H E A V Y K N U C K L E !
第一話 少年の日
夜11時。電柱を叩く乾いた音が路地裏に響く。
『コンッ、コンッ』
少年が一心不乱に拳を叩きつけていた。
名は菱川洋仁。汗だくの姿になりながら何かをつぶやきながら電柱を叩き続けている。
「まだだ。もっと、もっと…」
高校二年生の彼はこの作業を3年間毎夜欠かさず続けている。
おかげで拳は変形し平らになった拳頭は、長年の衝撃に堅くなっていた。
何故彼がこんな事を行なっているのか、それは3年前の中学二年生の夏にさかのぼる。
・・・彼はおとなしく体の小さな少年だった。
成長期を迎えた同級生達の毎日のように大きくなっていくその姿を、
見上げる側で見続けてきたのだ。
幼い頃から気弱な性格の彼は不幸にも、いじめの影におびやかされる事になった。
体の大きな者数名に平均的な体格が集った連中。
他人をおとしめる事を簡単に行なえる者たちに目をつけられた事は、
相当な苦しみを洋仁にもたらす事となった。
教科書、文房具のやり取りから気付かれた押しの弱さを知られ
借りたと称してはいつまでも返さずに、困る様子を楽しまれ始めた。
そして他人に気付かれないように腹部を狙った暴行、金品の恐喝。
そうした物や体に対してのものには洋仁は耐え続けた。
少しづつ自分を削りながらも耐えてさえ居ればその時は通り過ぎる・・・
しかしある耐え難い事が起こった。
彼の恋心を抱いたある女子生徒、その名が知られてしまった事にそれは端を発する。
一年の時同じクラスとなり公正で朗らかな女子、
その性格がにじみ出ているような顔立ちを持ったその女子生徒は
洋仁に対しても優しい心を配り、また洋仁もそれに応えたいと静かに願うようになった。
それはお互いの心奥が客観的に見えたとしたら、それはほほえましく
また理想的な心の結びつきだったと言えるかもしれない。
気持ちを飾る事なく、少しずつお互いを知っていこうとする二人の交流だった。
洋仁にもそれなりに仲のよい男子生徒は居る。
そうした友人と気になるその女子生徒の名前の明かしあいになり、
明かしたその友人がいじめを行なうあの集団の詰問に遭遇したのだ。
「あいつの好きな奴知ってる?」と。
女子生徒と洋仁は二年生になっても同じクラスとなった。
同じ係りとなり放課後仕事となる掲示物をまとめる作業をしていたその時だった。
二人きりのクラスの連中が入ってきたのだ。
「あぁーいたいたー、あのさお前ちょっと来てよ。杉浦がお前に話しがあるんだよ。」
杉浦とは集団の中の一人、ナンバー2。
喧嘩っ早くて他校にも恐れられていると噂されている奴だ。
それが女子生徒に用があると呼び出しをしているのだ。
洋仁に視線を向ける女子生徒。その不安を本人以上に感じる洋仁。
「おいコラァ、お前はうざいからすぐ出ていけや。」
数人で洋仁に脅しをかける。洋仁は言った。
「…何をするんだ」
杉浦は答える。
「あぁっ!?テメェには関係無ぇよ」
洋仁の心中はいつも受けている脅しの時とは様子が違った。
”これはやるしかない”
そう心に決めるものがあった。
すると女子生徒は洋仁にこう言ったのだった。
「…大丈夫だよ、洋仁君先に外で待ってて」
洋仁は混乱した。何をされるか分からない。きみが僕と同じような目にあうのは
絶対に嫌なんだ。でも何故外にと?
