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第三話 深夜の強襲、死霊の思惑

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「で、どうしたんだよお前。そんなに急いで。えらい形相してたぞ」
「それは…、っ!」
 少年に問われ、そこで自分が見た人の形をした『何か』のことを思い出して慌てて空を見上げる。
「……いない」
 雲の切れ端もない夕焼け空には、あの宙に浮く人型はどこにも見えなかった。
 見失った?それとも逃げた?
「?」
 少年も、由音の視線を追って空を見上げていたが、やはりそこには何もない。なんなんだと言いたげな少年の表情に由音は口籠った。
 こんな話をしたところで、この少年が信じてくれるとは思わない。いや普通の人間であれば誰であれ信じるわけがないのだ。
 異質なモノと能力を抱えた自分だから、あれを見ても幻覚や見間違いだと思わなかったのであって、そうでなければ由音だってこんな状況を馬鹿正直に受け入れたりはしない。
「いや。なんでも…ない」
 だから、由音はそう答えた。いきなりぶつかっただけの相手とはいえ、他人から自分がおかしな発言をする変人だとは思われたくなかった。
「…?そうか」
 少年も由音の様子に少し眉を顰めただけで、それ以上何か言うことはなかった。
「んじゃ、俺は行くわ。お前も周りには注意しろよ、さっきみたいになると危ないから」
「ああ、わかった…」
「……お前さ」
 何事もなかったかのように立ち去ろうとした少年が、その間際に力ない返事をした由音の顔をじっと凝視する。それから、
「…やっぱなんでもない」
 と言って片手を振って今度こそ路地裏の細道へ消えて行った。
「お…、」
 呼び止めかけた声を喉奥に押し込んでそれを見送る。
 由音はもう少しあの少年と話をしてみたかったが、いきなり会っただけの見ず知らずの他人にあまり固執するような真似をすれば不審がられてしまうと思い声を掛けることはしないでおいた。
 自分自身、なんでここまであの少年が気になるのかわからなかった。似ている、と感じたその理由すらはっきりしていない。
 ただ、漠然と、なんとなく、そう感じただけだったから。
(…おれも帰るか)
 独りでこの路地裏に留まるのは危険だ。逃げる為に飛び込んだ場所とはいえ、ここだってそこそこに危ないのだ。不良やチンピラの巣窟としてこの辺りはよく使われていると聞く。
 ただ、この危険は普通の人間が引き起こすだけのものであるが故に由音にとってはそっちの方がよっぽど気が楽ではあったが。



「ーーー……っ!?」
 夜、自室のベッドの上で由音は唐突に跳ね起きた。
 全身は冷や汗でびっしゃりと湿っている。動悸も激しく、呼吸も荒い。
 何が起きた?
 悪夢を見たのかと思ったが、おそらく違う。この心臓の辺りから来るぞわりとした感覚は、そういった可愛らしいものではない。
 もっと恐ろしい、もっと常軌を逸したもの。
 心当たりなら、嫌でも思い浮かぶ。
(アイツか…!!)
 空に浮いていた、あの人間の形をしたモノ。
 心臓が、正しくはその最奥に取り憑いた忌々しい悪霊が、ヤツの存在に対し宿主である由音へと警鐘を鳴らしている。
 近い。とても近くて、今なおさらに近づいてきている。
(なんでだ…あの野郎、おれのところへ来てる!?)
 どういうことだかわからないが、夕焼け空に見たあの人型のモノは由音を標的としてここへ接近してきている。悪霊に取り憑かれた東雲由音の汚染された五感が、確かにヤツの存在を感じ取っていた。
「くそ!」
 兎にも角にも、由音はベッドから出て玄関へ向かう。
 ヤツが自分へ近づいているのなら、家にはいない方がいい。このままでは家族まで危険に晒してしまう可能性が高いからだ。
 寝間着姿のまま激しく動く心臓を押さえ付けながら極力静かに家を出て、走り出す。
 どこへ、など考えてはいない。ともかく走る。
 夜中ということもあって人の一切いない街を、空に浮かぶ半月が寂しく照らしている。
 まだ日中は暖かいとはいえ、やはり秋の夜は冷える。寒さと恐怖で身を震わせながら、由音は背後を振り返る。
 その瞬間、不可視の衝撃が由音を襲った。
「がっ!」
 無抵抗でその衝撃を身に受けた由音の体が無人の道路を転がる。何度も何度も手足を地面に打ち据え、ベキボキと骨から不気味な音が響く。
 ようやく転がる体が止まる頃には、横倒しになった由音の右手は歪に曲がり折れ、左足首も稼働領域を超えて捻じ曲がっていた。
(痛い…手足が…!くそ、折れた…なん、だ。何が起きてる)
 激痛と困惑で頭が回らない中、両目は空に浮かぶ月へ固定されていた。
 半分の月に、何かのシルエットが浮かんで見える。
 それは、人型のーーー。
「まだ生きてるか。まあ死んでもらっても喰えなくなるから困るんだがな。やはり能力持ちは頑丈な身体をしているのか。羨ましいな、そんな良い肉体を持っていて」
「…お、まえ……なんだ、お前……!」
 由音は、怒りを混ぜた声音でそれを見上げる。
 羨ましいだの、良い肉体だの。
 勝手なことを、何も知らないで。
 好きに戯れ言を垂れ流す相手に、既に恐怖は感じていなかった。この身を呪う由音にとって、それらの発言は恐怖を上回る怒りを湧き上がらせる。
 その人型の何かは、由音の視線を受け止めて静かに笑む。
「肉体を持たぬ者、かつては肉の器にこの魂を宿らせていた者。まあつまりは死者よ。死した魂、|死魂《しこん》あるいは死霊と呼ばれるべき存在か」
「…!」
「ともあれ、この街は当たりだったな。こんな馳走を喰らえるのは久しぶりだ。その魂、実に興味深い質をしている」
手足の骨が折れている状態でどうにか起き上がろうとする由音を指差して、自らを死霊と称す男はまたしてもその不気味な笑みを広げた。
3

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