56話 愛する者を守るため
「フェデリコめ、早まりおって…!」
悪態をつくのはサウスエルフ族の将軍シャロフスキー。
フェデリコと同じく、アルフヘイム最高の貴族であるラギルゥー族の係累である彼は、この戦争を終わらせるための秘策をラギルゥー族本家の三兄弟から授けられ、各所へ根回しをしながら慎重にことを進めようとしていたところだった。
団長のシャロフスキーに無断で、副団長のフェデリコが黄金騎士団の配下を動かし、クラウス拘束のために騒ぎを起こしていると報告があがってきた。
「……だが、これは僥倖かもしれんな。アッシュ大公よ、我が配下からの報告は聞いたであろう! もはや猶予はならん。直ちに態度を決めてもらおうか」
シャロフスキーの振り返った先には、ボルニアの玉座に泰然と座る…ボルニア領主であるウッドピクス族長・アッシュ大公の姿があった。樹人とも呼ばれる彼らは、エルフや獣人らと違って独自の価値観や美意識を持っている。容姿にしても種族の差が違いすぎて個々のウッドピクス族の見た目もつきにくく、表情も読めない。シャロフスキーから見たアッシュは、いつもと変わらぬ無表情に見え、何を考えているか推し量れない。
「ボルニアは危機に瀕しておる。甲皇軍の包囲にあい、アルフヘイム最後の守りの要として最前線に置かれて久しい。だが、アリューザの敗戦のために、ボルニアを守るべく駐屯しているアルフヘイム正規軍は弱体化した。あと何年かは持ちこたえることはできるかもしれないが、じり貧だ。ならば、余力のある今のうちに…甲皇軍と和睦しようというのは最善の策ではないか!?」
「……だが、そのために」
アッシュ大公は重苦しく口を開く。その声はまだ若く、貴族的な優雅さが見られる。
「これまで数々の功績をあげてきた英雄の命を差し出せというのか」
「はははっ」
シャロフスキーはせせら笑った。
「何が英雄なものか。やつはアリューザの戦犯ではないか! だがそんなやつでも最後に役に立ってもらおうではないか。この戦争は長く続きすぎた。戦争を止めるタイミングをずっと失ってきた。だが、甲皇軍にしても〝クラウスを仕留めた”という実績さえあれば、我々と和睦をする大義名分ができる」
「たった一人の命で、本当にこの戦争自体が止められるのか? 私には、とてもそうは思えないのだが」
「信用できぬか? ならば、アルフヘイム最高の貴族であるラギルゥー族の係累であるわしの権限でもって、このボルニアの領土とウッドピクス族の安寧をはかってやろう。そう、アルフヘイム全種族が本心ではそうしたいと思っていること……甲皇軍との単独講和を認めてやろうではないか」
「……!」
「本音で話そうではないか。アッシュ大公よ。貴殿も、ボルニアさえ安泰であれば、他はどうでもよいのであろう? ことここに至っては、遠慮する必要はないのだぞ?」
老獪である。権謀術数渦巻くエルフ貴族界において、長年権力を肥やしてきたその舌は良く回る。アッシュとて〝父殺し”をしてその大公の座に収まったともっぱらの噂の陰謀家であるが、それでもシャロフスキーに比べればまだ可愛げがある。
「我が甥が騒ぎを起こして発覚したことだが、クラウスは亡命しようとしていたそうだぞ? それ見たことか、何が英雄なものか。まがい物の英雄など、何の情けをかける必要がある? なぁに、貴殿が手を汚す必要はない。ただ、黄金騎士団によるボルニア内での行動の自由を黙認してくれればいいだけの話。何もするな。それだけで、ウッドピクス族の平和は守られるであろう……」
ねっとりと足元に絡みつく蛇のように。
シャロフスキーの言葉がアッシュの心を締め付けていく。
「……私には、眷属を守る義務がある」
ようやく絞り出したアッシュの言葉に、シャロフスキーは蛇のように長く赤い舌を出して笑った。
「ぎゃはははははは!!!! エルフ、獣人、よりどりみどりじゃねぇか!?」
「オホホ、コレクターの血が騒ぐわぁ~」
「おう、全部とっ捕まえて売り飛ばしてやろうじゃねぇか」
「ンマッッッ!! あの亜人……欲しいわぁ……何と何の掛け合わせかしら? 珍しい姿してる」
