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されど愛しきその腕よ:3

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「だからエルフの将など相応しくないと私はホロヴィズ様に進言したんだがね」
 「が、その言葉は黙殺されたわけだな。俺は未だに皇国の将だ」
 「ふん、無能エルフが。貴様のせいで将軍様がどれだけ失望したと思っている。未だ新大陸のこれだけの土地しか掌握できてないのか?これからは将軍様とその令嬢であるメルタ様がこの駐屯所にお住みになるのだぞ?将軍様のお心の痛みたるやなんとしたことか」
 「相変わらずのご執心ぶりだな、ゲル・クリップ大佐。私としてはこの駐屯所からこの3年間甲家乙家の方々を遠ざけ続けたことについて将軍からお褒めの言葉をいただいたことをお前さんに思い出していただきたいのだが」
 「その程度私でもできることよ。いっそ、ガイシも交易所も我ら丙家の支配下に置いてくれるわ。知っているぞ、ヤーヒム・モツェピ。我ら丙家が主導で建設した入植地に関わらず、現在ガイシでは甲家の輩が実質的な指導権を握っていると。挙句、亜人共ものうのうと暮らしているらしいではないか。さらに大交易所では乙家が中心となって物事が進んでいると。これはどう考えても怠慢ではないのか?最低限この大陸の西側が甲皇国、いや、丙家に染まっているべきだ。ミシュガルドが発見されて、貴様ら先遣隊が上陸して、3年が経ったのだぞ?」
 「これだから脳筋の軍人は。押すことしか知らないと見える。最低限の譲歩もできぬようではこの駐屯所も乙家の坊ちゃんに掠め取られてしまうぞ。それともお前さんは顔が半分髑髏のように、頭の中も半分空洞なのか?1から思い出させてやるが、このミシュガルドは建前上アルフヘイムとSHWの2国と共に探索・調査を行うことになっている。そして我らに与えられた土地はこの区画。アルフヘイムには真反対側の区画、そしてSHWは後に大交易所と呼ばれるに至ったあの土地を所有し、過度な領土拡大をしないように互いに監視しながら探索を行っていたのだ。勝手なことができると思っているのか?それに名目上ホロヴィズ将軍は皇国の最高司令官としてこのミシュガルド探索を任されているが、ここには乙家と甲家の者もいるのだ。それをわきまえろ。その後SHWだけがその国家の特性上自分たちの土地を他国にも開放し発展をとげた。乙家は直接交易所に出向いたが、SHWが商売を隠れ蓑に不穏な動きをしないか監視すると同時に表面上ではあるが3国の、とくにアルフヘイムとの友好を各国に知らしめるという目的あってのことだ。これには乙家が適任であるし、これで乙家の方々を交易所に縛り付けることに成功した。さらに入植地ガイシを建設する際に発見した遺跡の調査、管理権を甲家に移譲することで彼らの目もまた、ここからそらすことができた。もとより甲家の方々は派遣されてきた人数が少ないからな。軍関係の事務も全てこちらに任せていただいた。それ故、我ら丙家はこの駐屯所の全権を掴むことができたし、亜人の生体実験も他国や乙家にその情報が漏れずにいるのだ。それでもお前さんが更なる領土の掌握を望むならそれでもいい。全方位からの圧力で侵攻は中止され、乙家や甲家、もしくはアルフヘイム、SHWの監視部隊がここに常駐することになるぞ」
 「ふん、耳だけに飽き足らず話も長いのか、エルフというやつは。言うだけ言っていろ。いずれにせよ貴様は現状維持しかできなかったのだ。ホロヴィズ様にかかればこんな土地など…。やはりスズカをここにやったのは失敗だったな。貴様の腑抜けっぷりが伝染っていなければいいが」
