すでに既成事実を作った仁美さんから辿っていこう、というのが僕らの作戦だった。宴会の日以来、彼女からは誠士郎さんに病的なほどの頻度でメールが届いていたので本人に接触するのは簡単だった。
誠士郎さんへのメールの内容は膨大だったけれど、とどのつまりは、肉体的な関係を結んだからには自分を正式に恋人として迎え入れるべきだという主張だった。誠士郎さんはこれまでその申し出をのらりくらりとかわしていた。誠士郎さんにはすでに恋人がいるのだからやむを得ない措置なのだが、祐司さん、ひいては僕らの計画のためにはそうはいかない。
誠士郎さんは祐司さんの命令で、仁美さんにメッセージを送った。付き合うことを認める内容だ。ただし条件として僕らのサークルに加入することを求めた。彼女はあっさりと承諾した。あんな大喧嘩を見せられてグループに加わろうとは普通なら考えないと思うのだが、そこは恋する乙女のなんとやらであろうか。
部屋にはタールを含んだ煙草の煙が立ちこめている。祐司さんの強い勧めで、僕も仕方なく喫煙者の仲間入りをするようになった。まだ煙を肺に吸い込むのは苦手で、口に含んだ気体をそのまま吐き出す。部屋の中央で浮かんでいる濃白色の雲に僕の吐き出した煙が混ざっていく。
おずおずとノックする音がして、扉が開いた。
「あの、こんにちは」
萎縮した仁美さんは部屋の床を踏むのもおっかなびっくりといった様子だ。僕もはじめてここにきたときはあんなだったっけ。入るなり煙にせき込んで顔をしかめる彼女だったが、奥にいる誠士郎さんを見つけて頬を綻ばせる。
「誠士郎さん」
まるで飼い主になつく子犬のように彼女は誠士郎さんの元に駆け寄った。
「やあ、ありがとう仁美ちゃん、来てくれて」
「いいんです、あの、このサークルに入れば本当に付き合ってくれるんですよね?」
彼女は周りに僕らがいることなんて忘れているみたいに誠士郎さんの顔だけを見つめている。
「もちろんだよ。ただ、サークルの一員として僕たちに協力はしてもらうけどね」
「それくらいなんともありません」
僕は思わず口をゆがめて笑った。恋に夢中になって盲目の彼女は、自分が狼に取り囲まれた哀れな子羊であるという事をわからない。あるいは飛んで火に入る夏の虫と言い換えようか。
「さあ、取りあえず皆に自己紹介しよう」
誠士郎さんが促すと彼女ははじめて僕らの顔を見た。一瞬体をこわばらせるが、すぐに曖昧な笑顔を作った。
「あの、今日からよろしくお願いします、梶原仁美です」
「ああ、よろしくね仁美ちゃん」祐司さんが答える。「俺は……いや、俺たちの自己紹介はいいか、面倒だし。あとで誠士郎に聞いてくれよ、仁美ちゃんもその方がいいだろう」
非友好的な会長の態度に、仁美さんは不安げな顔を見せる。歓迎すべき新会員に自己紹介すら省くのは明らかに塩対応で、仲間として迎え入れる意志がないと思われても仕方がない。しかし、実際、僕たちは対等な仲間として彼女を歓迎する気はないのだ。
祐司さんはさらに続ける。
「君に、誠士郎と付き合う交換条件としてサークル入ってもらったのにはそれなりの理由がある。当時現場にいた仁美さんならよくわかると思うが俺たちは新歓の飲み会でえらい失態を犯してね、覚えているだろう」
「ああ、はい……」
「その当然の帰結として、仁美ちゃん以外の会員候補からは入会を断られたわけだ。そこで仁美ちゃんには他の新入生を口説いて新会員を集めてきて欲しい。ただし、性別は女で頼むよ。見ての通りうちは男だらけのむさいサークルでね、部屋に花を添えたいわけだ。つっても仁美ちゃんは女だから同性をつれてくる方が簡単だろう、問題はないはずだ、だろ?」
祐司さんに同意を迫られて仁美さんは身を小さくする。
「それは、そうかもしれませんけど。私に勧誘なんてできるでしょうか」
「やってもらわなくちゃあ、困りますよ」
八郎さんが横槍を入れた。それを聞いて、彼女は泣き出しそうな顔になる。
「まあまあ、大丈夫、仁美ちゃんならできるよ、僕もできる限り相談に乗るからさ」
見かねた誠士郎さんがフォローする。肩に手を置かれた仁美さんは嬉しそうにその腕を胸に抱いた。そこから先は、僕が繋ぐ。
「そういうわけだから、よろしくお願いします。まずは新歓にくる前から仲が良さそうにしていたあえかさんを誘ってみてください。僕は飲み会のときに彼女と話して楽しかったので、心残りだったんです」
「あえかちゃん……はい、わかりました。頑張ってみます」
仁美さんはまだ気が乗らない様子だ。すると誠士郎さんがいきなり彼女を振り向かせてその顎を柔らかく掴んだ。
「仁美ちゃん、ごめんね、負担かけちゃって」
言うと、誠士郎さんは顔を近づけて唇を重ねた。いきなりの感触に彼女は逃れようと体をばたつかせる。誠士郎さんは強引に彼女の体を抱いてさらに顔を押しつけた。数秒間、そうしていた。狭いコンクリートの箱みたいな部屋に、わずかな水音が響く。仁美さんが酸欠を起こすほど続けた後、誠士郎さんは顔を離す。二人の口からは唾液の糸が引いた。
八郎さんが口笛を鳴らす。仁美さんは顔をこれ以上ないというほど紅潮させて、焦点の合わない、虚ろな目をする。
「誠士郎さん、こんな、人前で……」
嫌悪ではなく、むしろ恍惚の表情を浮かべて呟く。
「いいじゃないか、僕らはいうなれば遊覧会公認のカップルなわけだからね」
周りに取り囲む僕らは賛同の笑みを向けた。
「今日のところは家に帰りなよ。いきなり先輩たちに囲まれて気疲れしただろう?」
誠士郎さんに言われて、彼女は小さく頷いた。彼女はまだ夢心地のような足取りで部屋を後にした。
「いやぁ、誠士郎さんあなたは見事だ。すばらしい演技でしたよ」
仁美さんが部屋を出た後、八郎さんは拍手までして誠士郎さんを讃えた。
「まるきり演技というわけでもないよ。彼女のことはかわいいと思うし」
「それにしたって、本命の彼女がいるのにあれだけの甘言を吐けるやつはそういないぜ。相変わらず罪な男だよお前は」
祐司さんが誠士郎さんをからかった。
「そんなに酷いやつかな僕は」
「女たらしなのは間違いねぇ」
「私としては誠士郎さんがこんなにもあっさり協力してくれたことが意外ですねぇ。誠士郎さんは清廉潔白で優しくて、こういうのもなんですが、私みたいな人間とは別世界に住んでいるものと思っていましたから、ちょっと距離を感じていたんですよ」
と、八郎さん。
「ええ、そうなのかい」
誠士郎さんは残念そうにした後、少し考え込む。
「うーん、どうなんだろうな。確かに僕はボランティアとかにも行っているし、人が喜ぶ顔を見るのが好きだよ。そういう意味では善良な人間なんだろうけど、だからといって人の不幸が耐えられないというわけでもないかな。地球の裏側の食糧問題を憂いて募金をしたりはしないし。単純に、自分の動きに対して相手が反応してくれるのが嬉しいんだろうね」
