前書き
ミシュガルド大陸発見に先立つアルフヘイムと甲皇国の戦争は、ニーテリア初の遠く隔たった大陸間の大戦であった。
開戦当初、両大陸の沿岸は互いの海軍と空軍でよく警備され、長い航海で疲労困憊した比較的小規模な上陸部隊は、運良くその網を潜り抜けて敵国の沿岸に侵攻したとしてもたちまち海に押し戻された。
どちらの陸軍も、大陸統一後の長大な海岸線を警備するための資源を海軍と空軍に奪われ、逼迫する予算の中での規模の縮小、装備の簡略化、そしてそれを補うための馬鹿げた精神主義が蔓延し、結果としてその戦闘技術は刀剣を持っての突撃を主体とするまでに落ちぶれていた。
これがいかにあのような、甲皇国が民間人を含む敵国構成員の全面的抹殺を目論むよう大戦に発展したかとの理由は様々に考えられるが、その一端には、甲皇国空軍の「空中艦隊ドクトリン」の過剰な追及によりアルフヘイム奥地への空襲が可能になったこと、またそれに伴って甲皇国側に民間人の殺傷に対するなんらの倫理的な障害も無くなったことにより、それぞれアルフヘイムの兎人族とエンジェル・エルフ族の君主であったピアース三世やミハイル四世らが交渉していたともされる、各部族の分離独立による単独講和の雰囲気さえあったアルフヘイム国民に反甲皇国感情を植え付け、さらに悪名高き丙武将軍麾下の陸軍部隊や、自身が長官であるカデンツァ内親王も関与したとされる、武装親衛隊ら甲皇国地上部隊による亜人種虐殺をも戦争の手段として正当化されたことも十分関わってくると思われる。
本航空戦史においては、民間人の殺傷を含む戦略爆撃を正当化する「空中艦隊ドクトリン」を推進した責任者であり、甲皇国空軍指揮官であったゼット伯爵に焦点を当てる。一介の冒険好きな貴族であったゼット伯爵が、いかに大量虐殺の責任者となったか、その最期、そしてその犠牲者について述べ、そののちに新たに発見されたミシュガルド大陸において生起しうる航空戦について述べたいと思う。