 「スズカ参謀幕僚は最高の仕事をしてくれたさ。貴公のように感情的になることもなく淡々と仕事をこなしてくれた。私こそ彼女にお前さんの低能ぶりが染み付いていなくて安心していた」
 冷え冷えとした会話を繰り広げる2人を前にして、スズカは黙って嵐が収まるのを待った。
 単なる罵りあいなら勝手にしてくれればいいのだが、できれば自分を巻き込まないでほしい。どちらの味方をしてもメリットがないではないか。
 スズカの直接の上司はゲルだ。だから立場上はゲルの味方をするべきなのだが、とある理由で先遣隊としてヤーヒムと共にミシュガルドに上陸して3年。さすがにその月日を想うと彼も無下にはできない。したいけど。
 しばらく2人の口論は続いたが、ようやく睨み合いの状態に落ち着いた。
 そこでスズカは先ほどからの疑問を口にする。
 「…で、何故お2人は私の部屋で罵倒しあっているんですか?」
 自分でも驚くほどに冷めた口調である。
 まぁ、それも仕方ないか、とスズカは内心肩をすくめる。
 ゲル・クリップとヤーヒム・モツェピが犬猿の仲だということは有名な話で、スズカ自身このような光景はもう幾度となく見ている。
 スズカの目から見ても少し異常に映るほど、ゲルはホロヴィズに傾倒している。そんなホロヴィズがあろうことかエルフを将として迎え入れたことを彼は不服に思っているのだろう。
 だが、直接ホロヴィズに意を唱えることができないから、その矛先がヤーヒムに向かっているのである。
 半眼になったスズカに対し、ヤーヒムは取り繕うように言った。
 「私はスズカ参謀幕僚に用があって来たのだ。本日より調査隊の本隊が合流する。部隊の編成や宿舎の振り分けを全て考える必要があるからな。この男はその道すがら私につっかかってきたのだ。将軍をお迎えした時に労いの言葉をいただいたことが余程気に入らないらしい」
 「あぁ、そういうことですか。いいですよ」
 確かにそういうことはスズカの仕事の範疇だ。
 後半の経緯は聞かなかったことにして彼女は頷いた。
 ホロヴィズが上陸したことによってヤーヒムの任は司令から副指令になった。だが、さすがに将軍自らの手を煩わせるようなことでもないという雑務も彼がこなしていたため、ヤーヒムの仕事はあまり変わらないと思われる。
 恐らく最終的な決定権がホロヴィズに移ったくらいだろう。実はそれが一番恐ろしいことなのだが。
 「おい、スズカ。私の部屋はホロヴィズ様の隣にしてくれ」
 「いっそ同衾でもしたらどうだ」
 「不敬だぞ貴様!」
 再びいがみ合う2人を無視してスズカが事務仕事に戻ろうとした時だ。
 ドアがノックされ、外からシュエンの声がした。
 「あのースズカさん?」
 「入っていいわよ」
 一拍置いてシュエンが姿を見せた。
 「あぁ、あなたがたもここにいましたか。手間が省けた」
 ゲルとヤーヒムのことだろう。スズカは尋ね返す。
 「私たち全員に用があったの?」
 将軍を迎えた時に顔を合わせはしたが、こうして言葉を交わすのは3年ぶりだ。
 相変わらずの無機質な声で将軍の秘書は伝える。
 「えぇ、先ほど伝書鳩が戻ってきて、明日総司令到着の挨拶に甲家と乙家の方々がいらっしゃるそうなので、その準備をしていただきたいのです」
 「なるほど」
 それを聞いたヤーヒムとゲルも身を翻し、各々の仕事につこうとした。
 「あぁ、ちょっと。まだあるんですが」
 出ばなをくじかれたゲルはシュエンを急かす。
 「なんだ、早く言え」
 「あ、あなたは多分関係ないのでそのままどうぞ」
 不遜な物言いにゲルが青筋を立てた。
 ただでさえ虫の居所が悪いのだ。スズカは慌ててシュエンに聞いた。
 「私とヤーヒム副指令に、ということか?」
 「えぇ。アルペジオさんに早く会いたいとメルタお嬢様が。彼女は今どこにいるんですか?任務で外に出ているなら出ているでそう伝えますが」
 スズカとヤーヒムは無表情で顔を見合わせた。
