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5/5〜5/11

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「あの、お願いです先生、どうか……」
「くどいな。何度聞かれても同じ答えをするだけだ。私は本人を直接見てからでなければ判断しかねると」
 男が目の前のドアを開け放つ。カーテンがピッチリと閉じられた中は明かりもなく、辛うじて人の顔が判別出来る程度。その中心に、人影がうずくまっているのが確認できた。
 尻込みする母親を置いて、ツカツカと部屋の中へ入っていく男。人影の脇にしゃがみこんで、顔を覗き込みながらこう尋ねた。
「お兄さん、あんた、大学に行きたいかい?」
 人影は少しの沈黙ののち、静かに頷いた。

「受講費用は1000万だ」
 応接間に戻って母親と対面した男は開口一番そう言った。
「そ、そんな大金、用意出来ません! 先生もご覧になったでしょう? もう中学校以来マトモに外に出てもいないんです! あの子が社会に復帰する、唯一のチャンスだと思うんです……」
「奥さん、私は慈善事業をやっているわけじゃないんでね。こっちだって無免許の家庭教師という危ない橋を渡ってるんだ。いいか、受講費用は1000万、これ以上はビタ一文まからんね。これでも適正料金の積もりだよ」
「主人に……主人に相談させてください……」
 母親は立ち上がる男の足に縋りついて、なんとかそう言うので精一杯だった。
「いいだろう……だが覚えておくがいい、もう入試本番まで1年もないんだぜ」
 そう言い残すと男は去っていった。

 2週間後、男は再びその家を訪れた。今回は母親だけでなく父親もいて、男に頭を下げた。
「どうかお願いします。息子を助けてやってください」
「支払いを待っていただければ、時間をかけてでも必ず払います」
 両親の土下座を玄関先で眺めながら、男は冷ややかに言った。
「じゃあ私が即金で今すぐ寄越せと言ったら? おたくらは諦めるのか?」
 母親は顔を青くして黙っている。ここも駄目か、そう男が思った瞬間、父親が震える声で言った。
「即金で必要ならば……私どもの腎臓と角膜を売ります! それで足りなければ足りるまで臓器を売ります! なんとしてもお金は作りますから! ですから息子だけは……息子だけは……っ」
「その言葉が聞きたかった」
 男は両親の手を取ると、静かに立ち上がらせた。
「息子さんの受験はお任せください、ご両親。私の手にかかれば大学など容易いものです」
 のちに『稀代の受験詐欺師』と謳われる、裏口入学の専門家、ブラック・ティーチャーの誕生であった。
「だから『ご馳走』だって! なんべん言ったら分かるの!」
 不快な顔して皿をつっかえす彼女を見ながら僕はうんざりしていた。皿の上に載っているのは白い皮に包まれた円柱形の肉の塊……一般に『シウマイ』と呼ばれているものだ。
「私の言ったこと聞いてた? 私は『ご馳走』が食べたいって言ってるの! 美味しいものが食べたいと言ってるわけじゃない!」
「分かったよ。じゃあ君の言うご馳走がなんなのか教えて欲しいんだけど」
「あのね……あなたがそういうこと言うから私は怒ってるのよ!」
 こうなってしまうともう今日はダメだ。明日再チャレンジするしかない。
 彼女は二週間前からずっとこの調子である。理由を聞いても『ご馳走が欲しい』の一点張りで、具体的に何が欲しいとか、どうして僕に要求するのかとか、こちらからの質問は一切受けつけてくれない。
 こっちもこっちで、回らない寿司屋に連れていったり、フレンチ、イタリアン、ちょっと捻って高級焼肉店に連れていったりした。答えは全て同じ。『これはご馳走じゃない!』
 分からない。寿司と焼肉がご馳走じゃなかったらなんなのだ。