騒ぎは混迷を極めつつあった。
ボルニア要塞内に謎の黒づくめの兵士たちが闊歩していた。それらを率いるのは奴隷商人ボルトリック・マラー。そしてその友人の大富豪で|希少種族愛好家《コレクター》でもあるポルポローロ・アリエッティであった。
彼らが率いるのは元甲皇軍第三軍・黒羊隊の亜人兵である。亜人でありながらアルフヘイムから甲皇軍に寝返った者たちで、エルフを始めとするアルフヘイム人を捕縛して奴隷として売り飛ばすことにも躊躇がない。むしろそうした略奪行為がしたくて甲皇軍に寝返った者ども。
ボルトリックがメゼツやロメオに「ボルニアに潜入する用意がある」と言っていたのはこのことをさしていた。亜人兵であればボルニアには傭兵という体裁で潜入することはたやすい。戦える兵士は一人でも欲しいボルニアは受け入れるだろうと。
ただアルフヘイムはSHW経由の傭兵・ラナタの裏切りによって防壁魔導士を大量に失った苦い過去もあり、傭兵の身元照会には厳しいはずであった。
それを、ボルトリックはフェデリコやシャロフスキーとも通じることで、その身元照会をスルーして潜入することができたのだった。
「げはははは!」
まさにやりたい放題、卑劣なる奴隷商人は高笑いする。
ボルニアから脱出してSHWへの亡命しようとしていた子供たちが、次々と殴る蹴るされた上で捕まえられてしまい、ボルトリックらの手に落ちていく。
ビビ、ニコロ、ガイバルらが黄金騎士団を相手に奮戦しているが、彼ら三人だけでは数が多すぎて手が回らないのだ。
「見ろよ、この金髪エルフ可愛いぜ」
「ちょっとガキすぎやしねぇか? 娼館に売り飛ばすにゃぁ…」
「なぁに、将来は美人になるだろうよ。目端のきくSHWの女衒なら高く買ってくれるさ」
亜人兵らがずかずかと乗り込み、子供らを攫って行く中で、レダも連れ去られようとしていた。
「……!!」
恐怖にこわばったレダは、覚えたばかりの攻撃魔法を使うこともできない。
亜人兵らは人をすっぽり包み込んで縛ってしまえる袋をいくつも用意しており、それに次々と子供を入れて連れ去っていく。
「ビビ……!」
普段、滅多にしゃべらないレダが助けの声をあげる。
「そうれ、捕まえたぁ」
だが、敢え無く亜人兵らに捕まり、袋に入れられてしまうのだった。
「レダ!? ……レダ、どこにいるの!?」
レダが助けを求める念話を飛ばしたことで、黄金騎士団の兵を相手に大立ち回りをしていたビビがようやくレダが連れ去られてしまったことに気づく。
「おっさん! 大変だ、レダが…!」
「くそっ、やつら汚い真似を」
ニコロも奮戦しているが、津波のように押し寄せる金ぴか鎧集団のために、思うように前に進むことができない。
「ビビ、行け!」
ニコロが一際大きく戦斧を振り回し、周囲に空白ができる。
「ここは俺とガイバル爺さんで抑える。お前はレダを…!」
「で、でも……」
「さっきアメティスタがクラウスの元へ急いで行った。ここの子供たちは俺たちが守る。だが連れ去られた子供やレダは誰が助ける? 敵陣を突っ切って行けるような戦士はお前しかいない!」
「……! わ、わかった!」
言うやいなや、ビビは全金属製ハルバードを振りかぶる。
「死ぬなよ、おっさん!」
「お前こそ」
まるで鉄の暴風である。
ビビが回転しながら黄金騎士団の兵士を薙ぎ払っていき、レダを追いかけていった。
「あいつに任せておけば安心だろう」
「そうじゃな」
ニコロとガイバルは快活に笑う。
周囲には黄金騎士団の兵士がまだまだうようよと残されている中、二人は鬼神のごとく働きでもって戦い続けた。
要塞内のただならぬ気配に気づかないクラウスではなかった。
寝台の影にミーシャと赤子を隠すと、自身は最近めっきり使う機会の少なくなっていた長剣を構え、ふらりと幽鬼のように立ち上がった。顔色は悪く、今にも崩れ落ちそうなほど体調はすこぶる悪いが、男たるもの立たねばならない。
部屋の扉の向こう側で、親衛隊の者達が戦っていると思しき喧騒があった。
しばらく彼女らが戦っている気配はあったが、やがて静かになる。
ガン! ガン!
