89話 ミシュガルド大同盟
あの戦争は何だったのか。
戦争は本当に終わったのか。
七十年に及ぶ大戦、アルフヘイムへ侵攻されてからは五年。
甲皇軍によって領土は荒らされ、多くの兄弟達が、未来を担う子供らが死んでいった。
こちらを絶滅させようと襲い来る敵に対し、降伏はありえない。
勝てる見込みのない絶望的な戦いだろうが、戦い続けるしかなかった。
そんな日々に、私はすっかり疲れていた…。
……だが、希望はあった。
クラウス・サンティ。
彼と義勇軍の登場により、戦況は変わりつつあった。
…いま一度…。
私の剣と、私の牙をあなたに捧げよう。
そう誓い、彼の親衛隊隊長として戦った。
ナルヴィア大河での極寒の防衛戦を。
アリューザからの地獄の撤退戦を。
ゲーリング要塞での混沌とした最終決戦を。
サイファを始めとする多くの仲間達を、更に失った。
それでも立ち止まる訳にはいかなかった。
そして、禁断魔法が発動した。
アルフヘイム大陸の三分の一が腐敗したが、甲皇軍を辛うじて撃退した。
和平が成り、戦争は終わった…。
「終わっていない。何も終わってはいないのだ!」
見る者に怖気を抱かせるような苛烈な表情で、アメティスタは金切り声をあげた。
「何が三国協調だ。何が新大陸開拓だ。仇敵・甲皇国人どもと手を組むなど、死んでいった者たちへ顔向けできるものか。恥知らずも良いところだ。ぜんたい、何のために彼らは死んでいったというのだ」
エルカイダ首領・黒騎士の鎧兜を身に着け、聖剣ユピテルブリューを携えたアメティスタは、兜さえ被ればかつての黒騎士になり替わることができたのである。多少、以前に比べて声が高くなったという違いだけで、エルカイダの配下らは彼女を疑問もなく受け入れていた。甲皇国への復讐を駆り立てる首領であればそれで良く、黒騎士の鎧の中身が入れ替わっていたとしても問題ではなかった。
「敵は滅ぼさねばならない。敵と手を結ぶ者どもも、また敵だ」
「だからといって、魔物どもと手を結ぶというのか!」
ゲオルクが拳を突き出しながら叫ぶ。
襲い掛かる翼や尻尾を持った黒い球状の一つ目魔物どもを、拳で叩き潰し、足蹴に払いのけるなど格闘しながら。
「敵の敵は味方だ。甲皇軍を討てるのであれば、獣神帝とも同盟を結ぶ」
「獣神帝…!?」
「アルフヘイムはアルフヘイムびとのものであるように、ミシュガルドにも元から住まう者たちがいる。それが獣神帝ニコラウスどのの勢力」
「で、あるか」
ゲオルクは納得した。
若かりし頃、彼はハイランド地下迷宮へ潜入し、その最深部にて地中に埋もれていた天空城アルドバランを発見したことがある。かつての古代ミシュガルド時代の遺物であった。それを浮上させ、いずこかへアルドバランを持ち去って行ったのが、獣神帝ニコラウスという者であったのを覚えていた。確かに彼の者は、ミシュガルドの支配者を称していた。とすれば…開拓民である我らは、彼らにすれば只の侵略者に他ならないのであろう。
「……それで、お前はどうなのだ。ディオゴ・J・コルレオーネよ」
かつての北方戦線で手を結んでいた戦友は、渋面を作りながらもゲオルクに刃を向ける構えを見せている。
「アルフヘイムにおける黒兎人の勢力圏は、禁断魔法によって腐敗した。俺たちはミシュガルドへ望みを託すしかねぇ。だが、ミシュガルドには白兎人たちも大勢入植している…」
「黒兎と白兎の関係が未だ悪いのは知っているが、お前と白兎の王子セキーネは、協力しあえるようになったのではないのか? それに、黒兎と白兎の不仲の元凶となったエンジェルエルフは、お前らが協力して討ち滅ぼしたのであろう?」
「ふん、簡単に言ってくれるな。黒兎と白兎の種族間抗争は、子供の喧嘩のように表面上で握手して終わりって訳にゃいかねぇんだよ。もっともっと根が深いんだ。何せあの戦争が始まる以前から…そう、少なくとも五百年以上は昔から戦ってきた。今もって、白兎人の多くは黒兎人を劣等種・野蛮人と蔑んでいる。ミハイル4世やエンジェルエルフが滅びようが、その差別感情は残っている。……だが、獣獣帝は違う。より勢力の大きな白兎人を排除できるのであればと、俺たち黒兎人へ同盟を持ちかけ、ミシュガルドの一部の領域への入植も認めてきた。不平不満を押し隠しながら味方面する白兎人よりも、利害が一致しているから協力してやると言ってるだけの獣神帝の方がまだしも信用できる。セキーネには悪いと思うがな。俺も、戦争を生き延びた多くの同胞を守らなきゃならん。だから、しょうがねぇんだよ」
