42話 共闘
「ふしゅるるるる……」
クンニバル・オーボカの下半身部分のローパーの触手が蠢いていた。男性器を思わせる形状の先端からダラダラと我慢汁が溢れているが、その先端がまるで剣の切っ先を思わせるように、メゼツとビビに向けられている。
「くはははは! ボルニア攻略前に、精霊戦士に強化兵を食らい、更に魔力を増してやるとするか」
「恐れながら、閣下」
クンニバルの背後から、2メートルほどの長身でひょろっとした陰気そうな男が声をかける。ドクターゲコの弟で、機械工学博士であるドクターノッポだった。第三軍の主要な幕僚が死亡(クンニバルに吸収された)してしまい、科学者で利用価値があると見なされたドクターゲコとノッポの2人だけがクンニバルに従者のように付き従っていた。
「精霊戦士はともかく、メゼツ公子は甲皇国の兵士でもあります。それに、機械と融合した強化兵だからでしょうか? 私の計測器から測定される彼の魔素は……おかしいですね、まったく計測器の針が0から動かない。そう、ゼロ魔素です」
怪訝そうに、クンニバルは首をひねる。
「……魔素が無いだと? 芋虫だろうがミジンコだろうが生きていれば魔素は少なからずあるだろう。そんなことがありえるのか」
「分かりません。計測器の故障ではないようですし……いずれにしろ、魔素の大きな者を吸収することで閣下のお力は増すというもの。魔素の無い者を吸収しても意味は無いかと思われます」
「ふぅむ、なるほど……」
「それならあたしに頂戴よぉ! ショタァァァ! ショタチンポォォォ!」
クンニバルの隣のオーボカが荒ぶっている。
「いや、待てオーボカよ」
それをいさめつつ、クンニバルは立派な顎鬚を撫でまわし、口角を上げて笑みを作る。完全に悪巧みをしている顔だ。
「メゼツ公子よ」
クンニバルの目が爛々と輝いている。獲物を求める肉食動物のように。
「この場で会ったのも何かの縁だ。公子には己の身をどう処すべきか、選ばせて進ぜよう」
「……」
メゼツが冷たい目を向けつつ黙っているのを了承したと見なし、クンニバルは勝手に話を進めた。
「先程も言った通り、余はこの地に独立国家ボルチオ帝国を建国すべく、あの目障りなボルニア要塞を陥落せしめるつもりだ。が、未だこの身は甲皇国第三軍を指揮する将軍ではある。ここは余に従い……いや共闘し、ボルニアを攻めようぞ。さすれば、甲皇国に対してもその分け前をくれてやらんこともない」
「何と手前勝手で、傲慢な言い草だ……」
クンニバルの提案に、メゼツの背後のロメオ軍曹が呪わし気に呻いた。
「若様、あのような申し出、受けることはありません。クンニバル将軍は明らかに気がふれております。軍規を違反するどころか、配下の兵士を私物化し、甲皇国から亡命しようというのです。このようなことが本国に知られればいずれ討伐されるのは目に見えているでしょう」
「軍曹の言うとおりだ……ボルニア陥落は確かに俺たちにとっては任務達成に近づく道ではあるが、あのような化物と手を結ぶなど……メゼツよ、ここは……」
ロメオ軍曹の傍らにいたヨハン兵長も、そのようにメゼツに囁く。
「おい、おい、おい~~!」
そう叫びながら、醜い腹をゆさゆさと揺らして駆け寄ってくるのはボルトリックだった。ロメオたちの前に出て、心底馬鹿にしたように肩をすくめて見せる。
「お前ら、ばっかじゃねぇの~~~!!?? 何をそんな細かいことにこだわっているんだ!? お前らの目的は何だ、ボルニア要塞への潜入だろう!? その手引きにしても、俺はボルニアに出入りしてる商人だからこそ請け負ったんだがね、正直言って俺だけの力じゃリスクが大きすぎるのさ。だから、クンニバル将軍の軍勢と共に雪崩れ込むってのが正攻法じゃないのかね? ハゲワシ中尉と合流したのも最初からクンニバル将軍と合流するつもりだったのさ! いくら将軍がこんな姿になったからって、本来の任務を忘れるなよ! ほれ、メゼツ公子だって妹さんのためにここまではるばる来たんだるぅぉぉっ????」
