25話 裏切りと復讐と
未来は不確かなものだわ。
精霊の力で未来が見えるというのも、そこまではっきりとしたものではない。
なんとなれば、精霊は現世の人々とは異なる価値観を持ち、なかんずくその言葉は曖昧で回りくどくて、人の理では理解しがたいもの。気まぐれだし、必ずしも善人の味方でもないし、正しき道を啓示してくれる訳でもないから、祈りにも呪いにも等しく願いを聞き遂げる。
それを良いことに、事象のすべてを精霊の意思として、貴族を僭称し人々を支配するエルフは同族ながら忌まわしいものだわ。
悪しきことに精霊の力を使う人々も後を絶たない。
私のような巫女やごく一部の人にしか精霊の声は聞こえないからと、その言葉まで捻じ曲げ、都合の良いように解釈するばかり。
精霊を崇める人々は、私を精霊の森の巫女と崇めるくせに、その扱いは籠の中の鳥のよう。外の世界を見ることもできず、生き方を選ぶこともできず、もちろん誰かを好きになることも許されない……。
だからいつしか、私は精霊の声を軽んじ無視するようになってしまっていた。
でもあの時───レンヌの町が陥落した日、私の目の前で両親が殺されたあの日に───。
もっと精霊の声に耳を傾けていれば───いえ、後悔しても遅すぎる。精霊はずっと大きな危険が迫っていると伝えてくれていたというのに───。
───ああ、何よりも忌まわしいのは私自身だわ!
私は、私を守ってくれていた人々を疎ましいとさえ思い、彼らを守るための言葉を伝えようとしなかった。
私は、罪を償わなければならない。
もうあんな思いは……後悔はしたくない。
もうこれより先、精霊の声は一言も聞き漏らさず真摯に受け止め、未来を読み取らねばならない。
───だから、両親を殺したこの男の運命が見えたところで、そのことで心をざわめかせることはないのよ。
復讐を遂げるチャンスが見えただけなのだから。
ダヴ歴456年4月。
甲皇軍にほとほと嫌気がさしていたバルザックは最後の賭けにうってでた。
上官のクンニバル少将から精霊樹の探索を命じられたのを良い機会として、アルフヘイム側へ亡命を図ろうというのだ。
バルザックは、信頼できて、同じく甲皇軍や戦争自体に疑問を持っていた数十人の部下たちも誘った。
甲皇国陸軍は、主に丙家によって掌握されている軍で、丙家にあらずんば人ではないというほどに主だった将官は丙家の流れをくむ。
その麾下にある兵士たちも、丙家領出身者とそれ以外の地域出身者で、明らかな違いや差別があった。だいたいが、甲・乙・丙家以外の領地出身者は、本国でも下層民として扱われているのだ。
そんな中、SHWの流れをくむクンニバルの第三打撃軍の居心地は、丙家領以外の出身の兵には良いものだった。
とはいえそれでも嫌気がさすほど、この戦争は丙家主導で行われてきた。負け戦がこんでいるアルフヘイムでも脱走兵が相次いでいるというが、戦線が膠着して無謀な作戦に駆り出されるなら丙家以外の出身者で占められる第三打撃軍に振られる可能性は高い。
そういう訳で、バルザックの脱走に付き合おうという兵もそれなりにいたのだ。
計画は綿密に立てられ、精霊樹探索のための準備と偽り、機械兵やプレーリードラゴンが多数用意された。
単に自分たちだけで軍を脱走しても、下手をうって裏切者として捕らえられればおしまいだ。
置き土産に、魂を持たずどんな死地にでも向かう機械兵らに命令をくだしてきた。
爆弾を抱え、軍陣地で自爆してこいと。
そうして迎えた決行日。
クンニバルやオーボカがいる第三打撃軍では深夜に謎の爆発が相次ぎ、軍陣地は擾乱の極みに達した。
その爆発でクンニバルやオーボカを爆殺できたかは定かではない。確認したいところだがそんな余裕はない。
───この裏切りが他の甲皇軍に気付かれる前に、一刻も早くこの場を立ち去らねば。
アルフヘイムへ亡命するための手土産として、ニフィルやアナサスといった捕虜たちも解放した。彼らも連れ出し、まずはボルニアへと向かうのだ。
プレーリードラゴンにまたがり、バルザックとその部下たちは甲皇軍陣地を後にした。
───あばよ、我慢汁を抑えきれないリョナ趣味の変態どもめ!