 失念、というよりあまり考えないようにしていた事実である。
 だがこんなところで誤魔化したところで仕方ないだろう。
 スズカはヤーヒムに、ここは上官が説明するべきだと目で訴えた。
 ヤーヒムも苦々しくそこは部下が苦労してくれよ、と返すがやがて根負けし、観念したように口を開いた。
 「あー…アルペジオは…」
 勝ち誇ったようなゲルの顔が想像に難くなくて、ヤーヒムは苦虫を噛み潰しながら現状を伝えた。
 話が進むにつれて、シュエンの顔色が悪くなっていく。
 はたしてゲルはヤーヒムを罵倒した。
 「貴様ぁ!メルタお嬢様にとってアルペジオがどれだけ大切なご友人であったと思っている!!」
 「それまずいですよヤーヒムさん…。ホロヴィズ様ただでさえカンカンなのに、そんなこと聞いたらどうなることか…。僕は嫌ですからね。あなたがホロヴィズ様に直接言ってくださいよ?」
 世の中には建前というものがある。
 たとえそれがホロヴィズの思い描く通りではなくとも、一応ヤーヒムは甲家と乙家の干渉を最低限に抑え、3年間駐屯所を率いてきたのだ。それを無下にするわけにはいかないし、風当りの強い立場である彼を慮ってホロヴィズは労いの言葉を与えたのである。
 しかし、こればかりは。
 ホロヴィズの激昂を思い4人は震え上がった。
 ともすればこちらにも不都合が起きかねない。さすがに宿敵を高みから笑っているばかりではいられないと、ヤーヒムは提案した。
 「見せしめにそのついていた傭兵を処刑したらどうだ?」
 「そんなことをしても何の解決にもならないだろう?大体、ラナタはアルペジオが催眠にかかっていたと知らないのだし、彼女自身も襲撃された身だ。落ち度はないのだぞ」
 「落ち度とかそういう類の問題ではないだろうこれは!とにかく誰かが腹を切らなければ!」
 「誰でもいいならお前さんが切ればいい。大好きな将軍様のためだろう?」
 「ヤーヒムさん、馬鹿なことを言っている場合ではないですよ。…大体、どうしてアルペジオを何も事情を知らないそんな傭兵と一緒に組ませたんです。責任をとるとしたらそんなことをしたあなたかスズカさんのどちらかですよ」
 「催眠術師の存在こそ明るみに出すわけにはいかないだろう!?そんなことをしたら丙家そのものの信頼に関わってくる。だからこそレイバンには兵との接触を極力避けさせたし、彼の存在を知りなおかつ直接彼と話すことのできる者としてスズカが先遣隊に加えられたのだから。それに、アルペジオと共に行動できる女となると、ラナタが一番適任だったのだ。あれの実力は耳にしたことがあるはずだが?」
 む、とシュエンは黙り込んだ。確かに蛇の剣使いの話は何度も聞いたことがある。
 ゲルはなおも責任の所在を明らかにしようとする。
 「ではそもそもレイバンやアルペジオをこの大陸に向かわせたのは誰なのだ?リスクの伴う者共をこちらに向かわせるなど、愚の骨頂ではないか!」
 空気が凍った。
 嘘だろと言わんばかりにヤーヒムは瞠目している。シュエンは気まずそうに目をそらす。
 仕方なく仰々しいため息をついてスズカが答えた。
 「…ホロヴィズ将軍です」
 「えっ」
 間抜けな声を出したきり、ゲルは固まってしまった。
 こともあろうに、自分が何よりも慕う将軍に対して「愚の骨頂」はないだろう。
 「あの時、ちょうど乙家がアルペジオの件で調査を開始していて、丙家が真っ先に疑われてましたから。ちょうど時期が重なったので、ミシュガルド先遣隊の中に2人を紛れ込ませて外に逃がしたんです」
 「そんな話私は聞いていないぞ!」
 「いや、言っても意味ない話はあの人あなたにしないですよ」
 「ま、政治的な思惑なんぞこの男に言っても意味をなさないだろうしな」
 シュエンとヤーヒムにやりこめられ、怒りのやり場なくゲルは壁を殴った。
59, 58