 その日、前日の満漢全席が空振りに終わった僕は、途方に暮れながら夕飯のメニューを考えていた。高級店通いは財布が痛むのでそうそう頻繁には出来ない。その分を普段の食費を切りつめることで捻出しているので、普段の食事はもやしにもやしを付け合わせてもやしでもやしを食べる、みたいなことになっていた。そろそろ違うものが食べたい……しかし冷蔵庫にはもやししかない。
 ノックもなしに玄関のドアが開いた。彼女だった。そのままつかつかと台所まで入ってくると、冷蔵庫を開け放つ。
「やっぱりここに皺寄せがいってたのね……ホント馬鹿なんだから」
「そういう言い方はないだろ」
 ムッとして答えると、彼女は珍しくしおらしい顔を浮かべた。
「分かってるわよ。私も強情張り過ぎて悪かったわ。時間もないし、早くご馳走食べに行くわよ」
 どういう心境の変化なのか。あっけに取られる僕の手に、航空券が押し込まれた。
「これは?」
 まさかご馳走って、海外の有名店? だが彼女の返答は更に斜め上を行っていた。
「福岡行きよ」
「福岡?」
「ちょっと、まだ分からないの? 貴方の実家よ」
「あの、説明を……」
「はあ……前言ってたじゃない、実家の料理が一番のご馳走かも、恋しくなるって……だから、私、ちょっと食べてみたくって」
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 珍しく天気予報が外れた。雨がやまない。俺は諦めて折り畳みを取り出した。
 既に教室はガランとして人気はない。ゲームとジャンプの話をしていた友人も30分ほど前に予備校があると言って帰っていった。
「なにその折りたたみ? かわいいじゃん」
 階段を降りようとした俺の後ろから声がかかる。少しバカにしたような、軽いノリの声はシンとした校舎によく響くような気がする。
「帰ってなかったのかよ」
「は? トイレ行っとっただけだし」
「長えうんこだな」
「はあ? れでぃーにうんことか言うなし!」
「レディー? お前が? 冗談は吉野作造」
「うわ、さむっ。てかふるっ」
 そいつはサムいという割にふふっと笑った。湿気った髪が重そうに揺れる。
「俺は帰るぞ」
「あ、待ってうちも帰る。てか入れて」
「お前、最初からそれ狙いだろ」
「その通り。ていうかあんたこそなんでこんな時間まで残ってたん? あんたが早く帰ってくれりゃあうちもこんな遅くまで残る必要なかったんやけど?」
「やむの待ってたんだよ。ていうか俺を待つな。自分で傘用意しろ。それか他の奴に入れて貰えばいいだろ」
「やーだ。知ってるくせに、うちのこと」
 俺は答えない。
「ねえ、やむの待っとったってウソやろ? 折りたたみあるのに待つ必要ないもんな?」
 そいつは構わず話を続ける。
「もしかして、うちのこと気にしてくれたん?」
「ちげーよ、折りたたみ使ったあと干すの面倒だから使いたくなかっただけ。柄もハズいし」
「なんでー、かわいいやんこれ。うちの好みー」
 俺の手から折りたたみが抜き取られる。室内で傘を差して振り回すな、うっとおしい。
「かばん出せ」
 俺はぶっきらぼうに言った。文句を言うかと思ったが、そいつは意外にも大人しく渡してきた。中を開けると、案の定水浸しだ。ふやけてべろんべろんの教科書もいくつかある。
 俺は丁寧にそれらを寄りわけると、濡れているものをビニール袋に放り込んでいく。あとでドライヤーだ。
「ごめんね」
 傘を差したままソイツは言った。
「気にすんなよ」
 俺は何事もない風に言った。
「いつも通り接してやるから、いつも通り振舞え」
 そう、日中は何もしてやれないから、せめて今だけは。普通の学校生活っぽい会話の相手をしてやりたかった。
「ずっと前から好きでした!」
 目の前で頭を下げる男子生徒を私はポカンとしながら見ていた。
「ご、ごめん突然こんなこと言って……驚いたよね。気持ちが抑えきれなくて……一目惚れでした」
 男子生徒が長々と語る内容はほとんど私の耳には入ってこない。当然だ。私はこの男のことを何も知らないのだから。
「あのっ、それで、いきなり付き合ってなんて言いません、だけどせめて、連絡先を……」
「気持ち悪い」
 それだけ言い残し、私は立ち去った。

