22話 ホタル谷の戦い
ダヴ歴455年12月…。
南半球に位置するアルフヘイム大陸では夏になっていた。
晩春から夏にかけては戦争の季節となる。秋は収穫に忙しいし、冬は雪や寒波で行軍が遮られるからだ。そして夏というのは生物の生命活動が最も活発になる時期でもある。
バルザック中佐率いる甲皇軍第三打撃軍団は、その陣容にザキーネ中尉率いる黒羊軍団も加えた総勢1万の堂々たる大軍団である。
彼らはレンヌの街から出陣し、ゆっくりとボルニアの街へ向けて行軍する。
既に甲皇軍は、ボルニアまでの途上にあるホタル谷にクラウス義勇軍が潜んでいるという情報を察知していた。
「───へへへ、やつらは獣と変わりありません。ホタル谷の自然に紛れてじっと息を潜めてますよ。ネズミみたいなもんでさ」
ボルニア途上の甲皇軍野営地。
揉み手をしながら小物臭い物言いでザキーネに報告するのは、褐色の肌をしたエルフで、いわゆるダークエルフの女だった。小柄ながら成熟した大きな胸をしており、美人というほどではないが性的に刺激する見た目をしている。
「分かった分かった。もういいぞ、メン・ボゥとやら」
だが、ロリコンのザキーネは鬱陶しそうに右手を振り、メン・ボゥを追っ払おうとする。
「へへへ、旦那ぁ、何か忘れてやいませんかねぇ?」
「ちっ……強欲な。これだから大人の女は……」
じゃららっ。
ザキーネは何枚かのVIP金貨を投げつける。
「ヒャッハー!」
床に散らばった金貨を喜色満面で拾い集めたメン・ボゥは、卑しい笑みを浮かべつつ、ザキーネにへこへこと頭を下げながら立ち去った。
───クラウス義勇軍は、長くホタル谷にとどまりすぎた。
軍人や戦士であれば耐えられるが、ただの民間人には暮らしやすい村を離れての野営生活というのは辛いものだ。
このメン・ボゥのように、愛郷心も大切な家族もなければ、甲皇軍に同胞を売ろうという者が出ても仕方がない。
むしろ、よくぞここまで誰も裏切り者を出さなかったものだ。
ザキーネ率いる黒羊軍団の兵は、甲皇軍に恭順の意を示した亜人たち。つまり、アルフヘイムの裏切り者たちで構成される。黒羊兵たちは、甲皇軍の圧倒的な戦力を恐れ、また報酬や待遇が良いからこそ甲皇軍にいる。仁義も、甲皇国への忠誠心も、あったものではない。
だからこそ、義勇軍を率いるクラウスのカリスマ性に、ザキーネは驚嘆する。
甲皇国人も、アルフヘイムびとも、本質はあのメン・ボゥと大して変わらない。
純粋で疑うことを知らないのは幼いロリだけだ。
世界の残酷さを知った大人は、基本的に悪であり、偏見、嫉妬、欲望と自己保身に塗れている。
祖国への忠誠心か?
仲間や家族や恋人を守ろうとする愛か?
それとも暴虐な甲皇軍へ対する正義感だとでも言うのか?
