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第三話「伝説とこれから」

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 火が点いた。満ちた月のある晩に、いよいよ2つの傭兵団の修羅が始まった。
「思っていたより早かったですわね」
 敵発見の報告を聞いたカルベネがそう言う。竜根傭兵団がマシアを占領してから季節は2つ変わり、約半年が経過していた。
「早くやりたくて仕方が無かったんだろう。俺と同じようにな」
 教会の3階で服と鎧を着ながら、グラーグは火の手の上がった方向を見た。
 火計は宵闇傭兵団の定石である。単独部隊での奇襲には相手の虚を突く事が不可欠であり、少数で大軍を制すには火による包囲攻撃が効果的である。しかしながら、今回は宵闇傭兵団の方が人数では利を得ており、客観的に見ればそのような策は取らずとも勝てる勝負である。
 しかしスヴェイルは知っている。いかにグラーグが危険であるかを。いかに竜の血が人間を超えた力を産むかを。どちらも身を以って良く知っているからこそ最も慣れた策を用いて、必勝の構えで挑んだ。
 宵闇傭兵団が動き出す。
「ある程度火が回ったらいつものように風上から仕掛けるぞ。僕は奴らの本隊がいる教会を一直線に目指す。後は各自、役割通りに」
 スヴェイルが部下に指示し、耐火性のマントを羽織った。片手に弓、片手に短剣を持ち、腰の後ろに矢筒を下げている。鉄の鎧は着ずに全身革の軽装で、グラーグとは対照的だった。
「奴は必ず僕が殺る。お前らは1対1になれるようにサポートに徹しろ」
 その目には、点けた火よりも熱い執念の炎が宿っていた。
 一方、竜根傭兵団本隊。元あった教会を改造し、簡単な砦に仕立てた場所で、最後の指示を飛ばすグラーグの所に、ある男が飛び込んできた。今まで風呂に入っていたらしく、坊主頭からは湯気が上がっている。
「グラーグ! ついに来たか!」
 何故レザナルド正規軍に所属するソリアンがド田舎マシアまで来ているのか。それにはやや複雑な経緯がある。軍としては、やはりいち傭兵団に敵地の占領を任せるのはいざという時に不安であり、かといって代わりの隊を送り込む程の余裕もなく、それに商人組合の顔もある。そこで、ちょうど戦線にて腕の骨を折って休養中だったソリアンを「監督役」として送り込む事で、ある程度の統制を効かせようという判断だった。これは女王様ことミネイルの発案だ。
「ソリアン、腕はもう大丈夫か?」
「おう! ちと鈍ってはいるが、お前に遅れは取らんよ」
 そういった経緯で、しばらくはソリアンも女に囲まれ至れり尽くせりの生活を送っていたという訳だった。
「しかしグラーグ、この火、乗り切れるのか?」
「訓練はさせてある」


 スヴェイルが攻めに火計を用いてくる事は、グラーグも十分予測済みだった。メリダンからの情報が無くても知っていた事ではあったが、その詳しい手順や、火に乗じた戦い方については新しく学び、覚える必要があった。
 宵闇傭兵団における火計は、まずは弓矢で火種を多数放ち、そのまま戦闘に突入し、特製の油を使って火を広げ、敵を火と人の両方で包囲して叩くという方法を使う。よって、兵士達はそれぞれ油を装備品として携帯しており、またその扱いにも長けている。火を読むコツは風の流れを常に意識する事、燃やす素材の性質、戦場として有効な範囲の移り変わりも重要な要素だ。これらの技はスヴェイルが独自に体系化し、兵士達に教育していた。これによって、夜間での奇襲における宵闇傭兵団の勝率は未だもって10割を保ち、誰にも破られた事はない。
 それを踏まえた上で、グラーグは策を練っていた。
「わしらドラゴンにとっての火は命その物じゃからな。奴がその扱いに長けるというのは分からないでもないのう」
「先っちょから火を噴く時は先に言えよ」
「流石のわしでもそんな芸当は出来んわい。しかし、奴の火にはどう対応するつもりじゃ? その都度消すしかないかのう?」
「いや……」
 と、グラーグは少し考えてからカルベネを呼びつける。
「奴が味方だと思っている火、そいつに寝返ってもらおう」
 マシア占領以降、竜根傭兵団はある訓練を積んできた。
 それは、あえて火を近くに置きながらの戦闘である。マシアは密林に囲まれた土地。燃やせる木は腐る程にあるし、交易ルートを確保する為にも木は邪魔な存在だった。グラーグの策を聞いたその日からカルベネは多忙に追われる事となる。
 まずは地下の水源を何本か、カルベネの技術で特定し、それに沿ってあたりをつける。そして水源に向けてある種の呪いを帯びた杭を打ち込み、森を程よく枯らす。そこに火をつけて道を開拓していく訳だが、それと同時に隊を2つに分け、燃える森林の中で戦闘訓練をこなしていく。
 つまり、レザナルドに向けての安全なルート確保という仕事をこなしつつ、同時に火を怖れずに環境に慣れるという一石二鳥の作戦だった。
 これにより、竜根傭兵団は宵闇傭兵団と同じ条件で対峙する事が出来る。
 そして、カルベネの施したもう1つの大きな仕掛け。それが今、文字通りに火を噴いていた。
「スヴェイル様! 何か妙です!」
 部下の報告に、スヴェイルが目を凝らす。見れば、放たれた炎の動きが尋常ではない。
 風下から風上に向かって広がり、兵士が油をかけた場所では火がむしろ鎮まっている。かと思えば、何も無いはずの所で突如小規模な爆発が起きたりしている。
「村全体に陣を張り巡らせるのは流石の私でもいささか苦労しましたわ。優秀な弟子の助けが無ければ、出来なかったでしょう。ですが、火を使って混乱させようとする者がその火で混乱していく様を見るのはなかなか酔狂な物ですわね」
 魔女カルベネ。その深淵なる知識と古のドラゴンの組み合わせはまさに凶悪その物だった。


 火の粉飛び交う戦場と化したマシアでは、そこかしこで鉄のぶつかり合う音が聞こえていた。当初あったはずの戦力差は、策と力の両方で徐々に逆転しつつある。腹を膨らませた女達は、妊婦とは思えない力強さで相手の男を叩き伏せ、思いもよらない火の暴走に百戦錬磨の宵闇傭兵団も混乱、圧倒されている。
「うろたえるな! 僕がグラーグの首を取る。こいつらの戦う動機は奴への忠誠だけだ。奴さえ死ねば勝利はこちらにある!」
 叫ぶスヴェイル。部下達を奮い立たせる為の言葉だが、確かに間違ってはいない。この戦いの終着点は、グラーグかスヴェイルいずれか1人の死だ。
「スヴェイル!」
 教会前、剣を突き立てた女が1人、番犬のようにそこにいた。その姿に、スヴェイルは見覚えがある。
「おやおや、メリダンじゃないか。なんだお前、飼われていたのか?」
 元宵闇傭兵団切り込み隊長メリダン。すっかり大きくなった腹は、出産間近といった所だった。
「スヴェイル。お前の首、貰い受ける」
 そう宣言するメリダンを嘲笑うかのように、スヴェイルがわざとらしく気づいたように言う。
「はっはーん、なるほど。お前がうちの内部情報を流したから、こうして竜根傭兵団は善戦しているという訳だ。昔の仲間を売って、自分を犯した者の下で働き、子供まで作る裏切りの気分はどうだい? おめでとう、とでも祝福すべきかな?」
 スヴェイル得意の挑発にもメリダンは揺るがない。
 真っ直ぐに敵を見つめて、最高速の跳躍で突撃するメリダン。その速度は、妊娠する前よりも速く、身重を少しも感じさせない。竜の胎児と女の執念の成せる技だった。
 が、残念ながらそれがスヴェイルに通じる事はない。
「……かはっ」
 スヴェイルの持っていた短剣が、メリダンの腹に突き刺さる。深く、奥まで。
 血は噴出していないが、それはスヴェイルが短剣を引き抜くまでの話だ。スヴェイルが力を込めて抜こうとした時、その手をメリダンが上から握った。その思いがけない握力に、スヴェイルは手を振り払い、部下から新しい短剣を受け取る。
「……悪いが、君の相手をしている場合じゃないんでね。トドメは彼らに刺されてくれ」
 かつて自身の部下だった者達がメリダンを囲い、スヴェイルは高笑いしながら教会の中へと入っていった。部下のうちの1人が、高く剣を振りかざす。
「メリダン隊長、いや、メリダン。腹の子共々、その命、頂く」
 剣を見上げるメリダンに、諦めの表情は全く無い。むしろ楽しみはこれからといった風な、期待に満ちた顔だ。見れば既に、短剣の刺さった腹の出血は止まっている。
「……私はともかく、こんな所でこの児が死ぬなら、そう苦労はしなかっただろうな」
 愚痴が終わると同時、剣を構えた男の首が跳び、メリダンの頬に血の朱が刺した。
 田舎にしては、というより、田舎であるからこそなのか、大きく、凝った作りの教会だった。信仰しか拠り所が無く、村での集まりにも利用されていた為、並んだ椅子や調度品を取っ払うと軍にある屋内擬似戦闘訓練場程の広さがあった。2人の男が雌雄を決するには十分な舞台である。
 3階にいるカルベネとテルフィは、戦いが終わるまで降りて来るなと命じられている。魔女と言っても、手の平から炎の出るような超常的な力を持っている訳では無く、ただ普通の人間よりも少しばかり自然の理に敏感なだけであり、力と反射が物を言う戦闘においては無力だ。人質に取られたりすればこれ程厄介な事はない、とグラーグは説明した。
「あら、私達が人質に取られたら、困るんですの?」
 わざとらしく尋ねるカルベネの腹は膨らみが目立ちつつある。テルフィは未だ、処女のままだ。
「まあな。だが勘違いするなよ。お前は役に立つからだ」
「あらあら。ならそういう事にしておきましょうか。ねえ? テルフィ」
 よって、教会に突入したスヴェイルを待ち受けていたのは、グラーグとソリアンの2人だった。スヴェイルの姿を認め、グラーグは言う。
「ソリアン、お前は入り口でメリダンと一緒に他の奴らが入ってこないように足止めしてくれ。奴とは1対1で決着をつけたい」
「おう、健闘を祈る」
 拳を交わし、ソリアンが教会から出ていく。すぐ隣を通っても、スヴェイルは手を出さない。
 こうして竜の血を持つ2人の男が、面と向かって対峙した。
「グラーグ、こうして言葉を交わすのはあの時以来だな。汚い手を使って僕を嵌めたあの時だ」
「俺のした事をお前がどう思おうと勝手だが、ひとつ質問がある」
「何だ?」
「お前の中に流れるドラゴンの血。一体どこでそれを手に入れた?」
「はっ」と、スヴェイルは一笑に付す。
「僕の血は持って生まれた純粋な物だ。お前の汚い血とは違う」
「なら言い方を変えようか。お前の父と母はどっちがドラゴンなんだ?」
 これには流石に易々とは答えないだろう、とグラーグは予想していた。答える義務など無いからだ。マズブラウフアに尋ねるように頼まれていたので一応してみたのだが、意外にも答えはあっさり返ってきた。
「母上だ」スヴェイルは恍惚な表情を浮かべ、勝手に続ける。「我が最愛にして最高の母上。母上の為に僕は戦う。そして勝つ」
「やはりマレナセイルパルじゃったか……」
「あん? 何だって?」
 呟いたマズブラウフアに、思わすグラーグは抜けた声で尋ねる。
「マレナセイルパル。雌のドラゴンじゃ。人や動物に姿を変える術を持っておってな、酷く人の事を憎んでいたのう。それと、わしの次に強い」


