~bunkaku~
突然だが私は蜘蛛である。
蜘蛛は忍耐強くなければやっていられない。
毎日巣の中心で、
ひたすら獲物がかかるのを待っている。
巣にかかる獲物なんて滅多にいない。
三日、いや五日にハエの一匹でも取れれば上々だろうか。
ところで蜘蛛にも忍耐強い奴と、
そうでない奴がいるのを知っているだろうか。
実は蜘蛛にも色々いて、
私はとても飽き性な蜘蛛なのだ。
そんな私が巣の中心で、
ひたすら獲物を待つなんてこと出来るわけがない。
では私は普段どんなことをしているのか。
今日はそれをちょっとだけ教えてあげよう。
私は良く音楽を聞く。
これは最近知ったのだが、
ジャズなんて聞いてると獲物が自ら巣に飛び込んでくる。
と言うのは嘘で、私はジャズを聞かない。
そもそも蜘蛛が音楽を聞くはずがない。
だから私は今日も巣の中心で獲物を待つ。
これも嘘である。
そもそも私は蜘蛛ではない。
蜘蛛は自分の境遇なんて考えないだろうし、
飽き性も何もないだろう。
では私は誰か。
私は時計店を営んでいる、山田太郎という者だ。
いつものように客はまばらですることがない。
はっきり言って近頃の時計業界は不況だ。
いや、デジタル製品に押され気味と言った方がいいか。
だが私はあんな物を時計とは認めない。
まぁ仕方なし商品の掃除をしていところ、
蜘蛛の巣を見つけ、さきの様な事を考えた次第だ。
もちろん、これも嘘である。
私は時計店なんてやってない。
山田太郎でもない。
ていうか時計なんてあんま興味ない。
今画面の前でうぜええええと思ったあなた、
どうかブラウザを閉じないで欲しい。
私の名前は抹茶味噌汁という。
新都社というWEB上の架空の雑誌社、
そこに拙い文章を投稿するしがないニートである。
もう読めている人もいるかも知れない。
そう、これも嘘である。
私はそんな変な名前ではない。
じゃあ抹茶味噌汁というペンネームを使って、
文章を書いている中の人だろ?
いいや、それも違う。
私はただこの文章を書くために、
それだけのために生み出された名も無い誰かである。
もちろん、中の人の影響は受けているかもしれない。
それでも私は抹茶味噌汁の中の人ではない。
書いてる中の人はきっとこんな事を書きながらも、
オナニしてーやら、
腹減ったーやら、
ねみーやら考えているに違いない。
だけど、私はそんなことは考えていない。
第一、考えていたとしても読んでいる人には伝わらない。
何故なら読んでいる人には、
私の情報を得る手段がこの文章しかないからである。
しかし肝心のその文章は、
抹茶味噌汁の中の人が書いている。
私以外の者が私について書いているのに、
それが読んでいる者に伝わるわけがない。
そろそろ訳が分からなくなってきただろう?
私もだ。
少し話題を変えよう。
そもそも何故あなたは冒頭の文を信じたのか。
“私は蜘蛛である。”
常識的に考えて蜘蛛はキーボードを使わない。
それなのに、
読んでいる者はコイツ蜘蛛なのか、と思ってしまう。
何故か。
それはこれが一つの文章の作品だからである。
例えばある一冊の本があり、
“俺の名前は鳳凰院ヤマト、バリバリマッスルの高三だ。
実は俺には特殊な力があるんだ!
しかし、
そのせいである組織、その名も紅い風倶楽部に追われてる。”
こんな書き出しの文があったとしよう。
この文に対して、
厨くせえ名前だなとか。
どんなセンスしてんだその組織は、とか。
そんな事を思う人はいるかも知れない。
しかし、
鳳凰院ヤマト? その名前は嘘だ! とか。
そんな組織なんて無いよ!! など。
こんな難癖を付ける人はいないと思う。
もしそんな方がいたら、
ちょっと今の世の中、生きて行くのは大変かもしれない。
頑張れ!
まぁ詰まるところ、
どんな文章の作品であれ最低限のルールがあるわけだ。
例えば、
作者の書くことは無条件に読者は信じてしまう。
これも読む側にとってのルールの一つかも知れない。
読む側にルールがあるならば、
書く側にもルールが存在する。
例えば、
矛盾を生じさせてはならないといった最低限のものから、
段落の前には何マス空けるなどという細かいものまで。
しかし、深く考えることは無い。
基本的に文章なんて、
文字が理解できれば誰でも書けるのだから。
こちらは自由に何でも書くことが出来る、
そして読む側は勝手にそれを信じてくれる。
しかも時にこちらの思惑にまんまとはまり、
驚き、
悲しみ、
感動する。
こんな楽しい事が他にあろうか。
いやない。
偉い先生は言いました。
“紙と鉛筆を用意しよう、
初心者の方も安心して、大丈夫だよ!”
“文を書くのって楽しいね”
さあ! あなたもレッツトライ!