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1話 脱走兵

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 1話 脱走兵







 ニニは、にっちもさっちもいかない状況だった。
 目の前で繰り広げられている凄惨な略奪行為に、顔をしかめるだけでどうすることもできない。
 アルフヘイムは平和だった。
 甲皇国の侵攻が始まる前からも、多少は亜人族同士の小競り合いはあったにせよ、それは各部族の軍人同士が戦う範囲でとどまっていた。戦いを知らない村人達にまで危害が加えられることなどなく、牧歌的な戦争だった。
 それがいまや。
(元からあるものを蹂躙してまで成さねばならぬことなのですか?)
 声を大にして叫びたい。しかし、叫べば彼女自身もただでは済まない。命惜しさに、目の前の略奪から目を背けていることに、ニニは己の卑劣さを恥じた。
(多少は我を通さなくっちゃ生きていけないだろう)
 ニニの脳内に彼女とは別の声が響く。
(黙ってよ、悪魔…)
 遠国で買った半纏に悪魔がとりついていると気づいたのは最近だが、他人からするとただの半纏に見えるらしい。
 だから、悪魔の声が聞こえるのは、己の心の弱さゆえだとニニは思っていた。
 彼女、リオバン・ニニは伝道師である。
 即物的な人が多いドワーフ族には珍しい宗教家で、甲皇国との戦争が長引き、人心が乱れている事を憂えていた。辻説法をすることで、少しでも人心が休まればと思ってアルフヘイム中を旅している。
(知恵ある我々が避ければよい。しかし、避けられぬ何かが起こった時はどうすればいいか…)
 この文句から始まる説法をよく広場で説いているが、マイナーな宗教ということもあって、ほとんどの人にスルーされてきた。
 暴力に対し、説法は無力だ。  
 ニニは己の無力さも思い知らされていた。
 近くで足音。
 革靴が土を踏みしめる音が響く。
 同時に、ニニの心音も早鐘のように鳴り響く。
 草陰に潜んでいることを見つけられたのか?
「みぃつけたぁ~~」
 醜悪な面構えのオークだった。
 巨大な戦斧を右肩に担ぎつつ、パンツ一丁で、分厚い脂肪で覆われた腹を露にしている。
 側に近寄られるだけで鼻がもげそうに臭い。
 その毛だらけで大きな手が、小さなニニの首根っこを掴む。 
「このヴォルガーさまからは逃れられんぞぉ~」



「脱走兵だと?」
 斥候からの報告に、傭兵王ゲオルクは怪訝そうに重い口を開く。
「はい。敗色濃厚なアルフヘイム軍からは、日々大量の脱走兵が発生しているようです。オークやドワーフといった元からエルフ族に対して友好的ではない亜人族を中心に…」
「おい」
「あ、すみません…」
 ゲオルクに睨まれ、部下の兵士はばつが悪そうに後ろを振り返る。
「気がねするこたぁねぇぜ、ゲオルクの旦那」
 快活に笑うオークの兵士がいた。
「いや、部下が軽率なことを。申し訳ない、ランブゥどの」
 ゲオルクの軍にはオークの兵士が少数混じっていた。
 国を出てアルフヘイム大陸に上陸したものの、百名足らずの軍では心許ない。アルフヘイム主力軍に参集する前に、その途上の村々で新兵の募集をかけていたのだ。
 ゴドヴァの村というところで、オークの兵士が数名参集した。いずれもアルフヘイムのために戦おうという義侠心に溢れたオーク達だった。
「オークにも色々いるからなぁ」
「うむ。それは人間、エルフ、オーク、どの種族も変わらん。だがしかし」
 ゲオルクは自身の得物である長剣を高々と掲げる。
「罪なき民へ狼藉を働く者どもは、どの種族、どの所属であったとしても、この剣が許さん!」
「しかし、ゲオルク様…」
 部下が言い辛そうにしつつも進言する。
「その略奪に走っているという脱走兵達の規模も分かりませんし、アルフヘイム主力軍への参集前に、いたずらに人的損耗となる戦いは避けるべきでは…」
「それは傭兵の考えとしては尤もだが」
 ゲオルクは首を振る。
「目の前の小さな悪を退けられず、巨悪と戦える訳が無い」
「おらもゲオルクの旦那に賛成だ。略奪しているのがオークというなら、そんな恥知らずのオークはぶった切ってやる」
 ランブゥも応じる。
「…と、いうことだ。なに、甲皇軍と戦う前の、良い肩慣らしだ」
 ゲオルクは豪放に笑うのだった。