「なんだ、昔の女かなんかか?」
「まあそんな所じゃ。今も昔も色男じゃからな」
 ちんこ風情がよく言うぜ、という言葉をグラーグは飲み込む。
「何をぶつぶつと言っている。始めるぞグラーグ」
「ああ。来い、スヴェイル」
 先手を取ったのはスヴェイル。だがそれは油断を誘ったり隙を突いたという訳では無く、ただ単に獲物の違いによる物だ。
 スヴェイルの矢をつがえる動作は恐ろしく素早く的確で、グラーグの突進を封じるには十分だった。
「はっ! はっ!」
 まさしく矢継ぎ早に、腰に備えた矢筒から矢を補充し、グラーグの急所を狙って放って行く。一切の迷いが無い真っ直ぐな軌道で、その速さは人の知覚出来る領域を超えている。
 だが、グラーグとてただの人ではない。短剣と弓を持つスヴェイルに対し、グラーグは誤魔化し無しの長剣一本。盾すら持たず、マントも羽織っていない。飛んでくる矢を目で見て、それから剣で叩き落す。間に合わないようであれば、鎧の肩や胸当てで受ける。
 今回、スヴェイルの持つ矢や短剣に、竜殺しの毒は塗られていない。生成に貴重な材料を使う事や、逆に利用された場合スヴェイル自身の身が危なくなるといった理由もあるがそれ以上に、スヴェイルは単純な力でもってグラーグを制したいと思っていた。自分が目の前の男よりどんな場合でも優秀であるという事を、証明したかったのだ。
「そろそろ残りの矢は少ないんじゃないか?」
 グラーグの指摘は当たっていた。残り一本。最後のそれを、弦をぎりぎりまで引き絞って放つが、グラーグは叩き折る。
 スヴェイルが弓を捨て、短剣を逆手に構えた。
「ふん、少しはやるようだ。手がお前の汚い血で汚れるのが嫌だったが、やるしかないようだな」
「そうこなくっちゃあ楽しくないぜ」
 じり、とグラーグが一歩近づく。
 射程と威力においては、グラーグの長剣が一歩リードしている。だが、スヴェイルには例の目にも留まらぬ突撃があり、お互いに竜の血による再生能力を前提に戦う場合、急所を確実に突ける短剣は接近した時に驚異となるだろう。グラーグには鎧があるが、懐に潜り込まれた時に果たしてそれが役に立つかは謎だ。よって、一見グラーグ有利に見える状況はその実、スヴェイルに分があると言える。
 しかしながら、そんな事はグラーグも重々承知している。した上で、スヴェイルを懐に誘っているのだ。何故ならばグラーグにはもう一本の秘剣マズブラウフアがあり、股間で機を伺っている。
 グラーグの鎧にはちょっとした細工があらかじめ施されている。というのは、紐を解けば腰と股間を覆う部分が外れ、簡単に陰部が露出されるようになっているのだ。これにより、もしもスヴェイルがグラーグの懐に入った瞬間、股間から飛び出したマズブラウフアが、スヴェイルの心臓を一突きし、決着という事になる。罠は既に、仕掛けられている。
 じり、更に一歩。グラーグが近づき、距離が縮んだその瞬間、スヴェイルが床を蹴った。
 幼少期の頃よりも、遥かに速い突撃。音を割り、空気を裂いて、竜の力を漲らせた肉体が跳ねる。グラーグの視線はまだ追いついていない。マントはまだ、人の形でその空間に残っており、それを着ていたスヴェイルが跳んだ方向はグラーグの方では無く、その遥か右、壁に向かってだった。


「遅い!」
 グラーグが気づいた時、壁を蹴って、更に加速をつけたスヴェイルの刃は既にグラーグの喉元に届きつつあった。間一髪、開始早々窮地のグラーグを助けたのは、マズブラウフアだ。
「まったく何をしとるんじゃ、ぼーっとしとる場合じゃないぞ」
 股間から飛び出たマズブラウフアが、向かってきたスヴェイルの身体を跳ね飛ばしていた。ダメージは無いようだが、再び距離が開く。
「やっと会えたね。古竜マズブラウフア。僕は君を尊敬しているが、どうやら君は宿主を間違えたようだ」
「かもしれんのう。じゃが宿る場所は間違えておらんわい」
 もちろん、マズブラウフアの声はスヴェイルには届いていない。
「もう一回だ」
 再び、スヴェイルの突撃。今度は別の角度からだったが、目が慣れてきたのかグラーグはその一撃を剣で受ける。鍔迫り合いの形になった。
 ドラゴンを母に持つスヴェイルと性器がドラゴンのグラーグによる純粋な力比べは、図らずも完全に均衡している。
 ならば、3本目の手があるグラーグに軍配が上がるのが理だ。
 マズブラウフアが硬化し、先端を鋭くして伸びようとしたその刹那、スヴェイルが小さく笑った。
 持っていた短剣を捨て、腰に装備した矢筒を取ったのだ。そしてそれを膨張しつつあるマズブラウフアに上から被せ、矢筒に付いたスイッチを押す。すると、内部にあるバネが弾け、ゼンマイが回った。散らばった矢が全て、矢筒に向けて凄まじい速度で戻ってくる。
 罠を張っていたのはグラーグだけではない。スヴェイルもまた歴戦の傭兵であり、備える事で生き延びてきた。先ほど放った全ての矢は、スヴェイルの細く強靭な髪の毛で矢筒に繋がれ、こうして一瞬で戻ってくる仕掛けが施されてあった。
「使うぞい!」
 グラーグが同意する暇も無く、マズブラウフアは、宣言通りに巨大化を使う。溜まっている精液のエネルギーを解放し、それを肉棒に注ぎ込む。それ故に、しばらく射精が出来なくなる大技だ。
 矢筒が張り裂け、戻ってきた矢も衝撃で吹っ飛ばされた。もしもマズブラウフアの判断が一瞬遅ければ、矢の雨は根本に降り注ぎ、たちまちにグラーグとマズブラウフアを再び別の個体へと分けてしまっていただろう。
 一方で、グラーグもきっちり仕事はしていた。
 その手には、たった今のやり取りで手に入れた戦利品が握られている。
 スヴェイルの右腕だ。
 短剣を離した瞬間に、矢筒を掴んだ手を掴み、マズブラウフアの巨大化が発動したあたりで切り落とす事に成功していた。
 残されたのは、利き腕と武器を失った男が2人。グラーグの方は、ちんこが巨大である事以外は何ら異変は無く、汗ひとつかいていない。
「お前が普通の人間なら、これで仕舞いにしてもいいんだがな。何せ竜の血とやらは厄介で、再生する可能性がある。トドメを刺してやらなきゃならん」
 そう言いながら、グラーグは近づく。スヴェイルは両膝を床につき、脂汗を流している。憎しみに満ちた目は変わっていないが、立ち上がれないのか少しも動けないのか、姿勢を変える事はない。
「くっ……」
 狙いは首だ。グラーグが高く剣を掲げ、振り下ろそうとしたその時、
「悪いな、グラーグ」
 グラーグの肩に、鋭い痛みが走る。掲げた剣を落とし、鮮血がそれを洗う。
 その声に、グラーグは聞き覚えがあった。いや、ありすぎる程だ。
「あの時とは逆になっちまって」
 グラーグが振り向くと、親友ソリアンが、いつもと変わらぬ笑顔でそこにいた。
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 感触が、音が、目の前にある光景が、全てが嘘であるようにとグラーグは願った。唯一無二、戦場で背中を預ける親友による裏切り。ソリアンは剣を引き抜き、もう片方の肩に再度振り下ろす。
「ぐっ……本当に、ソリアンなのか?」
 当たり前の事を尋ねるが、まだグラーグに全く希望が無い訳ではなかった。つい先程、マズブラウフアから聞いた「人に化ける」というドラゴンの話。名前はもう忘れたが、そいつがソリアンに化けているのだとしたら、まだ納得が行く。勝てるかどうかは別として、戦う事が出来る。
「残念ながら、俺は俺だ。レザナルド軍副隊長ソリアン、お前の親友さ」
「変身といっても、特定の人物に似せて変身は出来ないはずじゃ、つまりこやつは……本物の……」
 マズブラウフアは言いかけて、気まずそうに沈黙する。何よりグラーグ自身が分かっていたのだ。目の前の男が、幼少期から苦楽を共にしてきた友である事を。
「これでようやく俺はお前に追いつけた訳だ。いや、追い越すと言った方が良いかな?」
 更に一撃、グラーグに刃が入る。落とした剣を拾う事すら出来ず、茫然自失のグラーグだったが、ソリアンの攻撃の手を止めたのはスヴェイルだった。
「待て、ソリアン。トドメは僕が刺す」
 2度の限界を超えた突撃と、片腕を斬り落とされた事でスヴェイルも満身創痍だったが、それでも回復出来る範囲の傷だ。
「ああ、わかってる。動きを封じてるだけだよ。さっさとその傷を治してくれスヴェイル」
 ソリアンがスヴェイルの指示に従っている。それだけでも吐き気を催すというのに、ソリアンが今まさに実行しようとしている事は自分の殺害なのだから、グラーグの闘志が凍るのも無理はない。
「何をしておるグラーグ! ここで立たなきゃおぬしは死ぬんじゃぞ!」
 最早マズブラウフアの檄も意味を成さない。かろうじて一言、こんな疑問が出ただけだった。
「……何故だ?」
「あん? 俺は軍人らしく命令に従ってるだけだよ。お前さんこそ、軍を辞めてからすっかりらしくなくなっちまった。昔のお前なら、これくらいの状況は想定して当然だった」
 スヴェイルが回復しつつある。右腕は完全に元通りとまではいかないが、どうにかして立ち上がり、左腕で短剣を持つ事くらいは出来るようになった。一方のグラーグは、ソリアンに傷を抉られ、呻き声をあげた。
「さて、そろそろお別れのようだぜグラーグ。女王様には俺からよろしく伝えておく。じゃあな」
 ソリアンの表情は少しも崩れず、かつての親友を家畜か何かのように冷酷に見下している。
 グラーグの胸に、スヴェイルの短剣が突き刺さった。その位置は的確に心臓であり、短剣が奥まで刺さった時、グラーグは死ぬ。
「おいグラーグ! おぬしはこんな所でくたばるような玉じゃ無いじゃろ!? 何の為にわしがおぬしを選んだと思っておるのじゃ! まだ100人の児をこしらえておらんぞ!」
 マズブラウフアの絶叫むなしく、短剣はその残酷な進行を止めようとはしない。
「すまん……マズブラウフア……。俺は……ここまでだ……」


 痛みの中に、グラーグの意識がどろどろに溶けて落ちていく。視界がぼやけて、もうソリアンの顔すら見えないが、多分きっと笑ってるんだろうと思う。スヴェイルの声が遠くに聞こえる。
「グラーグ、お前にこうするのを、あの時からずっと待ち望んでいた。だけど皮肉な物だよな? かつてお前が僕を嵌めたのと同じ手で、今度はお前が嵌められて殺されるんだ。どうだ? 後悔してるか?」
 どこでソリアンは道を間違えたのか、あるいは誰の陰謀がソリアンを変えたのか。それだけが気がかりだ、とグラーグは薄れ行く意識の中で思う。
 竜の陰茎を持つ男、グラーグ。ついに倒れる。胸からは大量の出血。既に心臓は停止し、瞳孔も開いた。こうなれば竜の血による再生能力は意味を成さず、心臓を治す事は出来ない。つまり、グラーグの持っていた心臓が再び動き出す事は2度とない。
 グラーグの絶命とほぼ同時に、女が3人教会に突入してきた。メリダン、サリア、ミシャ。団の中でも一際お腹の大きく、出産間近の3人だ。
「グラーグ様!」
 最初に叫んだのはサリアだった。メリダンは目の前の状況が信じられない様子で、立ち尽くしている。ミシャは剣を構えた。必ずグラーグを助けるという信念の篭った目だ。
「ソリアン、相手をしろ」
「ええ? 俺1人で3人をか?」
「僕がもう少し回復するまで、しばらく耐えるんだ」
「ちっ、仕方ねえ。この事は必ず報告頼むぞ」
「もちろんだ」
 そんな会話がされた後、ソリアンはグラーグの肩から剣を引き抜き、ぴっと血を振り払った。
「さて、誰から来る? 同時でも構わんぜ」
 まずはミシャが斬りかかった。続けてサシャ、メリダンの順だ。妊婦とは思えない程に素早く、力の篭った一撃。その身に宿しているのが普通の胎児ならばあり得ない話だが、3人はそれぞれ自分の子が胎内から語りかけてくるのを毎日感じていた。漲る力に疑心はない。
 さりとてソリアンも熟達の軍人である。3人相手とはいえ、反撃とまではいかなくとも、攻撃を躱し、弾き、凌ぐくらいの事はしてのける。スヴェイルは再び膝をつき、グラーグを殺したという充足感の中で、身体の回復を待っていた。
 3人からすれば、スヴェイルが手負いの今、2人共を倒せなければ勝ち目はない。となれば、グラーグの手当ても出来ない。必死になって戦うが、残念ながら守りに入ったソリアンを打ち崩せる程の実力は、3人にはなかった。
「もう少しだけ、力を貸して!」
 サリアが胎内の我が子に呼びかける。他の2人も同様、祈りながらの戦いだった。
 しかし3人の妊婦による果敢な剣戟は空転に終わる。
 スヴェイルが肉体の回復を終えた。腕も元に戻り、それなりに戦えるくらい体力も戻った。
「ふぅ、やっとかスヴェイル。さっさと終わらせるぞ」
 ソリアンも流石に疲労の色は隠せない。
「分かってる」
 後の仕事は残党狩りだ。グラーグと対峙した時よりもよっぽど楽な気持ちで、スヴェイルは短剣を握った。


