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94話 八方塞がり

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94話 八方塞がり




 誰もが黙して動けず、時さえも凍り付いたかのようになっていた。
 考古学者ハルドゥ・アンロームの話は、一万年以上も昔の古代ミシュガルド帝国時代の話にのみならず、ニーテリアという惑星にいかに生命が息づくまでになったかという壮大な話となり…。
 誰もが、数億年前からの長い旅をして今ようやく帰ってきたかのような感覚に陥り、己の卑小さを覚え、巨大なものに打ちのめされたかのようになっていた。
「───魔素を持たぬ人々か。ゼロ魔素にそのような由来があったとはな……」
 重い沈黙を破り、最初に声を発したのはホロヴィズだった。
 甲皇国における過激派・丙家総帥、人類こそ至上であるとし、エルフを始めとする亜人絶滅を唱えてきた男が、その実はハーフエルフであったというのも衝撃的な話であったが、その事実さえも小さなことのように感じられる。彼は今また骨仮面を被り、しゃがれた老人のような声を装うようになっていた。
「我が息子メゼツもそうだ。亜人絶滅を訴え続けてきたおかげで、甲皇国では“完全な人間”しか認めない文化がある。生まれながら四肢や五感のいずれかが欠損している者や、知恵遅れなどは、亜人もどき……劣等種として、生まれてすぐに間引かれてしまうことも多い。エルフの血を引いている我が息子も、見た目などには何ら欠陥は無い完全な人間のように見えたが、何かあるのではと詳しく調べさせたところ、生物であれば誰もが持つであろう魔素がまったく検知されなかった。───それがアルフヘイムなどではゼロ魔素と呼ばれ、魔法が使えぬ者として蔑視されているとは知ったが、見た目に分かりやすい障害ではない。それに、人間は亜人と違って魔素が元々少ない。アルフヘイムならば魔法を使うゆえ重要になるだろうが、魔法に頼らない甲皇国では何の問題もないだろうと……。特に気にすることもなかったが……」
 ホロヴィズはハルドゥの方に向き合った。
 丙家総帥や陸軍大将としての普段のような威圧的な物腰ではなく、純粋に子を心配する親の雰囲気を見せている。
「アンローム博士もゼロ魔素なのか? そしてそれが、かつてニーテリアの惑星外から訪れた“創作者”たちの特徴だと……?」
「この体質は遺伝によるものです。メゼツくんがゼロ魔素であるというなら、父母のどちらか、もしくは祖父母あたりからの隔世遺伝ということもありえます」
「父母のどちらか……であるなら、メゼツの母リヒャルタは、甲家の姫ではあるが、普通の人間であると思っていた。が、そういう体質であった可能性はあるな……気にしなかったので詳しくは調べておらぬが」
 ホロヴィズは膝を叩いた。
「うむ……そういえば甲家は、甲皇国統一前のキノエ王国と呼ばれていた時代より、王族の青き血を濃くせんと婚姻を繰り返してきた歴史がある。キノエ王族は、かつての古代ミシュガルド帝国時代の支配層だった者たちの末裔だが、その血筋を遺伝させようという意図だったのなら腑に落ちる。であるなら、キノエ王族の者を守ろうとするセントローラ伯爵家の魔紋も……そうか、あれはゼロ魔素の者を守らんとする古代ミシュガルド帝国時代の技術だったのでは……」
 最後の方はぶつぶつと小声となり、ホロヴィズは己の思索に耽ってしまったようであった。
「……アンローム博士、質問よろしいか?」
 ホロヴィズが黙ってしまったのを見て、発言したのはゲル・グリップであった。
 彼は彼で、敬愛するホロヴィズの正体に衝撃を受けてはいたものの、ホロヴィズが普段通りの骨仮面を被ったのを見て、己も普段通りに振舞おうと考えたようだ。既にいつもの冷静な軍人の表情に戻っていた。
「創作者……だがそれも過去の遺物に過ぎないのだろう? 今となってはそんな古代ミシュガルド帝国の支配者層の意志を受け継ぐ者など、どこにもいないのだから。ゼロ魔素の特徴を持つ者が、この現代においても僅かに残っていても、彼らは自分たちがかつての帝国の支配者層の末裔であることさえも知らない。それとも、獣神帝がかつての帝国の意志を継ぐとでも?」
 ハルドゥは淡々と答える。