誠士郎さんは自分に対する分析を述べる。彼は今まで自分のことをあまり話さなかった。僕は彼を、人当たりのいい外身から聖人のように思っていたけれど、どうやらそれだけでもないらしい。
「それに」彼はさらに付け加える。「今回のことで彼女が不幸な目に遭うとは限らないしね」
「ここにいる全員の男に犯されるんですよ?」
八郎さんはげらげらと笑う。
「それだって考え方次第だよ。本来的にセックスは気持ちのいいものだしね。愛のないセックスは不道徳だって主張する人もいるけれど、まだ顔を合わせて数回程度の男に安々と唇を許してしまう彼女だって、世間でいうところの純愛を持ち合わせているわけじゃないさ。その辺は男も女もお互い様ってところかな。つまり、僕がなにを言いたいかっていうと、愛っていうのは案外単純なものなんじゃないかっていうこと。体を重ねて気持ちが良かったら、それが愛でいいじゃないかってね」
瞳に普段通りの健全な輝きを湛えて淡々と語る誠士郎さんを見て、ああ、この人もどこかが壊れてしまっているのだな、と思った。
「なるほど結構、お前の哲学はよくわかった」
祐司さんは許せばいくらでも続いてしまいそうな誠士郎さんの演説を淡泊に締めくくって現実的な話題に引き戻した。
「しかし、彼女はうまくやってくれるかね。あの子の友達、ええと……」
「あえかさんですね」
僕が補足する。
「そう、あえかちゃんはなかなか強情そうな女だったじゃないか」
「でも彼女は友達想いなところがありますよ」
僕はあえかさんを擁護(?)した。
「いや、そんなのは知らないけど。しかし岬は随分あえかちゃんにこだわるな、何か恨みでもあるのか」
「まさか。さっきも言ったとおり新歓のときに少し話したんですよ。僕が自分から誰かに話しかけて仲良くなるなんてそうそうあることじゃないですから、思い入れがあるんです。それで」
「輪姦のターゲットにしようって?岬も歪んでるなあ」
「そうでしょうか」
「岬も俺たちの仲間ってわけだ。……ところでさっきから翼は一言も喋らないけどどうしたんだ」
水を向けられた翼さんが皆を睨む。
「どうしたもこうしたもないです。こんなことが許されると思ってるんですか。俺の目の前でこんなこと。あんたたち自分がなにしてるかわかってるんですか」
「おやおやあ?大胆な発言をするねぇ。新歓のときにさんざん痛めつけられたのをもうお忘れかな」
敵意を隠さない翼さんに、八郎さんが対抗する。八郎さんに言われて当時の記憶がよみがえったのか、翼さんは怯えるように後ずさりする。
「別に私らは後ろ暗いことはなぁんにもありませんよ。合意の上で性交するのは全く法律違反でも何でもないからねぇ。君が僕に仕返しをしたいなら殴られたことを警察にでも訴えたらいいんじゃないかい。まあ、どうせ相手にされないと思うけどね」
八郎さんの高圧的な態度に翼さんは押し黙ってしまう。けれど目に宿る非難の色は消えない。八郎さんはそれを目敏く見つけて翼さんに詰め寄る。
「なんだい、そのふてくされた顔は。何か文句があるなら言ってみなよ、えぇ?」
体がぶつかろうかという距離にまで近づいてそう言うと、八郎さんは翼さんの腹に拳を押し込んだ。
「うぐっ」
翼さんはうめいてその場にうずくまる。
「八郎くん」
誠士郎さんが名前を呼んで制止すると彼はおとなしく従った。ダンゴ虫のように丸まった翼さんから離れる。
「身の程をわきまえなよぉ、まったく。ああ、そうだ翼くん、これにこりてサークルに顔を出さないなんてやめてくれよ、私は君と仲良くなりたいんだから。君の下宿先の住所は知っているし、実家の連絡先も誠士郎さんが知っているからね。君がサークルに来ないと心配になって連絡したり訪問したりしてしまうかもしれないよ」
翼さんは黙って聞いていた。
「んじゃあ、今日はこの辺にするか」
祐司さんが号令をかけると皆ぞろぞろと荷物を整理する。僕もそれに倣って鞄を漁ると、くしゃくしゃになって底に埋もれていた一枚の紙を見つける。紙上には看板みたいなものを描いた拙い絵と、寸法を示す数字が記されている。文化祭の準備に使っていたものだ。
「どうした岬」
扉をくぐろうとした祐司さんが尋ねる。
「いえ、なんでもありません」
そういえば、高校の方では間近に迫った文化祭に向けて作業が佳境になっているんだった。僕も最低限顔を出しているのだけれど、どうにも印象にない。喫茶店、そろそろ仕上げなければなあ。
「おい」
「あ、はい」
またも祐司さんに促されて僕は部屋を後にする。皆に続いて扉をくぐろうとするとき、後ろを振り返った。翼さんが立ち上がって、顔を伏せたままのろのろと帰りの準備をしている。
「翼、鍵やっとけよ」
祐司さんは机の上に鍵を投げて、さっさとその場を後にした。僕も、惨めな翼さんの姿に後ろ髪を引かれるような感覚があったけれど、何も言わずに帰ることにした。
****
翌日、仁美さんの成果を待つだけの僕らはすることもなく、ただ部屋に集まっていた。部屋には三石くんと妙子さんを除いた全てのメンバーがそろっている。祐司さんと妙子さんの別れ話や八郎さんと翼さんの仲違いがあってからはこれだけの人数が集うことも少ない。
せっかく顔ぶれがそろっているのだし、ずっと気になっていたあの話をしよう。僕は視界を覆う薄い煙を裂いて切り出した。
「あの、突然で申し訳ないんですけど」
「なんだ、岬」
祐司さんが答える。
「以前話したゲームセンターの件あるじゃないですか」
「ゲームセンター?」
首を傾げる祐司さんに八郎さんが思いだして補足する。
「ほら、例のバラバラ殺人のやつですよ祐司さん。手がかりを探すって言っていたじゃないですか」
「ああ、そういえばあったな。あれってまだ犯人捕まってないのか」
「みたいですねぇ」
「なーにやってんだかな警察は。俺たちか弱き市民の不安を取り除くのがあいつらの使命だろうに」
「手がかりがないんですかねぇ」
「しかしあれだな。思い出してみるとあの事件どうなったんだろうな、みたいな事件って結構あるよな」
「報道されなくなると我々としては関心を失っていきますから。いくつかは迷宮入りしているんじゃないですか」
「恐ろしい話だ」
「あのですね」
僕は早速脱線し始めた二人の話を遮った。祐司さんがこちらに顔を向ける。
「それで、ゲームセンターがどうしたって」
「ああそうです。僕たち、仁美さんの勧誘が済むまでは暇なんですし、どうせなら今からでも行ってみません?」
「うーん、そうだな、それもいいか。他の奴らも、いいな?」
祐司さんが声を上げると誠士郎さんと八郎さんから賛成が得られる。翼さんは何も言わなかったけれど、僕らが部屋を立つと、渋々後ろに従った。
****
「よーし、やりぃ!」