  


――――


 問題児を率いた遠足というのはここまで胃が痛くなるものなのか、今度ロンドに聞いてみようと思いつつロビンは東門をくぐった。
 後ろに続くのはシンチー、ゼトセ、ヒザーニャ、そしてピクシーも一緒だ。
 あの後ゲオルクに押し切られる形でパーティ結成となってしまったが、どう考えても失敗である。
 心なしか激しい殺気を放つシンチーに対してヒザーニャが隙あらば口説こうとする。ゼトセはゼトセで不信の目つきを自分に浴びせ続け、あたりを落ち着きなく見まわして、ともすればロビン一行とは別の方向へと進んでいく。それも気に入らないシンチーの苛立ちはさらにつのり、先ほどから2人の言い合いが何度も勃発している。ケーゴから借り受けたピクシーは我関せずという風に飛び回っている。
 なんという不協和音。
 俺が何をしたんだ、というようにロビンはため息をついた。
 こんな不和が渦巻く中であのヌルヌットに襲われたらもしかしなくともまずい。
 できれば早いうちに探索を終えて切り上げたいところである。

 ロビンたちはまずケーゴ達が突然飛ばされてしまった場所に向かうことにした。
 霧が自然発生するものにしろ人為的なものであるにしろ、その霧を待つよりも直接そこに出向いた方がいいと判断したのだ。
 「ただなぁ…地図を見る限りこんなところにいきなり渓谷があるってのも考えにくいんだよなぁ」
 何となく呟いたロビンの独り言にヒザーニャが反応した。
 「彼らの話だと塔があるってことだろう?だがそんな塔があるなら遠目に見えそうなものだが」
 「そうなんだよ…」
 ロビンはヒザーニャに対して特に嫌悪感を抱いてはいないため軽く頷いて返す。
 どちらかというと疑わしげな表情のゼトセと普段以上の無口仏頂面シンチーの2人に睨まれる中で気軽に話ができるヒザーニャは貴重だったりする。
 ヒザーニャがどれだけ本気でシンチーに「君は美しい」と言っているのかはわからないが、そこまで危惧することではないだろう、多分。
 ゲオルクに痛いところを突かれて黙り込んでしまった間にシンチーは非常に面白いことになっていた。
 仮にシンチーにその気があったとして、自分はどう応えるのだろうか。
 わかっているとも、これは再び「ロビン・クルーというSHW出身者が信用に足り得るか」という議論、もとい生産性のない応酬をシンチーとゼトセが始めたことに対する現実逃避だ。
 それでも、今は取り留めもなく考えているがいつかはそういった事態とも向き合わなくてはならないんだろうか、と考えるとロビンの足取りはさらに重くなるのだった。

