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姉の話③前編

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春休み、姉は実家に帰ってきてなくて、妹はお世話になった高校の先生に、学校まであいさつに出かけていた。
僕はひさしぶりに実家の仕事を手伝っていた。

姉が大学の講師になりたいらしい。と知ったのはそのときだった。


「ほなってほんまに研究職につきたいんやったらよ?もっと勉強しょるはずでぇか…」


話してるうちに悔しくなってきて、最後はちょっとふてくされた物言いになってしまった。そのまま母の反応を待たずに続ける。


「バイトもせんで、家におるときはいっつも廃人みたいにケータイとゲームばっかり。勉強しょるとこや見たことないし。」
「でも、大学生になったらしよったかもしれんよ?」


姉を擁護するようなことを言う母に戸惑う。
なんであんな穀潰しをあえて守るようなことを言うのか。
手伝いの作業の手が止まる。


「前に姉ちゃんとこ行ったとき勉強机ほこりまみれやったやん。」


それは母も充分承知のはずだ。


「始めっから…」


すっ、とすこし息継ぎをする。
今からちょっとひどいことを言う。

「始めっからさらさらやる気のない奴にどんだけ投資したとしても、そんなんドブに大金(たいきん)捨てよんと一緒でぇ…」


そんなことになるくらいなら自分に投資してほしい。

大学に行くにはお金がかかる。
国立でさえ入学金20万、年間授業料50万である。4年で計算すると220万。
生活費はどうか。家賃の相場はだいたい4万(駅やスーパーが近いとかだと6万以上)。食費を2万以内に抑えても、電気・ガス・水道・インターネット料金、その他もろもろ合わせると生活費は月8万では心もとない。家賃が高ければ10万は超える。下宿をできるだけ安いとこで決めて、切り詰めて月8万で暮らしても、4年間行ったら単純計算で604万!

子どもを大学に通わせるのに学費と生活費で最低限820万円…。あくまで最低限の話だ。医学部や薬学部は他の学部よりもっと高いし、何より大学が国公立か私立かで学費にめちゃくちゃ差がつく。国立は国からの補助金が出ているが、私立はそれがないためおよそ2倍多くかかる。

僕たちを例にとってみるとおおよそ下図のようになる。
30, 29

  


その頃は受験結果が出たばかりで僕も妹もまだ入学していなかったから、生活費とかはまだ決定していなかった。とりあず学費だけでも計算して母に示す。


「姉ちゃんなんか、せっかく公立のC県立大学受かっとったのに『こっちの方が就職率ええけん』や言うてわざわざ私立のA大に行ったのにから、そんで就職せんかったら私立のA大行った意味ないやん」


幾分「私立の」を強調して言う。
母が電卓を僕に返す。


「ほんなん言うても、もう入ってもたのにしゃあないやん」


そうじゃなくて。
「もう入ってもた」からこそ、当初の目的通り就職することを母から姉に説得してほしかった。


「私立は国公立の2倍以上金かかんのにあの人は一体何を考えて生きてっきょん?」


さあなあ、と母は肩をすくめる。
わかってる。これは姉に直接聞くべきだってことは。
でもいったん口からでた愚痴は歯止めがきかない。


「奨学金やって月6万ちょい借りて4年間で300万…卒業したら返していかんならんのにあんあんでほんまに『自分で』返す気あると思える?絶対何も考えてないでぇ、ほれか親に払わせたらええわとでも思っとんちゃん」
「まあ、奨学金のことはおかあちゃんも心配しょるけど。自分で返すんじぇ、とは約束したはず。」
「いつ」
「あの子が入学したとき」


ぐっ、と咽喉がつまる。
無理だって。あの人は3、4年前の約束なんか踏み倒すって。そういう人なんだってば。
そしてそれは母もわかってるはずじゃないか。


「あの人は…無計画すぎるよ。」


気管から、息をゆっくり吐き出しながら言う。そうしないと怒りが溢れそうだった。
中学生や高校生だったとき、ゲームや服を新しく買ってもらった友人たちが、よく「親に奢らせた」「ラッキー」と言って自分のお小遣いから金が減らないのを喜んでいた。でも、(言い方もひどいと思うし、)その考えはちょっと違うんじゃないだろうか。