騒がしいゲームセンターの店内に祐司さんの雄叫びが混ざる。筐体機に座ってかれこれ30分になる彼は今日はじめての勝利を誇示した。二つの機械を挟んで向かい側には悔しそうに台につっぷす八郎さんがいる。二人はまさに『マジ☆トラ』の死闘を終えた直後だった。
「祐司さん、きりのいいところで、その辺にしときません?」
僕が幾度目かになる提案をする。
「いやいや岬、待てよ。まだ一回勝っただけだ。やっと手が暖まってきた、これから俺の連勝街道がはじまるんだよ。それに、これでやめたら勝ち逃げみたいで八郎に申し訳がたたないだろう、なあ」
祐司さんは弾むような声を向こう側に呼びかける。
「もちろんです。私もこんなんじゃあ終われませんよ、今のがただのマグレに過ぎなかったことを思い知らせてやりますとも」
「言ったな?」
二人は気合いを入れて丸椅子に座り直した。
「はあ」
僕はため息をつく。かれこれこんな場面を十回ほど繰り返しているのだ。
ゲームセンターについてすぐは当初の目的通り事件の手がかりを探るため、遠くから『マジ☆トラ』の筐体機に近づく人間を観察していた。牛乳にあんパンなんかを用意して二人も盛り上がっていたのだけれど、いかんせん二人とも熱しやすく冷めやすい。
丸椅子に座る人間はだれも普通に対戦するだけのプレイヤーばかりで怪しい様子は見せない。そもそも怪しいと言ったって傍目からではその基準もよくわからないのだ。そんな状況で張り込みを一時間も続けていると緊張感がなくなってきて、その上長い間ゲームをプレイするところを見せつけられていたからどうやら感化されてしまったらしい。今ではご覧の通りに二人は一魔導士と虎に成り下がってしまった。
肝心の『マジ☆トラ』が身内に占拠されてしまっては手がかりの見つけようもなく、誠士郎さんと翼さんもどこかへ行ってしまった。
こうなってしまっては仕方がない。僕も『マジ☆トラ』の辺りをうろうろしながら余暇を楽しむことにした。
クレーンゲームになんの見返りもなく財布の百円玉をしこたま飲み込まれた後、僕は交流ノートのある机に足をのばした。前に来たときも目を通したものだ。最新のページには来週開かれるゲーム大会の詳細が書かれていた。
それを読み流してなんとなくページを適当にめくっていると、裏表紙につきあたる。僕は小さな違和感を覚えた。まだなにも書かれていない白紙のページに黒い跡を見た気がしたのだ。僕は正体を確かめるため、二、三ページを前に戻る。底には確かに、鉛筆で文字が書かれていた。『プロポーズサプライズ参加者募集 参加者:イダマリア・クェイツ・フォン――』
「何かおもしろいものでもあったかい?」
「うわあっ」
背後から突然声をかけられた。僕は電撃にでも打たれたみたいに大きく体を跳ねさせる。その奇行に驚いて、声の主、誠士郎さんも冷や汗を流す。
「ど、どうしたの?」
「あ、い、いえ」
大慌てで開いていた大学ノートを閉じる。手元がおぼつかないものだから指先が空回りしてしまう。その弾みでノートを取り落とした。
「あ」
運悪く、ノートは誠士郎さんの足下に落ちた。彼はそれを手に取る。
「そ、それは」
僕は親にしかられる子どもみたいに断罪を待った。しかし予想に反して誠士郎さんは屈託のない笑みを浮かべる。
「ああ、これかあ」
「誠士郎さん、知ってるんですか?」
「僕は格闘ゲームはやらないからあまり書かないけどね、たまに見たりするよ」
「その、最後の方ページ、プロポーズサプライズって……」
僕は機会を逃すまいと探りを入れる。
「うん、この前のやつだよ」
「やっぱり」
誠士郎さんは特に隠し立てするつもりもないようだ。事件とかかわることではないらしい。僕は安堵する反面、手がかりから遠のいて残念な気持ちになる。
「まあ、これもボランティアの一種かな。ここのゲームセンターの交流ノートって若者たちの情報交換場所にもなってるんだ。それでたまに大人数の協力者が欲しいときとかに紙面上で募集したりするんだよね。僕がこのまえ参加してたのもそれ。現場に行ったら顔は合わせるんだけど参加者の匿名性が守られるようになってるんだ。ほらみてここ、変な名前が書いてあるだろう? ゲームのキャラクターをハンドルネームに使っているんだ。当日会ったときにはこの名前で呼び合うってわけ、おもしろいだろう?」
「たしかにおもしろいですね。これなら気軽に人が集められる」
街の片隅にこういう、人と人の繋がりが残っているというのは感心だ。インターネット全世界がつながっても、アナログな手段が存在し続けるものだ。
フォン、クェイツ……誠士郎さんの話を聞いて改めて書き込みを見直したとき、天啓のようなひらめきが僕の頭に降りた。やはりこのノートは事件と関わりがある。冷静に考えなおしてみればそれは当然のことだ。僕がはじめて事件に出くわしたあの日、このノートの書き込みと同じフォンという名前を耳にしたのはただの偶然なんかではあり得ない。それは誠士郎さんが事件に関係がなかったとしてもだ。そうとも、犯人たちはこのノートを使って強姦を実行する仲間を募ったんだ、誰かが誠士郎さんにサプライズを依頼したのと同じように。
だとすれば、この街で起きている多くの犯罪は、特定のグループによるものではないのかもしれない。僕が彼らの会話を盗み聞いたとき、彼らは親しい間柄には思えなかった。このノートを介してたまたま集まった人間が悪行を働いていたんだ。
正体の見えない悪はここにあった。僕は興奮を抑えながら、目をさらにしてノートを一ページずつ検分していく。どこかに証拠が残っているはずなんだ。
「今度はどうしたんだい?」
血眼でノートを見つめているのを誠士郎さんが不審がる。僕はそれにも応えず躍起になった。けれどいくらページを往復してみてもそれらしい書き込みはない。所詮は素人の思いこみに過ぎないのだろうか、あるいは消しゴムか何かで証拠は隠滅されているのかもしれない。そうなれば僕個人で捜査するのは難しい。
「誠士郎さん、『マジ☆トラ』の交流ノートってこれだけですか?」
後ろで首を傾げていた誠士郎さんは目を丸くして答える。
「いいや、結構昔からこういう試みがされてるはずだからこれだけって事はないよ。昔のは……うーんどこだろう」誠士郎さんは祐司さんの方に手を振った。「おーい祐司、昔の交流ノートってどこに置いてあるっけ」
「スロットのところから奥に行ったとこ、一番隅っこに段ボールが積んである」
祐司さんは、こちらを見ることもせずに言った。僕はそれを聞いて一人で走り出した。
祐司さんの言ったとおりの場所にそれはあった。古くなってくすんだ色の段ボールがたて積みにされている。スロットのコーナーからも離れた場所で辺りに人の気配はない。そういう周りの様子からも、段ボールは置いてあるというよりもむしろ打ち捨てられているという表現がふさわしい。関係者以外が勝手に触ってもいいものだろうか。しかし、今はそんなことは気にしていられない、覚悟を決めて息を吐き出すと、一番上に積んである段ボールを足下に降ろした。
