互いに両者は向き合っていた。
双翼の悪魔と形容されるに相応しい黒兎人族の男ダニィ……
巨大な漆黒の翼と褐色の筋肉質な両手を広げ、まるで四翼の悪魔のように
獣神将エルナティと、ロスマルトに威嚇する姿は人間と兎と蝙蝠の複雑な遺伝子が絡み合う
ダニィの中に眠る蝙蝠の血が濃く浮き出ているように見えた。
だが、そこには兎の気性も垣間見えていた。
「キシャアぁぁアアぁぁアアああ……」
蝙蝠のような口蓋音(痰を吐き出す時のカァーという音に近い)の唸りをあげながらも、
ダニィは利き足の右足で地面を何度も踏みくだいていた。
怒り、威嚇、ストレス……攻撃的な感情を持った兎がとるスタンピングという習性である。
ディオゴやセキーネと違い、脚力はやや弱い部類に入るダニィであるが
それでもこのガイシの遺跡の石畳の床を踏み砕くには充分な脚力であった。
「なかなかやりおるな……黒兎。名はなんという?」
「ダニィ……ダニィ・ファルコーネだ。」
「ダニィとやら、お主の脚力はなかなかのものだ。」
ロスマルトは斧を構え、突撃の構えをとる。
両手に握り締めた斧を後頭部へと引きつけ、斬りかかろうとする
いわばタメを作る動作……その動作から見て隙だらけに見える構えに見える。
しかし、その構えのリスクを圧倒的に補うはロスマルトの圧倒的な筋肉である。
ロスマルトの腕や足がまるで甲皇国の装甲車のタイヤのごとく膨らみ、
その表皮にはホースのような血管が浮き出はじめる。
「だが、ディオゴほどではあるまい。」
獣神将ロスマルトは、外来種撲滅を信条としている。
ゆえに外来種であるディオゴが獣神帝の下に補欠でありながら、
仕えている事情には納得がいかなかった。
そのせいか、ディオゴとロスマルトはことあるたびに衝突を繰り返していた。
大概はロスマルトの猪突猛進的な怒りをディオゴがのらりくらりとかわし、
まともにディオゴが正面切って殴り合わないことで
「貴様、戦いを侮辱しているのか」、「攻撃をまともに受けないのは俺の実力を見くびってのことか」
と怒り狂い、最終的に両者が汗だくになるまでバテて終了することが多かった。
だが、時折ディオゴもロスマルトの求愛に近い、挑発に対して根負けして
ロスマルトと殴り合うこともあり、
大概はディオゴの方が「鋼みてぇなマッチョなデカチン馬の攻撃、
まともに受けてたら身が持たねぇわ」と根負けしてロスマルトの急所を
狙って終了ということが多かった。
そのディオゴとやり合っているロスマルトだからこそ、
分かっていた。ダニィの脚力は、ディオゴより圧倒的に弱いということを。
それゆえに、ロスマルトは許せなかった
(ディオゴめ……なぜ、こいつ如きに遅れをとった。)
ダニィの後方で血まみれになり、倒れているディオゴに目をやる。
ロスマルトは、誰の目に見てもディオゴに憎悪を抱いていた。
確かに、獣神将と補欠の立場というのもある……もっとぶっちゃけて言えば、
華奢で細身の分際で、筋肉キャラの立ち位置にいるディオゴが許せなかったというのもある。
よく筋肉とはなんぞやの話題で、ディオゴに
「でかくて太けりゃあいいってわけじゃねぇ、おまえの筋肉はデブと一緒だ」と言われて
それを根に持っているというのもある。
だが、それ故にディオゴの持つ無駄の無い持久力のある筋肉を内心尊敬していた。
ディオゴも、瞬発力とパワーのあるロスマルトの筋肉をけなしながらも
陰ながら瞬発力を鍛えようと地道に努力していたことも知っている。
今のディオゴはかつてのディオゴよりも体格もよくなり、
ロスマルトはかつてよりも華奢で引き締まった体躯になっていた。
