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  ■

 結論から言うと、ごまかせなかった。
 俺は体を陽菜に戻し、気絶している内にそそくさと家に帰ったのだが、目覚めた陽菜から開口一番に「あれは何?」と言われてしまった。
 主動権を握ったままだった俺は、陽菜の代わりにレバニラ炒めを作りながら、「何言ってんだ。お前は突然気絶したんだ。夢でも見てたんだろ」と返したのだが、そんな信じればラッキー程度でごまかされる宿主ではなかったらしい。
 食事の準備が済み、陽菜はテーブルの上に置いた鏡の前で、レバニラ定食を食べ始める。
 陽菜から見ると、鏡には俺の姿が映っているらしいが、俺には陽菜の顔しか見えない。俺達は面と向かって話さなくてはならない事がある時、いつもこうしている。
「話して、月翔。あの化け物はなに? なんで私の体が、あなたの体になったの? どうしてこのブレスレットが武器になったの?」
 俺はなんと言っていいか、大分困ってしまった。
 できれば陽菜を巻き込みたくはなかったけれど、体を共有してしまっている以上、いつかこんな日が来るとは思っていた。
「……一つずつ、答えていくか。あの化け物は、そうだな、いろんな呼び方がある。不可視の者、幽霊、妖怪、だが、基本的には『インヴィジブル』で通ってる」
「インヴィジブル?」眉間にシワを寄せる陽菜。
「あぁ。普通の人間には見えない。見るには、特別な才能が必要になる。お前には、その才能があるんだ」
「……あなたにあるんじゃなくて?」
 俺はその言葉を無視した。
「やつらは、人間を食う。さっき、お前は目の前で人間が消えるのを見たって言ったな。それは捕食シーンだよ。やつらは、自分達を視認できる存在を恐れ、また、生きる為に人間を襲ってる」
「……食べられた人は、どうなるの」
「死ぬに決まってんだろ。――って、そんなことが聞きたいんじゃねえか」
 陽菜の眼光がより鋭くなったので、俺は思わず肩を竦めた。
「消えるんだよ、神隠しってやつだな。普通の人間にゃ、見えねえんだ。お前みたいに、観る才能がないと、まず消えた事にも気づかない。あの時、消えた事を認識していたのは、お前だけだろ?」
 陽菜は顎に手を添え、先ほどの事を思い出しているらしい。
 インヴィジブルを視認できる人間は、そう数がいるわけじゃない。だから、あの場で陽菜以外に気づいた人間がいるとは思えない。どうやら陽菜の中でも、同じ結論に至ったようだ。
「じゃあ、さっきの人の家族にとって、あの人は、いきなり失踪したってことになるの……?」
「そうなるな」
「そんな……っ」
 陽菜の顔から、血の気が波みたいに引いていく。
「なんでっ、なんでそんな!」
 そして、これまた波みたいに、俺へと押し返してきた。
「知るかよ。やつらは、自然災害みたいなモンなんだ」
「……じゃあ、私の体が、あなたの体に変わったのは?」
「それは、まあ、あれだよ。観る才能、みたいなモンだ。戦う為の力だよ」
 イマイチ納得しきれていないのか、俺を追求するための言葉を探しているように、鏡の中の俺を見つめる陽菜。だが、どれだけ探しても、お前の中から俺を撃ち抜く弾丸は見つからない。
「心望も同じさ。硬度と長さを自在に操る、俺の武器。対インヴィジブル兵装」
「このブレスレッド、そんな力があったんだ……」
 陽菜は、右手首の心望を外そうとして、摘んだ。だが、いくら引っ張っても取れる気配がなく、「あれ……?」と首をかしげる。
「無駄だ。心望の外し方にはコツがある。俺じゃなきゃ外せない」
「え、でも、普段お風呂入る時とか外せるし……」
「それはこっそり協力してただけだ」
「……なんで?」
「は? なんで、って。外せねえブレスレットなんて怪しまれるからだ」
「……ふぅん」
 なんでそこに引っかかるんだよ。
