いしてパワーアップしたってのかこの気狂いは!」
「ヒヒッ…コロス、コロスコロスコロスゥァぁアア!!」
それは果たして頷いたのか。
半月の笑みを貼り付かせたままの口裂け女が、解き放った大太刀を片手で構えて大きく踏み込んできた。
口裂け女の伝承は、他の人外と変わらず諸説ある。
その内の一つには身体能力によるものもあり、なんでも百メートルを六秒を走り切ると言われているとか。地方によっては三秒で走るとも。
ともかく、人に自らのおぞましい容貌を見せつけ襲う口裂け女は足が速いという認識が強い。
コイツも、忠実にそれをなぞっていた。
最初の一振りは俺の首を横薙ぎに狙って来た。
「……ッ!」
咄嗟に頭を仰け反らせ、皮一枚のところで回避する。
「ヒッヒャァ!」
仰け反ったせいで空いた胴体に口裂け女の蹴りが入り、呻き声が漏れる。
「うっ!」
「ハァァ!!」
さらに肉迫した口裂け女が片手で大太刀を振りかぶる。俺の胴体を両断せんとすべくして振るわれた一刀は、体当たりで俺を真横に弾いた人面犬に直撃した。
「ぬ…っ!」
咄嗟に全身の毛を硬化させた人面犬の体が、クリーンヒットした野球ボールのように斜め上空へ吹き飛び、廃ビルの中層へ破壊音を響かせながら突っ込んだ。
「クソ犬!」
「ヒャハッ!」
「チィ!」
人面犬に気を割いている余裕は無い。真上から振り落とされる太刀筋を読み、瞬時に全身へ異能を巡らせる。
(両腕力四十五倍っ!)
脳天を真っ二つにされる直前に両手で太刀を挟み受け止める。
ズンッ、と凄まじい圧力が掛かり、どうにか白刃取りを成功させた両手から血が流れる。
「守羽っ」
「下がってて、ください…!近づいちゃ駄目だっ」
背後から聞こえる先輩の声に、振り返らず答える。
「ヒッヒ、ヒヒヒヒ!!」
片手とは思えないほどの力で刀を押し付けてくる口裂け女は、その視線を俺を越えて向こう側、つまり静音さんへ向けていた。
一瞬で殺意が湧いた。
「どこ、見てやがんだテメエ」
その人を見るな、その人に意識を傾けるな。
関係ない人間を、俺にとって大切な人間を。
「巻き込むんじゃねえ……!!」
両手を離し、頭を少し右に傾ける。
障害を失った大太刀が直下に落ちて俺の左肩に沈む。
噴き出る血が頬に飛び散るのをそのままに、念じる。
(左握力五十倍)
左手で口裂け女が大太刀を握る手首を掴み、捻って固定する。
(右腕力五十倍)
強化した右腕で、掴んだ口裂け女の肘を思い切り殴る。
手首を捻り腕関節の余裕を奪い叩き込んだ一撃は、簡単に肘を真逆に折り曲げた。
「ギィッ…!?」
「…!」
殴った腕が痺れる、握った手が痛い。
人間としての“倍加”の限界値である五十倍を引き上げた反動だ。これ以上の異能の行使は肉体の破壊を伴う。
だが、構うことか。
静音さんがいるこの場は、絶対に退けない。
折れた腕で手放された大太刀が肩に食い込んでいるのも無視して、口裂け女の胸倉を掴み、引き寄せる。同時に限界まで引き絞る全力の右拳。
その頭、粉々にしてやる。
(八十、倍ッ!!)
ボッ!!