「な、何をぬけぬけと、ごうつくばりの下賤の商人が!」
「誇り高い甲皇国軍人が、このような化物と共に戦えるわけがあるか!」
ボルトリックの言い分に対し、ロメオもヨハンも感情的に反発する。
「───黙れ、小童どもがッッッ!!!」
彼らの言葉を遮るように、クンニバルがこの世の者とは思えない大音量で叫ぶ。
びりびりと空気が震え、木々がざわめく。
耳の鼓膜が破けそうになる怒声に、その場にいた誰もが耳を押さえて顔をしかめた。
「……メゼツ公子よ、良く良く考えることだ! せっかく余がこの強大な力を振るい、共闘してやろうというのだ。ボルニア陥落は甲皇国にとっても僥倖であろう! 貴公が選ぶ道は二つ! 一つは余に従い、共にボルニアを攻め落とすか。だがもう一つは、余の意に背き、その魔素も持たぬ哀れな身を八つ裂きにされ、二度と蘇生もできぬようにはらわたを食いつくされるかだ! ゲヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」
クンニバルは、まるで喋るだけでオーガズムでも迎えているかのように、涎を垂らして白目をむいていた。ローパーと融合し、異様な風体に変わり果て、狂気と妄想に塗れた言動で哄笑する様は、もはや人などでは決してなく、ただの化物でしかない。
「……あれでも一応、軍略の天才として兵卒の尊敬を集めていた時期もあったんだがな」
メゼツは悲し気に呟いた。最初から、メゼツはクンニバルの言葉などろくに聞いてはいなかった。化物と変わり果てた彼らを見て、ただただ汚らわしく醜いと感じていた。
(それに比べて……)
メゼツはビビをちらりと見た。
対照的に、恐るべき敵でありながら精霊戦士ビビは美しい。何者にも屈せず媚びない表情。褐色の肌は艶々として、若くしなやかな肢体はのびのびと躍動し、雄々しくハルバードを突き出して突進してくる様は芸術的ですらある。確かに超人的な武力を持つが、化物などでは決してない。
ビビとの激しい戦いの最中、メゼツはビビを亜人と侮ることをやめた。実力が伯仲している相手には、雑兵を屠殺するようにはいかない。亜人を獣や化物のような存在と見下しているうちはどうしたって相手を理解できない。つまり息が合わずに高度な読み合いができず、攻略できないのだ。対等で同じ人間だと認めることで、ようやく相手の思考や信念や魂が感じられた。
───憎しみや嫌悪から殺すのではない。相手を理解し愛することにより殺す。
人と人。
強化兵と精霊戦士。
大剣とハルバード。
命と命をぶつけ合う。
最大の敬意をもって。
それが狂戦士メゼツの辿り着いた戦いの境地であった。
たった一振りで大勢の兵士を肉塊にしてしまう恐るべき一撃を何発も受け、命を落とす危険があるというのに、メゼツはそんな戦いを楽しんでいた。このままずっとずっと戦っていたい。その相手をいとおしいとすら感じつつ……。
だが、正真正銘の化物が相手では、そう思うこともできないだろう。
だから、この選択に迷いはない。
「精霊戦士───名は、ビビといったか」
「何よ、強化兵。気安く呼ばないで。ええと……」
「メゼツだ。なぁ、ビビ。俺とお前は敵同士だ。しかし、敵の敵は味方ともいうよなぁ?」
「何よ。あの化物を倒すのに協力しろってこと?」
「そうだ。乗るか? 俺とお前が共に戦えば……無敵だ」
「そうね……」
ビビの方としても、戦うべき脅威、倒すべき化物はどちらであるかは明らかであった。
何とか憎悪を燃やして戦おうとしたが、どうもこの強化兵メゼツは憎み切れないところがある。アルフヘイムの大自然と精霊の加護を受けているからこそ分かることもある。目の前の強化兵は、肉体を人為的に改造し、不自然な機械と融合した歪な存在だが、それでも人間の理性や健全な魂を感じられる。まだ、会話が通じ、分かり合える余地があり、少なくとも邪悪な存在ではない。
が、新たに出現した禍々しくおぞましい化物からは、大自然への脅威と生命への冒涜しか感じないのだ。
ビビの方としても、選択肢は一つしかなかった。
