心の何処かでクローブ・プリムラはスグウ・ラギルゥの死を感じ取っていた。
瞳を閉じ、次なる犠牲者の名をクローブは唱えた。
「……次はマタウ・ラギルゥ……」
マタウ・ラギルゥ大臣は、政治家でもあったが同時に実業家でもあった。
アルフヘイムの経済を裏で牛耳っていたのも彼である程だ。
彼はその利益の一部をセントヴェリアのペトレスク孤児院の設立と経営に回し、
多くの孤児を引き取っていた。ミハイル4世は低迷するエルフ人出生率の減少を受け、
各エルフ人家庭に最低でも4人の子供を産み育てるように命じ、人工妊娠中絶を禁止した。
アルフヘイム中のエルフ族の人口はこれにより増加したものの、社会保障が追いつかず、結果として
多くの家庭が育児放棄をしたために多くのエルフ人孤児が生まれることとなった。
そのため、マタウが設立した孤児院は多くの孤児を受け入れるべく、もはや一介の政治機関のような広さを誇っていた。
マタウはアルフヘイムの父として人々から崇められていた。
それが故に、マタウはラギルゥ一族でありながらもレジスタンスや民衆の標的にされることは無かった。
だが、それはあくまでも表向きの顔であって実際はその孤児院では
有り余ったエルフ人孤児の間引きが行われていた。優秀とみなされなかった子供たちは
屠殺場の豚のように間引きされ、甲皇国やSHWの裏社会へと輸出され、変態どもの玩具にされていた。
その金で奴は私腹を肥やし、善人面をして孤児院の院長として孤児院に隠れていた。
(……民衆は少なくとも私の味方だ……だから、レジスタンス共も私に手出しが出来ない。
下手にセントヴェリアから逃げるより、こうして孤児院に潜んでいた方が安全というものだ。)
マタウは安堵していた。
レジスタンスや民衆たちが多くの軍事施設・国会議事堂や裁判所などを襲撃し、
彼の兄弟や親戚、彼のパトロンであったシャロフスキーが捕らえられ、処刑されたという知らせが入るのを他所に
マタウは多くの孤児たちの面倒を見て過ごしていた。
エルフ人の子供を抱き抱え、赤ん坊のおしめを変えたり、昼寝の時間に子供たちを寝かしつけ、ご飯を作り……
面倒ではあるが、民衆の前に引きずり出され、全身を八つ裂きにされるよりはまだマシだ。
「……ふふ なかなかこんな暮らしも悪くはないのう。」
ぽかぽかとする太陽の下で、ミルクのように真っ白なシーツを物干し竿にかけ終え、
マタウは一服しようとベンチに腰掛けた。
「……院長先生、タバコは身体によくないですよー。」
金髪のウェーブがかかったロングヘアーのエルフ人女性の保育士のエタノールが話しかけていた。
若葉色のエプロンに身を包み、黄色のロングスリーブのワンピースを着たその姿は
まさに癒しの保母さんと言ったところである。
「ぉぉ……エタノール君」
「子供たちに見られたら怒られますよー」
「ははは……これはイカンなぁ……」
子供たちは今は中で積み木をしたり、絵を描いたりして遊んでいる。
その隙を見計らっての煙草だったが、やれやれ見つかってしまったか…
そう言いたげにマタウは煙草の火を消した。
「もう、院長先生 いくら注意しても治らないんだから……
もう見張りをつけとなかくちゃ」
そう言うと、エタノールは中で遊んでいる子供たちの居る引き戸を開けて
中に子供たちに言う。
「みんなー、中に篭ってばっかりじゃあなんだし
たまには外で遊びましょー!」
子供たちは孤児院の外から鳴り響く銃声や爆発音、民衆の声に怯えていたが
やはりずーっと屋内に軟禁された生活も苦しかったのだろう。
今までの鬱憤を晴らすべく、大声をあげて大喜びで外へと飛び出していった。
「わぁぁぁぁあああああああ!!」
