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 『音楽のように時に不快で最高のもの』  おうおう

 この部屋は暑い。収容人数九十人ほどのフロアーに大学生くらいの若者が制限人数ぎりぎりに入りひしめき合っている。ノリ慣れていない新参者はハコの隅につめられてほかの客の頭くらいしか見えていないようだ。人々の圧のなかで若者の視線は光る壁に向かっている。その壁にプロジェクターが映し出す幾何学的な模様が、正体不明の光線のような音に合わせて躍動している。DJはミキサーを絞って客の熱狂からビートを抜く。テンポを失った客は慣性で上下にリズムを取り、すこしずつずれたタイミングでディレイがかったようにうねる。天井には二世代ほど前のロニー製3D投影機(最新型が今から7年前であるからとても古い)がDJの作業をモノクロで映し出しており、光のドット一つ一つはブラウン管テレビのように細かく震えていた。DJがドラムの音量を元に戻していきフロアには一体感が再び戻る。テンポのない不安定感から開放された客の安堵は奇しくもベッドの中で感じる眠気に似ている。人々は音楽に陶酔する。眠るように。
 テーブルの上でツマミを細かくいじっているDJは客に不安定感と安堵を不定期に与えて曲にハリを持たせ引き伸ばしている。二つ先の役のDJが来ていない。この曲が終わったら番が変わるが次の奴は面白い曲が一つできたから呼ばれただけの素人。そのターンは一瞬で終わってしまう。彼はそう考えて焦っていたがたとえ音楽が途切れトリが遅れてやってきたところで誰も責めたりはしない。これは好きものが集まっただけの同人クラブ、イケてるノリに合わせて女を口説くことを目的にした集まりではないのだ。一発屋がターンテーブルを回す。専門的な音楽の知識が無いゆえのオリジナリティまんさいのメロディ。それは不思議とキャッチーで聴くものを魅了した。だがそれを過信したつくりの音楽はすすむにしたがってマンネリを感じさせる。若者の意識はすでに次の曲、トリを今回つとめるDJ、コールマンの作品に移っていた。
 今回のイベントの主催者はコールマンの状況について聴きまわっていた。表情や態度は落ち着いているが遅刻状況についての質問は頻繁で焦りがにじみ出ている。
 「コールマンさんとの連絡はとれました? 」
 「いや、三十分くらい前に駅に着いた! ってメールが着てからなにもないですね」
 「ここ駅からそんなに遠くないんだけど……」
 「彼、たぶんまた彼女の力を借りずにイベントに来るつもりなんですよ。なんか最近独り立ちっていうか彼女への依存から抜けようとしてて……」
 「彼ってそんなに方向音痴なんですか……」
 「いや、実際みんなそんなもんだと思うんですよ。彼がおかしいのは依存から抜けようという発想ていうか、そもそも人工知能に本気で恋してるってとこです」
 「そういう危ない人は昔からいたと思うけどね」
 コールマンの知人のタルクというDJは納得いかない様子で頷いた。壁にはコールマンの写真のスライドショーが映し出されている。美少女が映った(実際には彼の唇で髪の毛らしきもの以外は画面上に見えない)携帯機器の画面にキスしている太った男、めがねをかけている。傍から見れば道を外れた怪物だが、顔には自信が見て取れる。音楽が止み、照明の光がぼんやりと広がる暗闇に携帯電話などの尖った光が点々と浮かび上がっている。男五人組がぞろぞろと防音の重々しいドアから出て行った。つっかえていた砂時計のように人がドアへ落ちていく。主催者は頭を抱える。酒で顔の赤くなった大学生がドアを押す。だが、ドアは外側から内側へ開いた。酔っていた大学生はふらふらと開くドアから体を避けた。非常灯のような淡いオレンジ色の光が二重ドアの間にいる巨体を照らす。
 「僕がまだやってないでしょ。もったいないよ。ね。エイコ」
 『そうですよ。待てない大人はモテませんよ』
 どすどすと防音である部屋で足音が聞こえる。巨体はテーブルへまっすぐ向かい、壁の前に立つと両手を挙げて言った。
 「遅れてごめんなさい。コールマンです」
 彼はノートパソコンとMIDI鍵盤を準備しながら話し始める。
 「今日はね。駅まではわかったのよ。そこまでは良かったんだけど、駅に着いたら人に聞くつもりが、人がいなくてさ、まあこんな時間だし話しかけるのも危なっかしいよね。だいたい、ナビしてもらえばいいじゃんって言われちゃうしね。そんで交番に行くんだけど、データ送りますからとかここの住所はどこそこって言うわけ、わからねえよってね。そういうわけでしらみつぶしに歩いてたらこんな時間になっちゃった。ごめんね。いやーやせるわ」
 コールマンはマシンガントークを続けながら準備を完了させた。
 「じゃあ、聴いてね」
 
2, 1

  

