77話 魔封の賢者
「気勢を上げるのは構わんが、ミハイル4世を討つのは難しいぞ…」
青ざめた表情で首を振り、そう呟くのはヤーヒムだった。
「何を言う。これだけの戦力が、精鋭が揃っているのにか」
反発するキルクだが、ヤーヒムの表情は変わらない。
それまで敵側だったヤーヒムの言葉ゆえに、それが真実味を帯びて深刻なものだというのは一同理解する。
「諸君らの強さを疑うつもりはない。だが、私がなぜ、娘を人質に取られているとはいえ、言いなりとなっていたと思う? それは、逆らうことなど考えられないほど、やつの力が強大だからだ」
ヤーヒムの実力は、ディオゴと互角以上に渡り敢えていたことからも明白である。その彼が、そこまで恐れるほどの相手とは…。
ヤーヒムは言葉を続けた。
「ミハイル4世の力は、この魔法の国と呼ばれるアルフヘイムを闇から支配するほどだ」
「だが、ラギルゥー族は戦えない文官にすぎんし、ダート・スタンはただのエロジジイだ。敵はそのミハイル4世一人ぐらいだろう? いくら強大といえど、たった一人の魔道士だけが相手ならば…」
「やつが何年生きていると思う?」
「……長年、裏で君臨しているというから、百年単位か?」
「それどころではない。エンジェルエルフという種族自体が長寿だが…ミハイル4世はその中でも群を抜いて長寿だ。少なくとも千年以上は生きていると考えられる。何せ、古代ミシュガルド時代のことまで知っているというからな…」
「もはや、歴史上の人物というわけか」
「そうだ。そして、単に魔法力が強いだけというのなら精霊の森の巫女であるニフィルどのや、精霊戦士たちの方が強いかもしれない。だが、こと膨大な知識や技術を探求していくことにかけては長年の蓄積、研鑽が必要だ。ミハイル4世、そしてガイバルどののような年経た魔導士を、特別に「賢者」と呼ぶように…」
「うむ…だが、ガイバルどのや、ニフィルどのは…」
「そうだ。何百キロと離れたボルニアとその西方で、甲皇軍との決戦に臨んでおられて、頼ることはできない。この場で多少なりとも魔法の心得のあるのは私ぐらいだが、私の魔法力などガイバルどのの半分のまた半分にも及ばない…私は本業の魔道士ではないしな」
「ううむ。魔法監察局や魔術研究機関、どちらもやはり甲皇軍との決戦のために、魔導士は出払っているしな…」
「そういうことだ。まともな魔導士が一人もいない状況で、賢者と呼ばれる敵を相手にせねばならん…数を頼みにしても何らかの対抗策は当然取られているであろうし、どのような大魔導が待ち構えているのか、私には想像もつかない」
「ヤーヒムどのの懸念はもっともですが」
口を挟むのはセキーネだった。
「それでも、私たちは立ち止まるわけにはいきません。それに、メイアどののこともあるでしょう。ミハイル4世側によって捕らえられているのなら、そちらの救出もせねばなりません」
「そうだな…」
「拙速かもしれません。ですが、人質がいる以上、時間が勝負です」
セキーネの言葉に一同は頷く。
彼らは話し合い、リュウ・ドゥという十六夜の女副隊長が率いる十六夜隊すべてが人質の救出と城内の探索を。
ディオゴとセキーネとヤーヒムとキルクとキルクの配下の弓兵隊は、ミハイル4世討伐に向かうことにしたのだった。
ヴェリア城はアルフヘイム最大の精霊樹である「世界樹」を守るために築かれた。世界樹に城壁や階段や詰め所などを併設し、城として使われている。
であるなら…巨大といえど、山のようにとはいかない。人の住む建物としては、せいぜい十階建てぐらいの高さとなっている。
罠や伏兵などを警戒しつつ上階へ登っていくも何もなく、ミハイル4世討伐のために向かった一同は、遂に最上階に辿り着いていた。
「ここが玉座となる」
緊張の面持ちで、キルクが玉座の扉を開け放つ。
ぶわぁっ。
「……っ」
何か、霧のようなものが扉を開けた瞬間に一同の顔を舐めまわしていく。水分を多量に含んだその霧は、まるで女が舌で舐めまわしてきたかのようであった。もし女なら、それは娼婦であっただろう。
「こ、これは…!?」
「幻覚魔法でもかけられたのか…?」
その“部屋”に入った瞬間、一同に戸惑いの声が上がった。
無理もない。
