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32話 ユリウスの憂鬱

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32話 ユリウスの憂鬱






 ダヴ歴456年7月。
 甲皇国帝都マンシュタイン。
 この都の歴史は古い。
 500年ほど昔、甲皇国の前身となる甲家の英雄マンシュタイン大王が周辺小国を併合していく過程の中で、デーニッツ大河による水利に恵まれたこの地に都市が建設されていった。大王が周辺小国を征服するたびに周辺小国民も奴隷として連れてこられ、やがてこの大陸の政治・経済の中心として繁栄を謳歌するようになった。
 そのような歴史があるため、この町は貴族と平民・下層民の領分がはっきりと隔てられている。貴族たちが住む清潔で治安の良い上町と、平民や下層民たちが住む猥雑で混沌とした下町とに。
 周辺諸国へ侵略戦争を繰り返す甲皇国だが、代々の皇帝の厳格な法と統制のおかげもあり、帝都は激しい格差社会ではあるが概ね平穏と言える時を刻んできた。
 それが今や……。
 2か月前に帝政打倒・人民の平等を企図して起こったマルクスによる暴動は、夥しい血と涙を流しつつ、皇女ガデンツァの機械化兵部隊によって鎮圧された。
 しかし、暴動の首謀者たるマルクスの行方はようとして知れず、帝都各所にはマルクス一派が潜伏し、彼らによる貴族や軍関係者へのテロリズムが頻発している。いつまた大規模な暴動が起こり、多くの血が流される事態となるか予断を許さない。
 機械兵が単眼を光らせ市民を監視し、テロリストたちが貴族を殺そうと機を伺っている。
 上も下も人々は眠れぬ夜を過ごし、家の中で息を潜めている。
 上町は華麗な貴婦人たちが談笑し、下町は猥雑な市場が活気づいていたあの帝都が、今やどこの田舎町だというぐらいに静けさに包まれているのだ。
 アルフヘイムとの戦争による経済疲弊、戦死を遂げた兵士の遺族たちの嘆き、そしてテロリズム。
 帝都各所に設置された拡声器から、戦地からの華々しい戦果を伝える大本営発表だけが空々しく響く。
 花の帝都?
 いや、これは死にかけた老人だ。
 ちょうど、老いからくる大病と、後継者争いによる苦悩で臥せっている皇帝クノッヘンのように…。
「文字通り、クソッたれた故郷だ……」
 紙巻タバコをふかしながら、ユリウスは吐き捨てるように呟く。
 数十年前はもう少し綺麗な空気だったらしいが、今は空気まで淀んでしまっている。月の高い夜だが月明りは僅かにしか届かない。工場からの煙が空を覆い、どんよりとした空。
 その空のように、ユリウスは陰鬱な気分だった。
 皇居グデーリアン城の敷地内奥深く、皇太子のためにあてがわれた邸宅。
 そのバルコニーで、ユリウスは火照った体を冷まそうと、その鍛え上げられた裸身を月の女神に見せつけるように晒していた。
 バルコニーにつながる寝室の方では、数多くの娼婦たちが息も絶え絶えにぐったりしながら体中から汗を噴き出してシーツに裸身を横たえていた。
 地獄のような戦場から生き延びた後、生存本能からだろうか、女を抱かずにはいられなかった。
 帝都の娼婦をしょっちゅう買っては有り余る精力を解放しているのだ。
 つまり、弟が男娼のようにされ嬲り者となっている時、兄は娼婦を買っていた。
「殿下、何を考えていらっしゃるの…?」
 ふいに、ユリウスの背後から裸の女がしなだれかかった。
 豊満な乳房、優美な曲線を描くくびれ、蠱惑的な褐色の肌。
 その女、サーシャ・グラバスはSHWの超高級娼婦である。一回の料金で小さな村や町が丸ごと買えるほどの金額。それほどまでの快楽を与えてくれる体と性技を備えているのだ。
 ユリウスはサーシャを気に入り、たびたび自身の邸宅に呼びつけていた。
「ふん、何でもないさ」
 ユリウスはサーシャの方を振り返ると、軽々と体を抱き上げてベッドに放り投げた。そして上から覆いかぶさり、乳房をきつく握り、口を吸い、性器を手で弄ぶ。