やられたのか。
次に響いたのは、部屋の扉が打ち壊されようとしている音だった。
「ああ、クラウス……!」
ミーシャが絶望に染まった声をあげる。
「静かにしていろ」
クラウスはすらりと長剣を鞘から抜き放った。
ガァン!!
扉の内側に斧の刃が突き出てきた。
遂に扉は完全に打ち壊され、もうもうと埃を舞い上げながら、侵入者の姿が見える。
「……流石の俺も、読めなかったよ」
敵の姿を確認して、クラウスは眉間に皺を寄せて言った。
「貴様がここまで愚かだったとはな」
「ほざけ!」
現れたのは、黄金騎士団の兵士をともなったフェデリコ・ゴールドウィン。
「下賤な平民の分際で、生意気なんだよ!」
ずかずかと無遠慮に部屋に踏み込むフェデリコの前に、黄金騎士団の兵士がレイピアを構えながら前に出る。煌く凶刃が、クラウスの喉元へ狙い定められる。
「殺してよろしいのでしょうか?」
兵士が伺いを立てるが、フェデリコは首を振る。
「いや、ここで殺してはならん。生け捕りにせよ。こやつらは甲皇軍に引き渡し、その陣中で見せしめのように処刑されるのだ」
そう言いながら、にやにやとフェデリコは笑う。
「なぁ、クラウス。私は前々から貴様が憎かった。平民でありながらアルフヘイム最高の貴族である私を差し置き、英雄と呼ばれる貴様が…!」
「下らないやつだ」
「何とでも言え! だが貴様は死に、私は生き延びる。最終的な勝利者は私というわけだ! ひゃははははは!」
「うるさい、黙れ」
先に動いたのはクラウスだった。
長剣を振りかぶり、瞬く間に二人の黄金騎士団の兵士の手首を切り裂く。
「なっ…!?」
フェデリコは驚愕する。
クラウスは殆ど死にかけの重体と聞いていたのに、まったくそんな風には見えない動きだったのだ。もはや立ち上がることすら難しいと思われていたクラウスのどこに、そのような力が残されていたのだろうか。まさしく、残り僅かな命を燃やしていたのだ。
更に兵士二名を戦闘不能とした余勢で、クラウスはフェデリコに一太刀を浴びせる。
「ぎゃあああ!!」
フェデリコは辛うじてその一太刀をかわすが、額の薄皮を切られて流血する。
尻もちをつき、すっかり腰がくだけてしまっている。
「な、な、なぁ……っ!」
初めて流す己の血に、フェデリコは恐慌をきたすが…。
「相手は半死人だ! 何をしておるか!」
半狂乱気味に、フェデリコは檄を飛ばす。
と同時に、次々と黄金騎士団の兵士が雪崩こんできた。
クラウスも軍の規模が大きくなるにつれ、前線に立つことこそ少なくなっていたが、それでも数々の激戦で自ら剣を振るったことは一度や二度ではない。指示を飛ばすばかりで、自身では一度も剣を持ったこともないような|無能者《フェデリコ》とは違う。
体調が万全であれば、雑魚兵士の数人ぐらいは切り抜けられる。
万全であれば…。
四人目の兵士を屠ったところで、クラウスは膝を折った。
血刀を杖に、息を荒げ、目を血走らせ、歯を噛みしめながら敵を睨みつける。
「はーーっ……はーーっ……」
それでも寄らば切り捨てんといった気迫は伝わっており、黄金騎士団の兵士も死にたくはないので近寄りがたく睨み合いとなってしまう。
「きゃあああ!」
横から悲鳴が起きる。
見ると、寝台の影に隠れていたミーシャが、額から血を流してトチ狂っているフェデリコにより引っ張り出されようとしていた。
「汚い手でミーシャに触るな!」
クラウスの動きは素早かった。再び命を燃やし、銃弾のように床を蹴り、フェデリコに突進する。
「ひええええ! わ、私を守れぇ!」
頭を抱えるフェデリコ。
渋々ながら、黄金騎士団の兵士がクラウスを止めようとしがみついてくる。
「邪魔だ!」
クラウスの剣が、またもや奇跡を起こす。
半死人が相手なら大丈夫だろうと、フェデリコは僅か八名の兵士だけ連れてきていた。いくら生け捕りにするために武器が使えなかったとしても、完全武装の重装歩兵を擁して、まさか後れをとることはないだろうと。
だが、床には八名の黄金騎士団の兵士の屍が転がっていた。
「……!!!」
もはや自分しか残されていないことに、フェデリコは恐れおののく。
「ち、ち、近寄るな! この化物がぁ!」
フェデリコは腰に下げていた長剣ではなく、短刀を取り出してミーシャの首元に突きつける。近寄れば殺すと。
「……くっ」
フェデリコの隙をつき、ミーシャを取り戻せるか……?
