まとめて読む
プロローグ
『えー、機長の檜山です。
皆さま、本日は北海道の翼、
ノースジャパン.エアライン135便にご搭乗いただきありがとうございます。
成田空港への所要時間は、およそ1時間30分となっております』
学ランと紺のセーラ服で統一された機内は、
生徒たちが楽しそうに旅の思い出を語り合う声で溢れていたが、
引率の教師はあえてそれを注意することなく、
足を組んで機内誌を読んでいた。
彼らは、北海道への二泊三日修学旅行の帰りだった。
荷物入れにはお決まりの鮭をくわえた木彫のクマや
白い恋人、クリオネのぬいぐるみなどの想い出たちが、
家に帰るのを今か今かと待ち望んでいた。
機長の挨拶が終わると、後ろでコホンと咳払いする声がマイクに入る。
『うーん、この際言っちゃうか。
えー、相馬航平くん。
いつもうちの明と仲良くしてくれて、ほんとにありがとう』
すると、明の左右に座っていた航平が「どういたしまして!」と笑顔で返した。
明は父の嫌すぎるサプライズに、顔から火が出そうになった。
案の定、クラスの面々は明の方をちらっと見ては、くすくす笑っている。
『それでは、快適な空の旅をお楽しみ下さい。
Have a nice fright!おかえりなさい』
アナウンスは切れた。そこで、
一番前に座っていた担任は我慢できずにプーッと吹き出した。
ただいまー、とノリのいい男子生徒が叫ぶ。
(同じ意味だっての!……
オヤジのやつ、気どったことすると必ず恥かくんだ!)
明は真っ赤になった顔を見られたくなくて、
ブランケットを頭までかぶってリクライニングを倒した。
「あれ、明寝んのか。席変わる?」
窓側の座席に座った航平が、明をゆする。
明は毛布のすきまから目だけ出して「いいよ」と答えた。
元々、窓側に座るのは明のはずだったが、翼の上が嫌だったのと、
航平が外の景色を見たいと駄々をこねてくれたおかげで、
こっそり席を交換していたのだった。
遠くで、担任にコーヒーを注いでいる母の姿が見えた。
紺色の制服によく映えるカラフルなスカーフは、母によく似合う。
今日が最後のフライトだからか、母はいつも以上に綺麗な笑顔で仕事をしていた。
「遠慮すんなって。そのかわり成田着いたらちゃんと起こせよ」
「わかってるって。おやすみ」
それきりくるりと窓の外を向いて、雲海に目を奪われている航平を、しばらく眺める。
「……また北海道行きてえなあ」
航平はぽつりと呟いて、分厚い窓に指を這わせる。
野球部らしく丸刈りの血色のいい顔から、横を向いても目立つ白い八重歯が覗いていた。
(……幸せなやつ)
明はゆっくりと目を閉じて、機体の揺れに体を任せた。
彼はやがて、上も下もない、静かな眠りの世界へと自然落下していった。
__ねえ。
遠くから声が聞こえる。知らない声だ。
__ねえってば、聞こえてるんでしょ?
明はそこで初めて、自分の体がさっきまでとは違う、
固い背もたれのある椅子に座らされていることに気づいた。
機内の妙な窒息感もなければ、エレベーターで上昇する時のような
足の下の浮遊感もなくなっている。
「ちょっと、いい加減起きないとほっぺたつねるわよ」
いらだったような女の声に、明は目を開けた。
ハリー・ポッターに出てきた談話室そっくりの部屋に、
赤い火がこうこうと燃える暖炉、円い大理石のテーブルに、
それをぐるりと取り囲む6つの赤いソファ.チェア。
そして__不安げな表情でテーブルに目を落としたり、
落ち着きなく部屋の中を
歩きまわったりしている、知らない人達。
「やっと起きたわね、おねぼうさん」
言うなり女は明の額をぴしっとデコピンして、
わずかに残った眠気をふきとばす。
「いだっ」
「夢じゃないって、これで分かった?」
女は20代後半くらいに見えた。カールさせた茶髪をゆるく一つに編んで、
胸元に垂らしている。
(お姉さん系だ……うん、悪くない!)