「あ…あぁ、殿下、そんなに激しく…」
 やがて室内には、サーシャのつややかな嬌声と、ベッドの足組がギシギシと軋む音、そして淫靡な水音だけが響く。
 黙々と腰を振りながら、ユリウスは激しい怒りを覚えていた。
 皇女ガデンツァのことである。
 まだ自分に対して協力的な態度を見せるエントヴァイエン皇子やカール皇子などは良い。やつらはやつらで何か企みがあるようだが、表立って自分に対抗しようとはしていない。
 だがガデンツァは自分に対して敵愾心を隠そうとしない。
 ちなみにユリウス・エントヴェイエン・ミゲルの三人は、皇帝が高齢となってできた息子たちである。ガデンツァやカールはユリウスよりも先に生まれた皇子の子供、つまり皇帝から見ると孫にあたる。ただユリウスやエントヴァイエンらと余り年齢は変わらないので、ガデンツァやカールはユリウスを「おじ上」ではなく「兄上」と呼ぶ。
 そのガデンツァは、少女時代は健康ではあるが少し体が弱かった。ゆえに、皇位継承権争いに勝ち残るため、体内を機械化し、驚異的な身体能力を持っている。妊娠はできるらしいが毒も効かないから暗殺は難しい。
 ユリウスが皇太子として即位しても、それでもガデンツァは皇帝の座を諦めたわけではなかった。
 着々と皇居内での派閥を作り、多くの青年士官がガデンツァに取り込まれていった。
 レドフィンによる“竜の牙”による災禍が起きた後、ガデンツァは帝都を防衛するという名目で、武装親衛隊なる組織を作った。その規模は今や陸・海・空軍に次ぐ第四の軍隊と言えるほどだ。
 こたびの“五月一日の反乱”においても、武装親衛隊がなければ帝都はマルクスの手に完全に落ちていたであろう。
 暴動を鎮圧したことで、ガデンツァを支持する青年将校が増えている。
 ガデンツァの支持者が武装親衛隊のみならず、丙家が主導する陸軍、乙家が主導する海軍、ゼット伯爵が主導する空軍へも広がれば厄介なことになるだろう。
 ただでさえ、ユリウスはナルヴィア大河の戦いで無意味な戦死者を多数出し、軍関係者からの株を下げているのだから。
「ふぅ……」
 ひとしきりサーシャを抱いて満足すると、ユリウスは葡萄酒のボトルを空け、豪快にラッパ飲みをする。
 女ぐらいしか見るものがいないところでは、素が出てしまい、こうやって少々下品な振る舞いもしてしまうのだった。
「うふふ、殿下ったら……先程はどなたの顔を思い浮かべていらっしゃったの?」
「黙れ。賢しいぞ、サーシャ」
 ガデンツァの生意気な顔を思い浮かべていたとは、口が裂けても言えるものではない。
 ユリウスの怒りはまだ収まらない。
 ミゲルのことだ。まだ十四歳でおぼこい顔をしているが、実はとんでもない腹黒なガキである。
 ミゲルは皇帝が七十をとうに超えてからできた奇跡の息子である。末子ゆえに最も皇帝の寵愛を受けている。生まれた当初は皇位継承権も低かったのでユリウスは大して気に留めていなかったが、皇位継承権争いが激化して皇族の暗殺事件が相次ぐ中……気が付くと第三位皇位継承権者にまで上り詰めていた。
 実は、ユリウスとミゲルは大変似た生い立ちである。
 ユリウスの母は乙家の姫君エレオノーラ。
 ミゲルはそのエレオノーラの妹タチアナを乳母としている。
 かつて純粋な少年だったユリウスは、皇帝の寵愛を受けつつ、ホロヴィズの人間至上主義的な教育を受け、純粋培養的にその考えに染まっていった。
 ミゲルも同じ道を歩んでいたはずだ。にも関わらず、タチアナを乳母としていたためか乙家の平和主義的な考えを捨てておらず、むしろ乙家の者達との交流ばかり好むようになった。
 皇帝は筋金入りの少年愛倒錯者である。多くの子をなしたが、その母となった多くの妃たちには冷淡であり、実際には小さな男の子しか愛していない。ミゲルもユリウス同様に皇帝の毒牙にかかったはずである。
 つまり、ユリウス同様にミゲルも皇帝を憎んでいてもおかしくない。
(……にも関わらず、あのガキは病床の皇帝にぬけぬけといたわりの言葉をかけていた)