「そうですね。かつての古代ミシュガルド帝国の意志を受け継ぐ者というのは、もうどこにも存在していないでしょう。ミシュガルドの支配者を称する獣神帝ニコラウスも……恐らくはかつての帝国の支配者層によって造られた実験生物のようなもの。むしろ、彼らは帝国の支配から独立した者たちであり───悪く言えば簒奪者なのですから、かつての帝国の支配者層が生き残っていたとしても都合の悪い存在となるでしょう。そして、帝国の支配者層……創作者たちは、己たちの優位を確立するためにあらゆる種を融和させようとしたが失敗しました。獣神帝は、すべての種が融和できるなどとは露ほども思ってもいない。ゆえに、すべてを拒絶するだけ。精神操作をして支配しようとするか、我々を滅ぼそうとしてくるでしょう」
「……では、やはり討たねばならんな」
 ゲル・グリップは、かつての大戦時同様に、いささかも戦意を失っておらずいかに勝利するかを模索するのだった。
「人間の魔素が少ないというのも、此度の事態においては、むしろ有利なことだろう。人間と亜人を分ける重要な要素として、魔素が少ないというものがある。なぜあの黒い霧が亜人だけを操ったのかと思っていたが、恐らく魔素が絡んでいるのでは? 魔素が多いばかりに、亜人たちは操られてしまった……」
「はい、その可能性は高いでしょうな」
 ハルドゥは肯定する。
「古代ミシュガルド帝国時代の創作者たちは、ごく少数であったのに、圧倒的多数の亜人や人間らをどのように支配していたのか? エルフ族が体内の魔素によって精霊と通じて巨大なエネルギーである精霊魔法を発することができるのなら…。精霊と直接通じることで、魔素を操ることもまた可能。つまり古代ミシュガルド帝国人というのは、精霊を使役することで魔素を有する人々を支配していたようなのです。そして、人間は魔素が少ないゆえに操られにくい……」
 ハルドゥは更に続ける。
「更にこれは、甲皇国の歴史書からによる推測なのですが、かつての甲皇国の祖先というのは、魔素が少ないゆえに魔法ではなく科学技術を身に着け、古代ミシュガルド帝国の支配から抗うことができたと考えられます。そして、帝国の体制側に与するエルフや亜人と戦った。此度の事態は、まるでかつての古代ミシュガルド帝国で起きた人間の独立戦争の再現とも言える」
「しかし、少ないながらも人間にも魔素はあるじゃろう」
 エルフにとって都合の悪い話に、ダート・スタンは不機嫌そうに口を挟んだ。
「我らアルフヘイム側の者たちが多く操られてしまったのが強い魔素のせいだというが、魔素の少ない人間は絶対に操られないのじゃろうか?」
 ハルドゥは首を振った。
「ゼロ魔素ではない以上、人間族でも魔素はあります。操られる危険はあるかと。ただ、例の洞窟における黒い霧による操作は、恐らくアルフヘイム側と甲皇国側の離反、亜人と人間側の離反をもくろみ、亜人だけを精神操作したということも考えられます」
「……操られにくいというだけで、人間も操られる危険性はあるのだな」
 アーベルが腕組みをして唸った。
「精神操作か───そんなことをしてくる相手に対し、一体どうやって戦えというのだ。アルフヘイム軍のほぼすべてが離反しているという状況で」
 全員が沈黙した。
 つくづく絶望的な状況ではないか。
 いかに人間の魔素が少なく、敵の精神操作にかかりにくいであろうとしても絶対ではなく、更にはアルフヘイム軍とも戦わなくてはならなくなる。なんとなれば、甲皇軍が再びアルフヘイム軍と命のやり取りをしてしまえば、その原因が幾ら精神操作によるものであったとしても、かつての大戦が引き起こされてしまう。獣神帝と戦うどころではなくなってしまうのだ。
「手はあるだろう」
 その威厳のある声に、一同は振り向いた。
 市長室の扉を開いて立っていたのは、傭兵王ゲオルクその人であった。 
「傭兵王! もう回復なされたのですか?」
 驚く人々をよそに、息子のアーベルはやれやれと肩をすくめていた。
「父上ならあの程度の怪我、一日寝ていれば治るだろうなと思ってましたよ」
 ゲオルクは息子の軽口にも髭面をしわくちゃに歪めて微笑んで返す。
「ふっ、寄る年波には勝てんよ。まだ傷口が疼いておるわ。我慢しておるだけよ」
「老いぼれが無理をしおって。それで、何の策があるというのだ」
 ホロヴィズが不機嫌そうに問いただす。
「かつて、アルドバランに侵入したことのある人間は、わしともう一人おる」
「父上、それは……」
「おい、ボルトリック、出てくるがいい」
「へっへっへっ、お歴々の方々、どーもどーも」