「でもさ、そういうのの相手が実は幼馴染で結婚を誓い合った仲だった……とかだったら面白いよね」
 翌日報告したら、友人がそんなことを言い出した。
「えー、マンガの読みすぎでしょそれ」
「いやいや分からんよー、昔仲良かって、離れ離れになった子とかさ。ストーカー退治の子とかそうやろ?」
 自分で言うのも何だが、子供の頃から容姿端麗だった私は、幼稚園児だと言うのにストーカー被害にあっていたのである。その犯人の園児をやっつけてくれた子がいて、私はすぐに恋に落ちた。……あれ、この話したことあったっけっか?
「もし仮にそうでも、ストーカー退治した子がストーカーになってるとか、ちょっとどころじゃなくイヤやなー」
 私が素直な感想を述べると、友人も「それもそうやね」と同意した。

 友人に『ストーカー』と言ったのはちょっとした脚色だったのだが、どうやら嘘から出た真になってしまったようだ。家の前まで来ると、昨日の男子生徒がいた。
「いやー、苦労しましたよ家を探すのは。まさか引っ越していたとはね」
 恐怖に顔を歪めて後ずさる私にじりじりと詰め寄るストーカー。
「懐かしいなあ。昔もそうやって怖がってましたよね、僕のこと。こう見えても大きくなって多少の分別は弁えたんですよ? 今だって別に危害を加えようというわけじゃない。ただ、昨日だけでは僕の好意が伝わりきってないかな、と思いまして」
 ああ神よ、何も10年越しにストーカーの方に再会しなくてもいいではないか。私は運命を恨んだ。

「ストーカー、撲滅ゥ!!」
 叫び声と共に鈍い音が響く。ストーカーの身体がぐらりと揺れ、どうと倒れた。その後ろには見知った顔が立っている。
「な? あたしのいった通りっしょ?」
 友人は振りかぶっていた鞄を下ろして軽く笑うと、こう付け加えた。
「まあかく言うあたしも、10年越しに同じ状況を再現するとは思わんかったけどね……」
123, 122

  

「では皆さんは、そういう風に川だと言われたり、牛乳の流れた後だと言われたりしていたこの白いものが、本当は何なのか知っていますか?」
 天井に散らばる白い光点。微かに明る暗闇に、私の声だけが木霊する。返答はない。私は続けた。
「そうですね、星です。この天の川を大きな望遠鏡で見ますと、小さな小さな星が集まって出来ているんですね。肉眼で見ただけではただの白いモヤモヤにしか見えませんが、その一つ一つが、私たちが普段目にする北極星や夏の大三角、そして太陽なんかと同じ、あるいはもっと大きな、燃える星なのです」

「お疲れ様でした」
 ブースを出ると館長が声をかけてきた。
「お疲れ様です。何かありましたか」
「プラネタリウムの人にお願いしたいことがあるという子がいましてね」
 そう言うと、館長は後ろにいた子供に手招きした。見た目は小学校高学年ぐらいの男の子だ。緊張しているのか、目線を下げて黙りこくっている。
「どうしたの? 何か分からないことでもあったかな?」
「……妹に」
 男の子は視線を合わせないまま呟いた。
「妹に見せたいんです」

「では皆さんは、そういう風に川だと言われたり、牛乳の流れた後だと言われたりしていたこの白いものが、本当は何なのか知っていますか?」
 暗幕に覆われた部屋はかなり暗いが、それでも夜の闇には程遠く、時折向こうの光が透けて見える。天井には彼がうちの職員の指導の元両親と作った手製の……星空。暗幕の上に蛍光シールを貼っただけの簡単なシロモノだ。本物とは勿論、プラネタリウムとも再現性では比較にならない。それでも今の私には、それが素晴らしくきらびやかで、美しい星空に思えた。
 プラネタリウムと同じようにしばらく声を止める。返答はない。あるハズがないのだ。私は続けた。
「そうですね、星です。この天の川を大きな望遠鏡で見ますと……」
 不意に声が詰まって出なくなる。両親のすすり泣く声が聞こえてきた。思わず貰い泣きしそうになったが、男の子の頼みを思い出す。
「いつも通りでお願いします。普段のプラネタリウムを教えてやりたいんです」
 私はこらえて続けた。
「小さな小さな星が集まって出来ているんですね。肉眼で……」
 小さな身体からの返答は、やはりなかった。
 いやあ、今朝のは堪えた。叱られるのには慣れているが、ああいうのは反則だ。下手に怒鳴られるよりも気分が悪い。いや、分かってやってるんだろうけど、それにしたって背筋が凍る。
「おまけにあんな心にくる言い方しといて、中身はただのゴミ出しだものな……」
 帰宅してから今までの3時間をかけて満杯にしたゴミ袋を眺める。始めた時は終わるかどうか不安になるレベルのゴミ部屋っぷりであったが、やってみたら以外となんとかなるものだ。
「そういえば母さんは他の部屋もやって欲しいみたいなこと言ってたな」
 せめて自分の部屋だけでも……とは言われたものの、ああして半ば泣き落とされて始めた掃除を、ただ自分の部屋だけで終わらせるつもりにはなれなかった。部屋に近いところから順に、掃除して回りながらゴミを集めていく。
 掃除しているうちに、奥の部屋の前まできていた。親父の部屋だ。死んではいない、が死んだも同然、いやむしろ死んだ方がマシという人間である。部屋にはいないハズ、だがいたらいたで面倒くさいな……ホント、消えてくれたらいいのに。社会のゴミめ。