体にフィットしたデザインの黒いワンピースに、赤いハイヒールを履いていた。
「ここは……」
「ごめんね、あたしたちにも分かんない。
ただ、たぶんあたしたち、みんなあんたと一緒だと思う。
こことは別の場所にいたけど、
気がついたらこの椅子に座ってたの」
「はあ!?」
明は部屋の中を見回した。
白で統一されたリビングで、ひときわ強い存在感を放つ赤いソファ.チェア。
そこには明の他に5人の男女が座っている。みんな一緒だと思う、という言葉通り、
彼らは一様にそわそわしていた。
「よっしゃ、ほんならまずは自己紹介から行こか!」
張りつめた空気を破ったのは、軽快な関西弁だった。
「ええー、あたしそれ苦手なんだけど……」
「何言うとんねん、まずはお互いを知らんとどうにもならんやろ。
難しゅう考えんでもええ、名前と年、
後はどっから来たかとか、そんくらいでええから」
明の前に座っていた男は、青いフェルト帽を脱いでテーブルの上に置くと、
指を組んで体を前に乗り出した。
男は白いシャツの上に黒いパーカーを羽織り、
水玉模様の七分丈のパンツを履いている。
ファッションこそ最近の流行だが、
目尻にシワが入っているあたり、そこまで若くもなさそうだ。
「じゃ、まず言い出しっぺの俺からな。
俺は岡田雅之。年は40。生まれも育ちも神戸!
大阪でお笑い芸人やっとりますんで、ひとつ、よろしゅう」
「へえ、じゃあゲーノージンってこと?」
女は興味をそそられたようだが、
顔に見覚えがないのか首をひねった。
「あれ、知らん?ロケットパンチって漫才コンビで
ツッコミやってん。
大阪ではようテレビ出とる……ん、やけど……ほんまに、知らん?」
語尾は自信なさげに消えていったが、
残念ながら、明を含む全員、お笑いに興味がないので知らなかった。
「えーと……」
落ち込んでしまった雅之の隣から、遠慮がちな声がする。
ソファ・チェアにすっぽり埋もれた小さな物体に、全員の視線が集まった。
赤いレースカラーのワンピースに、白いソックスとエナメル靴。
(うわ、フランス人形みたいだ、可愛い……)
明は襟と袖の繊細な白いレースを見つめて、思わず撫でたくなる衝動を抑えた。
彼女は不安げに視線を漂わせた後、おずおずと口を開ける。
「平沢雫です、5さいです、ふかがわからきました」
ご、のところで左手をぱっと開いて見せる。
「ふかがわ……深川?それって、どこ?何県?」
女が聞くと、首を傾げてむー、と地図を思い浮かべている。
「えっと、えっと……」
「雫ちゃんの住んでるところは寒い?それとも暑い?」
女が機転を聞かせると、雫はうーん、とますます考えこんだ。
「さむいよ。冬は雪がいっぱいふって、お空もまっ暗になっちゃうの」
「じゃあ、深川のおとなりはなんていう街?」
「えーと……びばい。あと、あさひかわ!」
「そう、雫ちゃんは北海道からきたのね。
じゃあもうひとつだけ教えて。しずく、はひらがな?それとも漢字?」
「かんじ。あのね、ひらさわのさわは、かんたんなほうの沢だよ。
しずくは、こう書くの」
言うなり彼女は、テーブルに指で雫、と書く。
「えらいねー、もうお名前書けるんだ」
「うん」
雫の頭を撫でながら、女は前髪をかきあげた。
「さて、次はあたしか。苦手なんて言ってられそうにないしね。
あたしは相葉ゆかり。よく聞かれるから一応言っとくけど、
嵐の相葉くんとは関係ないわよ?