|魔法銀《ミスリル》で加工された室内は、ヤーヒムやキルクが以前訪れていた時よりも遥かに──いや、異常なほど広大になっていた。何せ、室内というのが信じられぬほど、部屋の向こう側の壁が遠く霞んで見通すことができない。地平線が出来ている。ところどころに、天井を支えているような巨大で太い柱が見えるが、その柱の上の天井は、目を凝らせばようやく見えるぐらいに高い。
それに室内に入った瞬間、入口が消失していた。
今や彼らは、どこから部屋に入ったのかも分からず、東西南北の方角さえもうかがい知ることはできなくなっていた。
そして、後戻りはできない……。
「こんな広さ、あり得ない。建物の中だろ? セントヴェリアの市街よりも広く感じるぞ…?」
「ぶ、物理法則を無視している」
「これが魔法だとしたら…途轍もない大魔法だ」
キルク率いる弓兵隊は三十名程度はいる。
それなりの数だが、それでも心細さを感じるほど、その部屋は広大だった。ところどころに見える太い柱以外は、ただただ魔法銀で滑らかに加工された床石だけが整然と広がっている…。
自然豊かなアルフヘイムにあって、無機質に感じられる人工物の平原と言うのは、居心地の悪さと不気味さをいっそう感じさせる。
その場にはそうそうたる顔ぶれが揃っていた。
黒兎人族最凶の戦士ディオゴ。
白兎人族の王子セキーネ。
ヴェリア城警備隊長ヤーヒム。
セントヴェリア警備隊長キルク。
キルク配下の、エルフ族最強のエリート弓兵隊。
アルフヘイムでも名だたる戦士たちなのだ。
だが、戸惑いと、恐れ。
鍛え抜かれた彼らでさえ、そんな呟きが漏れてしまう…。
ディオゴは全身の黒毛を総毛立たせている。
戦士としての本能が、この場が恐ろしくも危険だと告げていた。
「なるほどこれは…俺たちが攻めてくるってことは、向こうもとっくにご存知様ってことなんだろうよ」
「周りには何も動くものは無いように見えるが、いつでも敵が出てきておかしくはあるまい。皆の者、警戒しつつ先へ進むぞ」
キルクや弓兵隊は弓を構え、矢をつがえ、いつ敵が現れても矢が放てる態勢を取り…。
ディオゴやヤーヒムらもナイフや剣を抜き放ち、いつでも斬りかかれる構えを取り…。
彼らはじりじりとゆっくりと歩いて行く。
───そしてそれは、唐突に頭上から振り下ろされる。
“拳”であった。
それも途轍もなく巨大な、巨人の拳だ。
やけにゆっくりと振り下ろされたが、それでも唐突だった。
振り下ろされたことに気づくこともなく、“ごずっ”と轟音を立てて、何人かがぺしゃんこにすり潰された。
巨大な拳には赤い染みが付いている。
まるで蚊を叩き潰した時のようだった…。
だが、確かに人が死んでいる。
それも、原形を留めていない無残な圧死状態で。
「何だ、何なのだ、これはッ!?」
狼狽するエルフ弓兵隊だが、それがどうやら巨人の拳であり、いきなり仲間が殺されたことは理解できた。
となれば、やはり彼らはエリート弓兵である。すぐさま、その拳へと向かって矢を放った。
数本の矢が拳に突き刺さる。
しかし、拳の大きさから言って、それは爪楊枝が突き刺さった程度のダメージにしか見えない…。
「は は は は は ……!!!」
ゆっくりと、しかし鼓膜を破るかのような大音量の笑い声。
まるで暴風のごとき轟き。
「どうやら俺たちはとんでもない勘違いをしていたようだ」
「あ、ああ……」
「この部屋が広いんじゃねぇ……|俺たちが小さくなっているんだ《・・・・・・・・・・・・・・》!!」
状況が飲み込めれば、景色が理解できた。
巨大な柱だと思っていたのは人の足だ。
入口が消えたのではなく、自分たちが小さくなりすぎて見えなくなっていただけなのだ。
顔。
顔。
顔。
同じような、にやけた顔が三つ。
ぬぅっと巨大な顔が頭上に近づいてくる。
ラギルゥー族の三兄弟、長男スグウ、次男マタウ、三男ソクウであった。
「矮小なる侵入者どもが。ミハイルさまの大魔法の力を思い知ったか」
「かかか、虫けらのように踏み潰してくれる」
「ひひひ、それとも食ってやろうか」
ソクウの涎が口から垂れ、それが一人の弓兵の頭上にばしゃあっと降り注ぐ。それだけで全身がずぶぬれになっていた。
「撃て、撃て、撃て!!」
キルクが命じて、弓兵隊は必死に矢を放ち続けた。
だがやはり爪楊枝にしかならない。
矢は三兄弟に突き刺さっていくが、毛筋ほどの血しか流れていないのだ。爪楊枝がいくら突き立っても、大して痛くはない。
ぶおおおっ!