「───いいわ。ボルニアへ奴を近づけさせるわけにはいかない。この場で倒さなければ。だから、ここは共に」
「おう。奴を地上から消し去るぞ」
二人は背中を合わせつつ、それぞれの武器を握る手に力を込める。
「俺たちは」
「あたしたちは」
メゼツの大剣が、ビビのハルバードが、クンニバル・オーボカへ向けて突きつけられる。二人の表情に迷いはなく、退く気持ちはさらさらなく、激闘の末に疲れ果てて限界を迎えつつあったにも関わらず、新たな闘志に満ち溢れている。
「人は化物には!」
「決して屈しない!」
甲皇国の強化兵とアルフヘイムの精霊戦士。
最強の二人が手を結ぶ。
それは、この長い両国の戦争史上でも、恐らく初めてのことであった。
「交渉決裂だな!」
「馬鹿な坊やたちねぇ!」
そう叫ぶや否や、クンニバル・オーボカは、メゼツとビビに襲い掛かる。
無数の触手がうねり、一斉に二人へ弾丸のように放たれた。
「しゃらくせえええぇぇーーーー!!」
メゼツは大剣を振りかぶり一閃する。凄まじい剣圧が触手を防ぎ、切り刻んでいく。
だが触手の数は圧倒的すぎて、メゼツの剣圧が届かないところの触手が彼を包み込んでしまう。
「若ぁ!」
「メゼツ!」
ロメオとヨハンが慌てふためいて叫ぶ。
が、それは一瞬のことで、すぐさま安堵に変わる。
メゼツを守るように、ビビが炎の魔法を発動させ、触手を焼き切っていた。
「ぐぬぅぅぅ!」
触手を殆ど失ってしまい、クンニバル・オーボカが少したじろぐ。
「ちょこざいな! オーボカ!」
「分かっているわ~~STAP細胞、発動!」
オーボカの目が怪しく光り、クンニバル・オーボカの体全体が異様にうねりだす。すると、彼らの下半身のローパーについた斑点のような顔たちが「ひいぃぃぃ」と苦しく悲しそうに呻き声をあげ……やがて、ローパーの触手は完全復活して無数に蠢くのだった。
メゼツはぺっと唾を吐き、呪わし気に悪態をつく。
「くそっ、しぶとい野郎だ!」
「なら、再生できなくなるぐらい焼き焦がし、三枚におろして蒲焼にしてやるわ」
「ローパーの蒲焼か。あれ旨いんだよな」
「ええぇ……絶対まずいでしょこれは」
「甲皇国じゃローパーは食い物なんだけどな。屋台で売ってる」
「でもこれは食べたくない!」
軽口をたたきながら、メゼツとビビは楽し気に戦うのだった。
「何だかあの二人……」
「おう、楽しんでるな」
ロメオとヨハンが呆気に取られていた。
メゼツとビビは初めて共闘するというのに息がぴったりだった。軽やかに、踊るように宙を舞い、クンニバル・オーボカの体を焼き、刻んでいく。直前まで互いを本気で殺そうと激闘を続けていたのが功を奏していた。互いにどう動くのかが手に取るように分かるのだ。それは、それぞれが一人で戦うよりも、何倍もの相乗効果を生んでいた。
「兵長、我々も加勢するぞ!」
「おうよ軍曹。メゼツたちばかりにいいところを持っていかせやしねぇぜ」
ロメオとヨハンはそれぞれ銃器を手に取っていた。ローパーの弾力性に富んだ皮膚は並の剣では傷つけられない。弾丸を叩き込む方がまだ効果的なのだ。
「いくぞ兵長!」
「オオオオオーーー!」
甲皇軍兵士の標準装備であるフリントロックマスケット銃の弾丸を斉射する二人。連発銃とはいかないが、ハゲワシ中隊が放棄していった銃がそこらにころがっているため、猛スピードでロメオが弾込めに専念し、ヨハンが狙いを定めて次々と引き金を撃つことで、連続して何発もの弾丸を撃ち込むことができた。
クンニバル・オーボカの上半身は生身である。そこに弾丸を撃ち込まれては流石に痛いはずである。実際、クンニバル・オーボカは弾丸が撃ち込まれる度に苦し気に呻き声をあげている。が、STAP細胞とやらがたちまちその傷を修復していた。
「やはり一筋縄ではいかんか」
「待て、ローパーと言えば、弱点は……」
「では、ようやくこいつの出番ですね」
がしゃん、がしゃん。
無機質な足音を響かせ、機械甲冑をまとったガロン一等兵が現れる。