「エルナティ……おまえは手を出すな。この男、俺一人で相手する!」
ロスマルトは闘志むき出しで、ダニィを睨みつける。
「分かってるわ。好きにやりなさいよ、デカチンホース。」
エルナティはどうせ言っても聞かないだろと言いたげに、投げつけるように言い放った。完全に戦士としてのスイッチが入ってしまったロスマルトの耳には馬耳東風、馬の耳に念仏というわけだ。
「ダニィとやら、どんな策略でディオゴを倒したのかは知らんが
今の貴様の実力で 俺に勝てるとは思わんことだ……戦わずとも分かる。
細いだけの貴様の筋肉… ディオゴに到底及ばぬわ。」
「はぁあ~~……これだからデカチンは……」
エルナティはロスマルトの筋肉思考に呆れ果てながら、頭を抱えていた。
だが、ロスマルトの心情も理解できないこともない。
ディオゴもロスマルトも同じデカチン筋肉バカ同士、
普段はいがみ合っているが、何か通じるものがあるのだろう。
同族嫌悪していても、好敵手の情けない姿を見せられてロスマルトも
内心、傷ついたものがあったのかもしれない。
「ハッ……でかいだけが取り柄の馬っころが何をほざ」
ダニィが言い切る前に、ロスマルトは次の瞬間ダニィの目前まで迫っていた。
既に斧を振りかぶっていたロスマルトは、ダニィの前に迫ると同時に斧を振り下ろしていた。
その差はコンマ0.0何秒のスピードであった。
ロスマルトのその動きを可能としたのは
馬の筋肉構造、特に発達している速筋と呼ばれる筋肉が生み出す瞬発力である。
だが、振り下ろしたロスマルトの背後にダニィは立っていた。
そして、次の瞬間ダニィはロスマルトの背骨をブチ折るべく
強烈な蹴りを繰り出していた。
「フン!」
瞬時に、斧の柄でダニィの蹴りをロスマルトは受け止めた。
「生憎だな……瞬発力ではアニキより上なもんでね。」
蝙蝠人よりの黒兎人族の持つ瞬発力は、時として兎寄りの黒兎人族のそれを凌駕する。そのまま、斧をへし折ろうとダニィは凄まじい圧力を柄にかける。
わなわなと震えながら、ロスマルトは怒りを振り絞るように言う。
「笑わせるな……貴様の蹴り、ディオゴの足元にも及ばぬわ!」
蹴りを受け止めながら、ロスマルトはダニィの足を押し返そうとした。
だが、兎人族特有の脚力を発揮したダニィの足を押し返すのは、
いくらロスマルトと言えど骨が折れる。
「……どうした? 筋肉達磨。顔は笑っていないようだが。
腕が震えているぞ? もう限界か?」
「ぐぬぬ……!!」
瞬発力を得意とするロスマルトにとって、この状況は不利であった。
瞬発力は筋肉に蓄えられた糖質(ブドウ糖)を糧にして、生み出されるものだ。
だが、糖質には限りがある。いわば長期戦には決して向かない。
短距離選手やボディビルダーが競技後に、疲労困憊になるのはこのためである。
よく巷では彼等のことを「使えない筋肉」とコケにしているが、
そもそも使う用途が違うので的外れ極まりないのだが、いずれにしろ
巷の人たちにそう映ってしまうのはこのためである。
ロスマルトは、その弱点を補うために一撃必殺の技を多用し
短期決戦に持ち込むことでそれを補っていた。
対して、ダニィは持久力を得意としている。
持久力は脂肪を糧にして生み出されるものだ。
糖質と違い、脂肪は消費されるのに時間がかかるため、長期戦に有利である。
長距離選手や水泳選手が40キロや、200メートルといった長い距離でも
バテずにパフォーマンスを低下させないのはこのためだ。
よく巷では彼等のことを「使える筋肉」と言っているが、
