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第三十話 二度目の大鬼戦

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「ごめんね、守羽。わざわざ付き合わせてしまって」
「いえいえ別にこれくらい」
日の落ちた校内を静音さんと二人で歩く。
今日はいつもよりかなり遅い時間まで学校に残っていた。というのも、静音さんの仕事を手伝っていた為だ。
静音さんは生徒会の名誉会員だ。勝手にそういう風に扱われている。
本来であれば彼女が生徒会長の次期有力候補だったんだが、静音さんは生徒会長に立候補することはなかった。理由はわからないが、別に大仰な理由がなくたって会長に志願しなかったことを不思議がったりはしない。面倒な仕事も多そうだし。
だが、今現在生徒会長を務めている者は静音さんを優秀な会員としていい小間使いにしようとしている節がある。静音さんもそれを断らない。
この先輩は人が良過ぎるからきっと頼まれたら受けてしまうんだろう。それはいい、静音さんの良い部分だと思うし、否定する気もない。
ただそれに付け込んで仕事を任せる…いや押し付けている生徒会長は気に入らない。だから俺もこうして出来る範囲で静音さんを手伝うことにしている。
今回もそれで下校時間がだいぶ遅れてしまった。
しかし、たいしたことが出来なかったとはいえ俺も手伝ってここまで時間が掛かるとなると、静音さん一人でやっていたら時間は今より遅くなっていたこともありえる。
あの生徒会長、女子をそんな時間まで働かせて一人で帰らせるつもりだったのか。ふざけやがって、静音さんをなんだと思っていやがるんだ。
「いつかぶん殴ってやろうか……」
「…守羽?」
口の中だけで呟いた憎悪の言葉が聞こえてしまったのか、静音さんが俺を見上げてきょとんと首を傾げていた。
「あ、いえ何も…早く帰りましょう。もう遅い」
「うん、そうだね」
静音さんと共に、いつもの通り先輩を家まで送り届けるべく隣に並んで歩く。
三日。
あの餓鬼退治と妖精二人の出現からもう三日が経っていた。
今のところは何も起きない。妖精が動くことも、鬼が襲って来ることもない。
母さんはいつもと変わらず、そしてこの三日父さんが仕事を終えて帰ってくることもなかった。
何か、時間が停止しているかのような感覚になる。現状が何も進行せず、ただ無難に無事な生活が続けられている。
喜ぶべきことだが、今の時点ではそれが少し怖い。
いつこの現状が動くのか、いつこの時間が再び動き出すのか。
…………、
「早く帰りましょう。…早く」
「…?うん」
考え出すと、途端に不安が込み上げてくる。早足で行きたいところだったが、静音さんの歩幅に合わせるようにしているのでそうもいかない。
今この場にいない由音は例の裏路地にあるラーメン屋で店長のおっちゃんとラーメン食いながら談笑でもしている頃だろうか。
アホの由音は生徒会関連の仕事には手伝いですら向かないので、先に行かせてあった。こっちの帰宅に合わせて電話で連絡を取って合流する形にしてある。
正面玄関で靴を履き替えながら、携帯電話を耳に当てる。
「よう、由音。お前まだラーメン屋にいんのか?」
電話が通じたことを確認して俺が先に言葉を発すると、向こうでは無言で軽い溜息のようなものが聞こえてきた。
どうしたんだ?