ママ友って結構ジャニーズ好き多いのよね―、年は20……20……」
迷うようにうーん、とうなったが、「サバ読んでもしょうがないか」と膝をたたく。
「28歳よ。横浜で夫と二人暮らし。今のオシゴトは主婦。
前は新聞記者やってたから、フットワークにはちょっと自信あるわ。
……これぐらいかな」
次に立ち上がったのは、明の隣りに座っていた同い年くらいの少年だった。
紺のブレザーに赤いネクタイを締めている。明はそのポケットに金糸で刺繍された
校章のローマ字を、心の中で読み上げて仰天した。
(……せ、い、こ、う、ジュニアハイスクール……
星光学院!?すっげえ名門じゃん……)
星光学院といえば、東大に毎年二ケタの合格者を送り込む日本屈指の進学校だ。
少年は、並外れた秀才の特徴であるそよ風のような雰囲気を漂わせて場を見回す。
が、次に放たれた言葉は、
彼のイメージを崩壊させて余りあるものだった。
「俺は桐谷隼人って言います!年は15、中学3年生。
石川県の金沢市から来ました!
ツイッターやってんでフォローお願いします、
あと、好きな食べものはラーメンです、
あ、もしかしてタメっすか?」
いきなり話を振られて、言葉のマシンガンにくらくらしかけていた明は「へ?」と
間抜けな返事しかできなかった。
「え、いや……俺は高校生、だけど」
「あー、じゃやっぱ先輩っすか。残念……」
(進学校でもチャラい奴いんのか!?それとも勉強しなくてもできちゃう
すごい子なのか、こいつは?)
ところどころに西のアクセントがまざったが、おおむねきれいな標準語だった。
隼人が座ると同時に、明は学ランの第一ボタンを外して立ち上がる。
「檜山明、16歳。高校2年生です。千葉県の銚子から来ました」
「はー、ええとこ住んどるなあ。海の近くやろ?」
「あ、はい。干物とか滅茶苦茶ウマいですよ」
全員の自己紹介が終わると、また沈黙があたりを支配する。
しかし今はさっきと違い、
なんとなく互いの人となりも分かったので、
不思議な安心感のようなものが全員の中に生まれているのが分かった。
「あの、みなさんここに来る前は何してたんですか。
俺は飛行機に乗って成田に帰る途中だったんですけど、いつの間にか……」
明の質問に、最初に答えたのはゆかりだった。
「あたしはお風呂入ってたの。
気がついたら、服もきちんと着た状態でこの椅子に座ってたわ。
……ていうことは、誰かがあたしの裸タダで見たってわけ!?
きもちわるい……ていうか許せない!」
(タダじゃなきゃいいのか、ゆかりさん!?)
「俺はテレビの仕事終わって帰るとこやった。もう終電終わってたから……
夜の1時ぐらいやったかな。んで、タクシー止めて……そっからは覚えてへんなあ」
(あれ、俺は昼間だったのに……時間がバラバラだな)
「あ、僕は……大学でお昼食べてました。
それから……それからのことは、わかりません」
「あ、俺もお昼食ってました!奇遇っすねえ」
「…………」
健太郎は、こういうタイプが苦手なのかぷいっと横を向いてしまった。
「雫ちゃんは?」
雫はぬいぐるみの耳をいじって遊んでいたが、明の問いには
「わかんない」と首を振った。
「あのね、お使いでゆうびんきょくまで行ったの。
おはがき出してかえってきたら、おうちのカギが開かなくてね。
おばあちゃん家に行ったの」
「おばあちゃんは近くに住んでるの?」
「うん。だけど、会えなかった。ここに来ちゃったから」
どうやら全員、自分と同じ状況らしい。
明は立ち上がると、自分たちのいる談話室を歩いて回った。
暖炉の火は、誰も薪をくべないのに消える気配がない。
時々パチッ、とポップコーンが弾けるような音をたてて、火の粉が上がるだけだ。
円形のテーブルとそれを取り囲む椅子、天井から吊り下がった豪華なシャンデリア、
そして、台の上にある(なぜか古いブラウン管だ)のテレビ以外、
家具らしきものは一切なかった。
床には白く毛の長いじゅうたんが敷かれ、足をふんわり包みこんでくれる。
そして__なにより異常なのは、この部屋は、窓がなかった。
茶色い木製のドアが一つだけあったが、外側から鍵がかかっているのか、開かない。
「俺たち、完全に閉じ込められた……ってわけか」
思わず毒づきそうになる。
「まー、誘拐にしちゃおかしいやろ。ドッキリって考えても、一般人巻きこむのはないしな」