「おい、ガザミ」
 ヴォルガーはぶっきらぼうに、縄でぐるぐる巻きに縛られたニニを放り投げる。
 ガザミはニニの小さな体を軽々とその無骨な蟹の手で受け止める。
「そいつを見張っておけ。後で甲皇国に売り払うんだからな」
「こんなガキ、娼婦にするにしても商品にゃならんだろう?」
「なぁに、ロリコンの変態だっているだろう」
 ニニが何か言いたそうにしているが、恐怖で強張って何も言えずにいる。
「そうかよ」
 ガザミは呆れたようにため息をつく。
 甲殻類、蟹の魚人の傭兵であるガザミは、ヴォルガー達がアルフヘイム軍から脱走する際、一緒についてきた。
 歴戦の勇士であるガザミだが、ほとほとアルフヘイム軍の腐った連中に嫌気が差していたのだ。
(だが、こいつらをあてにしたのは失敗だったな…)
 脱走兵にモラルは求められないので、他に選択肢がなかったとはいえ…。
 早速傭兵から街道荒らしへと転じたヴォルガー達。
 一応、メスであるガザミは、ヴォルガー達が村人から略奪するだけでなく、強姦も働くことに吐き気をもよおしていた。
 ヴォルガー達が襲った村は家々も荒らされ、あちこちで略奪や強姦が行われていたが、プレーリードラゴンをつないでいる竜小屋は無事であったので、ガザミはそこへニニを降ろした。
「おいお嬢ちゃん。運が無かったな。悪いがことが済むまで、大人しくしていてくれよ」
 相手がメスと気づいたからか、ニニがようやくか細い声で訴える。
「ちゃん付けはやめてください! わ、私は、こう見えても20年以上生きていますし、成人しています! そ、そりゃチビかもしれないけど、それはドワーフだからそう見えるのであって…!」
「なんだ。案外元気だな、お嬢ちゃん」
「だ、だから、お嬢ちゃんじゃありません! 名前はニニです!」
「そうかいニニちゃん」
 ガザミはギラリと蟹鋏をニニに突きつける。
「ひっ…」
「大人しくしてるんだぞ」
 蟹鋏がニニを縛っていた縄を断ち切った。
「え…え…!?」
「プレーリードラゴンかぁ、これ苦手なんだけどなぁ」
 水中を泳ぐことには慣れているガザミだが、陸上を走るプレーリードラゴンの扱いは苦手だった。
「一緒に来るかい? ニニちゃん」
 戸惑いながらも、ニニは差し出されたガザミの蟹鋏に掴まった。
 




「敵はオークを中心として、斧や剣などで武装した一団、約百名ほど」
 斥候の報告を受け、ゲオルクは頷く。
「我が方とほぼ同数だが、弓はあまり持っておらんし、騎兵はゼロか」
「石弓の用意はできております」
「よろしい。では狩りの時間だ」
 こんなものは戦闘ではない。そう強調するかのように、ゲオルクは「狩り」という言葉を使うのだった。
 ゲオルクは長剣を掲げ、軍馬に跨り、十数名の親衛騎兵でもってオーク達へ奇襲を仕掛けた。
 プレーリードラゴンは体重が150キロ程度と軽く、成熟まで時間がかかるから高価だし、数を揃えるのも難しい。
 やはりいざ戦いとなれば、普通の軍馬の方が重量もあるし数を揃えるのも容易く、騎兵突撃には適している。
「な、なんだぁ!?」
 虚を突かれたオーク達は、次々と騎兵に踏み殺され、剣や槍によって屠られていく。実に一方的な戦い。
「こんなところに軍が…!? ええい、早く立て直せ!」
 ヴォルガーの命令で、略奪に耽っていたオーク達がのろのろと得物を手に集結してくる。
 彼らには戦略や戦術という概念が全く無い。
 無謀にも徒歩でどたどたと騎兵に追いすがろうとするが、当然追いつけるはずが無い。
 個々に散漫な戦い方をするだけだ。
「間抜けどもが」
 石弓の太矢をつがえ、ゲオルクの部下らがオーク達に狙いをつける。
 騎兵達を追いすがってきたオーク達。
 なだらかな坂の上を走らされていることにも気づいていなかった。
 子供でも狙い撃つことができる。
 坂の上に待ち構えていた別働隊の石弓兵らの一斉射撃で、オーク達は肉片を飛び散らせながらばたばたと倒れていった。
 石弓の太矢は分厚い鎧や盾もバターのように切り裂いてしまうのだ。
 大勢は決した。
「残りは雑兵だ。こちらも歩兵で掃討する」
 騎兵で敵を引き付け、石弓兵で罠を張り、歩兵で駆逐する。
 特段に工夫がある訳でもなく、ごくごく一般的な戦術。
(士気の低い脱走兵とはいえ、こうも容易いとは…)
 アルフヘイムの弱兵ぶりが図らずも浮き彫りとなった。