───ふざけるな。
そんな愚かしい考えは、認める訳にはいかない。
そんな綺麗事をほざく口は、永遠に黙らせてやらねばならない。
ザキーネの赤い瞳は、己を拒絶した祖国と同胞への恨みで燃え上がっていた。
「エンジョイ! アンド! エキサイティーング!」
「エンジョイ! アンド! エキサイティーング!」
愉快そうに手を叩くバルザック中佐。
周りの部下たちも、同じように拳を振り上げながら喝采している。
「ハァ…ハァ…」
そんな甲皇軍兵がはやしたてる中で、青くてつるつると瑞々しそうな肌をした魚人が必死に踊っている。
その表情は苦悶に満ちており、周囲の軍人たちに無理矢理やらされているのは明らかだった。
魚人はミュー・C・モチハダンといった。
男でもあり女でもある雌雄同体のウミウシ型魚人である。
沿岸に程近いレンヌの街で平和に暮らしていたミューは、街が陥落すると同時に捕虜となり、ウミウシの魚人というのはさすがにゲテモノだろうと、食われも犯されもされなかったものの……。
ミューが踊り子を生業とすると発覚したとたん、奴隷として売られるまでの間、兵士たちの娯楽のためにと踊りを強制されていた。
踊るのが好きで、人々の笑顔を見るのが好きなミューは、最初こそ軍人相手でも意に介さずに明るく踊っていたが……。
「おらおら、どうした魚人! 動きが鈍ってんぞ~~!?」
野次が飛び、それだけでなく…。
空き缶、瓶、ゴミが飛んできて、ミューにぶつかる。
ミューは涙を浮かべながらも、健気に踊るしかなかった。
───ぼくが、がんばらなくっちゃ……。
ミューは、踊りながら、ちらりと甲皇軍が進軍する前方の方へ目を向ける。
ミューが踊り続けるステージは、四頭立ての馬が曳く台車となっている。
その周囲を軍人たちが徒歩や軍馬にまたがって進軍しており、その更に前方、最前列に……。
アルフヘイムびとの民間人が多数、着の身着のまま、靴を奪われ裸足にされて歩かされていた。
水も食料も与えられず、ごつごつした地面を裸足で歩く民間人たち。子供だっている。
足の裏から血を流し、見るからに疲労困憊といった状態である。
恐るべきことがあった。ミューが少しだけでも踊るのを休ませてほしいとバルザックに懇願したところ、何分休みたい?と聞き返された。ミューは思案して「10分だけ」と答える。
「分かった、10分だな」
そう言い、バルザックはその10分間に、民間人に向けて1分間につき1発づつ拳銃を発砲した。
バルザックはロシアンルーレットを楽しんでおり、リボルバーに弾丸をフルには入れず、2発につき1発だけ実弾を入れていた。
運悪くそれに当たった民間人が5人死んだ。
絶句したミューは、それから気絶するまで踊り続けるしかなくなってしまったのである。
どんちゃん騒ぎの派手な行軍であった。軍楽隊が組織されており、ラッパや太鼓をけたたましく打ち鳴らしている。
兵士たちはアルフヘイムや亜人を侮辱する軍歌や、聞くにたえない下品な言葉を吐きながら意気揚々。
どうだ、悔しかったらかかってきやがれ。
まるで周囲へ威嚇するかのような調子である。
バルザック中佐の甲皇軍第三打撃軍団のそんな行軍の様子は、かなり遠くからでも確認することができた。
「あいつら……! 許せない……!」
ビビは歯をぎりぎりと噛み合わせる。
「……やめろ。あたしたちだけで挑ンでも殺されるだけだゾ」
エイルゥがそんなビビを力づくでいさめる。
ビビは必死に抵抗したが、エイルゥは頑としてビビを連れ帰る。
エルフ族なので目や耳が良い彼女たちは、プレーリードラゴンにまたがり斥候に出ていたのだ。
甲皇軍の進軍の様子を偵察した後、二人はホタル谷へと帰還する。
「……我々をおびき出そうとしているのだろう」
エイルゥからの報告を聞き、苦々しい表情で呟くクラウス。
ホタル谷の中ほどにある本陣で、義勇軍首脳たちに重苦しい空気がたちこめる。
「だが、軽率にホタル谷を飛び出してはいけない。平地でぶつかれば倍の敵が相手では勝ち目がない。ホタル谷の中であれば大軍は入り込めないし、地の利はこちらにある」
クラウスは冷静だった。
この時のために、様々な準備をしていた。クラウスの戦術が優れているのも皆が理解しているので、誰も意見は出さない。
「でも!」
意見を出すのは、幼く未熟なビビだけだった。
今すぐここを出て、あいつらを皆殺しにしてやる!