「おい、グラーグ」
 真っ白い光の中で声がする。
「聞こえておるのか、グラーグ。お前じゃ」
 そこはグラーグにとっては初めて来た場所だったが、マズブラウフアにとっては慣れた場所だった。竜だけが踏み入れる事の出来る夢の世界。そこに1人と1匹はいた。おぼろげな気配で、生前の形はない。
「……死んだのか」
 疑問系でなかったのは、グラーグには確信があったからだ。心臓を進む刃の感触が、今も胸の当たりに残っている気がしたのだ。友に裏切られ、無残に負けたというのに何故か心は穏やかだった。随分殺風景な所だ、これからここで暮らすのは気が滅入るなどとのんきに考える余裕すらあった。
「馬鹿者! まだおぬしは死んでおらん」
「あ?」
「心臓は止まっておるし、血も随分と抜けた。脳みそも動いておらん。だが、まだじゃ」
 そりゃ死んでるって呼ぶんだ、とグラーグは指摘しようかと思ったがやめた。自分の事だ。
「あまり時間はないがの。おぬしをここに呼んだのは他でもない。おぬしにまだ戦う意思があるかどうかを訊く為じゃ」
「戦う……意思だって?」
「そうじゃ。あの時地下牢で見せた不屈の心。それがまだおぬしの中にあるかどうか、じゃ」
 メリダンから拷問を受け、目と耳と性器を失い、それでもグラーグにはメリダンを倒そうという精神があった。マズブラウフアはそこを気に入ったと言い、自らの陰茎を託したのだ。
「どうなんじゃ?」
 答えに困るグラーグ。改めて、考えてみる。
「……前にも言ったが、俺は戦う為に生きてきた。戦わないのなら、死ぬのと一緒だと思ってる。逆に死んでも戦いたい奴がいるのなら、俺は死なない」
 滅茶苦茶な事を言っているようで、しかしグラーグにとってはそれが自然の理屈だった。
「ソリアンとは戦いたくない、という事じゃな?」
 マズブラウフアの口調は責めるでもなく呆れるでもなく、ただ事実を確認するようだった。
「……ああ、そういう事なのかもな。裏切られてもなお、俺はあいつの事をどっかで信じてる。仲間とは戦いたくねえ。戦わねえのなら、死んでんのと一緒だ」
「スヴェイルはどうするんじゃ? 奴にやられっぱなしでいいのか?」
「……いや、奴は倒したい。だが、それにはソリアンと戦わなくちゃならん」
 溜息が零れる。それがどちらのだったかは分からない。
「女達はどうする?」
「女?」
「カルベネ、メリダン、サリア、ミシャ、テルフィ、それからフラウリーチェ。他にもお前を慕う女達が沢山おる。そしてその子供達も、お前を父として尊敬しておるんじゃぞ」
 家族を持たず、ずっと戦場で暮らしてきたせいか、グラーグにはいまいち実感が湧かない。しかしここ数ヶ月の暮らしは、確実にグラーグの心を変えつつあった。
「……そうだな。今、奴らを守れるのは……俺だけ、か」
「そうじゃ。こんな所で死んどる場合じゃないぞ!」
 おぼろげだったグラーグの輪郭が、はっきりと見えてきた。眼力が増し、そこに再び僅かな闘志が灯る。
「もう一仕事、してやるか。だがどうする? 俺の心臓はもう無い。どうやって生き返るってんだ?」
 マズブラウフアが微笑んだ。といっても、その表情を確認した者はいないが、確かに声は笑っていた。
「おぬしに、渡す物がある」
 教会の外においての戦況は閉塞しつつあった。当初、所詮妊婦であると油断してかかっていた宵闇傭兵団側は、その機動力と統率からなる危険度を知った事によって迂闊に動けず、相手が守りに入れば数で劣る竜根傭兵団も仕掛けづらい。よって、どちらの傭兵団も、その首領同士の戦いをどちらが制するかといういわば結果待ちの状態となっていた。
 一方で教会内の戦況は竜根傭兵団にとっては最悪の状態にある。長であるグラーグは死に、手練の3人の攻撃もソリアンの前に捻じ伏せられている。手負いだったスヴェイルは復活しつつあり、既に戦いは終わっていると言っても過言ではない。
「グラーグ! 起きろ! あたしを犯した責任を取れ!」
 そんなメリダンの叫びは、目の前に立ちはだかったスヴェイルの前にむなしくかき消された。短剣を喉に突きつけられ、スヴェイルは先ほどとは一転した優しい口調で問いかける。
「そっちの2人は使い物にならないが、メリダン、お前もう1度うちに戻らないか? 王女はもう死んだし、お前を罰した王も発狂して、もうお前の顔すら覚えていないだろう。腕も鈍っている訳じゃなさそうだし、お前さえ良ければ席を用意してやるよ」
 それを悪魔の囁きであると断ずるのはいささか語弊がある。生き残り、金を稼ぐというのが傭兵にとっての正義であり、敗色濃厚な戦いで差し出された助け舟に乗る事は恥とは呼べない。死ねば何の意味もないのだ。
「ただし」スヴェイルは喉に突きつけた短剣をメリダンの腹に移動させる。「その子は産んだ後すぐに殺す。いや、その子だけじゃなく、竜の血を引く者は全てだ」
 スヴェイルにとって、自身の中に流れる血は存在意義その物だった。
「さあ、傭兵らしく生き残るのか? それとも母親らしく最後まで戦って死ぬか? 2つに1つだ。選べよ」
 メリダンは、自身の妊娠が明らかになった時の事を思い出す。この世界に1歩を踏み入れてからというもの、結婚出産育児といったいわゆる普通の女の幸せは手に入らないと割り切って生きてきた。相手の苦痛に歪む顔を見る為に、あるいは賞賛に値する勝利の為に、幾多の戦場を過ごし、目と耳に負った傷は生の証明だった。だから死ぬ時は戦場で、無残な負けと共にあるのが礼儀であり、そうするべきだと思っていた。
 しかし日に日に大きくなる腹に、生命の胎動を感じた時、自分を必要とする者の存在に気づいた。戦いの中で、利用されたり、相手に嫌がられる事でしか自己の存在を確立してこれなかった者が得た、初めての幸福。
 それが嘘だと思いたくはなかった。
「母親らしくってのは気に入らないが、戦って死ぬのは別に構わないね。あたしは宵闇傭兵団にいた頃から、あんたと一戦交えたいと思っていたんだ」
 メリダンの強がりをスヴェイルは鼻で笑う。
「こんな状況でも諦めないその態度。ますますここで殺すのは惜しいな。お前には兵士の才能がある」
 その時、1匹の獣が動いた。


 図太く、低く、どす黒い怒りに満ちた声。
「なら俺にも才能があるか?」
 振り向き様の拳一撃。スヴェイルの身体が吹っ飛び、鼻がひしゃげて顔にめり込む。そのせいで表情は誰にも確認出来なくなったが、少なくともソリアンの顔は引きつっている。
「グラーグ……!」
 女達ですらも、その光景をすぐには信じられなかった。今まで胸から血を流し、ぴくりともしなかった男が強力な熱を持ってそこに立っている。胸の傷は既に塞がり、そこから闘志が広がっているようでもある。
 獣臭は湯気となって立ち上り、その主はかつての親友を睨んでいた。ソリアンはその視線に答える。
「昔からなかなか死なん奴だとは思っていたが、お前さん、本当の意味で不死身だったんだな」
 言いながら、目の端に吹き飛ばされたスヴェイルの状態を確認する。ちらりと見ただけで分かる程にそのダメージは深刻で、この戦いの中での復帰は不可能なはずだ。そもそもおかしい。ソリアンは混乱する。先に復帰不可能なダメージを負ったのはグラーグのはずだ。
「ソリアン、さっきお前は軍の命令に従ったと言ったな?」
「あ、ああ、それがどうした?」
 声の上ずりを押さえながら、ソリアンは後ずさった。距離を取って見ると、グラーグの筋肉が破裂しそうなくらいパンパンに膨れ上がっているのが明らかだった。こうなると確かに鋼の剣など意味を成さず、握ったその拳の方が確実な脅威だ。
「誰の命令だ? 答えろ」
「はっ。俺は軍人だ。お前もそうなら分かるだろ? 上官を売る事など……」
 言いかけた所で、ソリアンは素早く身を翻し、メリダンの首を掴んだ。腕を回し、固定する。グラーグはそれに反応して飛び掛ろうとしたが、ほんの少し、ソリアンの剣が喉にかかる方が早かった。
 ソリアンからしてみれば、この人質は苦肉の策だった。暴虐のグラーグに、人質は通用しない。かつて同じ手を使って部下を人質に取った敵がいたが、何の躊躇いもなく人質ごと殺したのは知っていた。しかし今人質にとっているのは女であり、グラーグの子を身ごもっている。その違いという可能性にかけたが、どうやらそれは功を奏したようで、グラーグはじっとソリアンを見つめて動かない。
「グラーグ! さっさとあたしごと殺れ!」メリダンが叫ぶが、反応はない。
「あの様子じゃ、スヴェイルはもう駄目だ。これだけは昔の仲間のよしみで教えてやるがな。お前が死んだ場合、俺の任務はスヴェイルの監視だった。そしてスヴェイルが死んだ場合は、お前とは戦わずにさっさと逃げろと言われている。そうさせてもらうぜ」
 ずるずるとメリダンの身体を引っ張りながら、ソリアンは教会からの脱出を試みる。
「逃げ切れると思うのか?」
 グラーグの問いに、ソリアンは自嘲気味な笑いで答える。
「さあね。やってみなきゃ分からないだろ。だがな」ソリアンの剣がゆらりと動いた。「爪あとくらいは残していってやる」


 その時、メリダンがソリアンの腕を噛んだ。ぐっ、と息を殺し、痛みに耐えるソリアン。が、剣を落とすには至らないしかしグラーグが跳躍し、その拳を突き刺す時間くらいはどうにか稼げたようだった。
 空中に放り出されたソリアンの身体は、教会の壁に叩きつけられ、大きなヒビ割れを作った。しかしスヴェイルとは違い、急所は外している。意識を失うまではいっていない。
「どうした? やってみろよ」
 倒れた仲間を起こすような仕草で、グラーグはソリアンの腕を掴んだ。ただ1つ違うのは、そこに込められた握力が骨を砕く程の物だった事だ。
「がはっ、ぐああああ……!」
 言葉に鳴らない声を漏らしながら、ソリアンの腕が不可能な方向に曲がっていく。
「さあ、もう1度聞くぜ。命令をしたのは誰だ? レザナルド軍の、一体誰が宵闇傭兵団と通じていた? その狙いは一体何だ?」
「くっ、だ、誰が……答える……か……」
 息も絶え絶えになりながら、ソリアンは言う。しかし片方の腕がひしゃげ、もう元に戻らなくなった後、もう片方の腕をおもむろに掴まれた時、勝負は決した。
「ま、待て……やめろ……やめてくれ……」
「答えろ」
 グラーグは汗一つかかずに、元親友を拷問する。その姿はまさしく暴虐のグラーグと呼ぶに相応しかった。
 僅かな逡巡の後、徐々に込められつつある力に気づき、ソリアンはばつが悪そうに答えた。
「ミ……ミネイル将軍……我らが女王様だ」
 途端、グラーグは崖から突き落とされたような気分になった。ソリアンの裏切りを知った時よりも深い、奈落の底に通じる崖だ。
 短剣が飛んだ。持ち主は死に体のスヴェイル。狙いはグラーグではなく、ソリアンの心臓。
「かはっ」
 防ぐ暇も無く、そして裏切り者のご多分に漏れず、呆気なくソリアンが絶命した。グラーグはソリアンの死体を降ろし、スヴェイルに向き直る。
「母上への裏切りは……絶対に許さない」
 スヴェイルの母がミネイル。ミネイルはソリアンに命令を下せる。かつて孤児院を計画したのはミネイル。スヴェイルもそこに在席していた。点と点が繋がり、グラーグに与えられた疑念は、更に揺るがせない物となる。
 今、グラーグに心臓は無い。その代わりに全身に血を送り出しているのは、マズブラウフアからもらった股間の玉、いわゆる金玉と呼ばれる物だった。
 マズブラウフアは問う。
「わざわざ2つしかない内の1つをくれてやったんじゃ。最後まで行くじゃろ?」
「……ああ」
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 決着は容易い。
 後ろに手が回った状態で両肩に短剣を刺し手首を縛り上げられると、再生能力があるとはいえ脱出は不可能だった。傷を治そうにも刃が邪魔をし、力で捻ろうとしてもそもそも腱が切られている。よって足の鎖も解けず、スヴェイルは生きてはいるものの行動不可能な状態となった。しかし万が一、上手く抜け出したとしても今のグラーグに敵う事は無いだろう。強弱は既にはっきりと示された。
「お前らの団長はこの通りだ! まだ戦う気のある奴はかかってこい。俺が直々にきっちり殺してやる。だが去る者は追わねえ。逃げるならとっととしろ」
 グラーグの言葉により、ほとんど全ての宵闇傭兵団残党が逃げ出した。残ったのは足を負傷した者と、竜根傭兵団に加入を希望する数十人だったが、グラーグはこれを拒否した。そして生き残った仲間を集め、全員に向けてこう宣言した
「竜根傭兵団は今日をもって解散する。まだこの稼業を続けたい奴は、俺以外の旗の下で自由にやってくれ」
 その声色には一切の迷いがなく、思いつきで言ってる訳ではない。
「ま、待てグラーグ! こんな中途半端な所で解散するなんて、あたしは許さねえぞ!」
 広がるざわめきの中から、まずメリダンが声を上げた。
「中途半端? 俺はそうは思わない」
 先程の野獣のような戦いぶりとは打って変わって、グラーグの態度は冷静その物だった。
「竜根傭兵団は、俺が元々レザナルド正規軍に戻る為に作った傭兵団だ。途中で宵闇傭兵団を倒すという目的も加わったが、そっちは果たした」
「なら、今こそ手柄を持ってレザナベルンに凱旋して正規軍に……」
「もう戻る意味がねえと言ってる」
 口調はあくまでも穏やかだったが、その声には僅かな焦燥が見て取れた。グラーグはそれ以上語らず、追求させない威圧があった。
「だが商人組合との契約がある。それはカルベネが引き継ぐから、残る奴は残って手伝ってやれ」
 名指しされたカルベネはグラーグの後ろに立ち、沈黙という同意を示している。
「俺はもうひとつの約束を果たす為に、しばらく旅をするつもりだ」
 堪えきれず、メリダンが声を上げた。
「勝手な事を言うな!」
 グラーグに歩み寄り、胸倉を掴む。
「あたしはお前が大嫌いだが、最初に始めたのはあんただ! あんたが責任を負うのが筋ってもんだ! 全員分の面倒をまとめてみやがれ!」
 グラーグは掴まれた腕を振り払いもせず、かといって微動だにしない。かつて自分を窮地に追い込んだ敵がここまで言うのだから、その感情が本物である事に疑いはない。
「何とか言ったらどうなんだ!? おい! グラ……」
 言いかけた所で、メリダンの顔が苦痛に歪んだ。戦いで負った傷か、とグラーグは身体を見るが、ほとんどの傷は既に治っている。
 力なく解かれる腕は腹へと伸び、メリダンはその場にうずくまってしまった。
 カルベネが前に出る。少し困惑するグラーグを押しのけ、メリダンの背中をさする。
「陣痛のようですわね。お産の準備を」