 無意味にハラハラするだろうが。
 それ以上何かを言えば、変なボロを出してしまいそうな気がしたので、俺は何も言えなかった。そして陽菜も、俺を追求できる言葉をまだ得ていないらしく、何も言ってこない。
「ま、もう忘れろ。きっと二度と出会わないだろうし、お前の言う、普通の日常に戻れ」
「……月翔は、それでいいの?」
「あん?」
 まっすぐと鏡を見つめる陽菜。つまり、鏡の中の俺を見つめているんだろう。
「戦ってる時、月翔は楽しそうだった。戦いたいんじゃないの?」
「……ま、楽しかったのは認めるよ。久しぶりの刺激だったしな。だが、あんな事が続くのは、俺だってごめんだ。いいか、お前は忘れろ。俺も忘れる。二度と口にはしねえ」
「……わか、った」
 いつもなら俺の言葉に頷くなんて、陽菜はしない。
 けどまあ、異常事態だ。すべてを把握しているのは俺だけ。陽菜は無知のまま突っ走るなんてバカな事をする女じゃない。だから、俺は安心して、「忘れろ。お前は普通に生きるだけでいい」とだけ言って、もう眠る事にした。
 たまには一人の時間がほしいだろうし、俺もずっと陽菜を見守っているわけにはいかない。
 こういう日は、特に一人になりたいはずだ。
 俺って気遣いができる男だからな。

  ■

 俺は男で、陽菜は女。そうなって来ると、いろいろ気を使う場面が出てくる。例えば風呂だ。
 どうやら俺が寝ている間に済ませているらしく、今まで一度も目撃したことがない。まあ、起きていても目をつぶっているつもりだが。
 そして、着替えの時はだいたいそういうパターンだ。
 今日は朝から体育で、俺は目をつぶって、その時間が早く過ぎてくれないかと祈るしかない。
 衣擦れの音と、話し声。
「あぁー、朝から体育なんてダルいなぁー」
 女子更衣室の中で、着替えながら志村が陽菜に話しかけているらしい。ため息混じりの話し声から、本当にダルそうなのが聞こえる。
「それに、今日は持久走でしょ? ダルいなぁー」
「志村さん、運動苦手ですもんね」
「まぁねー。陽菜っちは運動得意で羨ましいよぉ」
 愛想笑いを浮かべる陽菜。
 だが、俺だけは知っている。実際、陽菜は運動が大嫌いだ。苦手で出来ないとかではなく、大嫌いだ。できれば走ることすらしたくない、と思っているタイプ。
(ごめん、月翔。今日もお願いしていい?)
 陽菜に頼まれれば、俺は頷くしかない。
 実際、運動は嫌いじゃないし、させてもらえるというのならありがたい。
 ハーフパンツの体操着に着替え終わって校庭に出ると、俺は陽菜から主動権を渡してもらい、準備運動をする。
 隣で同じ様に、というか、俺を真似て準備運動をする志村が、わりと必死な顔で「陽菜っち! 一緒に走ろうね!」と言ってくる。
 面倒臭え。俺は一人で、全力で走りたいのに。
 だから断ろうと思ったが、引っ込んでいる陽菜が(一緒に走って、月翔)と思い切り睨みを利かせてきた。
「わかった。一緒に走ろう、えーと、志村さん」
 なんで俺がこんな風に敬語使わなきゃならねーんだ。
 敬語使うようなキャラじゃねえってのに、まったく二重人格は辛い。
「……にしても、なんか今日、人数多くねえか? ――ないですか?」
 陽菜の口調は俺にとって難しい……。
「あれ、陽菜っち知らないの? 今日は隣のクラスと合同授業でしょ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
 ふぅん。
 まあ、関係ねえけど。
 俺は走るだけだ。
 スタート地点に立ち、首をゴキゴキ鳴らしながら、足首の力で跳ねる。
 近くから、「あの子でしょ? この間の体力測定で、学内新記録出してた子」と、まあ俺(っていうか、陽菜か)の事だろう噂話が聞こえてきた。
「……へえ、マジで? 燃えてきたぁー」
 と、うわさ話をしていた女の一人が、何故か突然俺の隣に立った。