 2時間ほど歩いて、ピクシーが記録した場所にたどり着いた。
 だが。
 「…ただの森だね」
 「…ですね」
 「森である」
 「何の変哲もないね」
 「私が首をかしげるところによると、不思議でなりません」
 特別なものはまったく見当たらない、森が延々と広がっているだけだった。
 ロビンは辺りを見回す。
 木々に囲まれて空はよく見えない。今歩いてきた道なき道も、眼前に広がっているのも誰が何と言おうと森だ。360度緑一色。少なくとも渓谷とは呼ばれない。
 ゼトセがロビンを睨む。
 「おい、貴様、まさか迷ったのではあるまいな。やはり俗物国家の人間である。読めるのは帳簿だけであるか」
 反応したのはシンチーだ。
 「…黙りなさい。地図は確かにここを指示している」
 「レディー、あまり怖い声を出すものじゃないよ」
 「あなたはもっと黙ってなさい!」
 シンチーとヒザーニャの言い合いが始まったためゼトセは矛先を変えた。
 「ふん…ならこの人工妖精が故障しているのであるか?」
 胡乱に飛び回るピクシーに視線を投げかけた。
 ピクシーはバイザーを赤く点滅させ抗議の声を上げる。
 「私が憤慨しながらゼトセ様にお答えするところによれば、私の動作状態は良好そのものです。設定した目的地は確実にこの地点であり―」
 「あぁー、もういいである!…どうなってるであるか!?」
 後半の疑問はロビンに向けられたものだ。
 苛立ちを隠さずにそう詰問するゼトセに、しかしロビンも明確な回答を出せるわけではない。
 その場の全員を見回し、思案顔で慎重に口を開く。
 「……だからあくまで推測なんだが…」
 「推測でも遠足でもいいから早く言うのである」
 「……ピクシーの記録に改竄も誤謬もないという前提において話す」
 「私が念押しをするところによれば、それは当然のことです」
 やっぱりシンチー1人だとの方が静かでいいなぁ、と内心泣き言を並べながらロビンは続けた。
 「渓谷は、やはりこの場所にある、ないしあった、ということだろう」
 全員の頭上に疑問符が浮かんだ。
 「一体何を言っているであるか?」
 最初に食いついたのはやはりゼトセだ。
 「小説書き過ぎて頭の中がファンタジーであるか?」
 「…いいから説明を聞きなさい」
 ぴしゃりとシンチーが言い切る。
 にらみ合う二人。
 彼女らを無視してヒザーニャが尋ねた。
 「……つまり、ここに渓谷への入り口が隠されているということかい?」
 「入口じゃないさ。ピクシーは渓谷の緯度経度を記録し、その場所はこの森と合致していた。考えるべきは“谷そのもの”を記録したんじゃなくて、“地点”を記録したということだ」
 ゼトセが何かに気づいたように目を見開いた。
 「貴様、同じ座標に2つの場所が存在しているというのであるか!?」
 「実は俺もそう思ってたんだ」
 「少し黙っていろである」
 ヒザーニャとの小競り合いの後、ゼトセはロビンを睨んだ。
 「ありえないのである。金に目がくらんで常識が見えなくなったか?」
 詰るような声は冷え冷えとして、ロビンも思わず確かに非常識な考えだ、と同意しそうになる。
 だが、とできるだけシンチーの方を見ながらロビンは反論した。
 「俺たちの常識が通用する場所なのかな、ここは」
 大戦後突如として現れ、その全貌は未だに不明。それが彼らが今立っているミシュガルド大陸なのだ。
 端的ではあるが、絶大な説得力がある。
 ゼトセも顔をしかめた。
 「……なら…仮にこの場所が渓谷でもあったとして、ならばこの森を渓谷に変える何か仕掛けがあるということであるか?」
 「…霧」
 「そうか、霧が入り口か!霧の中を通らなければ渓谷ではなくこの森にしか立ち入れない訳だね!レディー、君は強かなだけではなく、なんて聡明なんだ!」
 ゼトセ、シンチー、ヒザーニャが連鎖反応のごとく仮説を組み立てていく。
 ロビンはそうだ、と頷いて足元を見た。
 普通の森にしか見えないこの場所がなんだか空恐ろしい場所に思えてくる。ともすればここが谷底で自分たちを化け物が狙っているかもしれないのだ。
 「濃霧を通ることで初めて渓谷への至ることができる。我々が探すべきはその濃霧ということだ。…これが1つ目の仮説。“ある”といった方だね」
 「そういえば“あった”とも言っていたね」
 ヒザーニャがロビンの言葉を受けて口を開いた。
 「つまり君はもう渓谷はなくなってしまったと?この森に飲まれてしまって」
 「…いや、それも考えられなくはないが…」
 というかこっちの方が突飛だな、と思いつつロビンは2つ目の仮説を口にした。