 グラーグの解散宣言は中断され、メリダンの出産が始まった。襲撃を受けずに済んだ教会の3階。立会人は竜根傭兵団の面々。部屋に入りきれなかった女達は、外で両手を交差させて祈っている。
「いよいよじゃな、グラーグ」
 マズブラウフアが期待を込めた声で言う。グラーグはつまらなそうに隣の部屋で椅子に腰掛けていたが、メリダンの唸り声が聞こえてない訳ではない。ただこんな時、男に出来る事など何も無いという初めて体験する妙な無力感に落ち込んでいるようでもある。
「子供が生まれる前に、ひとつだけ確認しておきたい事がある」
 女達に聞かれていない事を確認し、グラーグが告げる。
「ん? 何じゃ? 父親としての心構えかのう?」
 とぼけるマズブラウフアに対し、グラーグは真剣だ。
「お前の本当の目的だ」
「何じゃ。つまらん事を聞くのう」
「真面目に答えろ。答えによっちゃ、俺は今から生まれてくる子供を殺さなきゃならん」
 嘘や脅しではなく、正真正銘の覚悟だった。もちろん、今となっては性器どころか心臓すら借り物であるグラーグにとって、そんな事は出来るはずが無い。無いが、グラーグはそれすら含めて腹を括っている。
「ま、良いじゃろ。教えてやろう。今までおぬしに本当の事を言えなかったのは、おぬしが軍に属しておったからじゃしのう」
 マズブラウフアはその内容に反して淡々と言葉を紡ぐ。
「かつてこの大陸を支配した竜達が、地の底の封印から復活しつつある」
 英雄バリアーチの伝説。マズブラウフアは英雄をただの阿呆と呼び、聖剣やその存在自体をコケにしたが、ドラゴンの実在だけはグラーグの肉体が示す通り真実である。
「ま、その辺はわしよりもカルベネちゃんの方が詳しいじゃろうがな。ちんこだけとはいえ、わしがこうして地上に関われるようになったのも、封印が弱まってるおかげなのじゃ」
「竜達が復活したらどうなる?」
 グラーグの単刀直入な質問に、マズブラウフアもシンプルに答える。
「人間が減るじゃろうな。具体的に言えば、半分以下に」
「はっ。そいつは助かる。全滅しないだけありがたい」
「かかか、いくらわしら竜でも胃袋が持たんわい」
 冗談のようにも聞こえる会話だが、そこに嘘は一切無い。
「つまり、お前はその先遣隊として、子供を拵えてるって訳か」
 マズブラウフアは一際大きく笑い声をあげる。
「逆じゃよ。わしは復活しつつあるドラゴンに対抗する為、竜の血の混ざった人を作っておるのじゃ」
 ドラゴンと人間のハーフが、尋常ならざる強さを持つ事は、2つの傭兵団が証明している通りだ。
「何故だ?」
「わしとおぬしが出会ってもう10ヶ月。片時も離れず一緒にいて、まだ気づかぬのか? わしの大事な片玉をくれてやったというのに、鈍感な奴め」
「……どういう意味だ?」
「わしは人間が気に入っておるのじゃ」


 どう反応していいやらグラーグは迷う。
「ドラゴンの中では異端なんじゃろうがな、それはおぬしも一緒じゃろ?」
 何? と聞き返す暇もなく、マズブラウフアは嬉しそうに言う。
「おぬしもわしを気に入っておる。わし達はまさしく一心同体の親友という訳じゃ」
 親友という響きに、グラーグはソリアンを思い出し、すぐにそれを振り払う。
「わしがしようとしている事は、軍隊のあり方に水を差すような事じゃからな。竜人達がかつての英雄伝説の如く立ち回れば、軍の存在意義が無くなる。それに最初おぬしは自分の解釈で協力すると言った。だから今日まで伏せていたという訳じゃ」
 グラーグが初めてマズブラウフアと会った時を思い出し、同時に、ある考えに発想が着地する。
「……まさか、スヴェイルみたいなのが他にもいるのか?」
 マズブラウフアがそうしたのと同じように、例の雌ドラゴンも子供を大量に拵えている可能性は高い。
「いや、それは心配いらん。雄と違って、ドラゴンの雌の排卵期は20年。つまり、スヴェイルを産んでから20年間が経過してなければ、次の子を作る事は出来ん」
 と、ここで1人と1匹は同時に気づく。
「孤児院の時から数えると、スヴェイルは確か今年で19歳じゃな」
 グラーグがため息混じりに呟いた。
「どうやら急ぐ必要があるようだな」
 その時、3階から産声が聞こえた。
「未来は既に始まっておる」
 赤子を抱くメリダンの顔からは、その残酷性の一切が消え、たった今生まれたばかりの命に注ぐ愛情に満ちていた。
 グラーグにとっても、メリダンにとっても、竜根傭兵団にとっても初めての子供は、その場にいた全員に祝福されながら生まれてきた。
「グラーグ、気分はどうじゃ?」
「……まあ、悪くはない。だが、傭兵団の解散は変わらねえ」
「頑固な奴じゃのう」
 赤子の額には青い鱗が1つ咲いていた。それは紛れもなく竜の血を示す、未来への希望だった。
「協力はしてやる。契約も最初の通り、あと50人ばかり孕ませたら最終決戦といこう。心臓、いや金玉の分の貸しは、俺がミネイルを殺してチャラにしてくれ」
 グラーグの血液を循環させる機能を果たす金玉は、もう2度と元の役割に戻る事はない。あえてマズブラウフアは口に出さなかったが、これはとてつもなく重大な損失であり、代替品はない。しかし自ら口に出した「ミネイルを殺す」という言葉の重さは、竜の睾丸の重さに見合う物だとグラーグは自負する。
「良かろう、グラーグ。全てはおぬしに託す。わしはあと少しの間、女達の肉体を愉しむとしよう」
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 レザナルド軍会議室。白と黒のピンが大量に打たれた地図を前に、眉間に皺を寄せた軍人達が腕を組みながら唸っている。この所、作戦会議は毎日深夜まで続き、早朝ですら前線からの報告があらば招集されるので、例え戦地から離れた安全圏に居ても気の休まる暇はない。
 その中に1人、メンバーの中では比較的若い女性がいた。白髪碧眼、人間としては四十路前の戦略家で、現在の軍部にて最高権力を持つミネイル将軍である。その表情はいつもに比べてどこか虚ろで、遥か遠くを見つめているようでもある。
「……将軍。どうされました?」
 軍人の1人が尋ねる。
「何でもありません。会議を続けましょう」
 答えたものの、ミネイルの内心には荒波が立っている。
 スヴェイルがグラーグに負けた。虫の知らせと呼ぶべきか、竜ならではの第六感により、遠くマシアの地における衝突を感知し、その結果も伝わって来たのだ。
「だからあれほど戦うなと言ったのに……」
 小さく呟くと、周囲の者達が首を捻った。しかし誰も迂闊な事は口に出せず、それ以上ミネイルも何も言わないので、無かった事にされる。
 ミネイルこと、竜名マレナセイルパルは、今から20年前に地上への脱出を果たした雌の竜であり、ドラゴンの中でも最も早く封印から逃れられたのにはそれなりの理由がある。ミネイルは、かつて大陸の魔女を喰らった事がある。それにより霊感を得、変身能力もその時に身につけた。そして喰われた魔女の弟子による復讐によってドラゴンは1匹残らず封印された。しかし喰った魔女の力はまだミネイルの中に生きており、これが封印から早く解放される要因となった。
 つまり、マレナセイルパルはその人嫌いゆえに自らの身を戦いに投じ、今でもその嫌悪を引きずっている。人に化け、街に住むのは彼女にとって苦痛でしかないが、復讐の為にスヴェイルを作り、レザナルド軍も掌握した。全てはかつてない程の大きな戦争を大陸にもたらし、人間を駆逐する為だ。
 だが、その計画もスヴェイルの敗北によって頓挫した。
「……やはり、純粋な血でなければ地上を支配する事など出来ないようですね」
 周囲もいよいよ異常を察知してか、ミネイルの顔色を伺いつつ尋ねる。
「ミネイル将軍。いかがなされた?」
「ふぅ。もう人間ごっこは終わりという事です」
 何を言っているのか分からずに戸惑う者。冗談か何かだと思ってにやける者。いかにも心配そうにミネイルを気遣う者。それら全員が、一瞬の内に業火に焼き尽くされた。
 作戦会議室は爆発、破壊され、王城は燃え上がった。突如として首都のど真ん中に現れたドラゴンに恐怖しながら、沢山の人々が焼かれ、死んでいった。
 女王の誕生である。


 拘束されたスヴェイルが眠りにつくと、すぐにミネイルが夢の中に姿を現した。いつものぼやけた影ではなく、長い首と大きな羽、全身を鱗で覆った巨体。スヴェイルはその姿を見た事が1度も無かったが、それがミネイルの真の姿である事はすぐに分かった。これ程までに美しい物が、母でない訳が無いと思ったのだ。
「母上!」
 その呼びかけに、ミネイルは爬虫類のような感情を伴わない目で答える。
「スヴェイル、あなたには失望しました」
「申し訳ありません母上。ですが……」
「口答えは無用。私の命令を無視して私闘を行い、我が手駒のソリアンすら使っても勝てなかったその体たらく。万死に値します」
 スヴェイルはその時、ようやく気づく。
 今まで向けられていた愛情が、全て憎しみを晴らす為の歪んだ物であった事を。
 母が自分の中に流れる人間の血を嫌い、それでも目的の為に自分を利用していた事を。
 自分にとっての母が神であったのに対し、母にとっての自分がただの道具でしか無かった事を。
 それでも、それでもなおスヴェイルには、純血の竜である母を尊敬せずにはいられなかった。そして無惨に負けた今、母からの命令は何にも優先してやはり絶対であり、自らの犯した罪は償わなければならない。そう考えた。
「スヴェイル、死になさい」
 母の命令に、スヴェイルは心から充足感のある笑顔で答える。
「分かりました母上。どうか僕のいなくなった後、人間共を根絶やしにしてください」
 ミネイルはそれには答えず、姿を消した。そしてスヴェイルは今までに体験した事の無い幸福の中で、グラーグへの恨みも一切忘れ、自らの命を絶った。
 マシアでの戦闘が終わり、メリダンが出産疲れから寝ている頃、グラーグは1人で墓を掘っていた。戦闘で命を落とした竜根傭兵団の団員5名と、舌を噛みちぎって自殺したスヴェイル、それとかつての親友ソリアン。妊娠していた団員の墓の側には、子供用の小さな墓も作られた。
「簡単だが、これで勘弁してもらおう」
 出来た墓を見ながら呟いたグラーグに、マズブラウフアは慰めるように言う。
「ここは静かで環境も良いし、近くに教会もあるしのう」
 死んで行った仲間の名を思い出しながら、グラーグは黙祷を捧げる。軍にいた頃は当たり前の日常だったが、こうして一夜を共にした女が死んでいくのは、それとは違った切なさがあった。



