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地上と地下

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私は地面に掘られた洞穴から顔を出し、辺りの様子をうかがった。
辺り一面、黄色の砂。建物はもちろん、植物も生物の姿も気配も無い。
そこには何時もの光景が広がっていた。上は晴天の青。下は一面の黄色。遥か遠くで青と黄色がぶつかっていた。風が吹けば、砂が巻き上げられ、薄い黄色のカーテンを作る。
私以外に誰もいない、何も無い。私だけの私の為の世界。
私はこの景気が好きだ。そしてこの景色の中を気ままに散歩するのが好きだ。
当然、友達はもちろん家族にも秘密だ。上の世界を散歩するのが好き、などと漏らそうものなら次の日には刑務所のお世話になるだろう。そんなのは御免だ。
私は洞穴から這い出し、砂の上に真っ直ぐ立った。
思い切り深呼吸をして、肺一杯に空気を入れる。地下では感じたことの無い、空気の味。そよ風が頬を撫でる。さんさんと照りつける太陽は、体の芯から私を暖める。
ああ、ここは最高の場所だ――
遥か昔、人類は地上で生活していたという。なんと羨ましいことだろうか。毎日、風を感じ、太陽を感じていたのだ。これを至福と言わずなんと言うのだろう。
今では、実際に地上に立ったことのある人間は少ない。なぜなら四十年ほど前に制定された法律で、地上に来たものは極刑に処されることとなったからだ。おかげで、大多数の人間はこの上の世界を知らない。
私はなんと幸せなことか。なにせ、地上の素晴らしさを知っているのだ。
私は我慢しきれず、走り出した。
砂に足を取られ、何度も転んだ。しかしそれさえも心地よい。私は目を瞑り走った。上の世界に私を遮るものは何も無いのだ。視覚など必要が無い。
私が走れば走るほど、風が激しく私にぶつかる。ごうごうと私の耳元で風が音を立てる。


私が洞穴の場所に再び戻ってきた時には、すっかり空は暗くなり、星が所狭しと並んでおり、鋭い鎌のような月がぽっかりと浮かんでいた。確か三日月という形だ。
「綺麗…」
私は感嘆のため息を漏らした。キラキラと輝く夜空は、地下では決して味わうことができない。
無造作に散りばめられた星々は妖しく光り、じっと見つめていると空に飲み込まれそうになる。
私はふと右手首の腕時計を見た。二本の針は午後の8時30分を示していた。
まだまだ地上を堪能したかったが、これ以上遅くなるのは望ましくない。
私は最後に夜空に浮かぶ月に向かって大きく手を振ると、洞穴に潜り込んだ。


この地上と地下を繋ぐトンネルは、おもしろい構造になっている。
大きさは大柄の大人が楽に通れる程度。
梯子を伝って下に降りていくと、途中右側に横穴が見える。その横穴に入り、しばらく直進するとまた下方向に梯子が伸びている。その梯子を下りきれば、そこは地下の世界だ。
もし、途中横穴に入らずに、そのまま降りていけば何があるのか。答えは何も無い。あっても意味が無いのだ。なにせ横穴から下の空間は雨を溜めるために作られているのだから。もしそこに彫像でも置いていよう物なら、一週間もしないうちに消えて無くなるだろう。


私は梯子を降り、横穴を通り、また梯子を降り、ようやく地下の世界へと続く扉の前に行き着いた。
ここでいきなり扉を開けるほど私は馬鹿では無い。見つかれば極刑。私は慎重に動く。
まず聞き耳を立てる。扉に耳を押し当て、聴覚を最大限に働かし、周りの音を聞き取る。
音は無い。
正確に言えば音はあるが、私の恐れている音――つまり人の気配は無い。
数年前までは、何人もの警備兵が居たのだが、身の危険を冒してまで上の世界に行こうとする人間はここ何十年と見つかっておらず、大人数を派遣するのはばかばかしいということで、今は警備兵は配属されていない。
次に私は、少しだけ扉を開き、辺りの様子を伺う。人影は見当たらない。
私は更に扉を少しだけ開き、体が通れるほどの隙間を作り出すと、するりとその隙間から地下の世界の中に入った。