そう激するビビに対し、やはり誰も何も言わない。
「あいつら、あいつら……」
ビビは目にいっぱいの涙をためている。
あいつら、パパとママを!!!!!!
なんで、なんで、あたしはパパとママから離れちゃったんだろう。
死んでも良かった。パパとママと同じような目に遭わされていたとしても。
あたしだけが、こんなところでおめおめと生きながらえて……。
あたしは、あたしは……。
ビビの叫びを、クラウスや義勇軍の面々は沈痛な面持ちで黙って聞いていた。
ビビの両親は生きていた……先程までは。
甲皇軍の最前列を裸足で歩かされていた。疲労困憊となり、足から血を流し、母親の方は輪姦されたのだろう乱れた着衣の姿だった。
そして……バルザックによって撃ち殺されたのだった。
「……」
ビビに落ち着け、とは誰も言えない。
それは余りに残酷だ。
だからこの子供に戦士の真似ごとをさせるべきではなかったのだ。
「───ビビ」
クラウスは真剣な眼差しをビビに向ける。
「私には、君がどうすべきだったのかは分からない。ただ──」
「ただ……?」
「よく耳をすまし、目をこらせば、答えは必ずそこにある」
「…………!」
ビビはこの時のクラウスの言葉を、一生涯忘れることはなかった。
「あ~~あ~~~テス、テス」
バルザックは拡声器を手に、少しおどけた風に笑って見せる。
「君たちはぁ~~完全にぃぃ……包囲されている~~~人命はぁ~~ニーテリアより重いのだぁ~~~無駄な抵抗はやめて降伏したまえ~~」
ぎゃっははははは!
甲皇軍兵たちから野卑た笑い声が起こった。
人命が…え、聞こえなかった。何より重いって? どの口がほざくかよ!
中佐にとっちゃ、人命なんてそこのケツアナ兎の羽毛ほどの軽さでしょうが!
バルザックの第三打撃軍はホタル谷入口を完全に封鎖しており、ホタル谷内部に立て籠もるクラウス義勇軍という構図である。
さすがにバルザックも、うかつにホタル谷内部に入ろうとはしない。
何としてでもクラウス義勇軍をホタル谷の外におびき出したいのだった。
「さてさて、〝一応は”降伏勧告もしたな」
「一応はね」
バルザックの隣にいるザキーネが肩をすくめる。
義勇軍が降伏勧告に応じる訳がないのは二人とも知っていた。
ここまでの甲皇軍の捕虜に対する取扱いの惨さを見ていれば当たり前の話だ。
そこで、バルザックは一計を案じる。
「おい、例のやつをやるか」
「またあれですか」
ザキーネは半ば呆れ顔である。
ロリとリョナこそ至高だと思うザキーネは、バルザックの趣味が理解できない。
部下たちが準備を整えるまでに、バルザックは葉巻をぷかりぷかりとふかしていた。
固太りした40男の体躯も相まって、完全にマフィアのボスという貫禄である。
やがて、裸に剥かれ首輪をつけられたアルフヘイムびとがぞろぞろと連行され、ホタル谷に向けて見せつけるように立たされる。
「1分につき、1発づつこいつらを撃っていく」
そう宣言したバルザックは、ジャラララ…と、リボルバー型拳銃に弾丸を装填していく。
またも2発につき1発だけ実弾を入れていた。
バルザックにとって、捕虜の処刑はゲーム感覚なのだ。
「あいつら! また!」
甲皇軍がまたも暴虐な行為を始めるのを見て…。
穴倉に潜むネズミと化した義勇軍は、じりじりと焦れていた。
クラウスは未だみなに待機を命じていた。
だが、いっそのこと打って出て、非道な甲皇軍を殺しに行きたい。
義勇軍の戦士たちまで、そう主張するビビの方が正しいのではないかと思い始めていた。
「クラウス、どうしたらいいんだ……?」
「クラウス……!?」
義勇軍にどよめきが走る。
───つい先程までいたはずなのに。クラウスがどこにもいないことに、ようやくみなは気づいた。
まさか、自分だけ逃げた?