家族の財布はひとつだ。
どこかで支出すればその分どこかにシワ寄せがくる。
家族の誰かが奢られればすれば家族の誰かが奢らされる。

姉は自由だ。金に一切頓着しない。
ほんとうに金遣いが荒い。そして僕と妹にシワ寄せがくる。
自分で選んできた服は8割がタンスに眠っている(妹が「お姉ちゃんのお古」を着せられるハメになるけど妹と服の趣味が合わない)。靴は他にまだ10足ほどあるのに、いつも使ってるものに穴空いたら別の新しいのを買ってくる(買いだめたやつは結局履かない。しかも姉はかかとを擦って歩くから消費が速くて3か月したら新しいのになってる)。「絶対勉強するから」という約束でセットで買ってもらった問題集は最初の数ページだけ使って放置(母はもったいないからって僕に回してくるけどセットだから大量だし、はっきり言って姉が使うやつは難易度が合わない)。

いちいち例を挙げていったらキリがない。
バカだ、バカだ、姉は本当にバカだ。


「もう、さあ、ほんまアホじぇ。アホ、アホ、アホアホ…アホとしか言いようがないでぇ!--痛ッて!!」


「こらッ」って、割りと本気で怒った声とともに頭をはたかれる。痛い。


「もう、何で叩くん」


控えめに言って、めっちゃ痛い。
はあっ、と母に大きくため息をつかれる。

「自分の姉ちゃんやのにから、あんまれ『アホアホ』言われんの!!きょうだいは仲良うせなあかんの!!」


あいつが尊敬に値する人間なら考えてもいい、と言おうものならすかさず左手が飛んでくるだろうから仕方なく沈黙する。
僕が黙っているのを了解と受け取ったのかそうでないのか、母は続ける。


「お姉ちゃんやってあの子なりに頑張いよんやけん」


頑張ってたんならそもそもA大より上の大学行けよ。頑張ってたんなら妥協先のA大でせめて成績オール「優」取って来いよ…
僕の非難がましい目に母は答える。


「端から見たら、ほら姉ちゃんはヌルいかも知れんけど、」


僕は大きく頷く。
ヌルいよ、ヌルい、ヌルすぎる。
僕なんか受験生時代に血尿出たぞ。


「あんたの『努力』と姉ちゃんの『努力』は度合がちゃうんよ。」


釘を刺される。僕がさっき心の中で自分と姉ちゃんを比べてたのがバレてた。
こういうとき母親ってのは鋭いよな。エスパーかよ。

はたいた手を水で軽く洗って、母は仕事を再開する。
どんどん魚の鱗をとっていく。
僕も不満たらたらでふたたび手を動かす。

母は、きょうだいに平等だと思う。3人のうち、特別誰かを優遇したりはしない。
(僕が)小学校2年生のとき、姉は徒競走で1番をとった。僕はこけて5人組のビリから2番目だった。運動会がおわって家に帰って報告した。僕はがっかりさせるかな、と思ってたけど母は2人を同じようにほめた。
きょうだいの誰かが風邪ひいたとき、僕は母が病人のためにゼリーを買いに行くのについて行った。僕はゼリーが欲しいという下心でついて行ったが、母はついて来てないもうひとりの分も---、全部で3つカゴに入れた。
中学校にあがって、僕が数学で90点とると母はほめたし、次のテストで70に下がっても同じようにほめてくれた。姉が赤点取った時はさすがに「もっと勉強するように」と叱っていたが、赤点さえとらなければ姉も僕も妹も同じように扱われた。

特別誰かをかわいがったりしない。
平等だと思う。
それはいい事だとも思う。

今回の姉の件もその延長線上の判断だろう。

でも、じゃあ、努力のハードルを落として、落として、落として…--結局努力なんてしなくていいってことにはならないんだろうか。
僕がどれだけ頑張ろうと(僕から見ればさぼりにさぼりまくってる)姉と同等の評価なんて、これって不平等じゃね?

最後の一文を母に言う。
煮え切らない声音で「うーん、まあ…」と母がうなる。


「まあ、表立っては言わんだろけど、ほらお姉ちゃんも心の底では働きたくないって思いようかもな」


口には出さないけど「おっ」と思った。


「表面上はああやって教授になりたい言うても、あんたが言うように、ほんまは就職したぁないだけかもしれん。」
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ここにきてようやくの譲歩である。いいぞ、この調子だ、そうそう、そうだよ。姉という害悪を抱えているのだからお互いに歩み寄らねば。


「二十何年もあの子のこと見てきたんやもん、ほれはおかあちゃんも思う。」
「じゃあ院行きは、なし…?」
「でもな、本人が『行きたい』って言よんやけん親は行かしたるもんやろ。」