ジェット音のような空気を引き裂く音を引き連れて、俺の右拳はその機能を代償に必殺の一撃を生み出す。
「………なっ」
衝撃波すら伴う渾身の右ストレートは、しかし口裂け女の頭部を破壊するに至らなかった。それどころか、掠らせることすら出来なかった。
俺の一撃が当たる寸前、口裂け女の首から上がひとりでに真上へ跳んだからだ。
引き千切ったわけじゃない。俺が掴んでいたのは胸倉だ、どうあったって首が千切れるわけがない。
ただ、口裂け女の首は気持ち悪いほどスッパリと綺麗にその断面を見せていた。跳んだ頭部の切断面も同様に。
「ヒヒャハハハハハッハッハハハ!!!」
頭部だけの口裂け女の引き裂かれた口が、地面へ落ちながら愉快そうに大声で嗤う。
「コイ、ツ…!」
対する俺は、激痛に顔を顰めていた。
限界を超えた一撃、しかも空振り。
腕がもはや腕として機能していない。反動は骨を砕き、筋組織をズタズタに引き裂いた。この右腕はもう使えない。
首から上を失った肉体が、それでも俺へ狙いを定めたまま全身を使ってタックルしてくる。
「い゛って!」
腕の痛みに気を取られて体当たりをモロに受けた俺は、そのまま背中から地面に倒れた。
起き上がるより前に、不気味な首なし口裂け女の体が俺に馬乗りになって体の自由を封じる。
「クヒヒヒッ」
地面に落ちて転がった首が、横向きにこちらを見たまま笑む。
ゴキンッと、俺が外した手首の関節を強引に入れ直した手が俺へ伸びる。

「…その回避手段、誤ったな」

渋い老紳士然とした声が聞こえ、廃ビルの窓ガラスを突き破って柴犬が飛び出て来た。
「クソ犬!」
「神門、その身体を押さえていろ!」
通常の犬ではありえない速度でこっちへ駆けてくる人面犬の命令に従うのは癪だったが、それ以外に俺にやれることは無い。仕方なしに残った左手で手首関節を入れ直した口裂け女の手を掴んで人面犬への対処を防ぐ。
胴体は頭部への危機を悟ったのか向かおうと必死だが、そうはさせない。
「ギギィッアアアアア!!」
「その性質にも覚えがある。貴様、首無しライダーの都市伝説をもその身に取り込んだな」
やがて叫ぶ口裂け女の頭部へ辿り着いた人面犬が、その薄汚れて痛んだ黒髪を口で咥え、頭を持ち上げる。
「しかしだとすれば好都合だ。今の貴様の性質上、最も優先すべきは私でも彼でもなく、」
髪を咥えたまま、人面犬はその身を大きく振り回す。胴体は激しく抵抗するが、片腕が折れて頭も無い肉体程度なら今の俺でも押さえ付けられる。
さながらハンマー投げのように回転しながら加速する人面犬が、咥えた口から最後にこう言った。
「|頭部《コレ》、だろう?」
そして最大速度に達したところで、人面犬はその頭の角度を斜め上方へ向けて口を放す。
「ギッギャアアアアアァァァァァァッァァァァァーーー」
まるでギャグ漫画のように小気味良い投擲音と放物線を描いて、口裂け女の頭は夕暮れ間近の空へ大きくかっ飛んでいった。
「ーーー」
バタバタと暴れていた胴体は、遠く離れていく頭部に焦りを覚えたのか、俺の手を振り払い肩に食い込んだままの大太刀を引き抜いた。
「ぐっ」
一気に肩から抜かれた大太刀の分厚い刃に肉を斬られさらなる痛みが襲うが、口裂け女(胴体)はそれ以上俺に何かをするでもなく、そのまま大太刀を肩に担いで頭が飛んで行った方角へ走り去っていった。
足の速さに定評のある口裂け女の姿はすぐに見えなくなる。
「守羽!」
「なんとも…間抜けな撃退方法だったな…」
駆け寄って来た静音さんに起こされながら、俺は人面犬へ茶化すように言葉を投げる。
「いやはや全く。しかし退けることには成功した。我々も退くぞ神門、頭部を取り戻せばすぐさま奴はここへ戻ってくるだろう」
「ったく、休む暇も無いか。…静音さん、すみません。巻き込んでしまいました」
「ううん、全然。ごめんね、守羽。何もできなかった…」
人外と戦う力も無く、ただ巻き込まれただけの彼女が謝ることなど何もないというのに、気遣わせてしまった自分が情けなくて仕方ない。
ともかくここに長居はできない。肩の傷も腕の破壊も今は放置して、ひとまずの安全を確保する為に俺達は廃ビル群を後にした。
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「流石に認めざるをえないな」
近所の空き地まで逃げてきてから一息ついて、人面犬はそう切り出した。
「口裂け女は同胞を喰らい、その特性を身に宿している」
「みてえだな。あの頭が胴体から離れたのもそのせいか」
「うむ、あれは都市伝説『首無しライダー』のものだ。このくらいなら君も知っていよう」
首無しライダー。
その名の通り、首の無いバイク乗りの都市伝説。
道路を横断するように張られていたピアノ線に首を引っ掛け、猛スピードで走っていたバイク乗りはその首を撥ねてしまった、という話。それから先は、首から上の無いライダーが夜な夜なその道路をバイクで走り回っていると。
「バイクに乗ってねえクセに、そんなとこだけ真似できんのか」
厄介な上にますます気味悪いヤツだ。
「正確には性質の上書き、というべきかな。口裂け女という下地からさらに別の性質を重ねることでその力、特性を操っているようだ。…まあ、今回はそのおかげで逃げ延びることが出来たというわけでもあるが」
自らの怪我した箇所を舌で舐めながら、人面犬は続ける。