同じように靴を履き替えた静音さんと共に玄関を出ながら電話に意識を向ける。
「由音?なんかあったか」
「守羽、由音君がどうかしたの?」
隣の静音さんが電話の邪魔にならないように小声で俺に問い掛けてくる。
「いえ、よくわからないんですけど……由音、おい由音!」
『守羽、気ぃつけろ』
ようやく声が聞こえたと思ったら、由音は珍しく普段あまり聞かない低い声音でそう答えた。だけど発言の意味がわからない。
「あ?」
『もしかしたらそっちに』

「やっぱ当たりはこっちだったか。やっとそのツラ拝めたぜ『鬼殺し』」

電話口の声を最後まで聞くより先に鼓膜に割り込んできた正面からの声。
その語調に込められた意思と、どうやったって聞き逃せない『鬼殺し』というワード。
眼球がその動きを耳に当てた携帯電話から即座に真正面へ向く。
同時にすぐ隣にいた静音さんの体を心中で全力謝罪しながら片手で突き飛ばす。
凄まじい風圧。ガキョッ!!という地面がバラバラに砕けて吹き飛ぶおかしな異音。
そして眼前に見えるは握られた拳。
回避、防御。共に不可能。
豪速で突き出された正拳突きが俺の額を貫き後方へ吹き飛ばす。
悲鳴を上げる間も無い。出来たのは最大限まで上げようとして間に合わなかった中途半端な肉体耐久力の“倍加”三十五倍程度。
さっき靴を履き替えたばかりの靴箱が、正面玄関のガラス戸諸共砕け散って空に舞う。
勢いは止まらず、そのまま体は一階ホールを突き抜けて対面の窓ガラスまでぶち破って転がりようやく速度を落として止まった。
受け身すら取れなかった。
「ぁ……ぐ………!?」
思考が歪む、意識を確立できない。
直撃した頭部が破裂したかのように痛む。視界が眩んで、どうにかわかるのは巻き上がる粉塵と雨のように降り落つガラスとコンクリートの破片。
それと、向こうに見える着流しの男。長羽織を着た、額に大きく太い一本角を生やした…人外。
鬼と、そのすぐそばで一連の状況を見ていたであろう静音さん。
俺が突き飛ばしてしまったせいで、尻餅をついたままの静音さんを、大柄な鬼が興味無さげな瞳で見下ろしていた。
「『鬼殺し』のダチか?どうでもいいが殺しとくか」
強化された聴覚が鬼の発言を捉え、ぐらつく視界に明瞭な敵の存在を強引に認識させた。
させるか…!
(脚力四十五倍、動体視力三十倍!!)
聴覚と視力で無理矢理にぐらつく視界と体勢を整え、ロケットスタートで鬼へと突っ走る。
「…おっ?」
「はあッ!」
勢いを乗せて振り抜いたストレートは躱されたが、想定内だ。
速度の乗り過ぎた拳に引かれて前のめりになったまま片足を上げて振り上げる。
「でっ!?」
鬼の顎を足の裏で蹴り上げることの成功したのを確認して、姿勢を戻しつつも渾身の回し蹴りを胴体に見舞う。
直撃して鬼の体が校舎の壁を突き破る。
「ぐ……静音、さんっ!!」
すぐに鬼に背を向けて、俺は殴られた時に落とした電話を拾いながら尻餅をついたままの静音さんを抱え上げて一気に跳躍。屋上に降り立ってからすぐに遠方の屋根目掛けて跳ぶ。
いきなり過ぎたが、襲撃自体は予想していたことだ。まずは距離を取って人気のないところまで。野郎のせいで学校がかなりぶっ壊れた。こりゃ明日は休校かもしれない。
「由音聞こえるか!!来やがったぞ」
まだ繋がったままの携帯電話に向けて叫ぶと、電話口からは僅かな呻き声に混じって水音を含んだ由音の声が返って来る。
『あー、ごほっ……うん、知ってる。悪い守羽、すぐにはそっち行けそうにねえや…!』
「…ちっ、こうなったか……わかった。相手は鬼だ、気を抜かずに挑め!いいな!」
『りょうか』
返事は途中で途切れてしまったが、状況は察した。
連中は『鬼殺し』と思しき異能力者の気配に向けて戦力を分けた。一方は由音に、一方は俺に。まだ他の戦力がいるのかはわからんが、おそらく大鬼を殺すに足る力の持ち主を選別して来やがったんだろう。
ヤツは俺を『当たり』と呼んだ、ようやく俺の顔を拝めたとも言っていた。
発言内容からして、おそらくヤツだ。