そんなありえない。クラウスに限って。でもどこにもいないじゃないか!
思えば、クラウスにみなは頼りすぎていた。戦いへの恐怖に憑りつかれ、彼が一瞬でもいなくなったことでその恐怖はピークに達していた。
クラウスがいなければ義勇軍など烏合の衆というのが立証されていた。既にもう、ここで潰走してもおかしくないほどに騒然となっている。
その時であった。
ずん、ずんと重い足音が響き、谷の奥底から一人の人影が現れる。
その姿を認め、みなが口を開けて驚く。
「ニコロ!?」
それは2か月前、ボルニアへ行ってしまったオウガ族のニコロ。かつて義勇軍で副司令だった男。
ボルニアのアルフヘイム正規軍で将軍待遇で迎え入れられたと聞き、極貧の野営生活とは違ってさぞいいものを食べているのだろうなと、やっかみの囁きもされていた。元々人望があった訳でもないので、はっきりと裏切り者と呼ぶ者すらいた。
だがニコロは、義勇軍のみなと同じ粗末な皮鎧を身にまとい、相変わらずの精悍な顔つきでみなに真摯に謝罪した。
そのうえで、クラウスの意図を伝える。
義勇軍に平静が取り戻されていた。
そしてもう誰も、ニコロを裏切り者と呼ぶ者などおらず、むしろ彼への信頼感と頼もしさを覚えていた。
(俺にみなへ謝る場を与えてくれたことに、感謝するぜクラウス)
やはり義勇軍こそが自分の居場所なのだと、ニコロは感じていた。
ボルニアでは散々だった。アルフヘイム正規軍は、新米将軍として必死に働くニコロをまったく評価しなかった。堅実な戦いぶりも華が無いと扱き下ろされ、実績をあげても恩賞も何も無かった。やがてニコロがその不満を上官に訴えると、あっさりと罷免されたのである。
失意のまま、つい数日前にホタル谷に舞い戻ったニコロだが、どの顔を下げてみなに謝ればいいのか分からなかった。
だが、クラウスが一計を案じて、自分がいなくなったタイミングでみなの前に姿を現せと言われたのだった。
「もうすぐクラウスが仕掛ける。みんな準備に抜かりはないな!?」
「オオ!」
義勇軍の高い士気と、頼もしい副司令が戻ってきた。
───ほどなくして、甲皇軍の背後で騒ぎが起こる。
「───クラウス……!?」
「あれが……!?」
「クラウスだ、クラウスが出たぞーーーーーー!」
甲皇軍の背後に、クラウスがプレーリードラゴンに乗って現れていた。その周囲を固めるのはエイルゥとサラマンドル部隊。そしてビビ。
「突撃! 人質たちを救出せよ!」
クラウスは剣を振って指揮を取る。彼自身の戦闘能力は大したことはない。だが周囲の面々が恐ろしく強かった。
甲皇軍は多勢なのを良いことに、後方は油断しきっていた。
重い鎧兜を脱ぎ、バルザックの兵らしくポーカーに興じる者さえいた。
後方にはアルフヘイムびとの捕虜を収容する牢獄を乗せた馬車や、糧食を積んだ輜重隊があり、それらを守る僅かな兵しかいなかった。
そこをバターのように引き裂いていき、クラウスたちは人質たちを救出していく。
「はあああ!」
精霊剣シェーレを振るうエイルゥ。
精霊樹からの加護は残り少ないが、惜しげもなくその魔力を開放する。
それはまるで火竜レドフィンが吐くブレスのようだった。
巨大な火炎嵐が大剣から放出され、甲皇軍に大穴を開けていった。凄まじい超高温の炎により、鉄の鎧兜も溶けるか蒸発していた。
まさに一騎当千の奮戦ぶり。
亜人のこうした爆発力を、甲皇軍兵らは恐れていた。
一般的な何の能力も持たない亜人兵は、刀剣弓矢で装備しているし、統率の取れた甲皇兵の敵ではない。