目の前に広がるのは私の大嫌いな光景。果てしなく広がる地下の世界。
基本は鉄。
建物は八割方鉄製だ。また四方の壁と天井も鉄で塗り固められている。砂や植物といったものは、下の世界には存在しない。存在してはいけない。
四方の壁と天井には小さな玉が埋め込まれており、その玉が光と熱を生み出す為、この世界は常に明るく、適温に保たれている。その為に人々は朝と夜との区別が無く、昼夜を問わずこの世界は活動的だ。
大型の建築物がいたる所に建っており、またいくつかは宙にぷかぷかと浮かんでいる。それらにまるでお菓子に群がる蟻のように人々が集まっていく。
地面を、宙をエア・カーと呼ばれる超小型飛行車が所狭しと行き交う。操縦はもちろん全自動。行き先さえ入力しておけば、後は勝手に機械が連れて行ってくれるという優れものだ。
一昔前は大金持ち専用の乗り物という印象だったが、ここ数十年で驚くほど一般市民に普及した。今では当初に比べかなり低価格になっており、一家に一台は当然だ。
地面から天井にかけて至る所から柱が伸びている。もちろん鉄製。この柱が地上を支えている。また、地上に繋がる唯一の道でもある。私が地上と地下を行き来するのに利用しているのも、この柱だ。

私は近くにある広場を目指して歩いた。そこに私のエア・カーをとめてある。正確には、私の母のエア・カーで、洋服を買いに、遠くのデパートまで買い物に行きたいと嘘をいって拝借したものだが。
私は歩きながら言い訳を考えた。門限は9時。現時刻は8時50分。私が乗ってきた最新の速度重視型エア・カーだとしても我が家までは大体30分。単純計算で20分のオーバーだ。
今日は金曜日。門限に厳しい父は今日は昼勤務のはずなので、家に居るだろう。あれこれ嘘をつくより、素直に謝ったほうが被害が少ないだろうか。
そんなことを考えていると、いつの間にか私はエア・カーの目の前まで来ていた。
母愛用のこのエア・カーは、私の好きな『エッグ』のシリーズで、その名前の通り卵のような形をしている。色も私好みの綺麗な銀色で、かなり小さい。一人乗りのエア・カーだ。
私の接近に気が付き、エア・カーはブオンと起動音をたて、数センチほど宙に浮いた。
『おかえりなさい。エリカ様』
この『エッグ』シリーズのエア・カーには着促音認知装置が搭載されている。足音やその歩行スピード、間隔などから登録者かどうかを判断し、近づくだけで自動的にロックが外れ、起動する仕組みだ。逆に一定距離以上離れると、自動的にロックがかかり、エンジンが切れる。
プシューという音と共にハッチが開く。私は乗り込むと同時に言う。
「自宅まで。景色はシャットアウトしておいて」
『かしこまりました。目的地、自宅。走行距離323km。予定走行時間27分。景色をシャットアウトします』
ハッチが閉まると同時に、車内は真っ暗になる。景色をシャットアウトさせたのは、この大嫌いな世界を見たくない為だ。
『残りの電力が少なくなっております。近いうちに充電を――』
「うるさい」
私がピシャリと言うと、エア・カーの音声が途絶えた。



「今何時か、言ってみろ」
玄関の扉を開けると同時に、鬼のような形相の父が睨み付けていた。最も、この展開は予想の範疇だ。
腕時計を見ると、11時20分の時刻を示していた。
なぜこれほど遅くなってしまったかというと、理由は単純。車内で寝てしまったからだ。
本来ならば到着すると同時にエア・カーが『到着致しました』と起こしてくれるのだが、私の「うるさい」を忠実に守ってくれたお陰で、到着にも気づかず眠り過ぎたという訳だ。
「11時20分……です」
私はおずおずと言った。
「……門限は何時だ。言ってみろ」
「9時です」
言うと同時に、私は目を瞑り歯を食い縛った。このタイミングでビンタが飛んでくると予想した為だ。
しかしいくら待てど私の頬に衝撃が走ることは無かった。恐る恐る目を開けてみると、先程の鬼の形相を父は居らず、かわりにきょとんとした可愛らしい顔をした父が居た。
「それはなんだ?」
父は私の足元を指差した。私は父から自分の足元に視線を滑らせた。
黄色い小さな粒々が、私の靴に付着していた。砂だ。
この地下の世界にあるはずのない砂が、私の靴に付着していたのだ。
瞬間、私は背筋が凍りついた。なんと初歩的なミスをしてしまったのだろうか。
「……貴様」
私の靴に付着しているものが何なのか、父も勘付いた。目玉が飛び出そうなほどの怒りと、恐怖をあらわにした。
私は殺されると思った。正義感が異常なほど強い父だ。実の娘が重犯罪に手を染めていたとわかれば、自らの手で殺しかねない。
私は身の危険を感じ、家を飛び出した。後ろから父が何か叫びながら迫ってくる。
『おかえりなさ――』
「いいから、さっさとハッチを開けて」
私の声に反応し、素早くエア・カーのハッチが開く。
私はエア・カーに乗り込むと同時に叫んだ。
「どこでもいい。逃げて」
『かしこまりました』
音声と同時に、エア・カーは猛スピードで走り出した。
段々と小さくなっていく父を見ながら、もう家には帰れないなと思った。