真っ先に俺を殺しに来るであろうと予想していた人外。
多くの猛者たる鬼共を手下として束ねる鬼の頭領。
かつて俺が殺した大鬼・茨木童子よりもさらに強い鬼。
ヤツが、|酒呑童子《しゅてんどうじ》か。



「…あーあ」
頭蓋骨ごと粉々になった自らの携帯電話の破片を指の間からパラパラと落とし、由音は消沈した様子でもう一度溜息を吐く。
「どうすんだよ、こんなバラッバラにぶっ壊してくれやがってよお…。弁償しろよお前らあ!!」
「牛頭…なんでコイツ生きてんだ?」
「そういう異能持ち、という他にないが…ああ、異なる能力にしてもあまりに異質だ。本当に人間なのか奴は」
陥没した頭部からだくだくと血を流す人間を、牛の頭と馬の頭を持つ二人の人外は若干引いたように見据える。
「ともあれ、どうやら頭目は無事『鬼殺し』へ行き着いたようだ」
「みてえだな。ってこたあ、俺らの役目はコイツをブチのめすだけってことか」
示し合わせたように、二人の人外はそれぞれ背中に背負っていたそれぞれの獲物を手に持ち構える。
「はぁー…ま、しょうがねえか…。おかげで調整する時間も足りたし、前向きに考えるか、うん!ケータイ粉々になった間に戦闘準備が整ったぞーよっしゃあ!!」
対して、空元気にポジティブ思考を維持しようと頑張る由音の両目は昏く深い色で染まっていた。見える者からは、その身から黒い瘴気のようなものまで見えているだろう。
“憑依”による人外の性質の上書き。それと並行して行われる“再生”の浄化が拮抗してバランスを保つ。
人の身にしてその肉体は人外と並び立つほどの強化が成される。
「来いよ鬼共!とっととぶっ倒してユッケかローストビーフにしてやる!作り方知らねえけどな!ってかお前らから作っても不味そう!!」
「馬頭、油断はするな。奴は普通じゃない、ただの人間と思わない方が賢明だ」
「らしいな、俺らよりよっぽど人外臭いぜコイツ」
「毎度毎度すみません静音さんっ!」
先輩を抱えたまま例の廃ビルの連なる立ち入り禁止区域へ全力疾走しながら、俺は頭部の傷を“復元”してくれた静音さんに謝罪する。
「ううん、私は大丈夫。守羽こそ…大丈夫?」
「どうですかね…っ」
今回ばかりは本当にやばいかもしれない。あの鬼は尋常じゃない強さを秘めている。人間だと思って舐めていたのか、不意打ち気味に初撃は当てられたがまるで手応えを感じなかった。衝撃で吹っ飛ばしただけであってダメージなど通ってはいないだろう。
しかしまさか学校に直接やって来るとは。いつも待ち伏せをしたり待ち構えてたりってのがデフォだったもんで意外だった。
そのせいでまたしても静音さんを巻き込んでしまったわけだが。完全に俺の考えが足りなかった。
「例の場所まで行ったら降ろしますから、すぐに逃げてください。どうせヤツの狙いは俺だろうし、俺が残れば静音さんにまでは目を向けないはず…だと思うんで!」
「そいつァどうかな」
俺の声に答えたのは静音さんではなく、屋根を跳んでいた俺のさらに頭上を跳んでいた者だった。
「守羽!上っ」
(脚力四十倍!!)
すぐさま念じ、静音さんを抱えたまま空中で身を反転させ真上へ向けて足を振り回す。
それを片手で受け止めた相手、大きく長い一本角に真っ赤にうねる頭髪を逆立てた大鬼が俺を真っ直ぐに見つめて凶悪な笑みを浮かべた。
「ほっほう、確かにただの人間じゃねェな。さっきもビビったが、コイツは中々だ。…んで、その力で茨木の野郎を殺しやがったのか?」
「だったらどうした」
「足りねェな」
振るった足を掴み、大鬼は手首を軽く返した。
それだけで俺の体は空中から地上へ向けて斜め下に投げ飛ばされた。
「きゃっ…!」
「…っく!」
どうにか静音さんに怪我をさせないように抱えたまま投げ飛ばされた先の路面を踏み砕いて着地し、勢いをつけてさらに逃げる。
街中は駄目だ。ヤツの力は一撃で簡単に街を破壊できるクラスだ。…握り潰された俺の右足首でそれを確信した。
野郎は軽く握った程度のつもりかもしれないが、こちとら常時肉体強度を三十倍で固定してたってのに…!