 翌日より、女達は旅に出るというグラーグをあの手この手で引き止めた。生まれてくる子供に一目でいいから父親に会わせたいと言う者もいたし、軽くなった身体で早速色仕掛けをする者もいた。グラーグがいなくなるのなら自殺すると脅す者まで。しかしどれもグラーグの決意を揺さぶるには至らず、引き止めは旅の準備と傭兵団の引き継ぎの期間としての1ヶ月間が限界だった。
 突如現れたドラゴンによりレザナベルンが壊滅しつつあるという一報が届いたのは、グラーグが旅に出た前日の事だった。
 商人組合の使いの話によれば、軍はドラゴンに兵力で対抗したが討伐には至らず、多少の傷はつけたものの山に逃げられ、しばらくして体力を回復すると再び襲撃に来るという状態らしかった。寝込みを襲おうと山に向かった討伐隊は皆仲良く腹の中に収まり、却って回復を早める事になってしまった。
「強硬手段に出たらしいな」
 間違ってはいないが、ミネイルの行動には裏がある。
「誘っておるんじゃよ。わしらが来るのを待っておる」
「何だと?」
「奴が欲しているのはわしじゃ。おぬしのちんぽでもあるがのう。人間を操って争わせるのをやめて、純粋なドラゴンを増やすつもりのようじゃな」
 スヴェイルの失敗は、ミネイルに大きな変化をもたらした。味方にしても人間は頼りにならず、例え時間がかかっても自らの手と純血ドラゴンによって全てを焼き尽くすしか手は無いという事である。20年に1度ドラゴンを出産していく気の長い計画でも、いつ復活するか分からない同胞を待つよりも確実だと判断したのだ。
 一方で、マズブラウフアにも計画がある。100人の竜の血を引く子供達は、例えそれぞれが戦わなくても子孫を残す。竜を狩る一族として血を濃く保てば、竜と人とが共存出来る力関係を維持出来るという判断でもある。
 マシア襲撃から一ヶ月後、霧の濃い晩に、グラーグは旅に出る。
「名残惜しいが、新しい出会いもあるじゃろう。さて、どちらに行く?」
 急いでレザナベルンに戻るか、それともボンザに歩みを進めるか、である。
「ボンザだ。種は広くばら撒いた方がいい」
「ま、それもそうじゃな」
 今、グラーグの胸にある使命は、生まれてくる子供が無事に生き延び、来たるドラゴンの復活に対して備える時間を稼ぐ事である。女王様への忠誠という柱を無くした今、グラーグを戦場に繋ぎ止めるのは、マズブラウフアとの取引と、人間の同族意識しかない。
「グラーグ様」
 今まさに旅立とうと荷物を背負ったグラーグを引き止めたのは、魔女見習いのテルフィだった。
 テルフィはグラーグのマントの裾を掴み、もじもじと恥ずかしがりながら、
「あの、最後に、私を抱いてくれませんか?」
 と、依頼した。
 1年に渡るグラーグの旅は、大きな影響を各地に与え、様々な人の人生を変えた。以下はグラーグによる旅の断片である。

 旅の断片、その1。
 貴族が平民を支配し、富を巻き上げる街があった。そこでグラーグは貴族の娘を徹底的に犯し、翌朝に素っ裸で十字架に貼り付け、街中の晒し者にした。マズブラウフアがそうするように指示したのは、生まれて来る子供が貴族である親に殺されないよう母親を勘当させる為だったが、結果的にはそれが原因となりその貴族の家は没落し、平民達は少しだが救われたようだった。
 旅の断片、その2。
 古き魔女から分化した魔道機工を扱う者がいると聞き、訪れた事があった。そこにいた、四肢と臓器の一部を機工に置き換えて生きている不幸な少女をグラーグは犯した。子宮と卵管は生身の物が残っていたので妊娠には問題なく、生まれて来るのも普通の半竜人である事は間違いない。魔道機工の技術がその子にも受け継がれる事になれば、大いなる力となるだろう。
 旅の断片、その3。
 正体不明の疫病が流行し、隔離され、街が全て墓地になった街があった。そこに住んでいた墓守の少女は、疫病にかかっても生きていた唯一の人間であり、この世に2つとない疾病耐性を持っていたが、少し気が触れているのか、死んだ者がいつか復活すると思い込んでいた。しかしグラーグに犯され、その身に新たな命を宿すと、墓と暮らす生活に終わりを予感した。
 旅の断片、その4。
 自身を魔女だと信じて疑わない少女がいた。魔力もなく、特にこれといった技術もないが、自分の中には高貴な魔女の血が流れていると勘違いしており、他人からは嘘つき扱いされていた。しかし竜の子供を宿した事により実際に力を得ると、少女は自分の力に恐れ戦き、普通に戻りたいと願うようになった。器を越えた大きすぎる力は、人生を狂わせるには十分だった。
 旅の断片、その5。
 山に住み、湖や川で魚を獲って生活している娘がいた。たまたま水浴びをしていたグラーグとその陰茎に興味を持ち、無邪気さゆえに近づいたのがまずかった。野山で生活していたせいで性の知識など一切無く、純真無垢その物だった少女は数時間後、初めての経験を糧に1人で何度も自分を慰める嵌めになった。狩りに割く時間が減り、その生活が危くなってきている。
 旅の断片、その6。
 双子の少女がいたが、グラーグが犯したのはたまたまその片方だけだった。日に日に大きくなる妹のお腹を見て、姉は強姦した男を許さないと憤りを覚え、毎日妹を励ましていた。だがある日、妹がぽつりともう1度犯されたいという胸中を告白し、いかに素晴らしいセックスだったかを語ると、姉の心はざわつき、何としても自分も犯されなければならないと思うようになった。


 旅の断片、その7。
 マレナセイルパルに家族を全員殺された娘が、グラーグの存在を知って尋ねてきた。復讐の為に子供を作る決意を話すと、グラーグはそれを快諾した。彼女は妊娠後、胎教の為にと毎日武器や防具の扱いを自ら学び、練習をかかさなかった。が、生まれてきたのが自分と同じ女であると、彼女は娘を男として育てる事にした。
 旅の断片、その8。
 レザナルドより遥か北に、戦神と呼ばれる女がいた。槍を持てば右に並ぶ者はおらず、グラーグですら犯すのに手こずった程だった。戦争では大活躍したものの、頑なに地位を拒み、常に最前線の戦地に身を置いた彼女は妊娠を理由に引退して実家に帰った。今までした事も無い家事をいちから学びながら、人間を1人殺すよりも1人育てる事の方が遥かに難しいという事を彼女は知った。
 旅の断片、その9。
 誰よりも信心深い修道女が犯された。神に捧げた操が呆気なく蹂躙されたのだ。修道女は自殺を考えたが、それは教えに背く行為であり、お腹の子を殺す事にもなる。だが彼女は、犯されている時に絶頂に達してしまった自分の事を許せなかった。その1ヵ月後、彼女は娼婦になっていた。自らが性行為を嫌悪している事を証明する為に、自らに与える罰として客を取り、稼いだ金はほとんど寄付した。
 旅の断片、その10。
 孤児院で共に育った女と、グラーグはある街で偶然にも再会した。女はグラーグの今している行為や肉体の変化を知らなかったが、酔った勢いで一晩を共にする事となった。翌日に姿を消したグラーグは気になったが、数ヵ月後に妊娠している事を知ると、1人でも育てる覚悟を決めた。だが、彼女はまだ自分がこれから何を産むのかを知らない。グラーグは結局、最後まで言い出せなかったのだ。
 旅の断片、その11。
 殺人鬼の女がいた。金持ちの男と結婚した後に殺し、財産をそっくり頂く質の悪い女だ。ずる賢く立ち回り、一切の証拠は残さない。彼女がグラーグに目をつけた理由は、そこに常人ならざる物を感じたからであり、その目は本物だった。彼女は特殊な薬を使って妊娠を避けていたが、竜の精液には太刀打ち出来ず、グラーグから金を巻き上げる事は出来なかったが、代わりに子宝を授かってしまった。
 旅の断片、その12。
 不治の病で余命幾ばくもない少女がいた。グラーグとの偶然の出会いが、本来ならばあと数ヶ月で死ぬはずだった少女の運命を変えた。竜の子が持つ力は母親を10ヶ月間、何とか生かす事に成功した。出産と同時に彼女は死んでしまったが、それでも最後にはグラーグに感謝していた。生まれてからずっと病気で、歩く事すら出来なかった人生に意味をもたらしたのは、紛れも無くグラーグだったのだ。

 これら旅の断片はグラーグの記憶の中にある。取り出すのはいつでも自由だ。


 世界を救う強姦の旅は終わりを迎えようとしていた。
 祖国がいつ来るか分からないドラゴンに怯え、軍の崩壊によってボンザが勢力を拡大しても、グラーグは旅をやめなかった。新たな街につけば、そこで最も素質のある女を探し、未婚か既婚かに関わらず寝込みを襲い、種付けをして去っていく。戦時だった事もあり、幸い旅する強姦魔の噂は大きく目立たずに済んだが、被害者達はお互いにお互いを探して徒党を組んだ。それはグラーグを処刑する為ではなく、もう1度グラーグに犯される為だった。
 片玉になったせいか、射精のペースは遥かに落ちた。よって、既に妊娠させた女の相手をする余裕はなく、グラーグは追っ手を全て振り払った。元竜根傭兵団の団員にも性欲を原動力にグラーグを追う者がいたが、1人としてグラーグを捕まえる事は出来なかった。
「マシアを出てからもう1年。長かったのう」
 マズブラウフアが感慨深げに言う。
「きっちり100人、確かに孕ませたぜ」
 グラーグはそう答えながら、かつての首都レザナベルンを歩く。
 レザナベルンは1年前のドラゴン襲撃より復興しつつあったが、その街並は随分と変わり果ててしまった。王や権力者は既に別の街に移っており、治安は急激に悪化した。終わりの見えない戦争に民は疲れきっており、商人達ですら活気がない。崩れた城はそのままに残され、浮浪者達の巣窟と化している。
 酒場で得た噂では、ドラゴンはまだ近くの山に暮らしているらしい。1年前に比べれば襲撃の間隔は長くなっているが、その代わり他の街にも出没するようになった。
「待つのに飽きて我々を探しているらしいのう」
「早く行ってやらなきゃな。女を待たせるのは悪い」
 グラーグは早速翌日、ドラゴンが住むという山に向かった。鎧で身を固め、剣を1本、たった1人。お供はいなかったが、股間には2年来の友がいる。
「グラーグ、おぬしこの戦いが終わったらどうする気じゃ?」
「さあな」
 と答えるグラーグの目は、戦いの前だというのにやけに澄んでおり、まるで殺気がない。
「……おぬし、死ぬ気じゃろ?」
 マズブラウフアの問いに、グラーグは答えない。しかし答えないという事が、肯定を示している。しばらく沈黙したまま山道を歩いた後、ふとグラーグは口を開いた。
「……もしミネイルに拾われてなければ、俺は今頃どっかの路地でのたれ死んでいただろう。俺に戦う術を教えたのはミネイルだったし、生きる術も同じだ。俺はミネイルに仕える為だけに生きてきた。役に立つ為だけに。その点はスヴェイルやソリアンと似たようなもんだ」
 マレナセイルパルは人を憎みながら、人に対して強烈なカリスマ性を持っていた。その影響は、1年やそこらで易々と消え去る物でもない。
「じゃがな、グラーグ……」
 マズブラウフアが言いかけた時、山の頂上が見えた。そしてそこには、美しく羽を広げたドラゴンが1匹、グラーグを待っていた。
31, 30

  

 焼かれて炭になった木々の上に、そのドラゴンは鎮座していた。4本ある足の内の前足2本を組んでうずくまり、羽を畳んでいるというのに人の背丈の3倍はあろうかという巨体で、これが空を自由に飛ぶというのだから兵士達に手に負えないのは明らかだった。すっと通った鼻口部と、頭には曲がった2本の角。筋肉は鱗に隠されていてなお力強いが、その分厚い瞼の下にある瞳には人間のような物憂げさがある。
「ミネイル、いや、マレナセイルパル」
 グラーグが名を呼ぶと、ドラゴンは口を開けずに心に直接答えた。
「グラーグ。私の子の中で、あなたはいつも1番優秀でした。実の子であるスヴェイルよりも」
 グラーグが腰に差した剣に手をかける。何も言葉を返さなかったのは、意思が揺るぎそうだったからだ。ほんの少しだが、その様子を見て、ミネイルが笑ったように見えた。
「あなたにその剣は抜けない」
「何だと?」
「駄目じゃ。会話をするなグラーグ」
 マズブラウフアの忠告虚しく、グラーグはミネイルの言葉に耳を傾けずにはいられない。
「あなたは私の愛する息子。子は親に逆らう物ではありませんよ」
 ふっ、とグラーグは自身の中に湧きつつある何かを笑う。
「いや、そろそろ親離れしようかと思ってな」
 かろうじて冗談は返せたものの、剣はまだ抜けない。
「マズブラウフアからあらましは聞いたのでしょうが、そもそも何故私が人間を憎むかは知っていますか?」
 沈黙するマズブラウフア。グラーグは両者の言葉を待ったが、続けたのはマレナセイルパルだった。
「本人が語るのは、あまりにも酷という物でしょうね」
「隠しておった訳じゃあないぞ。わしの立場からおぬしに説明するのは卑怯だと思ったからじゃ」
「何の話だ?」
 ミネイルが立ち上がり、羽を広げる。鞭のようにしなる尻尾が、座っている時よりもその身体を大きく見せた。風車小屋を目の前にしているようだ。
「いいでしょう。教えてあげます。それでも戦うというのなら容赦はしませんが、考えを変えるのなら私はあなたを許し、これからも息子として愛します」
 台詞には明白な脅迫が、しかし口調には慈悲のような物が含まれていた。長年教育を受けてきたグラーグにとってみれば懐かしい響きで、目の前にいる伝説上の生き物が、かつて尊敬していた人物と同一であるという現実を、まざまざと思い知らされる。
 これは遥か昔、まだ竜が大陸に君臨し、自然を支配していた頃の話。人間の領域と竜の領域はきちんと分けられており、人は竜を神の化身であると崇めていた。竜も人を殺さず、平和だった。
 昔の話だ。