「で、あるか」
やはり、ゲオルクは納得するしかなかった。
だが、彼らの言い分に納得したからといって、己が引き下がるわけにはいかないのだ。
「互いに譲れぬ以上は、戦うしかあるまいな」
ぎゅっと拳を握りしめ、ゲオルクは敵方へ向け突撃していった。
「応よ! 傭兵王と名高い貴様と戦えるとは…」
牛頭か馬頭か良く分からないロスマルトと名乗る巨体の魔物が立ちふさがって、戦斧を振りかぶり、猛烈な剣速で戦斧の刃が嵐となって襲い掛かる。
しかし、ゲオルクは水のように流麗に動き回り、その刃を悉く交わしていく。
「太刀筋が若いな」
ゲオルクは不敵に笑う。
岩が破裂するような衝撃音。
鉄の籠手で固められた鉄拳が、ロスマルトの鼻づらに叩きこまれていた。
「ぬおおお!」
ロスマルトの巨体が宙に浮き、会議室のテーブルに叩きつけられた。あの大変高価であるとされたテーブルが完全に砕け散った。
「ああっ…」
デスク・ワークが小さく悲鳴をあげた。
ゲオルクめ、自分が壊したところを目立たなくするためにわざと壊したのではないかと疑いの声をあげそうになったが今はそれどころではないし、恐らく不可抗力だろうから黙るしかない。
ゲオルクは完全に伸びているロスマルトの頭を足蹴にし、尚も全身凶器の肉体を気力でみなぎらせている。齢五十五になろうとする老体とは思えない壮健ぶりであった。
「……あの戦争は終わったのだ! 三国協調路線はその小さな果実だ。まだ成熟しきっておらぬ果実を、不出来だと早々に見切ろうとするな。新たな希望をなぜ信じようとせぬのだ」
「黙れ、おいぼれ!」
アメティスタの聖剣が放つ雷撃が眼前に迫る。
それをまともに受け、ゲオルクは髭を焦がしていたが微動だにしない。
逆にアメティスタの方を、ぎろりとにらみつける。
「終わっていないのだ。何も終わっては…!」
繰り返し呟くアメティスタの目は、赤く血走っていた。
───女の一念というやつか。
岩をも通すかどうかは分からないが、正気のようには思えない。
凝り固まった妄執のような悪しき気を感じる。
事実、アメティスタのまとう黒鎧が、禍々しくも黒い瘴気のようなものを放っているのを、ゲオルクは見たのである。
一夜が明けた。
獣獣帝勢力、エルカイダ、黒兎人勢力の襲撃を受けた市庁舎は半壊。
だが傭兵王ゲオルクの奮闘もあり、彼らは撃退された。
各国の要人らの生命は一応は守られたのであった。
「まさかお主に助けられるとはな……」
苦々しい声で、甲皇国将軍ホロヴィズは言った。
大交易所にあるデスク・ワーク経営の病院にて、ゲオルクは満身創痍で包帯ぐるぐる巻きのミイラ男のような有様となっていた。
そこへ次々とゲオルクに命を救われた各国の重鎮たちが見舞いに訪れていたが、その中にはホロヴィズの姿もあったのである。ご丁寧に見舞いの品として、エドマチ産の甘味・ヨーカンまで持参して。
「ふん、助けようと思ったわけではないが。貸しにしておこう」
「貴様に借りを作るつもりはない。すぐに返してくれるわ」
「ほう。面白い。ならば何とする?」
不毛の地であるハイランドに甘いものは乏しい。
ホロヴィズが手ずから切り取ったヨーカンを、ゲオルクは次々と平らげていく。髭に小豆がついていた。粒あんであった。
「Z-29を出す」
「おう、あの大型戦闘飛行船か」
甲皇軍が誇る空軍戦力は、大戦においても活躍を見せつつ、かなりの数が温存されたままであった。大戦終結から五年が経ち、更に装備の近代化改修はなされている。また、大型戦闘飛行船だけではなく、その護衛戦闘機・艦載機も侮れない。竜戦車のみならず、動力飛行機も数を増やしているのだ。それらを総動員するというのだ。
「ゼット伯爵には既に手配している。甲皇国空軍総力をもって、アルドバラン攻略にあたろう」
「おう。それでもこれが無くては始まるまい」
ゲオルクは懐から宝玉を出した。
それはかつて、天空城アルドバランに乗り込む時に使われた“鍵”となったアスタローペの宝玉である。ゲオルクがかの宝玉を持っているというのは、三十五年前から世界的に有名な話であった。
