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第七話 「待ってろ」

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「……ぐぅ、か、ぁあ……」
 目を覚ました時、守羽は見知らぬ家の庭にいた。激痛が走る頭部と腹部からするに、あの人外に一撃をもらったあと頭から落下して気絶したらしい。
「っ…いてえ」
 頭からは血が流れて人様の庭に赤い滲みを作ってしまっていた。幸いなことに落下してきたこと自体は気付かれていないらしい。今の内に離れた方がいいだろう。
 周囲に散らばる植木鉢の破片を見る限り、落下の衝撃に巻き込んで植えてあった植物を粉砕してしまったのがわかる。そのまま立ち去ってしまうことに多少の罪悪感と申し訳なさがあったが、おそらく自分がここに留まることのほうが家人にとっては迷惑なことになるのは目に見えていたので、守羽は即刻庭から去り“倍加”させた両足で高く跳び上がった。
「…っ」
 跳び上がる瞬間に感じた違和感の正体は、屋根に着地してからすぐ判明した。
(脚が…もうガタが来てやがる)
 僅かに震える両足は、筋肉が酷く疲労して役割を放棄しつつある。
 原因は先の人外との交戦。人体の限界値である五十倍の蹴りを両足一発ずつ放ったことへの反動。肉体への負荷が行動に支障を及ぼすレベルで積み上がってしまった結果だ。
 さらに腹部から響き続ける鈍痛。おそらくあの一撃で肋骨が折れた。引くことのないズキズキとした痛みは思考を阻害し呼吸を不安定にさせる。
 一言で表せば満身創痍だった。たった数撃の立ち合いで、既に戦闘継続が困難な状態まで追い込まれている。しかも相手はまるで力を出していなかった、おそらくは眼前を飛び回る羽虫を手で払う程度の感覚でしかなかっただろう。
 やはりただの野良人外ではない。圧倒的な力と経験を備えた猛者中の猛者。
(あの野郎、どこへ行きやがった…ッ!?)
 民家の屋根から四周を見渡すが、当然見つけられるはずもなく。
 そこで、気絶する前にあの人外とした会話を思い出してはっと顔を上げた。
「静音…さん!」
 バゥンッ!!と音を立てて悲鳴を上げる両足を強引に稼働させながら守羽は静音の家へ向かう。



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 ピンポーン。家の呼び鈴が鳴るのを静音は不思議に思った。こんな時間にこの家へやって来る人など、と。
 我が家へ用件のあるとても珍しい客を出迎える為に玄関先へ小走りに向かった静音は、鍵を開けようと手を伸ばしてところで止まった。
 ガチ、ガチン。
 まだ返事もしていなければ鍵を開けることもしていないというのに、ドアの向こう側の人間は取っ手を捻っていたのだ。
 空き巣かとも思い警戒を強くした静音だが、そうなると呼び鈴を押した意味がわからない。
 考えている合間にもガチャガチャとさらに強く荒く引かれる音が続き、次の瞬間に信じられないことが起こった。
「……なっ」
 バギンと金属がへし折れるような音を立てて、ドアが開け放たれたのだ。
「…ふむ。やはり人の作る物は脆くていけませんね。軽く捻ったつもりだったというのに」
 破壊されたドアの向こうから、引き千切ったかのような歪な形に変化したドアノブを片手で握った男が立っていた。夏だというのにありえないほどの厚着をした異様な出で立ちの男が。
「さて、この家には今貴女お一人で?ええと…久遠静音?」
「あ、なたは…?」
 表札を見直して名前を確認しながら握り潰したドアノブを放り捨てた男が、底なし沼を思わせる不気味な灰色の両眼で静音を見て一歩踏み出す。
「私ですか。そうですねえ…」
 眼前の男から遠ざかろうと後ろ足に数歩下がった静音を悠々と追って、男は土足で家の中に上がる。
 走ってでも逃げなければならないと、本能が叫んでいるというのに。静音の両足は意思に反して緩慢な動きをやめない。男の手が伸ばされる。
「貴女達人間の言うところの、化物ですかね」
 男の手が静音の首を掴み、そこで静音の意識は切断された。



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(くそっクソ!しっかり動けこの足!)
 過労によって運動を拒絶する両脚に力を込めて走る守羽が、送り届けた記憶を頼りに静音の家を目指す途中のこと。

「…お?」

 夜ということ、そして移動速度が常人を越えていたこともあって普通の人間には気付けなかったであろう屋根伝いに疾走する守羽の姿を認めた人物がいた。
「…守羽?」
 ここ最近やけに付き合いの悪い友人、自らの命の恩人でもある神門守羽が必死の形相で走り行くのを偶然目撃した東雲由音が、コンビニで買ったアイスを食べながら家へ帰る途中だった足を止める。
「どうしたんだあいつ、あんな急いで。トイレか?」
 事情はまったくわからなかったが、汗だくで全力疾走する守羽の様子は只事ではなかった。あまり良くないと自負している自らの頭をフルに回転させて、もしやかつての自分と同じく何か人外の事件にでも関わっているのではないかと推理した。
 結果としてそれは正解だったわけだが、たとえ違っていたとしても由音はおそらく動いていたことだろう。
「よしっ!待ってろ守羽、オレも手ぇ貸すからよ!」
 何故なら、東雲由音は神門守羽に対して絶対的な信頼と忠誠を置いている人間だったから。
 由音にとって、守羽に味方して助ける理由はあっても見て見ぬ振りをする理由などはただの一つもありはしなかったのだから。
 状況をほんの少しも理解しないまま、ただ守羽の為にという一点の信念を掲げて。
 悪霊に取り憑かれた一人の少年は正体も知れない『何か』へと牙を剥く。
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