その数30に及ぼうかという段ボールを、最悪全て詳しく調べようと僕は腹をくくっていた。けれど目的の書き込みは案外早くに見つかった。積まれた段ボールの一番下の段、隠すならば探すのが面倒な位置を選ぶだろうという期待から選んだ箱の中に、求めていた手がかりがあった。
そこにはこう記されていた。
『は:千四番通りにて囲い 協力者求む:イルカ・東栄・ティオ・フォン 十月七日深夜二時』
その書き込みは意味不明さゆえに、他の書き込みと一線を画していた。消しゴムでなんども黒鉛をこすった跡が残っている。僕はこれが犯罪の予告なのだと確信した。
十月七日という日付には覚えがあった。僕がレイプを目撃したあの日だ。実行犯のコードネームも一致する。間違いない、求めていた手がかりにたどり着いたのだ。
高揚感を抑え、一文字ずつメッセージを読み解く。無論、この街に千四番通りなどというおかしな名前の通りは存在しない。『囲い』とは行為の態様を表す言葉だろうか。疑問は尽きない。ともかく僕は先輩たちを頼ることにした。
皆バラバラに行動していたから店内を隈無くまわって、なかば引きずるようにしてメンバーを集める。
「なるほど、これは怪しいな」
祐司さんが僕からノートをひったくってまじまじと見つめた。
「『は:千四番通り』ってどこのことだと思います?」
僕は書き込みの内容を指さして訊ねる。
「わっかんねぇな。そもそも確かめようがねぇよこんなのは。それこそ、こじつけで名前が付けられている可能性もあるんだから」
確かめる方法は、ある。候補に挙がった場所にしらみつぶしに直接赴いて、犯行現場を押さえればいいのだ。けれどそれは現実的な手ではない、人海戦術を使うには僕らの集団は小規模すぎる。推理や捜査するにしたって素人の僕らには荷が重いだろう。
「困りましたね」
袋小路に至って、僕は肩を落とした。
「これが岬くんの言う通りの書き込みだとしてさ」黙って考えていた誠士郎さんが発言する。
「当の犯人たちはどうやって隠語の意味を知ったんだろう」
「それは、どうなんでしょう。別の場所で公開とかがされていないなら、やっぱり人づてとかじゃないですか」
「だとしたら、簡単なことだよ」誠士郎さんはこともなげに言う。「僕たちも同じ方法を使えばいいのさ」
****
祐司さんと八郎さんも今度ばかりは真剣に張り込みしている。なぜならさっきまでとは違って、ここに来る人間は事件に関与している可能性がかなり高いのだ。全員が息を潜めて糸に獲物がかかるのを待ち受ける。
誠士郎さんの考えた方法は極めて簡単なものだった。段ボールの中のノートを手に取る人間をひたすら待って、直接内容を尋ねる。殺人犯かもしれない相手にその犯行を話させるなんて恐ろしいけれど、確実な方法ではある。僕らは人数で勝っているはずだし、いきなり襲われるようなことはきっとないだろう。
「皆、話の仕方はわかってるね」
作戦の提言者である誠士郎さんが横に並ぶ他のメンバーに確認する。祐司さんが答えた。
「わかってるよ、あくまで友好的に、同類を装って、だろ」
「うん。間違っても警察の真似事みたいな雰囲気は出さない方がいいよ」
誠士郎さんが念押しする。彼の意見には僕も賛成だった。あくまでノートの情報交換に参加したいという体を装うことが最低限の自衛手段だ。それで仲間意識を抱いて多くの話を引き出せれば儲けものだ。
そうして待つこと数時間、今日はもう誰も現れないかと僕らが諦めかけたとき、チェックのシャツを着た大学生風の男が段ボールの前で足を止めた。僕たちは息を詰めて様子をうかがう。彼は首を捻って周りをキョロキョロと確かめると先ほどまで僕らが見ていたノートを開いた。持参したシャーペンでなにやら書き込んでいる。声をかけるなら今しかない。僕は先頭を切って踏み出した。
「すみません」
男の背後から声をかけると動きが止まる。静かにノートを閉じて彼は振り返った。黒縁の眼鏡をかけた地味な身なりの学生だ。前に立つ僕、祐司さん、誠士郎さんの三人を見て眉をひそめる。
「なにか?」
警戒した様子ではあるが大きな動揺は見られない。怪訝な顔で、手にしたシャーペンを胸ポケットにしまう。
「ちょっとお聞きしたいことがあって」
誠士郎さんが笑顔で話しかける。
「なんですか」
眼鏡の男は面倒そうに返事をする。
「そのノートなんですけど」
誠士郎さんがノートと言う言葉口にすると、彼の目が鋭くなった。一つじりと後ずさりする。
「書いてある内容がいまいち判別できなくて。教えていただきたいんです。僕たちも参加したいと思っているので。あなたはスラングの意味わかりますか?」
「参加するってあんたら、なにをやるかわかってるのか?」
彼は直接的な表現を避けて言葉を選ぶ。どうやらこちらから白状させたいらしい。ならば警戒を解いてもらうためにもその手に乗ってやらなければ。
「人にはいえないこと、ですよね」
僕は口をゆがめる。それを聞いて、彼は少し肩の力を抜く。
「なんだ、わかってるのか」
「ええ、でも所々読み取れなくて」
「ああ、そりゃあ常連でもたまにわからない単語があるらしいからな。公式の取り決めなんてできないし、こればっかりは仕方ない」
僕らを仲間だと認識してくれたらしい。彼は頬を緩める。分厚い眼鏡の位置を直して改めて三人の顔を見た。
「見た目普通の人っぽいのになあんたら、世の中わからないもんだ」
あなただって大概普通っぽいですよと思ったが、無駄な発言は控える。どこで尾を踏んでしまうかもわからない。
「『は:千四番通り』ってのは白○屋の脇のゴミ捨て場のことだよ。由来は俺も知らない。『囲い』っていうのは、まあ、強引なナンパのことだ」
「強姦殺人か?」
祐司さんが訊ねる。男は薄く笑った。
「まさか。意味は文字通り、単なる『強引なナンパ』だよ。ここのノートに書いてあるのは不良どもの悪事計画に過ぎない。最悪でも器物損壊とか、万引きとか、その程度だ。あんたら人殺しでもするつもりなのか? やめておけよ、若気の至りじゃ済まなくなる」
「高校の名前も隠語になっていますか?」
男の忠告を無視して、僕は口を開いていた。
「高校?」
「あ、いえ、これといった理由はないんですけど」
不用意な発言だった。自分でも、質問の意図がわからない。
「俺は聞いたことがないな。それに、高校を待ち合わせの場所にするのは感心しない」
「ですよね……」
僕が恐縮すると、男はフッと鼻で笑った。小馬鹿にしたような視線を向けられる。
「自分の高校に爆弾でも仕掛けるの? とんだ悪ガキだね。高校時代の嫌なことなんて、後から考えれば取るに足らないものだよ。君にはまだわからんだろうが。とにかく、お勧めしないね」