 ある山に、夫婦のドラゴンがいた。夫は勇猛で、妻は慈悲深く、民の尊敬も厚く、2匹は山の守り神として祀られていた。
 2匹の間に、卵が1つ生まれた。妻はそれを温め、夫は妻と新たな家族を守った。もう少しで卵が孵化しようかという頃、2匹の住処に1人の魔女が現れて言った。
「この地を収める偉大なるドラゴンよ。どうか力を貸してもらえないだろうか」
 魔女の話によれば、遥か東の地にて竜が怒りを爆発させ、人を殺し暴れ回っているという。しかし同族同士での争いはご法度。その為に縄張りがあり、これを犯す事は許されない。しかしそれでも夫婦のドラゴンは人間に力を貸したかった。それを聞いた魔女の提案はこうだ。
「では、その卵を頂けないだろうか」
 魔女はその深淵なる知識と研究で、ドラゴンを封印する術の手がかりを掴んでいた。しかしその術を完成させる為には、ドラゴン1匹分の命がどうしても必要だった。
 当然、妻は卵を差し出す事を渋ったが、夫は妻と同じように人間の事も愛していた。その賢さや愚かさ、人間の持つ感情と発想の力に感服し、その行く末を眺めてみたいと最後まで思っていたのだ。夫は妻を説得した。
 仕方なく、夫婦は自らの卵を魔女に差出し、魔女は見事にそれを生かして封印の術を完成させた。暴れていたドラゴンは封印され、彼の地に安息が訪れた。
 しばらくして、夫婦の縄張りを強烈な日照りが襲った。東の地にいるドラゴンが封印された影響もあるのか、田畑は干上がり、森は枯れ、人も動物も沢山死んだ。民達はドラゴンの夫婦に祈りにきたが、同時に夫婦も力を失っていた。一時的にも力を取り戻す為には、相応の犠牲がいる。妻は要求した。
「以前、私は大切な卵をあなた達に差し出した。今度はあなた達が、大切な人を差し出す番だ」
 指名された魔女は快くそれを引き受け、妻は魔女を喰らい、地脈に調和を戻した。
 これで一件落着かと思いきや、民の中に異を唱える者がいた。若き日のバリアーチ、後に英雄と呼ばれる男である。
 バリアーチは、民にこう喧伝した。
「悪しきドラゴンが魔女を喰った。魔女の力を取り入れ、人間を滅びに向かわせる為だ。だが俺がいるからにはそうはさせない。この地に住まう全てのドラゴンを封印し、この世界に平和を取り戻すのだ!」
 バリアーチの背後には、食われた魔女の弟子がいた。喰われる前、魔女は弟子に自ら喰われるという事を十分に諭したつもりだったが、師を失った悲しみはそう易々と癒せるものではなかった。それに、ドラゴンなどいなくても、自分1人で自然を収め、地脈を支配する自信が魔女の弟子にはあった。その欲望を、バリアーチは上手く刺激した。
 そしてバリアーチの伝説が始まる。自らの使う剣を聖剣と呼称し、自分以外の沢山の犠牲を支払いながら各地のドラゴンを封印していった。魔女は復讐を動機に良く働き、バリアーチは英雄という名声を得た。
 夫も封印され、最後に封印された妻はこう思った。


「必ず、復讐してやる」
 ミネイルの話を聞いたグラーグは、剣にかけた手に錘を乗せられたような気分になった。どうにかその重さから逃げようと、マズブラウフアに問う。
「おい爺、今のは初耳だったぞ」
「ん? 何がじゃ?」
「お前がミネイルと夫婦だった事についてだ」
「何を勘違いしとるんじゃ。わしは今の話に出てきた東の都で暴れてたドラゴンじゃぞ」
「そっちかよ」
「あの頃はわしも若かったからのう。わしが人間を好きになったのはむしろ封印されてからじゃ。初めてだったからか術が不完全でな、地上での出来事は地下からでも聞こえておった。そこで反省し、今度は人間達を守る為に戦う事に決めたという訳じゃ」
 グラーグはいまいち納得出来ないものの、千年単位で生きる者の考えなどそもそも人間が納得出来る訳がないとも思う。
「罪滅ぼしみたいなもんじゃよ。決して人間の女を犯してみたいと思ってた訳じゃないぞ」
「……ああ、そういう事にしておいてやる」
 そんな風に緊張を解しながらも、なかなか攻める機は訪れない。そもそもこの巨体を前に、勝機など生まれるものなのかも分からない。
「グラーグよ」ミネイルは見下しながら命令する。「陰茎を出しなさい」
 その言葉で、グラーグの脳裏には今まで相手にしてきた女達が浮かんだ。そして答える。
「わざわざ言われなくても、そうしなくちゃあんたとは戦えそうにないんでね」
 鎧の前かけ部分が外れ、マズブラウフアが頭を出した。既に勃起して臨戦状態だ。
 グラーグが飛んだ。今度は剣も軽く抜ける。人間離れした跳躍力で、一瞬でミネイルの首まで迫るが、そこで予想外の変化が起きた。
 ミネイルが、ドラゴンから人間の姿に戻ったのだ。
 だがその行動は、一撃を回避する為ではなく、グラーグが気づいた時にはもう遅い。
「グラーグ! まずいぞ!」
 両足を掴まれたグラーグ。着地と同時にその陰茎が、人間に戻ったミネイルの口の中に収まってしまっている。以前地下室でメリダンに無理やりした行為を、今度はグラーグが無理やりされているのだ。力が強く足は振り払えそうにない。
 仕方なく剣をミネイルの頭目掛けて振り下ろすも、尻尾が伸びてきてそれを弾いた。身体の一部分だけでも竜化出来る事を初めて知る。
「力が……抜かれる……!」
 マズブラウフアの声に、今まで聞いた事のない色気が覗いた。
「グラーグ、あなたがマズブラウフアに人質に取られている事は知っています。しばらく待っていなさい。今から私の口で、あなたを自由にしてあげます」
 グラーグは、借り物の鼓動が早くなるのを感じた。
 咥えられた。と、気づいた瞬間には既に快感が始まっていた。口内はぬるぬるとして温かく、舌のザラザラとした質感が全体を包み込み、それが動き回ってあらゆる角度からツボを攻めてくる。竜根傭兵団の頃、口での行為が1番上手かったのはサシャだったが、それとは比較にならない程の技術だった。最早ミネイルの口は食事や呼吸の為の器官ではなく、性器として機能していた。
「が、我慢じゃ……! 今射精したらミネイルの思う壺じゃぞ!」
 グラーグに飛ばす檄はマズブラウフア自身に向けられた物でもある。グラーグは歯が削れるくらいに歯軋りして耐える。痛みならばどうという事は無いが、未だかつて経験した事の無い快感に脳が降伏してしまいそうになっているのだ。
 風前の灯の理性でもって、グラーグは剣を振り下ろしてミネイルに攻撃する。が、それら全ては鞭のようにしなる尻尾に防がれて傷一つ与えられない。踏み込みも出来ず腰も使えないので当たり前の事だが、暴れて抜け出そうにも持っている力以上の力で押さえつけられる。八方塞の状態で、今はただ、口撃の手が緩むのを待つしかない。
「やめろ……!」
 戦場において、敵に命令する事自体が間違っており、グラーグ自身そんな愚行は今まで1度もした事が無かったが、思わずそうしてしまう程に切羽詰まっていたのだ。それだけ異様な戦いだった。
 ミネイルの舌の感触が、吸盤のようにグラーグのペニスにぴったりと食らいつき、捕まえて離さない。唾液による包囲は、グラーグの身動きを取れなくする。そこに加わる上下運動は、まさに不可避の連撃として叩き込まれていく。
 それは紛れも無く戦闘だった。
「さあ、グラーグ。抗うのをやめなさい。あなたは私の愛する息子。全てを私に任せるのです」
 しばらくの後、込み上げてきた射精感に、結局グラーグは耐えられなかった。
 射精た。
 こと実戦において、ミネイルの実力はグラーグを凌駕していた。
 少しずつ遠くなるマズブラウフアの声。
「グラーグ、悪いがおぬしの命はここまでじゃ。今までありがとう。何としても、こやつにわしの精液をくれてやる訳には……」
 絶頂の瞬間、グラーグは自分の心臓が止まるのを感じた。マズブラウフアが睾丸の機能を意識的に止め、グラーグの命を終わらせようとしたのだ。それはマズブラウフアにとっても緊急の判断であり、仕方ない選択だった。グラーグが死に、ペニスを失うのは非常に痛いが、選択肢はこれしかない。実力差がありすぎた。敵に利用される訳にはいかない。
 グラーグの血流が止まった。
 それすらもミネイルの予想範囲内だった。
「マズブラウフア。悪しき心を持つ古竜。人に組するそのペニス。私が浄化して差し上げます」
 ミネイルの手が、グラーグの尻の穴に伸びた。指の一部がドラゴンの姿に戻った時、マズブラウフアは思った。この雌竜は人間の肉体を研究し尽くしている。敵に復讐する為に敵を知ったのだ、と。


 前立腺だ。
 一体化した際、陰茎と睾丸はマズブラウフアの持ち物だったが、膀胱やその他の臓器はグラーグの物を使用していた。前立腺は膀胱と腸の間にあり、その役割は精嚢と精巣で作られた液体を混ぜ合わせ、精子を作る事に他ならない。また勃起や射精のコントロールも前立腺が行っており、こと男性機能においては前に出ている棒と玉に負けず劣らず重要な器官なのだ。
 つまり、前立腺を掌握されるという事は、ペニス全体を手中に収められる事と同義であり、マズブラウフアの力はミネイルに奪われた形になる。
 尻の穴からドラゴンの指を突っ込まれ、グラーグの全身から汗が噴出した。顔は青ざめ、一方で快感は倍に増した。気づけばいつの間にか鼓動が戻っており、心拍数は正常に調整されている。グラーグの心臓としての役割は、マズブラウフアの金玉が担っている。そしてマズブラウフアの金玉の操作権は、ミネイルが握っている。
「これであなたは、私がこの穴に指を挿入している限り自由の身です。マズブラウフアの意思によって陰茎に身体を貫かれる事もなければ、心臓を止められる事もありません」
 ミネイルの口調は優しく、それがまたグラーグにしてみれば恐ろしかった。裏を返せば、ミネイルの意思によってそれらの行為を簡単にされるという事だ。
「さあ、あなたの全力を見せなさい」
 腸内で指が蠢き、前立腺に対して的確に力が加えられる。グラーグは、それら前立腺の仕組みを頭で理解していた訳ではなかったが、肉体の示す反応で紛れも無い窮地である事は理解していた。抵抗が無駄である事も同様に。
 隆盛するドラゴンズペニス。
 強制された肉体の反応。ミネイルの身体は徐々に崩れ、ドラゴンとしての本来の姿に戻っていた。対峙した時と同じ、元の形だ。指は相変わらずグラーグの後ろを制している。一度人間の姿に化けたのは、口での行為で陽動し、尻の穴に正確に狙いをつけるミネイルの戦略だった。
「この日をどれほど待ち望んだ事か……」 
 ドラゴンに戻ったミネイルの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「さあ、共に踏み出しましょう。新時代の第一歩を」
 グラーグは追撃するオーガズムを振り払い、最後に残った理性で叫ぶ。
「マズブラウフア! 起きろ! このままだと犯られちまうんだぞ!」
 だが答えは返ってこない。今、マズブラウフアの陰茎はミネイルの手に堕ちている。
 自らの孕ませた女だけで傭兵団を作り、国中を旅して子種をばら撒き、ありとあらゆる種類の女を犯してきた男が今、逆に犯されようとしている。因果応報とも言えるがしかし、ここでミネイルが宿そうとしているのは破滅の種だ。人類を破壊する絶望だ。
 ドラゴンに戻ったミネイルの肉体。その後ろ足の付け根に、身体の大きさにしては常識的な、人間とほぼ変わらないサイズの割れ目が見えた。身体の影にはなっているが、光を僅かに反射している。準備では出来ている。
「神聖な行為にはやはりこの姿で挑まねばなりません」
 グラーグを片手で押さえ込みながら、覆いかぶさるようにその巨体を乗せる。それと同時に、勃起した陰茎がミネイルの性器に文字通り飲み込まれていった。もしもあるとすれば、それはこの世の終わりの光景に近かった。