「それに、飢え死にさせるのが目的なら、こんな居心地のいい部屋にはしないっすね」
隼人が言葉尻を継いで続ける。
「……僕たちをさらった奴は何を考えてるんだ?」
健太郎は隣で不安げな顔をしている雫の頭を撫でながら言った。その時
__ハロー。
どこからか、小さな声がした。
「誰!?……誰なの?」
ゆかりが、雫を守るように抱きかかえる。
声の主は少し間をあけて、またハロー、と繰り返した。
男か女かも分からない、機械で合成したみたいな声だった。
『すまない、怖がらせるつもりはないんだ。
ただ、ひとつだけ言っておく。
わたしは君たちを傷つけることはしない。
ただ、選択してほしいだけだ』
今度は、すぐ近くから声が聞こえた。
テレビの画面にザーッと砂嵐が走る。直後、パッと真っ赤なカメラアイが映った。
「きゃっ、お化け!!」
ゆかりが飛び退く。明は生まれて初めて、アニメのように後ろへはね飛ぶ人間を見た。
他の面々も、目を見開いて画面を凝視したまま固まっている。
『……これが噂のジェネレーション.ギャップというものか。
はじめからこれでは先が思いやられるよ』
声は少し残念そうな響きを帯びていた。
明もゆかりと同じく腰を抜かしていたが、なんとか立ち上がってテレビの近くまで
這うように近づいて行った。そっとテレビに触れてみたが、なにも起こらない。
(大丈夫、安全だ)
明は深呼吸を繰り返して、自分に言い聞かせた。
『さて、では君たちが知りたがっていることをすべて教えよう。
わたしの正体は、今はまだ答えるには早い。
しかし、名前がないと困るだろう。
そうだな__あの名作映画にちなんで……ハル、とでもしておいてくれ』
ハルのカメラアイが、ゆっくりと左右に動いて全員の顔を見た。
『君たちをここへ連れてきたのは、わたしだ。
しかし、ここへ来たのは君たちが望んだことでもあるのだ。
ここがどこか、という問いには、答えられない。
なぜならここは、日本ではない。と、いうより……
君たちが暮らす三次元ですらないからだ』
「……雫ちゃん、分かった?」
振り返ってみると、雫はにっこり笑って「うん」と答えた。
『ここがどこか、なぜここにいるのか、どうすれば帰れるのか。
その答えが知りたければ、選択せよ。
戦って、選びとるのだ。君たちの真実を』
瞬間、ドンッと大きな衝撃が走った。床が震えて、ソファチェアが跳びはねる。
「な、なんだ今のは!?」
健太郎もさすがに悲鳴まじりの叫びを上げた。
衝撃が収まったのを待って、明も恐る恐る顔を上げる。
円く並んだソファチェアの周りに、6つの扉が浮かんでいた。
ご丁寧に、開閉するスペースはきちんと空いている。
『その扉は、君たちの失われた記憶に繋がる扉。
真実の箱を開ける鍵。戦いの序曲』
ハルは歌うようにつぶやいた。
彼らは立ち上がり、チェアの後ろに浮かんだドアを順番に見て回る。
「あ、あれ……教室のドアじゃない?」
ゆかりが、自分の背後に浮かぶ金属製の引き戸を指さして言った。
長年のご奉公でついた小さな引っかき傷や落書きまで再現されたドアに触れる。
「やっぱり、旦那のクラスのドアだわ。
あたし何回も行ってるもん、間違いない」
「ゆかりさんのご主人、学校の先生なんですか」
「ええ、そうよ。鎌倉の女子校でドイツ語の先生やってるの。おしゃれでしょ?」
夫を誇るような口ぶりとは裏腹に、ゆかりの声は暗い影が落ちていた。
健太郎は自分の問いを後悔したが、それ以上聞くことはなく顔を背け、自分の背後のドアノブに手をかけた。
「あんたのは可愛いわねぇ」
木製のドアに、バイオリンを弾いてるクマと花が描かれたネームプレート。
ゆみのおへや、とかわいい字体で書いてある。
「妹の……結望の部屋のドアだ」
「おーい、俺のドアなんて味気ないでホンマ」
雅之の後ろにあるのは、金属製のドア__回して開けるタイプのドアノブだ__に貼り紙が一枚。
『ロケットパンチ様 控え室』
こんなトコまで仕事は追っかけてくんのかいな、と雅之はブツブツ文句を言った。
「あ、明さんのドアカッコいいっすね!いいなー」
(……こいつ、案外軽いなあ……)
飛行機に乗るたびに目にしていた、航空機用の非常口だ。
赤文字で『非常口 EXIT』と表示があり、下はランプが点灯していた。
レバーを引っぱって開ける式の非常口には、
6コマ漫画で描かれた開け方(非常時にこんなのを冷静に見て動ける奴がいるのか?)
