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1-6. 接触

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 ローストビーフを盛ろうとしたが、皿が傾いていたせいで、ローストビーフを床に落としそうになった。ソリッド・ライス以外の食べ物はいつ以来だろう。
「おっとっと、よろしく、アン。僕はジョンです。」
 あたふた返事をするココを見てアンは可笑しそうに笑った。
「さっき聞いた。ジョン・ペレスさんでしょ?」
「そう、ジョンでいいよ。」
 ココもなんとか笑って返した。
「ローストビーフなんて久しぶりで。」
「変なの。じゃあソファで座って食べません?」
「いいですね。」
 頭がグルグル回るのを感じた。シャンパンのせいじゃない。アンとの、ターゲットとの接触はまだ先の話だと思っていた。そもそも40代であるはずのアンはどう見ても20代後半の女性に見える。

 切り替えて、早く。…ミチの声がフラッシュバックした。乾いた声にいらつきが混じる。動きが遅いココを見て少しうんざりしてる時のミチだ。

 慌てて目の前の状況に集中する。立ち上がりはまずまずか。少なくともあっち行け、興味ないわ、にはならなかったわけだ。さて、ここからどうやってこの女とお近づきになるか。
 ソファに向かってゆっくり歩いた。今日はどこから来たのか、今夜のトシマ・ストリートはお洒落で良い感じだとか他愛もない話をする。話をしながら必死に次の話のネタを考える。ナンパの経験などあるはずもなく、他人と盛り上がれる大層な趣味などあるわけもなし。額から汗がにじみ出てくる。
 壁際に配置されたソファに座り、ローストビーフを食べながら(何はともあれ美味い!)彼女と話を続けた。
 アンジェリーナ・ウェルズ、通称アン。電信インフラ企業のマネージャーで趣味はゴルフ。ゴルフなんて旧世界的スポーツができる場所がドームの中にあるとは驚きだった。話を聞くと屋内に人工コースがあるらしい。
 またもや技術の享楽的無駄遣いを知ることとなりココは震えた。さっきの貧しい人に電信網うんぬんはどこに行ってしまったのか。そしてこの女、成金ダイエットに加えて整形手術を受けているに違いなかった。とてもじゃないが40代のおばさんには見えない。
 頬にシワはなく、少し丸みを帯びたあごが可愛らしい。整形手術の跡は見つけられず、これまた大金の匂いがした。だが太めの眉の下の、彫りの深い眼は見た目にはそぐわない落ち着きを備えているような気がする。厚めのくちびるから漏れてくる声は少し低めで、その声がココをダメにするような気がした。ココはハスキーボイスに滅法弱い。
「…なに?」
 しげしげと顔を見つめられていることに気づき、アンは少し恥ずかしそうだ。
「あ、いや…、かわいいくちびるしてるなって。」
 相も変わらずトンチンカンな事しか言えない。頭の中で自分を罵った。くちびる?馬鹿か?もっとマシなこと言えないのか?
 一手、誤った気がした。あせり過ぎた。ここで終わっても仕方ない。
 気まずい空気になるかとヒヤリとしたが、存外アンはまんざらでもなかったらしい。
「いきなり何に言ってんの?ホントおかしい!」
 くすくす笑って肩を軽くたたかれた。軽く酔っているのがうまい方向に働いたのかもしれない。助かった。
 ココの軽口(?)のお陰で思った以上に打ち解けることができ、スポーツの話や本の話をした。スポーツに関してはココの貧弱な想像力を総動員してテニスをたまにやるということにして話をつないだ。読書に関しては、ドンピシャだった。
「レイ・ブラッドベリが好きなの?俺もだよ。」
「え、本当?『たんぽぽのお酒』は読んだ?」
「読んだ。でも僕は『死ぬときはひとりぼっち』がオススメだね。」
「それタイトルだけは知ってるけど、読んだことない。たしか絶版じゃ?電子版も残ってないし。」
「学校のね、古書館で偶然見つけたんだ。」
 二人とも同じ作家が好みだということが分かり、話が盛り上がっているところで終わりの時間がきてしまった。
「お話が盛り上がってる最中に申し訳ございません。宴もたけなわではございますが、終了時間となってしまいました。」
 アラビア野郎がしたり顔で場を締めくくろうとまたもや演説を始めた。
「…まだ積もる話もあるでしょう。ぜひ連絡を取り合ってこの場で生まれた交流を続けていただければこちらとしても嬉しい限りです。それではこれにて本日の会合を終わりにさせていただきます。」
 会場の扉が開かれ、上手く事を運んだペアも失敗に終わった者もパラパラと帰り始めた。僕らもそろそろ出ようか、と声をかけココとアンも出口に向かった。
 ドアのそばでは相変わらず巨人が静かに立っていた。巨人に関してアンに話を振ろうか、いや、その前にもっと考えるべき二択がある。それは"このまま帰る"か、"別の場所に誘う"かだ。上手くいったことは喜ぶべきだったが、さて、さらなる発展を今、この場で、望むべく行動を起こすべきなのか、今しばらく時間を取った方が無難なのか。
 正直慣れないことをして疲労感を感じ始めていたココは少し帰りたくなっていた。2人で駅へ続く坂道をゆっくりと登る。夜もふけ、真っ黒な町並みに街灯の丸い明かりが等間隔に並んでいる。明かりの縦列はそのまま駅へ続いている。口数は徐々に少なくなり、そして2人は黙ってその光の点線をたどった。
 駅に着いた。
「今日は」
 ココはゆっくり切り出した。さっきまで軽々動いていた口はどこに行ってしまったんだろう。重たく感じた。
「今日は楽しかった。良かったら今度どこか遊びに行かない?」
 アンは微笑み、彼女のアドレスを教えてくれた。ココもスギダイの事務所のアドレスを伝えた。一緒に改札をくぐり、ホームで別れる。アンとは反対方向の電車だった。
 
 車窓からネリマ・セントラルの街明かりが遠くに見える。ココは窓に映る自分の顔をぼんやり見つめながらさきほどのやり取りを思い出してた。これでよかったのか?疲れていて頭が働かない。何がしか物足りない気がした。したが。ココは交わした会話を頭の中でリプレイすることをやめた。
 ともかくターゲットのアドレスは手に入れた。いつでも殺せる状態にようやくこぎつけたわけだ。ではどうやって殺すか。どのタイミングでエボルバーを使うのか。ブラスターは?本当に使うのか。
 殺しの段取りを少しずつ考え始めたところでイリマ区に着いた。
 電車を降りるとき首筋に視線を感じたような気がしてちょっと立ち止まった。どこか遠くから、ミチがなんとも言えないような目つきで自分を見ている。その目はどことなく悲しいような、失望しているような目つき。そんな想像をしたものだから、さっきまで押さえつけていた憂鬱な気分がまた膨れ上がってきた。
 疲れたから帰りたくなった?嘘つき。下手打つのが怖いだけなんだ。意気地なし。ミチの視線はそう言っている。はあ、とため息をついて、ココは家路に着いた。


 アンのことが、かなり好きになっていた。
 
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