「きゃぁぁああああぁぁああああああっっ!!」
「おいおい、エタノール君。あーもう……まったく」
子供たちのお陰でせっかくの一服が台無しだ。
当分、タバコは吸えそうに無さそうだ。
「院長せんせぇー!いっしょにサッカーしよ!!」
ボールを持ってマタウに近づく子供たちの元気さに
マタウは完全に参っていた。
「すまないねぇー、また今度なぁー」
そう言って目を閉じて、ベンチにもたれ掛かろうとした時だった。
「せんせぇー……コーヒーのんで」
一人のパーカーを被った女の子がコーヒーを持ってきたのだ。
「おぉー、君が持ってきてくれたのか~~嬉しいねぇ~
ありがとう」
コーヒーを手に取ろうとしたその時だった。
「おぉ~~ 隙アリー!!」
後方を走っていたパーカーのフードを被った男の子2人が
女の子のスカートをめくり、それに驚いた女の子が前のめりに転倒したのだ。
「きゃぁあっ!!」
マタウの胸元にコーヒーがぶちまけられる。
「あっつっ!!」
「ぃやぁぁあああああぁああっ………っ!」
突如スカートめくりをされたことへの驚きと、前のめりに転んだ痛みで泣いてしまった。
「あぁ~……コラ!女の子を虐めるんじゃない!!
かわいそうに……いたかったろうにねぇ……」
そう言って女の子を起こそうとした時だった。
女の子のパーカーのフードがめくれ、その女の子の顔があらわになる。
顔は完全に大人の女性で、エルフ耳ではなかった。
「ドワーフ族……!?」
その疑問が解決される前に、マタウは鋭い刃物が背中を貫くのを感じた。
「ぅぐっ……!」
背中に気をとられている内に、前の女の子もといドワーフの女にも刺されてしまったようだ。
「ぐがぁ……っ!」
「……聞こえてるか? マタウ……!! てめぇが農林水産大臣だった時の借りを返すぜ……!!」
背中から男の声がする。おそらく、ドワーフ族の男だろう。
刃物を引き抜くと再び、後ろの男はもう一度背中を刺す。
「俺たちの土地をゴム農園にしてくれて有難うよォ…
………てめぇのお陰で大勢の同胞が餓死にしたぜ……!!」
そのマタウの背中をメッタ刺しにするドワーフ族のこの男はフメツ・バクダンシキと言った。
彼はかつて、良質な麦畑の農夫であった。ドワーフ族が作る麦は、ふわふわとした食感で有名であり、
エルフ族が作る麦よりも良質で高値で取引されていた。当時、農林水産大臣だったマタウ・ラギルゥはこれが我慢できなかった。
エルフ族より劣った種族である筈のドワーフ族の作る麦がこのまま売れてしまえば、エルフ族の作る麦など誰も買わなくなってしまう。
エルフ至上主義者のミハイル4世の命令で、マタウはドワーフ族が作る麦農園を天然ゴム農園へと変えてしまった。
つまりはプランテーション政策である。当時、アルフヘイムの取引相手だったSHWは
自動車に使用するタイヤの生産を求めてきており、甲皇国産の天然ゴムを輸入していた。
マタウは甲皇国産の天然ゴムに対抗するべく、アルフヘイム産の天然ゴムを生産しようと考えていた。
丁度、ドワーフ族の麦農園は天然ゴムの生産に適した気候であり、マタウにとっては
ドワーフ族の作る麦を排除出来る上に、アルフヘイム産の天然ゴムを作れるわの一石二鳥であった。
その結果、ドワーフ族の農家は破産し、大勢の農業家が失業し、自殺した。
フメツも、マタウのプランテーション政策により失業し、その結果息子を餓死させてしまった過去があった。
「がっ……はっ……!」
「ひもじく死んでった息子の……苦しみを……思い知れぇェェ!!」
フメツは餓死した息子の顔を思い浮かべ、渾身の力を込め、マタウに止めの一撃を刺した。
そして、そこから斜めの袈裟懸けの形でフメツの身体を切り刻むと、刃物を引き抜いた。