 ユリウスがしぶしぶ皇帝の見舞いに訪れた時、ミゲルはにこやかに甲斐甲斐しく皇帝を介護していた。つまり、皇帝のクソまで嫌な顔一つせず処理していた。
 ボケ老人はこういうのに弱い。……いや、皇帝は体は流石にもう動かせないが、頭ははっきりしている。優しいミゲルに感動し、強引にやつを後継者にしようと考えてもおかしくはない。というぐらい、寵愛されている。
 それが天使のような慈愛の心からくるものか、腹黒に皇位継承権を狙う企みからかはどうでもいい。
 問題は、今やミゲルは、皇位継承権争いで最も厄介な敵になろうとしているということだ。
 ミゲルの暗殺は何度となくやろうとしたが、厄介な乙家の護衛どもがいるらしく、一度も成功していない。
「何とかせねばならないな」
 そう呟きつつも、ユリウスは手詰まりを覚える。
 皇帝の見舞いは終えたが、不穏な情勢の中、帝都を離れるわけにもいかない。
 戦場で活躍し、アルフヘイムを完全に征服してしまえば…と思ったが、その企みはアルフヘイムの英雄クラウスによって挫かれた。せめて、やつの首でも取っておれば…。
 ふいに、柔らかく暖かな乳房の感触が背中越しに伝わる。
「殿下のお悩みを解消してあげたいわ……」
 またもやサーシャである。
 もう何度抱いたか分からないのに、更にユリウスから精液を搾り取ろうと、飽きることなくねだってくる。
「まだ足らないか。この淫乱が」
 ユリウスもさすがである。底なしの体力でそれに応えようとする。
「ケツを出せ」
 ユリウスはサーシャの背後から尻穴を犯そうと考える。
「ふふふ……」
 淫靡に笑い、サーシャは指先でそれを広げて見せる。
 ひくひくと蠢く欲望の穴。
(───そういえば)
 ふとユリウスは弟のアウグストのことを思い出していた。
 アウグストの行方が知れない?
 ふん、あんな不出来な“自称”弟のことなどどうでもよいわ。
 もしアルフヘイムに捕らえられたというなら、下手に機密情報を吐かないうちに死んでしまえ。
 というぐらいに残酷に考えていただけだが。
「うふふ、うふふふふ……」
「ふぅ、ふぅ……」
 何度サーシャを抱いたことだろうか。
 サーシャは未だ笑みを浮かべてユリウスにまた違った体位でのまぐわいを求めるが、さしものユリウスもへばってきていた。
「いい加減にしろ、サーシャ! もう限界だ」
「あら、そうですか……? 私は色んな国の権力者に買われてきましたが、殿下はとてもお強いほうだったのですが……」
「お強いほうだと? 私より強いものがいるとでも?」
「そうですわね。例えばハイランド国王のゲオルク陛下とか……」
「なんだと!」
 この日、ユリウスの怒りと憂鬱は頂点に達した。
 サーシャから聞き出したゲオルクの情報。
 それは、強く、逞しく、底なしの精力を持ち、大変巨乳好きであったということだった。
 実は、このサーシャは人間ではない。何百年もずっと容姿を変えずに生きている。
 ……ということはユリウスは知らない。
 サーシャがゲオルクに買われたのは、ゲオルクが妃のエレオノーラに出会う前で一介の傭兵に過ぎない十八歳の頃だった。現在三十歳のユリウスに比べれば、若くて精力が強いのも頷けるところだ。
 が、サーシャが「ハイランド国王のゲオルク」と言ったことで、つい最近に買われたものとユリウスは勘違いしてしまう。
 ユリウスはゲオルクと直接会ったことはない。
 ただ、母エレオノーラや、弟アウグストからどのような人物かは聞いていた。
 己に容姿は似ているらしい。
 中身はまったく違うと言われたが……。
 まったく腹立たしかった。
 ユリウスにも自覚はある。自分がクノッヘン皇帝の実子ではないということを。
 だが、認める訳にはいかない。認めれば、己のすべてが終わってしまう。
 やはり、ゲオルクだけは、アルフヘイムの英雄クラウスよりも、ガデンツァやミゲルよりも、自身が乗り越えねばならない最大の敵なのだ。








つづく
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