だが特殊能力を持った亜人兵は恐ろしい。何をしてくるか予想もつかない。
そして、たった一人で戦局を覆すほどの活躍を見せる者も稀にいるのだ。
「みんな、もう大丈夫だよ!」
ビビが人質となっていたアルフヘイムびとらを幾人も抱え、重力を無視しているかのように飛び跳ね、大量に連れてきたプレーリードラゴンの背へ載せていく。
「ありがとう、ありがとう!」
踊り子のミューも救出され、涙ながらにビビに感謝していた。
「長居は無用だ。人質を救出後、すぐに撤収するぞ!」
「オオ!」
クラウスの指揮に、200名のサラマンドル部隊が呼応する。
あのレドフィンほどではないが、彼らも十分強い。それこそ1人で10人の敵を相手できるほどには。
南方戦線を生き延びた彼らは、文字通り歴戦の勇士たちである。
思えば、なぜこれだけの力がありながら甲皇軍に負けたのかと首をひねらざるを得ない。
大体は協調性が無さすぎるレドフィンのせいだが。
それがクラウスという優れた指揮官を得て、存分に能力を発揮していた。
「後方にクラウスが現れただと!?」
想定外の事態に、バルザックは葉巻なんぞ吸ってる場合じゃねぇとばかり、ペッと唾と一緒に葉巻を捨てた。
「おい、ザキーネ!」
「分かっています。黒羊軍団、出るぞ!」
第三打撃軍は、中央にバルザックの指揮する8千の甲皇軍兵、左右両翼に1千づつの黒羊軍団という構成だった。
本来であれば、中央の主力が敵をひきつけつつ、機動性に富む亜人兵によって包囲殲滅するというのがセオリーだった。
背後を突かれたが、ならばそのまま両翼を背後へ回らせ包囲殲滅してやる。
ザキーネは個人的なこだわりがあるので左翼から、もう一人のザキーネの部下が右翼から亜人兵を指揮する。
「ハッハー! 亀頭を優しく包み込むように皮を被せてあげるよ!」
兎人族らしい下品な比喩表現を口走りながら、ザキーネは人間の7倍の脚力で疾走する。それはサラブレッドより早い。
だが、穴倉から飛び出した兎を狩るのは、エルフの得意技である。
黒い塊が、ホタル谷前方から飛翔する。
それは矢だった。
何百、何千という矢の雨が一塊となって飛翔し、まずは右翼の黒羊軍団へ降り注いだ。
亜人兵らが阿鼻叫喚の騒ぎとなり、次々と串刺しになっていく。
「撃て!」
ニコロが指揮すると、義勇軍の戦士たちが長弓の弓弦を引き絞り、矢を前方斜め上へ向けて放つ。
士気が高いとはいえ、戦いの素人に過ぎない義勇軍が一番効果的に戦えるのは弓矢だった。
それも個々に敵兵を狙って狙撃するのでは当たらない。
点ではない。面を狙え。
それがクラウスの編み出した戦術だった。
ある一定の面積に集中して矢を飛ばせばいいので、素人で即席の長弓兵でも弓弦を引くことができれば当たる。
更に、正面遠距離から矢を飛ばすのではなく、斜め上へ向けて飛ばす。射程が短くなるから多少近づく必要はあったが、矢は重力で落ちていき…。
「ぎゃあああ!」
次は、左翼のザキーネたちの黒羊軍団へと矢が降り注ぐ。
ばたばたと亜人兵が倒れていき、屍を晒していく。
「なんと無様な! これだから亜人は……」
「ははは、矢ごときで死んでやがる」
亜人を馬鹿にする人間の甲皇軍兵は、鉄鎧をつけているから余裕だった。
「撃て!」
ニコロの号令で、再び矢の塊が飛翔し、今度は甲皇軍兵へと降り注ぐ。
「ははは、こんなものが効くもの……ぎゃああ!」
甲皇軍兵の鉄鎧も、矢は容赦なく貫通していく。
矢など鎧で弾けるだろう。板金鎧で全身を包む重武装の甲皇軍兵はそう過信していた。