「おお、ガロン! 待っていたぞ」
頼れる部下の出現に、ロメオが歓喜の声をあげる。
機械甲冑には様々な兵器が装備されており、高温の蒸気を発射するスチームブロウや火炎放射器などもある。ガロンも普段は誘爆の危険があるとしてスチームブロウを装備していたが、この時ばかりは火炎放射器を選択していた。
そう、ローパーは火が弱点なのだ。
ガロンの火炎放射器は絶大な威力だった。ビビの火炎魔法と同様に、その威力はクンニバル・オーボカの触手をまったく寄せ付けない。ローパーの下半身もじりじりと焼け切られていき、体表面についた斑点がどんどんと数を減らしていく。
「どうやら……」
「ええ、あの斑点のような顔は、魔素を吸収された者達のしかばねのようです。あれが消えると同時に奴の体が再生していますから、すべてなくなれば再生できなくなるのではないでしょうか」
ロメオやガロンの分析は図星だった。
クンニバル・オーボカは、度重なる銃撃や火炎攻撃にたじろぎ、巨体を揺らしながら後退していく。
「おのれ……おのれぇぇ!」
「クンニバルさぁん、かくなる上は……」
「分かっている!」
クンニバル・オーボカの攻撃は触手だけではなかった。
彼らは、その肥大化した上半身を更に増大させたかと思うと、眩いばかりに発光した。
「ちっ……何だ、目くらましか!?」
メゼツたちが眩しさの余り目を覆う。
そして次の瞬間、クンニバル・オーボカの巨体から大木のような腕が伸び、ガロンへ向けて放たれた!
「ぐおおお!」
巨大な腕からのパンチを喰らったガロンは、かなりの重量があるはずの機械甲冑ごと何メートルも吹っ飛ばされた。
「ガ、ガローン!」
後方で震えていたウォルト二等兵がガロンに駆け寄る。
機械甲冑の破片があちこちに散らばっている……甲冑のおかげで何とか中にいたガロンの体は守られ、死んではいないようだ。が、死んだように気絶してしまってぴくりとも動かない。
「ぐははは! 見たかロケットパーンチ!」
哄笑するクンニバル。ローパーと融合したことにより、クンニバルの肉体は十歳以上は若返って艶々とした筋肉美を見せていたが…更なる魔素を込めることで、その右腕を大木のような剛腕にして、ゴムのように何十メートルもロケットのように伸ばしてパンチを繰り出すことができるのだった。ガロンはたまたま機械甲冑をまとっていたので死なずに済んだが、あれを生身で受ければひとたまりもなかっただろう。
「魔素を込めれば、こんな芸当も可能だ…!」
そう言うや否や、オーボカの目が怪しく光る。
彼女の口内からレドフィンのようなブレスが放たれる。ビームのように伸びるそれは、周囲で銃撃を浴びせていたロメオやヨハンを襲う。
「うおおお!」
「づあああ!」
叫びながら身をよじってかわすロメオとヨハン。だが広範囲に放たれたブレスの一部がかすめ、二人は軽傷を負い、転がっていた銃器も焼き払われてしまう。
「ブ、ブレスだと……!?」
「そんな。ブレスというのは……竜人族特有の技のはずでは……」
ロメオたちが驚くのも無理はなかった。
ブレスとは……「逆鱗」という魔素の統制機関が体内の魔素を変換してブレスとして吐き出される。逆鱗は純粋なドラゴンにより近い一部の竜人族にしか備わっていないものなので、逆鱗を持たない他種族には使えないはずだった。
しかし、クンニバル・オーボカは、その逆鱗を体内に備えていた。ボルニア周辺をうろついていた名もなき竜人を生きながら吸収していたのである。そしてクンニバル・オーボカの巨体に秘められた魔素は尋常な量ではなく、そのブレス攻撃も十分に脅威となっていた。
「……奴は、様々な生物を吸収して、天井知らずに強くなっていくのだろう。このまま放置すれば、いずれとんでもない化物となってしまう」
今でもとんでもない化物ではある。触手に少しでも触れれば精気を吸われて年老いて死んでいくし、長大なリーチの巨木がブチ当たるようなパンチが飛ぶし、強力なブレスまで吐く。更にはあの巨体でメゼツとビビが何度切り刻んでもびくともしないローパーの生命力と、STAP細胞の再生能力まで備えている。