「ダメだよ、一緒に」
そう言いかけたところで連中はまた脅しをかけてくる。
「オイ…早く出て行けよコラてめぇ…」
女子生徒は小声で洋仁にささやいた。
「出て行ってて」
その目は強い意思が見て取れた。
洋仁はその目に少なからず安心感を覚え、素直に従うことにしたのだった。
反対側のドアから出て行く洋仁。入れ替わるように中に連中が入っていく。
数分待とう、何かがあったらすぐ飛び込んでやる。
そう決意を固めていた。殴られる恐怖が耐え難いものであり、
誰も味方など居ない不安の真っ只中に居たとしてもそれだけは行いたい事だったのだ。
数分が経ち、おもむろにドアが開いた。
連中の中でいつもつき従っている数名が出てきたのだ。
洋仁の姿を確認して教室の中に声をかける。
「いるっす」
すると中から杉浦と他の中心メンバーの声が聞こえてきた。
「早く帰れやぁ!」「そいつ帰らせといて」
血が逆流するかのような感覚が洋仁の体を貫いた。
直感で悟る。
(これはマズい)
冷や汗をかくと同時に今までに感じた事の無いような感情が浮かび上がってきた。
殺意である。
小学生ともなれば冗談で「殺す」という言葉もいい始める。
思春期にさしかかる中学生ともなればまた新たな意味を帯びて発するのかもしれない。
ただおぼろげながらも洋仁の脳裏には、相手を”地面に横たえさせる”映像を浮かび上がらせていた。
拳を固め、洋仁がうつむいたその時思いがけぬ言葉が教室から聞こえてきた。
「先に、帰っててー」
女子生徒からであった。
その声に応えるように洋仁の目の前に来ている数名が口々に洋仁にうったえかける。
「ほら早く帰っとけよ」「あいつが帰ってって言ってるよー?ほらー」
洋仁は記憶にまだ残る女子生徒の声から緊急事態性を感じ取ろうとしたが
それは感じ取る事が出来なかった
。
杉浦達のニヤニヤした顔が思い浮かびそうな女子生徒に話しかける声が
かすかながら聞こえてくる。
大丈夫なのだろう、あの声なら何も起こっては居ないのだろう。
相手は女子だ。酷いことをする事も無いのだろう。
…バックは後で取りに来ればいい。
洋仁はそう思い学校を後にしたのだった。
3時間ほど経った後に洋仁は学校に戻ってきた。
夕焼けの暖かみがありながら切ない光が教室中を満たしている。
残りの掲示物はきちんと貼り付けられていた。
そうだ、残りを忘れていたと気付いた洋仁だったが丁寧にとめられた画鋲を見ると
安心した気持ちになった。明日、きちんと聞けばいいと。
あくる日、洋仁はまたあの朗らかな彼女の顔を見るのを心待ちにしていた。
しかし、それまでに向けられていた女子生徒の心が
再び洋仁に向けられる事は二度と無かった。
洋仁は女子生徒の机に近づき小声で尋ねた。
「昨日どうだったの?」
女子生徒はうつむきかげんに答えた。
「…うん。大丈夫、だけどあのね」
1、2秒の間をおいて女子生徒は言った。
「杉浦君と付き合う事になったの」
言い終わると同時に担任がクラスへと入ってくる。
それにしたがって生徒達は自分の机へと一斉に戻りだす。
しばらく理解できずに居た洋仁は声にならない声を出そうと
努力していたのだが、担任の菱川早く座れとの声にうながされ
自分の席に引き寄せられたのだった。
朝のその姿を見ていた連中の仲間が放課後、杉浦にその洋仁の姿を報告していた。
杉浦は洋仁を誰も居ない教室に連れ込みそして髪をつかみ上げながら耳元でつぶやく。
「お前俺の女に話しかけたら殺すぞ」
そう言い、仲間で洋仁を蹴りあう遊びを始めたのだった。
机の間に倒れこむ洋仁。その痛みよりも信じがたい事が起こっているショックが
洋仁の心中を満たしていた。
それから話しかけただろうという理由で数回ほど似たような事が行なわれた。
場所や暴力の内容は異なるが洋仁にとっては同じような事だ。
彼女に起こっている事と比べたら殴られた事実などどうでもよい事だった。
女子生徒は傍から見る分には普段と変わらない姿を見せていた。
ただ変わった事は洋仁との会話が無くなった事、
そうして中学二年生の夏休みを迎える事になったのだった。
洋仁は、親に相談する事にした。
名状し難いこの心境をどうしたらいいのか、仲のよかった生徒が
あまりよくない生徒とつるむようになってと言葉を濁しながら伝えたのだった。
しかし親の態度は洋仁が予想もしないものであった。
「お前は弱いからなぁ」
傍観の態度で薄笑いを浮かべた言葉で言われた一言。
その一言の後に両親はまた二人で話していた話題に戻っていった。
洋仁の心に何かが生まれた一瞬だった。
夏休みも終りまた女子生徒の姿をみるようになっても
態度は相変わらずだった。
そして中学生ともなれば噂に興味深深なもので、
皆こぞって隠れるようにしながら話し合っている。
その日最後の授業を終え雑然とした教室の中である言葉が
断片的に洋仁の耳に入ってきた。
女子生徒が杉浦と寝たといった内容だった。
その夜、洋仁は暗い自室の中で床に這いつくばりながら涙と吐き気に耐え続けた。
それまで受けた暴力が蘇ってくる。奪われた金品、数ヶ月以上痛み続けるあばら、
全身で暴力を受けていない部分は体の中だけだろうと思うように
あまつさえなく思い出してくる。
そして両親の傍観の態度。薄笑い。
不思議とその言葉は思い出せなかった。しかし態度と表情がまるで固体のような明確さを
持って思い起こされるのだった。
洋仁は心の中で絶叫した。
「何故!何故!何故!こうなるんだ!俺が何をした!
誰がこの事態をどうするんだ!
暴力と集団になればなんでも思い通りになるのか!
好きな人と一緒になれて味方もでき、常にかばいあい、
奪う事が出来る、何故だ!」
誰も信じる事が出来ない、味方になる者が居ない、
それならば自分が力を持つしかない、
オレの体は軽い、いつも投げ飛ばされ殴り飛ばされる。
「 必 ず 重 い モ ノ を 叩 き 込 ん で や る …」
空も白み始めた明け方の頃、一晩苦痛に耐え続け筋肉痛になった体を
投げ出した洋仁の心にその一言が翻った。
その日から洋仁の執念の日々が始まる事となる。
「絶対に…」
第一話 終