血で濡れた刃物と手を、マタウの服で拭うと、近くにいた金髪の保育士の方を見てフメツは言った。
「エタノールさん……あとは頼みましたぜ」
フメツ・バクダンシキはドワーフ族の女と、先ほど女を転倒させた2人組の男2人を連れてその場から立ち去る。
彼等が立ち去るのとほぼ同時に、エタノールに後ろから脇をかかえられ、
マタウは先ほどのベンチへと腰掛けた。
もう既に意識は朦朧としていたが、うっすらとした意識の中マタウは悟った。
(……そうか。エタノール……君も……グルだったのか…………人から恨みを買うことなんてしょっちゅうだったが…………
正直言って……こんな業からいつかは逃れられたいと思って…いたが……甘くは………なかった……ようだ……な。)
マタウ・ラギルゥは黄色い声でわいわいと喜びはしゃぐ子供たちの声を聞き、うっすらと彼等の姿を目に浮かべた……
正直言って 久しぶりに子供達と過ごした日々は彼の心に安らぎを与えていた。
こういう余生もありなのかもしれないと少し期待してはいたが……背負ってきた罪が重すぎた。
その罪は償うには重すぎて もはや命で償う以外になくなってしまっていた。
だが、どうやら神様は最後の最後に少しばかりお情けをくれたらしい。今際の時を子供たちのはしゃぐ声の聞こえる場所で
迎えられたことがせめてもの救いだ……
「……さらば……わたしの……こどもたち……」
そう言うと、マタウはやがてそのまま地面を見つめ、静かにこの世を去った。
エタノールはぽかぽかと暖かく乾いたシーツを亡きマタウに被せてやった。エタノールは涙を流す……
「……ごめんなさい………ほんとうに………ごめんね………院長先生。」
エタノールはかつてミハイル4世が愚かな政策が生み出した棄児であった。
ハーフエルフとして蔑まれ、彼女は親戚中をたらい回しにされ、
マタウ・ラギルゥに引き取られた後、ヒーラーとなった。
彼女はお人好しであり、けが人を見れば誰でも治療してしまうほどの優しい女の子だった。
だが、そんな彼女がこの場にいる瀕死の重傷を負った育ての親マタウを見殺しにすると決めたのは育ての親の罪を知ってしまったからだった。
彼がここで育った孤児たちを裏の社会へと売り飛ばし、間引くという最低の行為。
彼女は知った。自らを孤児に仕立て上げた根源のミハイル4世……
そのミハイル4世と手を組み甘い汁を吸っていた救いがたい悪党が……
自分を育ててくれたゴッドファーザー(後見人、名付け親)だったという事実を……
だが、それでも彼女にとっては自分にエタノールという名前を与えてくれた育ての親だった。彼女は予想がついていた。
いつか、育ての親マタウにきっと報いが下る日を…………。
ただ、彼は孤児院の子供たちから慕われた院長先生なのである。
民衆の面前にさらけ出され、戦犯として惨めに殺されるのはエタノール自身、耐えられなかったのである。
「……眠って……せめて安らかに……」
エタノールは目を見開いたままのマタウの瞼を下ろしてやった。
ドワーフ族としては愚かで憎い政治家だったのだろう……子供たちを外国に売り飛ばす救いがたい悪党だったのだろう。
いつかは報いを受けねばならない程の悪事を重ねた以上、こうなることは分かっていた。
だけど、そうだと知ってもエタノールは育ての親であるマタウを見送ってやりたかった。
「……さよなら……わたしの……ゴッドファーザー……」
温かいそよ風が吹く中、育ての親マタウを想い、エタノールは決別の涙を流した。
彼女がせめてもの慈悲で被せた純白のシーツが……マタウの滲んだ血で悲しく染まろうとしていた……
それはまるで、彼の贖罪の涙のようであった……