「こんな化物、どうやって……」
絶望に打ちひしがれ、足に受けた傷もずくずくと痛む。ロメオはうずくまって頭を抱えるしかなかった。
「たかが人間には、どうすることもできねぇのか……」
余りの化物ぶりに、人間の強さの限界を悟り、ヨハンももう気力が萎えてしまい、じっと地面を見つめてうなだれる。
「……ああああ」
同僚のガロンは気絶してしまうし、ウォルトも恐れのあまり立ち上がれない。
「はぁ、はぁ……」
そしてビビも、息を切らせて苦し気に喘いでいた。心なしか、顔が赤い。
クンニバル・オーボカの下半身はローパーである。その触手から放たれる淫靡な香りが、女性であるビビを悩ましい気持ちへと誘っているのだ。
「大丈夫か、ビビ」
「余り大丈夫じゃない……あいつの前にいると力が抜けていくようだわ。それに、あんたとの戦いで、魔力がそろそろ底を尽きかけているの。せいぜいあと1回ほどしか、あの化物に攻撃できるような魔法は使えないでしょうね」
「……そうか。じゃあそろそろトドメを決めねぇとな」
大剣を肩に担ぎ、それでもメゼツはまだ余裕ありげに呟く。
「トドメですって? まだ奴はピンピンしてるわよ。何か策はあるの、メゼツ」
驚いてビビが問うと、メゼツは飄々とした笑顔を見せる。
「策というほどのもんじゃねぇ。俺は魔法が使えないからな。だから……」
「ああ……そういうこと。分かったわ」
メゼツが最後まで言わないうちに、ビビはメゼツの言いたいことを察していた。
「魔導の十五、デュランダルの刃!」
ビビの魔法により、メゼツの大剣が炎を帯びる。
何物でも焼き切ることができるような、超高温の魔法の剣。
「でかいのを一発、食らわしてやってよ」
ビビがお転婆少女のような笑みを見せると、メゼツも悪戯小僧の笑みで頷く。
今や、メゼツの心は穏やかで、一寸の乱れもなく静かであった。これこそが戦いを極めた達人の域に違いない。静かでいて、何者よりも熱い。自然体でありながら、五感だけが研ぎ澄まされ、神経が今にも焼き切れそうだった。
といって、軽々しく動いて突撃するわけではなかった。クンニバル・オーボカの放つブレスやパンチや触手攻撃の間合いを読みながら、返す刀で強烈な一撃を叩き込む隙を伺う。クンニバル・オーボカとしても、メゼツの大剣から放たれる尋常ではない魔素の輝きにたじろぎ、易々と攻撃に移れずにいた。
互いに殺気に満ちた空気が張り詰め、羽毛ひとつ舞い散る隙さえなくしていた。
水を打ったような静けさが、あたり一面を支配していた。
その殺気のぶつかり合いのため、観戦するロメオやヨハンたちは、喉をごくりと飲み込むこともできぬ緊張感を味わい、喉がからからに乾いていく。
メゼツがにじり足で距離を詰め始める。
クンニバル・オーボカも間合いを図りつつ、右腕の筋肉を巨大に膨らませていた。メゼツが飛び込んで来たら即座にあの強烈なロケットパンチをお見舞いする腹積もりであった。
「あああああああ!」
突如、オーボカが叫び声をあげた。武人であるクンニバルと違い、研究者的な立ち位置の魔女であり戦いには慣れていないオーボカには、この緊張感に耐え切ることができなかった。触手がうねり、オーボカが目を輝かせながら勝手にブレスを吐こうと魔素をためている。
────今だ!
メゼツは後ろ足で地面を蹴った。踏み込み足を前に放り出しながら、空に高く跳躍する。体もろともぶつけるかのように、大剣をぶつけようと、上段の剣を振り下ろす。
白。今度は白の世界だった。
オークやリザードマンなどの亜人兵を殺戮していた時は、昂りが心を支配し、敵の血の色のためか赤い世界が見えていた。
だが今は、その先の世界、白い世界が広がっている。
ビビの、亜人の力を借りて戦うことに何のこだわりもなくなっている今のメゼツには、人だの亜人だのを乗り越えたところにある世界が、悟りを開いた真の戦士だけが見える世界が広がっていたのだ。
その眩い光の中に、メゼツは神をみたように思った。
つづく