「SFみたいじゃないっすか!俺のと交換してくださいよマジで」
隼人のドアは、味も素っ気もなかった。というよりも、
「トイレのドアっすよね、これ」
「……どう見てもトイレだな、うん」
隼人は鍵を横にスライドさせたが、開ける勇気はわかないらしい。
「うちの学校のトイレ、黄色に塗られてるんすよ。あ、ドアの話ね。
でもこれ……青じゃないっすか」
「あー、確かにおかしいな。お前ん家のトイレのドアじゃねえの?」
「うちはもっと新しいトイレなんで違いますよ!……なあハル、
このドアまじで俺んなの?」
『無論だ、桐谷隼人』
ハルは再び、赤いカメラアイをぐるっと動かした。
それを合図にしたかのように、騒いでいた6人が静かになる。
『君たちの失われた記憶。
それは扉の向こうにある。
剣をとれ、銃を持て。戦え、抗うのだ。己の運命に。
さあ、誰からでもいい。扉を開けたまえ。その先に、見るべき真実がある。
だが、それを受け入れるかどうかは__君たち次第だ』
また、テレビの画面にザーッと砂嵐が走った。雑音の合間から、とぎれとぎれに
ハルの声が響く。それは徐々に遅くなり、低くなった。
『ザザッ…すま……い……ここ、までのようだ……だが、
忘れるな………わ、たしは……君、たちを……見、て……い、る……
わたしは……味方だ……ザーッ、で、は……幸運を、……祈る……』
ぷつんっと白い線が走って、画面が真っ暗になった。
「あ、おい!まだ何も聞いてねえぞ!!」
ガンガンと叩いてみても、何の反応もない。電源ボタンを押してみたが、
テレビはもう、うんともすんとも言わなかった。
「やめえや明くん、壊れてもうたら話にならんで」
「でも……!」
「それより、ハルのやつが言うとったやろ。
“扉を開けろ”って。これのことか?」
6人は、それぞれ自分の扉の前に立った。誰からともなくドアノブに手を伸ばす。
しかし、開ける勇気はなかった。本能が拒絶している。この先を見るのは怖い。
明はごくり、とつばを飲みこんだ。
(……開けろ)
震える手が、非常口のコックにかかる。両手でぐ、と力を込めた。
(まずは、お前から開けてみろ!!)
心のどこかで、臆病な自分を叱咤する声。足をかけて、開けようとした。
しかし、それより早く隣で金属がぶつかり合う音がする。
「隼人!?何してんだ、お前」
「俺が最初に行きます!だって、こういうのは……嫌なことは、
自分がやったほうが気分いいでしょ?」
「おい!」
止める間もなく、隼人はドアを開けてしまった。
ドアの向こうには便器はなく、ただ黒々とした闇が広がっている。
そこからびゅうびゅうと強い風が吹いてきた。
「えっ、うわ、わ、わ!」
「隼人!」
吸い込まれかけた隼人の手を、明がつかむ。
「やばい、吸い込まれる!!」
雅之がテーブルを飛び越えて駆け寄ってきた。明の腰をつかんで、後ろでまだ呆気にとられている三人に叫ぶ。
「何しとんねん、手伝え!」
「ちょっと、この風どうなってんのよ!?」
絵本の『大きなかぶ』のように繋がった6人の足が、
ずるずるとじゅうたんの上を引きずられて、扉の中へ吸い込まれていく。
ぎゃー、と6人分の悲鳴が重なった。
扉は彼らを吸いこんでしまうと、再びばたん、とひとりでに閉まった。