「獣神帝を討つには、アルドバランへ乗り込まねばならん。そのためには、これが欠かせない。宝玉あらずんば、アルドバランに近づくこともできぬからな」
「うむ。ゲルに渡しておこう」
受け取ろうと手を伸ばすホロヴィズだが、その手は宙を切る。
ゲオルクが宝玉を手元に手繰り寄せ、にやりと笑みを浮かべていた。
「幾らで買う?」
「う、売るというのか!?」
「当たり前だ。只でくれてやると思うたか。これが無くては蚊トンボを幾ら搔き集めようが無駄というわけだな」
甲皇軍が誇る空戦戦力を蚊トンボ扱いである。
「……百万ゴールドで」
「それは甲皇国の通貨であろう。経済破綻寸前国家の。通貨価値が以前の十分の一に暴落しておるよな。百万あっても鼻紙にしかならんぞ。今どきはミシュガルドで使われている通貨の“VIP”で払うものだ」
「ううむ……で、では十万VIP」
「よし、デスク・ワークどのに売るとしよう」
「ま、待て待て」
慌てるホロヴィズに、ゲオルクは更に口角を上げて面白そうに笑う。若かりし頃に煮え湯を飲まされたホロヴィズを翻弄することができて、心底楽しそうであった。
「十万VIPで手を打っても良い。だが、条件がある」
そう、切り出すのだった。
「……それで、僕にお声が掛かった訳ですか」
「うむ。今のお前ならば獣神帝にも後れを取るまい」
ゲオルクによって病院に呼び出されたのは、ゲオルクの息子でありハイランド王子アーベルであった。
ゲオルクは寝台に横たわりながら、ホロヴィズの残していったヨーカンだけでなく、餡掛けのとろみがついたミタラシダンゴもほうばり、髭が甘味でべとべとである。
甘味を摂取しているからではないだろうが、ゲオルクはさぞ上機嫌な好々爺然とした笑みを浮かべている。
「お前がハイランドの次期国王として認められる、この上ない試練となるだろう」
「…つまり、ハイランド王国代表として、アルドバランの財宝を分捕ってこいというわけですね」
「その通りだ」
アスタローペの宝玉を持つのはゲオルクであり、ハイランドである。
例え甲皇軍の大戦力を使おうが、アルドバランに侵入することはできない。
だが、ハイランド王国独自の力でアルドバランの勢力を討つのも難しい。
「甲皇軍と共に行け。その宝玉を携えてな。アルドバランの勢力を滅ぼすには、きゃつらの力も必要であろう」
「また甲皇軍と共に戦うのか…やむをえませんね」
なんの因果か、兄ユリウスのように甲皇軍を率いねばならないとは。
またも父の思惑通りに動かねばならないことを、アーベルは嘆息しつつも受け入れるしかなかった。
アスタローペの宝玉を受け取る。
宝玉は光輝いているというわけではなく、一見鉛玉のように鈍くくすんだ色合いをしていた。この宝玉があればアルドバランへ侵入することはできる。だがそれだけだ。アルドバラン内部にはアスタローペ以外の上位の宝玉もあり、それらの宝玉は鍵としての機能だけでなくアルドバランを動かしたり様々なことができるという。
「第一目標はそれ以外の宝玉を手に入れること。第二目標は獣神帝の討伐。ハイランドのため、働けよ。アーベル」
「あたしも一緒に行くよ」
病室を出てすぐ、アーベルの前にはビビが待ち構えていた。
かつて大戦で勇名を馳せた精霊戦士は、ミシュガルドで怠惰な日々を送るばかりですっかり緩み切ってしまっていたが、久々にトレードマークたる赤いビキニアーマーを身に着け、精霊戦士エイルゥの形見のようなものである全金属製ハルバードを携えていた。これを持つということは、彼女は本気であった。
「隊長が敵になったと聞いてね…」
ビビだけではなかった。
彼女と共に戦乱を駆け抜けた親衛隊の仲間たちが揃っていた。
副隊長だったサイファはいないが、五席を務めていたオウガ族の女戦士オルガや、百名中末席に近い序列だったフィオーラまで駆けつけていた。
「ガキどもだけじゃ頼りねぇからな」
親衛隊だけでなく、かつての義勇軍の戦友たちもいた。
大交易所で焼き肉店を開いて、すっかり一線から身を引いていたサラマンドル族のトーチや、部下のサンダーやグレガーまでいる。
ここは病院のはずだがどうやって持ち込んだのか、いずれも鎧兜を身に着け、大剣、槍、戦斧などの獲物を持っていた。
