「なー、|守羽《しゅう》ー」
「んだよ、|由音《ゆいん》」
力の抜けた声に、守羽と呼ばれた少年は気怠そうに答える。数秒間の沈黙の後に、由音という名の少年が大きく口を開く。
「…………ヒマ!」
「ああ…知ってる」
守羽はそれにもおざなりな返事をした。守羽自身、今がどれだけ退屈かを知っていたからこそ気の利いた返しをすることが出来なかった。
九月の中旬、未だ夏の気配は去る様子を見せない。公園のベンチで横になり空を見上げていた由音と、その隣のスペースに腰を下ろして制服ワイシャツの胸元を引っ張って風を送る守羽。聞こえるのはボール遊びをしている小さな子供達のはしゃぎ回る楽しげな声だけ。
中学三年生の二人は、お互いに通う学校は違えども授業が終わればこうして会って適当にどこかへ遊びに行ったりしている仲であった。
だが所詮は中学生の身分でしかない二人には、そう毎日遊びに繰り出せるほどの所持金は無い。特に最近は金を使い過ぎていたようで、いつの間にやら財布の中身はとても寂しいことになっていた。
だからこそ、こうして|無料《ただ》で時間を潰せる公園にて何をするでもなく意味のない会話を続けているしかなかった。それもそろそろ限界に近付いてきていたが。
「あ。そういえばよー守羽」
「んだよ」
同じ台詞で受け答えると、ベンチから起き上がった由音が俺に背を向けたままぼんやりと空を眺めながら呟くように、
「お前、どこの高校行くかって決まったか?こっちの学校はもう進路進路ってうっさくてよ…今日も放課後担任の先生に呼ばれてたのに無視して帰ったんだけどさ!」
「明日怒られるな、それ。でも今の時期ならまあ、進学先くらいは考え出してもおかしくねえんじゃねえの?」
守羽の中学校でも、そんな雰囲気は出ていた。高いレベルを目指している者はもう授業の内容以外にも休み時間を使って勉強をしていたりするし、逆に身の丈に合った高校に決めている者は存分に残りの中学校生活を謳歌する腹積もりでいる。
そんな中で今後のことを何も考えていない楽天家がここに二人いたわけだが、何もそれはこの二人に限った話ではない。高校三年生ならいざ知らず、まだ職に就くわけでもない中学生にはどこの高校へ行くことになろうが関係ないと思っている者が大多数を占めていることだろう。
「オレはお前と一緒んところがいいな、守羽!そしたら学校でも遊べるからなっ!」
「そう、だな…。そうかもしれない」
知り合いがいてくれれば、高校生活も初手から蹴躓くような目には遭わないか。どの道守羽には希望の高校など無い。強いて言うならば家から近ければ、という程度の望み。それもあつらえ向きにちょうど近場に高校があったはず。学力レベルもそれほど高くは無かった。
行くのであれば、そこか。
「俺は」
「うぉおおおお!忘れてたッ!!」
口にし掛けた言葉を飲み込んで、守羽は馬鹿でかい声を上げた由音にジト目を向ける。
「今度はなんだようるせえな」
「そういやオレ、お袋に買い物頼まれてたんだった!完璧に忘れてた!」
ベンチから立ち上がり鞄を引っ掴んで、由音は慌ただしく守羽へ顔だけ向けて公園の出口へ走り出す。
「悪い守羽、オレ帰るなっ。まった明日ぁ!」
「……」
守羽の返事を聞くより早く公園を出て姿を消した由音を唖然とした表情で見送ってから、僅かにくっと喉の奥を震わせて笑う。
あいつはそういうやつだ。いつだってああやって突発的に突拍子もなく突然何かを仕出かして行く。
(俺も帰るか)
一人でいつまでも公園にいる意味はない。家に帰って晩飯までくつろいでいるとしよう。
そう考えて、守羽が自分の学生鞄を手繰り寄せて立ち上がろうとした時だった。公園の中央で遊んでいた子供の蹴り損ねたボールがこちらへ転がって来た。拾い、駆け寄ってきた子供へ渡してやる。
「ありがとーございますっ!」
最近の子にしては律儀なことで、ぺこりと頭を下げて子供がボールを抱えて戻っていく。
なんとなく無邪気に遊ぶ子供達にほっこりとした気持ちになって、守羽はベンチに座り直して少しその様子を眺めてみることにした。どうせ急ぎの用事もないのだ、たまにはこうしてのんびりするのも良い。
(この公園も、遊具が減ったな…)
幼い頃に父や母と遊びに来た思い出もある公園だが、その時はもっとたくさんの遊具があった。今は転ぶと危険だ落ちたらどうすると、無意味な『たられば』の話ばかり持ち上げて馬鹿な大人がジャングルジムや滑り台などを撤去するようにがなり立てたりしたせいで使える遊具など数えるほどしか無くなってしまった。
(残ってるのって言えば、砂場に鉄棒に…)
目に留まったブランコに視線を固定する。あれもよくやった。座ったままどこまで高く上げられるかとかやったりして、一度うっかり手を離して空高く舞い上がったことがある。
公園の端に等間隔に植えてある樹まで飛んで枝を折りながら落下したのだ。咄嗟に持ち前の『力』を発動していなかったら間違いなく病院送りだったと確信できるくらいの衝撃だったから未だによく憶えている。
(今は誰も使ってないし、ちょっと久しぶりにやってみようかな)
流石に子供が使っていたら自重しようと思っていた守羽だったが、しばらく公園にいる十数人の子供達はボール遊びに夢中で遊具には向かいそうにない。
ベンチから腰を上げてブランコへ一歩踏み出した時、ふと視界の端に人が見えた。子供…ではない。
「……」
公園の外枠を囲うように植えられた樹の真下に設置された横長のベンチに腰掛けている。
快晴な空から差す西日は樹の枝葉に遮られて届かない。夏の夕焼けに照らされない絶好のポイントでその人は本を読んでいた。
いつからそこにいたのだろうか。自分が由音とくだらない話をしている時から?