しかし、正面遠距離から放たれた矢は弾けても、重力が加わった矢は石弓の太矢の威力にも匹敵するのだ。
「おのれ、おのれぇ…!」
額に青筋を走らせるバルザック。
黒羊軍団は矢の塊であっさりと壊滅していた。亜人兵は機動力重視のために重武装ではなく、しかも真っ先に狙われたのでまともに矢を食らってしまっていた。ザキーネの生死も分からない。
───こうなれば、力攻めしかあるまい。
バルザックは正面主力の8千の甲皇軍兵に、ホタル谷前面に飛び出している義勇軍への攻撃を命じる。
「飛び道具など卑怯千万!」
普段は自分たちも銃を使うくせに、こういう時だけそういうことを言う。
甲皇軍兵らも飛び道具を持っている。
それも弓矢ではなく、前装滑腔式歩兵銃、いわゆるマスケット銃とか火縄銃と呼ばれるものだ。
鉄鎧をまとう装甲兵や重装騎兵の前方に、弾よけにだぶだぶの麻服と胸甲に鉄兜をかぶった歩兵たちがぞろぞろと現れる。
彼らが一列に並び、小銃を義勇軍弓兵たちへ狙いをつけた。
甲皇軍がそうした動きをようやく始めたところで、クラウスやサラマンドル部隊がゆうゆうとホタル谷へと戻ってきていた。
「私はここだ、当てられるものなら当ててみろ!」
プレーリードラゴンの背の上から、クラウスが自分の胸にどんと拳を当て、甲皇軍へ向けて吠えた。
「生意気な…! おのれ、クラウスめ」
バルザックが怒り心頭といった表情で号令する。
「撃ち殺せぇ!」
バババババ!
轟音が鳴り、小銃が火を噴く。黒色火薬を燃やした時に出る大量の白煙が立ち込めた。
「……やったか?」
いや、やっていない。
ばらばらと鉛玉が地面に散らばり落ちる。
白煙が晴れて現れたのは、クラウスの前で精霊剣シェーレを構えるエイルゥの雄々しい姿だった。
精霊剣は、大盾へとその姿を変貌させていた。
実は、シェーレには実体となる形というものはなく、操者が望む形へ変化することができる。
攻める時は大剣へ、守る時は大盾へ。大盾シェーレは聖なる炎の防壁を周囲へ張り巡らせ、飛んできた鉛玉を弾き返したのだった。
「……はぁ、はぁ」
だが、精霊の力を使いすぎたエイルゥは、疲労がたまり、もはや息をするのも辛そうになっていた。
膝を折り、エイルゥはその場に倒れる。
「エイルゥさん!」
シェーレの力が尽きる時、あたしの命もまた──。
事情を知るビビが慌ててエイルゥの元へ駆け寄る。
「ふふ、大丈夫だ」
ビビに心配させないように、エイルゥは額に汗を滲ませながらも笑顔を見せる。
「まだ……まだ、シェーレは砕けちゃいない!」
エイルゥは、再びシェーレを大剣の姿へと変化させる。
決着の時は近い。
「義勇軍、総攻撃!」
「撃て!」
「撃て!」
クラウス、ニコロ、バルザックが同時に叫ぶ。
まずはサラマンドル部隊と、槍を手にした義勇軍の精鋭が進軍し、甲皇軍へと殺到した。
ニコロの号令で、義勇軍後方の長弓兵が一斉に弓弦を引く。弓の黒塊が発射され、甲皇軍へと降り注ぐ。
一方、甲皇軍小銃兵はもたついていた。エイルゥによって銃弾を弾かれたことに衝撃を覚え、すぐに次弾装填をするのを呆けて遅れていた。
甲皇軍の中央の装甲兵と騎兵は混乱し、統率を失っていた。
だから、義勇軍の攻撃の方が早く届く。
血煙が、土煙が、白煙が上がり、甲皇軍8千……いや既にその数も6千、5千と減らしていたが、その過半が恐慌状態に陥る。
エイルゥのシェーレが、二度、三度と火炎嵐を巻き起こし、甲皇軍兵を焼き尽くしていく。