 仕事から帰ってきた母さんは、綺麗に見違えた我が家を見て感動していた。腹の虫は収まったのか、感極まって別の涙を流していた。
「あんたって子は、もうホント親孝行者で、わたしは幸せだよ……あの人に振り回されて大変なこともあるけど、あんたがいてくれればわたしは生きていけるよ」
「やめてよ、もう子供じゃないんだから」
「何言ってんの。親にとっては子供はいつまでも子供よ……どうしたの、それ?」
 母さんの目線は僕の右腕に注がれていた。さっきは気付かなかったが、いつの間にか大きな青痣が出来ていた。
「掃除の時に怪我でもしたの? 無理して変なところまでやったんじゃないでしょうね」
「いや、そんな変なことはしてないよ。ちょっと大きな粗大ゴミがあったから」
「粗大ゴミって……お金はどうしたの?」
「母さんのヘソクリから出しちゃった」
「嘘!? なんであんたが隠し場所知ってるの!?」
 ふう、なんとか誤魔化せたか。母さんの悲鳴を聞きながら僕はほっと溜息をついた。
 適当に時間を作って、ちゃんとスクラップになったかどうか後でもう一回確認しておかなくちゃな。
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 図書館の窓から外を見ると、街は雨の色に染まっていた。と言っても、塀が水色のペンキで塗られていたとか、雨粒や雨雲がオレンジやピンクに見えるとか、そういう話ではない。どちらかと言うと、「雨の気配」の色という方が正しい。まだ降ってはいないけれど、いかにもこれから一雨来そう、それも辺り一面を洗い流すほどの激しい奴が。そう思わせるような雰囲気に景色が染まる時がある。敢えて例えるなら、赤銅色、あるいはセピア色とでも言おうか。

 ボケーっと眺めている間に、今度は窓ガラスに細い透明な筋が入り始めた。筋はみるみる間に増えていき、灰色だった地面が黒ずんで変わっていく。今日はどうやら「降る日」のようだ。雨音は読書に集中するのに丁度いい気がする。そろそろ帰るつもりだったが、もう少しゆっくりすることにした。傘も持ってきてないし、雨が上がるまでお邪魔しよう。

「お客様、そろそろ閉館時間ですよ」
 職員さんに肩を揺すられてハッとする。雨は上がっていた。どうやらそんなことにも気付かないほどに没頭していたらしい。御礼を言って図書館を出る。家に帰ってやり残した家事をしなくちゃあ。その時大変なことを思い出した。

 洗濯物欲しっぱなし!

 完全に忘れていた。思わず自宅に向かって走り出す。今から取り込んでも、雨曝しになっていたことは取り消せないのだが。
 ところが帰ってきてみると、意外にも洗濯物はパリッと乾いている。雨や泥で汚れた形跡もなく、とてもさっき雨が降ったようには思えない。
 そういえば、帰り道のアスファルト、全然濡れていなかったような……。

 丁度ベランダの外で犬の散歩にしていたおばさんに聞いてみた。
「すいませーん、今日って雨、降りましたっけ?」
「いいやー? 別に降ってないねえー、今日は曇り空だったけどよく洗濯物が乾いたよ」
 やっぱりおかしい。図書館で見た雨は一体なんだったのだろう?
 困惑する私の周りが、またセピア色に染まっていく。テレビの天気予報が、「明日は土砂降り」と伝えていた。雨が、予行演習でもしたのだろうか。
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天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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