マタウが腕を振り回すと、その風圧だけで一同は吹き飛ばされそうになるし、放っていた矢は払いのけられた。
「うわああああ!」
次の瞬間だった。
一人の弓兵がソクウの手につかまえられ、握り潰されてしまう。
びしゃあっ。
トマトを握り潰すより簡単に。
血がソクウの手の中で飛散する。
ソクウは手に付着した血をぺろぺろと舐めまわし、バラバラになった犠牲者の肉を齧っている。
ごりごりと肉が削げて白くなった大腿骨を、ソクウは爪楊枝のようにして歯の間につまった肉をこそげとる。
「……っ!」
このような常軌を逸した巨人を相手にどう戦えばいいのか。
一同はもはや戦意を喪失し、立ち尽くすしかない。
だが、ただ一人。
「シャアアア~~~~~~~~!!!!」
ディオゴ。
跳躍する。
手にはナイフ。
彼は一瞬でスグウの肩まで飛び上がり、次の跳躍ではその顔に迫った。
一閃、ズブリと肉を抉る手ごたえ。
「ぐおおおっ」
スグウが目を押さえて悶絶した。
幾ら図体がでかくても、目をやられればダメージはある。
だが、スグウも片目をやられただけだ。
もう片方の目がぎらつき、ディオゴを蚊を叩き落とすかのように、巨大な手が迫りくる。
「危ない!」
間一髪。
セキーネが跳躍し、ディオゴを抱きかかえ、スグウの手を避けた。
しかし、スグウの爪先がセキーネの耳に引っかかる。
たったそれだけで、セキーネの耳はもげてしまっていた。
「……っ!」
声にならない激痛を感じながらも、セキーネは地上へ着地し、ディオゴを床に優しく降ろす。
だが、自身はそれが限界で、ばたりと突っ伏すように倒れた。
「|火炎弾《メギド》!」
ヤーヒムが炎の魔法を放つ。
だが、それもマタウの顔にまともにぶつかるが、ちょっと眉毛が焦げる程度のダメージにしかなっていない…。
「……ど、どうすればいいのだ。このままでは……」
がくがくと膝を震わせ、ヤーヒムは床に膝をつく。
そして、床に頭をこすりつけた。
「すみません! 許してください! 私達が愚かだった! もうあなたがたに逆らおうなどとは思いません! どうか、どうか───」
ヤーヒムは土下座し、哀願する。
だが無情にも、三兄弟は哄笑する。
「ははははは、みっともない男だ」
「一度、逆らった男を誰が信用するものか」
「モツェピ家の面汚しめ。慈悲が欲しいか? ならば、お前の娘を好きにさせてもらうとしようか。大層、見目麗しい少女だというではないか。ミハイルさまにお願いして、わしらの慰み者にしてくれよう」
好き勝手に言うラギルゥー三兄弟に、ヤーヒムは涙を目にためて顔を上げる。
「……外道どもが!」
もはやこれまでか。
ヤーヒムは腰の剣を抜き放ち、かなわぬまでも最後の抵抗を試みようとしていた。
「今、お前の側に……モニーク……」
ディオゴはナイフを両手に構えた。決死の表情である。
「最後まで、諦めては……いけません……」
頭から血を流しつつも、悲壮にセキーネも立ち上がる。
「あとは……ゲオルクどのに託すしかないようだ」
さばさばした表情で、キルクも矢をつがえる。
いずれも決死の覚悟で、最期の足掻きをしようとしていた。
────だが、その時。
かつん、と小さな音と共に、何かが床下に落ちてくる。
途端に、ぶわあっと、この部屋に入った時のような猛烈な霧が発生し、それがディオゴらを包み込み……。
次の瞬間、目を開けると、彼らは怯えた表情をしたラギルゥー族の姿を目撃した。
それも、普通の人間と同じサイズ。