木陰の下で、視線を開いた本に落としている少女が、微風に揺れる長い黒髪を片手で軽く払う。
背もたれもあるベンチだというのに、ぴしっと伸ばした背筋を崩さずに読書に耽るその姿はどこぞの令嬢を思わせた。緩く結ばれた唇から、ほうと小さな息が漏れる。
十秒、二十秒。あるいは一分かそれ以上。
守羽はそのあまりにも幻想的ですらある少女の読書風景を一つの絵として切り取って見ていた。見惚れていた。
夕暮れの公園で、ベンチの木陰に腰を下ろす清廉な女の子。着ている制服と醸し出される雰囲気からして、|同齢《タメ》ではないと思った。おそらくは高校生。
年上の女性にここまで目を奪われたのは、守羽にとって産まれて初めてのことだった。
いつまでも見ていてはいけない、このままではいずれ視線に気付かれて不審者だと誤解されてしまう。
そう思いつつも視線を離せずにいた守羽の体を動かしたのは、小さな男の子の泣き声だった。
「…っ」
泣き声に反応して顔を上げかけた少女の初動を読んで守羽は全力で頭を明後日の方向へ向けた。おかげで守羽の視線がバレることはなかったが、その代償に首からは不吉な軋み音が骨から響いた。
「おっ、ご……いだ、だたっ…!」
強引に捻り過ぎた首が痙攣するのを片手でさすって押さえる。痛みに顔を顰めながらまだ泣いている男の子を見やる。
ボールを蹴り損ねて転んだのか、尻餅をついてわんわんと泣く子供の膝は擦り剥けて血が滲んでいた。遠目に見た感じそれほど深く傷つけたわけではないからそれほど問題ではないが、水で洗って砂を落とすくらいはした方がいいだろう。
他の子達も泣いている男の子の周りでわたわたとしているだけで適切な処置はできそうにない。中には男の子の膝から垂れる血を見てさらに泣き出す子までいる。
(仕方ないな)
守羽は片手で首の痙攣を押さえたまま子供達の塊へと声を掛けようとした、その寸前。
「ーーー大丈夫?」
黒い長髪を柳の枝のように揺らめかせて、ベンチで読書をしていた少女が泣き叫ぶ男の子の前でチェック柄のスカートを押さえて屈み視線を合わせていた。
「う…ぐすっ、いたい。いたいよぉ…うえぇぇん!」
「…うん、そうだね。痛いよね」
膝の傷を見て、それから泣いている男の子の頭を優しく撫でる。撫でながらもう片方の手をそっと男の子の膝の上に置いて傷を隠す。
「大丈夫だから、少しだけ目を閉じて。ね?」
「すん…っ、ぅん…」
撫でられて少し安心したのか、男の子はいきなり現れた少女の言葉に従って涙を流しながら両目を閉じた。
「うん、そう。いい子だね。…いい?今から私が魔法の呪文を唱えます。そしたら、痛いのは全部全部なくなっちゃいます。だから、泣かなくても大丈夫」
何をするのだろうかと、周囲の子供はもちろん遠くからそれを見ていた守羽も無言でその状況を見守る。
「いくよ。はい、痛いの痛いのーとんでけー」
どこでもよく聞くような定番でありきたりな呪文を少女は鈴を転がすような声で唱えた次の瞬間、手を離した膝にさっきまで血を滲ませていた傷が消えていた。
「ほら、もう痛くない。傷もないよ、見て」
「ぅ…?あ、あれ?ほんとだ、いたくない!わあ~!?」
恐る恐る目を開けた男の子が、自分の膝を見て歓喜の声を上げる。立ち上がりぴょんぴょんと跳び回っても少しも痛がることなく、それを見た周りの子供達も不思議そうに大声で騒ぎながら少女を囲んでいた。
「すっげー!なんでなんでー?」
「まほーだ、まほー!」
「おねーちゃん、まほーつかいなんだー!!」
「いいなーたっくん、まほうつかいさんになおしてもらったんだー」
(…マジか…)
守羽は目を見開いて驚いた。それは決して少女が『魔法使い』だったからではない。むしろ、あの不思議な力は魔法なんていう曖昧なものよりもっとずっと親近感のある力。
ゆらりと、守羽は大騒ぎで少女を取り巻き手を引っ張ってはしゃぐ集団へと近付く。
あの傷が消えた瞬間に少女から放たれた気配。あれは自身が何度も経験したことのある力の発動と酷似している。
間違いない。彼女は。
「…?」
「……あなたの、その、力は…」
ほんの一部の人間にのみ付与される、常識や法則を大きく超えた異質な能力。
守羽に気付いて首を傾げたその少女は、守羽と…いや守羽や由音が持つものと同じ、『異能』の使い手だった。