「アタシ、|碧亜葵《へきああおい》っていうんだ。よろしく」
 その女は、毛先が少し跳ねたベリーショートの黒髪と、一七〇近くはありそうな、女子としては長身の体。自信に満ちて輝く光は、全身からあふれだす生命力を凝縮したようだった。
 体つきを、態度を見れば、スポーツに自信を持っているってことがよくわかる。
「は? あ、あぁ。お、じゃない……。私は、朝村陽菜。何か用ですか?」
「あんた、運動に相当自信があるそうね」
 自称した覚えはねえ。
 俺自身も否定するつもりだったが、陽菜が否定しろ否定しろとうるさかったので、
「いや、別にそんなことはないですけど」
 とだけ言っておいた。
「ふぅん。でも、学内新記録出したのは事実なんでしょ?」
「確認してないんで、なんとも」
 陽菜の対応って、だいたいこんな感じだっただろう。俺は結構満足な出来だったが、本人からすると納得していないらしく、(私そんなそっけなくない)と不満そうにぼそぼそ言っていた。
「っか。そっけない態度ねえ……。勝負しましょ、朝村。この持久走、先に規定の校庭八周した方が勝ち」
「やだヨ。くだんねぇ。お――じゃなくて。私は、志村さんと走るって約束してるんで」
「そーだよ! 碧亜さん運動神経いいって訊いてるよ! 私がついてけるわけないじゃん!」
「一緒に走るくらい後でもできんでしょーが。アタシが勝負できるタイミングなんて、そうないんだから、譲れ」
「一回走ったらもう二度とやだよ! 楽しく走りたいから友達と走ろうって言ってんのに!」
「しゃべりながら走ったら、余計体力消耗して走るの辛くない?」
「……え? あれ、そうなの?」
 そうだと思うぞ、という意味を込めて、頷く。普通に黙って走った方がいいだろう。呼吸を乱してたら、走れる距離は短くなる。つまり、黙って走れってことだ。
「位置について」
 そんな話をしていたら、いつの間にか体育教師がホイッスルを口に咥えていた。俺は慌てて構え、ホイッスルが鳴り出したと同時に、走りだした。
「いただきぃ!」
「――なっ!」
 俺は確かに、慌てて構えたことで、足がもつれて、一瞬だけスタートが遅れた。だが、それでも俺が前を行かれるとは思っていなかった。
 野郎ぉ――。
 ナメてかからない方がいいのは、確からしい。
「上等だぁッ!!」
 俺は、カッとなってしまって、ペース配分とか目立ってしまうとかそんな事一切考えず、全力で地面を蹴った。地面に穴を開ける様に。
 精神テンション的には、インヴィジブルを相手にしている気持ちだった。
 俺は遅れを取り戻し、碧亜の隣に並び、「お先っ!」と言い残し、置き去りにして第一コーナーを曲がった。
「やるじゃん……! 負けないぞぉ!」
 後ろから猛然と追いかけてくる。だが、おいそれとこのトップを渡すつもりはない。俺は体を左右に揺さぶり、まるでレーシングカーがするように、進路妨害をする。
「それ反則じゃないの!?」
「だーれがルールなんて決めた!」
(ちょ、げ、月翔やりすぎ! やりすぎだって!)
 陽菜の声がする。でも、悪いが俺は止められない。火が点いた以上、燃え尽きるまでやるのが俺のスタイルだ。
「……あ、っそ。そっちが、その気なら!」
 突然、右肩が重くなった。
 近すぎて何が乗っているのかわからなかったが、目の前に碧亜が降ってきて、やっとわかった。
 やつは、ジャンプして俺の肩に乗り、俺を飛び越しやがったんだ。
「や、ろうぅ――」
 頭に血が登るのが実感できた。
 そっちが、その気なら!
 俺は、近くの木へ向かって跳び、幹を蹴って、三角飛びで碧亜の前に出た。
 こんな事をしては当然目立つけれど、正直それを考えられるほど、俺の頭に冷静さは残っていなかった。
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