室内も、キルクが知る以前の玉座の間の広さになっていた。
「ひ、ひえええ!」
一同が呆然としている隙に、ラギルゥー族の三兄弟は慌てふためいて逃げて行った。
「……」
「……」
「……」
余りの突然のことに、彼らもラギルゥー族を追いかけることもできなかった。
幻惑の魔法だったのか何かは分からないが、とにかく悪夢のような魔法は打ち破られていた。
「危ないところでしたね」
背後から、朗々とした声がした。
ばさぁっ。
その男の背からは、白い翼が輝いていた。
灰色の法衣をまとい、額には法輪のようなものをつけている。
まさしく天使のような姿。
顔は若々しいが、不思議と老成した雰囲気を持つエルフ…。
いや、翼を背にしているということは、エンジェルエルフか。
「我が名はクローブ・プリムラ。このヴェリア城に、ミハイルによって幽閉されていた者──」
声まで厳かな響きを持ち、神々しい…。
「セキーネさま!」
クローブの背後から現れ、駆け寄ってきたのは十六夜の女副隊長であるリュウ・ドゥであった。パンダウサギの兎人である彼女は、白と黒のまだらの模様をした兎人で、女だてらに十六夜副隊長を任されていることからして、体格の良い十六夜隊員の中でも最も筋骨隆々であった。その力強い腕が、耳が千切れて衰弱しているセキーネを頼もしくも優しく抱きとめる。
「リ、リュウさん……この方は…?」
「ヴェリア城にある幾つもの部屋を片っ端からぶっ壊してきました。その一つ、特に厳重に防備がなされていた部屋を破壊…あ、いえ、探索したところ、この方が囚われていたのです。あと、キルクどのの娘、メイアさんも無事に救出しております。メイアさんのついでに、この人も見つけたって感じです!」
「そ、そうですか。さすがはリュウさん……私は有能な部下を持って、本当に良かった……」
「それよりセキーネさま! 大変な怪我をしているじゃないですか! マリーさまが知ったら悲しまれますよ。おい、ナッカ! 手当をしてさしあげろ」
「えー、あたしも片耳千切れたけど生きてるし大丈夫っしょ」
「いいから!」
十六夜隊員らは騒々しくもセキーネの手当てを始めた。
隠密部隊だとか、暗殺部隊だとか、色々と恐れられて謎も多い十六夜であるが、実際のところその一人一人は個性豊かで愉快な連中であるらしかった。
「クローブ・プリムラ……聞いたことがある。確か、ミハイル4世が育てていた幾人かの同族の内、最も優秀だとされていたが…最も穏健でもあり、それがミハイル4世の怒りを買い、始末されたと……」
ヤーヒムがぶつぶつと呟いているのを、クローブはやんわりと微笑しながら答える。
「いえ、さすがにあの方も…同族を手にかけるまではされなかったのですよ。私は、彼女によって、実の息子のように可愛がられて育てられたものですから。正確には、私はこの城にずっと幽閉されていたというわけですね」
「彼女?」
「ええ。知りませんか? ミハイル4世は女です。とんでもない大年増のクソババアってことですね」
「……あんた、息子のように可愛がられたって言った割に、辛辣なんだな」
「そりゃあもう、いくら気に食わないからって百年単位で狭い部屋に閉じ込められちゃ、恨みも募ろうってもんですよ」
「百年単位のヒキコモリってことか…」
ぼそっと誰かが呟いたが、クローブは微笑みを絶やさない。
「まぁとにかく、あの大年増と戦うなら、私の|魔封の矢《ゼロマナ・ダーツ》が役に立つでしょう。この部屋にかかっていた魔法を打ち破ったのも、このダーツの力なんですから」
