それからカレンが学業に専念するなどと言いバンドを脱退すると、ジャックも仕事に集中する、と言って辞め、いったん活動を終了させることとなった。ジャックは隊長としてかなり集中的に仕事に出ていた。それが決定したあとマリアは、アーシャと二人でファミレスへ行き数時間話した。初夏だった。
「私がギターやるからさ」マリアは言った。「あとベース見つけるか、そうじゃなくても二人だけで練習したりとかどうかな」
「いいよ」アーシャは答えた。この時期も彼女は何をしているのか、どこに住んでいるのか不明だった。このくらいになってくると(以前に比べて)グラニスク訛りは抜け始めていた。「したっけ適度に演奏できる新メンバー入れれば、やれっと思うよね」
「カレンみたいな激発的な人物を避ければまともにいけるはずなんだ」
「んだけど、いきなり上手い人もだめだよね、あたしらがおしょすいから」
「気楽に探そう」
この時期はいろいろ音楽関係者にとって不遇の時期だった。ライブハウス・パセティックが老朽化で閉店、マリアの家から一番近い、楽器屋の入っているビルが低迷により閉鎖、近所にいたリペアマンがペットの毒蛇に噛まれて死去、バンドが休止した後もいろいろイベントに誘ってくれていたシグノが、借金だか喧嘩だかでヤバい人に目をつけられ北部へ逃亡。帝都ではニュー・ウェーブと呼ばれる音楽が流行りだし、もう古いって言われてパンクバンドがいくつも解散した。 マリアがクロスロード・レインボウ結成当初に出会った人々や、サークルの仲間とはだいぶ疎遠になっていたし、大学を卒業した人、就職で帝都へ行った人、音楽をやめた人、旅に出た人、消息不明になった人など、行き場が分からない人物もかなり多かった。まだ残存していたエリザベスやアレックス・キャンドルウィック、ジャスティン・ベルなどにベースはいないか、と聞くと、誰が教えてくれたのか分からないが、前になんとかローズだかなんとかローゼズというバンドでベースを演奏していたという人の連絡先を入手することができた。
待ち合わせ場所は潰れた楽器屋の裏にある、これもまた潰れそうな喫茶店で、マリアが迷ったせいで少し遅れていくと、アーシャとその人物が話していた。黒いドレスを着た女性で、左側の髪と左目は漆黒だったが、右目は青く、右側の髪は明るい金髪だった。あれは呪いのせいではないかとマリアは思った。前にコルヴォから、そういう呪詛について聞いたことがある。伝染性のものではなく、本人にさしたる害もない、目印としてのものらしい。それは子々孫々に移っていき、なにかを伝え続ける。大抵の場合は、誰かがひどく憎んでいるという証である。
ガブリエル、というのが彼女の名前だった。アーシャと彼女に挨拶すると、「今ガブリエルさんとデリスの音楽について話してたんだ。デリスはなあポップス、良いの多くて。なあガブリエル」
「そうね、歌がうまい人も多いし。ただ街が汚い」
「ベースはどれだけ弾いたことあるんですか?」マリアは聞いた。
「ええと、こちらのアーシャさんにも話したのだけれど、あまり弾いたことないのよね」
「あまり? 何か曲をコピーした経験はおありですか」
「ないわね」
「楽器はお持ちですか?」
「いえ」
「まあ私もギター持っていないので。そのうち入手するとしましょうか」
「そうですね」
この人はどうもぼんやりした感じがするな、とマリアは思った。カレンも最初はおとなしい感じだったけど、徐々に激発的なところが明らかになっていったし、この人もライブハウスに火炎瓶を持ち込んだり、夜中に奇声を上げたり、せっかく買った楽器を破壊したりする口かもしれないな、とまずは慎重に彼女を見極めていこうと考えた。