 彼はいまどき珍しくノートパソコンとMIDI鍵盤などという骨董品を使う。それは彼がレトロゲーム風の音楽を演奏するからだ。パソコン自体古いが、彼が求めているのはそれよりも前のゲームハード音源であり彼にとってはノートパソコンで代替していることが恥ずかしいとさえ思えた。コールマンはDAWソフト(音楽を作ったり演奏するソフト)のシーケンサー機能を使い伴奏を再生しメロディをMIDI鍵盤で演奏する。彼にとって鍵盤は小さく、黒鍵と黒鍵の間には指が入らない。それでも彼の演奏はよどみなく優雅だ。シーケンサーによる氷を削り取るようなざくざくとしたバッキングに彼はタップダンスのようなリズムでリードを加える。そして彼と呼吸を合わせ音楽に安定とグルーヴを与えているのはベーシストのエイコ、彼女は人工知能である。彼女たちは彼女たちの社会と権利を持ち生活している。彼女が彼と音楽をやっているのは趣味であり、かつ仕事でもあった。彼女たちは人や人工知能とコミュニケーションすることが本能として組み込まれている。話したり歌を歌ったりすることで彼女たちは己自身を維持する通貨を得られるのだ。彼女がベースを演奏するのもその一環である。音楽がサビに入る。コールマンの下がるメロディを追うようにベースが下がっていく。二人にとって音楽はコミュニケーションそのものだった。音楽はメロディとベースのC#のオクターブユニゾンで終止した。
 演奏が終わり、部屋は拍手で溢れる。皆は胸がくすぐったくて手を叩かずにはいられないのだ。コールマンはめがねをはずして顔をハンカチで拭いている。彼は彼女に今日も良かったと賛辞を贈りキスをした。パチパチ、二人の絆にも拍手が起こる。
 『コールマン、もう充電が残り少ないわ。さすがに帰りは私に送らせてよ。心配だわ。今は端末の電源を切りなさい』
 「そうだね。そうするよ」
 コールマンは携帯電話の電源を切って胸のポケットにしまった。イベント主催者が笑みを浮かべ、大きな腹を揺らしながら歩み寄ってくる。腕を開いて抱擁を求めた。二人は初対面だがここはクラブで二人はデブ、その連帯感は二人の距離をぐっと縮めていた。
 「いや、よかった。感動でしたよ! こないかとも思いましたが本当に良かったです」
 彼は興奮した様子でコールマンを抱きしめてそういった。
 「いえ、待たせてすみません。ほんと着いてよかったですよ」
 「次は彼女に案内してもらってくださいよ」彼はコールマンの腹を小突く。
 「あ、あと君の仲間が呼んでましたよ。喫茶へ行くとか。若い者はエネルギーが違いますな。ははは」
 タルクが手を振って呼んでいる。コールマンは主催者の男と握手をして別れた。
 
 
「タルク、充電器持ってないか? 端子の方は持ってるからバッテリー貸してくれ」
 「いや、もってない」
 「誰か、持ってないか? 」
 コールマンが周りを見回すが誰も持っていないようだった。
 「そうか、いや、そんなんで都会で生きていけるのか? 」
 「ブーメランだぞそれ」
 彼らははははと笑う。コールマンとタルクを含めた仲間七人が夜道を歩いていた。液晶画面の黒のような微妙な空の下、オレンジ色の街灯がシャワーのように光を落としている。歩道は広いが等間隔に植えられたナンキンハゼが隊形を崩す。
 「にしてもこんな時間に喫茶なんて行ったら補導されちまうよ。この前俺とタメの奴が補導されてたって聞いたし結構厳しいらしいぞ。あ、木があるからみんなもっと左いってくれ」
 「誰もてめーみたいな巨漢を高校生だと思わねえよ」
 「そうだ。それに帰りは俺が送ってやるからよ。車用意してんだ」
 「フォンさんの軽に俺が乗れるのか? 」
 「軽じゃねえよ。広くてびっくりすんじゃねえぞ」
 フォンは仲間の中では年齢が高く、一足先に得た社会の感触を教えてやったりしている。彼は最近給料で車を買ったという。
 「にしても歩くのは疲れるな。喫茶なんてそこらへんにあるじゃねえか。なんでこんなに歩いてる? 」
 「まあ、待てって」
 フォンらはそういってオレンジの光のある太い歩道から曲がり細い路地へ入っていった。
 「おい、おかしいだろ。さっき喫茶店あったぞ。隠れ家的な店でもあるのか? 」
 「まてまてもうすぐだ」
 「ほら」
 フォンの指す先にはミニバンがあった。駐車場の入り口近くの電灯についた街灯がはっきりと反射してまぶしい。
 「乗るのは帰りだろ? 」
 「新車だぞ? 帰りだけじゃ勿体ねえって思ったんだよ。充電もできる。便利だろ」
 「なんだよ。そう言ってよ」
 仲間が笑って、お前、焦りすぎと茶化す。
 「ん? 彼女とのお帰りデート邪魔されてイラついてんのか? 」
 「めんどくせえな。わかったよ。悪かった」
4, 3

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