そう言い、クローブは腰に下げていたポシェットから幾本かのダーツを取り出した。
実に得意げな表情である。
厳かな雰囲気が薄まり、ちょっと俗っぽくなった。
あるいはこれが素なのかもしれない。
「効果はばつぐんでしたね。あの大年増に幽閉されてからというもの、どうやってあの大年増を見返してやろうかと考え抜いて、その結果作り出した魔法を封印するための魔法道具です。ふふふ、これさえあればあんな大年増なんて恐れる必要はありませんよ」
「それはすごい」
「でしょう? ふふふ、皆さん。私のことは魔封の賢者とでも呼んで敬うことです」
「すごい、すっごーい!」
「ふふふ、もっと褒めて、褒めて!」
「すっごーい!!!!」
「待って、あんた誰?」
十六夜の一人が、クローブをほめたたえていた者の肩を叩く。
「うふふ」
その女は、一同の中に潜り込んでいた。
ご丁寧に、十六夜の隊員らと同じ装束を着ていたので、誰もその女が潜り込んでいることに気づかなかったのだ。
「ぐああっ!」
女の肩を叩いた十六夜の隊員は、女が放った術によって手を焼かれてしまっていた。
火炎の魔法───つまり敵だ。
女は、妖艶な笑みを浮かべ、まるで蛇のように伸びる赤い舌をチロチロと蠢かせながら、目にも止まらぬ速度で白い手を走らせた。
「え?」
クローブが呆けた声を出して戸惑っている。百年以上に渡るヒキコモリ生活が、クローブの反応速度を著しく減退せしめていた。常人よりだいぶ、彼は鈍かった。
ぱきん。
一瞬のことだった。
クローブは持っていたダーツをすべて奪い取られていた。
のみならず、女が白い手で触った瞬間、そのダーツはすべて破壊されていたのだった。
「うわっ、熱っ」
クローブが悲鳴を上げる。
腰に下げていたポシェットがめらめらと燃えていた。
「ああああ!」
クローブは慌ててポシェットを投げ捨てた。
中でダーツがめらめらと燃え、すぐに灰になっていた。
これで、クローブの持っていたダーツはすべて失われた。
女は素早い動きで一同から距離を取る。
黒装束を脱ぎ捨て、そこから裸かと思うような露出度の高いピンク色のドレスを着たエルフが現れる。
「おバカさんたちねぇ、頼みの綱をこんなにあっさりと失ってしまうなんて」
「な、何者だ」
ようやくキルクが反応できて弓に矢をつがえるが、女は妖艶な笑みを浮かべたまま、名乗りもせずにすぅっと姿を消していく。
「……この玉座の間の上階へおいでなさい。そこで、ミハイルさまがあなたがたを歓迎なさることでしょう……」
「ちぃっ!」
矢を放つキルク。
だが、その矢は女に当たることはなく、女は霧散するかのように薄れて姿を消していった。
「どうやら敵は…ミハイルだけではないようだ」
キルクは舌打ちする。
「し、しかし我らには魔封の賢者どのがお味方してくれますし、何とかなるのでは…」
と、ヤーヒムが返すが、キルクは渋い顔のままだった。
クローブの方を見ると、彼はローブを脱ぎ捨ててふんどし一丁になって、目に涙をためながら白い肌に火傷がついていないか見ている。裸身が露わになっているが、それがまたあばら骨が浮いていて、骨に皮が張り付いているだけのような痩せっぽちで、実に頼りない。
「うむ…しかし、どうやらあの御仁は少し…いや、かなりポンコツっぽいぞ。余りあてにはできそうも…」
「……はぁ」
キルクとヤーヒムは深く溜息をついた。
つづく