「はは……」
僕は曖昧に笑って、誤魔化すことしかできなかった。違う、決してそんなつもりではなかった。男の言っていることは、一から十まで間違っている。喚きだしたい衝動が胸の中で暴れる。それを飲み込むのは、大変な苦労だった。
「どう思うよ」
残りのノートを調べ尽くした後、祐司さんが言った。
「どう、なんでしょうねぇ」
八郎さんの歯切れは悪い。ノートと事件について、これ以上の展望が見えない。気持ちは他の皆も同じだった。調べたノートの中身に、殺人の直接的な犯行声明は見つけられなかった。さっきの男性が言った通り、ノートはあくまでも、小規模の悪事を仄めかす程度の品だ。
「事件とは関係ないんでしょうか」
途方に暮れて、僕は漏らす。
「思うに、さ」応えたのは誠士郎さんだった。「可能性としてだけど、岬くんが目撃したのは本当に、ノートを頼りに集まった人たちだったんだと思う。そして、その後には意気投合するか何かして、彼らだけで連絡を取り合うようになったんじゃないかな。悪事を繰り返すうちエスカレートしてついには殺人に……って、ありそうな話じゃない? 仮に岬くんが目撃した人たちが殺人犯になったのでなくても、こんなノートがある以上、犯罪コミュニティが成立することは想像に難くない。っていう推理はどうかな」
誠士郎さんは手に持ったノートを閉じた。
「妥当だな」祐司さんも悩むのをやめて立ち上がる。「だとしたら、俺達にできることはもうないわけだ。犯人を辿るのは無理。できることといったら、ノートの存在を警察にタレこむくらいか。……面倒だな」
僕も祐司さんに同感だった。僕らがノートを持ち込めば、警察の捜査を助けるだろう。けれど、それでは真相に向けて、遠回りである。それに、僕は別に、犯人に早く捕まって欲しいと思っているわけではないのだ。
****
大層な心構えをして調査に乗り出した割に、事件の真相はあっさりと判明した。達成感とともに拍子抜けした僕らは、ちょっと冷めた気持ちで今回のことを語り合った。畢竟、遊覧会としてはこの事件から手を引くことが決まった。もとよりただの興味本位が発端で、社会正義がどうだとかいう動機もなかったのだから当たり前なのかもしれない。あるいは件のノートについてその由来を探るだとか警察に届けるだとかいう選択肢もあったのだけれどどちらも手間がかかる上に得られるリターンもないということでご破算になった。祐司さんたちが求めているのはもっと俗っぽい、形而下の満足なのだ。さしあたっては仁美さんから紹介される女の子をいただくことだ。
仁美さんがサークル棟の部屋の扉を叩いたのは事件の真相を暴いてからたっぷり二週間もたった後である。
「失礼しまーす……」
遠慮がちに入ってくる彼女に全員の視線が集まる。
「やあ、仁美ちゃん久しぶり。ぜんぜん連絡がないから心配していたんだよ」
彼氏である誠士郎さんが優しい言葉をかける。久しぶりの再会に喜んで飛びつくかと思ったのだけれど、予想と反して仁美さんは気まずそうに顔を伏せる。
「それじゃあ成果を聞かせてもらうぜ仁美ちゃん。こちとら散々待たされたんだから」
祐司さんが皆を代表して言う。
「あえかさん、入ってくれますか?」
僕が尋ねると彼女は首を横に振った。
「その、あえかちゃん頑なで……だめでした。それと、私にもそんなサークル抜けろって」
「それで、ノコノコ引き下がって来たと?」
祐司さんが睨みを効かせると、彼女は押し黙る。弱気になった様子を見て祐司さんはさらに彼女を責める。
「困るぜ仁美ちゃん。君は女の子だから俺たちもあまりうるさく言わないようにしてたけど、こっちとしては報酬はいわば前払いで渡してるわけだから」
「報酬なんて、私……」
今まさに報酬扱いされた誠士郎さんに救いを求めるような目を向けるけれど、彼は慰める言葉を言わない。
「そんな」
打ちひしがれて座り込む仁美さんに八郎さんが語りかける。
「私たちもね、なにもあなたをいじめようというわけじゃないんですよ。ただ新しい仲間を集めたいというだけでね。でなきゃ遊覧会が存続できなくなってしまいますから。実は私に提案があるんですよ」
八郎さんは手で顔を覆う仁美さんの肩に大きな手をかける。
「うそも方便という言葉がありますよねぇ」
仁美さんは涙のにじんだ目を上げる。
「岬くんに聞きましたよ、あえかさんは大変友達思いだそうじゃないですか。そしてあなたは彼女の大切なお友達だ。それを活用しましょう」
仁美さんは八郎さんの話にわけがわからないという様子できょとんとしている。
「つまりですね、あえかさんに君のことを心配してもらえばいいんですよ。君は遊覧会を抜けさせてもらえなくて困っている。そういう芝居を打つわけです。あえかさんは君を助けるために私たちの前に姿を現す。大丈夫、話し合いの場さえ設けてもらえば彼女にも遊覧会の素晴らしさが絶対にわかってもらえますから」
八郎さんは肩に掛けていた手を脇に回して彼女を立たせる。そうして机にあらかじめおいてあったビデオカメラを手にした。
「私たちは撮影の腕には自信があるんだ。ねえ、岬くん」
怯える表情で立ち尽くす仁美さんにカメラを構える。髭に隠れた口元がゆっくりと持ち上がった。
****
「あの、本当に脱ぐんですか?」
部屋の中央にあった二つの長机は端に避けられ、ぽっかりと空いた空間に仁美さんは所在なさげに立っている。その周りを囲むのは遊覧会の男たちだ。準備がいい八郎さんは三脚を用意して、固定したデジタルカメラをすこし引いた位置で調整する。
「ああ、ちょっと待ってくださいね、脱ぐところから撮りたいんで」
「いえ、そういう意味ではなくて……」
蚊の泣くような抗議の声は飢えた男たちの耳には届かない。八郎さんは三脚の位置を調整しながら黙々と撮影の準備を進める。
「岬くんも、準備はできてるかい」
「ええ」
僕は固定のカメラではなく移動しながら撮影する係を任されている。前回の盗撮の腕をかわれてのことだが、正直なところやれる自信はない。
「あの、本当に僕がやっていいんですか」
「そりゃあもちろん、イイ画をとってくれよお」
八郎さんはにんまりと笑う。ここまで来たら仕方ない、こういうときくらいはサークルに貢献して見せよう。僕は録画スイッチの場所を確認してもう一度フレームを確認する。
撮影班は僕と八郎さんの二人、対する役者は身を縮ませる仁美さんと、この期に及んでも余裕そうに微笑んでいる誠士郎さんの二人だけだ。といってもそれは仁美さんを丸め込むための方便で、後に男優は追加投入される運びだ。
「あの、やっぱりこんなのおかしいと思います」
彼女の意志を無視して着々と進む準備に焦りを覚えたのか、自己主張の苦手な仁美さんがやっと皆に聞こえるよう声を上げる。
「おかしいっていうのは?」