そもそも使う用途が違うので的外れ極まりないのだが、いずれにしろ
巷の人たちにそう映ってしまうのはこのためである。
だが、ダニィにも弱点がある。ダニィが瞬発力を有するのはあくまでも翼に連動した部分である。つまりは胸と背中、その周辺となるわけだが
ダニィの全体的な筋肉のバランスとしては、その割合はほんの3割にも満たない。その実、7割近くは持久力がメインである。いわば、細い筋肉に少しばかり太い筋肉が織り交ざったような状態だ。ディオゴのように筋肉の8割を持久力に振りまけているような長期決戦タイプ相手には有利に戦えるが、筋肉の9割を瞬発力に振り分けているロスマルトのような短期決戦タイプの攻撃をまともに受けると致命傷は確実になる。いわば、細い木の棒を鋼の棍棒で叩きおるようなものだ。そのため、ダニィはロスマルト相手には攻撃をかわしながら長期決戦に持ち込んだり、腕相撲などにおいては如何に瞬発力に耐えるかの根比べをするしかない。
さきほど、一撃必殺の覚悟で斧を振ったロスマルトは
ダニィに攻撃をかわされたことで、いわば「バテた」状態になっていた。
「おのれ……攻撃をかわすとは腐りきった根性の持ち主よ……まだ、ディオゴの方が俺の攻撃を受ける肝が座っておったぞ。」
「ディオゴ……ディオゴ……うるせぇぞォお!!!グルぁあアア!!!!!!」
突如、ダニィは耳をつんざくような怒鳴り声をあげた。
咄嗟にエルナティと人職人人は耳を塞いだ。
ちょうど、その時 ダニィたちの場に入り込んでいた感染者たちの鼓膜が
突如として破れ、感染者たちは耳から血を噴き出してショック死した。
ダニィの蝙蝠としての特性「ショックノイズ」の片鱗であった。
「俺はあの野郎なんかに……ッ!!負けちゃァあいけねェんだ!!」
目を見開き、牙をむき出しにして激怒しながら
ダニィはサマーソルトキックを顎に食らわすべく、前転した。
その直後、ダニィは再び地面を蹴り、ロスマルトの懐まで一気に距離を詰める。
(くそ…身体が…!)
ダニィのショックノイズをまともに受け、破れなかったにしろ鼓膜に大ダメージを受けたロスマルトは、ダニィの攻撃をかわすことができず、まともに食らった。いつもであれば、咄嗟に筋肉を硬直させて防御することが出来る筈のダニィの攻撃がロスマルトに容赦なく襲いかかった。
ズブ……ザキュ!
ロスマルトの肉を突き刺す鈍い音を立てながら、急所が集中する正中線(体の真ん中にある急所の経絡のこと、任脈とも被る)目掛けて、ダニィは拳と抜き手と掌底の連打を叩き込んだ。ダニィが得意とするジークンドー、詠春拳の生み出す格闘スタイルによって叩き込まれたその連打は、ロスマルトの急所という急所に叩き込まれた。
むろん、金玉も含めて。ロスマルトの金玉をダニィは足の甲で蹴り上げる。
「ぐ……ぬぅぉア……ッ!!」
巨大な金玉をぶら下げているロスマルトにとって、金的は内臓をえぐり上げる
地獄の痛みであった。
「ぐ……ぬぅおぁ!」
額に血管を走らせ、ロスマルトは攻撃を耐えた。
「……効かぬ。お前のその蹴り……俺の心に何を刻むというのか……
だから、貴様はディオゴの足元にも及ばぬのだ……!」
ロスマルトはダニィを睨みつけ、次なる拳の一撃をその腹に叩き込む。
「ごぁが……ッ!!」
ダニィは目を見開き、悶絶した。無駄のない筋肉ではあるが、
ロスマルトの圧倒的破壊力を誇る拳の一撃の前には、
まるでタイヤに踏み潰される小枝のような脆さであった。
ダニィはゲロと唾を撒き散らし、腹を抑え、跪くように倒れ込んだ。
「ごぁ……ゲハあっ!!」
白目を剥き、唇を噛み締めながらダニィはのたうち回った。