「静音さん、すみませんけどもう一回“復元”を掛けてもらえませんか」
片足でどうにか跳ねて逃走する途中で静音さんに潰された足首を戻してもらい、万全の両足で廃ビル群へと一直線に向かう。
「その力で、たったそれだけで茨木を殺った?冗談言うな、野郎はこのオレの次に強ェ鬼だったんだぞ」
大鬼は俺の全力に余裕で追い付いてくる。俺の出方を窺うように手を抜いたジャブのような連打を繰り返してくる。静音さんを片手で抱き直して、俺はその一撃一撃に注意しながら捌き逃げ続ける。
たかが手抜きの一発でも、大鬼のそれは容易に人間を破壊する。
「全然足りねェ。本気を出せよ人間。『鬼殺し』の二つ名はこんなモンじゃねェだろが!」
「ッ!!」
ゴヴァッと空気を切り裂いて迫る脚撃を片手でーーー防ぎ切れない。
ひしゃげた自分の片腕を無理矢理押さえ付けて衝撃を逸らせる。肩まで破壊されたが、かろうじて抱える静音さんは守れた。ぐしゃぐしゃになった腕ごと蹴り飛ばされ、俺は目的の地まで抵抗なく、流星のようにかっ飛んだ。
(前のヤツもそうだったが……なんだコイツらは…鬼、は……)
格が、違う。
背面から落下することも構わず静音さんの身の安全にのみ配慮しながら、俺は激痛と衝突で息の詰まる中で考える。
どうすれば勝てる。
どうすれば勝てた?
かつて、俺はあの大鬼相手にどう立ち回り、どう打ち勝った?どうやって殺した?
覚えていないはずはない。俺がやったんだ、他でもない俺自身が。
俺の力で。
打ってもいないのに、何故か頭が痛み出す。



早めにラーメン屋を出たのは正解だった、と由音は思っていた。
食後に少し店長のおっちゃんと会話をして、そろそろ生徒会の仕事も片付く頃かなという時間に店を出て電話を入れようとしたまさにその時だった。
現れたのは馬面と牛面の人外。
それだけでは鬼とはわからなかっただろう。だが連中にはわかりやすい特徴がある。
頭部に生える角。これは鬼にしかないものだ。
牛面には僅かに湾曲した凹凸のある角が頭の右側に一本、馬面にはゴツゴツとした枝のような角が頭の左側に一本生えていた。
二人(二匹?)の人外は何も言わずに由音の姿を確認するや襲い掛かってきた。能力の調整がまだだった由音は最初の数撃をまともに受け、瀕死の体で掛かってきた電話に出た。そこで守羽の方にも鬼が向かっていることを知り、あまりよろしくないこの状況を理解した。
そうして今、ある程度の調整が済んだ“憑依”状態の由音は手足を一本ずつ落とされ路地裏の壁に寄り掛かって体を支えていた。
「ぐぷ……ごほっ、げふ!」
口からは壊れた蛇口のように血液が吐き出される。内臓がほぼ全滅している上、手足の欠損。
千切れた手足はどこかへ吹っ飛んだ。拾って繋げることはできない。欠損部分から再生し直して肉体を構築する他ない。
現状深度維持での完治所要時間、二十分三十六秒。
間に合わない。
深度が足りない。力をもっと。
(もっと寄越せ……!!)

深度急上昇、“再生”の拮抗は追い付かない。
意識は四割までなら消失許容範囲内。
優先して欠損部位を再生。同時に“憑依”による強化を実行。
|致命復帰《リヴァイブ》、絶命の回避・死の要素を除外。
|打倒再開《リスポーン》、仕切り直し・行動可能状態まで二十八秒。
|行動開始《リスタート》、自己ノ意識は五割まデ確立を維持シなケレば暴走の危険性が高イ。
意識に混濁アり。戦闘継続に必要ナだケの理性が、ひツ、よーーー、
ーーー、……ーーー、
緊急措置。制動。目的。理由。抑制。目的。目的。目的。目的。
使う目的。
立つ目的。
闘う目的。
必要項目。
ーーー入力済み。
発動。
この力は、使う意味は、立つ必要は、闘う理由は。
全ては大恩に因る大義の為に。

「流石に死んだか?」
「だといいが、念のために頭と心臓を潰しておこう」
牛頭は手に持つ自らの獲物に付着した血を振り払い、壁にもたれてずるりと腰を落とした由音を油断なく見据える。