「首無しライダーが走り回る理由は、自らの頭部を探しているからだ。つまりこれの性質・弱点は常にその最優先順位を『自らの頭部』に定めてしまうこと。口裂け女の胴体が目の前の君を殺すより先に投げ捨てた頭部を探しに走ったのは上書きされたその性質に掻き立てられた為だ、一種の本能と言い換えてもいい」
本能。
その言葉に、俺はあの鎌鼬のことを思い出す。
人外の連中が、俺達人間が当たり前のように呼吸しているのと同じように成すべきこと、成さねばならないこと。
ヤツは取り込んだモノが持つ本能まで身に宿してしまっているらしい。
「『トンカラトン』も同様だな。こちらも本来であれば自転車に乗って現れるモノだが、刀と包帯という象徴のみを取り入れているようだった。刀を持っていたことを考えると、奴のもう一つの性質も操れそうなものだが…」
「あ?」
「いや、なんでもない」
言葉を濁した人面犬に問い詰めようとした時、俺の右腕が柔らかい感触が包み込まれそちらに意識を注ぐ。
「すぐ、戻すからね。守羽」
「静音さん」
俺の右腕に両腕で抱き着くようにしていた静音さんが、すぐに身を離す。と、痛みはそのまま残っているものの俺の破壊された右腕はあの一撃を放つ前の元通りに戻っていた。両手の傷も、痺れは残るが傷自体は消え失せている。
「あざっす。…いてて」
「無理はしないで。痛みまでは消せないから、もうしばらくはそのまま動かないで」
「ほう、大したものだ」
「あなたも。…えっと、人面犬、さん?」
「カナだ。呼び捨てで構わない」
「そう。私は久遠静音です」
犬と人間が会話しているおかしな光景を客観的に見ていると、中々奇妙なものだなと思う。
静音さんはカナとかいう人面犬の傷にも手を触れ、一瞬でその傷を消し去った。
「やはり治癒の類ではないな。因果の逆転…ほど大層なものでもなさそうだ。となれば事象の書き換え、いや抹消か?」
「元に戻した。ただそれだけだよ」
「……|成程《なるほど》」
静かに頷いたカナは四足で立ち上がり、空き地をぐるっと一周回って同じ位置に戻ってきた。
「臭いは…まだ遠いな。こちらの居場所を掴めていないと見える」
「静音さん、今の内に家まで送ります。ここもまだ危ない」
カナの言葉を受け、俺も立ち上がる。いつまでも静音さんをこんなところにいさせるわけにはいかない。
「守羽は、どうするの?」
「口裂け女を殺します」
本当に嫌になる、最悪だ。
できることならもう関わりたくないんだが、またしても今回、野放しにしておくわけにはいかなくなってしまった。
静音さんを視界に入れた。
その濃厚にして凶悪な殺意を彼女に向けた。
この人の顔を見た、覚えた。
もうこのままヤツを好きにさせておいて先輩が無事に済む可能性は低い。目撃者は殺す、それは口裂け女の噂の一つにも含まれている。
ならその前に殺すしかない。ヤツの好きにはさせない。
「こうなった責任は私にある。私も君に同行しよう」
「勝手にしろ」
俺の隣に並んだ柴犬に一瞥くれて、適当にそう返す。



「私に、出来ることはある?」
静音さんを送り届ける途中、静音さんが顔を僅かに伏せたままそう言った。
「いいえ、大丈夫ですよ」
それに俺は笑顔で返す。あなたが気負うことなんて一つもないんですよと、言外に伝える。
「でも…私のせいだよね?君が、戦わなくちゃいけないのは」
「誰のせいってんならこのクソ犬のせいですかね。まあ煮ても焼いてもって覚悟はあるみたいなんで精々こき使ってやりますよ」
努めて俺はおちゃらけた口調と雰囲気で和ませようとしてみるが、静音さんの表情は晴れない。
「……大丈夫なんですよ、俺は、本当に」
だから、俺も真剣に答える。
「静音さんが不安に思うことも、心配することもありません。俺はこんなことじゃ死にません。自分で言いたくないんですが、仮にもあの鬼を殺した実績を、少しは信じてほしいですね」
本当はそんな実績、信じてほしくない。認めてほしくない。
でもこう言うことで少しでも静音さんの不安が拭えるのなら、安いものだ。
確たる何かがあるわけではない。だが、俺は死なない。こんな程度のことでは。
この自信の源泉がどこにあるのは自分でもわからないけど。
かつて大鬼を殺した時の、『あの状態』のことを思えば、これはまだ軽い方だ。
「守羽、私は君を信じる。君の言葉を信じて、君の全てを信じる、信じてる」
彼女の家の前まで来て、立ち止まった静音さんが間近で俺を上目遣いで見上げる。
「……大丈夫なんだね?」
「ええ、もちろん」
信頼を寄せてくれる相手に対して、俺も信頼に応える嘘偽りの無い一言で応じる。
「うん、わかったよ。ごめんね、私の為に」
「俺の為、ですよ静音さん。俺は俺の為にこうしてるんです」
申し訳なさそうに眉をハの字にした静音さんは、しかし俺の想いを尊重してふっと微笑んでくれる。
「怪我したら、すぐ私のところへ来てね」
「はい、その時はお願いします」
俺もできるだけ柔らかい笑みを意識して顔に出し、先輩が家の中に入るまでしっかりと見届けた。
よし。
「とりあえず帰るか、俺も」
「臭いはまだ遠い、家に帰り着くまでは鉢会わせになることもあるまい」
独り言のつもりだったのにいちいち言葉を返してくるカナに溜息を漏らして、俺はすっかり日の落ちた道を自宅へ向かって歩き出した。
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