 「渓谷そのものが移動している」
 さすがにこれには3人が胡乱気に目を細めた。
 「…絵空事ばかりであるな。つまり、昨日の時点ではこの場所が渓谷であったと?」
 「そう。霧は渓谷が移動するときに発生するものでケーゴ君たちはそれに巻き込まれたということか…もしくはやはり霧は入り口で移動する渓谷に常にたどり着けるようになっているか、というところだね」
 1つの地点に2つの場所か、1つの場所が様々な地点に出現するか。
 いずれにせよあり得ない話だ。魔法でもそんなものは聞いたことがない。
 本当にミシュガルドだから、で済ませていいのだろうか。
 「…いずれにせよ霧を」
 「マイレディーの言う通りだね。どちらの仮説にしろ我々は霧を探さなければならない。仮にそれで渓谷に辿り着けたとして、その場所の座標を調べればおのずと答えは出るだろう」
 ねっ、と同意を求めるようにシンチーにウインクをしてみせるが彼女はそれを黙殺した。
 「しかし、霧を探すなどそれこそ無茶苦茶な話である」
 「そうだね。…霧は常に定点にあればいいのだが」
 ロビンの言葉からヒザーニャは次の目的地を割り出す。
 「今度は濃霧が発生した地点ということだね」
 あぁ、とロビンが答えようとした時だ。
 固いものを打ち鳴らす音が辺りに響いた。
 はっとシンチーが臨戦態勢にはいる。
 遅れてゼトセとヒザーニャも辺りを警戒するように各々の得物を構えた。
 くさむらから蜘蛛が躍り出た。
 体調は1メートルほど、体毛に覆われて脚は通常の蜘蛛よりも短い。
 その体躯からは想像できないほど俊敏な動きで顎を鳴らしながらロビンたちの周りを動き回る。
 その動きに合わせるように別の蜘蛛がわらわらと現れる。子蜘蛛だ。
 数が増えると顎を鳴らす音が耳障りで仕方ない。それは威嚇かもしくは獲物をみつけた歓喜か。
 蜘蛛に囲まれたロビン一行は背中合わせになって話し合う。
 「どうするのであるか?」
 「どうするもなにも!」
 ヒザーニャが親蜘蛛むけて槍を繰りだした。
 それが合図になったかのように蜘蛛たちが一斉に飛び掛かって来た。
 ゼトセが長い柄の先に沿った刃のついた武器を振り回す。
 確か薙刀という武器だったか、昔エドマチに行った時に見たことがある。
 取り留めのないことを考えているロビンをシンチーが守る。
 銀槍が、薙刀が、剣が蜘蛛を蹴散らしていく。
 とはいえ多勢に無勢だ。子蜘蛛の動きはさらに俊敏で、攻撃を躱すだけでも難しい。
 ロビンは自らの参戦の意思を見せるかのようにナイフを取り出した。
 「ロビン、あなたは…っ!」
 「大丈夫だ、蜘蛛の一匹や二匹!」
 とはいえ得意の投擲はできない。毒蜘蛛かもしれないから接近戦は避けたいところだ。
 「ロビン様」
 「ん?」
 緊迫した状況の中無機質な声がロビンの耳に入って来た。
 「私が観察したところによればあの蜘蛛たちは跳躍の前に一瞬の硬直時間があります。また、地上では皆様がとらえきれない動きも跳躍中は一直線な動きです」
 「なるほど…っ!」
 ちょうど目の前の蜘蛛が確かに動きを止めてロビンめがけて跳んだ。
 紙一重でそれを躱して蜘蛛の腹めがけてナイフを突き上げた。
 一瞬の抵抗感の後ナイフはずぶりと蜘蛛の腹に入り込み、ロビンの手に生暖かい液体がまとわりついた。
 跳躍の勢いのままにナイフを刺された蜘蛛は跳び続け、体を真っ二つに裂かれた。
 「成程、カウンターが有効ということであるな!!」
 合点がいったようにゼトセは叫び、薙刀を構え直した。
 「だが気をつけろ、何匹も飛び掛かってきたら…」
 「小生に指図するなっ!!」
 どこまでもロビンの言葉を聞こうとしない。
 連携は無理そうだな、とロビンは個人の力を信じることにした。
 ゼトセの薙刀捌きはなかなかのものだ。ヒザーニャは無茶苦茶な動きではあるが力があるおかげで何とかなっている。
 シンチーの実力は分かっているから今更心配しなくていいとは思う。
 だが、どうしても銃で撃たれた時のあの光景が頭に浮かんでしまうのだ。
 親蜘蛛と対峙しているシンチーが視界に入る。
 蜘蛛はがちがちと顎を鳴らし、シンチーの出方をうかがっているようだ。
 正直蜘蛛にはいい思い出がないシンチーは顔をしかめて剣を構えた。
 とはいえどもあの時捕まった蜘蛛よりも小柄で糸もはかないようだ。冷静に対処すれば何とかなるだろう。
 ロビンは頭を振った。
 人の心配ばかりしている場合ではない。こちらも戦わなければまたゼトセになんと言われるかわからない。
 