「……戦力は大いに越したことはない。だが、僕は甲皇軍と共に戦おうとしている。きみたちアルフヘイムびとは、かつての敵と手を結んで戦うことができるのか?」
アーベルが問うと、ずいと壮年の男が前に出る。
「大丈夫だ。これはダート・スタン首相の命令でもある。アルフヘイムとしちゃ、エルカイダは身から出た錆のようなもの。彼らを止めるのは、アルフヘイムびとでなければならない…」
渋い声で呟くは、大交易所の警備隊長であり、かつてのアルフヘイム正規軍所属であったキルク・ムゥシカ。長弓を携え、彼は複雑そうな表情を浮かべていた。
「……そして、あの呪われた黒鎧の始末もつけねばならない」
聞けば、エルカイダ首領たる黒騎士がまとう黒鎧や聖剣は、元はムゥシカ家所有の先祖伝来の家宝だったというのだ。
「それを我が愚息ヴァニッシュドが奪い去り、黒騎士と名乗ってエルカイダ首領となったのだ」
キルク自身はそのことを家門の恥として世間に語ることはなかったが、愚息が死んでそのことも闇に葬られるかと思えば、アメティスタが黒鎧を持ち出して黒騎士を名乗り出てしまって、実に苦々しいことであった。
「あの黒鎧は、我がムゥシカ家の伝来の家宝であるが、この五百年以上というもの、蔵に入れて封印してあった。あれはかつて大変な災いを世に撒き散らしたものであったそうだ。ムゥシカ家の先祖は、かつて黒鎧をまとっていた人物に仕えていた。だが、その仕えていた主が討ち取られ…黒鎧だけを引き取った。蔵に入れ、単に宝物として扱っていたというのに…」
何を勘違いしたのか、あの黒鎧を身に着けて先祖は戦ったのだと思ったヴァニッシュドに持ち去られてしまったのである。
だが、黒鎧は呪われていた。身に着けた者の精神に作用し、五百年前に黒鎧を身に着けていた者の怨念に支配されてしまうのだ。
「じゃあ、隊長はその黒鎧によって…?」
「恐らくそうだな。ゲオルクどのが戦った際も、正気のように見えず、様子がおかしかったということだし…」
「誰よりも平和を信じて戦った隊長が、そんなものに操られてしまうだなんて…」
「正義感や気持ちの強い者であっても、黒鎧はその感情を裏返しにしてしまうのだ。強い思いがかえって仇となった。我が愚息も、最初はアルフヘイムを救いたいという一心で黒鎧を持ち出したのであろう」
「なら、あたしは隊長を救いたい」
ビビは決然として言った。
「あたしたちは同志なんだ。同じ人を愛した者たちとして…」
ビビの脳裏に浮かぶのは、やはりクラウスであった。
ビビはクラウスが生きているということを知らない。
平和な生活を望むクラウスだったが、世間的に“英雄”が生きたままでは政府の者たちなどに担ぎ出され、平和な生活はとても望めない。ゆえに、自身を死んだ者として世間に流布した話──クラウスは禁断魔法の余波で死んでしまった───というのを、あの混乱の中であったのでビビは認めたくはなかったが、信じるしかなかったのである。
ついでに言えば、アメティスタや他の親衛隊の者たちもそうであった。
クラウス、そしてミーシャが生きていることを知っているのは、かつての義勇軍副隊長であるニコロのみなのだ。
「まさか、かつての敵同士がな…」
嘆息するゲル・グリップ大佐。
アルドバランへ乗り込むには陸軍戦力も必要である。
甲皇軍の戦闘飛行船には多くの陸軍戦力(大半は機械兵)を乗り込ませてあったが、それを指揮するのがゲルであった。
そして、ゲルが乗船する戦闘飛行船に、アーベル率いるハイランド傭兵たちが。ビビやトーチを始めとするアルフヘイムの戦士たちが乗り込んでいた。
かつての敵味方同士が至近距離で顔を突き合わせる様は、ゲルには奇妙に感じる光景であったが、主君ホロヴィズの命であるから仕方ない。
「おのおの方、思うところはあるだろう。だが、今は共通の敵を倒さねばならない。我らが未来を拓くため、アルドバランの獣神帝やつばらを討たねばならん!」
おおー!
威勢の良い歓声が上がった。
してみると、敵の敵は味方…といったディオゴの言葉は真実である。
今や甲皇軍とアルフヘイム軍と仇敵同士であった者たちが、肩を突き合わせながらも談笑していた。
彼らは己たちをこう称した。
───ミシュガルド大同盟と。
「いざ、天空城へ!」
錨は上げられたのである。
つづく