やっと準備を終えたらしい八郎さんが応じる。すると仁美さんは口ごもる。
「だって、こんな、あれを、撮影するなんて」
「なあに、深刻に考えることはないよ。僕たち見物人のことは案山子かなにかだとでも考えてくれればいい、それに恋人同士じゃあセックスを撮影するなんて珍しいことでもないだろう?」
「でもそれは、二人だけですることであって……」
しつこく渋る仁美さんに八郎さんはいらだちを見せる。
「なぁにをためらっているんだい、誠士郎さんと愛し合えるなんて君の本望のはずじゃない。大丈夫、撮影した映像をどこかに公開したりは絶対にしないよ、さっき約束したでしょう。ほらほら、さっさと上着から脱いでいって。ああ、でも恥じらいは忘れちゃだめだよ。そもそも君は設定じゃあ、僕らに強要されて仕方なく誠士郎さんとセックスさせられているっていうことになっているんだから。恋人同士の純愛セックスなんて見せつけられたってあえかさんは困るだけだよ」
僕らの考えた設定は八割がた現実に則しているような気がするけれど、それは突っ込まないでおこう。八郎さんの説得を聞いて、仁美さんは誠士郎さんの方をちらりと見る。彼はすでにシャツを脱いで上半身裸になっている。
「大丈夫、周りのことは気にしなければいいさ。むしろみせつけてやろうよ」
「でも……」
恋人にも勧められて、仁美さんの表情が揺らぐ。
「それじゃあさ、自分で脱ぐのは恥ずかしいだろうから僕が脱がせてあげるよ、それならいいだろう。八郎くん、構わないね」
「うーん、できれば自分から嫌々服を脱ぐっていうシチュエーションでいきたかったんですけど、誠士郎さんが言うなら仕方ありませんねぇ。あ、でも仁美ちゃんは嫌がるそぶりは見せてね、何度も言うけど」
誠士郎さんは了承を取り付けると裸のまま仁美ちゃんに近づく。その鎖骨辺りに触れて前付けのボタンを一つ外す。
「あ……だめです」
仁美さんが小さな声を漏らす。僕は手元の録画スイッチを押した。誠士郎さん以外の全員が口をつぐんで、沈黙が降りる。
そのときだった。
「ああああああっ」
いきなり空気を切り裂くような叫び声が発せられる。その声は部屋の中央に一直線に移動し、誠士郎さんにぶつかった。
翼さんだ。部屋の隅で座っていた翼さんが誠士郎さんにタックルをかます。完全に油断していた誠士郎さんは半狂乱の翼さんの突っ込むままに吹き飛ぶ。
「うわっ」
押し倒された誠士郎さんを見て真っ先に動いたのは祐司さんだ。誠士郎さんの上に乗って組み付く翼さんに蹴りを浴びせる。それでもまだあきらめずに食らいつく様子を見て八郎さんが飛び出した。翼さんの後ろから首を羽交い締めにして誠士郎さんから引き離す。その間にも祐司さんは翼さんの顔に打撃を加える。
しばらく骨のぶつかる鈍い音が響いていた。
圧縮された嵐のような時間が過ぎると、力つきた翼さんのボロ雑巾みたいな身体が横たわっている。八郎さんはため息をついてその身体を部屋の隅まで乱暴に引きずっていく。祐司さんは誠士郎さんの無事を確認した。
「おい、大丈夫か」
「いてて、うん、怪我はないよ」
「まったく、どうしてやろうかあのバカ」
祐司さんが悪態をつくと八郎さんから声がかかった。
「まだ意識はあるみたいですよ祐司さん」
「もう殴るなよ。まじで死ぬ」
「はいはい」
乱れた衣服を整えながら祐司さんが僕を見る。
「岬も、大丈夫か」
「あ、はい。すみません、なにもできなくて」
僕はまだ呆気にとられていた。
「いいさ、こういうのは先輩の役目だ。おい気を取り直してもっかいやりなおすぞ、いいな」
「え、まだ続けるんですか」
仕切り直して後日、みたいなことになると予想した僕は驚く。
「当たり前だろ。翼のバカには後でそれなりのお灸を据える。ほら、早く準備しろ」
僕は暴力沙汰を目にした仁美さんがセックスどころではなくなるんじゃないかと心配した。けれどそれは杞憂だったみたいで、取り囲む男たちの狂態を間近で見せられた彼女は、袋叩きにされた翼さんを自分と重ねたのか、目に見えるほど怯えて、僕らの指示に従順になった。脅されて無理矢理撮影されているという設定を考えれば、こっちのほうが不自然さが少ないだろう。
誠士郎さんは置物みたいに突っ立っている彼女にキスをして、服を脱がせ始めた。それでもかたくしたままの身を押し倒して、あらかじめ引いてあった毛布の上に寝かせる。ずっと部屋の奥にしまいっぱなしだったもので、ところどころが解れている。僕はカメラを回してその様子を撮影した。
やがて肌を覆っていた服は脱がされて仁美さんは下着姿になる。しゃれた刺繍のついた薄紫の上下はこの場に不釣り合いなほどかわいらしい感じがした。彼女は今日家を出る前、どんな気持ちでこの下着を選んだのだろうか。考えてみれば僕は女の子の下着姿をこんなにまじまじと見るのは初めてだ。下腹部に血が集まるのを自覚しながら、それでも役目を果たすためにデジタルカメラの画面をのぞき込む。そうすると目の前で起こっている出来事が、どこか遠い、夢の中で起こっていることのような感覚になる。
「いいですよぉ、興奮してきました」
僕の心中を八郎さんが代弁する。撮影には音も入るから今まで声を出さないようにしていたけれど、別に喋っても問題ないらしい。
画面の中の誠士郎さんは仁美さんを全裸にすると、秘部を手のひらで優しくなでた。
「あっ……」
仁美さんが感触に反応して喉から声を漏らす。恋人らしい雰囲気になろうかと言うところで、カメラをおろした現場監督の八郎さんから指示がでる。
「ああ、前戯はいりませんよ誠士郎さん」
すっかり世界に入り込んでいた誠士郎さんが顔を上げる。
「あれ、そうなの。でも濡らさないと痛いよ?」
「無理矢理感が欲しいんですよ。なんだか画面覗いてると純愛もののAVみたいで萎えるじゃないですか。誠士郎さんが摩擦が嫌だってんならほら、そこにローションあるんで使ってください、私ん家から持ってきました」
「お前は彼女もいないのにローションをなにに使うんだよ。……いや、答えなくてもいいや」
横で見ていた祐司さんが口を挟む。こういう雑談を液晶越しに眺めているとホームビデオでも撮っているような錯覚にとらわれる。
「了解、わかったよ」
誠士郎さんは頷くと渡されたローションを手に垂らして仁美さんの挿入口になじませる。
「きゃっ」
「ああごめん、冷たいけど我慢してね」
たっぷりとローションを消費すると誠士郎さんはズボンと下着を脱いで男根を露出させる。すでに張りつめて肥大化したそれに仁美さんは息を呑んだ。
「それじゃ、いくよ」
誠士郎さんが位置を定めて腰を前に突き出す。多少の抵抗がある様子だが、力を入れ直して腰を押し込むと、挿入できたようだ。
「うく……」
仁美さんが苦悶の表情を浮かべて息をもらす。やはり前戯なしでは女性に負担があるようだ。