 グラーグとミネイルの性行為は、女側の一方的な制圧によって進行した。
 何も知らない人間から見れば、ドラゴンが1匹にしか見えない。よくよく見ればその下に敷かれた人間がいるのが分かるが、それがグラーグである事を知らなければ押しつぶされて死んでいると判断するのが普通だろう。しかしその実グラーグは無事で、陰茎はミネイルの巨体に突き刺さり、ミネイルの指の1本はグラーグの尻の穴に突き刺さっている。
 伝説上の生き物とのセックス。それは人間の想像を遥かに超えていた。口での行為の時は、ただ単純に卓越したテクニックによる外的刺激であり、それですらグラーグには敵わない相手だったが、それでもまだ戦いの形にはなっていた。しかしながら生殖行動となると、そもそも性器の構造からして違う為、陰茎の受け取る情報は今まで経験したいずれの物とも比較にならない。
 それは例えば、生きてる者が死んでいない為に死後の世界を宗教的にしか捉えられないのと似たような物で、ドラゴンセックスには正解不正解もなく、上手い下手もない。ただグラーグの脳が受け取った情報はたった1つこれだけだった。
 気持ちいい。
 そこに人類の存亡がかかっていたとしても、この感覚を否定する事は酷く困難な事だった。だがここで同時にグラーグは気づく。気づき、快感から目を逸らす為に質問を繰り出す。
「……おい、さっさと射精させたらどうなんだ? 今、俺のちんこはお前の自由なんだろ?」
 この指摘は正しい。前立腺を篭絡した時点で、射精のタイミングや量はミネイルの思うがまま。つまり挿入した時点で射精をさせれば、目的は達成となる。
「気づきましたか」と、ミネイル。「確かに絶頂に達させる事は簡単ですが、射精をするかどうかは今、あなたの意思に委ねています」
「……何故だ?」
「何度も言っているでしょう。あなたは私の大事な息子。この行為が終わった後も、私の為に働いてくれると信じているからです」
 その言葉の裏に、グラーグは性とはまた別の快感の端を見た。今ならばスヴェイルの気持ちが分かる。ミネイルはこの為に孤児院で俺を育てていたのか。言うまでもなく、ミネイルはグラーグにとって過去最大の強敵だった。しかしその本質は強大な力や知謀ではなく、人が欲してやまない物をこれでもかと与えてくる点にある。愛だ。敵を心から愛せる者が、敗れる事があるのだろうか。
「あなたの為ならば、私は指の1本を失う事に何ら躊躇いはありません」
「ケツにお前のぶっさしながら俺に人を殺して回れってのか?」
「その代わり、あなたは死ではなく幸福を得られるのです」
 ミネイルの言っている事に嘘はない。
「選びなさいグラーグ。私の中に全てを吐き出し、私の為に働くか。それとも苦痛と同時に射精し、その役割を終えて捨てられるか。好きな方を選ぶのです」
33, 32

  

 肉体は体重に、頭は快感に押しつぶされながら、グラーグは賢明に戦おうとしていた。少しでも気を抜けば心が折られ、待っているのは永遠の服従。しかしミネイルの許しという優しい脅迫は、強烈な力でもってグラーグを組み伏せた。
「……女王様」
 ぽつり、とグラーグが呟く。それは孤児院時代からのミネイルのあだ名で、過酷な教育と忠誠心を育む訓練に由来する物だ。もちろん本人をそう呼ぶ勇気のある者はいなかったが、ミネイルは当然自分がそう呼ばれているのを知っていた。
「まだそう呼んでくれるのですね」
「いや……呼んだ訳じゃない。やっぱりこのあだ名はお前にぴったりだと思ってな。自分の思い通りにならない者を許さず、男に快感を与えて好きなように扱う。そして全てを搾り取ればあっさりと捨てる。息子にしたのと同じように」
 グラーグは薄れる理性でどうにか言葉を繋ぎ、突破口を探った。しかしミネイルの膣内は冷徹な伸縮運動を繰り返し、内部の液体の濃度は増していく。
「あなたがどう思っても私は構いません。問題は、あなたが私の愛を受け入れるかどうかです」
 少しの間を置いて、グラーグは答える。
「……傭兵団をやってた時に、テルフィという女がいた」
 田舎の村で拾った貧乏な少女の姿を、暗闇に思い描く。
「女といってもまだ子供だったが、俺のした気まぐれみたいな事を真剣に受け止めて、2回も『私を抱け』と迫ってきた。施しを受けるのが苦手だったんだろうな。人の欲の中で生き過ぎて、常に代償を支払いたがっていた」
 思い出している間は何故か妙に冷静でいる事にグラーグは気づく。
「旅に出る前に誘われた時、俺はそれを断った。理由は俺にもよく分からんが、気乗りしなかったんだ。爺はブーブー文句を言ってたがな、これだけは俺も譲れなかった」
 黙って聞いていたミネイルも、グラーグのやけに涼しい口調に業を煮やしたようで、
「そんな思い出話は聞いてません。早く答えなさい。服従か、死か」
 苛立ちを隠さない言葉を無視して、グラーグは続ける。
「テルフィにだけは手を出さないと決めていたんだ。カルベネの奴は、そんな俺を見てこう言いやがった。『あなたは竜の力を得て、むしろ人間らしくなった』……ムカついたが、否定は出来なかった。以前の俺は、いかに効率的に敵を倒し、自分と味方が生き残るかだけを常に考えていた。ちんこを切り落とされてからも、命令の主が軍からドラゴンに変わっただけで、自分のやる事が良い事だとか悪い事だとか、いちいちそんな事は考えていなかった。おかげ様でここまで生きてこれたんだがな」
「私の教育が正しいからです」
「……まあ、その通りだ。だが、俺のしていたのは道具の考え方だ。剣や弓は人を殺す時何も考えない」
「何が間違っていると言うのです? あなたは私の道具になる為に生まれ、私の役に立つ為に育てられた。それが全てでしょう?」
「いや、違う」


 グラーグは淡々とした口調で続ける。
「あいつらと出会って、俺は変われた。テルフィは何事にも一所懸命だった。カルベネは冷静に見えて情に厚い所がある。メリダンは俺と似すぎていて嫌になるが、俺より純粋な奴だ。盗賊だった2人も根は悪い奴じゃない。子供を抱いてる所を見ると、なんて事はないただの女だ。そして今なら、あの時のフラウリーチェの気持ちも少しは分かる。らしくはねえがな。悪い事をしたと思ってる」
 今まで決して内心を語った事など無かった男が独り言のように紡いだ言葉は、いずれも本心から出た物であり、グラーグは今、世界一の正直者だった。その達観した雰囲気に、ミネイルは怒りを露にする。
「グラーグ、答えなさい。あなたの感傷に付き合っている暇など私にはないのです」
 英雄はにやりと笑って答える。
「お前に従う気はねえって言ってんだ。射精させたいってんならケツをほじくって無理やりさせるんだな。そして満足したならとっとと俺を殺すがいい。俺の子供達がいつかお前を殺す日を、あの世から楽しみに待ってやるぜ」
「……良いでしょう。それがあなたの選択ならば……」
 その時、鋭い矢が一陣の風と共に飛来し、ミネイルに刺さった。遠くに人影が見える。それも1つや2つじゃない。
「グラーグ! まだ生きてるだろうな!?」
 呼ばれたグラーグが鱗越しに聞いたのは懐かしい声だった。メリダンだ。
「その矢には毒が塗ってありますわ。殺す程ではないですが、少し弱らせる効果がありますのよ」
 次に聞こえたのはカルベネ。続いて鎧の音と足音がばらばらと聞こえた。森を抜けた決戦の地、女達が間に合った。
「竜根傭兵団、ただいま参上! うちらの団長は返してもらうよ!」
 1年前、グラーグと共に戦い、竜の血を退けた者達が再び集っていた。しかもグラーグが旅の途中で犯した新たな仲間を加え、その規模も練度も増している。
「くそっ、あいつら……」
 グラーグが舌打ちをするが、態度の割りには楽しげな声だった。
「さあ行くよ! 相手はたかだかトカゲ1匹。さっさと倒して今夜は乱交だ!」
 メリダンが先導し、戦争と出産の両方を経験した女達が向かっていく。竜の子を宿していない今、その戦闘能力は常人と対して変わらないが、グラーグ救出の為に統一された意識が力に変わる。それでもなお戦況はドラゴンに圧倒的有利だが、1人として踏み込みを躊躇う者はいない。
「ちっ、仕方ねえ。奴らばかりに任せておく訳にはいかねえからな……」
 グラーグが、全身に力を漲らせる。雄叫びをあげながら、腕に力を込める。
 ほんの僅かだが、ドラゴンの巨体が持ち上がった。しかしグラーグの目的は、拘束からの脱出ではなく、完全勝利だ。
「そんなに精液が欲しいならくれてやるぜ。その代わり、お前にも本気になってもらう」
 浮いた空間を生かし、グラーグが腰を使って陰茎を深く鋭く挿入した。
 うっ、とミネイルがほんの少し声を漏らす。グラーグの狙いはミネイルの絶頂。転じて内部への攻撃であり、内蔵に武器を突き刺す形となるこの形は、決して悪くない。
 嵐の中で荒れ狂う波の如く、グラーグは自らの腰をミネイルの下腹部に叩きつけた。性器と尻に絶えず与え続けられていた快感は闘争心で吹き飛ばし、今やグラーグの頭にあるのは男としての本能。即ち、雌を喰らい、闘いに勝利するという目的だけだった。
「気が変わった。あんたの教え通り、ここから生きて帰る事にするぜ」
 槍を扱う要領で、敵の弱点を探る。こと戦闘において、グラーグはやはり天才的な感性を持ち、皮肉にもそれを極限まで育てたのは今攻められているミネイル自身だ。
「グラーグ、人間ごときが私を絶頂させようなどと、思い上がるのもいい加減にしなさい」
 口ではそう言っていたものの、明らかにミネイルの動きは鈍ってきていた。次々に特攻を仕掛けてくる竜根傭兵団の女達に対しては尻尾や首で弾き飛ばすのがやっとで、炎を吐いてもいまいち勢いが無く避けられてしまう。
 山の頂上、1人の男と1匹のドラゴンがセックスをしながら、その周りを男の妻が取り囲んで襲う。尋常ならざる戦況はしばらくの間続いた。
 グラーグがミネイルの膣内に射精をする。しかしそれでもなお、怒涛の勃起と高速の反復運動は衰えず、攻めはまだまだ続く。グラーグは短く呼吸を繰り返しながら、汗だくになりつつも腰の動きを止めない。女達の攻撃も様々に形を変化させ、防御に徹するミネイルを攻略しつつある。
「くっ……確かに、竜の血が流れているだけあってあなたは強い。肉体的にも、精神的にも。それは認めましょう。しかし目的の精液は確かに頂きました。一旦勝負は預けるとします」
 ミネイルがグラーグの尻に挿入した指を抜こうとした時、グラーグの肛門括約筋がそれを万力のように締めつけた。いくらドラゴンといえども、指一本ではグラーグの全身全力を制する事は出来ない。
「……逃がすかよ。最後まで付き合ってもらうぜ」
 そして再び射精。もう少しで器が溢れるというのに、ドラゴンズペニスの勢いは更に加速する。股間にある玉だけではなく、心臓の役割を担う玉まで心拍数を高めながら、次々に精液を敵に叩き込む。
 抜けないならば、とミネイルは前立腺を操作して痛みを与え、どうにか精液を止めようとするが、今更グラーグが痛みに屈する訳がない。
 次に押しつぶして殺してしまおうと圧を加えるが、グラーグは馬鹿力でもってそれを支え、女達も懐に入って加勢する。何度弾き飛ばされても、腕や足を焼かれても、反吐を撒き散らしながらミネイルに向かっていく女達の目的はただ1つ。グラーグとの一夜だ。
「今更交尾から逃げようとするんじゃねえよ。お前処女か?」
 グラーグは余裕の冗談を飛ばしながら一撃を突き刺し、またもや射精。いよいよミネイルの性器から白濁した液が零れる。それと同時、ミネイルからほんの少しだが咆哮でも苦痛でもない鳴き声が漏れる。過去、ドラゴンのそんな声など誰も聞いた事が無かったが、数多の女を経験したグラーグには、それが喘ぎである事が直感的に分かった。
「今だ! 同時に攻めるよ!」
 メリダンの掛け声と共に、女達が剣を振りかざして飛びかかる。
 決着、かに見えた。