未練はまったく無い。思えば、甲皇国ではうだつの上がらない人生だった。軍人として芽が出ないばかりか、いずれクンニバルに縊り殺されかねなかった。
甲皇国でも人間至上主義を掲げているのは、甲家と丙家ぐらいで、クンニバルもそうだが俺の家系ももとはSHWから流れてきた一族だ。元から亜人にそこまで嫌悪がある訳じゃない。金儲けのために亜人を捕らえて売ったりもしてきたが、別に虐殺したいとか根絶やしにしたいなんて思っちゃいない。
亜人よりもむしろ人間の方が恐ろしいというのは、甲皇軍にいれば嫌というほど感じてきたことだ。
俺の軍人人生の寿命を縮めてくれたクラウスには思うところもあるが、この際水に流してやろう。
アルフヘイムへの亡命も一時のことで、さすがについ先日まで敵国だった国に居を構える気はない。
今こそ、SHWに亡命すべき時なのだ。アルフヘイムに巫女や捕虜たちを手土産にする代わりに、俺たちの身の安全とSHWへの亡命を奴らに図ってもらうとしよう。甲皇国にいる上の兄には悪いが、SHWの下の兄を頼ろう。
そうだ、今こそ人生をやり直す時なんだ……。
工場から排出される黒い煙が絶え間なく町中に漂い、一寸先も、将来の見通しのように見えない甲皇国。
だが今、この雄大で美しい自然をたたえたアルフヘイムにおいて、将来の見通しは晴れやかに輝いて見えるようではないか。
バルザックは、ちらりと後方のプレーリードラゴンの背に乗るニフィルの姿を確かめる。
別にこの女に情が移ったからと、この決断を下した訳ではない。
捕虜の中でもニフィルは別格の存在である。
彼女は“精霊の森の巫女”と呼ばれており、レンヌの町を陥落させた時もアルフヘイム側が必死に守ろうとしていた人物だ。
精霊国家アルフヘイムというぐらいだ。エルフどもの中では、精霊の声を伝える巫女というのは王女のように高貴な存在なのだろう。
───ならば、その巫女を救ってきたとあらば、アルフヘイム側も俺を無下にはすまい。
俺がレンヌの町を陥落せしめた張本人というのも、この女たちを救う代わりにと口止めしてある。
この決断は間違っちゃいないはずだ。
きっとギャンブルの女神は俺に微笑むさ。
ゴロゴロゴロ……。
ギャンブルの女神は、雷を司る神と浮気しているようだ。
先程まで4月の秋の空にしては強い日差しの青色の空だったのに、夕方になるにつれてどんよりと鈍色へ移り変わっていたので、嫌な予感はした。
やがて、黒い雲が立ち込めてきた。雷鳴が轟き、あの忌々しい竜人族どもの咆哮を思わせる稲光が黒雲の合間から走っている。
これではまるで、俺たちに運命の暗転を受け入れろと嘲笑っているかのようだ。
そう思っていると、ざぁざぁと大粒の雨が地面を叩きだし、プレーリードラゴンたちが不平そうにぐぇぐぇと泣きわめきだした。
乾燥地帯のステップを走るドラゴンたちは、雨でぬかるんだ大地を走るのは不得手だし、寒さにも弱い。
雨外套をまとってドラゴンの背に乗るだけの兵士どもと違い、ドラゴンたちは雨礫に濡れた鼻先から白い息を吐きだし、いかにも辛そうだ。
まだ先は長いだろうというのに、これはまずい。
「バルザックさん」
背後を走るニフィルが声をかけ、細い指先を、切り立った崖が突き出た岩山を指し示す。
崖が天井のように覆いかぶさり、雨が入り込まないように少し丘状に土地が盛り上がっている場所だった。
岩山には大きな洞穴が見える。そこへ避難しようというのだ。
「よし、大休止としよう」
先は急がねばならないが、こんなところで足となるドラゴンたちを潰す訳にもいかないし、この土砂降りが止む気配もない。
洞穴の中へと、次々と兵を載せたプレーリードラゴンたちが避難していく。
しきりに雨が地面を叩き、土壌が流出して泥濘となり、洞穴の外では自然の猛威がすべてを押し流そうとしている。
すべての兵とドラゴンたちが洞穴へと入ったあたりで、後方で地響きがした。
洞穴の入り口に落石があり、土砂が洞穴の中にまで雪崩れ込んできていた。
僅かに光が見えるので、完全に塞がれてしまった訳ではない。
「慌てるな。夜が明けてから土石を排除すればいいだろう」
それに追っ手がかかっているかもしれないし、この土石で洞穴が隠れているのは好都合かもしれない。
ポジティブに考えるようにして、洞穴の中を松明で照らしながら見渡す。
「思ったより奥も広い洞穴だな……」
松明を洞穴の奥へ向けると、容易にその光も届かないほど、かなり奥の方にまで空間が広がっているようだ。
何らかの亜人でも住み着いていそうな広さである。念のために探索をしたいところだが、肩にずしんと疲労を感じる。
甲皇軍陣地を抜け出してから、一昼夜ほども不眠不休でプレーリードラゴンの背に揺られ走ってきたのだ。
兵どもの顔にも疲労の色は濃い。
「休むとしよう……」
入り口の方へ僅かな見張りを立て、洞窟の壁を背に、持参してきた毛皮のマントにくるまって眠れと指示をする。