あがりかけた肩をがっくりと落とすのを隠す気はない。ついでに『なぁ~んでよぉ~』と気の抜けた声で抗議するのも欠かさない。


「院に行くか行かんかは、親と姉ちゃんが決めること。あんたは口挟まんでいいけん。しかも、あんたやって院行かしてって言よったでえ?」
「ほりゃ…院行かんと試験受けれんし…」
「ほれに、お姉ちゃんは行かさんかったのにあんただけ行かすんはズルいやろ?逆だったら絶対怒るやんか」


たしかに僕も院に行きたい。
でも僕にはなりたい職業があるのだ。姉とは違う。ここのとこ、ちゃんとわかっていてほしい。


「ほうやけど、でもほれはあいつが勉強してないけん問題なんでぇか~!!」
「淳!!」


僕の言葉尻りと かぶせるようにして名前を叫ばれた。
母じゃない。今まで黙々と魚を調理していた父だった。

「アツシ!!」
「うえっ…父ちゃん…」


怒号とともに自分の名前が呼ばれる。ちょっとビクついてしまった肩が、我ながらカッコ悪い。


「とうちゃんも、かあちゃんも働っきょんじゃけん、姉ちゃんの学費やってお前の学費やって出せるんじょ」

とは言っても父上…

「子どもが学費の心配やせんでええわ!!」


うん、ごめん、とぼそぼそ謝るしかなかった。


父は子どもの進路について全く口をはさまない人だった。

口をはさまないからといって、特に寡黙というわけではなかった。
ガチギレするとけっこう怖い雷親父だった(僕があんまり生意気言ってると陶器の茶碗が飛んできたり、ちゃぶ台返しを食らったり、小さいときには農機具がしまってある倉庫に閉じ込められたりと、割りと苦い思い出もある。)
が、僕が高校の時は夜遅く、父が仕事から、僕が塾から帰ってくるとビデオに録画しておいたワンピースを一緒に見る仲だったし、幼少期に会えなかった分を埋めるかのように僕のことを てがって(からかって)くるおもしろい人でもあった。ワンピースを見てた当時、僕はまだ高校生で、最初は父に対して人見知りしていた僕も日を追うごとに打ち解けていった。

そんな父が毎晩毎晩テレビを見終わった後も重い腰を上げることができないために風呂にも入れず、そのままリビングにて憔悴しきった顔で泥のように眠っていく。
ビールっ腹で(日々のささやかな楽しみがビールとか焼酎)、仕事には厳しくて(魚って実は身体のいたるところにトゲがあるから痛いし、腐るといけないから常に氷漬けなのでめっちゃつめたい上に、父は子どもだろうがなんだろうが仕事では容赦がなかった)、遊びには連れて行ってくれない父のことを、小さい頃は好きじゃなかった。

でも自分が大きくなるにつれ、父との時間が増えるにつれ、家族を支える大黒柱としての父を目の当たりにするにつれ、僕の父への尊敬の念は増す。

一年中霜焼けしてる父の手はほんとうに、--ナウシカに出てくる城ジジばりに働き者の手だ。


とは言っても父上…ご自分の年収を知っていらっしゃるか。
父は自分の仕事にプライドをもっている。
まさか言えるはずもない。


理想を言えば子どもが学費の心配をする必要はないのかもしれない……いやしかし、現実は厳しい。飯を食って生きていくことはマジで難しい。
親の年収など今まで気にしたこともなかったが、僕がそれを初めて知ったのは大学受験時の奨学金申請のときだった。
受験を控えた高校3年生たちの多くは、先生の案内のもと、パソコンの画面に向かって奨学金の貸与申請を経験したことだろう。申請にあたって親の年収や家の財産、家族構成などを入力していくのだが、それには所得証明書や源泉徴収表なんかを役場から発行してもらってくる必要がある。

だから、その、正直ビビったっていうか。

何に。
父と母があんなになって働いても、両親の1年間の所得をあわせた額が日産のシンプルマチコさん(メーカー希望小売価格)2台分あるかないか-…という現実に。

どうりで家族旅行なんか行けないはずである。

源泉徴収を見ながら、「うちってワーキングプアってやつだったのか」とかみしめた子ども心をみなさんわかっていただけるだろうか。

ともかく、「カネ」はまさに汗と涙と血の結晶。
父を尊敬していた。
だからこそ その頑張りに報いたかった。
と、同時にカネを湯水のように無計画に使う姉が憎かった。
悔しかった。周りを顧みないその態度が。
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