 そのゼトセは自らのいら立ちをぶつけるかのように蜘蛛を切り伏せていた。
 SHWの人間は嫌いだ。人を簡単に裏切る拝金主義者だ。
 ゲオルクの手前、しかもあんなことを言われたらさすがに断ることはできなかった。が、それが失敗であったのは明らかだ。
 何が悲しくてこんな男と共に森で蜘蛛に襲われなければならないのか。
 この戦いが終わったら絶対こんな輩とはお別れだ、そう苦々しく決意しながら再び薙刀を蜘蛛に叩きつけた。
 視界の隅で蜘蛛が跳躍した。
 すぐさま体をひねり、跳んでくる蜘蛛の胴を斬り裂こうとしたその時だ。
 
 「…っ!?」


 匂いがした。
 懐かしさが鼻をくすぐる。

 知っている。覚えている。
 これは。


 目の前に小さな子供がいたような気がした。髪の色は緑、悪戯っぽい笑みをしているように見えた。
 だがそれは本当に一瞬のことで、認識したと同時に消えてしまっていた。
 残されたのは戦いのさなかで刹那の呆けを許したゼトセだけ。

 気づくと蜘蛛が迫っていた。
 「しまっ…!」
 「…っ!シンチー!」
 辛うじて反射したが、薙刀は飛び掛かって来た子蜘蛛の脚を切り裂くだけにとどってしまい、子蜘蛛はゼトセの背後で戦っていたシンチーの背中に無理やりしがみついた。
 「なん・・・っ!?あぅっ…!!」
 突然の感触に身を振ったシンチーの首を突如激痛が襲った。
 子蜘蛛が噛みついたのだ。
 その間に親蜘蛛が飛び掛かる。
 「っ…!!」
 痛みで行動が鈍る。だが、とシンチーは剣を振り上げようとする。
 と、全身が突然重く、動かなくなった。
 必死に腕を振ろうとするが全く言うことを聞かない。
 これは。
 シンチーがその状況を察したその時、親蜘蛛は既に眼前で牙をむいていた。 
 「レディィイイイ!」
 刹那、ヒザーニャが両者の間に割り込み、槍で親蜘蛛を貫いた。
 その間にゼトセが子蜘蛛をシンチーから引き離し、とどめを刺す。
 「シンチー、大丈夫か!?」
 そうして蜘蛛を駆除し終え、ロビンがシンチーのもとに駆け寄った。
 シンチーは地べたに座り込んだままのろのろと首を横に振った。
 「…申し訳ありません。どうやら毒蜘蛛だったようです」
 ロビンの顔がさっと青くなった。
 シンチーは息を荒げながら震える手を眺める。
 「…全身が痺れて…うまく動きません。目も霞んで…」
 「すまないである!!」
 言葉を遮ってゼトセが頭を下げた。
 シンチーはぎりぎりと首を上げた。
 「小生があの蜘蛛を仕留め損ねたせいで…小生の責任である…!!」
 「……いえ…あの程度で後れをとる私が」
 自己嫌悪の主張が繰り返される前にロビンは話を打ち切った。
 「すんだことだ、今はどちらの責任かを言い合っている場合じゃない。シンチー、少し横になっていろ。さっき解毒効果のある木の実がなっている木があったな。あの蜘蛛にも効くかどうかは分からないが…」
 そう言い残して身を翻す。
 ゼトセがロビンの後を追った。
 「小生も手伝うのである!先ほど道を少し外れた時、小川があったのである」
 その必死そうな表情から、彼女が本当に悔いていることがわかる。
 ロビンは重々しく頷いた。
 「…わかった。ならヒザーニャ、シンチーを見ていてくれ」
 「任されよう。さぁ、レディこちらへ」
 さりげなく姫抱きでシンチーを木陰に移動させたヒザーニャを見ていたロビンは相変わらず飛び回っているピクシーにも声をかけた。
 「ピクシー」
 「この地点を登録し、帰路のナビゲートを致しますか」
 「いや、ヒザーニャを見張っててくれ」
 不信感についてゼトセに文句を言えないロビンであった。