「ギェェピィィーーー!」
 プレーリードラゴンが悲鳴に近い声を上げる。
 ゲオルク軍の襲撃により、脱走兵の一団は壊滅状態。
 村から脱出しようと、ヴォルガーは生き残りの部下達と共にプレーリードラゴンの竜小屋に向かっていた。
 そこで、ニニを連れて逃げようとしていたガザミとばったり出くわした。
 オーク達に囲まれ、ガザミのプレーリードラゴンは怯え暴れる。軍事訓練も受けていないし、元来、臆病な生物なのだ。
「くっ…」
 ガザミはそのままドラゴンの背に乗るのは無理だと観念し、ニニと共に地上へ降り立つ。
「どこへ行くつもりだぁ? ガザミ!」
 ヴォルガーの部下は減ったとはいえ十数名いる。
 とてもガザミ一人で切り抜けられる数ではない。
「一人だけで逃げようなんざ、虫が良すぎるだろ?」
 ヴォルガーとその部下達にすっかり包囲され、ガザミは進退窮まる。
「ちっ…豚どもが」
 ニニを連れて逃げるのは無理だろう。では見捨てて一人で逃げるべきか?
 すっかり怯え、ガザミにしがみつくニニ。
 ここで見捨てれば、野卑たオークどもに…。
「しゃあねぇな」
 ガザミは蟹鋏をヴォルガーに向けて構える。
「待てよ、ガザミ」
 ヴォルガーはニヤニヤと下劣な笑みを浮かべる。
「この数に突撃して死ぬ事もあるまい? それよりも、だ」
 既にゲオルク軍がオーク達の背後に迫っていた。
「奴らの足止めをするなら、助けてやってもいいぜ」





 ガザミは僅かな数のオークを引き連れ、ヴォルガーが逃げる為の殿を引き受ける形となった。
 ニニは他のオークによって人質に取られている。
「畜生、何でこんな事に…」
「おう、ガザミ。もっと前へ出ろや! お前が突撃していった後、俺らはすぐ逃げるんだからよぉ」
 ニニを人質に取っているオークにせっつかれる。
 こんなことなら一か八か、あの場でヴォルガーと戦った方が分があった。少しばかり命を生きながらえさせるために、より悪い状況へと追い込まれたに過ぎない。
「む……蟹の魚人か?」
 オーク達ばかりの脱走兵の中で、異彩を放つガザミの姿を見て、ゲオルクは一瞬で状況を察した。
「やつは他の脱走兵とは違うようだ」
「なぜそう思うんで?」
 ゲオルク達と共に進軍するランブゥが不思議そうに尋ねる。
「表情が違う。追い詰められ、決死の覚悟を見せつつも、誰かの為に戦う。本物の戦士の顔をしている」
 ゲオルクは前に出る。
 長剣を鞘に収めたまま、軍馬から降り、無造作にガザミの前に立つ。
「貴様、名は何という?」
「……戦場で名乗りをあげてから戦おうってのかい? 大した騎士道精神だね」
 馬鹿にしたように、だが不敵な笑みを浮かべてガザミは答える。
「ガザミだ!」
 叫ぶと同時に、ガザミはゲオルクに突進し、蟹鋏で切りつける。
 ゲオルクは長剣を鞘から抜き、蟹鋏を受け止める。
「後ろのオーク」
 戦いの最中だというのに、ガザミは小声でゲオルクに話しかける。
「あいつに人質を取られている」
「あいわかった」
 ゲオルクは二度、三度とガザミと剣戟を繰り広げる。
「いいぞ、やれやれ!」
 ガザミから離れた後方のオークが喝采する。
 戦いが長引くと見て、すっかり油断している。
 その刹那。
 ガザミの蟹鋏から槍のような水柱が噴出し、それに合わせ、ゲオルクは長剣をオークへめがけて投擲した。
 水柱と長剣は、それぞれニニを捕まえていたオーク達を貫いたのだった。





「ありがとよ」
 ガザミはニニを傍らに、ゲオルクに礼を言う。
「礼には及ばん。当然のことをしたまでだ」
 ゲオルクは僅かに相好を崩す。
「残念ながら、やつらの首領…ヴォルガーと言うのか? その者は取り逃がしてしまったがな…」
 そして、肩をすくめて。
「アルフヘイムは噂よりも遥かに追い詰められているようだ。あのような輩が出てくるようでは…」
「ふん、あたしもほとほと愛想が尽きてね…」
 ガザミはアルフヘイム中枢の腐敗についてゲオルクに語った。
 ゲオルクの表情はみるみる曇っていく。
「……なるほどな。それでは勝てる訳が無い」
「で、あんたはそんな中でも、アルフヘイム軍に加わるってのか?」
「そうだな…」
 ゲオルクは思案顔となるが、意志は変わらない。
「私の国は、貧しく、不毛の地だ。男は傭兵、女は娼婦とならねば生きていけない。アルフヘイムには土地を豊かにする精霊の木があるという。この戦争はアルフヘイム側に義があると思うが、何もそれだけで彼らに加担するのではない。我々にも我々なりの目的がある。アルフヘイムに協力し、彼らの精霊の木を持ち帰りたいとも考えている」
「なるほど」
 ガザミは頷く。
「そういう事なら、あたしも一緒にいってやるよ」
「貴様はアルフヘイムに愛想が尽きたのではないのか?」
「確かにね。だが、別に国の為じゃない。あんたの為に、力を貸してやるってだけさ」
「かたじけない」
 ゲオルク軍は女傭兵ガザミを加え、一路、アルフヘイムの現在の王都セントヴェリアの街へ向かうのだった。




つづく
3

後藤健二 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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