私は、特に目的もなく夜の世界をエア・カーで飛び回っていた。最も、すでにこの世界には朝も夜もあって無いようなものだが。
恐らく、あの後すぐに父は特殊警察に一報を入れただろう。そして今頃、特殊警察は血眼になって私を探しているのだろう。重犯罪人として。
私は、死ぬ運命だ。特殊警察からはどう足掻いても逃げ切れるものではない。一時間後か、もしかしたら次の瞬間にでも、目の前に特殊警察の乗る真っ白なエア・カーが現れ、私を刑務所へと連れて行くのだ。
そして刑務所では、ただじっと処刑される日を待つだけ。これは予想や予感などではなく、確実に私に訪れる未来。どうせ死ぬのなら――
「一番近い柱へ」
『かしこまりました。目的地、柱。走行距離55km。予定走行時間7分』
どうせ死ぬのなら、私の好きな場所で、好きな景色を見ながら。



私は仰向けに砂の上に転がり、空を仰いだ。
目の前には、満天の星。深い黒と、鮮やかな黄色が何とも不思議な光景を作り出している。
私は、寝転がったまま手のひらで砂をすくった。
指の間から、さらさらと砂はこぼれた。その様子を私はただじっと見ていた。
この砂が、政治家たちが地上に出ることを禁じた理由だった。
40年前、濃度の強い酸性雨を長年浴び続けた砂から、新種のウイルスが発見された。
早期に発見された為、実害は殆ど無かったが、もし発見が遅れていれば世界の人口は半分ほどになっていただろうとも言われている。
最も今ではワクチンも発明され、出産と同時に注射される為、そのウイルスに感染することはない。だが、頭の固い政治家たちは、「万が一に備えて」などと理由をこじ付け、地上に来ることを禁じた。
また、これに反対する国民も少なかった。
もともと、このウイルスが見つかる以前から、地上に出てくる人間は極々少数だった。頻繁に降り注ぐ酸性雨の中、危険を冒してまで地上にでてくる人間はいないということだ。
「降らないかな、雨」
誰に言うでもなく、一人呟く。
地上は静かだ。地下のようにTVやエア・カーの騒音も無く、誰かのヒソヒソ話も当然ないし、口うるさい親もいない。
風に運ばれた砂が、さらさらと音を奏でる。ただその音だけが聞こえる。
私は静かに目を閉じた。


「あつ」
私は、背中に熱を感じて目を覚ました。
寝返りをうっていたようで、いつの間にか私はうつ伏せに転がっていた。
ザーという音が当たり一面から聞こえる。
背中が、後頭部が、ふくらはぎが熱い。酸性雨だ。
じゅううという自分が焼けていく音を聞きながら、私は死ぬんだなと思った。
「最後に…」
最後に、大好きな星空を眺めて死にたいと思い、寝返りをうった。
目の前に広がる光景は、私の予想を大きく裏切った。
一面、深い黒。ペンキをただ流し込んだような、純粋な黒。
私の好きな星空はそこには無く、ただただどす黒い黒が続いていた。
そういえば、昔に本で読んだことがある。雨が降るときには雲がでて、雲が出るときには星は出ない、と。
酸性雨が目に入り、すぐに私は視力を失った。
自分がじゅうじゅうと焼ける音を聞きながら、生まれ変わったら空の下に生きたいと願った。
そして、友人や家族と共に、大好きな星空の下を駆け回るのだ。
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