クラウスは長剣の柄を握りしめるが……その手に、もうまったく力が残っていない事にも気づいた。
だめだ。今ので最後の力を使い切ったようだ。もう指先すら動かせない。
「へ、へへへへ……。そうだ。動くなよ!」
フェデリコは後ずさる。
ミーシャを抱きかかえたまま、ずりずりと……。
「この女は預かった。返してほしくば一人で甲皇軍陣地へ来るのだ。まぁ、どうせそこで貴様は殺されるだろうがな!」
「……必ず行く。だから、ミーシャに手を出すな」
「それは保証できん。くくく、早く来ることだな」
そう言い残し、フェデリコはミーシャを引き連れて部屋を立ち去って行った。
「ミーシャ……!」
クラウスは思うように動けない己の体を呪った。
「くっ…邪魔だ!」
アメティスタが長剣を振りかぶる。
すれ違いざまに黄金騎士団の兵士を切り伏せた。
ばたりと倒れる兵士だが、通路の先にはまだまだ敵が控えている。まるで便所虫のようにいくら切り伏せても這い出てくるのだ。
「くそっ、早く、早く、早く……!」
クラウスの身が心配だ。配下の親衛隊が守っていると思うが、つい先程まで味方だった黄金騎士団の兵士と戦って良いか迷っているかもしれない。一刻も早くクラウスの元へ向かいたかった。
───そして、アメティスタの不安は的中する。
ようやく彼女がクラウスのいる部屋に辿り着いた時には、扉は打ち砕かれ、扉の前には親衛隊の兵士が無残に殺されて倒れていたのだった。
「そんな……!?」
部屋の中は無人である。
いや、声が……。
ほぎゃあああ、ほぎゃあああ!
赤子の声!?
「アメティスタさん……」
寝台の影にいたのは、クラウス…ではなく、赤子を抱く治癒魔術師エタノールであった。
騒然とするボルニア要塞の中で、クラウスの身を案じて駆けつけたのはアメティスタだけではなかった。彼女もその一人。
「私が来た時、部屋はこの有様でした。そして、クラウスさんが……この赤子を私に託して……」
「なぜ、止めなかったのだ!?」
ミーシャを人質に取られたクラウスが、フェデリコを追って一人で甲皇軍陣地へ行ってしまったという。
その顛末をエタノールから聞かされ、アメティスタは怒りをぶつける。
「私だって、止められるものなら止めたかったわよ!」
エタノールも怒りをぶつける。
「でも……この赤子を託されたのよ。それに、奥さんを追う彼を、止められる訳ないじゃないの……!」
エタノールにできたのは、クラウスから赤子を預かり、殆ど自然回復能力を失った彼に、無駄かもしれないけれどと治癒魔法をかけてやることだけだった。
「……そうか」
エタノールもクラウスを慕っていたのか。
それでは、戦場へ赴く男を、女に止められる訳はない。
「御子は無事だったのだな…。不幸中の幸いというべきか。では、後は頼むぞ」
「待って、アメティスタ。あなたまで」
「私はクラウスが好きなんだ。止めないでくれ」
「あっ……」
エタノールは顔をしかめた。
「ずるいわ、あなたって」
「そうか?」
アメティスタは、晴れ晴れとした表情を見せ、部屋を駆けだした。
つづく