――――


 「小隊長、大岩破壊できません」
 疲弊した兵士の報告を受け、ウルフバードはそうか、とつまらなそうに呟いた。
 「引き続き破壊作業を続けろ」
 そう命令し、件の大岩があるその場所を見上げた。
 壁に沿うように建設された螺旋階段。塔の内部を何週もめぐって天井にたどり着き、そこで行き止まりとなっている。
 しかし、階段にはその先があるかのように、天井には穴が開いているのだ。なぜ行き止まりなのかというと、2階に大岩が置かれているらしく穴をふさいでしまっているからだ。
 結果として、階段は天井までで行き止まりということである。
 しかし、この渓谷の全貌を知るためにウルフバード達は塔の高みに行く必要がある。
 それに。
 「わざわざ先にいかせないようにするってことはこの先に何か大事なものがあるんだろうぜ」
 冒険家ではないが少しばかりわくわくしているウルフバードである。
 「あの、小隊長殿。小隊長殿が魔法で破壊しては?」
 ウルフバードの隣に控えるビャクグンがおずおずとそう進言した。
 先ほどの竜鱗の文様も目の輝きも消え、今は温厚な人間の顔だ。
 「馬鹿言え、今日はもうあれだけの魔法を使ってクタクタなんだよ。これ以上魔法は使いたくねぇ。消耗しきっていざって時に魔法が使えなくなったらどうする」
 「…出過ぎた真似でした。お許しください」
 神妙な顔で頭を下げるビャクグンに向かってウルフバードはカラリと言い放った。
 「そんなにあの岩を破壊したいのなら、お前が壊せばいいんじゃないか?」
 「…私にはそのような力は」
 「いや、あるだろ。あの斬撃はなんだ?……お前、人間じゃないな?」
 最後の問いかけはビャクグンにしか聞こえないような小さな声だった。
 まさか、周りの兵に聞こえないように気を遣っているのか、とビャクグンは驚きながらも、お茶を濁した。
 「…火事場の馬鹿力というやつですよ」
 「そうかい。まぁ、構わねぇさ。俺の役に立つなら人間でも怪物でも」
 苦笑が返ってくる。
 「化け物…ですか」
 「クハハ、恩人に化け物は言い過ぎたな。お前が裏切らないうちは有能な部下ってことにしておいてやるよ」
 そう言いながらビャクグンの背負う甕に目をやる。
 水は再び甕に戻した。化け物の血で体積が増えた分は溢れてしまったが致し方ない。
 ウルフバードは水自体を生成できないため、ビャクグンのような「水持ち」が必要となる。彼が最初にビャクグンを選んだのは、単純に力がありそうだと思ったからなのだが、なかなかどうして面白いものを見つけたようだ。
 いつも部下に飲ませる爆発の魔法をかけた酒をこの男には飲ませない方がいいと何の気なしに思う。
 そうしないとうっかりこいつも爆殺してしまうからな、と結論付けてウルフバードは小隊全員に通達した。
 「いずれにせよ、状況がわからないこの塔から出るのは危険だ。何としてもこの苦境を打破するためにはその大岩をどかす必要がある。すまんが、俺は今日もう動けそうにねぇ。今日はここで一夜を過ごすことになると思え」
 外から差し込む光はいつの間にか赤みがかっていた。
 
61, 60

愛葉 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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