それは暴徒や犯罪者などを押さえ付け動きを封じる為の捕縛道具である|刺叉《さすまた》のような形状をしていたが、先端のU字の部分が研がれた金属刃となっているれっきとした殺傷用の武器だった。
由音の右腕を斬り落としたのもこれだった。
「お前のそれで首をストンと落としちまえやいいじゃねえか。そしたら頭は俺が潰すからよ」
そう言う馬頭の右手には一メートル半ほどの尺を持つ鉄の棒が握られていた。先端にいくにつれて幅が膨らんでいき、その表面にはスパイクのようなトゲがある。凶悪な鈍器であることは誰の目にも明らかな、釘バットをさらに殺害特化に仕上げたような一品。
鬼によく言う金棒である。これにより由音の左足は見るも無残に潰された。
「…そうだな。首を落としてしまえば人間ならほぼ間違いなく死は確定する」
「おうよ」
「では」
頷いた牛頭が、刺叉を構えてぐったりと身じろぎもしない由音の首へ狙いを定めて、U字の刃を一気に突き出す。
「……?」
確実な死を与える一撃に、しかし牛頭は奇妙な感覚に眉根を寄せた。
「あ?どした牛頭」
刺叉は由音の首に突き刺さりはしたが、手に返ってきた感触は人間の柔い骨肉を切断したそれとは大きく異なった。
まるで鋼鉄に叩きつけたかのような、硬い反動。
それを証明するように、由音の首に目掛けた刺叉の刃は首の骨を断たず、肉すら裂けずに皮膚の段階で止まっていた。
そして、伏せられていた由音の顔がゆっくりと上げられる。
真っ黒に淀んだ昏い両眼が、牛頭を見つめる。
「…!」
薄ら寒さを感じた牛頭が引こうとした刺叉を由音は左手で掴み、腕力のみで強引に引き寄せて跳び上がる。
「っ」
無事な右足を振り上げて牛頭の顔面に膝蹴りを食らわせようとするが、いち早く刺叉から手を離した牛頭が両手をそれをガードする。
「ぐ、ぬぅっ!」
ミシィッと人外の屈強な腕が軋む。
「まだ動けんのかコイツ!」
馬頭が金棒を振り被ってバッターのように横振りに由音を捉える。
普通の人間など一発で挽肉になりそうな強力な一振りを、由音は左足で真上に蹴り上げる。
潰れて原型も留めていなかった左足は、もう完璧に“再生”していた。
足だけではない。
ガッ!!
「ぎっ!?」
馬頭の首を左手で掴み、こちらも完全に指先まで傷一つ残すことなく元通りになった右の腕を振るって馬面を殴り飛ばす。
裏路地の壁を抉りながら通路を奥まで転がっていく相方を確認しながら、未だ膝蹴りを受けた痺れの残る両腕を構えて牛頭は歯噛みする。
「人間離れも、ここまで来ると笑えないな。少しは自分の人外っぷりを引いた方がいいと思うが」
人外から見ても人間とは呼べない相手が、牛頭の言葉を受けてぐらりと揺れながら不気味な挙動で振り返る。
吸い込まれそうで、押し潰されそうな錯覚を覚える漆黒の両眼が、僅かに細められる。
「は。ッハぁ…お、にハ………殺す」
「目的を見失っているわけでもない、…か。なまじ能力者の暴走でもないという辺りがなおタチの悪い」
鬼を二体相手取って、それでもまだ余力を残す人間を前に牛頭は思う。
(危険視すべき人間の戦力は『鬼殺し』だけではなかったということだ。まったく、山奥に引っ込んでいるとこういう部分で無知が露見してしまっていけない。俺も馬頭も、…………そしておそらくは、頭目も)
もしかしたら予想を遥かに超える力を持っているかもしれない『鬼殺し』を相手にしている自らの大将のことを案じながら、牛頭は牛頭で今自分の相手すべき人間を視界に入れて気を引き締めた。
89, 88

  

静音さんを抱え、背中から廃ビルの壁面に叩きつけられた俺は声も出せずに激痛に意識を持っていかれそうになるのを必死に堪えた。
(やべ、これ、は……背骨、イっ……!!)
背中というよりかは骨から来るような鋭い痛み。これは不味い、ヤってしまったかもしれない。
「守羽!」
腕の中の静音さんが俺を呼ぶ。
手足に力が入らない。声を出すのも辛い。なんだこれは、どこが壊れた?