 ゲオルクに言われて扉の外からひょっこりと出てきたボルトリック──かつてのハイランドで暴利をむさぼっていた奴隷商人──は、でっぷりと不健康に肥え太り、白髪交じりの禿げ頭を掻きつつ、卑屈そうな笑みを浮かべていた。ここ五年ほど、まったく人づてに噂にのぼることもなかった奴隷商人は、ミシュガルド開拓のブームにも乗り遅れていた。大戦中に犯してきた様々な悪事が露見し、ゲオルクに捕らえられ、ハイランドの地下牢に囚われていたのである。五年間の牢獄生活は、彼に更なる不健康さを与えてしまい、殆ど見た目が変わっていないゲオルクと違って、もはや老人といっていい見た目になり果てていた。ただ、抜け目のなさそうな脂ぎった眼の輝きだけは昔のままである。ついでに、身の毛もよだつような悪臭も。
「こやつはアルドバランに詳しい。財宝を盗み出してきた実績もある」
「だからと言って……! ボルトリックは終身刑のはずです。一生牢獄から出られないと裁きは下ったではありませんか」
「アーベル。裁きを下したのはわしだ」
 ゲオルクは有無を言わさないいつもの調子でアーベルを見下ろした。
「つまり、わしが恩赦を出せばそれで済むことだろう」
「くっ……」
 アーベルはぎりりと歯を噛み締める。
 かつてボルトリックに受けた忌まわしい屈辱を忘れてはいない。
 それと、やはりこの父親は好きになれないと思う。
 上から押さえつけてくるこの父を超えねば、例えハイランドの王位を継いだとしても……。
「ええと……いいですかい? アルドバランについて、俺っちが知る限りのことを話しても?」
 にやにやと笑みを浮かべるボルトリック。
 ゲオルクの庇護があると踏み、明らかに昔の調子を取り戻していた。
「話せ、ボルトリック」
「へへへ。俺っちがアルドバランに侵入したのは三十年以上も昔のことですがね……ああ、あの頃は楽しかったなぁ。今じゃ傭兵王だなんだとふんぞり返ってるゲオルクさまも、あの時は何も持ってはいない、只の無鉄砲な若い戦士だったんですぜ。俺っちも今よりはもう少しハンサムだったもんだ」
「おい、どうでもいいところを捏造するな」
 ゲオルクはにやりと笑う。
 彼もまた、ボルトリックと共に冒険した日々のことは、案外楽しかったのである。
「捏造ってひっでぇな! もうちょっとスマートだったのは確かですぜ!? 俺っちもボウガンを持って一緒に戦ったのも覚えておいででしょうが!?」
「そうだったかな…? ああ、しかしお前の悪臭でシャムのやつがひるんで、わしが助かったのは事実だ」
「……そこは覚えてるんですかい」
 かつて、ゲオルクとボルトリックの二人は、ハイランドの地下迷宮を探索して…。そこで、獣神帝によって操られていたエルフの剣士シャムに遭遇する。辛うじて二人はシャムを撃退。その後、獣神帝は地下に埋まっていた天空城アルドバランを浮上させようとし、その衝撃によってゲオルクらは瓦礫の山で圧死しかかるのだが、正気を取り戻したシャムが持っていたアスタローペの宝玉によって天空城アルドバランへと転移したのである。
 アルドバランに侵入したボルトリックは、城内の遺跡を漁り、財宝がないかを嗅ぎまわっていた。途中で獣神帝が放ったとみられる機械兵に追い回され、アスタローペの宝玉を使って脱出せざるをえなかったが、それまでに搔き集めた金銀財宝はずた袋一杯になるほどの量だった。
「あの時、わしはシャムとの戦いで疲れておったし、アルドバランの探索はお前に任せておったな。しかし、あれほどの財宝を手に入れるだけのことはしておった訳だ。他に、どのようなものを見ていたのか説明しろ」
「俺っちが見つけたのは大半はただの金銀財宝でしたよ。ですが、奇妙なものも幾つか見聞きはしておりやす」
 盗賊商人の嗅覚というのは凄まじい。
 アルドバランは九つの宝玉によって制御されており、そのうち最も序列の低いアスタローペの宝玉は、出入りする兵士用にとシャムが持たされていた。そのアスタローペの宝玉をボルトリックは見ていたので、似たような宝玉も無いか探し……見つけていたのである。
「いかにも厳重そうに。円筒形の硝子みてぇなものの中に浮いてるんだよ。その宝玉とやらが。絶対こりゃ貴重な品だろうって直感的に分かった。まぁ、光っていたしな。つまりその宝玉がアルドバランを制御しているんだろうと。俺はその円筒形の硝子の周囲を観察して、罠とか無さそうか調べて、あわよくば宝玉を手に入れようとしたんだが……」
 そこで警報機が鳴ったのであった。
 たちまち、機械兵がわらわらと出現し、ボルトリックを追いかけ回した。