「動くよ」
それでも誠士郎さんは宣言して、腰を前後させる。普段の彼は僕の目から見て所作も含めてイケメンの類だけれど、こうして性交を見るとやはり男の側はまぬけだ。
考えながらしばらくカメラを回していると、単調だった二人の行為に変化が訪れる。誠士郎さんがある一点を突くように動きを固定すると、今まで羞恥とためらいの気色が濃かった仁美さんが鼻にかかるような声を出し始める。
「うあ、だめ……そこ」
彼女の弱点を見いだした誠士郎さんはそこを集中して刺激できるように体勢を変える。誠士郎さんが腕で彼女の足を内側から開くようにすると、僕の覗く液晶に、赤く色づいた秘部が露わになる。
仁美さんは新たにもたらされた羞恥に驚いて脚をばたつかせる。
「ちょっと、や、やめてください。見えちゃう」
けれど誠士郎さんは抗議を受け入れようとはせずに黙殺する。代わりに激しく腰を動かした。
「あっあっ、ああ、それっ、だめ」
さっき押さえた性感帯を連続で刺激する。仁美さんはこれまでの拒否するような声から一転して、快楽に感じ入る嬌声をあげる。顔は紅潮し、眼にはうっすらと涙を浮かべる。それは紛れもなく、理性を取り払った彼女の本性そのものだ。僕は常識的な見識が壊されるような場面を前にして性欲が高まる。心臓がうるさいほどに音を立てて、膝ががくがくと震える。それは強姦の現場を目にしたあのときと全く同じ感覚だった。自分でも意識しないままに、窮屈になったズボンのチャックを降ろす。隣を見ると八郎さんがとっくに一物を取り出して激しくシゴいていた。その醜さについ顔を背けてしまうけれど、彼は鏡写しの僕の姿なのだろう。その奥では、祐司さんが立ち上がって上のシャツをごそごそと脱いでいるところだった。彼は当初の予定を冷静に貫徹しようとしている。これが経験者の余裕というやつだろうか。
他のメンバーを見て少し正気を取り戻した僕は祐司さんを見習ってベルトを外して準備をする。カメラマンの役割はここで終わりだ。強く握りすぎて手に食い込んだビデオカメラをちょうどいい位置に設置すると、僕は前にでた。祐司さんと僕の様子を見て、八郎さんもやっと現実に戻ってくる。
「ふう、あぶないあぶない。無駄打ちするところでしたよ。せっかく生身の女がいるっていうのに。そうだ、岬くんはまだ真正の童貞だったよねぇ、おめでとう、ようやく卒業じゃないか」
「遅れてるってわけでもないと思いますけどね」
「八郎、俺はお前のあとで入れるのは嫌だからな」
今まで裏方に徹していた三人の会話を、仁美さんは聞いていない。彼女はただ瞼を閉じてなにかに耐えるように唇をかみしめている。誠士郎さんがさらにグラインドを早めると、秘裂から漏れる水音も激しくなる。
「もっ……だめぇ……」
息も絶え絶えになりながら、仁美さんは口元から唾液をこぼして、身体を弓なりにそらせる。体内に張りつめる絶頂の予兆を外に表したように身体を強ばらせると、数秒の後、大きく体を痙攣させた。
「う……かはっ……はっ」
呼吸を忘れていた彼女は、こちらに戻ってくると水難者みたいに必死に息を吸い込む。けだるさが現れてきたのか、身体をぐったりと毛布にあずけて床を見つめる。彼女の身体は汗でじっとりと濡れていた。
「ふう」
まだ射精をしていない誠士郎さんは彼女の絶頂を見届けると、特に惜しむ様子もなく接合部から腰を離して立ち上がる。
「あっ……」
仁美さんは棒を抜かれてぽっかりと空いた喪失に目を向ける。見届けると満足しているのか後悔しているのかわからないけれど、とにかく事が終わったという面もちで頭を毛布に埋めさせる。
しかし、彼女には悪いけれど、僕らとしてはここからが始まりなのだ。
「仁美ちゃん仁美ちゃん」
今にも寝入ってしまいそうな彼女に、下半身を露出した八郎さんが呼びかける。いきなり薄汚い裸を見せつけられた彼女はのどの奥で悲鳴を漏らした。そして、自らを取り囲む男たちを見渡す。
「な、なんですか」
「いやあ、それがねぇ、お兄さんたち、君のエロかわいい痴態を見ていたら興奮して来ちゃったんだ。ほら見て、ちんちんもこんなに勃っちゃって」
彼女に今にも覆い被さらんという体勢の八郎さんのセリフは、完全に性犯罪者のそれだ。
「お前、エロマンガの読み過ぎな」
祐司さんはあきれている。でも彼も、ここにきて紳士を気取る人でもない。
「早い話が俺たちにもやらせてくれってことさ。別にいいだろ?誠士郎にはこんなに簡単にヤらせるくらい股の緩い女なんだからよ」
「い、嫌ですっ」
ようやく状況を理解した彼女ははじかれたように立ち上がって後ずさりする。今まで下に敷いていた毛布を身体に巻き付けている。
「嫌って事はないだろ」
退いた分だけにじり寄る祐司さんに、仁美さんははじめて、明確な意志を持った視線をぶつける。
「誠士郎さんとするところを撮るだけっていってたじゃないですか」
「気が変わったんだよ」
「最初からそのつもりだったんですか」
「だったらどうだってんだ?」
祐司さんと仁美さんの口論は平行線を辿る。すぐに感情的になるのは祐司さんの悪いところだ。僕はさっきまで自分の手に持っていたビデオカメラを指して仁美さんに語りかけた。僕はあくまで冷静に、だ。
「仁美さん、怒らないで聞いてほしいんだけど、ここにはさっきまで撮ってた君のはずかしい姿が残ってる。僕らとしては、君が言うとおりにしないならこれをばらまくことだってできるんだ」
「なに、言ってるんですか」
彼女は愕然とする。僕は気をよくして続けた。
「君が言ったんじゃないか、最初からそのつもりだったって。君は迂闊だったんだよ。それに、僕らがまともな人間じゃないっていうのを君は何度も目撃しているよね。そんな頭のおかしな連中と一人で争うのは得策じゃないと思うな。野良犬にかまれたとでも思ってさ、セックスさせてよ」
「おいおい岬、散々な言いようだな。俺たちは犬かよ」
と、祐司さん。
「言葉のアヤってやつですよ。それで、どうですか、受け入れてもらえませんか」
「でも……それは」
仁美さんは口では追いつめられたようなフリをして、これまでにないほど熱のこもった瞳をたたえている。おそらくめまぐるしいほどの早さで思考を回した彼女は、キャスターの上においてあるデジタルカメラと、八郎さんが使っていた三脚の固定カメラをちらりと見た。それはほんの一瞬の目の動きだったけれど、僕は見逃さなかった。彼女にとってこれは致命的だった。
次の瞬間、僕らの間を縫って三脚のカメラに飛び込んだ小さな身体を、僕はすぐに上から取り押さえた。足りない筋肉を精一杯使って暴れる身体を押さえつける。
「離してっ、お願い、離して!」
彼女が大きな声を出す。僕はびっくりして、咄嗟に彼女の頭に拳を振り下ろした。
「がっ」
