ある日ジャックが家に来たのでマリアは目標とするバンドについて話した。それは二年位前に存在した〈ロウサウンド・パペッツ〉という四人組だがその実態は分からない。、一回か二回くらいライブをして、あとは一切消息を残していない。我々もそういうふうにしていければいいと思うんだ。とマリアは語った。一度だけどこかで――たぶん誰か知り合いの家で、パペッツの音源を聞いたことがある。だいぶ下手だったがメロディが耳に残った。それすらももはや記憶は曖昧だ。しかしたまに出会った人が好きなバンドとして名前を挙げることがある。そういうのがいいと思う。
ジャックは相変わらずギターを練習していなかった。カレンはベースをやるということになったが、こちらも弾いている様子はなかった。ドラマーはまだ見つからなかったし、探していなかった。
しばらくして週末、マリアが籍だけ置き、たまに部室に顔を出す軽音部の後輩からライブの誘いがあった。予定もなかったので見に行くことにして、カレンとジャック、隣家のノアも暇そうだったので連れて行った。帰宅時間の少し前だったので電車はすいているかと思ったが、仕事とか学校とか関係ない有象無象の、不良少年・少女、無職業の人、ギャングの人、コメディアンの人、自由業の人、夜間の怪物討伐に出かける人、酔客などでかなり混んでいた。カレンの機嫌がやや悪くなってきたが、なにかし始めたら他人のふりをすればすべて解決だとマリアが思っていると、嫌そうな顔つきになるだけで意外になにもしなかった。
到着したライブハウス〈ノレッジスタジオ〉はラモン店長のスタジオと同系列だそうで、同じくらい汚く、店内にかかるBGMにもやたらとノイズが混じっていた。隅のほうにはネズミの死体が転がっていた。一同は壁際で最近読んだ漫画とか見たテレビの話をしたが、どれもつまらないという結論に達し、テンションは低かった。
マリアを呼んだ後輩のバンドについては、一番最初に演奏するってこと以外名前もメンバーの顔も分からなかった。
開演時間が来て、スーツ姿の三人組がステージに上がった。そいつらは帝都のバンド〈ブリーズエイジ・プロウラーズ〉の極めて下手糞なカバーをやって、 合間に延々、ギタリストが一人で喋っていた。「ぼくは学食でこの前プリンを食べたかったんですがプリンがないので、しかたがないから食べたことにしようとしたんですが、さすがに胃の中にない場合食べたことにしようとするのはいささか無謀と言えなくもないので、近くにいた知らない人に、無謀かどうかを尋ねたんですよ。するとその人が『それは無謀だ』というので、確かにそうかもしれないな、と思って、途方にくれることにしたんですよ、ああ、ぼくはそれをそのとき決定したんだ」というような内容だった。マリアは「なんて愚にも付かないやつらなんだ」と思った。
隣にいたサブカルっぽい、分厚い眼鏡の女の子によると、彼らは〈サドン・テンペスト・オーバードライブ〉 という名前らしかった。どうやら覚えられないだろうし、そうする気もあまりなかった。サンブレイクから〈シニカル・アトム〉というバンドがゲストで来てて、それが今夜のメインっぽかったが、最後までいるほど面白くなさそうなので、〈クロスロード・レインボウ〉はライブハウスを後にした。ノアはいつの間にかいなくなっていた。