 後はゲオルクも知っての通り、シャムと共にアルドバラン城内を逃げ回った挙句、アスタローペの宝玉で脱出したという訳だ。
「宝玉!……恐らくそれが、アルキオナの宝玉です!」
 冷静だったハルドゥ博士が、上ずった声で叫んだ。
「それさえあれば…! アルドバランを制御する九つの宝玉の内、最上位とされる“王の証”となる宝玉です。それさえあれば、アルドバランを守る機械兵だけでなく……アルドバランの力によって精神操作されたアルフヘイム軍の方々の洗脳も解けるはず! この事態のすべてを好転させることでしょう!」
「わしはアスタローペの宝玉を持つことによってハイランドの王となったが……そのアルキオナの宝玉は、正真正銘、天空城を支配する王の証となる訳か」
「左様でございます。ふ、不肖ながら……このアンローム。そのアルキオナの宝玉の目の前に連れていってくだされば、アルドバランを操作してご覧に入れましょう。アルフヘイム軍の方々の目を覚まさせ、獣神帝をアルドバランから追い出すことも可能!」
「で、あるか。ならば……何としても」
「しかし……どうやって?」
 そこでまた、人々は沈黙する。
 敵となる獣神帝の正体は分かった。
 状況を打開する希望も見えた。
 だが、解決策となると……やはり、八方塞がりである。
「た、大変です!」
 市長室の執務室の扉をドンドンと叩き、SHWの職員が声を荒げている。
「何事だ。これ以上、大変なことなどあるものか」
 デスク・ワークが扉を開けると、職員は真っ青な顔で口をぱくぱくさせている。
「い、いいえ。もうこれ以上ないというぐらいの驚天動地の事態です!!!」
「落ち着き給え。何があったというのだ?」
 職員は頭上を指さした。
 市庁舎の天井があるだけだが……。
 ぐしゃり。
 不気味な音を立て、市庁舎の天井が揺らいだ。
 何かが落下してきたかのような衝撃である。
「て、て、天空城が! アルドバランが落ちてきます!!!」
 先程のはアルドバランを支える大量の土砂や石垣の中から、落ちてきた瓦礫の一つであったという訳だ。
「敵の狙いはごくシンプルだ」
 ゲル・グリップが立ち上がった。
 すぐに戦闘準備を始めようというのだろう。
「……敵は、アルドバランをこの大交易所に落とし、我々を踏み潰すつもりだ!」
「大佐!」
 今度は甲皇軍の兵士が駆け寄ってきた。
 顔面蒼白である。
「何事か」
「て、て、敵が! アルフヘイム軍が!!!!」
「このタイミングでか」
「は、は、はい! 精霊戦士も、暴火竜も! この大交易所に攻め寄せてきており……!」
「ふ、ふふふ……」
 ゲル・グリップは乾いた笑いをした。
 これまで殆ど言葉を交わしたことはないが、すがるようにハイランドの傭兵王を見る。
「傭兵王どの、如何にこの危機を乗り越える?」
「むぅ……」
 ゲオルクは顎鬚を撫でまわした。
「八方塞がりとはこのことだ。さしものわしも、妙案が浮かばぬ。そも、わしは智将というタイプではない。前線で剣を振るうしか能のない男だ。こういう場では、むしろお主の方が妙案が浮かぶのではないのか? 甲皇軍の将軍よ」
「そうですか……」
 ゲルは落胆する。
 が、ゲオルクはそのゲルの肩を叩いた。
「が、案ずるな。大戦を生き延びた英雄が我々にはついている」
「……は?」
「彼の知恵を借りる他あるまい」
「傭兵王、英雄というのは、まさか」
「そのまさかよ」
 ゲオルクは不敵に笑った。
 そして、市長執務室の扉の方を見る。
「やれやれ……」
 涼やかな声がした。
 誰もが幾たびも聞いてきた、懐かしい声。
 ゲオルクは、ここにボルトリックだけを連れてきた訳ではなかった。
 展開を見定めて、元々彼も呼ぶつもりだったのである。
 何せ、“死人”は表に出てはいけないことになっている。
 当人が出なければならないと判断しなければ、呼ぶつもりはなかった。
「……だから、私は出るつもりはなかったのですが」
 姿を現したのは、果たして、かつての大戦の英雄。
「確かに途轍もない危機です。ですが、私の理想を実現できる良い機会かもしれません。すべての種族の力を結集し、この危機を乗り越えるには……」
 誰もが死んだはずと思っていた──あのクラウス・サンティであった。






つづく
105

後藤健二 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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