あとは、一方的だった。
決着がついた戦場で、数多の甲皇軍兵の屍が横たわっていた。
義勇軍が、倍する数の甲皇軍を破ったことに興奮し、歓呼の雄たけびをあげていた。
気になるのが、バルザックとザキーネという敵軍の中核たる将校らの死体が見当たらないことだった。
まだ、どこかでしぶとく生き残っているのかもしれない。
この戦場から敗走していった甲皇軍兵も少なくなかった。
サラマンドル部隊と義勇軍の精鋭が、槍や剣で倒れる甲皇軍兵を突き刺していく。確実に止めを刺すために。
「敵の将校、バルザックとザキーネとやらの死体は見当たらないのか!?」
ニコロが苛立って部下に確認する。
部下たちも無念そうに首を振るばかり。
辺り一面、血の海である。むせかえるような死臭が漂う。
びちゃびちゃ。
そこへ、ビビが嘔吐していた。
無数の死体を初めて目の前にしたのだから無理もない。
結局、ビビは一人の敵兵も殺すことはできなかった。
やったことと言えば、人質を救う作戦で役に立っただけで、あとは震えていて、敵に切りかかったりはできなかった。敵を皆殺しにしてやるなど、口先だけだった。
───悔しい。パパやママの仇なのに……。エイルゥさんは、自分の命を燃やして戦っていたというのに……。
自らの不甲斐なさを嘆き、ビビは拳を握り締める。
無数に倒れる甲皇軍兵の死体を避けつつ、とぼとぼとビビは無防備そうに歩いていた。
やはりあたしに戦いは向いていないんじゃないか。
クラウスやニコロが言う通り、普通の女の子に戻った方がいいかもしれない。
地面に倒れているのは甲皇軍の人間の兵士だけではなく、亜人兵も混じっている。
奇跡的にも義勇軍に殆ど死者は出なかったので、それはザキーネが率いていたアルフヘイムの裏切り者の黒羊軍兵だろう。
一歩間違えていれば、ここに倒れていたのは自分の方かもしれない。
そんなことを思い、ビビは黄昏れる。
「またそんな暗い顔をしおって!」
ビビの背後に、エイルゥが片手剣ほどに小さくなったシャーレを支えに立っていた。
「戦いには勝った。お前も直接じゃあナイが、自分の両親の仇を取れただろう。もっと喜ぶがイイ」
疲労困憊といった様子のエイルゥだが、それでも彼女は明るく笑顔を見せる。
「エイルゥさん……」
「子供は明るく笑うに限る。あたしは、あンたが笑顔を取り戻すまで、死なないことにしたゾ」
それはやせ我慢もいいところだった。
エイルゥの髪は、あの炎の化身のように燃え上がっていた赤髪は、すっかりくすんだ白髪になっていた。
精霊の力が尽きかけようとしているのだ。
「───ハハッ、子供は笑顔が一番。それはボクも同意見だね」
その時。
突如として、倒れていた亜人兵が立ち上がる。
凄まじい脚力で回し蹴りを放ち、エイルゥを蹴り飛ばした。
「がぁ!」
10メートルはフっ飛ばされ、エイルゥは苦悶の表情で倒れる。
「あ……あ……」
ビビは膝を震えさせ、一歩も動けない。
悪意の塊が、そこにいた。
立ち上がった亜人兵──ザキーネの赤い瞳が、ビビをねっとりとした目つきで視姦する。
「実にボク好みのロリじゃないか。そうそう、やっぱり女は初潮前が一番さ」
ザキーネの太くてごつい手がビビの細腕を掴む。
「さぁ、おじさんと一緒に来なさい、妖精ちゃん、遊ぼうじゃないか。大丈夫大丈夫、ボクは和姦派だからねー」
「い、いやぁ! 離して!」
恐怖で完全に動転したビビは泣き叫ぶ。
「ビビを離せ……変態が」