拳の骨に鈍い痛みが走って、僕はあわてて殴ってしまった方の手を引っ込める。それでも効果はあったようで仁美さんの動きが鈍くなる。その隙をついて祐司さんと八郎さんの二人が一斉に加勢する。仰向けに転がした彼女の頭と腕を祐司さんが、八郎さんはどこからか持ち出したガムテープで口をふさぐ。主役の声を失った部屋には唯一動かせる足をつかってむなしく床を叩く音だけする。僕はじゃじゃ馬の足を精一杯押さえて限界まで堅くなった自分の陰茎を穴に押し込んだ。
「熱……」
これまでの性行為によって暖められた膣内は濡れて、僕のものを簡単に飲み込んでしまう。自分では動いていないのに引き込まれるような感覚に思わず声を出す。
「うあ……仁美さん、すごいです」
腰が抜けそうなのをなんとかこらえて僕はゆっくりとグラインドしようとする、が、速度が抑えられない。まるで自分の身体じゃないみたいに勝手に腰が動いて滑った内部をすりあげる。相手に快楽を与えようなんて余裕はない。僕は頭が真っ白になってなにも考えられない。
「だめっ、やめて下さい、お願いしますっ」
仁美さんの拒絶する声を聞いて僕はさらに高まっていく。動物みたいに本能のままに動いていると、いきなり仁美さんの中が蠕動する。これまでにない吸いつかれるみたいな刺激に魂まで持って行かれそうだ。快感は全身まで広がって、五感が部屋全体まで拡張する錯覚を覚える。次の瞬間、僕は絶頂していた。
「うっ……うぅ……」
自分でも考えられないほど吐精の量は凄まじく、しばらく腰を奥に押しつけて快楽を貪る。頭の後ろの方が痺れて、脳に何かが漏れ出したような感覚。
やがて僕は力を失った。虚脱感とともにペニスを引き抜く。粘った液体がどろりと外にあふれた。
体感では長いこと快楽に浸っていた覚えがあるのだけど、実際には僕はかなり早漏だったみたいで八郎さんにからかわれた。
「いやいや、まあ初めてじゃ仕方ないよ岬くん」
「はあ」
僕はぼんやりした頭のままで生返事をする。僕の事が済むと、八郎さんと祐司さんは我先にと仁美さんの身体を取り合った。僕はといえば自分の性欲が満足してしまうと急に事の次第への関心を失って、退屈な気分で仁美さんが犯されるのを眺めていた。彼女は二人の男に輪されて放心状態になっている。八郎さんと祐司さんの愛撫や挿入にも碌な反応を返さなくなって、八郎さんなんかは腹を立てて顔や尻を思い切り叩いたりしていた。それでも加虐の欲求を満たせない彼らはなにやら話し合う。顔を離すと二人とも口を歪めて不気味に笑った。
祐司さんが仁美さんのところを離れる。そして、しばらく前から気力を失ってぐったりとしていた翼さんの胸ぐらを掴んで起こした。
「おい翼、お前は敗者だな?」
翼さんは腫らした口元を開くけれど声が小さくてなにを言っているのかわからない。訴えを無視して祐司さんは彼を、絡みの現場に放り投げる。そこから先は八郎さんが引き継いだ。
「やあ翼くん、ここのところずっと思っていたけれど君は意外といい奴なんだねぇ。ただの卑怯な小物とばかり勘違いしていたよ、済まないね。ところでそんな翼くんに命令なんだけど、この女の子とセックスしてくれよ」
「なに……言ってんだ」
翼さんはやっと耳に届く大きさの声を出す。
「なあに、私は道徳を人に振りかざすいい子ちゃんが苦手でね、君も僕らの同類になって欲しいんだよ。だって私たちは遊覧会という同じサークルに所属する仲間のはずだろう?ここらでいっちょう、正式に同胞になる儀式をしようじゃないか。同じ釜の飯を食らう、ならぬ同じ女のマンコを貫くってやつだよ、どうだい、楽しそうだろう。ちなみに、君に拒否権はないよ、君はもう私たちの所業を目にしてしまっているからね。君も共犯になるんだ。そうすれば警察に駆け込むなんてバカな考えは起こらなくなる」
八郎さんは翼さんの肩に腕を回して囁くと彼の服を脱がせ始めた。
「やめろってめぇっ」
逃れようと抵抗する体を祐司さんが押さえつける。
やがて下半身を露出させられた翼さんが仁美さんの前に立たされる。
「おほっ、なんだ翼くん、君は正義漢のフリをしておいて、ちゃっかりちんこを立たせちゃってるじゃないか」
八郎さんは固く屹立するモノを見て嘲笑する。翼さんは無言で唇をかみしめた。
「それじゃあ、今度は体位を変えてみよう、同じ構図ばかりじゃつまらないからね。岬くん、カメラを回しておきなよ」
「はい」
僕はまだ甘い痺れを引きずる頭を抱えながら答えた。
「ほら、仁美さんも、立って壁に手を突いてお尻をつきだしなさいよ。……なにをグダグダしてるんだい、ほらぁ」
八郎さんはもたもたと立ち上がる彼女の背中を叩く。立ち上がった拍子に彼女の中に溜まっていた白濁液が重力に従って垂れ落ちる。意識してみると、施錠して密閉された部屋の中は、汗と精液が混じった悪臭が立ちこめている。
仁美さんはもはや意志を持たない人形のように八郎さんの言葉に従う。一方で翼さんはいまだに挿入を拒んで動かない。
「おいっ、早くしなさいよ」
八郎さんが翼さんの腹を蹴り上げる。
「うぐ」
「なにをいつまでもためらってるんだあまったく、つまらない男だよ本当に。私たちがやるのを見て興奮してたんでしょうが、自分もこの雌のおまんこにちんちん突っ込みたいってさあ。それが本来あるべきすがたなんだよ、あらがっちゃいけないよ、ほらっ」
八郎さんは後背位の体勢で挿入を待つ仁美さんの肉を広げて中を露出させる。
「嫌だ、嫌だ……」
「なんだ失礼だぞお前、仁美ちゃんがせっかく自らの意志で据え膳になってくれてるのによお」
祐司さんが翼さんを後ろから押す。翼さんは泣きそうになりながらようやく濡れそぼった肉壷にペニスを近づける。それを確認した祐司さんが、翼さんの体を抱えて一気に押し込んだ。
「うあああぁぁ」
情けない悲鳴を上げた翼さんは数秒腰をかくかくと動かすとすぐに精を吐き出す。
「でっ、出る」
それは本当に短い間のできごとで、僕の早漏なんて問題にならないくらいだった。吐精の快楽に身を震わせ、翼さんは足をふらつかせてよろめく。
「あはははは、早っ、情けないなあまったく、イメージ通りだよぉ」
八郎さんは一人で大笑いしている。言い返す意志すら持たない翼さんの瞳には獣欲の名残だけがかすかに姿をのぞかせていた。
「思ったより乱暴になっちゃいましたね」
ドロドロの液体と、伏した人間。部屋の惨状を眺めて、僕は言った。
「大丈夫大丈夫、平気だよ」
簡単に言ってのけるのは誠士郎さんだ。
「確信があるんですか?」
「経験的にね。女の子ってちょっとしたことで不満を言うけど、あまりに酷いことをされると、かえっておとなしくなる傾向があるよ。自分の殻にこもって、中身の方を変質させてしまうというか……。その辺、器用だなあって、感心することもあるんだけどね」
「……はあ、なるほど」
女性経験豊富な人間には、常に説得力が味方をする。羨ましい。