甲皇軍で流行の兎人族の毛皮を剥いで作ったマントは暖かく……。
夜が明ければ、また雨も晴れれば……。
やがて兵たちのいびきが聞こえてくる。
今は何も考えず、泥のように眠るがいいさ。
きっと明日は良くなるさ。
───だが、彼らに明日は無い。
洞穴の中は、むせかえるような生暖かい血の臭いに覆われていた。
岩でごつごつした地面に、体から流れ出て間もなくて体温が残った血の小川が幾つも流れ、血だまりの池を作っている。
洞穴の外ではざぁざぁと降りしきる雨音が激しく、剣や槍が肉を穿つ音、悲鳴や絶叫さえも掻き消していく。
雷鳴が轟き、稲光がカッと不吉な真っ黒の鎧を映し出す。
「や、やめ───」
腹を裂かれ、それでもまだ息があって命乞いをするバルザック。
だが差し伸べられた手は、腕ごと切り払われ、新たな血だまりを地面に作る。
「……騙しやがったな……」
血走って恨みがましい目を、バルザックはニフィルへと向ける。
この洞窟に誘い込んだニフィルには、こうなることは分かっていたのだろう。
洞窟の奥に、相当数の武装した亜人兵らがいたのだ。
アルフヘイム側でも正規軍以外に、甲皇軍に対し襲撃をしかけてくる非正規の亜人兵部隊は色々といた。
クラウス義勇軍がその最たるものだったが、辺境の守備兵や、SHWから流れてきた傭兵軍などなど。
だが、少なくともそれらは非正規といっても戦争をしようとしている連中だが…。
今、バルザックたちの目の前にいる亜人兵たちは、戦争ではなく復讐のために戦っている連中だった。
その残忍な手口から、アルフヘイム正規軍に合流することもなく、独自の戦いを繰り広げる彼ら…“エルカイダ”は、甲皇軍では上層部がようやく問題視しはじめている存在で、甲皇国の人間至上主義とは真逆に、亜人こそが神に近い存在と定義する組織だ。詳しいことは分かっていないが、戦災孤児などを取り込んで過激に甲皇国へ復讐しようと攻撃してきていると言われている。バルザックはクラウス義勇軍以外にエルカイダも殲滅するように上から指令を受けていたが、神出鬼没の彼らの行方は中々掴むことができなかった。よりによって、初めて目にする彼らの潜伏先の一つがこの洞穴だったとは……。
エルカイダにとって、眠りこけたバルザックらを屠ることなど造作もないことだし、元から脱走兵であるバルザックたちに戦意はまったくなかった。
やめてくれ、俺たちは戦争に嫌気がさして逃げてきたんだ。あんたら亜人たちを害しようなんて気持ちはこれっぽっちも……。
言葉を尽くして命乞いをするが、その口に向けられたのは剣の鉄の味だった。
エルカイダは、虐殺に走る甲皇軍兵士のように、まったく容赦が無かったのである。
「我が名は黒騎士」
エルカイダを指揮する首領、黒騎士ヴァニッシュド・ムゥシカは、実に禍々しい姿だった。
精霊の祝福を受けたはずの鎧は、呪いを帯びて黒く染まったという。その漆黒の鎧は返り血に染まり、赤黒く変色している。表情がうかがいしれない面頬の奥の眼光が、爛々と狂気によって白く輝き、瀕死のバルザックを冷徹に見下ろしていた。
「目には目を、歯には歯を、血には血を! 我が同胞の嘆き、怒り、思い知るがいい……」
バルザックには反論ができない。
甲皇軍が亜人を虐殺してきたのは紛れもない事実だし、自分たちに戦意が無いと言っても、それで彼らの恨みが消えるはずがない。
人間至上主義を掲げる丙家じゃないんだ、同じ甲皇国人といっても俺たちは亜人に恨みがある訳じゃないんだ。
そう叫び主張するも、唾を吐きかけられるだけだった。
当然だ。彼ら恨みを抱えたアルフヘイムびとにとっては、甲皇国人の違いなどどうでもいいし、等しく憎い仇だ。
なぜ、受け入れられるなどと思っていたのだろうか。熱くなって冷静さを欠いていたのか。無謀な賭けと負けて初めて思い知る。
「ニフィル……」
慈悲を乞うならば、せめてもの望みを賭け、救い出してきたエルフの巫女へ。バルザックは、切り落とされて指を無くした手を、ニフィルへと差し伸べる。
「巫女どのよ」
一方、黒騎士は、ニフィルに自身の持つ漆黒の魔剣を差し出す。捕虜とされた屈辱を自らの手で晴らすのだ。そう黒騎士は叫ぶ。
「………」
ニフィルは、はらりと自身の目隠しを取り払う。爛々と輝く黄金色の瞳が、復讐の炎で燃え上がり、バルザックを睨みつけていた。
「あなたは、私の両親を殺したのよ」
バルザックは余りに多くの人を殺めてきたので、その中にニフィルの両親がいたことなど想像もしていなかったのだ。
黒騎士の手から魔剣を受け取るニフィルの姿を認め、バルザックの顔が絶望と諦観に染まる。
「へへ、ツイてない人生だったが…」
「殺せ」
無情に、黒騎士が命じる。
漆黒の魔剣が振りかぶられ、その刀身が変色していき黄金色に輝く。
───美女に殺されるなら、悪くねぇかもな…。
バルザックの意識はそこで途絶える。
洞穴の外でまたも雷鳴が轟き、断末魔の叫びは掻き消された。
つづく