エイルゥは腹に巨大な赤痣をつけていた。口から出血。恐らく肋骨が何本か折れ、内臓を傷ついている。だがそれでも、彼女は立ち上がる。
「おやぁ? 殺したと思ったんですがね」
大人の女には興味が無いというか、むしろ憎悪しているザキーネは、禍々しく、邪悪な笑みをエイルゥに向ける。
異変が起きていることを察知し、慌てて周囲にいた義勇軍兵やサラマンドル部隊が近づこうとしているが、まだ少しだけザキーネとビビとエイルゥからは距離があった。
今ならば、ザキーネの類まれなる脚力で全力で逃走すれば、義勇軍を振り切ることもできるだろう。
「ババァの相手をしている暇はない。ボクはこのロリな妖精で遊びたいんだ」
そう言い、ザキーネはビビを抱えて逃げ出そうとする。
「精霊剣シェーレよ!」
エイルゥは、文字通り、最後の力を振り絞る。
片手剣となったが、それでも小さな火炎嵐が剣にまとわりつく。
見る影もないほどに疲労困憊というエイルゥの様子を見て、ザキーネは高笑いする。
「ははは、そんな攻撃に当たるものグェエエエぁあああ!!!???」
ビビが抵抗していた。
自分を担いで立ち去ろうとするザキーネの首を絞め、ザキーネはもんどりうって倒れる。
「ぐ、グハぁ……な、なぜだ」
ザキーネは妄執に憑りつかれた目をビビに向けて吠える。
「なぜ、ロリはボクを受け入れてくれないんだぁああああ!」
ザキーネの背後に、エイルゥが迫っていた。
「死ね」
エイルゥは、火炎嵐をまとわせたままの片手剣をザキーネに振り下ろした。
エイルゥの死体は骨も残らなかった。
残っていた精霊の力を使い尽くしたシェーレが砕け散ると共に、彼女の体は霧のようにうっすらと蒸発していった。
後には、砕け散ったシェーレの破片が仄かに光るだけだった。
だから、何も入っていないエイルゥの墓を作り、ビビはその前で祈りを捧げるのだった。
よく耳をすまし、目をこらせば、答えは必ずそこにある…。
ビビはそっと耳をすました。
───まァた、辛気臭い顔をしているナ!
───笑顔は、まだ作れないよ。
───あたしは満足いくだけ戦ったヨ。あンたはどうする?
───戦うよ。エイルゥの前に立っても恥ずかしくない姿を見せられるように。
エイルゥの声が聞こえ、姿が見えた……ような気がした。
彼女の残したシェーレの破片が、ビビの戦斧に取り付けられていた。
巨大なハルバードという槍と斧の両方の役割を果たす形になったそれを、ビビはまるでバトンのように軽々と振り回す。
ビビの戦争はまだ終わらない。
数日後、ホタル谷での野営生活を限界と悟ったクラウスと義勇軍は、ボルニアへと向かうこととした。
この周辺で無事な巨大都市は、ボルニアとセントヴェリアぐらいなものだった。
ボルニアではかつてないほどの歓呼をもってクラウスは迎え入れられる。
ホタル谷の戦いの勝利により、〝英雄”クラウスの名声は絶頂に達していた。
ボルニア総司令の〝宿将”アーウィンは、膝を折ってクラウスの前に現れ、彼にボルニア軍の全権を委ねることを宣言した。
この時より、クラウスは正式なアルフヘイム正規軍の将軍となったのである。
義勇軍もそのままアルフヘイム正規軍に編入され、特にクラウスの身の回りを守る〝親衛隊”なども組織された。
一方、甲皇軍は第三打撃軍1万を失ったが、それでもまだ6万を超える大軍がボルニアへと迫っていた。
その中には、クラウスに煮え湯を飲まされ、復讐に燃えるバルザック〝少佐”の姿もあった。(降格処分を受けた)
───斯くして、クラウスの戦いはいよいよ激しさを増すのだった。
つづく