とにかくこのままじゃヤバい。
「あ、……。し、ずねさ……復元、っを……!」
息を吸っているはずなのに途切れ途切れにしか出せない息に乗せて声を絞り出す。
「うんっ」
言われずともやるつもりだったのか、俺の言葉が切れるのとほぼ同時に身体の壊れた感覚が消え、痛みを残して肉体の破壊が“復元”された。
「ありがと、ございますっ…」
まだ激痛は残っているが、身体はもう無事に動かせる。
じっとしているわけにはいかない。
「静音さん、早く遠くへ。鬼の狙いは俺だ、俺がここで気を引いていればヤツは静音さんを狙うことはない」
立ち上がりながら、俺は少し離れたところで地面に降り立った敵を見ながら静音さんを逃がすタイミングを計る。
大柄な身体に着流し姿の大鬼・酒呑童子はその真っ赤な頭を掻きながら、
「まあそりゃ違いねェな。その女には興味ねェ。生かして逃がす必要はねェが、わざわざテメェを差し置いて率先して殺すほど意味があることでもねェだろうし」
「ならこの人に手は出すな。俺に用事だろ?大酒喰らいの鬼畜生が、すぐさまぶっ殺してやるから俺から目ぇ逸らすんじゃねえぞ…」
「クカカッ!無論だ、恋人同士のように熱く視線を交わそうぜ。テメェにはくたばるその時まで鬼の姿を目に刻んでおいてもらわねェと困るんだ」
「……静音さん」
鬼の言い分が本音かどうかはわからないが、それでも静音さんがこの場を逃げ切るまでは何がなんでもここに縫い止める。
名前を呼んで横目で意図を伝える。聡い静音さんならすぐに察しただろう。
だが、静音さんは行動を起こそうとはせず、無言で俺のシャツの裾を指で軽く引いた。
「静音さん…?」
「守羽。君は…自分の為に全力で闘える?」
「え…」
いきなり、なんの脈絡もなくそんなことを訊いてきた先輩に、俺はどうしたらいいのかわからず鬼の動向を視野に捉えたまま言葉に詰まった。
ほんの数秒、互い無言の時が流れ、次に口を開いたのもやはり静音さんだった。
静音さんはゆっくり首を左右に振るい、そして俺を見て、
「ううん。…なら守羽は、私の……私の為に、なんて理由で全力で闘ってくれる?」
「は、はい。もちろん」
またしても意図の図りかねる発言だったが、それには戸惑いながらも即答することが出来た。当たり前のことだからだ。
「そう…うん、わかった。守羽、気を付けて…」
俺の回答を受けて、静音さんは軽く頷いて今度はあっさりと俺から離れていった。俺と鬼との交戦領域を大きく迂回して逃げるのだろう。
今の質問は、一体なんだったんだろう。
状況を理解している静音さんなら、俺の言葉に従ってすぐにでも逃げてくれると思っていたのだが。
まあ、鬼の方が何故か律儀に彼女が離れるまで待っていたからよかったものの。
俺は酒呑童子を視界の中央に定め直す。
「意外に紳士じゃねえか、待っててくれるとは」
「あ?おう、オレは酒と女には甘いぜ。それでかつて文字通り寝首を掻かれたこともある。…だがまあ、しかし」
離れていく静音さんを、酒呑童子は横目で眺めて、
「ありゃァ良い女だな。せっかく山から下りてきたんだ、テメェ殺したついでの戦利品としてあの女を引っ提げて帰るのも悪くねェ」
瞬間、
五十倍強化の四肢を全力で行使して、一気に鬼の眼前まで距離を縮めた俺の右拳が大鬼の顔面中央に叩き込まれた。
「…テメエは、今」
上半身が後ろに仰け反った大鬼の腹に精一杯力を乗せた左脚の蹴りを放つ。鬼の身体が真横に折れて吹っ飛ぶ。
それを追って俺も両足に悲鳴を上げさせながら追随する。
「何を、ほざいた?」
両手を組んで頭上高く振り上げ、追い付いた大鬼の胴体へ思い切り振り下ろす。
ヒビ割れ荒れたアスファルトを砕いて鬼の身体が大きくバウンドする。
逃がさない。
さらにその顔面を潰してやろうと、大きく後方に引いた右腕を一気に突き出す。
「…フン」
弾んだ身体を立て直し片足でトンと地面を踏みしめて、大鬼は俺の一撃を片手で受け止めた。
まるでスポンジを打ったような、まるで衝撃を通すことを許さないような軽やかさで。
俺の全力の一打を止めてしまった。
「中々だな」