 ドラゴンは本来、伝説上の生物だ。実在していた事はこうして明らかになったが、かつてそれを神に最
も近い生物と呼んだ者の見解は非常に的を射ている。街を破壊されたレザナベルンの者達の中に、竜信仰が芽生え始めているのはごく自然な事だ。
 ましてやミネイルことマレナセイルパルは、魔女を喰らった特別なドラゴン。その力は人智を超えている。
「……何だ?」
 最初に気づいたのは、地面に密着していたグラーグだった。続いてカルベネ、次々と女達も異変に気づく。ミネイルは最初から何が起こるか知っていた。何故ならばそれを呼び起こしたのは彼女だからだ。
「人間ごときの浅知恵が、高貴なる我々に通用する事などあり得ません」
 それまで小さかった振動が、急激に大きくなる。地震だ。地面が落下したような錯覚をその場にいた誰もが抱いた。マズブラウフアが城の地下からペニスを射撃した時とは比較にならない程の揺れ。山全体が縦に振られ、所々で地割れまで発生している。バランスを崩した女達が攻めるのを止め、地に伏せる。というより、立っていられる者がいない。
 山の裂け目から下に、真紅の溶岩が覗いた。それまで平穏だった山が、突如として姿を変えた。当然これは偶然などではない。ミネイルには、滅びを呼ぶだけの力があった。
「支配する竜、支配される人間。関係がよく分かりましたか」
 勝ち誇るミネイルに、グラーグは噛み付く。
「分からねえな。あいにくとお前の育てたのは馬鹿息子だ」
 そして更に腰を加速させる。地面の揺れに合わせて、今までの中でも1番の速度だ。
 ぶった射精り、射精っとばし、乱れ射精き、射精きつけ、中心を射精ぬく。目にも留まらぬ連打で、ひたすらに攻め続けるその姿に、女達も奮起する。
「くっ……馬鹿な。人間ごときが……」
 グラーグ決死のセックスに、ミネイルが押され始めていた。しかし最高の武器を扱うにはそれ相応の力が必要であり、グラーグの体力も限界に来ている。
「中に出すぞ!」
 射精。一切の小細工なく、がむしゃらに放出した最後の一撃。後はなく、心臓も金玉ももう空っぽだった。出した直後、グラーグは確かにマズブラウフアの声を聞いた。
「グラーグよ、よくやったのう」
 見た目こそ変わらないものの、よく見ればミネイルが痙攣しているのが分かった。絶頂している。膣もきゅっと締まり、反応は人間の女のそれによく似ている。グラーグ必死の攻めに、ようやく難攻不落の城が落ちたのだ。
「今だ! やれ!」
 叫ぶグラーグ。もちろん、事前の打ち合わせなどしていないし、作戦を伝え聞いていたという事もない。ただグラーグには、自らの育てた騎士団と、犯した女達に対する信頼があった。
 かつてドラゴンを封印した魔女の末裔、カルベネが飛び出した。グラーグの旅していた1年で、彼女は竜封印の秘術を完成させていたのだ。
「これで終わりですわ!」
 カルベネの持った杖が、ミネイルに突き刺さった、かに見えた。
 刹那の差。ほんの僅かに、ミネイルが人間に変身する方が早かった。


 人間形態に戻り、カルベネの杖を間一髪で避けたミネイル。グラーグにイかされ、封印されかかった事それ自体は屈辱でしかないが、とはいえ寸での所で危機は回避した。ドラゴンズペニスも既に力尽きて萎え、グラーグ自身の疲労も限界を超えている。後は噴火しつつある山を残し、竜形態に戻って飛び立つのみ。それで決着だ。
「惜しかったな、グラーグ。だが、私の勝ちだ」
 ミネイルが、グラーグにとっては見慣れた姿で見下す。どろどろになった下半身の間、その向こう側に、グラーグは勝利を見つけた。
「女の執念ほど恐ろしいものはねえな」
 呟くと同時、ミネイルの背中に杖が突き刺さる。カルベネの物ではない。その弟子、テルフィの物だ。
「グラーグさん、約束ですよ。大人になったら今度こそ私を……」
 テルフィの言葉を遮るように、ミネイルが咆哮する。それは人の物ではなく、姿も部分部分が竜に戻ったり、人になったりしている。不安定な状況だ。
「最後まで気を抜くんじゃありません。さあ、一緒に」
「はい、師匠!」
 テルフィとカルベネの2人が、ミネイルに突き刺さった杖に手をかざす。ぶつぶつと呪文を唱えながら、儀式は進行してく。それに伴い、山の揺れも収まってきた。ミネイルは人間の頭を竜の手で押さえながら、羽を広げて2本足でふらつく。
「ば……馬鹿な……。グラーグ……私の命令に……従いなさい……」
 ぶつぶつと呟きながら、ミネイルの鈍い眼光は最愛の息子を捉える。
「……じゃあな。……」
 グラーグはぶっきらぼうに答え、最後にミネイルを呼んだが、何と呼んだのかはグラーグ以外に誰も分からない。
 2人の魔女が声を揃えて宣言する。
「偉大なるドラゴンよ! 古より伝えられし魔女の術によりあなたを封印します!」
 ミネイルは呻き声をあげながら、しばらくよろよろと歩いた後、割れ目に落ちていった。
 終幕だ。
「これであと1000年はあなたを独り占めされずに済みますわね」
 額に汗を流しながら、カルベネがグラーグにそう話しかけた。
「お前らの相手の方がよっぽど疲れる」
 仰向けに寝転びながらグラーグは笑った。


 10年後。
35, 34

  

 ある所に、グラーグという男がいた。
 グラーグは勇敢な戦士で、傭兵団を率いて戦い、あらゆる悪を退けた。
 自らの故郷を破壊したドラゴンを彼は退治した。人々は彼を英雄と呼んだ。
 そして女達はそんな彼を慕い、皆が恋をした。彼はそれら全てを分け隔て無く受け入れた。
 しかし彼には呪いがかかっていた。ドラゴンを殺めた際にもらった呪いで、自らの子供に遺伝する厄介な物だった。
 呪いを解くには、いずれ復活するドラゴンと和解して共存の方法を見つけるか、あるいは父親と同じように退治し続けなければならない。
 グラーグの100人の子供達はその英雄の強い血と共に、ドラゴンと生きる運命を背負っている。


 カルベネが書いた英雄譚を掻い摘んで説明するとこのようになる。
 あくまでも子供を対象としているので、陰茎や強姦の件は巧みに隠し、グラーグと退治されたドラゴンの関係性についても省略されている。なおかつ、子供にはきちんと使命がある事を納得させ、額や目の周りの鱗は呪いの影響であると説明出来る。
 やり方と目的は違うが、かつてバリアーチを英雄に仕立てた魔女と同じような手をカルベネは使った訳であり、今の所その作戦は概ね成功しているようだった。
 田舎の村、マシア。人里離れたこの地を好み、そのまま住みついた元竜根傭兵団は沢山いる。メリダンもその内の1人だ。
「ママ! またパパの話を聞かせてよ!」
 10歳になる子供が、洗濯物を干しているメリダンに駆け寄った。
「今忙しいの。後でね」
 いなすメリダンの横顔には、かつての非道な雰囲気が少しもない。家事をこなし、畑を耕し、夫の帰りを待つ生活が、彼女からすっかり毒気を奪ってしまった。村にある小さな学校で、子供達に戦闘術を教える時以外、メリダンが剣を握る事はもうない。
 レザナルドとボンザの戦争が終わって5年になる。戦争の勝者はレザナルド。ドラゴンに首都を壊滅させられたダメージよりも、国王と宵闇傭兵団を失ったダメージの方が大きかったという結論になるが、マレナセイルパルが今も生きていればまた結果も変わっていただろう。
「ねえねえ、ママ」
 我が子にひっつかれながら、メリダンは「なぁに?」と答えつつ仕事を続ける。
「パパはいつになったら帰ってくるの?」
 手が止まる。寂しそうに見上げる子供に、母が答える。
「パパはね、ちょっと遠い所に行ってるのよ」
 マシアに、グラーグの姿はない。


 マレナセイルパルによって一時は壊滅状態にあったレザナベルンの街は、すっかり復興して以前の姿を取り戻していた。かつて竜根傭兵団の拠点として使われていた城には今、2人の魔女と2人の子供が住んでいる。
 夕飯の支度と魔術の研究を平行して進めるカルベネの部屋に、テルフィが飛び込んでくる。
「師匠! 久々の依頼ですよ!」
「あら、どんな依頼かしら?」
「市場で暴れてる2人の子供を取り押さえてくれないかって」
 2人の子供、という言葉にカルベネはその内容を把握した。
「……それは依頼じゃなくて苦情ね。テルフィ」
 カルベネの子とテルフィの子は、いつもつるんで遊んでいる。2人の子供の内、乱暴なのがテルフィの子供の方で、狂暴なのがカルベネの子供の方だ。理知的な母親からどうしてこんな子供が生まれてきたのかは甚だ疑問だったが、父親が父親なので不可思議という程でもなかった。
 市場に駆けつけた母親2人が、子供2人にげんこつを下す。それから片方の子供が、涙目になりながらこう言い訳した。
「だって最初にあいつらが馬鹿にしたんだ。俺の事を呪われた竜の子だ。あっちへ行けって!」
「そうだそうだ! 兄ちゃんは悪くない!」
 明らかに見た目からして他の子とは違うのだから仕方の無い事だったが、そもそも竜云々の原因は自身が自慢げに母の書いた英雄譚を友達に披露した事にある。
「だからといって、あなた達が本気で友達を殴ったら友達が死んでしまうでしょう?」
「殴ってなんかないよ。ちょっと火を噴いて驚かせただけだ」
 おまけに魔力の素質まであるというのだから手に負えない。噴いた火が制御出来ずに市場の屋台に燃え移り、それを消火する為にどたばたやっていたというのがどうやら事のあらましだった。
「どちらでも同じです。あなた達の力は、来るべき時に備えて取っておきなさい」
 ええー、と子供達が文句を垂れるが、本気で逆らう素振りはない。心のどこかで納得しているのだ。
 渋々屋敷へと帰っていく2人の子を見送る母には、子供のした事の後始末がまだ残っている。
「いつかお父さんと会ったら力比べしたいよな」片方が言う。
「そうだね、兄ちゃん。2人でならきっと勝てるよ」片方が答える。
 そんな背中を見つつ、カルベネとテルフィは目を細めた。


 マシアから少し離れた場所に、墓が1つ立っている。まるで人目を避けるように立てられているが、普通の物よりも一回りか二回り大きく立派で、名前と誕生年と没年だけが刻まれており、非常にシンプルな作りだ。
 竜根傭兵団の元団員は、全員がこの墓の存在を知っているが、子供にはその存在を隠している。知られてはまずいのだ。
 マレナセイルパルを倒した後、グラーグは再び旅に出た。今度は女を犯す旅ではなく、封印されたドラゴンの情報を集める為の旅だ。寓話や噂を頼りに目星をつけて現地に赴き、マズブラウフアの力を借りて地図を作っていくというグラーグの今までの行き方に比べると随分と地道な作業だ。
 しかも驚くべき事に、この旅を提案したのはマズブラウフアではなく、グラーグ本人だった。
 何人かの元団員がグラーグの後を追ったが、子供が生まれてしまうと育児でそれ所ではなくなった。そもそも竜の力を持ったグラーグを、生身の人間が捕まえる事など出来るはずがない。
 しかし世界は広い。ましてやグラーグは心臓を失っている、いわば手負いの状態であり、不利な状況や何かの拍子によって、ドラゴンを倒したグラーグといえども不覚を取る。それは仕方の無い事だった。


 ある夜、墓の前に男が1人立っていた。月は雲に隠れ、辺りは暗い。物陰から男を見ていたのは、元竜根傭兵団の女達。なぜならその日は墓に眠る者の誕生日であり、その男が現れる事は分かりきっていた。去年も一昨年も男はこの日に墓に現れた。明かりが少な過ぎて、男の顔は見えないが、その場にいる全員が男の正体を知っていた。
 男が手に持った花を墓に置く。
 11年前、墓の主が死んだ夜のように、じっと見る。
 その時、物陰から女達が飛び出した。陣を組んで男を囲み、手には武器が握られている。
「今日こそは泊まって行ってもらいますよ!」
「いいえ、今日だけとはいわずこれからずっと!」
 それぞれに叫ぶ女達を見回し、男は呟く。
「やれやれ今年もか。俺は墓参りに来ただけなんだがな……」 
 男の正体はグラーグだった。1年に1度、墓に眠るフラウリーチェの命日にだけ旅から戻ってくる。そのチャンスをみすみす逃すような女達ではないという訳だった。
「どうじゃグラーグ、今日は逃げず、久々に一戦交えるというのは」
 マズブラウフアの提案に、グラーグは答える。
「……ああ。悪くねえかもな」


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