それは称賛のようでいて、嘲るかのような落胆の感情が見える語調だった。
「人間にしては中々だ。んで、その程度だ。…本当にそれで打ち止めか?」
俺の五十倍を数撃受けてまるで効いていない化物は、つまらなそうに俺の拳を引いて代わりに自分の拳を俺の腹に沈ませた。
肋骨数本と、内臓かいくつか破壊されたのを即座に理解した。
「ごぶっ……!?」
「鬼っつゥのはな、大体力持ちだ。金剛力ってのか?とにかく、力が強い。それを扱う肉体も同様に硬い。人間にしちゃ随分いいモン持ってたが、それでもオレに届かせるにはまだ弱い」
前のめりに倒れる前に蹴り上げられる。防御に回した左腕はマッチ棒のように脆く折れ曲がった。
「それで本気なんだとしたらあまりに妙だ、妙過ぎて殺すのも躊躇うレベルだ。この期に及んでまだなんか隠してんじゃねェかって勘ぐっちまってるくらいにな。…っつゥか、」
中空に打ち上げられた俺へ、追撃の回し蹴りが迫る。
「…………ぁ」
緩慢に、それでも必死に余力を絞って残った右手で受け止めようとする。
「なんか隠しててもらわなきゃ困る」
右手は蹴りを受け止めてひしゃげた。
「ーーー!」
掌から手首、肘。
衝撃が伝い、順繰りに破裂し肉片を飛び散らせる。飛び散らせながら、なおも衝撃は身体を貫通しボールのように飛んでいく。
ボロボロのビル壁を粉砕してようやく止まった。胃液が吐血に混じって吐き出される。
「そんな程度の力で、同じ大鬼の茨木がやられるわけがねェんだ。『鬼殺し』たる所以はなんだ?鬼を殺した力はどうした?|同胞《オニ》を殺した力を見せろ、それを叩き潰さねェと気が済まねェ以上に気味が悪いだろうが。なんで使わないんだテメェは」
ゆっくりと歩き寄ってくる赤髪の鬼の姿が、横倒しになって明滅する視界の中でかろうじて映る。
傾いた視界で、鬼が唾を吐いて言う。
「死ぬぞ、テメェ」
死。
ここで死ぬか。殺した鬼の仇討ちで鬼に殺されて。
やりたいことはたくさんある。まだ、たくさん。
家族で行きたいところだってある、まだ学校でやりたいこともある。
俺だって普通に暮らしたい。異能なんてもんを抱えないで、人外だのなんだのに悩まされたりせずに友達を作って能天気に遊びたい。
やり残してることだって、いっぱいある。せめて、振られるのがわかっていたってあの人に想いを伝えるくらいはしたい。したかった。
そうでなくたって、一緒にいられればそれだけで満たされてた、ってのに。
それすら、もう叶わないのか。
………でもまあ、いいか。
もう時間は充分に稼いだ。静音さんはかなり遠くまで逃げただろう。
あとは鬼が俺を殺して満足して、それで帰ってくれればいいんだが……そうならなかったなら、あとはアイツに任せるしかなくなる。えらいキラーパスになるが、どうにかしてくれ由音。頼む。
「…やれやれ、くだらねェ」
大鬼が何かを言ったが、俺には聞こえなかった。
視界にいた大鬼は、何故か俺に背を向けていた。
「出す気がねェなら、出させるまでだ。……このオレ様はな、知ってんだよ。テメェら人間の、本気の出させ方ってヤツをな」
大鬼は、喋りながら俺でなく違う方向に目を向けていた。
自然と、死に掛けの体で俺もその視線を追う。
……………………………………………………、
「な、ん、………で」
なんで、あなたが、そこに。
視線の先の薄闇の中に立っていた、その人を見て絶句する。
「特にテメェみたいなのは単純だ」
大鬼は愉快げに言う。
その先にいる女性を指差しながら、
「大事なモンなんだろ?取り上げたらガキみてェに癇癪起こして暴れ回るんだろ?知ってんだよ。オレはな。人間がそういうモンだってのは」
久遠静音さん。
もうとっくに遠くまで逃げていなければならないはずのその人が、堂々と逃げる様子も見せずに大鬼の圧力にも屈せず凛々しくそこに立っていた。
「さァ、いつまでそこで這いつくばる?死に体でも見せてみろ、大事なモンが壊されるのが、自分の身が壊れるよりも苦痛に感じる人間の底力ってのを」
90

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